<聖天院から巾着田へ>
「聖天院」から「巾着田」へは「カワセミ街道」を歩いて行くことにしました。この道路は歩道もなく、車の往来もそれなりにあったのですが仕方ありませんね!
道路脇にこの時期には珍しいヒマワリが咲いていたので撮ってみました。
反対側の道路脇の空き地にヒマワリと色とりどりのコスモスが一緒に咲いてたのでこちらも撮ってみました。
ヒマワリとコスモスのコラボレーションが素晴らしかったのでアップでも撮ってみました。
道路を暫く歩くと右側に、「高麗坂東観音霊場 第31番」の「如意輪堂」がありました。
「第31番」となっていたので札所はそれなりにあるみたいですよ!?
道路脇の家の庭先にシオン(?)のような花が咲いていたので失礼してアップで撮らせて頂きました。
⇒ 紫と黄のコントラストが素晴らしいですね!
「聖天院」から「カワセミ街道」を40分位歩くと、巾着田(きんちゃくだ)の入口近くに着きました。
道路沿いの丘陵の杉林の中に神社が見えたので行ってみました。
ご覧のような神社で扁額は『九万八千神社』となっていましたが、説明板もなかったので由緒等は不明です。 ⇒ ”くまんはっせん”と読むのですかね? 不思議な名前の神社ですね!
丘陵の麓近くにあった民家の庭先に大きなアケビ(?)があったのでアップで撮ってみました。未だ熟れていませんが、こんなに大きなアケビを見たのは初めてです。
お楽しみの「巾着田曼珠沙華公園」は「高麗郷古民家」を見学してから行くことにしました。
「高麗郷古民家」に行く手前に、「高麗坂東観音霊場 第29番」の「長寿寺」があって、境内に彼岸花が咲いていたので行ってみることにしました。
「長寿寺」の本堂でお参りを済ませると、本堂の雨戸のほぼ中央に直径5cm位の穴が二つ空いていました。穴から中を覗こうとしていると、お寺の関係者が来て、『お賽銭泥棒にあったので、お賽銭を入れるためにこの穴を空けた』と教えてくれました。 ⇒ 道理で、お賽銭箱が見当たらない筈ですよね!
<高麗郷古民家(旧新井家住宅)>
「長寿寺」を出て道なりに暫く歩くと、ご覧のような立派な石垣と白壁が見えて来ました。まるで、時代劇の武家屋敷の前に来たような感じがしますね!
ここが、国の有形文化財(建造物)に登録された「高麗郷古民家(旧新井家住宅)」でした。
パンフレットには、敷地(宅地部分)は約1000坪(3183.65㎡)と出ていました。
入口はご覧のようになっていて登城するような感じがしますね!
順路に素晴らしいハギが咲いていたのでアップで撮ってみました。
坂を上り切ると、右側にご覧のような母屋(1階部分は約100坪)がありました。
パンフレットには、『母屋は入母屋造(いりもやづくり)の2階建てで、江戸時代末から明治時代前半に建てられ(その後改修)、面形式は六間取り(むつまどり)で、各部屋の規模が大きいことが特徴』と書いてありました。
この母屋も時代劇に出てくる旅籠のような感じですね!
母屋の座敷を外から撮ってみました。パンフレットには式台(段差が大きい場合に設置される板)の傷跡があったと書いてあったのですが判りませんでした。
確かに、廊下にしては少し広過ぎますね!
母屋の土間から内部を見学できたので座敷を撮ってみましたが、広さは15畳位はありますね!?
土間の隅にあったお風呂場も撮ってみましたが、改修されていたのでイメージしか判りません。尚、お風呂場の手前には大きな脱衣場がありました。
土間から母屋の裏手に廻るとご覧のような井戸がありました。こちらも改修されていたので昔の面影はありません。
井戸の後ろに、幹周り495cm(埼玉県内第5位)のシラカシがあったので撮ってみました。
北土蔵の手前に、幹周り475cm(埼玉県内第7位)のタブノキがあったのでこちらも撮ってみました(ピンボケですいません)。
北土蔵は二階(約12畳)に上れたのですが、展示品もなく単なる部屋だったので写真は撮りませんでした。
順路に従って井戸の前を通って母屋の表に戻り、母屋の西側にあった客殿(きゃくでん)を撮ってみました。車寄せの向唐破風(むこうからはふ)の屋根はやはり格調高いですね!
ところで、高麗郷古民家(旧新井家住宅)は当時の名主の住居だったみたいで、有形文化財に登録(2014年4月)されたのは、母屋、客殿、納屋、南土蔵、北土蔵、石垣の6件のようです。
「高麗郷古民家」を見学したので、お楽しみの「巾着田曼珠沙華公園」に行くことにしました。
<巾着田曼珠沙華公園>
「高麗郷古民家」を出て左に行くと、高麗川に架かる「天神橋」がありました。橋の下を通れば公園の遊歩道に出れそうなので行ってみることにしました。
高麗川に小魚が泳いているのが見えたので写真に撮ってみましたが上手く写っていませんでした。
ところで、巾着田の名前は、高麗川の蛇行した形が「きんちゃく」の形に似ていることから”巾着田”と呼ばれるようになったみたいですよ!
遊歩道に出る手前の土手に、彼岸花の群生があったので早速撮ってみました。
公園の遊歩道に入ると左手に彼岸花の群生地がありました(ここは「遅咲き群生地」)。
公園の出入口は4ヶ所ありますが、一番近い出入口は未だ大分先の方にあるみたいです。
彼岸花を激写しながら遊歩道を歩いて出入口4番に向かいます。
遊歩道の案内板には『彼岸花の見頃は過ぎました』と出ていたのですが見応えは充分です。
公園の入場料は300円(29日以降は無料)なのですが、これだけ素晴らしい彼岸花を見てしまうと公園に入らなくても良い感じになってしまいます。
入場料300円を払って園内の彼岸花を撮ってみました。
素晴らしい彼岸花を見ていると、山口百恵が歌っていた「曼珠沙華」を口ずさんでしまいそうですね! ⇒ 確か、女の情念の詞で、曼珠沙華を”マンジュシャカ”と歌っていたような気がしたのですが・・・
曼珠沙華まつり会場に着くと、「おもてなしステージ」で楽器演奏のイベントを遣っていました。
歩き疲れたのと喉も乾いていたのでビール(お祭会場なのでアルコールは売っていました)を飲みながら休憩することにしました。
ビールも飲んで人心地付いたので、巾着の底の部分に当たる群生地に行ってみることにしました。
出入口3番から2番の群生地は、「早咲き群生地」となっていたので行くのは諦め、出入口4番に戻ることにしました。
「おもてなしステージ」では、楽器演奏は終わっていて猿回しのイベントを遣っていました。
公園の牧場に白い仔馬がいたので撮ってみました。
出入口4番に戻り「巾着田曼珠沙華公園」を出て、高麗駅に向かうことにしました。
帰りの遊歩道から背後に「彩の国さいたま景観賞」を受賞した「あいあい橋」が見えたので撮ってみました。
「あいあい橋」は、高麗川に架かる歩行者専用橋で全長91.2mの日本最大級の木造トラス橋です。
<巾着田曼珠沙華公園から高麗駅へ>
川越日高線(県道15号線)に出てから赤い欄干の「鹿台橋(ろくだいばし)」を渡ります(下に流れているのは高麗川)。
「鹿台橋」を渡ってから左折し高麗駅に向かいますが、駅に向かう人が大勢いたので道に迷うことはありませんでした。
帰り道の途中に、彼岸花が咲いている「水天の碑」があったので撮ってみました。
説明板には、『水天の碑は、天保時代(1830~1844年)に繰り返された干ばつ、大洪水などの天災や水難事故を鎮めるために、台村(だいむら)の人々が建立したものである。』と書いてありました。
<高麗駅>
「巾着田曼珠沙華公園」から20分位で高麗駅に着きました。
高麗駅のホームから街並みを撮ってみましたが、飲食店はあまりなさそうな感じがしました。
高麗駅から西武池袋線で東飯能駅まで行き、JR八高線に乗り換えて八王子駅に向かいました。
八王子駅で途中下車し、近くの居酒屋でいつものように夕食を兼ねて一杯遣ってからJR横浜線で帰りました。
今回の「巾着田ハイキング」は、それぞれの場所で楽しめたのと、「高麗神社」と「聖天院」では新しい発見と勉強、そして「巾着田曼珠沙華公園」では彼岸花のリベンジが出来たので大変満足しています。
又、万歩計は22,000歩を超えていたので運動不足の解消にもなりました。
「聖天院」から「巾着田」へは「カワセミ街道」を歩いて行くことにしました。この道路は歩道もなく、車の往来もそれなりにあったのですが仕方ありませんね!
道路脇にこの時期には珍しいヒマワリが咲いていたので撮ってみました。
反対側の道路脇の空き地にヒマワリと色とりどりのコスモスが一緒に咲いてたのでこちらも撮ってみました。
ヒマワリとコスモスのコラボレーションが素晴らしかったのでアップでも撮ってみました。
道路を暫く歩くと右側に、「高麗坂東観音霊場 第31番」の「如意輪堂」がありました。
「第31番」となっていたので札所はそれなりにあるみたいですよ!?
道路脇の家の庭先にシオン(?)のような花が咲いていたので失礼してアップで撮らせて頂きました。
⇒ 紫と黄のコントラストが素晴らしいですね!
「聖天院」から「カワセミ街道」を40分位歩くと、巾着田(きんちゃくだ)の入口近くに着きました。
道路沿いの丘陵の杉林の中に神社が見えたので行ってみました。
ご覧のような神社で扁額は『九万八千神社』となっていましたが、説明板もなかったので由緒等は不明です。 ⇒ ”くまんはっせん”と読むのですかね? 不思議な名前の神社ですね!
丘陵の麓近くにあった民家の庭先に大きなアケビ(?)があったのでアップで撮ってみました。未だ熟れていませんが、こんなに大きなアケビを見たのは初めてです。
お楽しみの「巾着田曼珠沙華公園」は「高麗郷古民家」を見学してから行くことにしました。
「高麗郷古民家」に行く手前に、「高麗坂東観音霊場 第29番」の「長寿寺」があって、境内に彼岸花が咲いていたので行ってみることにしました。
「長寿寺」の本堂でお参りを済ませると、本堂の雨戸のほぼ中央に直径5cm位の穴が二つ空いていました。穴から中を覗こうとしていると、お寺の関係者が来て、『お賽銭泥棒にあったので、お賽銭を入れるためにこの穴を空けた』と教えてくれました。 ⇒ 道理で、お賽銭箱が見当たらない筈ですよね!
<高麗郷古民家(旧新井家住宅)>
「長寿寺」を出て道なりに暫く歩くと、ご覧のような立派な石垣と白壁が見えて来ました。まるで、時代劇の武家屋敷の前に来たような感じがしますね!
ここが、国の有形文化財(建造物)に登録された「高麗郷古民家(旧新井家住宅)」でした。
パンフレットには、敷地(宅地部分)は約1000坪(3183.65㎡)と出ていました。
入口はご覧のようになっていて登城するような感じがしますね!
順路に素晴らしいハギが咲いていたのでアップで撮ってみました。
坂を上り切ると、右側にご覧のような母屋(1階部分は約100坪)がありました。
パンフレットには、『母屋は入母屋造(いりもやづくり)の2階建てで、江戸時代末から明治時代前半に建てられ(その後改修)、面形式は六間取り(むつまどり)で、各部屋の規模が大きいことが特徴』と書いてありました。
この母屋も時代劇に出てくる旅籠のような感じですね!
母屋の座敷を外から撮ってみました。パンフレットには式台(段差が大きい場合に設置される板)の傷跡があったと書いてあったのですが判りませんでした。
確かに、廊下にしては少し広過ぎますね!
母屋の土間から内部を見学できたので座敷を撮ってみましたが、広さは15畳位はありますね!?
土間の隅にあったお風呂場も撮ってみましたが、改修されていたのでイメージしか判りません。尚、お風呂場の手前には大きな脱衣場がありました。
土間から母屋の裏手に廻るとご覧のような井戸がありました。こちらも改修されていたので昔の面影はありません。
井戸の後ろに、幹周り495cm(埼玉県内第5位)のシラカシがあったので撮ってみました。
北土蔵の手前に、幹周り475cm(埼玉県内第7位)のタブノキがあったのでこちらも撮ってみました(ピンボケですいません)。
北土蔵は二階(約12畳)に上れたのですが、展示品もなく単なる部屋だったので写真は撮りませんでした。
順路に従って井戸の前を通って母屋の表に戻り、母屋の西側にあった客殿(きゃくでん)を撮ってみました。車寄せの向唐破風(むこうからはふ)の屋根はやはり格調高いですね!
ところで、高麗郷古民家(旧新井家住宅)は当時の名主の住居だったみたいで、有形文化財に登録(2014年4月)されたのは、母屋、客殿、納屋、南土蔵、北土蔵、石垣の6件のようです。
「高麗郷古民家」を見学したので、お楽しみの「巾着田曼珠沙華公園」に行くことにしました。
<巾着田曼珠沙華公園>
「高麗郷古民家」を出て左に行くと、高麗川に架かる「天神橋」がありました。橋の下を通れば公園の遊歩道に出れそうなので行ってみることにしました。
高麗川に小魚が泳いているのが見えたので写真に撮ってみましたが上手く写っていませんでした。
ところで、巾着田の名前は、高麗川の蛇行した形が「きんちゃく」の形に似ていることから”巾着田”と呼ばれるようになったみたいですよ!
遊歩道に出る手前の土手に、彼岸花の群生があったので早速撮ってみました。
公園の遊歩道に入ると左手に彼岸花の群生地がありました(ここは「遅咲き群生地」)。
公園の出入口は4ヶ所ありますが、一番近い出入口は未だ大分先の方にあるみたいです。
彼岸花を激写しながら遊歩道を歩いて出入口4番に向かいます。
遊歩道の案内板には『彼岸花の見頃は過ぎました』と出ていたのですが見応えは充分です。
公園の入場料は300円(29日以降は無料)なのですが、これだけ素晴らしい彼岸花を見てしまうと公園に入らなくても良い感じになってしまいます。
入場料300円を払って園内の彼岸花を撮ってみました。
素晴らしい彼岸花を見ていると、山口百恵が歌っていた「曼珠沙華」を口ずさんでしまいそうですね! ⇒ 確か、女の情念の詞で、曼珠沙華を”マンジュシャカ”と歌っていたような気がしたのですが・・・
曼珠沙華まつり会場に着くと、「おもてなしステージ」で楽器演奏のイベントを遣っていました。
歩き疲れたのと喉も乾いていたのでビール(お祭会場なのでアルコールは売っていました)を飲みながら休憩することにしました。
ビールも飲んで人心地付いたので、巾着の底の部分に当たる群生地に行ってみることにしました。
出入口3番から2番の群生地は、「早咲き群生地」となっていたので行くのは諦め、出入口4番に戻ることにしました。
「おもてなしステージ」では、楽器演奏は終わっていて猿回しのイベントを遣っていました。
公園の牧場に白い仔馬がいたので撮ってみました。
出入口4番に戻り「巾着田曼珠沙華公園」を出て、高麗駅に向かうことにしました。
帰りの遊歩道から背後に「彩の国さいたま景観賞」を受賞した「あいあい橋」が見えたので撮ってみました。
「あいあい橋」は、高麗川に架かる歩行者専用橋で全長91.2mの日本最大級の木造トラス橋です。
<巾着田曼珠沙華公園から高麗駅へ>
川越日高線(県道15号線)に出てから赤い欄干の「鹿台橋(ろくだいばし)」を渡ります(下に流れているのは高麗川)。
「鹿台橋」を渡ってから左折し高麗駅に向かいますが、駅に向かう人が大勢いたので道に迷うことはありませんでした。
帰り道の途中に、彼岸花が咲いている「水天の碑」があったので撮ってみました。
説明板には、『水天の碑は、天保時代(1830~1844年)に繰り返された干ばつ、大洪水などの天災や水難事故を鎮めるために、台村(だいむら)の人々が建立したものである。』と書いてありました。
<高麗駅>
「巾着田曼珠沙華公園」から20分位で高麗駅に着きました。
高麗駅のホームから街並みを撮ってみましたが、飲食店はあまりなさそうな感じがしました。
高麗駅から西武池袋線で東飯能駅まで行き、JR八高線に乗り換えて八王子駅に向かいました。
八王子駅で途中下車し、近くの居酒屋でいつものように夕食を兼ねて一杯遣ってからJR横浜線で帰りました。
今回の「巾着田ハイキング」は、それぞれの場所で楽しめたのと、「高麗神社」と「聖天院」では新しい発見と勉強、そして「巾着田曼珠沙華公園」では彼岸花のリベンジが出来たので大変満足しています。
又、万歩計は22,000歩を超えていたので運動不足の解消にもなりました。