飲んでもブログ

飲んでいる時に付けたタイトルで間違いではありません。
趣味は山登りやハイキングとDVD映画の収集です。

小田原宿場祭り(第3回)

2018年09月30日 | Weblog
 9月29日(土)は、「小田原かまぼこ通り」でイベント「第3回 小田原宿場祭り~300畳敷で大宴会~」があって、「小田急まなたび」で募集をしていたので申し込んで(3,100円/人)みました。
 尚、申込者にはイベント会場で「枡」と「かまぼこ引換券」が貰えます。

 朝起きると小雨が降っていたのですが、小雨決行なので行ってみました。
 小田原駅までは特急ロマンスカーで行きましたが、小田原駅には11時頃着きました。

<おしゃれ横丁>

 小田原駅東口から出て、ご覧のような「おしゃれ横丁」を通って国道に出ることにしました。
 「おしゃれ横丁」にロケットのような飾り物があったのを初めて知りました。


 折角なのでアップで撮ってみましたが、昔からあったかどうかは分かりません。
 多分、雨が気になっていて上を見ながら歩いていたからかも知れませんね!?

<宿場祭り会場>

 国道1号線に出て10分程歩くと、宿場祭り会場近くの「なりわい交流館」の前に着きました。


 横断歩道を渡る前に、宿場祭り会場の前に置いてあった酒樽を撮ってみました。


 横断歩道を渡ると、目の前に説明案内板「小田原宿なりわい交流館」があったので撮ってみました。


 説明案内板には、『この施設は、昭和7年に建設された旧網問屋を再整備し、市民や観光客の皆様の「憩いの場」として、平成13年9月に開館しました。・・・』と書いてありました。


 又、出桁造り(だしげたづくり)の説明『柱の上に載せた太い桁を店の前面に何本も突き出し、そこに軒や屋根を載せた江戸時代から続く伝統的な商家の建築方法』が載っていました。


 「小田原宿なりわい交流館」の前を通って、宿場祭り会場のある「小田原かまぼこ通り」に行ってみました。
 小雨が降っているので、300畳(?)の畳が敷いてあるテントが並んでいました。


 取り敢えず、「小田急まなたび」の受付に行って「枡」と「かまぼこ引換券」を貰いました。


 このテント内にも椅子の席があったのですが、座れそうにないので諦めました。




 テント内に、アメ細工やスマートボール(?)が置いてあったので撮ってみました。


 ご覧のように小雨が降っていますが、「かまぼこ通り」に出て畳の席を探すことにしました。


 畳の席は一見空いてそうに見えますが、枡酒のお代わりで席を離れている場所でした。
 奥の方が、お代わりの枡酒を注いで貰えるコーナーになっています。


 結局、ステージ近くの場所にしましたが、お代わりの枡酒を注いで貰えるコーナーからは遠くなりました。


 取り敢えず、席が確保出来たので、受付で貰った三勺枡(お猪口一杯分?)を撮ってみました。
 ところで、枡酒は神奈川の13蔵元の日本酒が飲み放題、蒲鉾は小田原かまぼこ店12軒の食べ比べが出来ます。

 早速、「かまぼこ引換券」で蒲鉾(一皿)を貰ってから、枡酒を貰いに行ってみました。
 枡酒は三勺枡で飲むのでアッと言う間になくなってしまい、雨の中、傘をさして何回も足を運ぶのはしんどいです。


 暫くすると、ステージでフラダンスが始まったので撮ってみました。




 折角なので、アップでも撮ってみました。


 ついでに、反対側も撮ってみましたが、ご覧のように立錐の余地もありません。






 枡酒を注いで貰えるコーナーに行って、立ち飲みで日本酒を飲んでみました。






 テント内も少し落ち着いて来ましたが、今度はテントの端に溜まっていた雨が、テントとテントの間から落ち始めました。
 これ以上、テントの中に座っていても仕方がないので、別の場所(お寿司屋さん?)で飲み直すことにしました。


 「なりわい交流館」の横に出ると、江戸時代の東海道筋の通り町「みやのまえちょう(宮前町)」の石柱があったので撮ってみました。
 この辺りは、小田原城の城下町だった名残りがあるのですね!

<松原神社>

 国道1号線を歩いていると、右側に松原神社があったので行ってみました。


 松原神社の入口に散策コースの案内板があったので現在地を確認しました。


 取り敢えず、松原神社の社号標と鳥居を撮ってみました。


 橋の上から、ご覧のような池が見えたので撮ってみました。
 

 取り敢えず、一ノ鳥居を撮って境内に入ります。


 二ノ鳥居と一緒に手水舎を撮ってみました。


 手水舎には、ご覧のような「左三つ巴」の神紋があったので撮ってみました。


 手水舎の右側に、ご覧のような神庫があったので行ってみました。


 神庫に、御神輿が置いてあったので撮ってみました。


 近くに、立派な古札焚上所があったので撮ってみました。


 参道の左側に、松原神社社誌があったので撮ってみました。
 松原神社社誌に依ると、御祭神は、日本武尊(やまとたけるのみこと)、素戔嗚尊(すさのおのみこと)、宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)で、創建は、時期は不明だが近衛天皇久安年間(1145~1150年)の勧請と言われています。


 取り敢えず、拝殿をバックに二ノ鳥居を撮ってみました。


 二ノ鳥居の手前に、ご覧のような「吉兆(きっちょう)の大亀」がいたので撮ってみました。


 説明案内板には、『天文14年(1545)3月、小田原の海岸に現れた大亀を土地の者が当社の池に持参したところ、小田原北条三代当主氏康は、これを聞き、吉兆なりとて参詣し舞を奉納した。果たして、翌天文15年、関東管領上杉軍8万の兵を、わずか8千の兵で見事に破り【河越夜戦】、念願の関八州の平定に成功した。・・・』と書いてあって、ご利益がありそうなのでアップで撮ってみました。


 二ノ鳥居の先に、立派な拝殿があったので撮ってみました。








 右側に、ご覧のような境内社があったので撮ってみました。


 又、左端にあった石碑には”代々木八幡神社”と刻まれていました。


 取り敢えず、拝殿に行ってお参りをすることにしました。


 お参りしてから扁額を撮ってみましたが、上手く撮れていなかったのでアップしませんでした。
 尚、扁額は”松原神社”となっていました。


 雨で水溜りが出来ていましたが、折角なので拝殿の後ろに行ってみました。




 蓋のあるご覧のような物があったので撮ってみましたが何でしょうね!


 又、ご覧のような塔も建っていましたが、横には鳶消防記念会と刻まれていました。


 拝殿の正面に戻って来たので、反対側から鳥居を撮って参道を戻りました。


 ご覧のような橋を渡って、松原神社を後にしました。


 松原神社の向かい側に、二階建ての古びた家(旅籠?)があったので撮ってみました。


 正面からも撮ってみましたが、人は住んでいないようでした。

<寿司屋に向かう>

 国道に戻って小田原駅に向かって歩いていると、ご覧のような鐘楼が見えたので行ってみました。


 鐘楼に着きましたが、鐘楼には上がれなかったので下から撮ってみました。


 江戸時代の大手門跡の石垣をアップで撮ってみました。


 又、鐘楼をアップで撮ってみましたが、朝夕6時には時を告げているみたいです。


 国道1号線が直角に曲がる角に、ギリシア建築様式のような建物があったので撮ってみました。
 看板には、中央労働金庫の小田原支店と出ていました。
 ⇒ 後で調べたら、元々は明和銀行の本店として昭和3年(一説には大正末期)に建設されたようで、その後、横浜銀行から神奈川県労働金庫へ移り、平成13年の労金統合により現在に至っていました。


 国道を歩いていると、建物が国の有形登録文化財に指定されている「だるま料理店」があったので撮ってみました。




 店前に達磨さんとお多福さんがいたので撮ってみましたが、昔は両方ともいませんでした。

 お寿司屋さんに着いたので、特急ロマンスカーの時間まで腰を落ち着けて飲むことが出来ました。

 今回の「小田原宿場祭り(第3回)」は小雨だったので、テントの中で落ち着いて日本酒を飲むことが出来なかったのが残念です。
 只、小田原はお城以外にいろいろ見る所があるのが分かったのは収穫でした。
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ミステリーバスツアーに参加

2018年09月25日 | Weblog
 9月24日(祝)は、小田急トラベルが主催している「日帰りバスツアー」に参加してみました。
 この「日帰りバスツアー」は、何処に行くかはバスが到着するまで分からない旅行で、10月もこの企画が予定されているので、ブロブも最初の出発地と到着地だけにしました。


 「日帰りバスツアー」の参加者は約45人で、時間通りに本厚木駅を出発しました。

<EXPASA談合坂>





 EXPASA談合坂で最初の休憩を取りました。


 近くに、ご覧のようなドックランがあったので撮ってみました。

<田原の滝(たはらのたき)>

 出発してから1時間程で、最初の目的地「田原の滝」に着きました。
 早速、佐伯橋から滝を撮ってみましたが、滝が流れ込んでいるのは桂川です。


 折角なので、アップでも撮ってみました。
 川岸の絶壁は、富士の溶岩が急激に冷却凝固して出来た「柱状節理(ちゅうじょうせつり)」です。


 佐伯橋の中程に行って、正面から「田原の滝」を撮ってみることにしました。




 「田原の滝」を正面からアップで撮ってみました。
 滝の上には富士急大月線が通っていので、電車が来ればベストショットでしたね!
 尚、「田原の滝」は、松尾芭蕉が『勢ひあり 氷消えては 瀧津魚』と詠んでいます。


 右側の岸壁も「柱状節理」になっていたのでアップで撮ってみました。


 佐伯橋を渡ると、名勝「田原の滝」の説明案内板があったので撮ってみました。
 説明案内板には、『・・・かつては二段の滝であったが、明治31年に両岸が崩れて一段の滝となり、さらに関東大震災以降も崩壊が続き、上流に約30m後退した。・・・』と書いてありました。


 又、左側には松尾芭蕉と句碑が建っているご覧のような公園(?)がありました。


 取り敢えず、句碑を撮ってみましたが、読むのが難しい状態になっていました。


 句碑の手前に、ご覧のような姿で松尾芭蕉が座っていたので撮ってみました。


 公園から佐伯橋が見えたので撮ってみました。

<田原神社>

 公園の後ろに、田原神社があったので行ってみました。


 手水(?)があったので撮ってみました。


 取り敢えず、狛犬と一緒に拝殿を撮ってみました。


 拝殿で、今回のミステリーツアーの安全祈願を兼ねてお参りをしました。


 お参りしてから、拝殿の奥にあった本殿を撮らせて頂きました。


 桜の鬼紋が珍しかったので、扁額と一緒に撮ってみました。


 田原神社の手前に、ご覧のような滝下不動尊(?)があったので撮ってみました。




 佐伯橋から絶景の「田原の滝」を撮ってバスに戻りました。

<ブドウ畑>



 「田原の滝」を後に、バスはご覧のようなブドウ畑の中を走ります。

<信玄館>

 バスが出発すると1時間程で、昼食を食べる信玄館に着きました。
 信玄館の入口には、ご覧のような武田信玄公が座っていました。
 尚、信玄館の向かい側には、武田信玄の菩提寺の恵林寺があります。




 2階の食事処に、武田信玄出陣式「三献の儀」があったのでアップで撮ってみました。

 昼食を食べてから、あまり時間はなかったのですが向かい側の恵林寺に行ってみました。

<恵林寺(えりんじ)>

 恵林寺は、黒門、四脚門、三門がある大きなお寺ですが、横から境内に入ると三門の先にある開山堂の横に出れました。
 左側に、ご覧のような三重塔(佛舎利宝塔)があったので撮ってみました。




 時間がなくてお参りは出来ないのですが、甲州市指定文化財の開山堂の外観を撮ってみました。


 参道の右側にあった庭園を撮って、バスに戻ることにしました。


 帰り掛けに三門が見えたので撮ってみましたが、四脚門(赤門)が後ろの方に見えました。


 又、開山堂の背後に本堂(?)の屋根が見えたので撮ってみました。


 恵林寺を後に、ご覧のような信玄館の入口を通ってバスに向かいました。

<勝沼庭園>

 バスが出発すると30分程で、ご覧のような看板が出ている勝沼庭園に着きました。


 コスモス畑は右の方にありますが、一行は左に方に行きました。


 庭園の手前に、ご覧のような記念撮影用の台が置いてあったので撮ってみました。


 庭園の横の通路に、ステビアが植えてある鉢が置いてありました。
 係りの人が、『葉っぱを取って食べて下さい。』と言うので食べてみると、とても甘かったです。




 庭園に、ご覧のような池があったので撮ってみました。


 庭園の池に架かっている橋を渡って一行は先に進みます。


 橋を渡ると池の後ろに出たので、改めて池を撮ってみました。


 花を持っている美女がいたので撮ってみました。


 又、ご覧のような大きな鉢があったので撮ってみました。


 池に、ご覧のようなオブジェがあったので撮ってみましたが、何を意味しているのでしょうね!?


 ご覧のようなコスモス畑がありましたが、コスモス摘みが出来る畑ではなさそうです。








 取り敢えず、コスモスをアップで撮ってみましたが、見頃は過ぎている感じがしました。




 別の場所にも、ご覧のようなコスモス畑があったので撮ってみました。




 又、珍しい赤いソバの花が咲いていたのでアップで撮ってみました。

 係の人の話を聞きながら、一行はハーブランドショップに向かいました。




 紫色のハーブ(?)が咲いている庭があったので撮ってみました。


 ハーブの手前に、未だ赤くなっていませんがコキアがあったので撮ってみました。


 折角なので、コキアをアップで撮ってみました。


 急いで一行の後を追いかけると、綺麗な薄紫色の花が咲いていたので撮ってみました。


 アップでも撮ってみましたが、名前が分かりません。


 ついでに、彼岸花も咲いていたので撮ってみました。




 ブルーベリーの説明案内板のある場所に着きましたが、食べられそうなブルーベリーはありませんでした。


 小さな実が生っていたので撮ってみましたが、ブルーベリーの原種だと言っていました。




 池の傍に着いたので、橋を渡ってハーブランドショップに向かいました。
 尚、奥に見える橋は、来る時に渡った橋です。




 ハーブランドショップの入口が見えたので撮ってみましたが、女性陣は何となく張り切っているようでした。


 ハーブランドショップ内では、係の人の説明があって、入浴剤や化粧水などここならではの商品を販売していました。
 奥は、ご覧のようになっていて私には場違いの感じがしました。
 ⇒ 結局、ハーブランドショップには20分程いたことになります。


 ハーブランドショップを出ると、ご覧のような噴水があったので撮ってみました。


 散策路に、2億年前の古代落葉松の化石「木化石【珪化石】」があったので撮ってみました。


 再び、記念撮影用の台の前を通って、コスモス摘みが出来るコスモス畑に向かいました。


 大温室の脇を通ってコスモス畑に向かいました。


 ご覧のようなコスモス畑に着くと、ハサミを渡されコスモスは5本まで採れると言われました。






 素晴らしいピンク色のコスモスが咲いていたのでアップで撮ってみました。


 こちらのピンク色のコスモスには虫がいましたが撮ってみました。




 濃いピンク色のコスモスがあったのでアップで撮ってみました。
 



 コスモス摘みに良さそうなコスモスが咲いていたので撮ってみました。


 コスモス畑を後に、入口近くに留まっているバスに戻ることにしました。


 途中、ご覧のような花が咲いている畑がありました。




 紫色のボールのような花を付けた植物があったので撮ってみました。


 紫色だけでなくピンク色の花も咲いていましたが、アリウム・ギガンチウムですかね!?


 隣りの列には、いろんな色のケイトウが咲いていました。
 





 取り敢えず、いろんな色のケイトウをアップで撮ってみました。

<あすなろ園>

 勝沼庭園を後に、バスが出発すると歩いても行ける「あすなろ園」に着きました。
 「あすなろ園」では、8種類以上のブドウ狩りが出来て食べ放題みたいです。


 バスを降りると、御一行様の名前が出ていたので撮ってみました。








 駐車場の上にも、ご覧のようなブドウが生っていましたが、背が高くて手が届きません。


 ここから10分程歩くと、ご覧のような台のあるブドウ畑に着きました。
 ブドウ畑に着くとハサミと皿を渡され、採り放題のブドウ狩りが出来ました。






 取り敢えず、ぶら下がっているブドウを撮りながらブドウを食べてみました。


 最初は、珍しいのでハサミを使ってブドウを採って食べましたが、その内、面倒くさくなって皿盛りのブドウを食べることになってしまいました。








 皿盛りのブドウには、それぞれ名札が付いていましたが、どれが美味しかったのかよく覚えていません。




 畑の外れに、台に置いていない美味しいブドウがあると言うので行ってみました。
 折角なので、アップで撮って食べてみましたが、味は良く分かりませんでした。




 帰る途中に、巨峰の生っている畑があると言うので立寄ってみました。
 取り敢えず、巨峰をアップで撮って食べてみましたが、お腹が一杯だったので巨峰の味も分かりませんでした。

<富士山>



 「あすなろ園」を後に、バスはツアー最後の目的地に向かいました。
 バスの車窓から、微かですが富士山がが見えたので撮ってみました。

<シャトー酒折>

 バスが出発すると30分程で、最後の目的地「シャトー酒折」に着きました。
 ご覧のようなエントランスから建物の中に入って、工場見学することになります。


 取り敢えず、下に見えるワインを醸造する装置を撮ってみました。






 果実連続投入機と搾汁機(フランス製)には看板が掛かっていましたが、黄色のタンクには看板が掛かっていなかったので工程(発酵?)が分かりません。


 取り敢えず、柱に貼ってあったワイン醸造工程表を撮ってみました。


 反対側に、最終工程(瓶詰、コルク打栓など)の看板が掛かっていました。




 地下の熟成中の貯蔵庫にも案内して貰えました。
 良く見ると、H22.9.2?の日付が付いている樽もありました。


 地下から階段で3階まで上って、ご覧のような席で梅酒ミニセミナーがありました。
 セミナーでは、梅酒の作り方と3種類の梅酒テイスティングがありました。


 眺めが良かったので、下の方に見えた市街地(酒折町?)を撮ってみました。


 セミナーが終わったので、売店に行ってワインの試飲タイムになりました。
 ここでも飲み過ぎたので味は覚えていません。


 エントランスに戻ると入口の上に、ご覧のようなステンドグラスがあったので撮ってみました。
 係の人が、日本武尊(やまとたけるのみこと)が東征の折、甲斐の国酒折宮で野営したときの様子だと教えてくれました。


 エントランスの外に行って、反対側からも撮ってみました。


 駐車場からシャトー酒折の入口を撮ってバスに乗り込みました。
 尚、シャトー酒折さんからは、お土産のジュースも貰えました(有難う御座いました)。

<帰路>

 予定の目的地を全て回ったので、後は帰るだけになりました。
 帰りは中央自動車道が混んでいたので、東名高速道路で帰ることになりました。


 途中、EXPASA足柄で休憩しましたが、辺りはご覧のように薄暗くなっていました。
 
 東名高速道路は秦野中井ICで下りて、秦野駅(一部は本厚木駅)近くでミステリーツアーは解散になりました。

 今回、ミステリーバスツアーに初めて参加しましたが、何処に行くのか分からないのが面白いですね!
 もう少し、じっくり見学出来たら良い所もありましたが、時間制限のあるツアー旅行では止むを得ませんね!
 全体としては、今回の「ミステリーバスツアーに参加」は満足できた旅行になりました。
 尚、万歩計は大して歩いていないので10,000歩を超える程度でした。
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御殿場散策(秩父宮記念公園編)

2018年09月23日 | Weblog
 9月22日(土)は、「小田急のんびりハイク&ウオーク」に参加する予定だったのですが、雨が降っていた(中止?)ので近くの御殿場に行ってみました。

<御殿場線:松田駅>

 小田急線ロマンスカーのWebでは、御殿場線発着区間は空席照会しか出来ません。
 仕方がないので、御殿場駅へは松田駅で小田急線から御殿場線に乗り換えて行くことにしました。

 松田駅で、下りの電車を待っていると、向かい側に旧駅の跡(?)があったので撮ってみました(天気が良ければ富士山が見えます)。

<御殿場駅:富士山口>

 御殿場駅に着いたので、富士山口に行って観光協会を探しながら辺りを散策してみました。


 晴れる雲形をイメージしたモニュメント「晴れの笠雲」があったので撮ってみました。


 案内富士の裏側に、富嶽三十六景の赤富士があったので撮ってみました。


 赤富士を良く見ると、小さい写真で出来ていました。

<ポッポ広場>

 御殿場線沿いにポッポ広場があったので行ってみました。


 雄大な蒸気機関車の先頭を撮ってみました。


 入口に、昔懐かしい「鉄道唱歌(15番)」と「汽車ポッポ(1番)」の歌詞があったので撮ってみました。






 テンダー機関車を撮りながら一回りしてみることにしました。


 機関車の運転室に入れそうなので上がってみました。






 機関車の運転室を撮ってみましたが、いろんな機具が付いていますね!


 後ろに、石炭は積んでいませんが炭水車があったので撮ってみました。


 運転席から反対側に下りてみました。
 ところで、この機関車は昭和19年に造られたみたいです。


 折角なので、炭水車の後部を撮ってみました。


 動輪と赤いスベリ棒、主連棒、連結棒をアップで撮ってみました。


 折角なので、反対側からも機関車を撮ってみました。




 ポッポ広場の外に出て、炭水車の後をアップで撮ってみました。


 機関車を斜め後ろから撮って、ホッポ広場を後にしました。


 駅前に観光協会があったので、帰りの時間に都合の良さそうな見所を聞きに行ってみました。
 観光協会の人は、3~4時間だと秩父宮記念公園と東山旧岸邸が良いと教えてくれました。
 又、秩父宮記念公園へは箱根乙女口から無料シャトルバス(9:40,11:00,12:10,13:40)が出ていると言うことでした。

<御殿場駅:箱根乙女口>

 早速、御殿場駅の箱根乙女口に行ってみましたが、ご覧のように駅前は工事中でした。


 少し時間が早かったので辺りを散策してみましたが、飲食店は殆どありませんでした。


 ところで、駅前ロータリーの工事は来年3月15日までになっていました。


 御殿場駅の箱根乙女口を撮って、無料シャトルバスの乗り場に行ってみました。
 乗り場案内が出ている訳ではありませんが、無料シャトルバスは御殿場アウトレット行のバス乗り場の後の方に着くと言うことでした。

<秩父宮記念公園>

 無料シャトルバスは定刻の10分程前に遣って来たので、乗り込んで待つことにしました。
 バスは定刻に発車して、10分程で秩父宮記念公園に着きました。
 尚、秩父宮記念公園は、昭和16年8月から約10年間、秩父宮両殿下が実際に住まわれていた別邸を、秩父宮妃勢津子殿下が平成7年8月に亡くなられた際の遺言により御殿場市に寄贈され、園内を整備して平成15年4月に開園した公園です。
 又、秩父宮雍仁親王は、昭和天皇の弟宮で、今上天皇の叔父にあたります。


 取り敢えず、秩父宮記念公園の正門を撮ってみました。


 左側に、見頃の花情報(10種類)がありましたが、知っている花はコスモス、タマアジサイ、彼岸花、フヨウの4種類だけでした。


 ご覧のような、ヒノキ林の中を通って先に進みます。


 暫く進むと、左側に園内の案内図があったので現在地を確認しました。


 ヒノキ林の先には、受付・案内所のある中門があります。


 中門に着いたので、受付で入園料(300円)を払って園内に入ります。


 ここにも園内の案内図があったので現在地を確認しました。


 案内板に出ていた「林の小道」は、昨日からの雨で足元が悪そうなので、ご覧のような広い散策路を歩くことにしました。




 散策路を暫く進むと、見頃の花の秋明菊(シュウメイギク)が咲いていました。
 良く見かける花ですが、今まで名前が分かりませんでした。
 尚、名前にキクが付いていますが、キクの仲間ではなくアネモネの仲間みたいです。




 取り敢えず、秋明菊をアップで撮ってみました。




 タマアジサイ(?)と秋明菊のコラボレーションを撮っていると、ムギワラトンボが割り込んで来たので撮ってみました。




 大きな毛虫のような花(?)が付いている植物がありましたが名前は分かりません。


 秩父宮メモリアルガーデンに遣って来ると、記念写真撮影用の台があったので撮ってみました。


 今度は、ご覧のような散策路を進むと、金木犀の香が漂って来ました。




 今年、初めて見る金木犀なのでアップで撮ってみました。
 ⇒ 御殿場は寒いので、花が咲くのが早いのですかね!?


 母屋の手前に着くと、大きな「しだれ桜」があったので撮ってみました。
 園内には、「しだれ桜」の老木が2品種3本ありますが、その内の1本みたいです。


 近くに、ご覧のような案内図があったので現在地を確認しました。
 母屋の北側には記念館があったので、後で行ってみることにしました。


 母屋には入れませんが、取り敢えず、母屋を撮ってみました。
 木造茅葺平屋建ての母屋は、元蔵相の井上準之助の別荘だったものを宮家が購入し、秩父宮御殿場の別邸としたみたいです。


 母屋の東側に東屋が見えたので、庭園を通って行ってみることにしました。


 庭園を歩いていると、左側に記念館の南側の一部分が見えたので撮ってみました。
 

 東屋に着いたので、質素な東屋を撮ってみました。
 妃殿下は、皇族や外国のお客様をお迎えしたとき、この東屋でバーベキューのもてなしをしたようです。




 取り敢えず、バーベキューの台がある東屋の内部を撮ってみました。
 右にある石の水溜めは、箱根の山の水を溜めてビールやワイン、おしぼりなどを冷やすのに使われたようです。

 東屋の後ろに、案内<防空壕>があったので行ってみることにしました。


 東屋の後の散策路に出ると、右側に案内<憩いの庭>が出ていたので行ってみることにしました。


 「憩いの庭」の中央には金木犀があって、その周りにはクルクマの花壇がありました。




 花壇の手前にも、素晴らしい秋明菊が咲いていたのでアップで撮ってみました。




 花壇に咲いているクルクマを撮ってみましたが、ご覧のように元気ありませんでした。
 ⇒ 雨が降った所為、それとも花の見頃を過ぎている?
 ところで、正門にあった見頃の花情報にはクルクマも載っていました。






 取り敢えず、アップでも撮ってみました。




 見頃のクルクマを探してながら花壇の周りを歩いてみました。








 取り敢えず、アップに耐えられそうなクルクマを撮ってみました。




 クルクマを良く見ると、花びらの下にも小さな花がありました。
 ⇒ 後で調べると、上の花びらに見える部分は葉っぱが変化した苞で、下にあるのが真の花みたいですよ!




 「憩いの庭」を後に散策路に戻って暫く進むと、「秩父宮同妃両陛下防空壕」がありました。
 この防空壕は、昭和20年4月8日に構築開始、同年6月22日に竣工し、同年7月30日に両殿下は始めて防空壕に待避したみたいです。


 取り敢えず、防空壕の入口を撮って中に入ってみました。




 防空壕はカタツムリのような構造になっていて、一番奥は通気口(?)のある居室になっていました。




 天井や壁のボルトが当時の様子を物語っていますね!


 防空壕を出て散策路を歩いていると、小高い丘の上に防空壕の通気口があったので撮ってみました。




 ご覧のような散策路を歩いて記念館(左の奥)に行ってみました。


 散策路を歩いていると、穀倉があったので振り返って撮ってみました。


 ご覧のような記念館出入口に着きましたが、意外とこじんまりした建物ですね!




 玄関でスリッパに履き替えて、展示室のある2階に行ってみました。




 展示室には、秩父宮家から遺贈された品々が展示されていました。


 順路に従って展示室を回っていると長持(?)があったので撮ってみました。


 この長持には「葵紋入り道具箱」の名前が付いていました。
 秩父宮妃勢津子殿下が嫁入りされる際の長持だったのでアップで撮ってみました。




 妃殿下専用の洗面所・浴室や御寝所があったので撮ってみました。
 尚、御寝所は奥にベットを置いてカーテンで仕切り手前をリビングとして使っていたみたいです。




 母屋に行くと、ご覧のような広間(リビング・ルーム)があったので撮ってみました。


 両殿下が、くつろがれた囲炉裏のある「炉ノ間」がありました。




 折角なので、囲炉裏と黒光りしている天井を撮ってみました。


 立ち入り出来ませんが、昔懐かしい廊下があったので撮って玄関に戻りました。


 記念館を出ると、右側にカフェ「すぐいす亭」があったので撮ってみました。


 「すぐいす亭」の手前に、ご覧のような瘤(こぶ)のある木(ユズリハ)がありました。


 又、母屋の北側に、樹齢130年の「しだれ桜」があったので撮ってみました。


 尚、「しだれ桜」の別名は糸桜(イトザクラ)と言うみたいです。

 取り敢えず、「野草の庭」を通って母屋の西側に行ってみることにしました。


 「野草の庭」を歩いていると、薄紫色の花が咲いていたので撮ってみましたが名前は分かりません。




 色違いの秋明菊が咲いていたので撮ってみました。




 秋の七草の萩が咲いていたのでアップで撮ってみましたが、少しボケて撮れていました(すいません)。


 母屋の西側に着くと、昭和天皇から贈られた登山服姿の殿下の銅像が建っていたので撮ってみました。


 母屋の西側を撮ってみましたが、母屋には上がれません。
 尚、この茅葺の母屋は、享保8年(1723)に建てられ、昭和2年(1927)に移築されました。


 秩父宮両陛下と高松宮両陛下は、昭和天皇による太平洋戦争終戦の玉音放送を「西ノ間」で聞かれたみたいです。




 庭の片隅に、ご覧のような水琴窟があったのですが、音は出ていませんでした。


 又、庭から樹齢130年の「しだれ桜」の太い幹が見えたので撮ってみました。


 ご覧のような散策路を通って、休憩所や売店のある管理棟に向かいました。


 桜の下に彼岸花が咲いていたので撮ってみました。
 尚、この桜は、サトザクラの園芸品種の朱雀(スザク)で八重で淡紅色の花を咲かせるみたいです。


 下の方に萩も咲いていたので彼岸花と一緒に撮ってみました。




 ご覧のような芙蓉(フヨウ)と女郎花(オミナエシ)が咲いていたので撮ってみました。


 散策路の脇に、ご覧のような「羊小屋の鐘」がありましたが何の為でしょうね!?


 「羊小屋の鐘」の後ろに、ラベンダー(?)の花壇があったので見に行ってみました。


 素晴らしい紫色の花を付けていたのでアップで撮ってみました。


 奥の右側に、ご覧のようなコスモスが咲いていました。
 





 折角なので、コスモスをアップで撮ってみました。


 散策路に戻って歩いていると、右側に三峰窯(みつみねかま)があったので行ってみました。
 三峰窯は、陶芸家の加藤土師萌(かとうはじめ)氏の指導により制作された窯で、両陛下は抹茶茶碗・陶器などを作ったみたいです。
 又、三峰窯は、富士・箱根・愛鷹の三山にちなんで陛下が命名したみたいです。




 取り敢えず、お窯をアップで撮ってみました。


 脇の黒板に、日付(49.8.7、51.8.8)が書いてあるのは、窯に火が入った日ですかね!?


 隣りに、轆轤(ろくろ)の台などが置いてある部屋があったので撮ってみました。


 又、唐箕(とうみ)や昔懐かしい氷冷蔵庫が置いてあったので撮ってみました。




 三峰窯を後に散策路に戻ると、ここにも秋明菊が咲ていたのでアップで撮ってみました。


 近くに、小さな赤い実を付けた木があったので撮ってみましたが、カマズミですかね!?


 休憩所や売店のある管理棟に着いたので、休憩所で一休みすることにしました。
 一休みしてから売店の中を通って、東山旧岸邸に近そうな西門から園外に出ることにしました。
 

 西門に行ってみると西門は閉まっていて園外には出れませんでした。
 仕方がないので、フェンス脇の道を通って受付のあった中門に向かいました。


 

 中門を出て森のエントランスを歩いていると、切り株にご覧のようなキノコが生っていたので撮ってみました。

 正門を出て、御殿場駅行きの無料シャトルバスの時間(11:50,13:20,14:20,16:10)を確認しました。
 次のバスが来るまで40分程あったのですが、東山旧岸邸に行って戻って来るには中途半端な時間だったので、東山旧岸邸に行くのは諦めました。
 県道401号線に出れば路線バスもありそうなので、県道を歩いて御殿場駅に行くことにしました。

<県道401号線>

 秩父宮記念公園を後に、西に向かって暫く歩くと県道の東田中交差点に着きました。
 後は、交差点を渡って県道を歩きながら、バス停を探しながら御殿場駅に行くだけになりました。


 県道を歩いていると、金時亭の前にお福人形がいたので撮ってみました。
 尚、金時亭では金時力まんじゅうを売っているみたいでした。


 東田中交差点から県道を10分程歩くと東名高速道路の下に着きました。
 この間、観光バスはかなり通っていたのですが、路線バスは見かけませんでした(バス停も見つかりませんでした)。


 トンネル内に、ご覧のような絵が描かれていたので撮ってみました。
 東名高速道路を過ぎれば、バス停があると思ったのですが1ヶ所(時間が合いません)しかありませんでした。

 結局、御殿場駅の箱根乙女口まで歩いてしまいました(秩父宮記念公園からは40分程)。
 取り敢えず、御殿場駅の富士山口に行って喉が潤せる店を探しましたが、お昼休みの関係でお酒が飲めそうな店は遣っていませんでした。

 仕方がないので御殿場駅の箱根乙女口に行って、15時半開店の「飲み食い横丁 なべすけ」の隣りにあるラーメン店に入ってビールを飲みながら30分程待つことにしました。

<飲み食い横丁「なべすけ」>

 開店と同時に入ったのでテーブル席に座ることが出来ました。
 折角なので、お勧めの刺身を頼んで日本酒を飲んでしまいました。


 テーブルとカウンターのあるご覧のようなお店ですが、帰りは御殿場駅からロマンスカーに乗るので1時間程しか居れませんでした。

 今回の「御殿場散策(秩父宮記念公園編)」は、下調べもしないで行ったのですが、観光協会の人が丁寧に教えてくれたので助かりました(有難うございました)。
 今回は、秩父宮記念公園しか行けませんでしたが、他にも見所はありそうなので御殿場は再訪する予定です。只、御殿場駅からの交通手段は検討する必要はありますね!
 尚、万歩計は、秩父宮記念公園から御殿場駅まで歩いたので、14,000歩を超えていました。
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かにが沢公園の彼岸花

2018年09月16日 | Weblog
 9月16日(日)は、神奈川県座間市の「かにが沢公園」に彼岸花を見に行ってみました。
 「かにが沢公園」は、昨日(15日)行く予定だったのですが雨が降っていたので延ばしましたが、今日も曇り空で天気は良くありませんでした。
 尚、「かにが沢公園」は小田急線相武台前駅の南口の近くにあります。

<相武台前駅南口>

 取り敢えず、相武台前駅の南口を撮ってみました。
 尚、相武台前駅南口は、2017年4月「座間:栗原遊水地~東原桜並木のハナモモと桜」で来ています。


 近くにあった「座間ふるさとマップ」で現在地を確認しました。
 又、「かにが沢公園」は目の前の道路を渡った道の先にありました。


 道路に挟まれた三角地に、相武台南口商店会の広告があったので撮ってみました。


 横道に入って坂道を道なりに下ると、左側に相武飯店があって道は左右に分かれていました。
 ⇒ 相武飯店は、駅から少し離れたところにあるので老舗の中華店かも知れませんね!?

 下の方に「かにが沢公園」の広場が見えたのですが、公園の案内は出ていませんでした。

<かにが沢公園:多目的広場>

 取り敢えず、右の方に行って道なりに進んでみました。
 暫く歩くと、成光学園の敷地(?)の奥に公園に行けそうな茂みがあったので行ってみました。


 茂みを抜けると、ご覧のような「かにが沢公園」の多目的広場がありました(ホッ!)。




 先に方に行ってみると、かつては深い谷のような所を「かにが沢公園」にしたみたいです。


 東屋の先に、大きな滑り台が見えたので近くに行ってみました。


 取り敢えず、東屋を撮って一休みしました。

<巨大すべり台>

 一休みしてから「巨大すべり台」を下から撮ってみました。






 上に行って「巨大すべり台」を撮ってみましたが、途中で詰まってしまうと困るので滑るのは止めました。

<子ども広場>

 「巨大すべり台」の先に、ご覧のような遊具のある「子ども広場」がありました。
 「子ども広場」が見渡せる場所に、マンション(ブルーミングレジデンス相武台前)が建っていたので撮ってみました。


 見事なマンションだったので正面から撮ってみました。

<中央広場>

 「子ども広場」の先には「中央広場」がありました。


 「中央広場」にも、ご覧のような東屋があったので撮ってみました。


 「中央広場」の片隅では、サッカーの練習をしているようでした。
 西側の傾斜地に、彼岸花が咲いているのが見えたので行ってみました。

<傾斜地の彼岸花>

 西側の散策路に着くと、傾斜地にご覧のような彼岸花が咲いていたので撮ってみました。


 取り敢えず、アップで撮ってみましたが、満開には少し早い感じがしました。




 傾斜地の彼岸花を眺めながら散策路の先に行ってみました。
 ご覧のように、赤色が主で白色やピンク色の彼岸花が咲いていました。


 散策路を歩いていると、「来園者の皆さまへ」の案内板がありました。
 案内板には、『座間市観光協会が平成21年度から会員とともに、彼岸花を植え始めた。・・・』と書いてありました。


 傾斜地の上にも散策路が見えたので、後で行ってみることにしました。




 途中の傾斜地に、素晴らしい赤色の彼岸花が咲いていたので撮ってみました。


 又、ご覧のような白色の彼岸花も咲いていました。




 折角なので、個別に赤色と白色の彼岸花をアップで撮ってみました。


 傾斜地の上に行くと、ご覧のような彼岸花が咲いていました。


 素晴らしい赤色の彼岸花をアップで撮ってみました。


 ここにも赤色と白色の彼岸花が咲いていたので撮ってみました。


 少し黄ばんだように見えますが、白色の彼岸花をアップで撮ってみました。










 ご覧のような彼岸花を眺めながら散策路を歩いてみました。




 上の散策路から下の散策路が見えたので撮ってみました。


 下の散策路に降りれる階段に遣ってきました。




 右側の傾斜地の彼岸花をアップで撮って、散策路を戻ることにしました。




 下の散策路近くに戻って来ると、ご覧のような彼岸花が咲いていたので撮ってみました。








 下の散策路に戻って歩いていると、素晴らしい彼岸花が咲いていたので撮ってみました。




 薄オレンジ色の彼岸花だったのでアップで撮ってみました。




 太陽に向かって咲いているような彼岸花がありました。


 真っ赤な素晴らしい彼岸花が咲いていたのでアップで撮ってみました。

<かにが沢公園:入口>

 「かにが沢公園」の入口に着いたので、「利用の手引き」を撮ってみました。
 どうやら相武飯店の前の道を左に行くと、ここに着けたのかも知れませんね!


 ご覧のような散策路を通って公園の中に入りますが、彼岸花の咲いている傾斜地は左側にあります。


 散策路の左側に、ベゴニア花壇があったので撮ってみました。


 折角なので、アップでも撮ってみました。


 少し先に行くと、”進歩”の名前の付いているモニュメントがあったので撮ってみました。


 又、ご覧のような「ハトを抱く少年」のモニュメントがあって、下には「平和こそ私達の願い」と書かれていました。
 尚、このモニュメントは、「平和のモニュメント」として平成2年度に設置されたものみたいです。


 彼岸花が咲いている傾斜地の方に行ってみると、散策路の手前に薄紫色の花が咲いていました。


 取り敢えず、アップで撮ってみましたが、スミレ(菫)ですかね!?


 入口に戻る散策路に、「座間八景」として「かにが沢公園」が紹介されていたので撮ってみました。

 「かにが沢公園」で彼岸花が見れたので、相武台前駅に戻っても良かったのですが、少し時間があったので辺りを散策することにしました。

<栗原遊水地・野球場>

 「かにが沢公園」を後に南の方に行くと、ご覧のような遊歩道があったので行ってみました。




 左側の住宅地を見ながら、遊歩道を10分程歩くと行き止りになっていたので階段を登ってみました。


 階段の上に出ると、2014年7月「ひまわりまつり(栗原)をぶらり」で通ったことがある小池大橋に出ました(アチャ!)。
 下の野球場が騒がしかったので、栗原遊水地を経由して野球場に行ってみることにしました。


 緑ケ丘第3公園で一休みしてから栗原遊水地に行ってみました。


 栗原遊水地の手前の道路に出ると、ご覧のような蛇(青大将?)がいて目が合ってしまいました。
 私より蛇の方がビックリしたようで、蛇は後の土手に逃げ込んでしまいました。


 道路脇から遊水地に下りれる階段があったので、ショートカットして降りてみました。


 遊水地にマガモ(?)がいなかったので、池の茂みを撮ってみました。


 ついでに、遊水池の茂みをアップで撮ってみました。


 遊水池に、大きな鯉が泳いでいたので撮ってみました。




 遊水地を後に、座間市水道部の第三水源ポンプ所に行ってみました。


 目久尻川に架かる第三水源橋に行ってみると、河岸にいたサギ(鷺)が飛び出したので撮ってみました。


 野球場が外野から見えたので撮って、一塁側に行ってみました。


 一塁側に着いたので、 本塁付近を撮ってみました。
 野球場では、「0462.net杯争奪ジュニア野球大会」を遣っていたので騒がしかったみたいです。

 野球場を後に、住宅地を通って「かにが沢公園」に戻りことにしました。

<かにが沢公園>

 再び「かにが沢公園」に戻って来ましたが、往復で50分程だったので少しは運動になりました。


 「かにが沢公園」入口の横断歩道からは、「どんぶり坂」の名前が付いている坂道を登ります。


 「どんぶり坂」の名前は、坂の周囲の地形がどんぶり状をしているところから付けられたみたいです。


 「かにが沢公園」を左側に見ながら、相武飯店に向かいました。




 歩いていると、マンションや「巨大すべり台」が見えたので撮ってみました。


 途中、「かにが沢公園」の出入口が何ヶ所かありましたが、公園の案内は出ていませんでした。


 「かにが沢公園」入口からは10分程で、相武飯店の前に着きました。
 初めて「かにが沢公園」に行く人は、案内が出ていないので分かりにくいかも知れませんね!

 相武台前駅に着きましたが、未だ13時30分だったので、今日は飲まないで帰宅しました。

 今回の「かにが沢公園の彼岸花」は、少し時期が早かったのと曇り空だったので彼岸花が上手く撮れませんでした(カメラマンの腕が所為?)。
 ところで、9月23日(日)は、彼岸花の開花に合わせて「曼珠沙華鑑賞のつどい」(10~14時)が開催されるので天気に恵まれれば良いですね!
 尚、万歩計はそれなりに歩いたので11,000歩を超えていました。
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中原街道(武蔵中原駅~新丸子駅)をぶらり

2018年09月09日 | Weblog
 9月8日(土)は、中原街道を通って南武線の武蔵中原駅から東急線の新丸子駅まで歩いてみました。
 きっかけは、「孤独のグルメ」で俳優の松重さんが、新丸子駅の近くにある「三ちゃん食堂」を訪れていたからです。

<武蔵中原駅>

 JR武蔵中原駅に下りるのは初めてなので、エスカレーターのある踊り場を撮ってみました。
 尚、踊り場の左側が武蔵中原駅の北口、右側が南口になります。


 北口から道路に出ると、改札口からエポック中原(?)に直結している歩道橋があったので撮ってみました。


 川崎駅方面に歩いて、中原街道に出ることにしました。
 中原街道は、江戸と平塚の中原を結んでいた道ですが、現在は川崎市中原区の丸子橋交差点と茅ヶ崎市の茅ヶ崎駅前交差点を結んでいるので丸子茅ケ崎線とも呼ばれています。


 交差点の手前に、ご覧のような「中原街道ルート案内図」があったので現在地と中原街道にあるガイドパネル(?)を確認しました。

<地蔵尊>



 中原街道に出て暫く歩くと、ご覧のような地蔵尊があったので撮ってみました。


 柔和なお顔をしていたのでアップで撮ってみました。

<泉澤寺(せんたくじ)>

 地蔵尊を後に、中原街道を10分程歩くと、左側に泉澤寺の山門がありました。


 入口の右側に、保存樹林の看板があったので撮ってみました。
 保存樹林の主な樹種には、シイ・ケヤキ・カシの名前がありましたが、左の木はイチョウですね!




 又、左側には、ご覧のようなお地蔵さん(?)が祀ってあったので撮ってみました。




 取り敢えず、立派な山門と山号「宝林山」を撮ってみました。


 山門の手前に、泉澤寺の説明案内板があったので撮ってみました。
 説明案内板には、『浄土宗泉澤寺は、領主吉良氏の菩提寺として世田谷の烏山にあったものが焼失したため、室町時代末(1550年)に現在の地に再興されました。』と書いてありました。


 山門をくぐると、正面に本堂が見えたので撮ってみました。


 左側に、ご覧のような観音堂があったので行ってみました。


 折角なので、観音堂の内部も撮らせて頂きました。


 参道に戻って、ご覧のような手水舎で身を清めて本堂に向かいました。


 参道の左側に、立派な鐘楼があったので百日紅と一緒に撮ってみました。




 本堂の前に着くと、例の保存樹林があったので本堂をバックに撮ってみました。


 取り敢えず、本堂の入母屋造りの向拝を撮ってみました。




 扁額を撮っていると、立派な菱灯籠(?)があったので一緒に撮ってみました。


 ついでに、本堂の内部も撮らせて頂きましたが、御本尊の阿弥陀如来像は拝めませんでした。


 本堂から山門を撮って、出入口に向かいました。




 本堂の前に、ご覧のような保存樹木(チャボヒバ?)があったのでアップで撮ってみました。
 

 折角なので、チャボヒバの上の方も撮ってみました。


 境内に日露戦役記念碑があったので撮って、泉澤寺を後にしました。

<小杉十字路>

 中原街道を暫く歩くと、府中街道を横切る小杉十字路に出ました。


 ガイドパネル「小杉十字路」が交差点にあったので、別角度から撮ってみました。


 小杉十字路を渡って中原街道を暫く歩くと、左側に鳥居が見えたので行ってみました。

<小杉神社>

 鳥居に小杉神社の提灯があって、8日(土)と9日(日)には例大祭があるみたいでした。


 参道では、露店商が準備を始めていました。


 参道を左に曲がって拝殿の方に行くと、手水舎があって隣りには御神輿も置いてありました。


 取り敢えず、手水舎を撮ってみました。


 御神輿も撮ってみましたが、未だ準備をしているところでした。


 取り敢えず、拝殿でお参りをすることにしました。


 拝殿の扁額を撮って、道に迷わないで「三ちゃん食堂」に行けますようにお参りをしました。


 お参りしてから拝殿の内部を撮ってみました。

 お参りしてから振り返ると、別の鳥居が見えたので、そちらの参道から帰ることにしました。


 参道の左側に、境内社の小杉天満宮があったので撮ってみました。




 又、右側には樹齢150年の御神木(ケヤキ)と神楽殿があったので撮ってみました。


 参道から拝殿を撮ってみましたが、例大祭の準備中なので人は殆どいません。


 取り敢えず、こちらの鳥居も撮ってみました。


 小杉神社の外に出ましたが、どうやら、こちらが正規の参拝ルートみたいです。

<等々力緑地>

 小杉神社の左側に等々力緑地があって、ご覧のような案内図があったので現在地を確認しました。
 又、陸上競技場では日本インカレ(日本学生陸上競技対抗選手権)を遣っていて騒がしかったです。


 取り敢えず、陸上競技場を左に見ながら先に行って、適当な所で右に曲がって中原街道に戻ることにしました。


 暫く歩くと、右側にご覧のような道路があったので入ってみました。

<小杉御殿の御主殿(ごしゅでん)跡>

 道なりに5分程歩いて、四つ角を右に曲がって歩いていると、右側の奥の方に赤い鳥居があったので行ってみました。


 近くに、ガイドパネル「小杉御殿の御主殿跡」がありました。
 ガイドパネルには、『二代将軍秀忠が建てた小杉御殿は、家康の送迎のはか、鷹狩りの休息所などに使われた。・・』と書いてありました。


 取り敢えず、鳥居の後にあった社を撮って、来た道を戻りました。

<西明寺(さいみょうじ)>

 中原街道に出ると、右側に西明寺の参道があったので行ってみました。


 左側に史蹟「徳川将軍 小杉御殿跡」、後ろに石塔「大師遍照金剛」があったので撮ってみました。


 又、右側にガイドパネル「西明寺と小杉学舎」があったので撮ってみました。
 ガイドパネルには、『西明寺は真言宗智山派のお寺で、明治6年には本堂に「小杉学舎」が置かれ、近代小学教育の場になった。』ようなことが書いてありました。


 傍に、ご覧のような「小杉御殿見取絵図」があったので撮ってみました。
 見取絵図には、現在位置も出ていたのですが良く分かりませんでした。
 尚、中原街道がここでカギ形に曲がっているのは、防衛の工夫だったみたいです。


 参道に西明寺の石碑があったので撮ってみました。


 ご覧のような立派な仁王門に着いたので撮ってみました。




 取り敢えず、仁王様をアップで撮ってみました。




 仁王様の裏側に、ご覧のような狛犬(?)がいたので、ついでに撮ってみました。


 仁王門の先には、ご覧のような山門あって、右側には保存樹林(主な樹種として、マツ・イチョウ・クスノキ)の看板もありました。


 山門の前に着いたので、立派なん山門を撮ってみました。


 山門の右側に、ご覧のような「龍宿山金剛院西明寺縁起」があったのですが、字がぼやけていて読めませんでした。


 取り敢えず、山門の扁額を撮ってみました。尚、龍宿山は西明寺の山号です(金剛院は院号)。


 山門をくぐると、正面に本堂が見えたので撮ってみました。


 右側に、ご覧のような手水舎があったので行ってみました。




 手水の龍が恐ろしい顔をしていたのでアップで撮ってみました。


 手水舎の後ろに、鐘楼があったので撮りに行ってみました。
 

 ついでに、横からも撮ってみました。




 参道の脇に立派な松があって、松の下に歌碑「後のよに のこりてことのはとならん 松やちとせの 人にこたえて」がありました。
 この歌碑は、多摩川の流路を変える工事が完成した時に、田中丘隅が詠んだ歌みたいです。


 本堂に向かって参道を歩いていると、左側に弘法大師像があったので撮ってみました。
 尚、南無大師遍照金剛 (なむだいしへんじょうこんごう)は、弘法大師空海に帰依する意味で、遍照金剛は空海の金剛名みたいです。


 本堂に着いたので、立派な本堂を撮ってみました。


 本堂で、道に迷わないでここまで来れたお礼を兼ねてお参りをしました。


 お参りしてから本堂の扁額を撮ってみました。


 本堂の階段の下に、ご覧のような大黒様がいたので撮ってみました。


 本堂の左手前に、ご覧のような慰霊塔があったので撮ってみました。


 折角なので、本堂を斜めから撮ってみました。


 山門の左側にあった、観音堂に行ってみました。


 取り敢えず、扁額「大悲閣殿」を撮ってお参りをしました。


 お参りしてから、観音堂の内部を撮らせて頂きました。


 観音堂の前に、ご覧のような池(鏡の池?)があったので撮ってみました。


 山門の右側に行くと、新客殿の前に落慶記念に寄贈された黒松があったので撮ってみました。




 山門の横に、大きな山門(?)があったので撮ってみました。
 取り敢えず、この山門から出て左の方に行ってみました。

<等々力緑地>

 道なりに5分程歩くと、見覚えのある等々力緑地の横に出ていました。
 仕方がないので、陸上競技場の横を通って先に行ってみました。


 盛り上がっている陸上競技場の客席を隙間から撮ってみました。


 気になったので、陸上競技場に入ってみることにしました。
 一番近い入口ゲートに行ってみると、制限中で入ることは出来ませでした(残念!)。

 駐車場の出入口から道路に出て、東急線の新丸子駅に向かうことにしました。

<新丸子駅に向かう>

 道路を道なりに5分程歩くと、右側に墓地のある妙泉寺祖師堂がありました。
 説明案内板もなかったので、妙泉寺祖師堂の由緒などは分かりません。
 



 道路に戻って、更に5分程歩くと、ご覧のような小杉陣屋町公園がありました。
 名前からすると、昔はこの辺りには陣屋があったのかも知れませんね!?

 道に迷ってしまったようなので、南の方に行って中原街道に出ることにしました。


 小杉陣屋町公園の近くに、表札の出ている真言宗の成就院がありました。


 小さな境内に入ると、正面に本堂があったので撮ってみました。


 境内の左側には、ご覧のような庚申塔がありました。


 庚申塔の隣りに、水子地蔵と弘法大師像があったので撮ってみました。


 右側には、ご覧のような手水舎があったので撮ってみました。 


 取り敢えず、本堂でお参りをして扁額(惠日山は山号)を撮ってみました。 


 中原街道に出て、そのまま直進すると祭囃子が聞こえてきたので行ってみました。
 そこは、小杉神社例大祭の小杉壱丁目町会神酒所で、新丸子駅からは離れていました。


 仕方がないので、少し戻って右に行くと、新丸子駅の近くに「三ちゃん食堂」がありました。
 結局、西明寺からは50分程掛かっていましたが、時間は13時を過ぎていました。

 お昼を過ぎていたので席は空いていると思ったら、60席程ある座席は満杯でした。
 運良く、帰る人がいたので交代で座ることが出来ました。
 「三ちゃん食堂」の入口は、中華屋のような感じがしたのですが、お刺身や焼き魚もありました。
 
 結局、1時間半程いたのですが、何を食べても安くて・早くて・美味しかったです。
 又、「三ちゃん食堂」は騒がしいのですが、隣りの人と気軽に話が出来るのが良いですね!

 帰りは、南武線の武蔵小杉駅に出て登戸駅経由で帰りました。

 今回の「中原街道(武蔵中原駅~新丸子駅)をぶらり」は、最後は道に迷ってしまったのですが、どうにか「三ちゃん食堂」に着けて良かったです。
 尚、万歩計は道に迷った関係で14,000歩を超えていました。
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越後湯沢:雪国文学散歩道(後編)

2018年09月03日 | Weblog
 「越後湯沢:雪国文学散歩道(前編)」から続く。

<旅館の外の景色>



 朝起きてから外を眺めると、ご覧のように薄暗くて未だ雨は降っていました。


 朝食を済ませてから天気予報を見ると、雨は午後には上がると言っていました。
 又、先程より少し明るくなって来たような感じがするのですが・・・

 取り敢えず、旅館の近くにある「雪国文学散歩道」で行く「諏訪社」に行ってみることにしました。

<諏訪社>

 旅館を後に、下の県道462号線に出て暫く進むと、ご覧のようなトンネルがありました。
 県道の上は上越新幹線が通っていて、県道の向かい側にはガーラ湯沢駅専用の引き込み線があります。


 トンネルに入ると先の方にガーラ湯沢駅が見えました。
 行き過ぎたような感じがしたので県道を引き返すことにしました。


 県道の途中から、上越新幹線の高架下を通って諏訪社に行ってみました。


 上越新幹線の高架下に行くと、諏訪社が見えたのでホッ!としました。




 横から境内に入っても良かったのですが、雨でぬかっていたので正面に回りました。
 ところで、諏訪社の参道が鳥居の正面にないのは何故でしょうね!?
 若しかしたら、諏訪社や鳥居は、上越新幹線の建設で移動したのかも知れませんね!?
 尚、旅館からは15分程で諏訪社に着きました。


 境内の右側に、小説「雪国」で島村と駒子が涼んだ大杉と、駒子が腰を下ろした平らな岩(恋語りの岩)があったので行ってみました。


 取り敢えず、大杉と平らな岩を別角度から撮ってみました。
 又、この大杉は、樹齢400年で湯沢町の天然記念物に指定されています。


 大杉の後の山が、白く煙っていて幻想的だったので撮ってみました。
 尚、手前の線路は上越線の在来線です。


 在来線に寸断された道があって入口に鳥居があったので、昔は諏訪社の参道だったのかも知れませんね!




 又、境内にはご覧のような狛犬がいましたが、先程の参道の延長上に建てられていました。


 鳥居の前に遣って来たので、取り敢えず、社殿をバックに撮ってみました。


 手水舎があったので撮ってみましたが、後に見える狛犬との位置関係が不自然ですよね!


 社殿の左手に、閻魔様(?)と忠魂碑があったの拝みに行ってみました。




 拝んでから、閻魔様をアップで撮ってみましたが、恐ろしい顔をしていますね!


 ついでに、忠魂碑も撮ってみました。
 右の方に、社があったので行ってみました。


 これは、赤い鳥居のある社なのでお稲荷さんですね!?


 お稲荷さんの隣りに、注意書のある大きな木があったので撮ってみました。


 良く見るとミツバチが巣を作っていて、危ないと言うことでした。
 ⇒ 注意深くアップで撮ってみました。


 奥には、菅原道真を祀る天神社がありました。


 天神社の左手には、小説「雪国」で登場する「笹の道」がありました。
 「笹の道」は、駒子が島村に会うために朝露に濡れた熊笹の中を忍んで通った道です。


 天神社から社殿の横を撮って、正面に回ってみました。


 取り敢えず、社殿を正面から撮ってみました。


 社殿で、早く雨が上がるようにお祈りをしました。


 お祈りしてから社殿の扁額を撮ってみました。


 ついでに、社殿の内部も撮らせていただきましたが、特に、目だった物は置いてありませんでした。


 社殿を後に参道を戻って、次の「駒子の湯」を目指しました。

<愛宕地蔵尊>

 諏訪社を後に、道路に出ると在来線のガードがあったので、ガードをくぐってみました。


 暫く進むと、左側に、ご覧のような愛宕地蔵尊がありました。


 

 取り敢えず、石碑と地蔵尊をアップで撮ってみました。


 ここからの眺めが素晴らしかったので、諏訪社の方を撮ってみました。
 ⇒ 在来線の先にある白い建物はガーラ関連施設(ドームガーナ?)みたいです。


 ついでに、諏訪社から歩いて来た方を撮ってみました。
 ⇒ 後の山にある配管は、水道管ですかね!?


 愛宕地蔵尊の後ろに、諏訪社から見えた鳥居があったので撮ってみました。
 ⇒ どうやら、諏訪社の参道が在来線で寸断されたのは確からしいですね!

<駒子の湯>

 愛宕地蔵尊を後に道なりに暫く進むと、ご覧のような県道351線に出ました。
 近くに雪国文学散歩道の案内「駒子の湯」があったので、右折して越後湯沢駅方面に向かいました。




 ご覧のような県道を進みますが、各家でいろんな積雪の対策をしていますね!


 県道を5分程歩くと、案内「駒子の湯」が出ていたので、右に曲がって坂道を上ります。


 坂道を暫く上ると、右側にロッジのような「駒子の湯」がありました。


 正面に着くと、ご覧のような立派な看板があったので撮ってみました。
 諏訪社からは、20分程で「駒子の湯」に着きました。
 「駒子の湯」は、ヒロイン駒子に因んで付けた名前で、駒子が入った訳ではなさそうです。


 「温泉めぐり」の案内には、「駒子の湯」の他に「宿場の湯」、「岩の湯」、「山の湯」、「街道の湯」などの共同浴場が載っていました。
 「駒子の湯」で休憩しようと思ったのですが、入浴(500円)しないと中には入れないようでした。


 仕方がないので、外の池を撮って「駒子の湯」を後にしました。
 雪国文学散歩道に案内「下宿」が出ていて気になっていたので、県道に戻って探してみました。

<下宿(しもしゅく)>

 下湯沢公民館の前に遣って来ると案内「下宿」が出ていました。
 「下宿」は、駒子が下宿していた場所ではなく、この辺りの地名で、昔はこの辺りにも料理屋もあったみたいです。


 消火栓も、ご覧のような積雪対策をしていたので撮ってみました。
 県道をそのまま歩いて、次の「主水公園」に行ってみました。

<無動産>

 県道の楽町交差点を右に曲がって暫く歩くと、ご覧のような無動産がありました。


 扁額をアップで撮ってみましたが、説明案内板がなかったので無動産のことは分かりません。


 無動産の左に、ご覧のような庚申塚があったので撮ってみました。


 又、学校(?)の後ろに地蔵堂があったので見に行ってみました。


 取り敢えず、「楽町しあわせ地蔵」を撮って、お参りをしました。
 

 無動産の横の坂道を上って、次の「主水公園」に向かいました。


 坂道を上っていると、池のある家が多くありましたが、何の目的(積雪対策?)でしょうね!

<主水(もんど)公園>

 無動産から坂道を暫く上ると、ご覧のような主水公園に着きました。
 尚、「駒子の湯」からは30分程で着きました。


 右側の上越新幹線の高架下を見ると、在来線が遣って来たので撮ってみました。


 公園の先の方に、ご覧のような噴水があったので見に行ってみました。




 花壇に、ご覧のような花が咲いていたのでアップで撮ってみました。


 噴水の前に着いたので、噴水を撮ってみました。


 噴水の後ろに、ご覧のような雪国文学散歩道の案内図と「雪国の碑」がありました。


 折角なので、川端康成直筆の「雪国の碑」をアップで撮ってみました。


 ついでに、雪国文学散歩道の案内図で現在地を確認しました。
 天気予報では、午後には雨が上がると言っていたので、昼食を食べながら雨が上がるのを待つことにしました。


 取り敢えず、上越新幹線の下を通って県道で食事処を探すことにしました。

<食事処:保よし(やすよし)>

 ご覧のような階段があったので、階段を上って県道に行ってみることにしました。


 階段の途中に鉄管があったので撮ってみましたが、温水を通して雪を溶かすのですかね!?


 県道を歩いていると、ご覧のような食事処があったので入ってみました。


 昼食には早かったので、ご覧のように先客はいませんでした。
 昼間なので、飲み物はウーロン杯にしましたが、最後は「かじか酒」になっていました。
 結局、食事処には1時間半程いたことになります。

<不動滝>

 外に出ると小雨は降っていましたが、足湯「かんなっくり」の脇を通って不動滝に行ってみることにしました。


 湯沢東映ホテルの前に遣って来たのでホテルを撮ってみました。 




 不動滝は、滝沢公園の手前のご覧のような道路から行ってみました。


 下の方に滝沢公園が見えたので撮ってみました。


 砂防ダムの下から登って来る道と合流しました。




 道路を歩きながら砂防ダムを撮ってみました。


 上りロープウェイが遣って来たので撮ってみました。


 落石注意の看板が出ている、ご覧のような道路を更に進みます。


 右側の下に、ご覧のような工事現場が見えたので撮ってみました。


 この工事現場は、上流の砂防ダム工事をしているみたいです。




 不動滝の「大ぜん」と「小ぜん」の分かれ道に着きました。
 尚、滝沢公園の手前の入口からは25分程かかりました。


 取り敢えず、滝沢川の脇を通って不動滝「小ぜん」に行ってみることにしました。


 分かれ道から5分程歩くと、ご覧のような「小ぜん」が見えて来ました。


 確かに十数mの小さな滝ですが、近づくことは出来ませでした。


 取り敢えず、アップで撮って分かれ道に戻って、今度は「大ぜん」に行ってみることにしました。






 分かれ道からは工事現場を右下に見ながら、ご覧のような山道を登ります。


 山道を登っていると、向かい側にご覧のような岩壁が見えたので撮ってみました。


 素晴らしい岩壁だったのでアップで撮ってみました。


 分かれ道からは10分程で、不動滝「大ぜん」が見える橋の手前に着きました。




 滝の下の方に、御神水の出ている場所があったので行ってみました。


 滝には近づけませんが、取り敢えず滝を撮ってみました。


 橋を渡って、不動滝「大ぜん」の近くに行ってみました。


 橋を渡ると、ご覧のような石造仏があったので撮ってみました。


 不動滝「大ぜん」の前に着いたので、二条に分かれている滝を撮ってみました。
 尚、左が男滝、右が女滝ですね!?


 「大ぜん」は、昔から若い男女が無心でこの滝にお参りすると、愛が芽生えると伝えられているみたいです。
 ⇒ アップで撮ってみましたが、”男女が無心で”がミソですね!?




 激しく流れ落ちる男滝をアップで撮ってみました。


 ついでに、滝壺をアップで撮って、不動滝「大ぜん」を後にしました。


 登って来た山道を戻りますが、ご覧のように雨は上がっていました。
 折角なので、ロープウェイに乗って湯沢高原に行ってみることにしました。

<湯沢東映ホテル> 

 湯沢東映ホテルの前に遣って来たので、ホテルのロビーを通ってロープウエイの山麓駅に行ってみることにしました。


 ロビー(?)ご覧のようなポスターがあったので撮ってみました。




 ホテルの外に出ると、ロープウェイ下のゲレンデとホテル外観が見えたので撮ってみました。

<湯沢高原>

 ロープウェイの往復乗車券(2,000円)を買って、2階のロープウェイ乗り場に向かいました。
 取り敢えず、重要文化財の雪中神輿を撮ってみました。


 ロープウェイは、世界最大級の166人乗りですが、今日は、ご覧のようにガラガラでした。


 動き出すと、下に湯沢東映ホテルが見えたので撮ってみました。


 又、不動滝に通じている山道と工事現場が見えたので撮ってみました。




 山頂駅に近づくに連れて、雲が下の方に見えるようになって来ました。


 素晴らしい雲海が見えたので撮ってみました。


 山頂駅に着いたので、湯沢町を撮ってみました。
 尚、中央に見える細長い白い建物は上越新幹線の越後湯沢駅です。


 取り敢えず、記念写真用オブジェを撮ってみました。


 山頂駅から外に出ると、湯沢高原の案内図があったので、現在地を確認しました。
 無料シャトルバス「アルプスの里」があったので、乗って展望台に行ってみました。


 展望台近くの「風のテラス」に行ってみましたが、草木が生い茂っていて眺めは良くありませんでした。
 

 バス停の近くにあったレストランを見ると、未だバスが停まっていたので急いでバスに戻りました。


 山頂駅に戻って来ましたが、冬にはあった「恋人の聖地」はなくなっていました。
 近くに「雲の上のカフェ」があって、傍に「雲の上の足湯」がありました(足湯の写真を撮るのは忘れました)。


 下りのロープウェイは、雲の中に向かって降るような感じがしました。




 雲の中に入ったので、雲に煙る森林を撮ってみました。


 山麓駅に近づいたので、昨日お世話になった旅館(高半、中屋)の方を撮ってみました。

<越後湯沢駅に向かう>

 ロープウェイの山麓駅に戻って来たので、県道を歩いて越後湯沢駅に向かいました。
 そば処「しんばし」の前に遣って来ると、ご覧のような「駒子の手湯」がありました。


 折角なので、近づいて「駒子の手湯」をアップで撮ってみました。




 ご覧のような橋から、滝沢公園に行ける石段散歩道が見えたので撮ってみました。


 又、足湯「かんなっくり」を、ちゃんと撮っていなかったので撮ってみました。


 神田土産店のお福人形が、お饅頭を持って待っていたのでお土産に買ってしまいました。

 越後湯沢駅に着いたので、帰りの上越新幹線の時間調整を兼ねて東口で軽く飲みました。

 今回の「越後湯沢:雪国文学散歩道」は、1日目は不動滝には行けないと思っていたのですが、2日目に行けたので、雪国文学散歩道は完遂したことになりますね!
 又、当初、予定していなかった湯沢高原にも行けたので満足しています。
 尚、2日目の万歩計は、それなりに歩いたので13,000歩近くになっていました。
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越後湯沢:雪国文学散歩道(前編)

2018年09月02日 | Weblog
 8月31日(金)~9月1日(土)は、夏の越後湯沢に行って、2017年1月「ぶらり越後湯沢」で気になっていた「雪国文学散歩道」を歩いてみました。

 尚、雪国観光圏「雪国文学散歩道」のモデルコース(徒歩での移動時間:3時間)は次のようになっていました。
 越後湯沢駅-湯沢町歴史民俗資料館「雪国館」-不動滝-文学資料室「かすみの間」-諏訪社の大杉-駒子の湯-主水公園-越後湯沢駅
 
<越後湯沢駅>



 越後湯沢駅に着きましたが、ホームの階段は閉じられていて下りることは出来ませんでした。


 ホームを歩きながら、新潟方面と東京方面の線路を撮ってみました。 


 ホームの中程に人が集まっていたので行ってみました。
 上越新幹線は、越後湯沢行(Maxたにがわ315号)と新潟行(Maxとき315号)が連結していたので、車両の切り離しをしていました。


 取り敢えず、車両の結合部分を撮ってみました。


 上越新幹線の新潟行(Maxとき315号)の出発アナウンスがありました。 






 折角なので、結合部分が離れるところを撮ってみました。


 車両の切り離しを見ていたので、ホームに人はいなくなっていました。


 駅構内に、旅館の案内が出ていましたが、今回は女将の写真は載っていませんでした。


 又、駒子もご覧のような姿で迎えに来ていました。


 折角なので、アップでも撮ってみました。


 今回も土産品店のある「がんぎどおり」を通って「CoCoLo湯沢」に行ってみました。

<CoCoLo湯沢>

 取り敢えず、「CoCoLo湯沢」の入口を撮ってみました。


 左側に、「ぽんしゅ館」で飲み過ぎた酔っ払い(今日は3人)がいたので撮ってみました。


 向かい側に「ぽんしゅ館」の越乃室(こしのむろ)の入口があったので撮ってみました。
 『16歳以下の入場は固くお断り申し上げます。・・・』は笑っちゃいますね!


 越乃室では、500円でお猪口5杯までの利き酒が出来ます。




 越乃室には、ご覧のような利き酒セットが置いてあって、いろんなお酒が楽しめます。


 帰りがけに、越乃室の「人気ランキング」(5~7月)が出ていたので撮ってみました。


 「CoCoLo湯沢」の奥の行ってみると、ご覧のような「吊るし雛」が飾ってありました。
 前に来た時も「吊るし雛」があったので、雛祭りとは関係ないみたいですね!?




 取り敢えず、店内に入って素晴らしい「吊るし雛」を撮らせていただきました。


 折角なので、アップでも撮ってみました。


 「吊るし雛」は回転しているので撮るのは難しいのですが、ご覧のような笊蕎麦もあったので撮ってみました。

<越後湯沢駅西口>

 「CoCoLo湯沢」を後に、越後湯沢駅西口の外に出てみました。


 駅前にあった『越後湯沢温泉「雪国」文学散歩道』で現在地を確認しました。
 雪国観光圏では「徒歩での移動時間:3時間」となっていましたが、1時間半程で回れそうでした。


 取り敢えず、出発地点の越後湯沢駅を撮ってみました。

<雪国館に向かう>

 県道462号線に出る手前に、ご覧のような案内が出ていました(要所々々で、ご覧のような案内があるので道に迷うことはありません)。


 目の前に、見覚えのある郷土料理「味らく茶や(みらくちゃや)」があったので撮ってみました。


 越後湯沢に始めて来た時に泊った湯沢グランドホテルが見えたので撮ってみました。


 旅館「いなもと」に、レトロなバスが停まっていたので撮ってみました。


 向かい側に、お福人形が微笑んでいる神田土産店もありました。
 ⇒ このお福人形は、回っているので正面から撮るのは難しいですよ!?

<湯沢町歴史民俗資料館「雪国館」>

 越後湯沢駅から10分程で、雪国館の前に着きました。


 入口にご覧のような物が展示してあったので撮ってみましたが・・・


 右側に、駒子のレリーフがあったので、ついでに撮ってみました。


 2階の受付で入館料(500円)を払ってパンフレットを貰います。
 取り敢えず、2階、3階、1階の順に回ってみることにしました。




 2階は、囲炉裏を中心に雪国の生活を再現していました。


 行李、煙管・煙草・莨入れ、あんか、湯たんぽ等が展示してあったので撮ってみました。


 又、ご覧のような電話器もあったので撮ってみました。


 階段を上って3階に行くと、四季折々の作業に合わせた道具が展示してありました。




 春は田起こしや畑作業、夏は養蚕、秋は収穫や脱穀の道具が展示されていました。




 雪に閉ざされる冬は、ワラ仕事の道具が展示されていました。






 ワラで作られたいろんな物が展示されていたので撮ってみました。


 又、ご覧のような山ぞりも展示してありました。


 手前には、ツキノワグマやカモシカもいました。




 高札と身分の高い人を乗せた乗鞍、人力車と駕籠が展示してあったので撮ってみました。


 又、古い旅籠の宿札や看板、湯沢村の家屋絵図が展示してありました。
 ところで、御泊中屋は、今日宿泊する旅館「中屋」のことですかね!?


 ついでに、明治44年(1911)のスキーの写真と板や靴が展示してあったので撮ってみました。
 ⇒ このビンディングは懐かしいですね!


 隣りに、駒子の絵があったので撮ってみました。


 1階に行くと、川端康成の小説「雪国」の世界がありました。


 奥には、外の景色を眺めている駒子がいました。


 戦後、川端康成が執筆活動をした書斎(鎌倉市長谷246番地)が再現されていました。


 1階の出入口に、ご覧のような石櫃(いしびつ)があったので撮ってみました。
 尚、石櫃は大きな石を刳り抜いて造った被せ蓋のある箱です。

<不動滝に向かう>

 雪国館の隣りには足湯「かんなっくり」がありますが、雨が降っているので人はいませんでした。


 足湯の横にあるご覧のような坂道を登って、不動滝のある滝沢公園に向かいました。


 坂道を登っていると、右側に湯沢東映ホテルがあったので撮ってみました。


 人がいないので少し不安になりますが、更に坂道を登ってみました。


 足湯から坂道を10分程登ると、先の方に不動滝の案内板と立て看板が見えました。


 不動滝の案内板に依ると、不動滝は「大ぜん」と「小ぜん」の滝があって、上の「大ぜん」は高さ20mの断崖を二条(左を男滝、右を女滝)に別れて落下し、下の「小ぜん」は一条で十数m落下しているみたいでした。


 隣りには、ご覧のような立て看板が出ていました(アチャ!)。
 今日は金曜日なので不動滝には行けませんが、遠くからでも眺められないかと思って先に行ってみました。


 坂道を5分程登ると、コスモス畑の先に小さな砂防ダムがありました。
 このダムの水は、不動滝から流れているかも知れませんね!?


 折角なので、不動滝の代わりに砂防ダムをアップで撮ってみました。
 尚、ダムの右側に描かれている植物は水芭蕉(みずばしょう)でした。


 ダムの下の水路が、ご覧のように色づいていたので撮ってみました。


 更に先に行っても仕方がないので、来た道を戻ることにしました。


 湯沢東映ホテルの前に遣って来ると、向かい側の山も雨で霧がかかっていました。
 取り敢えず、湯沢高原ロープウェイの山麓駅に行って雨宿りをすることにしました。

 雨が小降りになるのを暫く待ったのですが、小降りになる気配はありませんでした。
 仕方がないので、チェックインには早かったのですが旅館「中屋」に電話を入れて迎えに来て貰うことにしました。
 尚、次に行く予定の文学資料室「かすみの間」は旅館「高半」の中にあって、旅館「中屋」の隣りにあります。

<文学資料室「かすみの間」>

 旅館「中屋」に着いたので、チェックインを済ませて隣りの旅館「高半」に行ってみました。


 旅館「高半」のフロントで入館料(500円、宿泊の方は無料)を払うと、エスカレーターで「雪国・かすみの間」の入口まで案内してくれました。




 取り敢えず、「雪国・かすみの間」の入口を撮ってみました。
 

 左側に、ご覧のような暖簾が掛かっていたので撮ってみました。


 暖簾をくぐると、左側の壁に古い写真が展示してありました。




 当時の旅館の写真(右が高半、左が中屋?)が展示されていたので撮ってみました。
 尚、この2つの旅館は、昔は親戚だったみたいですよ!?




 手前に、川端康成と松栄(駒子のモデル)が遣り取りした手紙があったので撮ってみました。
 下の手紙の書き出しが、「僕が十月の二十七日に出した手紙・・・」となっているので川端康成が出した手紙みたいですね!?


 右側に「かすみの間」の入口があったので撮ってみました。
 川端康成の小説「雪国」は、昭和9年の晩秋から昭和12年にかけて「かすみの間」で書かれたものです。


 通路の右側には、映画「雪国」(1957年制作)のスチール写真が展示してありました。




 取り敢えず、通路から「かすみの間」を撮ってみました。


 小説「雪国」では、繭倉(まゆぐら)が火事になるので、下の火事場の方も撮ってみました。


 スチール写真に、駒子役の岸恵子、島村役の池部良が写っていたので撮ってみました。


 又、葉子役の可愛らしい八千草薫も写っていたので撮ってみました。


 折角なので、「かすみの間」に上がらせて貰いました。


 駒子が来ていたコートがありましたが、『大変もろくなっております。触れないで下さい。 駒子より』の注意書がありました。


 「かすみの間」を別の角度から撮ってみました。


 駒子の掛け軸があったのでアップで撮って、「かすみの間」を後にしました。


 松栄(駒子のモデル)が気になったので、展示してあった古い写真の中から探してみました。


 雪国の暖簾をくぐって左に行くと、旅館「高半」に関わる古い資料が展示してありました。
 取り敢えず、資料室を一回りしてみることにしました。


 上杉謙信の鎧兜(写)や坂戸城の欄間も展示されていたので撮ってみました。






 折角なのでアップでも撮ってみました。


 取り敢えず、資料室を一回りしたので、エスカレーターで1階に下りました。


 素晴らしいダウンライトクリスタル(?)があったので撮ってみました。


 旅館「高半」の外に出たので、旅館の外観を撮ってみました。

<上越新幹線の線路>

 旅館の駐車場の先に、上越新幹線の線路が見えたので行ってみました。


 素晴らしい景色だったのでアップでも撮ってみました。
 尚、茶色いマンションの左側に、黒いゴンドラの出入口のある建物が湯沢高原ロープウェイの山麓駅です。


 又、左側には、ガーラ湯沢駅専用の引込線がありました。


 下りの上越新幹線が遣って来たので、急いで撮ってみました。


 ついでに、泊る旅館「中屋」の外観も撮ってみました。




 旅館の部屋の案内されると、ご覧のような景色が見えたので撮ってみました。

 夕食まで時間があったので、大浴場はゆっくり入ることが出来ました。
 只、大浴場の奥に露天風呂があったのですが、雨が降っていたのでのんびり入ることは出来ませんでした。

 夕食時に、お酒を飲みすぎたので早々に寝てしまいましたが、明日は雨が上がっていれば良いのですが・・・
 尚、万歩計はあまり歩いていないので、7,000歩には達していませんでした。

 「越後湯沢:雪国文学散歩道(後編)」に続く。
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