飲んでもブログ

飲んでいる時に付けたタイトルで間違いではありません。
趣味は山登りやハイキングとDVD映画の収集です。

巾着田ハイキング(巾着田編)

2014年09月30日 | Weblog
<聖天院から巾着田へ>

 「聖天院」から「巾着田」へは「カワセミ街道」を歩いて行くことにしました。この道路は歩道もなく、車の往来もそれなりにあったのですが仕方ありませんね!
 道路脇にこの時期には珍しいヒマワリが咲いていたので撮ってみました。


 反対側の道路脇の空き地にヒマワリと色とりどりのコスモスが一緒に咲いてたのでこちらも撮ってみました。


 ヒマワリとコスモスのコラボレーションが素晴らしかったのでアップでも撮ってみました。


 道路を暫く歩くと右側に、「高麗坂東観音霊場 第31番」の「如意輪堂」がありました。
 「第31番」となっていたので札所はそれなりにあるみたいですよ!?




 道路脇の家の庭先にシオン(?)のような花が咲いていたので失礼してアップで撮らせて頂きました。
 ⇒ 紫と黄のコントラストが素晴らしいですね!


 「聖天院」から「カワセミ街道」を40分位歩くと、巾着田(きんちゃくだ)の入口近くに着きました。
 道路沿いの丘陵の杉林の中に神社が見えたので行ってみました。


 

 ご覧のような神社で扁額は『九万八千神社』となっていましたが、説明板もなかったので由緒等は不明です。 ⇒ ”くまんはっせん”と読むのですかね? 不思議な名前の神社ですね!




 丘陵の麓近くにあった民家の庭先に大きなアケビ(?)があったのでアップで撮ってみました。未だ熟れていませんが、こんなに大きなアケビを見たのは初めてです。

 お楽しみの「巾着田曼珠沙華公園」は「高麗郷古民家」を見学してから行くことにしました。


 「高麗郷古民家」に行く手前に、「高麗坂東観音霊場 第29番」の「長寿寺」があって、境内に彼岸花が咲いていたので行ってみることにしました。


 「長寿寺」の本堂でお参りを済ませると、本堂の雨戸のほぼ中央に直径5cm位の穴が二つ空いていました。穴から中を覗こうとしていると、お寺の関係者が来て、『お賽銭泥棒にあったので、お賽銭を入れるためにこの穴を空けた』と教えてくれました。 ⇒ 道理で、お賽銭箱が見当たらない筈ですよね!

<高麗郷古民家(旧新井家住宅)>

 「長寿寺」を出て道なりに暫く歩くと、ご覧のような立派な石垣と白壁が見えて来ました。まるで、時代劇の武家屋敷の前に来たような感じがしますね!


 ここが、国の有形文化財(建造物)に登録された「高麗郷古民家(旧新井家住宅)」でした。
 パンフレットには、敷地(宅地部分)は約1000坪(3183.65㎡)と出ていました。


 入口はご覧のようになっていて登城するような感じがしますね!




 順路に素晴らしいハギが咲いていたのでアップで撮ってみました。


 坂を上り切ると、右側にご覧のような母屋(1階部分は約100坪)がありました。
 パンフレットには、『母屋は入母屋造(いりもやづくり)の2階建てで、江戸時代末から明治時代前半に建てられ(その後改修)、面形式は六間取り(むつまどり)で、各部屋の規模が大きいことが特徴』と書いてありました。
 この母屋も時代劇に出てくる旅籠のような感じですね!
 

 母屋の座敷を外から撮ってみました。パンフレットには式台(段差が大きい場合に設置される板)の傷跡があったと書いてあったのですが判りませんでした。
 確かに、廊下にしては少し広過ぎますね!


 母屋の土間から内部を見学できたので座敷を撮ってみましたが、広さは15畳位はありますね!?


 土間の隅にあったお風呂場も撮ってみましたが、改修されていたのでイメージしか判りません。尚、お風呂場の手前には大きな脱衣場がありました。


 土間から母屋の裏手に廻るとご覧のような井戸がありました。こちらも改修されていたので昔の面影はありません。


 井戸の後ろに、幹周り495cm(埼玉県内第5位)のシラカシがあったので撮ってみました。


 北土蔵の手前に、幹周り475cm(埼玉県内第7位)のタブノキがあったのでこちらも撮ってみました(ピンボケですいません)。
 北土蔵は二階(約12畳)に上れたのですが、展示品もなく単なる部屋だったので写真は撮りませんでした。


 順路に従って井戸の前を通って母屋の表に戻り、母屋の西側にあった客殿(きゃくでん)を撮ってみました。車寄せの向唐破風(むこうからはふ)の屋根はやはり格調高いですね!

 ところで、高麗郷古民家(旧新井家住宅)は当時の名主の住居だったみたいで、有形文化財に登録(2014年4月)されたのは、母屋、客殿、納屋、南土蔵、北土蔵、石垣の6件のようです。

 「高麗郷古民家」を見学したので、お楽しみの「巾着田曼珠沙華公園」に行くことにしました。

<巾着田曼珠沙華公園>

 「高麗郷古民家」を出て左に行くと、高麗川に架かる「天神橋」がありました。橋の下を通れば公園の遊歩道に出れそうなので行ってみることにしました。
 高麗川に小魚が泳いているのが見えたので写真に撮ってみましたが上手く写っていませんでした。

 ところで、巾着田の名前は、高麗川の蛇行した形が「きんちゃく」の形に似ていることから”巾着田”と呼ばれるようになったみたいですよ!


 遊歩道に出る手前の土手に、彼岸花の群生があったので早速撮ってみました。


 公園の遊歩道に入ると左手に彼岸花の群生地がありました(ここは「遅咲き群生地」)。
 公園の出入口は4ヶ所ありますが、一番近い出入口は未だ大分先の方にあるみたいです。








 彼岸花を激写しながら遊歩道を歩いて出入口4番に向かいます。
 遊歩道の案内板には『彼岸花の見頃は過ぎました』と出ていたのですが見応えは充分です。
 公園の入場料は300円(29日以降は無料)なのですが、これだけ素晴らしい彼岸花を見てしまうと公園に入らなくても良い感じになってしまいます。








 入場料300円を払って園内の彼岸花を撮ってみました。
 素晴らしい彼岸花を見ていると、山口百恵が歌っていた「曼珠沙華」を口ずさんでしまいそうですね! ⇒ 確か、女の情念の詞で、曼珠沙華を”マンジュシャカ”と歌っていたような気がしたのですが・・・


 曼珠沙華まつり会場に着くと、「おもてなしステージ」で楽器演奏のイベントを遣っていました。

 歩き疲れたのと喉も乾いていたのでビール(お祭会場なのでアルコールは売っていました)を飲みながら休憩することにしました。

 ビールも飲んで人心地付いたので、巾着の底の部分に当たる群生地に行ってみることにしました。
 出入口3番から2番の群生地は、「早咲き群生地」となっていたので行くのは諦め、出入口4番に戻ることにしました。


 「おもてなしステージ」では、楽器演奏は終わっていて猿回しのイベントを遣っていました。


 公園の牧場に白い仔馬がいたので撮ってみました。


 出入口4番に戻り「巾着田曼珠沙華公園」を出て、高麗駅に向かうことにしました。
 帰りの遊歩道から背後に「彩の国さいたま景観賞」を受賞した「あいあい橋」が見えたので撮ってみました。
 「あいあい橋」は、高麗川に架かる歩行者専用橋で全長91.2mの日本最大級の木造トラス橋です。

<巾着田曼珠沙華公園から高麗駅へ>

 川越日高線(県道15号線)に出てから赤い欄干の「鹿台橋(ろくだいばし)」を渡ります(下に流れているのは高麗川)。
 「鹿台橋」を渡ってから左折し高麗駅に向かいますが、駅に向かう人が大勢いたので道に迷うことはありませんでした。


 帰り道の途中に、彼岸花が咲いている「水天の碑」があったので撮ってみました。
 説明板には、『水天の碑は、天保時代(1830~1844年)に繰り返された干ばつ、大洪水などの天災や水難事故を鎮めるために、台村(だいむら)の人々が建立したものである。』と書いてありました。

<高麗駅>

 「巾着田曼珠沙華公園」から20分位で高麗駅に着きました。
 高麗駅のホームから街並みを撮ってみましたが、飲食店はあまりなさそうな感じがしました。

 高麗駅から西武池袋線で東飯能駅まで行き、JR八高線に乗り換えて八王子駅に向かいました。
 八王子駅で途中下車し、近くの居酒屋でいつものように夕食を兼ねて一杯遣ってからJR横浜線で帰りました。

 今回の「巾着田ハイキング」は、それぞれの場所で楽しめたのと、「高麗神社」と「聖天院」では新しい発見と勉強、そして「巾着田曼珠沙華公園」では彼岸花のリベンジが出来たので大変満足しています。
 又、万歩計は22,000歩を超えていたので運動不足の解消にもなりました。
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巾着田ハイキング(聖天院編)

2014年09月29日 | Weblog
<聖天院の入口>

 近道を通って来た関係で「高麗神社」からは5分位で「聖天院(しょうてんいん)」の入口に着いてしまいました。
 ここにも「地下女将軍」「天下大将軍」の「将軍標(チャンスン)」がありました。
 正面に見える大きな建物は本堂ではなく山門(雷門)です。

<雷門>

 雷門の扁額は「高麗山」となっていて、天井から大きな提灯がぶら下がっていました。




 雷門には仁王様ではなく年季の入った風神像と雷神像が立っていたので網穴からアップで撮ってみました。 ⇒ かなりの迫力がありますね!


 雷門の先はかなり急な石段があって、石段下には拝観料300円を申し受ける旨の案内が出ていました。
 ⇒ ここで戻ってしまえば拝観料は払わないで済むなどと馬鹿なことを考えてしまいました。


 石段を登り切ると左手にご覧のような珍しい手水があったので撮ってみました。
 手水で身を清めてから中門(受付)で拝観料300円を払い、パンフレットを貰います。
 パンフレットには、『聖天院は、奈良時代に高句麗より渡来した高麗王若光の菩提樹として、侍念僧勝楽上人により天平勝宝3年(751年)に創建された』と書いてありました。

<庭園>

 中門の先はご覧のような素晴らしい庭園になっていました。右の奥に見えるのが書院です。


 庭園からこれから向かう本堂も見えたので撮ってみました。

<阿弥陀堂から本堂へ>



 本堂に行く石段の左手前に「阿弥陀堂」があったので取り敢えずお参りをします。


 「阿弥陀堂」でお参りを済ませてからご覧のような石段を登って本堂に向かいます。




 石段を登り切る手前に仁王様が立っていたので撮ってみました。 ⇒ こちらも迫力がありますね!


 こちらの仁王様はお尻が可愛かったので後姿も撮ってみました。 ⇒ これは喝!ですかね?

<本堂>

 石段を登り切ると右手に雄大で素晴らしい「聖天院」の本堂が目の前に飛び込んできました。


 あまり大き過ぎて写真に収まりませんでした。


 正面に回って献燈越しに本堂を撮ってからお参りすることにしました。




 辺りに人が居なかったのでお参りした後、本堂内部を激写してしまいました。扁額は「高麗山」と書かれていました。
 尚、本堂には天正8年(1580)に鎌倉仏師の大蔵法眼が彫った不動明王座像がご本尊として安置されているみたいです。

<みはらし台>



 本堂の前は「みはらし台」になっていて、眼下に書院・庫裡、中門(受付)、雷門が見えました。

<休憩所>

 「みはらし台」に外れに休憩所があったので一休みすることにしました。
 休憩所から広々とした「みはらし台」を撮ってみました。


 ついでに、本堂を別の角度から撮ってみました。奥の方には鐘楼が見えました。

<石灰岩(雪山)>

 本堂の横に(休憩所からトイレに行く途中で偶然見つけました)、ご覧のような凝灰岩が露出した箇所がありました。
 本堂を新築するために裏山を整地した時に出てきた岩で、その形が雪を懐いた山に似ているところから、寺では「雪山」と呼んでいるみたいです。




 「雪山」に小さな不動明王像(?)を見つけたのでアップで撮ってみました。


 「雪山」の裏側で、地面から岩の割れ目を通って上まで伸びている蔓を見つけたので撮ってみました。
 ⇒ さすが「聖天院」の蔓は凄い生命力ですね!

<本堂の裏>

 「雪山」から本堂の裏に行けそうな道があったので行ってみました。


 本堂の裏道の片側はご覧のような岩壁になっていて岩を削った跡が残っていました。


 又、岩壁の所どころに松の木が生えていたのには驚きました(やはり凄い生命力ですね!)。

 結局、裏道は行き止まりだったので戻ることになってしまいました。

<高麗王若光の石像と鐘楼>

 仁王様が立っていた石段を登り切った所の前面に石像と鐘楼があったので行ってみることにしました。


 石段の下から右側に本堂が見えたのでここからも本堂を撮ってみました。
 



 石像の台座には『高句麗若光王』と彫られていたので高麗郡建郡の中心人物の「高麗王若光」でした。 ⇒ 石像が新しいので最近建てられたものみたいです。


 石像の隣に鐘楼があったので撮ってみました。尚、鐘楼の奥に見えるのは本堂です。

<慰霊塔>

 鐘楼の背後に、山腹を切り開いた道が続いていて遠くに石塔が見えたので行ってみることにしました。


 近づいて慰霊塔のある広場に降りると、慰霊塔の右側に偉人達の石像がありました。
 石像は五体(広開土大王、太宗武烈王、王仁博士、鄭夢周先生、申師任堂)あったのですが写真に収まり切りませんでした。


 写真に収まらなかった申師任堂(しん・しにんどう)を見に行ったら女性だったのでアップで撮らせて頂きました。
 ⇒ 後で調べたら、李氏朝鮮中期(1504~1551年)の女流書画家でした。


 広場の正面には慰霊塔、左側には八角亭がありました。


 この慰霊塔は、第二次世界大戦で亡くなった韓国人を供養するための在日韓民族無縁仏の慰霊塔で、在日韓国人の篤信者達によっ平成12年(2000)1月に建立されたものでした。




 日本ではあまり見かけない慰霊塔の前にあった仏具や石灯籠を撮ってみました。
 石灯籠の上の方には口に中に丸い物を咥えているライオン(?)がぶら下がっていました。


 狛犬の代わりの狛羊(?)もいたので撮ってみました。

<檀君像>

 八角亭の近くに<檀君像>の案内が出ていたので行ってみることにしました。


 矢印に従って急な山道を少し登ると「檀君像」が建っていました。
 台座には、『檀君王倹、又は檀雄天皇とも言われる。檀君は西暦前2333年朝鮮を建国した民族の始祖で今も国民的崇拝を受けている。』と刻まれていました。
 又、近くにあった説明板には、『「三国遺事」によれば 天神桓因の子桓雄と熊との間に生れたと伝承される・・・』とも書いてありました。




 「檀君像」の前に狛犬ならぬ狛ライオン(?)がいたので撮ってみました。
 阿吽の呼吸なのか?右の狛ライオンは口が開いていて左は閉じていました。

 これで拝観案内図に載っていた箇所を全て見たので「雷門」に戻ることにしました。

<高麗王廟>

 「雷門」の左に鐘楼の隣にあった「高句麗王若光」の石碑「高麗王廟」があったので行ってみました。




 もっと立派なお墓と思っていたら、ご覧のような多重石塔の「高麗王廟」でした。
 ⇒ さすが、「高麗神社」の御祭神にもなっている「高句麗王若光(こまのこきしじゃっこう)」ですね!

 「聖天院」の散策に1時間以上もかけてしまいましたが、拝観料300円でこれだけ楽しめて勉強になったので大変得した感じがしています。


 「聖天院」を後に「巾着田曼珠沙華公園」に向かうことにしました。
 「高麗神社」に戻ってシャトルバスで行くことも考えたのですが、時間も判らなかったので「カワセミ街道」を歩いて行くことにしました。

 「巾着田ハイキング(巾着田編)」に続く。
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巾着田ハイキング(高麗神社編)

2014年09月28日 | Weblog
 9月27日(土)は「四十八瀬川彼岸花」のリベンジを兼ねて彼岸花の群生が見事な埼玉県日高市の「巾着田曼珠沙華公園」に行ってきました。
 折角、巾着田に行くのでハイキングも兼ねて近くにある高麗神社や聖天院等を回ってから行ってみることにしました。
 大雑把なルートは次の通りです。
 JR八王子駅-(八高線)-JR高麗川駅-高麗神社-聖天院-巾着田曼珠沙華公園-西武線高麗駅-(西武池袋線)-JR東飯能駅-(八高線)-JR八王子駅

<高麗川駅(こまがわえき)> 

 高麗川駅は30年以上も前にゴルフで待ち合わせをしたことがある駅で、駅舎は少し新しくなっていた感じがしたのですが喫茶店は昔と同じようにありませんでした。
 ところで、昔の八高線は気動車(動力が熱機関)だったような気がするのですが・・・


 駅に置いてあった「観光マップ」を手に入れ、駅前の「奥武蔵ハイキングマップ」で現在地から「高麗神社」へ行くルートを確認します。
 少し時間があったので「野々宮神社」に寄ってから「高麗神社」に行ってみることにしました。
 ところで、ハイキングマップの両側に書かれている「地下女将軍」「天下大将軍」は何の意味でしょうね?


 駅前ロータリーに「日韓交流の塔」があったので撮ってみました。
 塔の手前の上の方には「地下女将軍」「天下大将軍」のモチーフようなものが彫ってありました。


 「高麗川駅入口」信号機を渡りバイパスを少し戻って右折すると、「野々宮神社」の前を通る「ふるさと歩道」に出ました。
 「ふるさと歩道」の道端にはご覧のような彼岸花が咲いていました。「野々宮神社」はこの道の先にありそうです。

<野々宮神社(ののみやじんじゃ)>

 「西武酪農乳業西武牛乳工場」を超えると左側に「野々宮神社」の鳥居がありました。
 高麗川駅からは道に迷うこともなく20分位で「野々宮神社」に着きました。


 手水舎には『例大祭 10月5日()』の「お知らせ」が掲示してありました。
 又、境内にあった掲示板には、『毎年10月19日に行われる例大祭で奉納される獅子舞は近隣のものに比へて勇壮で美しく、特に蛇をのむくだりは、他に例を見ないものである』と書いてありました。




 神社の扁額には「丸に菊花」の紋が彫ってあったので由緒ある神社に違いありませんね!


 拝殿内に絵馬が飾ってあって、書かれた文字は右から「奉献太祓一万度 文政十三年○○九月九日」(?)と読めそうですが意味は判りません。


 境内にはご覧のような土俵があったので撮ってみましたが、奉納相撲でも遣るのですかね?


 「野々宮神社」の裏側は、ご覧のような杉林になっていて刀が奉納(?)してある小さな祠がありました。

<野々宮神社から高麗神社へ>

 「野々宮神社」を後に、「ふるさと歩道」を通って「高麗神社」に向かいますが、途中にご覧のような案内が出ていたので一安心しました。


 暫く歩くと遠くに伽藍が見えたので撮ってみましたが、ここからだと「高麗神社」なのか「聖天院」なのか判りません。


 野々宮神社から15分位歩くと高麗川に架かる「出世橋」に着きました。
 『巾着田曼珠沙華公園 シャトルバスバス乗降場所』(期間限定)の案内があったので「高麗神社」から「巾着田曼珠沙華公園」へ行くシャトルバスがあるみたいです。




 「出世橋」から下に流れている高麗川を撮ってみましたが、上流では釣を楽しんでいる人達もいました。

<高麗神社(こまじんじゃ)>

 「出世橋」を渡って左に行くと「高麗神社」の一ノ鳥居がありました。扁額は「高麗神社」ではなく「大宮大明神」と書いてありました。


 「高麗神社」にも「地下女将軍」「天下大将軍」がありました。
 これは「将軍標(チャンスン)」と云って、韓国では村の入り口や道端に魔除けや道しるべとして置かれているみたいですよ!


 二ノ鳥居をくぐって更に参道を進みますが、二ノ鳥居の扁額は「高麗神社」と書いてありました。
 

 二ノ鳥居の脇の手水舎で身を清めてから先に進むと、参道の両脇に著名な政治家が参拝した時の献木がありました。
 「高麗神社」は、参拝した後に総理大臣に就任した政治家(若槻禮次郎、浜口雄幸、鳩山一郎等)が多かったので「「出世明神」と呼ばれているみたいですよ!


 更に参道を進むと御神門(ごしんもん)に行く階段の手前に祓所(はらえど)があったので撮ってみました。




 御神門の扁額は「高句麗神社」となっていましたが、何故か”句”は小さい字で書かれていました。


 御神門の先にはご覧のような御本殿(ごほんでん)がありました。尚、御本殿は埼玉県の文化財に指定されています。


 御本殿にお参りした後、失礼して内部も撮らせて頂きました。


 境内では「高句麗文化展」を遣っていて参集殿(さんしゅうでん)に華麗な装束が展示してありました。


 27日は高麗郡建郡1300年記念事業の一環として麦感謝祭「まんじゅう祈願まつり」を遣っていて、神楽殿の前で巫女さんが踊っていたので撮ってみました。
 ところでパンフレットには、『約1300年前に駿河、甲斐、相模、上総、下総、常陸、下野の7カ国にすでに移住していた高句麗からの渡来人(高麗人)を武蔵野国に集め高麗郡が建郡されました。』と書いてありました。
 「まんじゅう祈願まつり」で境内も賑わっていたので野外の休憩所でビールを飲みながら早めの昼食を取ることにしました。
 ⇒ ビールを買いに売店に行ったらアルコール類は置いてないと云われました(アチャ!)。仕方なく同じ麦で作った「巾着田まんじゅう」(270円/個)を買ってしまいました。


  昼食を取った後、「高麗神社」の裏にある慶長年間(1596~1615)に建てられた高麗氏の旧住宅(高麗家住宅)を見に行ってみました。
 高麗家住宅(こまけじゅうたく)の脇には樹齢400年(推定)の枝垂れ桜もありました。
 

 高麗家住宅は、ご覧のような茅葺きの入母屋造りの平入りで土間と五つの部屋で構成され、国の重要文化財にも指定されています。
 パンフレットには、『この住宅を住まいとした高麗氏は、高麗神社の御祭神高麗王若光(こまのこきしじゃっこう)の子孫です。現当主は、若光から数えて60代目にあたり、高麗神社宮司を勤めています。』と書いてありました。
 高麗家住宅の内部の写真も撮ったのですが残念ながら上手く撮れていませんでした(すいません)。

 「高麗神社」を後に「聖天院」に行くことにしました。

<高麗神社から聖天院へ>

 「高麗神社」からカワセミ街道に出てから「聖天院」に行くつもりでしたが、「車祓所(くるまはらえじょ)」の先にご覧のような案内が出ていたので近道で行ってみることにしました。




 道端にご覧のようなコスモス畑があったのでアップで撮ってみました。


 近道を5分位歩くと駐車場の彼岸花越に「聖天院」が見えてきたのでアップで撮ってみました。
 「高麗神社」に行く途中で見えた伽藍は「聖天院」の本堂でしたね!

 「巾着田ハイキング(聖天院編)」に続く。
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四十八瀬川ハイキング

2014年09月22日 | Weblog
 日曜日(9月21日)は土曜日とは打って変わって天気が良かったので、「小田急沿線自然ふれあい歩道」に載っていた「渋沢駅(四十八瀬川)コース」を歩いてみました。

 以前、「四十八瀬川」の川沿いの田の畔に彼岸花が群生していて、9月中旬から下旬が見頃だと聞いたことがあったので彼岸花だけでも見る価値はあると思って出かけてみました。
 尚、伊勢原駅からバスで行ける日向薬師の彼岸花は5年前位に行ったことがあるので今回はこちらにしました。

 取り敢えずメインルート(8.4km)は下記の通りにしました。
 渋沢駅-1350m-御嶽神社-300m-四十八瀬川-150m-馬場坂-1250m-長福寺-1300m-宗淵寺-1450m-東光院-50m-浄徳院-2500m-渋沢駅
 又、途中からサブルート(長福寺手前の分岐から生き物の里を経由して浄徳院に行くルート)も考えていました。

<御嶽神社(みたけじんじゃ)>

 渋沢駅北口で降りて国道246号線に出て松田方面に20分位歩きます。沼代歩道橋を超えると右側に「御嶽神社」がありました。


 階段を登るとご覧のような鳥居の先に立派な社殿が見えました。


 境内に『この土地に 日本武尊 立ち寄りて 民は喜び後世に 祀る』の碑があったので御祭神は日本武尊みたいです。




 取り敢えず、社殿で素晴らしい彼岸花が拝めるようにお参りをしました。

<四十八瀬川>

 「御嶽神社」を後に、田園風景を見ながら道なりに10分位坂道を下ると「四十八瀬川」に架かる「甘柿橋」に出ました。


 「甘柿橋」の手前がご覧のような農道になっていたので、川沿いを上流方面に歩いて彼岸花の群生を探すことにしました。


 早速、農道に咲いていた彼岸花を撮ってみました。


 左手に「四十八瀬川」を見ながら農道を進みます。


 「甘柿橋」から農道を10分位歩くと、素晴らしい田園風景が広がっていました。
 田んぼの畦道に人影があるのは判りましたが、彼岸花の群生は見当たりませんでした。
 彼岸花を撮っているカメラマンがいたので、ここが彼岸花の見頃の場所に違いないと変な確信をしてしました。


 農道からわずかに咲いている彼岸花と田んぼのコラボレーションを撮ってみました。
 カメラマンと同じように取り敢えず田んぼに降りてみることにしました。


 小さな紫色の花を着けたツルボ(?)の群生が土手に咲いていたのでアップで撮ってみました。


 畦道から田んぼと彼岸花のコラボレーションも撮ってみました。




 畦道に咲いていた素晴らしい彼岸花をアップで撮ってみました。


 田んぼの畦道から「四十八瀬川」に行けそうな道があったのでもう少し先に行ってみることにしました。


 農道に出て暫く歩くと「四十八瀬川」はご覧のようになっていていたので先に行くことは止めて、農道を通って「甘柿橋」に戻ることにしました。


 戻る途中の農道からコスモス畑が見えたので撮ってみました。


 少し余裕があったので帰りがけに振り返って農道から山並みが見える田園風景を撮ってみました。
 

 「甘柿橋」に戻って来ましたが、ここから渋沢駅に戻る訳にもいかないので橋を渡って先に行ってみることにしました。
 「甘柿橋」の上から「四十八瀬川」の上流方面を撮ってみました。尚、左に写っているのは打ちぱなしゴルフ練習場です。

<馬場坂(ばんばざか)>

 「甘柿橋」を渡って道なりに暫く歩くと「甘柿橋バス停」の脇にご覧のような急坂の「馬場坂」がありました。






 「馬場坂」はかなり急坂で途中には「馬場坂プチパーク美化の会」が作ったベンチもありました。


 ベンチで休憩した後、上って来た「馬場坂」を振り返って撮ってみました。

 15分かけて「馬場坂」を上り切るとバス通りに出て正面に「JAはだの上支所」、右側に「秦野市立上公民館」が見えました。
 バス通りを左右のどちらに行ったら良いなのか悩んだのですが、左に神社の森のようなのが見えたので行ってみることにしました。

<上秦野神社(かみはだのじんじゃ)>

 バス通りからの入口はご覧のようになっていたのですが、何となく裏道(?)から「上秦野神社」に行けそうだったので行ってみることにしました。


 山道を下ると「上秦野神社」の脇に着いたのですが、正面に回ってお参りすることにしました。


 「上秦野神社」では、道に迷わないで「渋沢駅(四十八瀬川)コース」が回れるようにお祈りをしました。


 境内の「由緒沿革」によれば、明治末期の神社合祀政策により、明治42年に村内の神社19社が合祀され、「上秦野神社」と改称されたみたいです。


 神社の脇に、「茅の輪(?)」が置いてあったので撮ってみました。

<上秦野神社から長福寺へ>

 「上秦野神社」にお参りしてから裏道を戻ってバス通りから「秦野市立上公民館」に向かいました。
 上公民館のベンチで休憩を取った後、これから向かう「長福寺」の行き方を調べました。
 上公民館の前の道はバス通りを除くと3方向あったのですが、北に進む上公民館の下の道路を通って長福寺に行くことにしました(これで正解)。


 道路から見えた山並みが素晴らしかったので撮ってみました。
 右に写っている建物は明治6年に開校された「秦野市立上小学校」です。




 竹林や道端の彼岸花を見ながら「長福寺手前の分岐」まで歩きます。


 消火ホース格納箱のある「長福寺手前の分岐」に着きました。
 左折すれば「生き物の里」に行くサブコースですが、直進することにしました(これも正解)。

<長福寺(ちょうふくじ)>

 「長福寺手前の分岐」から暫く歩くと「長福寺」に着きました(「秦野市立上公民館」からは20分位)。


 「長福寺」の石柱の先に『木食観正』(?)と書かれたご覧のような碑があったので撮ってみました。
 ところで、『木食観正』の上の方に彫られているマークは何でしょうね? 






 ここまで道にも迷わずこれたお礼を兼ねてお参りをしました。


 六地蔵尊が祀ってあったので撮って次の「宗淵寺」に向かうことにしました。

<長福寺から宗淵寺へ>

 竹林を見ながら道沿いに「秦野市立上公民館」に通じる道路(3方向の真ん中の道路)を目指します。
 道路に出る手前の田んぼの畦道に彼岸花が咲いていたので撮ってみました。


 道路に出てから「宗淵寺」に向かいますが、ご覧のよう注意書きがあったので動物が飛び出してくるかも知れませんね?


 道なりに5分位歩くと「本矢沢橋」の手前で道路が二股に分かれていて、一方はその先がまた二股に分かれていました。
 ここは「本矢沢橋」を渡って「秦野市消防団七分団」を右に見ながら一番左の道路を進みむことにしました(ここも正解)。


 「本矢沢橋」から10分位歩くと、道路の向かい側にご覧のような「宗淵寺の碑」が出ていました(ホッ!)。


 「宗淵寺の碑」の前は、ご覧のような「台下橋」を渡る道と石碑が建っている山道に分岐していました。


 ここは迷うことなく石碑がある方の道に行ってみることにしました。
 余裕があったので石碑を撮ってみましたが、何と彫られているか判りません。


 かなり急な長い坂道を10分位登ると坂道の脇に八坂神社がありましたが疲れました。
 「宗淵寺」の境内社とも思ったのですが・・・ ⇒ どうやら道を間違っていたようです。


 折角、ここまで登って来てしまってので中途半端に引き返す訳にもいきません(意地もありますからね!)。
 止むを得ず更に坂道を登って平らな所まで行ってみることにしました。


 八坂神社から急な坂道を20分位登るとゴルフ場(小田原ゴルフ 倶楽部 松田コース)に着きました。
 ⇒ ある意味ホッ!としましたが、急な坂道を30分程登ったのでひどく疲れました(この急坂は「馬場坂」どころではありません)。


 ゴルフ場の脇で休憩してから山道を下ることにしました。

<台下橋から東光院へ>

 「宗淵寺の碑」の前の「台下橋」まで戻って来たのですが、疲れていたのと「台下橋」を渡って「宗淵寺」を探す気力も失せていたのでショートカットして、次の「東光院」に行くことにしました。




 「四十八瀬川」(?)を左下に見ながら車が殆ど通らない薄暗い道路をひたすら下ります。

 「台下橋」から30分位歩くと住宅地があって住宅地の中を通って更に下ると国道246号線に出ました。
 見覚えのある場所と思ったら小田急線新松田駅からバスで「寄」に行く途中に通る「蛇塚」でした。
 ⇒ 「蛇塚」は、県道710号線と国道246号線が合流する場所で合流する前に小田急線の踏切を渡るので覚えていました(エヘン!)。
 国道246号線沿いに渋沢駅まで戻っても良かったのですが、ここまで来てしまったので行き方を知っている新松田駅に行くことにしました(歩くのは初めてです)。

<河内橋>

 県道710号線に入って小田急線の踏切を越えて10分位歩くと「四十八瀬川」に架かる「河内橋」に着きました。


 「河内橋」の上から「四十八瀬川」の上流方面を撮ってみました。


 橋梁を渡る小田急線の上り電車が運良く通ったので撮ってみました。


 県道710号線を歩いているとLSE(7000形)のロマンスカーが来たのでこちらも撮ってみました。

<神山滝(こうやまたき)>

 「河内橋」から15分位歩くとご覧のような案内板が出ていました。
 「神山滝」は見たいと思っていた「あしがらの里滝めぐり」の1つで、ここを制覇すれば残りは「滝郷の滝」と「山ゆりの滝」だけになります。
 獣道のような山道を登るので、しんどそうだったのですが思い切って行ってみることにしました。


 山道を10分位登ると「神山滝」がありました。
 落差は約15mの滝ですが上下に分かれているように見えました。


 ご覧のような鉄パイプの手擦りの崖道を登って上の方に行ってみました。


 上の方に見えた滝をアップで撮ってみました。


 崖道を下って滝壺に落ちる下の方の滝をアップで撮ってみました。


 「神山滝」の下はご覧のような池になっていて小さな橋も見えたのですが、下に行く道が崩れていて危険だったので降りるのは諦めました。

<新松田駅に向かう>

 運良く「神山滝」を拝むことが出来たので、後は県道710号線を下って新松田駅を目指すだけになりました。
 途中、道路脇の空き地に紐で繋がれたヤギがいたので撮ってみました(飼っているのですかね?)。
 ⇒ 歩かなければこんな所でヤギを飼っているのは判りませんね!


 「神山滝」から30分位歩くと東名高速道路の下を流れる「川音川」に架かる「籠場橋」に着きました。


 ここまで来ればもう少しで新松田駅に着きますが、辺りはご覧のように薄暗くなっていました。

 結局、新松田駅に着いたのは16時半を過ぎていました。
 歩き疲れたのと喉が渇いていたので、山行の友人に紹介された居酒屋に入って一杯遣ることにしました。日曜日で17時前だったので遣っているか不安だったのですが大丈夫でした。

 今回の「四十八瀬川ハイキング」は、「四十八瀬川」の彼岸花は今一だったのですが、「宗淵寺」の入口の道を間違えてゴルフ場まで行ってしまいましたが、他は楽しめたのと運動不足解消にもなったのでそれなり満足しています。
 尚、家に着いたのは19時近くになっていて万歩計は29,000歩を超えていました。
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山行:高尾山・城山

2014年09月15日 | Weblog
 9月13日(土)は昔の仕事仲間と「高尾山・城山」の山行に行ってきました。今回は女性陣は全員欠席で男性3人だけの山行になりました。
 行程は以下の通りです。
 高尾山口駅-1:30(高尾自然研究路6号線)-高尾山-1:00-城山-0:20-小仏峠-0:45-小仏バス停-バス-JR高尾駅北口 (歩程:3:35)
 尚、高尾山は大昔に社員旅行で登ったような気がするのですが、待ち合わせ場所の京王線の高尾山口駅で降りたのは初めてです。
 少し早めに高尾山口駅に着いたので駅前を散策してみました。

<高尾山口駅前>

 駅前は2015年春の開業に向けた駅周辺の整備工事をしていてご覧のような状態でした。 ⇒ 確か、日帰り温泉施設が出来るような報道をしていましたよね!




 高尾山口駅の山側に氷川神社(ひかわじんじゃ)があったので行ってみました。早朝で神社を掃除している最中だったので邪魔する訳にもいかなかったので遠くからお参りしました。


 赤い大鳥居の先の甲州街道(国道20号線)沿いにトリックアート美術館があって面白そうだったのですが、入る訳にもいかないので外観だけ撮りました(機会があれば入ってみたいです)。
 尚、赤い大鳥居は氷川神社の参道の入口みたいです。


 赤い大鳥居の下をくぐって左に見える高尾山口の駅前に戻りました。


 駅前の案内図で「高尾山頂を目指すコース」を確認すると、5コース(1号路、3号路、4号路、6号路、稲荷山コース)あって、いろんなルートがあることが判りました(今日は茶色の6号路コースです)。


 ご覧のように駅前で待っているハイカーもそんない多くはありませんでした。
 どうにか他の2人と合流出来たので一息入れてから高尾山に向かいました。

<高尾山口駅前からケーブルカー乗り場へ>

 10分位歩くと高尾山薬王院の石碑が建っている分かれ道に着きました。
 直進は1号路コース、左に行くとケーブルカー乗り場の前を通って6号路コースに出ます。


 ケーブルカー乗り場前の広場に、「明治の森 高尾国定公園案内図」があったので現在地(右のやや上)と6号路コースを再度確認します。
 6号路コースは紫色で、案内図では下から二つ目のコースになります。


 ケーブルカー乗り場を見るのは初めてだったので乗り場の清滝駅を撮ってみました。

<ケーブルカー乗り場から琵琶滝へ>

 6号路コースは、ケーブルカーを右に見ながら暫く歩きますが、ケーブルカーが発車する直前だったので取り敢えず撮ってみました(ケーブルカーは1両編成なのですね!)。
 

 舗装されて道路を暫く歩くと、道路脇に洗心地蔵尊と七福神(最前列)が祀られていたので撮ってみましたが、由緒等は不明です。


 舗装された道路を暫く歩くとご覧のような登山道になります。


 右側に「高尾山琵琶瀧水行道場」の石碑(?)が建っていたのでアップで撮ってみました。


 沢沿いの山道はご覧のように段々と険しくなってきます。


 山道を暫く進むと山側にご覧のような祠があって、中に小さなお地蔵さんが祀られていましたが、ここも由緒等は不明です。


 山道の右側は、ご覧のような沢(前の沢?)になっていて小さな滝も見えました。


 小さな滝をアップで撮ってみました。


 山道を暫く歩くと今度は、沢に架かる橋の向こう側に洞窟が二つ見えました。
 ⇒ この洞窟は、その昔、弘法大師の伝説で有名な岩屋大師が祀ってある洞窟ですかね?

<琵琶滝>

 岩屋大師から山道を暫く登ると、<びわ滝>の分岐が出ていたので行ってみることにしました。


 沢に架かる橋を渡ると正面に本堂、左奥に滝が流れ落ちているのが見えました。


 本堂にここまでこれたお礼を兼ねてお参りをします。




 「高尾山琵琶瀧水行道場」と出ていたので入瀧修行をしている人がいるかと思ったのですが今日はいませんでした。
 滝の近くに行けないので、しめ縄越しに滝をアップで撮ってみました。


 再度、「琵琶滝」の全体を撮って<高尾山頂>に向かう分岐まで戻ることにしました。

<琵琶滝からから大山橋へ>

 分岐まで戻って山道を少し登った所から下に見える「琵琶滝」を撮ってみました。
 中央に滝が、その右に本堂が写っていますがもう少し先に行った方がベストポジションです。


 山道を少し登ると、「琵琶滝」はご覧のようなフェンスで目隠しされていて見えませんでした(アチャ!)。


 フェンスを超えてから取り敢えず「琵琶滝」を撮ってみましたが・・・


 「大山橋」を目指してご覧のような沢沿いの山道を登ります。


 6号路コースの沢沿いはいたる所でアジサイが咲いていました。
 麓近くのアジサイはもう咲き終えた段階だったのですが、この辺りのアジサイは未だご覧のような状態で咲いていました。


 ご覧のような素晴らしい杉並木を見ながら更に山道を登ります。


 硯岩と書かれた大きな岩があったので撮ってみました。 ⇒ 名前からすると硯に使われた岩かも知れませんね?

<大山橋>

 「琵琶滝」から30分位で「大山橋」に着きました。


 高尾山頂まで後1.3kmなので高尾山口駅から約2/3来たことになります。
 ここで小休止して高尾山頂に向かいました。

<大山橋から高尾山頂へ>

 「大山橋」からはご覧のような山道になり、途中から6号路コース独特の岩場のゴツゴツした渓流を登ることになります。

 すいませんが、ここから先はデジカメが壊れてしまい写真を撮ることができませんでした。
 ⇒ これは後で判ったことですが、バッテリーが消耗して動作不能になっていました。

 高尾山頂(標高599m)に着いてからは辺りも散策しないで(私以外は何回か高尾山に登っています)、山頂から少し下った「もみじ台」で早めの昼食を取りました。
 昼食後は、山頂から長い山道を一旦下り、次の目的地の城山(標高670m)に向かって再び山道を登ることになります。

 ところで連れのもう一人がデジカメを持っていて使っていなかったので、私のSDカードを入れて動作を確認したところ問題なく撮影・再生することが出来たのでデジカメを借りることにしました(これ以降はこのデジカメで撮りました)。
 ⇒ メーカーが違うので使えるとは思っていませんでした(同じJPGファイルだったからですかね?)。

<一丁平>

 高尾山頂から30分位で「一丁平園地」に着きました。ベンチもあって休憩もできます。
 尚、奥に見えるのはトイレですが感じは良いですよ!
 

 「一丁平園地」の下はご覧のようになっていて、遅い昼食を取っているハイカーのグループもいました。


 「一丁平園地」からご覧のような山道を登ると「一丁平」の展望台に着きます。






 展望台からの眺めは素晴らしく、晴れていれば富士山が見えたのですが雲がかかっていて拝めませんでした。


 展望台に、『一丁平から小仏城山までの歩道の両側は、山ザクラの並木になっていて花の季節にはすばらしいながめとなります。また、この付近は小鳥の声がよく聞かれるところです。』と案内が出ていたので山ザクラが咲いているつもりで撮ってみました(小鳥の声も聞こえませんでした)。

<一丁平から城山へ>

 「一丁平」を後に、ご覧のような山道を登って「城山」に向かいます。


 「小仏城山周辺案内板」で現在地を確認します。
 ⇒ 「一丁平」と「城山」の中間地点まで登ってきたことになります。


 この辺りの山の斜面の杉はご覧のように綺麗に伐採されていて気分が良いです。
 

 「城山」まで後0.1kmのところまで登ってきました。


 「関東ふれあいの道 湖のみち案内図」で現在地(左上)を確認します。
 高尾山口(右上)から高尾山を通って現在地まで来たことになります。


 ご覧のような山道を登れば「城山」の山頂に到着します。

<城山(標高670m)>

 「一丁平」から30分位(高尾山頂からは約1時間)で「城山」に着きましたが、正式な名前は「小仏城山」みたいですね!


 そばに木彫の天狗があったので撮ってみましたが、何か怒っているような感じがしませんか?


 山頂から北西方面の景色を撮ってみました。遠くに見える市街地は八王子市内ですかね?


 麓から見えた電波塔も取り敢えず撮ってみました。


 山頂にある城山茶屋(しろやまちゃや)で休憩することにしました。城山茶屋はご覧のようにかなり広々とした茶屋でした。


 城山茶屋の「かき氷」は、かなりの高さがあるので有名みたいですよ!


 城山茶屋から下に見えたご覧のような広場を撮ってみました。
 右に写っている道標<高尾山2.5km、弁天橋3.0km・相模湖5.8km>の柱には神奈川県と書いてありました。 ⇒ 神奈川県人としては何となく嬉しいですね!?


 城山茶屋で休憩してから「小仏峠」に向かいますが、後は山道を下るだけになります。

<小仏峠>

 「城山」から山道を20分位下ると「小仏峠」の休憩所(?)に着きました。


 最初は単なる休憩所と思ったのですが、ご覧のような標識があったので「小仏峠」と判りました。
 「小仏峠」は東京都八王子市と神奈川県相模原市緑区の間にある峠で標高は548mです。
 ところで、標識は560mとなっていたので少しサバ読んでいますね! ⇒ 狸に化かされたのかも?


 隣りに、『明治天皇小佛峠御小休所阯及御野立所』の記念碑があったので撮ってみました。
 ⇒ 休憩しただけで記念碑が建つとはさすが天皇ですね!


 「高尾・小仏峠案内図」で現在地を確認して小仏バス停に向かいました。

<小仏峠から小仏バス停へ>



 「小仏峠」からは比較的歩き易い砂利の山道を下りますが、山側斜面の所どころにご覧のような石積みの壁があったので撮ってみました。
 ⇒ 年季が入っているので由緒ある壁かも知れませんね?
 
<小仏バス停>

 「小仏峠」から40分位で小仏バス停に着きました。
 着いた時はバスを待っているハイカーは余りいなかったのですが、徐々に人が集まって来て臨時便に乗り込む人達も出てきました。

 バスでJR高尾駅北口に向かうのですが、途中、見慣れた場所(木下バス停付近)を通ると思ったら今年3月に「高尾梅郷をぶらり」で歩いた旧甲州街道でした(見慣れた道路に出るとホッとしますね!)。

 JR高尾駅北口に着いてから中央線で八王子駅に行っていつもの居酒屋で反省会を遣りました。

 私は、高尾山は初体験だったのですが、今回の「山行:高尾山・城山」はそれなりに楽しめて大変満足しています。
 高尾山は山頂を目指すコースがいくつかあるのと四季折々の自然が楽しめることが判ったので次は別のコースで挑戦したいと思っています。
 尚、万歩計は久々の26,000歩越えだったので少し筋肉痛になりました。
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スパリゾートハワイアンズ/フラガールショー

2014年09月09日 | Weblog
 福島県いわき市の「スパリゾートハワイアンズ」で研究会のサマーシンポジウム(9月7日~8日)があったので行って来ました。
 「スパリゾートハワイアンズ」と言っても、昔の人は判らないと思いますが、以前の「常磐ハワイアンセンター」です。
 サマーシンポジウムの内容は他の人から報告があると思いますので、私が担当(?)のフラガールショーの写真を撮りました。
 尚、フラガールショーは、7日の夜(20:30~21:30)と8日の昼間(13:30~14:30)にあったのですが、7日の夜は上手く撮れていなかったので8日の昼間に再度撮り直をしました。


 ハワイ王国を建国、初代国王となったカメハメハ大王もいたので撮ってみました。




















 観客がステージに上がって練習してから一緒に踊る余興もありました。








 ファイアーダンスを撮るの大変難しいので止まっているところしか撮れませんでした。




 中央ステージ以外の場所で踊っている人もいたので撮ってみました。


 観客に後姿を見せて踊っていたので何か理由があるのかと思って撮ってみましたが・・・




 右に写っている男性は、先程ファイアーダンスを踊っていた人だったので驚きました(すごい体力ですね!)。










 こちらの踊り子さんはアップで撮ってみました。




 フラガールショーの終り近くになったのでのステージを横の方から撮ってみました。
 ステージの奥に大きなウォータースライダ―が見えます。


 帰りがけにファイアーダンスで使うポールが飾ってあったので撮ってみました。

 フラガールショーを全て撮ってみたのですが、踊っている人を撮るのは大変難しく殆どがピンボケになってしまいました(すいません)。

 「スパリゾートハワイアンズ」は、フラガールのショー以外に大プールやウォータースラーダーや温泉があって子供からお年寄りまでゆっくり楽しめる施設になっていました。
 又、大露天風呂「与市」は、江戸情緒満点の世界最大の大露天風呂になっていて堪能することが出来ました。

 尚、今回のサマーシンポジウムは、新宿(JR新宿駅西口都庁大型駐車場)から往復無料送迎バス(宿泊者専用?)の1泊2日の夕朝食付きで約14,000円/人(シーズンオフ料金)で済みました。
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吹割渓谷散策

2014年09月02日 | Weblog
 9月1日(月)に日本の滝百選の「吹割の滝」がある吹割渓谷に行って来ました。
 群馬県沼田市の吹割渓谷は、上越新幹線の上毛高原駅からバスで1時間位のところにあるので前日(8月31日)は近くの老神(おいがみ)温泉に一泊することにしました。

[8月31日(日)]

 上毛高原駅の近くにはいろんな遺跡(深沢遺跡配石遺構、梨の木平遺跡、矢瀬遺跡)があるので、バスの乗車時間の調整も兼ねて遺跡を見学することにしました。
 又、上毛高原駅の駅前には食事処もなかったので矢瀬親水公園で遅い昼食を取ることにしました。


 上毛高原駅の駅前の「利根沼田広域観光センター」で観光パンフレットを手に入れます。
 観光センターを出ると目の前にご覧のような可愛らしい沼田警察署の上毛高原交番があったので撮ってみました。

<深沢遺跡配石遺構>

 上毛高原交番の脇の道を通って県道271号線を暫く下ると左側に「深沢遺跡配石遺構」がありました。




 「深沢遺跡配石遺構」は、今から約3500年前の縄文時代後期の集団墓地の跡のようです。


 「深沢遺跡配石遺構」の傍に、ご覧のような面白い形の実(?)を付けたヒノキ(?)があったのでアップで撮ってみましたが、何なのか良く判りません。

<月夜野郷土歴史資料館>

 県道271号線を更に下ると「郷土歴史資料館」があったので入ってみました(入館料200円)。








 矢瀬遺跡から出土した木柱根、縄文土器、耳飾り、埴輪などが展示してありました。


 珍しい大形甕の完成品も提示してありましたがこれは古代遺跡ではありません。
 大形甕は、南北朝~室町時代(14世紀後半~15世紀中頃)に愛知県で生産された常滑の大甕と呼ばれるもので、昭和7年に水上町立古馬牧小学校校庭拡張工事で土の中から見つかった甕には古銭が数百枚入っていたみたいです。

<梨の木平遺跡>

 「郷土歴史資料館」の向かい側に県指定史跡「梨の木平敷石住居跡」があったので行ってみました。




 「梨の木平敷石住居跡」は、縄文時代中期末(約4000年前)の敷石住居跡のようです。

<矢瀬(やぜ)遺跡>

 「梨の木平遺跡」を後に県道271号線を5分位下ると、右下に「矢瀬親水公園」の駐車場が見えてきました。


 更に下ると「縄文の遺跡 矢瀬親水公園」の看板が見えて来ました。尚、「矢瀬遺跡」は「矢瀬親水公園」の中にあります。


 「矢瀬遺跡」を見学する前に、公園内にある農産物直売所「月夜野はーべすと」に行って遅い昼食を取ることにしました。




 「月夜野はーべすと」は高台にあるので眼下に「矢瀬親水公園」が見渡せます。 


 「月夜野はーべすと」で遅い昼食を取った後、国指定史跡の「矢瀬遺跡」に行ってみました。
 「矢瀬遺跡」は、今から3500年から2300年前の縄文時代後期から晩期にかけての遺跡で、縄文時代の住居、祭祀遺構、水場などが保存されています。尚、面積は5,000㎡もあります(東京ドームの約4割弱)。


 高床建物や半截材の方形木柱列が再現されていました。




 高床建物の配石や半截材方形木柱列の傍の水路を撮ってみました。


 復元された住居があったので中に入ってみました。


 当時の暮らしぶり(犬と戯れる子供、炉辺を囲む人達)が再現されていたのですが上手く撮れていませんでした。
 

 「矢瀬遺跡」はもっと回りたかったのですが、バスに乗り遅れてはいけないのでここで止めにしてバス停のある上毛高原駅に向かうことにしました。
 帰りがけに縄文時代の洞窟のようなところがあったので近くに行ってみました。
 ここは駐車場入口に行ける地下通路で、駐車場から階段を登ると運良く県道271号線に出ることが出来ました(ホッ!)。


 どうにかバスの時間に間に合い、今日宿泊する老神温泉(おいがみおんせん)の旅館に着きました。

 旅館の部屋から向かい側の山を見るとご覧のように霧が出ていて明日の天気が心配になりました。
 旅館の人に、老神温泉から吹割渓谷までは歩くと40分位はかかると言われたのですが、車で送ってくれると云うので一安心しました。
 夕飯前に、大浴場と混浴の露天風呂がるあると云うので両方に入ってみましたが、残念ながら混浴の露天風呂には誰も入っていませんでした。
 湯あたりをしたのか、お酒を飲み過ぎたのか判りませんが、夕食後は直ぐに寝てしまいました。


[9月1日(月)]

 9月1日(月)は小雨が降ったり止んだりする生憎の天気でしたが、旅館の人が「吹割渓谷」の駐在所の前まで車で送ってくれたので大助かりでした(有難う御座いました)。
 駐在所の前の横断歩道を渡ると<吹割の滝 遊歩道入口>の案内が出ていました。


 ご覧のような坂道を下って「吹割の滝」に向かいます。


 暫く歩くと「吹割渓谷遊歩道案内図」があったので●現在地を確認します。
 ●現在地から、片品川の「鱒飛の滝」、「吹割の滝」を見て「浮島橋」と「吹割橋」を渡って、「詩(うた)のこみち」にある「第1観瀑台」、「第2観瀑台」、「第3観瀑台」から下にある滝を見て「吹割大橋」を渡って駐在所に戻って来る散策コース(約1時間)にしました。


 「吹割渓谷遊歩道案内図」から少し歩くと下の方に滝が見えてきました。


 ご覧のような鉄階段を下りますが小雨で階段が滑りそうなので慎重に降ります。

<鱒飛(ますとび)の滝>

 その昔、利根川の支流である片品川にも鱒が遡上してきて、この滝まで来ると段差がありどうしても上流に上れず、鱒が懸命に越えようと飛び跳ねていたことから「鱒飛の滝」と呼ばれるようになったみたいです。


 「鱒飛の滝」をアップで撮ってみました。


 別の角度から「鱒飛の滝」を撮ってみました。


 パンフレットに載っていた獅子岩(?)をアップで撮ってみました。奥の方には「巨大な岩盤壁」が聳えていました。

<巨大な岩盤壁>

 遊歩道を更に進むと、片品川沿いに数十メートルの「巨大な岩盤壁」が連なっていました。




 スケールの大きさに圧倒されて色の付いた岩壁をアップで撮ってみました。


 パンフレットには「はんにゃ岩」があると載っていたのですが見当たりませんでした(左の方にあるのが般若岩?)。
 その代り、白装束のカルト集団が被る三角頭巾に似た奇岩があったのでアップ撮ってみました。
 ⇒ 勝手に「カルト岩」と命名しました。


 肉厚の大きな唇を付けたご覧のような奇岩もあったのでこちらもアップで撮ってみました。
 ⇒ こちらは「大唇岩」と命名しました。

<吹割(ふきわれ)の滝>

 遊歩道を更に進むと、国の天然記念物に指定され、日本の滝100選にも選ばれている「吹割の滝」がありました。
 「吹割の滝」は、凝灰石、花崗岩の川床上を流れる片品川が、岩質の軟らかい部分を侵食して多数の割れ目が生じ、巨大な岩が吹き割れたように見えるところから名前が付けられたみたいです。






 又、「吹割の滝」は、縦に出来た川底の裂け目に川が左右から勢いよく流れ落ちるので「東洋のナイアガラ」とも呼ばれているみたいです。
 左の奥に写っているのが奇岩の「大唇岩」ですね!


 「東洋のナイアガラ」をアップで撮って、上流の「浮島橋」に向かいました。

<浮島橋>

 「浮島橋」は浮島観音が祀ってある浮島に渡る吊り橋です。


 「浮島橋」から片品川の下流方面を撮ってみました。左に小さく人影が見えるのが先程歩いて来た遊歩道で、正面に「巨大な岩盤壁」が見えます。


 「浮島橋」を渡って木製の遊歩道を暫く歩くと、浮島観音が祀ってある「浮島観音堂」が見えてきました。

<浮島観音堂>

 小雨が降ったり止んだりしていたのですが、土砂降りにならずここまで無事に来れたお礼をしました。


 辺りに誰もいなかったので失礼して堂内を撮らせて頂きました。
 正面に、左甚五郎が一夜の礼として彫ったといわれる小さな金箔木像の「浮島如意輪観音」、その手前右に「滝見観音」が祀られていました。

<吹割橋>

 「浮島観音堂」を後に、「吹割橋」を渡って「詩のこみち」を散策しながら第1~第3観瀑台から滝見をすることにしました。


 「吹割橋」からも片品川の下流方面を撮ってみました。


 ついでに上流方面も撮ってみましたが、下流とは違った趣がありますね!

<詩(うた)のこみち>



 「詩のこみち」にはご覧のような詩を刻んだ石碑が沢山置いてありました。
 『むささびの飛んで老神月夜かな』の詩があったので、この辺りにはムササビがいるみたいです。
 又、カネが置いてある『【熊注意】 熊の出没報告あり。カネを鳴らしながらお進み下さい。』の案内があったので熊も出るみたいですよ!


 「第1観瀑台」に着くと、木々の間から「浮島橋」と「吹割の滝」が見えたのでアップで撮ってみました。


 折角なので「吹割の滝」を更にアップして撮ってみました。


 屏風岩が右側に聳えるような遊歩道を下りますが、<落石 足元に注意>の看板が至る所にありました。


 遊歩道脇には、耳の神様として信仰されている「塞の神」が祀られていました。
 解説板には、『お椀のふたに穴をあけてお供えすると、耳が良く聞こえるようになるとの言い伝えがあり、今でもその習わしが残っています。』とありました。


 「第2観瀑台」からは木々が生い茂っていて滝は殆ど見えなかったのですが、「第3観瀑台」からどうにか滝が見えたのでアップで撮ってみました。


 遊歩道を更に下ると吹割渓谷遊歩道の出口近くの「十二様神社」に着きました。


 取り敢えずここまで無事に来れたお礼をしました。
 この神社には御賽銭箱がないと思ったら代わりに「御さおせん筒」が祭壇の下に置いてありました。


 ここまで来ると後は、ご覧の「吹割大橋」を渡って駐在所前の「吹割の滝」バス停に向かうだけになりました。

 バス停「吹割の滝」に着きましたが、近くで昼食が取れそうな食事処がなかったので、バスで上毛高原駅の手前の「月夜野びーどろパーク」まで行って遅い昼食を取ることにしました。
 又、「月夜野びーどろパーク」は工場見学も出来るので帰りの新幹線に乗る時間の調整も出来ます。

 問題は「月夜野びーどろパーク」に一番近いバス停は何処かと云うことですが、バス乗り込む時に運転手さんに聞くと、JR後閑駅の先の「上河原」バス停(約1時間)と教えてくれました。

<月夜野びーどろパーク>

 「上河原」バス停でバスを降りると道路の向かい側に「月夜野びーどろパーク」が見えました。
 バス停から少しは歩くことを覚悟していたので大助かりでした。


 早速、「地ビールレストラン ドブリーデン」に入ってみましたが、月曜日で時間も13時半を回っていたので客は誰もいませんでした。
 月夜野の弛ビールを飲みながら遅い昼食にしましたが、地元のおつまみとしては「田舎そばビザ」があるだけでした。


 昼食を食べてから「吹きガラス」の工場見学をしましたが、写真を撮るのを忘れました。
 工場見学をした後、ガラスショップで時間調整をしながら上毛高原駅行きのバスを待ちました。
 尚、「上河原」バス停から上毛高原駅までは10分位です。

 今回の「吹割渓谷散策」は、小雨が降る空模様だったので観光客が少なく、ゆっくり見て回ることが出来たので良かったです。又、「東洋のナイアガラ」と言われる素晴らしい「吹割の滝」が見れたので大変満足しています。
 尚、万歩計は8月31日は9,000歩弱、9月1日は10,000歩を超えている程度でした。
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