飲んでもブログ

飲んでいる時に付けたタイトルで間違いではありません。
趣味は山登りやハイキングとDVD映画の収集です。

ひまわりまつり(栗原)をぶらり

2014年07月27日 | Weblog
 今年も7月27日()に「ひまわりまつり(栗原会場)」に行ってきました。
 栗原会場で行われる座間の「ひまわりまつり」に行くのは、2011年2013年に続いて今年で3回目になります。
 尚、今年も座間の「ひまわりまつり」は、例年通り次の二つの会場で開催されています。
  (1)栗原会場:7月24日(木)~7月29日(火)
  (2)座間会場:8月14日(水)~8月19日(火)

 今年は暑かったので栗原会場までは小田急線南林間駅からバスで行くことにしました。相武台前駅行きのバスは1時間に1本(正時11分発)だったのですが運良く乗ることが出来て幸先が良かったです。

<第一会場>

 座間総合高校前バス停でバスを降りると、目の前に「ひまわりまつり(栗原会場)」の第一会場があります。
 あまりの暑さに模擬店のある休憩テントの中は人が一杯で、辺りはご覧のような人出でごった返していました。
 中央のやや右奥に写っているのが第一会場の展望台です。
 

 早速、展望台の所まで行ってみましたが、ここでも暫く待たないと展望台には登れませんでした。


 展望台に登るのを待っている間、ひまわり畑をアップで撮ってみました。


 展望台からひまわり畑を撮ってみましたが、ひまわり畑は迷路のようになっていました。
 あまりの人の多さに、じっくりひまわりも撮れそうになかったので第二会場に行ってみることにしました。

<第二会場>

 第二会場は模擬店もないので人出はそんなに多くありませんでした。
 通路の奥に見えるのが第二会場の展望台です。


 展望台の鉄階段の下に百合が咲いていたので撮ってみました。
 第二会場の展望台は待たずに登ることが出来ました。


 展望台から座間厚生病院方面のひまわり畑を撮ってみました。奥に写っている建物が座間厚生病院です。


 展望台から座間総合高校と第一会場方面も撮ってみました。
 左奥に写っている建物が座間総合高校、右に写っているのが第一会場のテントです。
 中央のやや上の方に横に広がったひまわり畑があって、ここだとひまわりもじっくり撮れそうなので行ってみることにしました。


 展望台から見えた横に広がったひまわり畑に着きました。
 ここだとひまわりがじっくり撮れるのか一眼レフを持ったカメラマンが大勢いました(私のはバカチョンです)。






 早速、散策路を歩きながらひまわりをアップで撮ってみました。


 散策路の途中まで来ると、ご覧のようにひまわり畑中央のひまわりがなぎ倒されていた箇所があったので驚きました。
 ひまわりは背が高いので強風で倒されたのか可哀そうな感じがしました。




 気を取り直して、ひまわりをドアップで撮ってみました。




 ひまわり畑の外れまで来て木陰で涼んでいると、隣の畑にご覧のようなハイビスカス(?)が咲いていたので失礼してアップで撮らせて頂きました。


 取り敢えずひまわり畑を散策したので第二会場を後にすることにしました。
 帰りがけに座間厚生病院の上に面白い形の雲が出ていたので撮ってみました。


 再び第一会場の前を通ったらご覧のように人も空いて来たのでビールで喉を潤してから「ひまわりまつり」の栗原会場を後にしました。

 小田急線南林間駅行きのバス乗り場には長い行列が出来ていてバスに乗れそうにありませんでした。
 又、会場で貰った案内パンフには、小田急線相武台駅南口までは徒歩で30分で行けると書いてあったので初めてですが歩いてみることにしました。

<小池大橋>

 会場を後に、炎天下のバス通りを15分位歩くと小池大橋に出ました。


 小池大橋から下流方面を覗くと、ご覧のような景色が広がっていて、しかも下を流れる川は先週の「海老名をぶらり」で通った目久尻川(めくじりがわ)だったので、小池大橋を渡ってから下に降りてみることにしました。
 小池大橋を渡って、橋の袂(1ヶ所しかありませんでした)から下に降る道を探したのですが見つけられませんでした。


 仕方なく再び小池大橋まで戻り、今度は少し先の道を左折して下に降りる道を探すことにしました。
 何回か行きつ戻りつしてどうにか広場に行けそうな公園(緑ヶ丘第3公園)に辿りつきました。
 小池大橋を渡ってから緑ヶ丘第3公園に着くまでに20分以上も掛かってしまいました。


 緑ヶ丘第3公園からは、舗装された道路を行けば下に行けそうだったのですが、遠回りで木陰もなかったので少し不安だったのですが獣道から下に行ってみることにしました。
 どうにか舗装された道路の途中に降りることが出来ましたが、道路に降りる正規の階段はなくビールケースが置いてありました。
 舗装された道路に降りる所から池が見えたので撮ってみました。奥に見えるのが小池大橋です。

<栗原遊水地> 

 どうやらここは、目久尻川の氾濫を防ぐために造られた遊水地のようでした。
 池で釣りをしている人が2人いたので池の傍まで行ってみるこにしました(こんなところで釣りをする人もいないので7匹釣れたと騒いでいました)。


 早速、池の周りを散策してみました。奥に見えるのが相武台駅から国道246号線に抜ける道路ですかね?


 池の外れまで来ると暑いのかカルガモ(?)が水浴びしていたのでアップで撮ってみました。


 池の周りを散策してから小池大橋の下を通って向こう側に行ってみることにしました。
 橋の手前にある円柱が監視棟ですかね?


 小池大橋の下をくぐるとそこは野球のグランドになっていて少年野球を遣っていました(この暑いのご苦労さんです)。
 野球のグランドを右に見ながら道なりに暫く歩くと、相武台駅南口に行けるバス道路に出ました(ホッ!)。


 どうにか相武台駅南口に着きましたが、帰りは坂道を上るのと熱中症になってもいけないので途中で何回か小休止を入れた関係で栗原遊水地のグランドからは30分近くもかかってしまいました。
 相武台駅南口の駅前でビールでも飲んで喉を潤そうと思ったのですが適当な店がなかったので諦めました。


 相武台駅からは相模大野駅経由で大和駅まで行って、先週も立ち寄った大和駅ビルのPROSSの4階で喉を潤すことにしました。
 大和駅ビルのPROSSの4階(植むら)で飲んだ後、下の東側プロームナードが騒がしかったので写真を撮っていると、お店の人が今日は大和『阿波おどり:7月26日(土)・27()』の最終日だと教えてくれました。


 喉を潤してから1階に降りて『阿波おどり』が来るのを待つことにしました。


 暫く待っていると、急に雷が鳴り出して折り畳み傘では濡れてしまいそうな大粒の雨が降って来ました。
 これでは『阿波おどり』は中止になると思い交通規制(16:30~)の始まる前に駅前からタクシーで帰りことにしました。
 結局、18時過ぎまで雨は降り続いていたので早めに決断して正解でした。

 今日の「ひまわりまつり(栗原)をぶらり」は、それなりに楽しめて帰りも相武台駅まで歩くことが出来て満足しています。大和『阿波おどり』が見れなかったのは番外編なので止むを得ないですよね!
 尚、万歩計は11,000歩を超えている程度だったので運動不足解消にはなりませんでした。
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海老名をぶらり

2014年07月21日 | Weblog
 3連休の中日(7月20日)は、「小田急沿線自然ふれあい歩道」に載っていた海老名駅コースを歩いてみました。
 メインルートは以下の通りですが、道に迷わなければ合計で約6.6kmあります。
 海老名駅-790m-大ケヤキ-1000m-ひさご塚公園-710m-八坂神社と鳳勝寺-1720m-目久尻川(小園橋付近)-810m-伊勢山自然公園-650m-相模国分寺跡-900m-海老名駅
 尚、海老名駅は小田急線と相鉄線にあって、東口には大型ショッピングモールのビナウォークがあります。

<ビナウォーク>

 相鉄線東口で降りてビナウォークの中央公園を撮ってみました。


 中央公園に建っている「七重の塔(しちじゅうのとう)」です。
 説明板には、『七重塔は、741(天平13)年 聖武天皇の「国分寺建立の詔」をうけて建立された相模国分寺の伽藍の一つです。』とありました。
 又、海老名市観光シンボルのモニュメントにもなっています。

<大ケヤキ>

 根回り15.3m、目通り7.5m、樹高20mの神奈川県指定天然記念物の大ケヤキです。
 このケヤキは、かつて船つなぎ用の杭として打ったものが発芽して大きくなったものみたいです。

<東光山国分寺>

 大ケヤキから東光山国分寺の階段が見えたので行ってみました。
 階段の登り口右には「高野山 真言宗 国分寺」と記銘されていたので名称変更でもしたのですかね?




 取り敢えず、海老名駅コースが無事に全て周れますようにお祈りしました。


 境内に国指定重要文化財の梵鐘があったので撮ってみました。
 この梵鐘は1292(正應5)年に土地の豪族国分季頼が寄進したものみたいです。


 又、境内には「尼の泣き水」として石造の如意輪観音が祀られていました。

<国分八景公園>

 国分寺にお参りしてから県道40号線に架かる陸橋を渡って急坂を上ります。
 右下に海老名小学校を見ながら暫く歩き、道が緩やかになってくると右側に国分八景公園がありました。


 この公園は八景に因んで石庭になっていて各々の石には詩と解説文が添えられていました。


 中には月が刻んである石(菅社の秋月)もありました。


 詩が「鴨沢の瞑煙」の石には鳥(鴨?)が二羽飛んでいました。 ⇒ わかるかなぁ~わかんねぇだろうなぁ~

<ひさご塚公園>

 国分八景公園を後に「ひさご塚公園」に向かいました。大した距離はなかったのですが道に迷ってしまい着いたのは国分南原児童遊園でした(アチャ!)。
 少し戻って石垣に囲まれた小高い丘に行ってみると「ひさご塚公園」でした(ホッ!)。
 階段を登ると案内版は瓢箪塚古墳となっていて、現在地は古墳の右下に印されていました。
 尚、瓢箪塚古墳は市内最大の前方後円墳で、瓢箪は”ひょうたん”ではなく”ひさご”と読むみたいですよ!


 「ひさご塚公園」は古墳を公園にしていて小高い丘はちょっと散策が出来そうな公園でした。
 散策路には、海老名市の郷土かるたの『松風に豪族ねむる瓢塚(ひさごづか)』が立っていました。




 小高い丘の頂上からの見晴は良く(右の写っている高層ビルは海老名プライムタワーです)、足元には基準点もありました。

<三塚公園>

 「ひさご塚公園」から三塚公園へ行くには住宅地を通るので少し不安だったのですが、着いたのは帰り道に通る国分寺台第1児童公園でした(またアチャ!)。
 この公園で小休止してから気を取り直して、案内パンフを慎重に見ながら三塚公園に向かいました。
 ロス時間は30分程度でしたが、どうにか三塚公園の階段下に着きました。
 

 この公園の名前は、浜田三塚公園となっていましたが、公園内はベンチがあるだけで遊具は置いてありませんでした。


 この公園にはビューポイントがあると案内パンフには出ていたので高台に上ってみました。 
 ビューポイントからの素晴らしい眺めを撮ってみました。右に写っているのが高層ビルの海老名プライムタワーです。
 
<鳳勝寺>

 案内パンフには三塚公園から次の「八坂神社と鳳勝寺」に行くには、南西に下って西側から入るルートになっていましたが、ロス時間を挽回するのと目の前が墓地になっていたのでここから鳳勝寺に入ってみることにしました。
 鳳勝寺の墓地入口が高台にあったのでビューポイントとして撮ってみました。
 尚、この坂道を下ると右側には六地蔵と梵鐘、左側には本堂があります。 




 坂道を下ったところにあった、六地蔵と階段上の梵鐘(由緒?)を撮ってみました。


 向かい側の境内には、立派な石造りの「五重の塔」があって本堂は左奥にありました。




 本堂ではショートカットして鳳勝寺に来れたお礼を兼ねてお参りをしました。


 本堂に向かう階段の左側(降りる時は右側)に、可愛らしいお地蔵さんがあったので撮ってみました。


 鳳勝寺の山門を出て、八坂神社に向かうことにしました。

<八坂神社>

 鳳勝寺山門を出ると左側に鳳勝寺の隣りに八坂神社の石柱が建っていました。


 八坂神社の本殿へ行くには、移住記念碑を挟んで、左側の急な階段か右側の緩やかな階段を上ります。
 八坂神社本殿の説明板には、『勝浦地区は、相模川上流域のダム建設(現在の相模湖)により移住を余儀なくされた旧津久井郡日連村勝瀬(現在の相模原市緑区日連)の住民50余戸が、昭和17年~19年にかけて当地に移住し、村の社であった八坂神社本殿と鳳勝寺も昭和20年にこの地へ移築された。』とあって、移住記念碑もその際に建てられたものみたいです。


 八坂神社の石の鳥居を撮ってみました。


 本殿は、一間社流造り杮葺き(いっけんしゃながれづくりこけらぶき)、総檜・木地仕上げの建物で市指定重要文化財になっています。


 失礼して本殿内部も撮らせて頂きました。

 これで「八坂神社と鳳勝寺」を訪れたので後は正規のルートで長泉寺に立ち寄ってから目久尻川に向かいます。

<浜田歴史公園>

 帰りがけに、歴史公園と仰々しい名前の付いた公園があったので立ち寄ってみました。


 この公園にも遊具はなく、井戸や棚列の跡があるだけでした(もしかしたら珍しいものを見落としてたかも知れません)。
 浜田歴史公園を後に、道に迷って着いてしまった国分寺台第1児童公園の脇を通って県道406号線に出ました。

<道路脇の百合>



 県道406号線から細い道に入って、ケアハウス長寿の脇を通って長泉寺に向かいました。
 道路脇に、ご覧のような素晴らしい百合の花が咲いていたので撮ってみました(少し、余裕が出てきました)。

<長泉寺(ちょうせんじ)>

 ケアハウス長寿の前の坂道を下って十字路を左折して暫く歩くと、ご覧のような大きな長泉寺の看板が出ていました(ホッ!)。


 大きな看板がある所がら人気のない道を暫く歩くと長泉寺の山門がありました。


 石段の下は薄暗くジメジメしていて心霊スポットのような感じがしました。


 石段下の左に六地蔵と如意輪観音坐像(?)が祀ってあったので撮ってみました。


 如意輪観音坐像のお顔が柔和だったのでアップで撮ってみました。


 石段を上ってもご覧のように境内は草木で鬱蒼としていました。奥に見えるのが本堂です。




 長泉寺の大看板の脇にあった説明板には、『山号を宗福山(そうふくざん)といい曹洞宗(禅宗)のお寺です。本尊は釈迦如来で1634(寛永11)年亡の僧、格雲守存により開山されました。』と書いてありました。


 境内にはご覧のような建物もありましたが?です。

<目久尻川(めくじりがわ)>

 長泉寺にお参りした後、もと来た道を戻ると、一級河川の目久尻川に出ました。
 目久尻川を上流に向かって暫く歩くと、対岸に何か柱のような物が建っていました。
 近くに橋がないので対岸に渡れませんが、この柱は何なんでしょうね?


 目久尻川サイクリングロード距離表示板には、余り見たことがないウォーキングの歩数と時間(歩幅約70cm)が書いてありました。
 目久尻川サイクリングロードを上流に向かって暫く歩くと小園橋に出ました。


 先程の柱が気になっていたので、小園橋を渡るとご覧のような「河童の像」がありました。


 滑稽な形をしていたのでアップで撮ってみました。 
 何故、小園橋に「河童の像」が造られたのかは判りませが、地元に残る河童伝説に基づいて造られたみたいです。


 「河童の像」を撮ってから気になっていた柱のところまで戻ってみました。


 この柱は「目久尻川の日時計」の主柱で、日時計主柱の影で時刻が判るみたいです。
 残念ながら今日は曇っていて時刻が判る影は出ていませんでした。


 「目久尻川の日時計」を後に、今度は、目久尻川を左側に見ながら散策路を通学橋まで歩きますが、振り返るとご覧のような田園風景が広がっていました。




 散策路の道端にご覧のような花が咲いていたので撮ってみました。


 橋に着きましたが、仮称だと思っていた通学橋は正式な名称でした。


 通学橋の上から上流の目久尻橋方面を撮ってみました。
 橋を渡って目久尻川沿いを目久尻橋まで歩き、県道40号線沿いにある伊勢山自然公園を目指します。

<伊勢山自然公園>

 伊勢山自然公園はこんもりとした森になっているので直ぐに判りました。
 案内図に依ると、伊勢山自然公園の入口は東口1(現在地)、東口2、南口、西口の4ヶ所ありました。


 取り敢えず周回園路コースを回ってみることにしました。




 周回園路コースには、ご覧のような東屋や野外卓があり休憩も出来ます。


 周回園路コースを半周すると、今日の最後に行く予定の西口:相模国分寺跡の標識が出ていたので行ってみることにしました。


 伊勢山自然公園の西口への道は、ご覧のように草が生い茂っていて通れるかどうか不安だったのですが突き進んでみました。


 西口の市道に降りると大きな伊勢山大神宮の看板が出ていました。
 こんなところに伊勢山大神宮があるとは思っていなかったのでビックリしました(偶然とは恐ろしいものですね!)。




 急な鉄階段を登ってお参りをしました。

 伊勢山大神宮にお参りした後、相模国分寺跡に行きますが何処にあるのか見当が付かず不安でした。
 案内パンフに依ると芝生広場の近くにありそうなので取り敢えず芝生広場を探すことにしました。

<相模国分寺跡>

 県道407号線を超えるとご覧のような大きな芝生広場が目の前に飛び込んで来ました。
 こんなに大きな芝生広場があるとは思っていなかったので想定外でした。 ⇒ 東京ドームの1.5個分?
 芝生広場の中央に石柱が建っていたので近くに行ってみました。


 石柱には『相模国分寺遺蹟』と記銘されていました。
 どうやら芝生広場は、相模国分寺跡を発掘調査した後に整備した歴史公園で、相模国分寺跡は国の史跡にも指定されていました。


 史跡相模国分寺跡環境整備事業には、『相模国分寺は、741(天平13)年、聖武天皇が発した「国分寺建立の詔」によって全国に建てられて寺院の一つで、その後、被災の記録や発掘調査の結果等から平安時代中期までは修理や再建が行われていたようです。しかし、平安時代後期には荒れ果て、やがて現在の国分寺の場所に移転したといわれています。』と書いてありました。


 相模国分寺跡の説明板に、当時の復元図があったのでアップで撮ってみました。
 七重の塔や金堂が回廊で囲まれていて、回廊の外に講堂があるのが判ります。


 芝生広場にご覧のような基壇(建物の基礎となる壇)があったので行ってみました。


 階段脇の説明板には、「国分寺建立の詔」をうけて建てられた「七重の塔」の跡とありました。
 ビナウォークの中央公園にあった「七重の塔」はここに建てられていたのですね!


 基壇にはご覧のような礎石が17個埋めてありました。10個は当時のままで残りは復元・補充したみたいです。

 これで海老名駅コースを全て周ったので、相模国分寺跡を後に海老名駅に戻ることにしました。

<ビナウォーク>



 ビナウォークに着いたので海老名駅東口方面と下に植えてあったEBINAの花文字を撮って、海老名駅から相鉄線に乗って大和駅に向かいました。
 帰りは大和駅ビルのPROSSに入って乾いた喉を潤してから家路に就きました。

 今日の「海老名をぶらり」は、途中で道に迷ったこともあったのですが、「小田急沿線自然ふれあい歩道」の海老名駅コースを全て周ることがことが出来たので大変満足しています。
 尚、所要時間は4時間15分で、万歩計は21,000歩を超えていました。
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根府川を散策

2014年07月13日 | Weblog
 7月12日(土)は運動不足解消も兼ねて根府川を散策してみました。
 根府川は、詩人茨木のり子の詩集「根府川の海」で「根府川 東海道の小駅 赤いカンナの咲いている駅・・・」とうたわれています。
 又、高尾駅の七夕企画の電光掲示板の記事でたまたま見つけたのですが、根府川駅は【聖地巡礼】アニメ『ラブライブ!』11話にも登場しています。
 尚、根府川は、小田原の観光:ウォーキングコース「潮騒の駅根府川・江之浦漁港コース」に載っていたので気にはなっていました。

<根府川駅>

 JR根府川駅は小田原駅から二つ目の無人駅ですが降りるのは初めてです。
 ホームは2面3線(乗り場は2番線から4番線)の地上駅ですがそんなに小さな駅ではありませんでした。
 4番線で降りてご覧のような跨線橋を渡って改札口に向かいますが、当然、エスカレータやエレベーターはありません。


 早速、4番線のホームから相模湾を撮ってみましたが、ホームからはご覧のような状態で撮れていました。
 中央右に写っている赤い花はカンナですかね?


 跨線橋から東海道線の熱海方面を撮ってみました。


 1番線のホームがあるかと思って小田原方面も撮ってみましたが・・・


 改札口前の高台から相模湾を再度撮ってみました。


 改札口の手前に、関東大震災での犠牲者追悼のために建立された「関東大震災殉難碑」があったのでこちらも撮ってみました。


 根府川駅の改札を出て、アニメ『ラブライブ!』に登場する根府川駅を同じ位置から撮ってみました。


 こちらも『ラブライブ!』に登場するので同じように撮ってみました。


 駅前にあった「早川・片浦ウォーキングトレイル」で現在地を確認しましたが、現在地は左隅に出ていて参考になりませんでした。
 取り敢えず県道740号線を左に行ってみることにしました。

<寺山神社>

 根府川駅から県道740号線を10分位歩くと右側に「寺山神社」の鳥居が見えて来ました。
 尚、県道740号線沿いの左側に根府川公民館があって見晴が良いかと思って立ち寄ったのですが良くありませんでした。


 説明板には、『神社の草創は不明で、古くは寺山権現と云われていたが、明治初年に寺山神社と改称した。祭神は武甕槌命であり、浅間神社、山神社の2社を鎮座している。』とありました。
 尚、武甕槌命はタケミカヅチノミコトと読みますよ(エヘン!)!


 拝殿の左側に庚申塔と道祖神が祀られていたので撮ってみましたが、この道祖神は座っていて何となく可愛らしいですね!


 拝殿の右手に境内社があって「天王社・姥社」の額がかかっていましたが、説明板にも由緒などは出ていませんでした。
 取り敢えずこちらの境内社にもお参りはしました。


 「寺山神社」のお参りしてから鳥居に戻ると、県道740号線に「釈迦堂入口」の石柱がありました(早速、御利益があったのかも知れませんよ!?)。


 「釈迦堂入口」の石柱が出ていた階段を下るとご覧のような道標がありました。
 現在地から「釈迦堂」へ行く道は少し判りずらい感じがしましたが・・・


 道標から少し歩くと、道は三方向(左の道、なみのこ村 この先、岩泉寺通用門)に分かれていました。
 少し悩んだのですが、矢印が出ていない左の道に行ってみることにしました。


 鬱蒼としたご覧のような山道を下ります。

<白糸川鉄橋>

 山道を暫く下ると目の前に真っ赤な「白糸川鉄橋」が見えてきました。
 「白糸川鉄橋」は「かながわの橋100選」に選ばれている橋で、真っ赤な「白糸川鉄橋」を撮るのも今回の目的の一つですが、こんなに早く見つけられるとは思っていませんでした。


 どうやら「白糸川鉄橋」の下に着いてしまったようで、近過ぎて橋全体を上手く撮ることが出来ません。
 しかも、「釈迦堂」への行き方が良く判らないので先程の三方向の入口の道まで戻ることにしました。

 岩泉寺通用門には、『寺に用事のない外は通行できません』と書いてあったのですが、お寺を見学する用事があったので今度はこちらの道を選んでみました。

<岩泉寺(がんせんじ)>

 本堂に向かう途中の墓道に、ご覧のような小花のランタナ(?)が咲いていたので撮ってみました。
 

 岩泉寺は高台にあるので「白糸川鉄橋」の全体が見えたのでアップで撮ってみました。右奥に写っているのは真鶴半島ですかね?


 取り敢えず岩泉寺でお参りをしました。


 境内に六地蔵があったので撮ってみましたが、脇に「オンカーカーカビ サンマ エイソワカ」(意味不明)と書いてあったので、これを唱えながら拝まないといけないかも知れませんね?
 六地蔵の脇に下に降りる階段もあったのですが、また道に迷ってもいけないので三方向の入口の道まで戻ることにしました。


 帰りの墓道から運良く「白糸川鉄橋」を通過する上り電車が見えたのでアップで撮ってみました。


 三方向の残りの「なみのこ村 この先」の道を行くしかありませんが仕方ありませんね!
 坂道を暫く下るとまた「白糸川鉄橋」の下に着いてしまいました。
 
<釈迦堂(しゃかどう)>

 「白糸川鉄橋」の下をうろうろしていると「釈迦堂入口」の石柱を見つけることができました。
 右下に写っているのが「釈迦堂入口」の石柱です。


 「釈迦堂入口」は苦労して見つけたので当然アップで撮ってみました。


 道なりに坂道を下ると白糸川に架かっている赤い橋が見えてきました。


 橋の上から下流の相模湾と国道135号線を撮ってみました。


 ついでに橋の上から白糸川の上流も撮ってみました。小さな滝が涼しそうで好いですね!


 白糸川に架かる橋と「白糸川鉄橋」のコラボレーションを撮ってみました。
 ところで、この辺の橋は赤い色で統一されていますね!


 橋を渡ると右側にご覧のような「釈迦堂」がありました。


 「釈迦堂」の中はご覧のような階段になっていました。


 階段を下ると左側のフェンス越にお釈迦様が祀ってありました。


 お釈迦様は肉眼では見えるのですが、写真に撮ると胴体しか写っていませんでした(すいません)。
 尚、このお釈迦様は、関東大震災で上の鉄橋が落ちその上に山津波の土砂で埋没してしまい、現在の洞の中のお釈迦様となったみたいですよ!


 取り敢えず「釈迦堂」を見たので元の道に戻り、「根府川関所跡」を通って「小糸橋」まで行ってみることにしました。

<小糸橋を目指して>

 「小糸橋」は県道740号線沿いにあるので、白糸川に沿って上流へ向かうことになります。
 途中、新幹線の高架下をくぐりますが、今日は工事の関係で時間帯によっては通行止めの可能性はありましたが大丈夫でした。
 この先にある「根府川橋」まで行って橋を渡って道なりに暫く進むと県道740号線に出る筈です。


 「釈迦堂」からは途中で寄り道もあったのですが、20分位で「根府川橋」に着いてしまいました。


 「根府川橋」を渡ると道端に『山神参道』の石柱がありました。
 この参道は、県道740号線への近道かも知れないので行ってみることにしました。


 参道を暫く上るとご覧のような山神と書かれた祠があって先へは行けませんでした(アチャ!)。
 元の道に戻り、かんかん照りの舗装された道を上って県道740号線に向かいました。
 県道740号線に着いたのですが、かなりトラックが行き来する県道でした。
 後はこの道を通って「小糸橋」まで行くしかありません。


 県道740号線沿いに「豆相人車鉄道駅跡(ずそうじんじゃてつどうえきあと)」があったので撮ってみました。
 豆相人車鉄道は、『人間が客車を押す珍しい鉄道で、明治29年(1896)に小田原-熱海間の25.6kmで営業を開始し、所用時間は4時間。急な上り坂では客も降りて車夫も一緒に客車を押した。』ようです。

<小糸橋>

 「釈迦堂」から40分位で「小糸橋」に着きましたが、県道740号線を歩くだけで風光明媚な所は見つけられませんでした。
 途中、バス停があったので帰りの時間を確かめたら、何故か土・日はバスの運行はありませんでした。


 「小糸橋」の下は「白糸マス釣りセンター」になっていて、清流釣りや池釣りが出来るみたいで、暑い日には川遊びも出来るみたいですよ!

 「小糸橋」を渡ってから、昼食も食べていなかったので食事処を探しながら少し先まで行ってみることにしました。
 お寿司屋さんはあったのですが、ここに入ってしまうと飲んでしまい帰りが危ういので来た道(県道740号線)を戻ることにしました。


 「根府川橋」の近くまで戻って来ると、来る時に通った道は工事中で通行止めになっていて別の道から小糸川沿いの道に出るしかありませんでした。
 途中の道から、「白糸川鉄橋」と新幹線の高架(手前)が見えたので撮ってみました。

<根府川関所跡>

 新幹線の高架下近くまで遣ってきました。この先に小糸川があります。
 ここからは「小糸川鉄橋」の下にあった「釈迦堂入口」の石柱の脇を通って国道135号線に出れば食事処はありそうな感じがします。


 新幹線の高架下の小糸川に着くと何と「根府川関所跡」があるではありませんか!
 説明板には、『関所の位置については、設置されていた当時は小糸川の南側にあったが、関東大震災で埋没し、その後新幹線工事等で河床が移動し、現在関所跡は河床になってしまった。』と書いてありました。


 取り敢えず小糸川の河床を撮って「根府川関所跡」としました。
 「根府川関所跡」を後に国道135号線に向かいました。

 国道135号線に着いて小田原方面に暫く歩くと、魚介料理の「ぱぁくえりあ やまもと」があったので入ってみました。
 刺身の盛合せを頼んでビールと冷酒(月の輪)で喉を潤いました。
 店員さんに根府川駅に行く道を聞いたら「釈迦堂入口」の脇の山道を通って行くしかないと教えてくれました(アチャ!)。


 少し酔っていましたが、お店を出てから相模湾を撮ってみました。


 来る時に通った山道を戻って再び根府川駅に着きましたが、何故か時間は16時半を回っていました(食事処で長居したのかも?)。


 帰りの東海道線が快速アクティーだったので乗換駅の藤沢駅まで行くことにしました。
 藤沢で途中下車していつも行く居酒屋で一杯遣って帰りました。

 今日の「根府川を散策」は、道に迷いながらもいろいろ散策出来たので大変満足しています。
 但し、県道740号線や国道135号線は歩道が少ないのでトラックがスピードを出して行き来すると怖い感じがしました。
 尚、万歩計は大して歩いていないのに18,000歩を超えていました。
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平塚七夕まつりをぶらり

2014年07月06日 | Weblog
 7月4日(金)~6日(日)に「第64回湘南ひらつか七夕まつり」を遣っていました。
 土曜日(5日)は小雨が降ったり止んだりしていたのですが、人出はそんなに多くないと思って出掛けてみました。
 平塚には平塚七福神/秋の七草めぐり(2013年9月)相模川の馬入橋にコスモスを見に行きました(2011年10月)などで行っていますが七夕を見に行くのは初めてです。
 尚、小田急線大和駅から東海道線平塚駅までは藤沢駅で乗り換えれば40分位で着きます。

<紅谷パールロードの七夕飾り>

 平塚駅北口の改札を出ると昼間なのに通行規制を遣っていて人の流れに沿って紅谷パールロードまで進むしかありませんでした。
 早速、「紅谷パールロード」の七夕飾りを撮ってみました。




 ジュエリーツツミの中央に飾ってある人形(雪の女王?)は回転していたのですが正面から撮れませんでした。
 ところで、ウォルト・ディズニーの「アナと雪の女王」のDVD版(日本語字幕付き)は未だ観ていません(予約受付中)が、ブルーレイとセットでないと買えないのはあこぎな商売をしていますよね()!










 「紅谷町まちかど広場」にもご覧のような七夕飾りがありました。

<湘南スターモールの七夕飾り>

 「紅谷町まちかど広場」から人の流れに沿って進むと「湘南スターモール」のほぼ中央に出ました。
 「湘南スターモール」の入口まで戻ろうとかと思ったのですが、そうもいかないので「プラザロード」まで流れに沿って進むことにしました。
 「湘南スターモール」の七夕飾りは、支柱が斜めになっていて「紅谷パールロード」と違った七夕飾りでした。








 世界遺産になった富士山の七夕飾りもあったので撮ってみました。





<プラザロード>

 「プラザロード」に着きましたが、お祭の屋台が出ていてここも人でごった返していましたが簡易トイレの前だけはご覧のようにガラガラでした。尚、「プラザロード」は一部車両通行止めになっていました。
 簡易トイレの前で小休止をしてから雑踏を避けるように平塚駅に向かいました。
 

 途中、歩道橋の上から車両通行止めになっている「プラザロード」を撮ってみました。
 奥に七夕飾りのメイン会場がありますが「プラザロード」は溢れんばかりの人が出ていました。


 歩道橋を渡って、東海道線と並行する道を平塚駅西口の前を通って北口方面に向かいました。
 この道からも左に見えた七夕飾り会場方面(この先に紅谷パールロードがあります)も撮ってみました。

 折角、平塚まで来たのでヘェスタロード(駅前大通り線)を通って「平塚八幡宮」に行ってみることにしました。

<平塚八幡宮>

 今日は七夕まつりなので「一の鳥居」もご覧のような七夕飾り(?)をしていました。


 「一の鳥居」をくぐるとご覧のような池にかかる橋があります。




 橋の上から左右の池を撮ってみましたが、何故か右の池には鯉が沢山泳いでいました。


 「平塚八幡宮」にはご覧のような立派な手水舎があります。


 当然、手水舎で身を清めてから「二の鳥居」をくぐりますが、今日は御殿の前に「茅の輪(ちのわ)」が置いてありました。


 「茅の輪くぐり」は、『茅の輪をくぐって祓い清め健康な心身を授かりましょう』とあったので3回もくぐってしまいました。 ⇒ 何故3回? 仏の顔も三度までですからね!?
 尚、「茅の輪」は6月25日から8月7日まで置いてあるみたいですよ!




 ご覧のような立派な御殿でお参りをしました。


 御殿の右手には、左から神明社:出世・商売繁盛の神、若宮社:子育・子供の守り神、諏訪社:開運・交通安全の神が祀ってありました。 ⇒ 当然、重点的に神明社と諏訪社をお参りしました。




 御殿の左奥には、太子堂(たいしどう):建築土木の守り神もありました。太子堂の中央の柱には『聖徳太子』と記されていました。


 太子堂の手前には神輿殿もあったので撮ってみました。


 取り敢えず境内を一周して手水舎迄戻ってくると裏手に、口から勢い良く水を噴き出している「龍の滝」があったので撮ってみました。
 ⇒ 説明板がないので「龍の滝」の由緒や勢い良く噴き出している水の動力は判りません。




 弁財天社があったのでアップで撮ってみました。御祭神は「市杵嶋姫命(いちきしまひめのみこと」とも「弁財天」とも云われているみたいです。
 尚、幟旗(のぼりばた)の奉納は一旗3000円(提出期限は1年間)と書いてありました。 ⇒ 間違いなければ廉いですよね!


 大正11年に建てられた鳥居をくぐって「平塚八幡宮」を後にしました。


 「平塚八幡宮」からは東海道(国道1号線)の横断歩道橋(宮の前)を渡ってヘェスタロード(駅前大通り線)から平塚駅に向かいました。
 「湘南スターモール」の入口に来たので残りの七夕飾りを見ようと思ったのですが、雨がかなり降ってきたのと人出の多さにうんざりしていたので止めにしました。

 帰りは、平塚で地魚の美味しい居酒屋で一杯遣るつもりでしたが今日は無理そうなので諦めました。その代り乗換駅の藤沢でいつも行くお寿司屋さんで一杯遣って帰りました。
 
 今日の「平塚七夕まつりをぶらり」は、雨降りに関わらず多くの人が出ていたのには驚きました。人出を無視すれば初めて平塚の七夕飾りを見ることが出来たのでそれなりに満足しています。
 尚、万歩計は8,000歩を超える程度だったので運動不足解消にはなりませんでした。
コメント
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