飲んでもブログ

飲んでいる時に付けたタイトルで間違いではありません。
趣味は山登りやハイキングとDVD映画の収集です。

等々力渓谷をぶらり(多摩川編)

2014年08月25日 | Weblog
 「等々力渓谷をぶらり」から続く。

<愛染桜>

 等々力渓谷遊歩道出口の「矢川橋」から谷沢川沿いを暫く歩く「愛染桜」の案内がありました。
 案内には、『この大島桜は溝呂木家の庭先に実生(みしょう)で発見され、30年で幹廻り1.7m、枝は10m四方に成長し最終的に世田谷区に寄付、そしてこの地に移植することになった。』とありました。
 ⇒ 戦前、田中絹代と上原謙主演のメロドラマ「愛染かつら」があったのですがこれと関係あるのですかね!?


 そんなに大きくない桜の木が近くにあったので撮ってみましたが、違っていたらすいません。


 ご覧のように整備された谷沢川を見ながら多摩川に向かいました。

<多摩川河川敷>

 「矢川橋」から10分位歩き、「多摩堤通り(都道11号線)」を越えると多摩川の河川敷に出ました。
 左側の土手の上が「多摩堤通り」、右側が多摩川ですが川に出れそうな道はありませんでした。

 当初の予定では多摩川を見ながら河川敷を散策しようと思っていたのですが、ご覧のような状態で、しかも河川敷ではバーベキューや花火が禁止になっていたので人っ子一人いませんでした。
 ここまで来て戻る訳にもいかないので、この道を東急東横線の多摩川駅まで歩くしかありません。
 

 途中、多摩川越しに頂上が平らな山が見えたので撮ってみました。方向的には富士山らしいのですが・・・


 雲で富士山の上の方が綺麗に隠れてしまったのか(?)取り敢えずアップで撮ってみました。
 ⇒ 富士山でなかったらすいません。でもこんな山があったら登ってみたいですね!


 暫く歩くと多摩川に出れそうな道があったので行ってみました。


 多摩川には出れたのですがロープが張ってあって川に降りることは出来ませんでした。


 仕方なく、元の道に戻って10分位歩くと、遠くに多摩川に架かる丸子橋が見えてきました。
 ⇒ 目標物が見えたので少しホッとします。


 ホッとしたついでに丸子橋をアップで撮ってみました。尚、雲の中にある白い点はゴミではなく飛行船です。


 更に10分位歩くと、河川敷はサッカー場や野球場になっていて丸子橋もはっきり見えるようになってきました。
 尚、奥に見えるこんもりした丘は「亀甲山(かめのこうやま)古墳」ですかね?


 こんな場所から丸子橋を撮る機会もないのでアップで撮ってみました。
 河川敷の道を更に進むと道は世田谷区から大田区に入りました。 ⇒ 境の目印を見たのは初めです。


 グラウンドを過ぎると川沿いに丸子橋に行けそうな道があったので行ってみることにしました。

<多摩川橋梁>

 暫く歩くと多摩川沿いの道に出て、丸子橋や多摩川橋梁が目の前に見えました。
 尚、一番手前が東急東横線の多摩川橋梁、丸子橋を挟んで、東海道新幹線とその奥に横須賀線の多摩川橋梁があります。


 東急東横線の多摩川橋梁を通る上りの電車が来たのでアップで撮ってみました。


 ついでに、東急東横線の多摩川橋梁の手前に堰堤(?)があったので撮ってみました。


 運良く、東海道新幹線の多摩川橋梁を通る下りの新幹線が通過したのでアップで撮ってみました。


 多摩川沿いの道を暫く歩いて堰堤まで来ると、堰堤の横に+6.0m以上の過去の洪水位が書いてありました。
 一番高いのは、昭和13.9.1洪水位+8.85mで、次は平成19.9.7と昭和22.9.15の洪水位+8.60mでした。
 洪水位のことは良く判りませんが、水位が標準よりこれだけ上がったと云うことですかね?


 堰堤を後に、東急東横線を超えて暫く歩いてから土手の上に登ると「多摩堤通り」に出ました。


 目の前の横断歩道の先には「多摩川治水記念碑」が建っていました。

<多摩川浅間神社(たまがわせんげんじんじゃ)>

 「多摩川治水記念碑」の後が「浅間神社」になっていたので行ってみました。


 急な階段を上りますが鳥居が四つもある神社も珍しいですね!
 鳥居の立て看板には『鎌倉時代創建の由緒ある神社』と書いてありました。


 境内に入って真正面から拝殿を撮ってみました。


 境内の右側にあった境内社でお参りをします。
 末社として『阿夫利神社、三峯神社、稲荷神社、小御岳神社』とあったのですが、稲荷神社は固有の神社ではない感じがするのですが・・・




 左側の社務所の屋上が展望台になっていて多摩川や丸子橋が一望できました。
 取り敢えず東急東横線の多摩川橋梁と丸子橋を撮ってみました。


 境内社の先に御神木の夫婦銀杏があったので撮ってみましたが、夫婦にしては離れ過ぎていませんか?
 ⇒ これは喝!ですかね? それとも付かず離れずが良いのですかね?




 拝殿で無事にここまで来れたお礼を兼ねてお参りをしました。




 拝殿の手前に大正3年10月吉日に建てられた狛犬がいたのでアップで撮ってみました。

<多摩川台公園>

 「浅間神社」の境内を散策してから東急東横線を超えて「亀甲山古墳」のある「多摩川台公園」に行ってみました。
 「多摩川台公園」は、「四季の野草園」⇒「水生植物園」⇒「亀甲山古墳」の順に回ってみることにしました。


 園内に入って暫く歩くとご覧のような階段があったので上ってみました。


 階段の上は調布浄水場の跡地で、現在は整備されて「四季の野草園」と「水生植物園」になっていました。
 尚、調布浄水場の「沈でん池」は「水生植物園」に、「ろ過弛」は「四季の野草園」になっていて、昔は多摩川の水を汲み上げて「沈でん池」から「ろ過弛」を通して浄水していたみたいです。






 「四季の野草園」はご覧のようになっていて今の時期は草花は咲いていませんでしたが、周囲は浄水場の跡が残っていました。
 「四季の野草園」から「水生植物園」に行けるレンガ造りの通路があったので行ってみました。




 「水生植物園」はご覧のようになっていて、奥に見えるのが「四季の野草園」へのレンガ造りの通路です。


 もう少しで花が開きそうな蓮があったのでアップで撮ってみました。
 蓮は花開く瞬間に、「ポン」という音をたてる様なので少し待っていれば聞けたかも? ⇒ これってホント?ウソ?


 「水生植物園」には魚はいないようで、大きななオタマジャクシとアメンボがいるだけでした。


 「水生植物園」を後に「亀甲山古墳」に行ってみました。
 「亀甲山古墳」に着いたのですが、ご覧のような広場になっていて案内板(左下隅)がなければ古墳だと気が付きませんでした。


 案内板には『国指定 史跡亀甲山古墳 この古墳は大田区から世田谷区におよぶ荏原(台)古墳群中で最大の前方後円墳である。発掘調査は行われておらず詳細は不明であるが・・・』と書かれていました。


 取り敢えず案内板に描かれていた平面図と側面図をアックで撮ってみました。
 現在位置から左が古墳の前方部(長さ41m)で右が後円部(直径66m)のようです。


 取り敢えず「亀甲山古墳」まで来たので下に見えた多摩川を撮って「多摩川台公園」を後にしました。

 これで等々力渓谷遊歩道出口の「矢川橋」から「多摩川台公園」まで約1時間30分掛けて散策したことになります。
 後は、東急東横線の多摩川駅近くの飲み屋で喉を潤してから帰ることにしました。

 今回の「等々力渓谷をぶらり」は、等々力渓谷だけでなくいろんな所を見ることが出来て大変満足しています。
 特に、「野毛大塚古墳」、「等々力不動尊」、「丸子橋と多摩川橋梁」、「多摩川浅間神社」は必見の価値はあります。
 又、万歩計は19,000歩近くになっていたので運動不足の解消にもなりました。
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等々力渓谷をぶらり

2014年08月24日 | Weblog
 8月23日(土)に東急大井町線の等々力駅の近くにあるに等々力渓谷を散策してみました。
 等々力駅から3分位歩いたところにある成城石井等々力店を越えると右側に等々力渓谷(とどろきけいこく)の遊歩道入口がありました。


 早速、案内板で現在地(右端)を確認します。等々力渓谷はここから谷沢川(やざわがわ)沿いに多摩川方面に歩くことになります。
 案内板には、『等々力渓谷は、武蔵野台地の南端を谷沢川が浸食してできた、延長約1kmの東京23区内唯一の渓谷です。』と記されていて書いて、横穴式古墳、不動の滝、日本庭園などの見所も沢山あるみたいです。
 尚、等々力渓谷は、平成11年3月に東京都指定名勝にもなっています。
 

 渓谷の遊歩道に降りる前に、渓谷に架かっている「ゴルフ橋」を撮ってみましたが普通の橋のようでした。
 名前が「ゴルフ橋」とは昔のゴルフ場の名残かも知れませんね!?


 <等々力渓谷入口>の案内が出ている階段を下ったところに渓谷はありました。


 階段を降りると目の前にご覧のよなアーチ形の「ゴルフ橋」が飛び込んできました。
 下から見上げる「ゴルフ橋」は趣があって素晴らしいですね!




 谷沢川沿いにご覧のような遊歩道を歩きますが、気温も周囲より若干低い感じがしました。


 川沿いにはご覧のように石を積み重ねた箇所もありました。




 途中からは谷沢川を左に見ながらの遊歩道になりました。


 遊歩道だけでなく谷沢川に生い茂った木々も撮ってみました。

<野毛大塚古墳>

 遊歩道の途中に<野毛大塚古墳 玉川野毛町公園 まで260m>の案内が出ていたの行ってみることにしました。


 階段を登って団地(公務員等々力宿舎?)の中を通って暫く歩くと古墳が見えてきました。
 古墳と云うと木々が生い茂った丘で案内板がないと古墳と判りずらいのですが、「野毛大塚古墳」はご覧のように整備されていました。


 しかも古墳の頂上に行ける階段も整備されていました。




 頂上に登ると埋設物(石棺以外に、鎧、甲冑、刀、勾玉など)があったところが白くなっていて、埋設物の絵も描かれていました。


 

 頂上から下にみえた古墳の輪郭跡を撮ってみました。周囲には復元した埴輪が並んでいました。


 別の角度から「野毛大塚古墳」を撮って遊歩道に戻ることにしました。


 再び、遊歩道に戻って暫く歩くとご覧のような潜水橋があったので渡ってみました。

<等々力渓谷3号横穴>

 小さな橋を渡ると広場があって立派な「等々力渓谷公園」の案内盤がありました。尚、時計は合っていませんでした。
 案内盤には、『「等々力」の地名は、渓谷内の「不動の滝」の音が響き渡り「轟いた」ところからついた、との言い伝えがあります。』と記されていました。


 案内盤から反対側の斜面を少し登ったところに「等々力渓谷3号横穴」がありました。




 3号横穴の内部がガラス越しに覗けたのでアップで撮ってみましたが上手く撮れませんでした。
 その代わり、解説板にあった内部の様子の描かれた絵をアップで撮ってみました。尚、奥行きは約13mあって内部は当時をそのまま再現しているようです。


 3号横穴があったので他に横穴がないかと思って先に行ってみると、1号横穴跡(左)と2号横穴跡(右)の石碑があるだけで横穴はありませんでした。
 3号横穴を後に、再び潜水橋を渡って遊歩道に戻りました。

<等々力不動尊>

 遊歩道を暫く歩くと「名勝 等々力渓谷等々力不動尊 境内」と記された木漂がありました。


 右の道を進むと入口近くにご覧のような珍しい手水がありました。


 手水で身を清めてからお堂の近くに行ってみると、稚児大師堂(ちごだいしどう)の御影堂でした。


 解説版には、『小さい手を合わせているお姿は、弘法大師の 幼いときの お姿です』とあったので、弘法大師の小さいときは稚児大師と云っていたみたいです。
 稚児大師に手を合わせてから御影堂を後にして遊歩道に戻りました。


 遊歩道に戻ると直ぐに橋(利剣の橋)があって、橋を渡ると左に稲荷神社と不動尊、その横には小さな滝も見えました。


 ご覧のような立派な「利剣の橋」を渡って近くに行ってみることにしました。


 稲荷神社(左)と不動尊(右)を撮ってみました。


 せっかく等々力不動尊に来たので不動尊をアップで撮ってみました。


 不動尊にお参りしてから右側の池に二筋の小さな滝があったので撮ってみました。
 等々力渓谷の最大の見どころの「不動の滝」ですかね!? ⇒ 他に滝を見なかったので間違いないと思いますが・・・


 取り敢えず水量が多い方の滝をアップで撮ってみました。
 等々力の地名はこの滝の水音に由来すると言われていますが昔と比べて水量が少なってしまっのですかね!?


 水量が多い方の滝の左上に御不動様がいたので撮ってみました。滝を見下ろす番人という感じですかね!?
 

 「不動の滝」の横に、正一位稲荷大明神と不動明王が祀られいたのでアップで撮ってみました。


 「不動の滝」を撮ってから石段を登って等々力不動の本堂に行ってみることにしました。
 石段の途中に、役行者(えんのぎょうじゃ)の神変窟があったので行ってみました。


 役の行者を神変大菩薩として祀ってあるらしのですがお顔は判りませんでした。尚、提灯に神変大菩薩と書いてありました。


 神変窟に下に小さなお堂があってガマガエル(?)のような石像が祀られていたのでこちらもアップで撮ってみました。


 石段を登っていると、石段の脇に剣のような石碑があったので撮ってみましたが由緒などは不明です。
 

 石段を登り切ると舞台(?)のような建物があって、この下をくぐると左に等々力不動尊の本堂がありました。
 何か裏口から境内に入ってしまったような感じがしたので、山門まで行って境内に入ることにしました。




 山門は「瀧轟山(りゅうごうざん)」になっていましたが、等々力渓谷で初めて「轟」の文字を見ました。


 山門をくぐって等々力不動尊の境内を撮ってみました。尚、本堂は正面にあります。




 本堂でお参りをしてから軒下を撮ってみましたが、鰐口(わにぐち)の両脇にご覧のような鈴(?)がありましたが初めて見ました。


 渡り廊下(?)のような通路があって、先の方に人が屯していたので行ってみました。
 尚、渡り廊下は通行止めになっていて上ることは出来ませんでした。


 そこは休憩所兼展望台になっていて皆さん下を見下ろしていました。
 展望台から撮った景色ですが、今の時期は木々が生い茂っていてご覧のような状況でした。
 境内を散策してから登って来た石段を下って「利剣の橋」を渡って遊歩道に戻りました。

<日本庭園>

 遊歩道を暫く歩くと右側に「日本庭園」があったので行ってみました。
 正門の脇に「日本庭園 周辺案内図」があったので取り敢えず庭園の全体を確認しました。


 正門の先は広々とした芝生広場になっていました。


 芝生広場の東側に書院があったので行ってみることにしました。


 書院の入口はご覧のようになっていて中々趣がある感じがしませんか?


 取り敢えず書院を撮ってから園路に沿って園内を散策します。


 園内には池もあったのですが干上がっていてご覧のような状態になっていました。


 園内にあった竹林を通って出口(かぶき門)に向かいました。
 

 「かぶき門」に着きましたが、名前からして「日本庭園」の正式な入口はこの門だったのかも知れません。
 「かぶき門」を撮って再び遊歩道に戻りました。

<矢川橋>

 取り敢えず「矢川橋」まで来たので等々力渓谷遊歩道の出口に着きました。
 又、約1時間30分かけて等々力渓谷を散策したことになります。

 この後、未だ歩き足りないのと時間があったので、このまま谷沢川沿いを歩いて多摩川まで行って川沿いを東急東横線の多摩川駅まで歩いてみることにしました。
 「等々力渓谷をぶらり(多摩川編)」に続く。
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富士宮の白糸ノ滝

2014年08月18日 | Weblog
 お盆明け(8月16日)に、運良く高速バスの予約が運取れたので「富士宮の白糸ノ滝(しらいとのたき)」に行ってきました。
 当初は新幹線で行くつもりでしたが、乗り換えのない高速バスで行くのもたまには良いかと思って行きは高速バスにしました。従って、行程は次のようになりました。
 東京駅八重洲南口(10:00)-(富士急行の高速バス)-白糸ノ滝(13:03)-(富士急静岡バス)-富士宮駅-(JR身延線)-富士駅-(東海道本線)-三島駅-(新幹線)-新横浜駅

 東京駅八重洲南口のバス乗り場の空席案内板は満員になっていたので人気の路線かも知れませんね?
 取り敢えずお弁当とビール(トイレが付いているのを確認)を買って高速バスに乗り込みました。隣の席が空いていたので途中から人が乗ってこなければ良いのにと変な期待をしてしまいました。


 途中、横浜インター付近で渋滞がありましたが、足柄SA休憩を含めても予定の30分位の遅れで「白糸の滝バス停」に着きました。
 「白糸の滝バス停」から観光案内所に向かいましたが、芝川に架かる県道414号線の権現橋から川の流れが素晴らしい上流方面を撮ってみました。尚、下流には「音止の滝」があります。
 ところで、途中から高速バスに乗り込んだ人はいたのですが、隣の席は空いたままだったのでゆったりしたバス旅になりました。
 又、「白糸の滝バス停」に着くまでに徐々に人が降りて最後は1人だけになってしまいました(高速バスで白糸ノ滝まで来る人はいないのかも?)。


 取り敢えず観光案内所に立ち寄って周辺案内図で現在地を確認します。
 観光案内所の階段を下って右の方へ行くと、「音止の滝」があり更に先に行くと「白糸ノ滝」がありました。


 観光案内所の階段の脇に石碑があったので撮ってみました。
 散策路に出ると、<音止の滝 150m>、<白糸ノ滝 400m>の案内が出ていました。


 散策路を暫く進むと左にご覧のような広場があって先の方に「滝の上展望台」の案内がありました。




 「滝の上展望台」から芝川の激流のアップを撮ってみました。霧雨(?)のせいか霞んでいました。


 「滝の上展望台」の先が「音止の滝」になっていますが、ここからでは滝が落ちているのか良く判りません。

<音止の滝(おとどめのたき)>

 「滝の上展望台」から少し歩くと「音止の滝」がありました。


 「音止の滝」を写真に撮る人でごった返していましたがどうにか撮ることが出来ました。


 落差25mの豪快な「音止の滝」をアップで撮ってみました。
 「音止の滝」には、『曾我兄弟の父の仇の工藤祐経を討つ相談をしていた際に、滝の音で声がさえぎられた為、しばし念じたところ滝の音が止んだ』と云う伝説が残っているそうです。


 「音止の滝」を後に、ご覧のような売店通りを通って「白糸ノ滝」に向かいました。

<白糸ノ滝>



 ご覧ような散策路を下って「白糸ノ滝」に向かいますが先の方は霧で霞んでいました。尚、「白糸ノ滝」はこの先にある
滝見橋(たきみばし)を渡ってから順路に従って下ったところにあります。


 散策路から見えた滝見橋も霞んでいました。
 

 滝見橋を渡る手前の見晴台に「白糸ノ滝」の説明板があったので撮ってみました。
 説明版には、『白糸ノ滝は、高さ約20m、長さ約150mにわたり馬蹄状に広がる崖面の各所から湧き出した水が、数多の白い糸を垂らしたように流れ落ちています。昭和11年(1936)に国の名勝及び天然記念物に指定されました。』とありました。


 滝見橋から正面に広がる「白糸ノ滝」を撮ってみましたが、辛うじて白い糸を垂らしたような滝が見えました。


 滝見橋を渡って別の角度から「白糸ノ滝」を撮ってみました。


 順路に従って滝の近くに行くと少し霧が晴れて「白糸ノ滝」が良く見えるようになりました。






 ついでに「白糸ノ滝」と滝壺のアップも撮ってみました。


 「白糸ノ滝」の近くに富士講の建てた『食行身禄』と記された石碑がありました。昔は、「白糸ノ滝」は修業の場でもあったみたいです。




 散策路の道路脇にベコニア(?)が咲いていたのでアップで撮ってみました。
 

 散策路の上の方から再び滝を撮って「白糸ノ滝」を後にしました。


 散策路の順路を外れて坂道を上ると、右側に「白糸ノ滝」の上部が見えたので撮ってみました。

<お鬢水(おびんみず)>

 坂道を暫く上ると広場になっていて右手奥に、『頼朝ゆかりのおびん水(鬢なで水)の由来』の案内が出ていました。
 鏡のような水面と云うことなので行ってみることにしまた。


 薄暗い階段を降りるとご覧のような池になっていて左奥に辨財天が祀られていました。


 取り敢えず鏡のような水面を撮ってみましたが・・・


 右手に小さな橋があったので渡ってみることにしました。
 橋の上から奥に見えた石碑(?)を撮ってみましたが、ここから見ても鏡のような水面にはなっていませんでした。


 小さな橋の先がどうなっているのか気になったので行ってみましたが行き止まりでした。
 帰りがけに別の角度から「お鬢水」を撮ってみました。


 「お鬢水」の崖の近くから「白糸ノ滝」が見えたので近くに行ってみました。


 取り敢えず滝をアップで撮ってみました。
 「お鬢水」と「白糸ノ滝」の位置関係が良く判らなかったのですが割と近くにあるようでした。

<曾我橋>

 「音止の滝」、「白糸ノ滝」、「お鬢水」と一通り見て回ったので観光案内所に行って一休みしてから「白糸の滝バス停」に向かうことにしました。
 観光案内所から目の前に「曾我橋」が見えたので行ってみることにしました。


 「曾我橋」からも芝川の上流方面を撮ってみました。上の方に写っている橋は来る時に立ち寄った権現橋です。

<曾我の隠れ岩>

 「曾我橋」を渡ると右手に「曾我の隠れ岩」がありました。
 大きな岩の足元の「曾我の隠れ岩の由来」には、『曾我兄弟(兄十郎祐成(すけなり)、弟五郎時致(ときむね))は、この岩に隠れ工藤祐経(すけつね)仇討ちの密談をしたと云われています。』と書いてありました。
 この辺りには「音止の滝」も含め曾我兄弟の伝説が残っていて面白いですね!


 「曾我の隠れ岩」を後に、ご覧のような農道を通って「白糸の滝バス停」より近い「芝山入口バス停」に向かいました。
 バス停に着くとバスが直ぐに来て、新富士行きの快速バス(?)に乗り込めました。
 このバスだと乗継なしで新富士駅から新幹線に乗れるのでとても運が良かったです(日頃の行いが良いからですかね?)。


 新富士駅には1時間10分位で着いてしまいました。
 新幹線の指定券を取って駅前にある居酒屋で飲みながら時間調整をしました。

 今回の「富士宮の白糸ノ滝」は、霧で霞んでいましたがそれなりに苦労して滝を見て楽しめたので満足しています。
 実は、バスを降りてから直ぐに「白糸ノ滝」を見に行ったのですが、霧で霞んでいて滝は殆ど見えませんでした。
 仕方なく、売店通りまで戻って一杯遣っていると少し霧が晴れて来たのでもう一度行ってみました(近いので直ぐ行けました)。結果的に、「白糸ノ滝」を往復したので万歩計は13,000歩を超えていました。
 機会があれば霧のない「白糸ノ滝」を是非見てみたいものです。
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あしがらの里滝めぐり(下棚・本棚編)

2014年08月04日 | Weblog
 昨日(1日)は19時頃から雷が鳴りだし暫くすると雨が降り出したのですが、中川温泉の旅館にいたのでどの位の雨が降ったのか判りませんでした。
 「洒水の滝」のハイキングで歩き疲れたのと夕食に日本酒を飲んだので早々と寝てしまいました。

 今日の「あしがらの里滝めぐり(下棚・本棚編)」のコースは次の通りです。
 中川温泉-(バス)-西丹沢自然教室-0:40-木のベンチ-0:15-下棚-0:30-本棚-1:25-西丹沢自然教室-(バス)-新松田駅

<中川温泉>

 昨日は早めに寝たのと上空にヘリコプターが飛んでいたので6時頃には眼を覚ましてしまいました。
 テレビのニュースで、『神奈川県山北町のキャンプ場「ウェルキャンプ西丹沢」内を流れる河内川で、1日の夜、家族4人が車ごと流され、母子2人は死亡し、残りの子供1人は行方不明』と報道していました(昨日の雨で河内川が増水したみたいです)。
 その関係で朝から捜索ヘリが飛んでいました。
 尚、「ウェルキャンプ西丹沢」は西丹沢自然教室の少し先にあるみたいです。


 旅館の脇を流れる河内川(こうちがわ)を撮ってみましたが、そんなに増水したようには見えませんでした。
 西丹沢自然教室までバスで行けるのか、又、河内川沿いを歩いて下棚・本棚の滝まで行けるのか不安だったのですが、取り敢えず行ける所まで行ってみることにしました。
 少し早めに旅館を出発して、辺りを散策してから「中川温泉入口」バス停に向かうことにしました。


 新湯之澤橋を渡って上流に架かっている湯の沢橋に行ってみることにしました。


 新湯之澤橋から河内川の上流方面を撮ってみましたが、川で水遊びをしている子供はいませんでした。


 湯の沢橋は、「通行制限」のご覧のような吊り橋(?)でした。


 湯の沢橋から河内川の下流方面を撮ってみました。尚、奥に写っている橋が新湯之澤橋です。


 上流方面も撮ってみましたが水嵩はそんなに多くありませんでした。
 湯の沢橋を渡ってから川沿いを歩いて「中川温泉入口」バス停に向かいました。


 「中川温泉入口」バス停は、県道76号線沿いの高い所にあって見晴が良いので辺りを撮ってみました。
 こちらは向かい側の山(馬草山?)で、麓には河内川沿いに公園(?)が広がっていました。
 尚、中央のやや下に東屋が見えるのですが、草が生い茂っていて開園しているのか不明です(公園への行き方も判りません)。 




 ついでに、昨日泊まった旅館と河内川の下流方面を撮ってみました。
 河内川にある大きな石は昨日もあったので大雨で流された石ではありませんよ!

<畦ヶ丸(あぜがまる) 西丹沢コース>

 バスはほぼ時刻表通りに来ました。
 途中、パトカーや消防車は見かけたのですが15分位で西丹沢自然教室に着きました。
 滝に行くのにも登山届が必要と云うことで提出することになりました(大袈裟な感じがしましたが・・・)。 ⇒ 初めての登山届提出なので少しドキドキしました。


 登山届を提出して辺りを見渡すと<下棚・本棚・畦ヶ丸>の道標がありました。
 尚、畦ヶ丸:4.8km、本棚:1.91kmとあったので、本棚は畔ヶ丸の大分手前にあることになりますね!
 又、『登山届はお済ですか? 滝へ行かれる方にもお願いしています。』と道標の下にも書いてありました。


 ご覧のような吊り橋を渡って出発しますが、途中で通行止めになっていないのを祈るだけです。


 取り敢えず吊り橋から河内川の河川敷を撮ってみましたが、人っ子一人いませんでした。


 吊り橋から少し歩くとご覧のような倒木が沢の脇に転がっていました(増水で流されて来たのですかね?)。


 河内川沿いを暫く歩くと滝が見えたので近くに寄ってみると滝ではなく堰堤(えんてい)でした。
 堰堤は、貯水・治水・砂防などの目的で、河川・渓谷を横断して造られた堤防です。




 堰堤を急な階段で越えると広い河原に出ました。右に見えるコンクリートの壁が堰堤の上部です。
 この先、幾つかの堰堤を越えますが、この堰堤越えが一番しんどかったです。


 河内川に架かる丸木の橋を渡ります。


 丸木の橋を渡って一番しんどかった堰堤方面の河原を撮ってみました。

 これ以降、河内川に架かる丸木の橋を何度も渡りながら岩場の山道を上ります。途中、丸木の橋から渓流や岩場の山道を撮りながら先に進みます。













 この場所は、冷気が来て涼しかったので小休止を取りました。又、砂地だったので渓流に手を入れることが出来、かなり冷たくて気持ち良かったです。


 第三堰堤を越えるのですが、ここはあまりしんどくありませんでした。


 堰堤の上から下を見下ろすと小さい河原になっていました。


 河原の右側斜面が風の通り道になっているのか凄い冷気を感じました。


 山道のいたる所にご覧のような道標<畦ヶ丸、西沢出合>はあるのですが、下棚・本棚は出ていませんでした。


 暫く歩くと、遠くに「小さな滝」が見えたので滝の近くに行ってみました。




 「小さな滝」の滝壺をアップで撮ってみました。 ⇒ 滝壺に入ることが出来ればさぞ気持ち良かったでしょうね!






 小さな滝を後に、岩場の山道や丸木の橋を渡って更に先に進むと、鎖の付いた山道になりました。


 鎖の付いた山道を上り切ると、そこは第4堰堤(西澤堰堤)になっていて石積みの壁には銘文がありました。


 銘文は、『西澤堰堤 竣功昭和八、一二月・・・内務省東京土木出張所』と読めましたが、”内務省”とは時代を感じさせますよね!

<木のベンチ>

 第4堰堤を後に暫く歩くと、やっと「木のベンチ」に到着しました。
 西丹沢自然教室からは1時間20分近くも掛かってしまいました。
 



 「木のベンチ」で休憩した後、ご覧のような植生保護柵を左に見ながら「下棚」に向かいます。


 「木のベンチ」から暫く歩くと分岐点の下棚沢出会に着きました。
 ここに来るまで、道標には「畦ヶ丸」しか出ていなかったので「下棚」があってホッとしました。


 道標に従って沢の岩場の山道を進みます。


 途中、昨日の大雨で登山ルートの赤い目印の木が倒れていて「下棚」まで行けるのか心配になります。 

<下棚(しもんたな)>

 「木のベンチ」から10分位で「下棚」に着きましたが、辺りに人影はありませんでした。


 滝の下は昨日の大雨でご覧のような状態で、滝の正面に行くことは出来ませんでした。




 取り敢えず、「下棚」のベストショットと滝のアップを撮ってみました。
 尚、旅館で作って貰ったお弁当は2時間以内に食べて下さいと言われていたので、少し早かったのですが滝をバックに昼食を取ることにしました。

 昼食も食べ人心地付いたので、分岐点の下棚沢出会まで戻り、畦ヶ丸方面に行って次の本棚沢出会を目指します。

 分岐点の下棚沢出会からは、再び丸木の橋を何度か渡ることになります。







 丸木の橋にはロープが付いていて増水しても橋が流されないようになっていました。


 下棚沢出会からは15分位で分岐点の本棚沢出会に着いてしまいました。


 「本棚」に向かう途中の沢の山道の左側に、ご覧のような大きな岩の割れ目から清水が湧き出ていて珍しかったので撮ってみました。

<本棚(ほんだな)>

 「下棚」からは予定通りの30分で「本棚」に着きましたが、ここも人影はありませんでした。


 滝が枯れてしまったのか、アップで撮っても「本棚」はご覧のような滝でした。


 沢を渡れば、滝が間近で見えそうなので思い切って沢を渡ってみることにしました。
 ⇒ 結局、滑って片方の足元は濡れてしまいました。


 沢を渡ると、背後にご覧のような滝が流れ落ちていて、こちらが探していた「本棚」でした。
 ⇒ 濡れることを覚悟で沢を渡らなければ「本棚」は見つけられませんでした(ホッ!)。






 「本棚」の正面には行けないので、沢を渡った場所から流れ落ちる滝の上部と滝のアップを撮ってみました。

 これで「本棚」も見たので後は、岩場の山道を注意深く下り、西丹沢自然教室に戻るだけになりました。


 途中、「小さな滝」で滝壺に入って遊んでいる子供達のグループもいました。


 西丹沢自然教室の前にある吊り橋の下の河川敷で川遊びをしている子供もいました。


 「本棚」からは1時間10分位で「西丹沢自然教室」に戻って来てしまいました。
 登山届を提出したので西丹沢自然教室で下山の報告をして、後は新松田駅行きのバスを待つだけになりました。

 帰りは、何時ものように新松田駅前の居酒屋で反省会を遣って小田急線のロマンスカーで帰りました。

 今日の「あしがらの里滝めぐり(下棚・本棚編)」は、昨日の「あしがらの里滝めぐり(洒水の滝編)」より歩いた感じがしたのですが、万歩計は11,000歩を超える程度でした。
 夏場のハイキングは、炎天下よりは木陰の多い山道や渓流沿いを歩く方が涼しくて良いですね!
 何れにしても、今回の「あしがらの里滝めぐり」は大変満足したので、機会があれば他の「滝めぐり」もしようと思っています。
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あしがらの里滝めぐり(洒水の滝編)

2014年08月03日 | Weblog
 8月1日(金)~2日(土)に昔の仕事仲間と、「あしがらの里」の「洒水の滝」と「下棚・本棚」に行って来ました。
 5月に金時山ハイキングに行った時に、「あしがらの里滝めぐり」の一つの「夕日の滝」が素晴らしかったので機会があれば「滝めぐり」をしたいと思っていました。

 「洒水(しゃすい)の滝」へは、行きはJR御殿場線山北駅の駅前から河村城址公園を通って(約1時間10分)、帰りは県道726号線からJR山北駅(約35分)に戻って来る予定です。

 JR山北駅までは小田急線新松田駅から富士急湘南バスで行くことにしました。
 JR山北駅の駅前にある山北町観光協会で「やまきたお散歩マップ」を貰い、「洒水の滝」のハイキングコースを確認しました。

<鉄道公園>

 山北駅東側にある陸橋を渡り右に行くと鉄道公園がありました。
 鉄道公園にはJR御殿場線で活躍したSL(D5270号)が展示してありました。
 



 SL内部の気圧計とお釜があったのでアップで撮ってみました。

<盛翁寺>

 鉄道公園を後に、国道246号線を超えて河村城址公園に向かいました。
 途中に盛翁寺の上り参道(?)があったので行ってみることにしました。


 参道の左にあった石碑には萬霊寺(?)と彫られているのですが?
 ⇒ 後で調べたら、萬霊等(ばんれいとう)の誤りで三界萬霊等ともいい、全ての世界の精霊を集め、それらを供養するものらいしいです。


 参道を上り切ると観音堂の前に「廣澤山 盛翁寺」の石柱が立っていて、右手奥に本堂がありました。




 取り敢えず、本堂で無事に「洒水の滝」まで行けるようにお参りをしました。


 盛翁寺に参りしてから坂道を戻り、途中でご覧のような石碑のあるところを右に曲がります。 ⇒ 石碑には南無阿弥陀仏(?)と彫ってあるのですかね? 

<河村城址歴史公園>

 石碑から舗装された道を5分位歩くと、ご覧のようなルートマップがありました。
 現在地から河村城跡を通って「洒水の滝」までの詳しくルートが載っていました。又、河村城址公園には、茶臼郭、本城郭、蔵郭、馬出郭などの郭があってどんな所なのか楽しみです。


 ご覧のような急な山道を上って河村城跡に向かいました。


 道なりに山道を暫く上ると案内が出ていて、急な階段を登る(本城郭への)近道と直進する道(茶臼郭、本城郭)があったのですが、体力温存のために直進することにしました。


 山道を暫く上るとまた案内があって階段を上ると茶臼郭(ちゃうすくるわ)があったので行ってみることにしました。
 茶臼郭に着いたのですが、石碑が置いてあるだけで郭の大きさは良く判りませんでした。
 

 取り敢えず石碑を撮ってから山道に戻り河村城跡に向かいました。






 山道の右側に「お姫井戸」や「畝堀(うねぼり」があったのですが、草が生い茂っていて良く判りませんでした。
 尚、手前にある「畝堀」の説明板には、『敵の侵入を困難にしようと堀底を畝で区切ったもの』と書いてありました。


 先程の(本城郭への)近道の階段を上から撮ってみましたが、ここから見るとかなり急な階段でしたね!


 山道を暫く上ると河村城址公園の入口に着きました。


 早速、河村城址公園の右手にあった河村城址碑と社(?)の近くに行ってみました。


 取り敢えず社をアップで撮ってみました。




 社をお参りした後、河村城址公園の南方面(本城郭、馬出郭)を撮ってみました。
 手前の石にはご覧のように10個以上の郭の名前が書かれていました。


 本城郭(ほんじょうくるわ)から北方面(河村城址碑、社)を撮ってみました。


 本城郭の左手(東方面)に比較的新しい木橋があったので行ってみることにしました。
 木橋の下の説明板には、『本城郭と蔵郭の間にあった堀切を維持管理するために架けた現代の橋』とありました。


 木橋を渡って暫く歩くと蔵郭(くらぐるわ)がありましたが、大きさや何処にあったのか判りませんでした。
 説明板には、『東西約70m、南北約30mの長楕円形の郭で、西に本城郭、東に近藤郭があります。』と書かれていました。


 蔵郭の前の散策路を更に先まで行ってみましたが、途中で工事中(?)なのか通行止めになっていました。
 仕方なく来た道を本城郭まで戻ることにしました。
 

 本城郭に着くと、南の方に運良く洒水の滝 方面 の案内を見つけることが出来ました。
 ご覧のような山道で不安でしたが行くしかありません。


 山道を暫く下るとルートマップにあった馬出郭(うまだしくるわ)に着きました。
 後はこの山道を下るだけになりました(ホッ!)。

<高瀬橋>

 山道からバスが通る一般道に出て20分位歩くと酒匂川(さかわがわ)に架かる高瀬橋に着きました。


 高瀬橋から酒匂川の上流方面を撮ってみました。上流の見えるアーチ橋は東名皆瀬川橋ですかね?




 ついでに高瀬橋の上から下流方面も撮ってみました。酒匂川に流れ込んでいる手前の川の名前は?です。


 高瀬橋から5分位歩くと今度は屋久野橋(やくのばし)に着きました。


 屋久野橋の下を流れる川の名前は判りませんが、ご覧のように水量はかなり多いです。
 

 屋久野橋を渡ると右側に可愛らしい社(?)があったので撮ってみました。

<洒水の滝散策路>

 県道726号線に出て左に暫く歩くと<洒水の滝 入口>の案内が出ていました。


 県道726号線を渡って、歩行者専用散策路を通って「洒水の滝」に向かいます。




 「洒水の滝」が流れ落ちる滝沢川を眺めながら散策路を進みます。


 散策路からご覧のような滝が見えますが「洒水の滝」ではありません(念のため)。 


 散策路の左に「丹沢山別院 最勝寺」への参道階段があったので上ってみることにしました。
 

 階段を上ると境内はご覧のようになっていて、本堂前の階段両脇には約300体の「水かけ地蔵尊」が祀られていました。




 本堂に無事にここまれ来れたお礼をしました。


 境内に狗留尊仏如来(くるそんぶつにょらい)の碑があったので撮って最勝寺を後にしました。


 最勝寺から散策路に戻ると、目の前に「洒水銭洗弁財天」がありました。
 「霊験由来」の最後に、『この弁天様に祈願を掛け、硬貨二個を池に投じ一個を種銭として所持すると、財宝が増し家運隆盛、諸願成就となる。』と書いてあったのですが、池がなかったので銭を洗うことは出来ませんでした。


 「洒水銭洗弁財天」を後に暫く歩くと「洒水の滝」の碑がありました。
 「洒水の滝」は、「日本の滝百選」に選ばれていて、昔は「平山の滝」、又は「麗水の滝」と呼ばれていたみたいです。
 又、「洒水の滝」は三段(三の滝:29m、二の滝:16m、一の滝:69m)になっていて、一番下の「一の滝」が見えるようです。


 洒水公園を右に見ながら更に散策路を進みます。
 ところで、10年前位に来た時は、この辺りから滝のマイナスイオンを感じたのですが今日は何故か感じませんでした。


 「幸せダルマ」の隣りにご覧のような滝があったのですが、これも「洒水の滝」ではありません(念のため)。

<洒水の滝>

 やっと目の前に「洒水の滝」が見えてきたのでアップで撮ってみました。
 散策路の入口からここまで来るのに20分近くもかかってしまいました(途中、寄り道をしたので止むを得ませんよね!)。


 「名水百選洒水の滝」の案内があったので「洒水の滝」は「日本の滝百選」だけでなく「名水百選」にも選ばれているみたいです。
 柄杓もあったのですが、『この水は湧水です。消毒はしていません。』と書いてあったので飲むのは止めにしました。






 「洒水の滝」の赤い橋のところまで行ったのでが、『危険 落石あり この先侵入禁止』となっていたので残念ながら先に行くことは出来ませんでした。




 取り敢えず「洒水の滝」をアップで撮って、散策路を戻ることにしました。
 帰りがけに、滝に一番近いお店(茶房さざれ石?)に立ち寄ってビールを飲んで喉を潤そうと思ったのですが残念ながら閉店していました(10年前に来た時はこのお店で飲みました)。
 代わりに、洒水の滝入口近くにあった「みっちゃん食堂」で喉を潤しましたが、JR山北駅からのバス時間に間に合わせる都合で長居は出来ませんでした。


 「みっちゃん食堂」で喉を潤してから炎天下の県道726号線を通ってJR山北駅に向かいます。
 途中、ご覧のようなを見事な樋口橋を渡ります。


 樋口橋から東名皆瀬川橋が見えたのでアップで撮ってみました。
 樋口橋を渡ってから樋口橋交差点を右折して、県道76号線からJR山北駅に向かいます。


 県道76号線に出てJR御殿場線の跨線橋を渡って直ぐの道を右折、御殿場線を右下に見ながら10分位歩くとJR山北駅に着きました。
 所要時間約35分のところが25分位で着いてしまいました。
 

 バスの時間に十分間に合ったのでJR山北駅の駅前を撮ってみました。駅前の様子とレトロ調のバスは昔のままでした。


 木造二階建の「タケイ美容院」が懐かしかったのでアップで撮ってみました。

 この後、「西丹沢自然教室」行きのバスに乗り途中の「中川温泉」で下車して今日は一泊します。
 明日は、「中川温泉」からバスで終点の「西丹沢自然教室」まで行き、「下棚・本棚」の滝めぐりをする予定です。
 尚、今日は大して歩いていないので、万歩計は14,000歩を超えている程度でした。

 「あしがらの里滝めぐり(下棚・本棚編)」に続く。
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