5月20日(土)は、伊勢原市の三之宮比々多神社で「第30回まが玉祭(5月20日~21日)」を遣っていました。
折角なので、三之宮比々多神社から上粕屋神社まで歩いてみることにしました。
三之宮比々多神社は、伊勢原駅北口からバスに乗ると15分程(バス停「比々多神社」)で着きました。
<三之宮比々多神社(さんのみやひびたじんじゃ)>

比々多神社に着いたので鳥居を撮ってみました。

手水舎で身を清めて境内に入ります。

参道から拝殿を撮ってみましたが、「まが玉祭」にしては人出は多くありませんでした。

右側に満願成就の「相生の欅」があったので撮ってみました。
満願成就の脇に、小さく恋愛成就、夫婦円満、良縁も書いてありましたが、満願成就ならいらないような気がするのですが・・・

境内に入ると左側に鐘楼があったので撮ってみました。

拝殿の前に造られた、「まが玉祭」の祭典(13:00~18:30)の舞台を撮ってみました。

取り敢えず、拝殿を撮って「まが玉祭」の祭典を待つことにしました。

「まが玉祭」の祭典は、「揚武館伊勢原道場」居合抜刀術演武から始まりました。


居合抜刀術演武は20分位で終わるので、それを見てから境内を散策することにしました。

境内の右側に、ご覧のような三ノ宮郷土資料館(拝観料は200円ですが今日は無料)があったので入ってみました。
館内は撮影禁止でしたが、館内には周辺の古墳や遺跡などから出土した縄文・弥生時代の土器類、馬具、刀剣、銅鋺、勾玉などが展示されていました。

郷土資料館を後に、先の方に行ってみるとご覧のような十二支が置いてありました。
案内板には『ご自分の干支との石像に出会い 神さまと森林浴でゆっくりと お寛ぎ心を和め癒されて下さい』と書いてありました。

何故か、十二支はご覧のように二匹づつ並んでいました。

更に先の方に行ってみると、三之宮三号墳があったので撮ってみました。


三之宮三号墳の横を通って先の方に行くと、フェンスに囲まれていますがご覧のような下谷戸縄文遺跡がありました。


拝殿の横に戻ってみると、神輿殿の中に立派なお神輿が置いてあったので撮ってみました。

拝殿を横から見ると、紐にご覧のような小さな鈴が付いていたのでアップで撮ってみました。

境内から外に出ると神池があって、赤色の鯉が泳いでいました。
この赤色の鯉は、最近、神池の仲間になったみたいです。

神池を眺めていると、古参の鯉も仲良く並んで存在感を示していました。
<比々多神社元宮に向かう>

境内に戻っても仕方がないので、ご覧のような道路を通って元宮に行ってみることにしました。

道なりに5分程歩くと恵泉女子短大(?)の敷地内に埒面(らちめん)古墳がありました。

敷地内に入れなかったので、案内板を撮ってみました。
案内板に依ると、埒面古墳は昭和39年に恵泉女子短大の建設中に発見された古墳みたいです。

埒面古墳を後に、ご覧のような急な山道を更に登ります。

山道を登り切ると道は二股に分かれていましたが、右側の看板がある方に行ってみました。
<比々多神社元宮>

近くに行ってみると、比々多神社元宮の看板が建っていて近くに小さな祠がありました。
申し訳ありませんが、もっと立派な元宮があると思っていたのですが・・・

取り敢えず、元宮をアップで撮って、ここで一休みすることにしました。

一休みしてから眼下に見える伊勢原市内を撮ってみました。

手前に東名高速道路が見えたのでアップで撮ってみました。

炎天下で木陰もなかったので、特徴的な2本の椰子(?)を撮って元宮を後にしました。
三之宮比々多神社に戻っても仕方がないで、少し距離がありますが上粕屋神社に行ってみることにしました。
来た道を戻って、途中で広い道に出て東北の方角に行けば上粕屋神社に着ける筈です。
<上粕屋神社に向かう>

広い道に出て10分程歩くと、道端にご覧のような観音様(?)が祀ってありました。
取り敢えず、『道に迷わないで上粕屋神社に着けますよう』お参りをしました。

観音様にお参りしてから道なりに10分程山道を歩くと、ご覧のような伯母様村観音がありました。

面白い名前だったので石碑を撮ってみました。
石碑の歴史に依ると、1550年代後半に、北条氏が家臣の市施弾正左衛門康則にこのあたりを領地として与え、市施氏の伯母の梅林理香大姉が所領していたため「伯母様村」というようになったみたいです。
伯母様村観音から県道(612号線?)が見えたので、取り敢えず行ってみることにしました。

県道に出ると道標<上粕屋神社 620m>がありました(ホッ!)。
観音様にお参りした甲斐がありましたね!?





道標に従って上粕屋神社に向かって歩いていると、道端に素晴らしいボタン(?)が咲いていたので撮ってみました。

暫く歩くと右側に「大山道と千石堰用水路」の碑がありました。

取り敢えず、昔の人が大山詣で歩いた大山道を撮ってみました。
<上粕屋神社(かみかすやじんじゃ)>

道なりに暫く歩くと上粕屋神社の参道に着きました。

門柱の後に、推定樹齢600余年の大ケヤキがあったので撮ってみました。

ご覧のような参道を通って社殿に向かいますが、両脇には樹齢が経った大木が整列するように並んでいました。

鳥居に着いたので鳥居越しに社殿を撮ってみました。

上粕屋神社の境内はご覧のようにかなり広々としています。

手水舎を撮ってみましたが、『いたずらしたり、物を捨てると、神様の罰があたります。』の注意書きがありました。

隣りにあった鐘楼も撮ってみましたが、ここにも同じ注意書きが貼ってありました。

社殿の隣りに、ご覧のような巨木(ケヤキ?)があったので社殿と一緒に撮ってみました。

社殿に向かっていると、御神木(?)の巨木の洞(うろ)があったので撮ってみました。

社殿で道に迷わないでここまで来れたお礼を兼ねてお参りをしました。


向拝の彫り物が気になったのでアップで撮ってみました。

ついでに、昭和52年12月に建てられた向拝新築記念碑があったので撮ってみました。

境内社の八坂神社があったので撮ってみました。

社殿の裏手に行ってみると、ご覧のような小屋がありました。

中を覗いてみると、石の祠や鬼瓦が置いてありましたが、処分するものですかね!?

巨木と一緒に社殿を斜めから撮って、上粕屋神社を後にしました。

参道の入口に戻ると、道標<太田道灌の墓 0.18km>があったので行ってみることにしました。
<七人塚>


暫く歩くと「七人塚」があったのでお参りをしました。
「七人塚」は、江戸城の築城で有名な太田道灌が主君の上杉定正が「道灌 謀反心あり」と疑われ、定正の糟屋館に招かれ、刺客によって暗殺された際、上杉方の攻撃を一手に引き受けて討ち死にした道灌の家臣7人の墓と伝えられています。
<洞昌院(とうしょういん)>

太田道灌の墓に着きましたが、お墓は洞昌院の境内の一角の太田道灌墓所にありました。

太田道灌の墓にお参りをしましたが、左右にある大きな帽子のような屋根は何でしょうね!?
太田道灌の墓にお参りをしたので、洞昌院の境内を散策することにしました。

太田道灌墓所の隣りに、ご覧のような地蔵群や供養塔が並んでいたので撮ってみました。


吉祥菩薩が掲げられているお堂があったので、失礼して内部を撮らせていただきました。

寂光窟諸精霊と書かれた石柱の隣りに、ご覧のようなものが祀られていたので撮ってみました。

太田道灌の霊廟「三徳殿」があったので撮ってみました。


本堂に向って歩いていると、大きな枝垂れ桜があったので内側も撮ってみました。

枝垂れ桜の下をくぐると右側にご覧のような本堂がありました。


本堂で、ここまで無事に来れたお礼を兼ねてお参りをすることにしました。
左右の柱には、「自浄其意是諸仏教」、「諸悪莫作衆善奉行」と彫られていましたが意味不明です。

お参りしてから、失礼して本堂内部も撮らせていただきました。
洞昌院は横から入ってしまったので、帰りは参道を通って出ることにしました。

参道に六地蔵尊が祀られていたので撮ってみました。

六地蔵尊の向かい側にあった祠の前に、可愛らしい狛犬(?)がいたので撮ってみました。

山門に着いたので、本堂と一緒に撮ってみました。


石段の脇に「観音巡礼塔(道標)」があったのでアップで撮ってみました。
洞昌院を後に、県道611号線に出てバスで伊勢原駅に戻ることにしました。
<バス停「〆引」に向かう>

洞昌院を後に、暫く歩くと「大山道と三所石橋造立供養塔」があったので撮ってみました。


東名高速道路手前の龍厳山金光寺に、ご覧のような金光観音が立っていたので参拝することにしました。


バス停「〆引」に着くと、向かい側に五霊神社(ごりょうじんじゃ)があったのでここでもお参りをしました。
バス停に戻ると、運良く伊勢原駅北口行きのバスが来たので殆ど待たずに乗れました。
伊勢原駅北口に着いたので、大山の帰りに寄る割烹・小料理屋に行ってみました。
開店前(16時半)だったのですが、帰りがけに運良く女将(?)に会ったので開けて貰えました。
今回の「伊勢原:三之宮比々多神社~上粕屋神社」は、大した地図もなくいろんな所が回れたので大変満足しています。
尚、万歩計は15,000歩を越えていたので、運動不足の解消にはなりました。
折角なので、三之宮比々多神社から上粕屋神社まで歩いてみることにしました。
三之宮比々多神社は、伊勢原駅北口からバスに乗ると15分程(バス停「比々多神社」)で着きました。
<三之宮比々多神社(さんのみやひびたじんじゃ)>

比々多神社に着いたので鳥居を撮ってみました。

手水舎で身を清めて境内に入ります。

参道から拝殿を撮ってみましたが、「まが玉祭」にしては人出は多くありませんでした。

右側に満願成就の「相生の欅」があったので撮ってみました。
満願成就の脇に、小さく恋愛成就、夫婦円満、良縁も書いてありましたが、満願成就ならいらないような気がするのですが・・・

境内に入ると左側に鐘楼があったので撮ってみました。

拝殿の前に造られた、「まが玉祭」の祭典(13:00~18:30)の舞台を撮ってみました。

取り敢えず、拝殿を撮って「まが玉祭」の祭典を待つことにしました。

「まが玉祭」の祭典は、「揚武館伊勢原道場」居合抜刀術演武から始まりました。


居合抜刀術演武は20分位で終わるので、それを見てから境内を散策することにしました。

境内の右側に、ご覧のような三ノ宮郷土資料館(拝観料は200円ですが今日は無料)があったので入ってみました。
館内は撮影禁止でしたが、館内には周辺の古墳や遺跡などから出土した縄文・弥生時代の土器類、馬具、刀剣、銅鋺、勾玉などが展示されていました。

郷土資料館を後に、先の方に行ってみるとご覧のような十二支が置いてありました。
案内板には『ご自分の干支との石像に出会い 神さまと森林浴でゆっくりと お寛ぎ心を和め癒されて下さい』と書いてありました。

何故か、十二支はご覧のように二匹づつ並んでいました。

更に先の方に行ってみると、三之宮三号墳があったので撮ってみました。


三之宮三号墳の横を通って先の方に行くと、フェンスに囲まれていますがご覧のような下谷戸縄文遺跡がありました。


拝殿の横に戻ってみると、神輿殿の中に立派なお神輿が置いてあったので撮ってみました。

拝殿を横から見ると、紐にご覧のような小さな鈴が付いていたのでアップで撮ってみました。

境内から外に出ると神池があって、赤色の鯉が泳いでいました。
この赤色の鯉は、最近、神池の仲間になったみたいです。

神池を眺めていると、古参の鯉も仲良く並んで存在感を示していました。
<比々多神社元宮に向かう>

境内に戻っても仕方がないので、ご覧のような道路を通って元宮に行ってみることにしました。

道なりに5分程歩くと恵泉女子短大(?)の敷地内に埒面(らちめん)古墳がありました。

敷地内に入れなかったので、案内板を撮ってみました。
案内板に依ると、埒面古墳は昭和39年に恵泉女子短大の建設中に発見された古墳みたいです。

埒面古墳を後に、ご覧のような急な山道を更に登ります。

山道を登り切ると道は二股に分かれていましたが、右側の看板がある方に行ってみました。
<比々多神社元宮>

近くに行ってみると、比々多神社元宮の看板が建っていて近くに小さな祠がありました。
申し訳ありませんが、もっと立派な元宮があると思っていたのですが・・・

取り敢えず、元宮をアップで撮って、ここで一休みすることにしました。

一休みしてから眼下に見える伊勢原市内を撮ってみました。

手前に東名高速道路が見えたのでアップで撮ってみました。

炎天下で木陰もなかったので、特徴的な2本の椰子(?)を撮って元宮を後にしました。
三之宮比々多神社に戻っても仕方がないで、少し距離がありますが上粕屋神社に行ってみることにしました。
来た道を戻って、途中で広い道に出て東北の方角に行けば上粕屋神社に着ける筈です。
<上粕屋神社に向かう>

広い道に出て10分程歩くと、道端にご覧のような観音様(?)が祀ってありました。
取り敢えず、『道に迷わないで上粕屋神社に着けますよう』お参りをしました。

観音様にお参りしてから道なりに10分程山道を歩くと、ご覧のような伯母様村観音がありました。

面白い名前だったので石碑を撮ってみました。
石碑の歴史に依ると、1550年代後半に、北条氏が家臣の市施弾正左衛門康則にこのあたりを領地として与え、市施氏の伯母の梅林理香大姉が所領していたため「伯母様村」というようになったみたいです。
伯母様村観音から県道(612号線?)が見えたので、取り敢えず行ってみることにしました。

県道に出ると道標<上粕屋神社 620m>がありました(ホッ!)。
観音様にお参りした甲斐がありましたね!?





道標に従って上粕屋神社に向かって歩いていると、道端に素晴らしいボタン(?)が咲いていたので撮ってみました。

暫く歩くと右側に「大山道と千石堰用水路」の碑がありました。

取り敢えず、昔の人が大山詣で歩いた大山道を撮ってみました。
<上粕屋神社(かみかすやじんじゃ)>

道なりに暫く歩くと上粕屋神社の参道に着きました。

門柱の後に、推定樹齢600余年の大ケヤキがあったので撮ってみました。

ご覧のような参道を通って社殿に向かいますが、両脇には樹齢が経った大木が整列するように並んでいました。

鳥居に着いたので鳥居越しに社殿を撮ってみました。

上粕屋神社の境内はご覧のようにかなり広々としています。

手水舎を撮ってみましたが、『いたずらしたり、物を捨てると、神様の罰があたります。』の注意書きがありました。

隣りにあった鐘楼も撮ってみましたが、ここにも同じ注意書きが貼ってありました。

社殿の隣りに、ご覧のような巨木(ケヤキ?)があったので社殿と一緒に撮ってみました。

社殿に向かっていると、御神木(?)の巨木の洞(うろ)があったので撮ってみました。

社殿で道に迷わないでここまで来れたお礼を兼ねてお参りをしました。


向拝の彫り物が気になったのでアップで撮ってみました。

ついでに、昭和52年12月に建てられた向拝新築記念碑があったので撮ってみました。

境内社の八坂神社があったので撮ってみました。

社殿の裏手に行ってみると、ご覧のような小屋がありました。

中を覗いてみると、石の祠や鬼瓦が置いてありましたが、処分するものですかね!?

巨木と一緒に社殿を斜めから撮って、上粕屋神社を後にしました。

参道の入口に戻ると、道標<太田道灌の墓 0.18km>があったので行ってみることにしました。
<七人塚>


暫く歩くと「七人塚」があったのでお参りをしました。
「七人塚」は、江戸城の築城で有名な太田道灌が主君の上杉定正が「道灌 謀反心あり」と疑われ、定正の糟屋館に招かれ、刺客によって暗殺された際、上杉方の攻撃を一手に引き受けて討ち死にした道灌の家臣7人の墓と伝えられています。
<洞昌院(とうしょういん)>

太田道灌の墓に着きましたが、お墓は洞昌院の境内の一角の太田道灌墓所にありました。

太田道灌の墓にお参りをしましたが、左右にある大きな帽子のような屋根は何でしょうね!?
太田道灌の墓にお参りをしたので、洞昌院の境内を散策することにしました。

太田道灌墓所の隣りに、ご覧のような地蔵群や供養塔が並んでいたので撮ってみました。


吉祥菩薩が掲げられているお堂があったので、失礼して内部を撮らせていただきました。

寂光窟諸精霊と書かれた石柱の隣りに、ご覧のようなものが祀られていたので撮ってみました。

太田道灌の霊廟「三徳殿」があったので撮ってみました。


本堂に向って歩いていると、大きな枝垂れ桜があったので内側も撮ってみました。

枝垂れ桜の下をくぐると右側にご覧のような本堂がありました。


本堂で、ここまで無事に来れたお礼を兼ねてお参りをすることにしました。
左右の柱には、「自浄其意是諸仏教」、「諸悪莫作衆善奉行」と彫られていましたが意味不明です。

お参りしてから、失礼して本堂内部も撮らせていただきました。
洞昌院は横から入ってしまったので、帰りは参道を通って出ることにしました。

参道に六地蔵尊が祀られていたので撮ってみました。

六地蔵尊の向かい側にあった祠の前に、可愛らしい狛犬(?)がいたので撮ってみました。

山門に着いたので、本堂と一緒に撮ってみました。


石段の脇に「観音巡礼塔(道標)」があったのでアップで撮ってみました。
洞昌院を後に、県道611号線に出てバスで伊勢原駅に戻ることにしました。
<バス停「〆引」に向かう>

洞昌院を後に、暫く歩くと「大山道と三所石橋造立供養塔」があったので撮ってみました。


東名高速道路手前の龍厳山金光寺に、ご覧のような金光観音が立っていたので参拝することにしました。


バス停「〆引」に着くと、向かい側に五霊神社(ごりょうじんじゃ)があったのでここでもお参りをしました。
バス停に戻ると、運良く伊勢原駅北口行きのバスが来たので殆ど待たずに乗れました。
伊勢原駅北口に着いたので、大山の帰りに寄る割烹・小料理屋に行ってみました。
開店前(16時半)だったのですが、帰りがけに運良く女将(?)に会ったので開けて貰えました。
今回の「伊勢原:三之宮比々多神社~上粕屋神社」は、大した地図もなくいろんな所が回れたので大変満足しています。
尚、万歩計は15,000歩を越えていたので、運動不足の解消にはなりました。
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