飲んでもブログ

飲んでいる時に付けたタイトルで間違いではありません。
趣味は山登りやハイキングとDVD映画の収集です。

境川の左馬神社巡り(その3)

2014年01月26日 | Weblog
 境川沿いの左馬神社は12社あるのですが、その内の4社は「境川の左馬神社巡り」で6社は「境川の左馬神社巡り(その2)」でお参りしたのですが残りの2社が気になっていました。
 特に、10社目の藤沢市西俣野にある左馬神社(左馬大明神)は近くまで行ったのに探せなくてとても悔しい思いをしていました。
 1月25日(土)は天気も良かったので左馬神社の残り2社に行ってみることにしました。尚、残り2社は小田急線の六会日大前駅を挟んで東西にあるので歩いて行けば運動不足の解消にもなります。

<左馬大明神>

 六会日大前駅の東口で降りて藤沢街道(国道467号線)に出てから暫く南下して県道403号線に入り境川にぶつかる手前の三叉路の交差点まで歩きます。
 ところで、左馬大明神までの道のりは前回逆に歩いたので気分的には楽でした。


 三叉路の交差点に着いてから前回回らなかった定食屋コミヤ前の細い道に行こうとしたらご覧のような目立たない案内が出ているのではありませんか(前回もっと良く探せば見つけられましたね!)!


 細い道を暫く歩くと左側にご覧のような小さい「やしろ」の左馬大明神を見つけましたが、12社の左馬神社の中では一番小さい神社ですね!




 左馬大明神は相模の七鯖の一つではないのですが、祭神は左馬頭(さばかしら)源義朝でした。 


 ここにも七ツ木神社と同じ『サバ神社めぐり』の案内がありました。
 11社目の左馬神社が簡単に見つけられ余裕も出来たので三叉路の交差点近くに案内が出ていた<西嶺山花應院>に行ってみることにしました。

<西嶺山花應院>

 交差点から2~3分位坂を下ると案内(墓地の案内だったのかも?)が出ていました。
 それに従って行ってみると花應院に着きましたが目の前に本堂はありませんでした。どうやら墓地から入ってしまったようでした(また脇道から入ってしまったのかも?)。




 ご覧のような立派な本堂があったので取り敢えずお参りを済ませてから境内を散策してみました。尚、花應院は曹洞宗のお寺さんです。


 境内にはお地蔵さんが多くあったのですが参道の脇にあった六地蔵を撮ってみました。


 花應院には脇道から入ってしまって罰が当りそうなので正規の入口も撮ってみました。入口に『小栗判官・照手姫 縁起の寺 花應院』の黒い石柱が立っていたのですが詳細は不明です。

<飯田牧場>

 花應院を出ると目の前に飯田牧場(MILK HOUSE)があったので行ってみることにしました。牧場へはMILK HOUSEの右手の道から行くことになります。


 牧場と云うのでかなり大きいのを期待していたのですが、ご覧のような小さな牧場でした。もしかしたら日本一小さい牧場かも知れませんね?


 近くに寄って牛を撮ってみましたが、なかなか愛くるしい顔をしていますね!




 更にアップで撮っているとご覧のように人懐っこそうに舌を出してサービスしてくれました。
 かわゆい(可愛ゆい)ですね! ⇒ 死語ですかね?
 帰りがけにMILK HOUSEで名物の飯田アイスミルクのダブル(ラムレーズンと抹茶で350円)を食べてしまいました。
 寒かったのですが店員さんの甘い言葉に負けてしまいました。


 飯田牧場を後に、旧横浜ドリームランドのホテルエンパイア(現・横浜薬科大学図書館棟)をアップで撮って12社目の佐波神社へ向かいました。
 帰りは再び県道403号線を戻るのですが、ドリームランド入口の交差点近くまで来ると昭和41年創業の升栄軒があって餃子が自慢のような感じ(?)だったのでここで早めの昼食を取ることにしました。
 近くに食事処がないのでお客もかなり入って来ましたが、餃子はなかなか美味しかったですよ!

 升栄軒で昼食を食べた後は、県道403号線から藤沢街道に出て六会日大前駅の方に少し戻り小田急線を超えてから日大キャンパス(日大西側交差点が出口)を突っ切って佐波神社に行くことにしました。

<地神社(じじんじゃ)>

 小田急線を超えて5分位歩くと「地神の森公園」の雑木林の奥にご覧のような立派な神社があったので行ってみることにしました(左馬神社巡りの神社とは関係ありませんよ!)。




 ご覧のように真新しい立派な社殿で新しく改築(?)したようでした。
 祭神は埴山姫命(はにやまひめのみこと)で「土の神」として知られているみたいですよ!




 神社の扁額と石刻を撮って地神社を後にしました。


 日大キャンパスの日大西側交差点を超えると視野が広がって運良く富士山が見えたので撮ってみました。

<天神社>

 地神社から20分位道なりに進むと今度は天神公園の傍に天神社がありました(当然、ここも左馬神社巡りとは関係ない神社です)。




 祭神は神皇産霊神(かみむすびのかみ)、菅原道真(すがわらのみちざね)、天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)でご利益が沢山ありそうなので丁寧にお詣りしました。


 天神社の隣りに鐘楼があったので撮ってみましたが後の住宅と不釣り合いな感じがしますね!


 境内に石塔類があったの撮ってみましたが、宝暦八寅年十月(1758年)と彫られた石塔もあり時代を感じさせますね!


 右端にご覧のような石塔があって何となく愛くるしいのでアップで撮ってみました。なかなか良い感じですね!

<自性院(じしよういん)>

 天神社からなだらかな坂道を下ると引地川の手前に自性院がありました。
 地神社、天神社と続いたので今度は人神社かと思ってしまいました(安易な考えでこれは喝すね!)。


 境内に入るとご覧のような立派なお寺さんで左側が本堂です。




 自性院は浄土宗の寺院で1611年に地頭中根臨太郎により開基され、始めは龍見寺と云われていましたが後に寺号を改め自性院となったみたいです(案内板による)。




 境内の右手には無縁仏供養塔や六地蔵などが並んでいたので撮ってみました。


 地図に依ると12社目の佐波神社は、引地川を渡った西友の近くにあるみたいなのですが西友の建物は見当たりませんでした。
 橋を渡っていると正面に小高い森があって佐波神社の屋根らしき物が見えたので取り敢えず行ってみることにしました。
 橋の上から引地川を撮ってみました(右手に写っているのが自性院です)。

<佐波神社>

 引地川の橋を渡って急な坂道を5分位上るとご覧のような立派な佐波大明神の石柱がありました(ホッ!)。
 今回の左馬神社巡りでは一番立派な石柱だったので石柱をメインに撮ってみました。


 石段を上って立派な境内に入ると正面に本殿と左手に鐘楼もありました。




 鳥居右手にある由緒説明版には、『祭神は源義朝、創立は慶長16年(1611年)頃で、始めは左馬頭神社で、次に鯖神社と呼ばれ、水害にあって現在の”佐波神社”に改められた』と書いてありました。


 鐘楼を撮ってから参道の脇にあった丸太を縦に切った不安定なベンチ(後にひっくり返りそうになってしまいました)で休憩してから佐波神社を後にしました。

 佐波神社をお参りしたあと気になっていた西友を探してみました。佐波神社の後に行ってみると西友の駐車場があってその先に平屋の西友はありました。もっと高い建物をイメージしていたのですがこれでは遠くからは見えませんよね!
 せっかく西友を探し当てたので買う物はなかったのですが中に入ってみました。食料品しか置いてないようなスーパーでしたが店内は通路も含めてかなりゆったりとしたスペースでした。
 西友を出てから前の広い道路を北上して石川山田の交差点を右折して引地川を超えてどうにか六会日大前駅に辿り着きましたが30分以上もかかってしまいました。
 六会日大前駅の西口でファーストフードに入って休憩しようと思ったのですがやはり適当なところはありませんでした。仕方なく今回も前回(11日)と同じように下車駅の大和駅のファーストフードで休憩してから帰宅しました(万歩計は20,000歩を超えていました)。

 今日で念願の12社全ての『サバ神社めぐり』が済んだので大変満足しています。これで今年はご利益が期待できますね!
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二宮の吾妻山公園をぶらり(2014)

2014年01月14日 | Weblog
 今年も1月11日(土)から『吾妻山・菜の花ウォッチング』が始まったので13日(月)に二宮の吾妻山公園に行ってきました。
 昨年(吾妻山菜の花ウォッチング)と一昨年(二宮の吾妻山公園をぶらり)も富士山と菜の花のコラボレーションが素晴らしかったので今年も期待して出掛けました。
 当然、富士山と菜の花が一緒に撮れるビュースポットに行ってみます。


 入口から300段の急な階段を上ることになりますが、ご老人の方たちは途中で休みながら上っているのはいつもの光景です。


 300段の急な階段を上りきると、ご覧のような案内板があって展望台までは約15分と出ていました。


 案内板の右に休憩所があって、真下に二宮駅が見えたので相模湾と一緒に撮ってみました。


 今年もご覧のような素晴らしい水仙は見ることが出来たのですが、残念ながらツワブキの花は見ることは出来ませんでした(もう咲き終わってしまったのでしょうね!)。


 素晴らしい水仙をアップで撮ってみました。

<浅間神社(せんげんじんじゃ)>

 昨年は立ち寄らなかった縁結びの浅間神社に行ってみました。


 いまさら縁結びでもないのですが・・・神社の前に立ったら手を合わせてしました。


 一昨日(11日)の「境川の左馬神社巡り(その2)」の癖で軒下も撮ってしまいました。

 浅間神社の後ろから展望台に行けそうな道(散策路?)があったので行ってみることにしました。
 散策路の途中で数組のグループと行き違いになりました。未だ12時前だったので少し嫌な予感がしたのですが・・・

<マユミ>

 吾妻山公園の管理事務所の手前にご覧のような薄紅色の実(?)を沢山付けた木があつたので撮ってみました。


 ニシキギ科ニシキギ属のマユミで初夏に緑白色の花をつけ、秋には薄紅色の実になるみたいです。
 何とも色っぽい名前で”マユミさん何番テーブルへどうぞ”と言いたくなってしまいますね!

<パノラマ展望台>

 標高136.2mの吾妻山の山頂に着きましたが、辺りに人気が無いのが気になりますね!
 階段を上ると360°見渡せるパノラマ展望台があります。


 富士山を拝もうと思って展望台に上ってみましたが、ご覧のように雲がかかっていて富士山が何処にあるのか見当もつきませんでした(嫌な予感が当ってしまいました)。


 展望台にいる人もご覧のように少なく、何となく手持ち無沙汰のような感じがしました。


 他に撮るものも無かったので富士山の代わりに相模湾をアップで撮ってみました。


 眼下に広がる菜の花畑が素晴らしかったので相模湾と一緒菜の花畑を撮ってみました。
 展望台から芝生広場に降りて素晴らしい菜の花を堪能することにしました。

<芝生広場>



 見えない富士山をバックに芝生広場西側の素晴らしい菜の花畑を撮ってみました。


 ついでに菜の花のアップも撮ってみました。


 おまけに菜の花畑のアップも撮ってみました。画面一杯の菜の花もなかなか良いものですね!


 富士山と菜の花が一緒に撮れるいつものビュースポットから撮ってみたのですが今日はダメですね!


 しつこいようですが最後に見えない富士山(心の中では見えていました)をアップで撮ってみました。


 芝生広場の下の方から見上げるように広場を撮ってみました。


 芝生広場の下にあるローラー滑り台を撮ってから東屋の脇道を下って吾妻神社に行くことにしました。

<吾妻神社>

 境内に入ると昨年もあった左右の首なし地蔵(?)は健在でした。
 ところで右のお地蔵さんには首の代わりに何か白い物が乗っているのですが何を乗せているのか判りません。


 手水舎には前に来た時と同じように手ぬぐいが掛かっていました。手ぬぐいが掛かっている手水舎はこの吾妻神社以外見たことはありません。


 吾妻神社も縁結びの神様ですが今日はついていなかったので丁寧にお参りしました。
 ところで、吾妻神社の名は日本武尊の妃である弟橘媛命(オトタチバナヒメノミコト)の笄(こうがい)を山頂に埋め、「吾妻はや」と嘆いたことに由来するみたいです。


 鳥居をくぐってローラー滑り台の下にある山道(?)から帰ることにしました。


 山道を下ると直ぐに左側にローラー滑り台が見える筈なのですが一向に見えません(道を間違えたのかも知れません)。
 山道を10分位下ると東海道線と並行する道が見えてきたので吾妻山公園の別の登り口から出てきてしましまたことに気が付きました(やはり今日はついていませんね!)。


 山道を下り切ると右側に小さな祠(神明社?)があったので吾妻神社と関係あるかも知れません。


 神明社の先にも鳥居があったので若しかしたら下って来た山道は吾妻神社の参道だったのかも知れませんね!?
 又、道脇の案内板には『吾妻山公園 梅沢登り口』と出ていました。


 鳥居の脇に花がほころび始めた梅があったので記念に撮って二宮駅に向かいました。

 二宮駅前の中華(宝亭?)に入って遅い昼食を食べるこにしたのですが、定食ランチしかなく打上げも出来ず今日は飲まないで帰ることにしました(やはり今日はついていないですね!)。
 尚、万歩計は8,000歩を超えている程度で運動不足解消にもなりませんでした。
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境川の左馬神社巡り(その2)

2014年01月12日 | Weblog
 1月11日(土)は大喝!で気になっていた「境川の左馬神社巡り」のリベンジをしました。
 1月4日(土)の左馬神社巡りは、最後の飯田神社からはバスで相鉄線「いずみ野駅」に行ってしまったので今日は隣駅の「いずみ中央駅」から再スタートしました。
 尚、12社ある左馬神社の内、4日は4社回ったので今日は残りの8社全部は回ってみるつもりです。

<佐婆神社>

 「いずみ中央駅」から和泉川沿いに10分位北上すると左側に鳥居を見つけました(今日は幸先が良いみたいです)。
 尚、和泉川は境川の支流で横浜市戸塚区で境川に合流しています。
 

 横浜市泉区和泉町神田4811にある佐婆神社は相模の七鯖の一つで、祭神は源満仲です。源義朝でない別の祭神だったので調べてみました。
 源満仲(912年~997年)は、第56代清和天皇(858年~876年)の曾孫、清和源氏の祖と云われる源経基(未詳~961年)の嫡男みたいです。
 そして源満仲の子孫に源義朝(1123年~1160年)がいました。
 

 社殿の隣に横浜市の名木古木に指定されているタブノキの古木がありましたが、大きくて写真に入りきれませんでした。
 尚、奥に写っているのは相鉄いずみ野線の高架です。




 佐婆神社には由来板もなく何故このような名前が付いたのか判りませんが・・・
 佐婆神社は【お婆さん】と何か関係かるかも知れませんね?


 佐婆神社を後に今度は和泉川を南下して「いずみ中央駅」の駅前を通って中之宮左馬神社に向かいました。
 左に写っているのが「いずみ中央駅」駅前にある和泉中央公園です。


 和泉川沿いを10分位南下すると右側に公園があってその奥に池があると地図には出ていたのですが、池はご覧のような状態で草が生い茂っていました。池近くの説明板には桜川雨水調整池と出ていました。

<中之宮左馬神社>

 調整池から細い道を2~3分歩くと右側に鳥居が見えて来ました。


 鳥居の傍にある大きな杉の枝をリスが上っているのが見えたので撮ってみましたが残念ながら上手く撮れていませんでした。
 下から2番のやや大きな枝の略中央に頭を右にして小さく写っているのがリスですが・・・


 横浜市泉区和泉町3253にある中之宮左馬神社も相模の七鯖の一つで、祭神も源満仲です。


 中之宮左馬神社にも由来板がなかったので神社の名前だけ撮らせていただきました(上手く撮れていなくてすいません)。
 次は藤沢市高倉にある七ツ木神社に向かいます。


 社殿の脇にはご覧のような石碑(庚申塔や地神塔等)がありました。
 石碑の横に文久元年(1861年)と彫ってあって年代を感じさせますよね!


 石碑の横にご覧のような獣道(?)があって、来た道を戻らなくても相鉄いずみ野線を超えられそうなので行ってみることにしました。
 獣道を抜け出てから農道の霜柱を踏み締めながら暫く歩くと運よく相鉄いずみ野線を超えることが出来ました(ホッ!)。


 後は地図を頼りに県道18号線を超えて暫く歩いてから境川を渡りますが、境川が市境になっているので横浜市から藤沢市に移動したことになります。
 橋の上から境川を撮ってみましたがご覧のように護岸工事がやっと終った段階で整備はこれからですかね?

<七ツ木神社>

 中之宮左馬神社から40分位で藤沢市高倉1128にある七ツ木神社に着きました。


 階段を上ると正面に社殿と左にご覧のような大きな神楽殿がありました。




 七ツ木神社は相模の七鯖の一つではないのですが、祭神は左馬頭(さばかしら)源義朝でした。


 社殿の手前にご覧のような『サバ神社めぐり』の案内があって①~⑦を回ったことになります(エヘン!!)。
 ところで左馬神社の名前は左馬頭(さばかしら)から採ったみたいですよ!


 帰りがけに鳥居の手前の階段上に石碑が祀ってあったので行ってみました。


 左から「三笠山天皇」、「御嶽山座皇大神」、「八海山神皇」と彫られていたので三山の信仰碑ですかね?


 七ツ木神社を後に8番目の横浜市泉区下飯田1389にある鯖社に向かいました。
 途中、境川に架かるご覧のような美しい木製の渡戸橋(わたどはし)を渡って今度は藤沢市から横浜市に移動します。

<鯖社(下飯田左馬神社)>

 渡戸橋を渡って5分位道なりに歩くと年代を感じさせるような鳥居がありました。
 

 この鳥居を超えると二つ目の鳥居があって『鯖社』ではなく『左馬神社』となっていました。
 別の神社に来たかと思って後で調べたら以前は『鯖社』と云われていたみたいです。
 

 鯖社(下飯田左馬神社)は相模の七鯖の一つで、祭神は左馬頭(さばかしら)源義朝でした。


 次に藤沢市湘南台にある鯖神社に向かいますが、再び、境川を超えることになります。
 境川の遊歩道を30分位歩いた今田高架橋の下にご覧のような祠がありました。何故、こんな所に祠があるのか?ですね!

<今田鯖神社>

 鯖社(下飯田左馬神社)から40分位で藤沢市湘南台7-201(旧・今田上原201)にある鯖神社に着きました。


 鯖神社は相模の七鯖の一つではないのですが、祭神は左馬頭(さばかしら)源義朝でした。


 拝殿の手前に奉納されたご覧のような珍しい絵馬があったので撮ってみました。


 鯖神社にはご覧のような由来板がありました。それに依ると、『元禄15年(1702)当地井上瀬兵衛発起より造立、文政9年(1826)に再建、昭和8年(1933)に氏子中により本殿・拝殿が改築』とありました。
 ところで元禄15年と云えば赤穂浪士が吉良邸に討ち入りした年ですよね(関係ない? こりゃまた失礼しました)!


 鯖神社を後に今度は横浜市泉区和泉町にある鯖神社に向かいますが40位で行ける筈です。


 再々度境川を渡りますが今田遊水地の整備状況を撮ってみました。奥に写っているのが相鉄いずみ野線の高架です。
 後は境川を渡って横浜市立中和田南小学校を目指して進み県道18号に出れば後は南下するだけでした。
 ところが南小学校の近くにコンビニがあって小休止したら方向を間違ってしまい県道18号に出る前に南下してしまい広い今田遊水地の外れに出てしまいました(来た道をコンビニ迄戻らなけれならない失敗をしてしまいました)。
 県道18号に出たら密蔵院(宗教法人)の近くに鯖神社がある筈なのですがなかなか見つからず行ったり来たりしてしまいました。

<鍋屋鯖神社>

 結局、今田鯖神社を出てから1時間15分もかかって横浜市泉区和泉町705(旧・和泉町鍋屋705)にある鯖神社に着きました。しかも神社の裏山(?)から境内に入ってしまいました。




 鍋屋鯖神社は、相模の七鯖の一つで、祭神は源満仲です。
 取り敢えず軒下に掲げてあった『鯖大明神』は撮りました。




 裏山から境内に入ってしまったので申し訳ありませんが鳥居は帰りがけに撮らせて頂きました。
 これで相模の七鯖は全て回ったことになりましたが偉く疲れました。

 「境川の左馬神社巡り」も残り2社(佐馬大明神、佐波神社)になりました。次の佐馬大明神は県道403号線の近くにありそうなので帰りがけに寄ってみることにして更に境川の遊歩道を南下しました。

<境川遊水地公園>  

 途中に「県立境川遊水地公園」の案内板があったので現在地を確認します。上が南なので大分歩いたことになります。
 ところで境川遊水地は、今田遊水地、下飯田遊水地、俣野遊水地の3つの遊水地で構成されていて広さは約30haなので東京ドームの約30倍みたいですよ!
 案内板の先に「境川遊水地情報センター」があって休憩出来そうなので行ってみました。


 「境川遊水地情報センター」で小休止してから佐馬大明神を目指しました。
 閉園した横浜ドリームランドのホテルエンパイア(現・横浜薬科大学図書館棟)が近くに見える所まで歩いて来ました。
 ホテルエンパイアの左上にお月さんが見えたので一緒に撮ってみましたが・・・

 境川の遊歩道が県道403号線とぶつかる所に到着し、辺りを散策してみたのですが佐馬大明神を見つけることは出来ませんでした。
 歩き疲れたのと昼食も食べていなかったので佐馬大明神を探すのは諦めました(これは小喝ですね!)。
 それでも県道403号線から藤沢街道(国道467号線)に出て小田急線の六会日大前駅まではここから30分以上歩かないと着けません。

 40分近くもかかってしまいましたが、どうにか六会日大前駅に着きました。駅前でファーストフードに入って休憩しようと思ったのですが適当なとことがなく下車駅の大和駅のファーストフードに入って休憩してから帰宅しました。

 今回の「境川の左馬神社巡り」は12社中10社しか回れませんでしたがそれなりに満足しています。又、自宅近くに境川はあるのですが下流の境川の河川整備(境川遊水地、県立境川遊水地公園)の素晴らしさには驚かされました。
 ところで万歩計は28,000歩を超えていました(歩き疲れる筈ですよね!)。
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境川の左馬神社巡り

2014年01月05日 | Weblog
 新年明けましておめでとうございます。今年も宜しくお願いします。
 今年は午年なので境川沿いの左馬神社巡りに出かけてみることにしました。出かける前に、インターネットで左馬神社を調べたら12社もあって1日で回ることは厳しそうなのと、年末の大掃除でギックリ腰(?)になって腰が痛かったので行けるところまで行ってみることにしました。
 尚、左馬の由来は、馬には右から乗ると転ぶと云う習性があるため必ず左側から乗ること「左馬は倒れない」からきているみたいです。
 今回の左馬神社巡りは、最初に横浜市瀬谷区にある左馬社に参拝してから境川沿いを南下するコースにしました。

<左馬社>

 瀬谷区橋戸3丁目21にある左馬社は相模の七鯖の一つで、祭神は左馬頭(さばかしら)源義朝でした。


 鳥居の右の梵鐘があったので撮ってみました。この梵鐘は文久元年(1861年)に鋳造されたものが太平洋戦争で供出された為、昭和30年(1957年)に氏子の協力で現在の鐘が造られたものみたいです。




 拝殿にお参りしてから誰もいなかったので失礼して拝殿の奥も撮ってみました。


 帰りがけに鳥居の後を見たら『大正七年九月十日 建立』と彫られていたのでビックリしてしまいました。左馬社を後に大和市上和田にある左馬神社に向かいました。




 道すがら民家の庭先に寒桜(?)が咲いていたので撮ってみました。




 上和田の左馬神社の手前の民家の庭先にロウバイが咲いていたのでアップで撮ってみました。

<上和田左馬神社>

 瀬谷の左馬社から25分位で上和田1168にある左馬神社に着きました。ここの左馬神社も瀬谷の左馬社と同じ相模の七鯖の一つで、祭神も源義朝でした。


 ここにも梵鐘があったので撮ってみました。


 拝殿にお参りしてから大和市下和田の左馬神社に向かいました。


 上和田の左馬神社から下和田の左馬神社に向かう途中で富士山が見えたのでアップで撮ってみました。




 富士山が見える道の反対側に梅林があったので撮ってみましたが、蕾が開くにはもう少し暖かくならないとダメですね!


 途中から車の往来を避けて谷戸頭・谷戸緑地を通って下和田に行くことにしました。ご覧のような見事な竹林があったので撮ってみました。

<下和田左馬神社>

 上和田の左馬神社から1時間位で下和田1110にある左馬神社に着きました。


 鳥居をくぐると正面に拝殿らしい小さい建物がありました。


 ここの左馬神社にも右側に梵鐘があったので撮ってみました。


 拝殿らしい小さい建物の近くに行ってみると拝殿ではなく神楽殿でした。拝殿は神楽殿の後にあって『参拝順路』の案内が出ていました。


 『参拝順路』の案内に従って神楽殿の後ろに回るとご覧のような小さな拝殿(?)がありました。


 ここの左馬神社も相模の七鯖の一つで、祭神も源義朝でした。左馬神社と表記されるようになったのは近年のことで、それまでは鯖神社と云われていたようです。


 神楽殿にお尻を向けて拝殿を撮ってしまってケツ礼したので、今度は神楽殿の奥から参道を撮ってみました(正面に鳥居と左側に梵鐘が見えます)。
 下和田の左馬神社を後に横浜市泉区の飯田神社に向かいましたが、12時を回っていたので行く途中で食事処を探しながらに行くことにしました。

<飯田神社>

 結局、途中に食事処はなく30分位で横浜市泉区上飯田町2519の飯田神社に着いてしまいました。鳥居から拝殿までかなりの距離がある立派な神社でした。


 ここにもご覧のような立派な梵鐘があったので撮ってみました。


 飯田神社の由緒書きに依ると、この神社も相模の七鯖の一つで、祭神も源義朝でしたが、左馬神社との名前の関係は判りませんでした。
 ところで鎌倉幕府の初代征夷大将軍である源頼朝はあまりにも有名ですが、祭神として源義朝の名前が良く出てくるので調べてみました。
 そしたら何と義朝は頼朝の父親で、頼朝は三男と云うことが判りました。そして源義経は義朝の九男と云うことも判ってしまいました(勉強になりますね!)。




 鳥居の手前に由緒ありそうな庚申塔と7観音像があったので撮ってみましたが・・・

 腰が痛かったので飯田神社近くのバス停で座っていたら丁度バスが来て相鉄線の「いずみ野駅」行きだったので乗ってしまいました。
 「いずみ野駅」に行けば食事処があるかと思っていたら寿司屋があるだけで昼食が食べれそうな食事処はありませんでした。
 腰も痛く食事処もなかったので、ここから先の左馬神社巡りは別の機会に廻ることにしてしまいました(これは大喝ですね!)。
 結局、相鉄線で「湘南台駅」まで行って小田急線に乗り換え「大和駅」近くの食事処で一杯遣りながら遅い昼食を取って帰路につきました。
 それでも万歩計は20,000歩を超えていました。

 「境川の左馬神社巡り(その2)」に続く。
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