12月8日(土)は、杉並区荻窪で野暮用があったので、帰りに紅葉を探しながら荻窪駅の南口・北口界隈を歩いてみました。
尚、荻窪駅周辺を歩くのは初めてなので、杉並区HP「駅からお散歩マップ」の「おぎくぼ南エリア(約2.5時間)」と「おぎくぼ北エリア(約1時間)」をダウンロードして持参しました。
取り敢えず、「おぎくぼ南エリア」から回ることにしました。
商店街を抜けると、ご覧のような三叉路がありました。
行く予定の大田黒公園や角川公園の案内が出ていましたが、持参した散策マップに従って進みます。
<明治天皇荻窪御小休所>
三叉路の先に、明治天皇荻窪御小休所の長屋門がありました。
明治天皇が小金井の観桜会で小休所として利用したみたいです。
堂々とした長屋門を撮って中に入ってみることにしました。
木戸から中を覗くと立派な建物が見えましたが・・・
長屋門の先には、ご覧のような高層ビルが建っていました。
⇒ どうやら門だけを残したみたいです。
折角なので、長屋門を反対側から撮ってみました。
<西郊ロッヂング>
散策マップに従って更に進むと、ご覧のようなレトロな西郊ロッヂングがありました。
昭和の初めに全室洋間の高級下宿として創業し、現在はアパートと割烹旅館として営業しているみたいです。
取り敢えず、入口を撮ってみました。
蔦(?)が外塀から建物の外壁まで絡まっていたので撮ってみました。
尚、西郊ロッヂングは、国の登録有形文化財に指定されています。
<読書の森公園>
荻窪体育館の前に遣って来ると、向かい側に「読書の森公園」があったので入ってみました。
園内に入って左の方に行くと、東屋(?)の近くにご覧のような紅葉がありました。
素晴らしい紅葉だったので、東屋と一緒に撮ってみました。
折角なので、素晴らしい紅葉を下からアップで撮ってみました。
更に、散策路の先に行ってみました。
ご覧のようなガンジー像があったので撮ってみました。
このガンジ―像は、2008年に、故ニルマラ・デシュパンデ女史の遺志により、ガンジーの精神に基づいて、世界平和と相互理解が強められることを祈念して贈られたようです。
尚、後ろの建物は杉並区立中央図書館です。
散策路を戻っていると、左側にベンチのある園内が見えたので撮ってみました。
帰りがけに、反対側からも素晴らしい紅葉を撮って公園を後にしました。
<オーロラの碑>
公園を出ると、荻窪体育館入口の右側に、ご覧のような「オーロラの碑」があったので撮ってみました。
「記念碑の由来」には、『昭和29年(1954)3月ビキニ環礁水爆実験をきっかけとして、杉並区立公民館を拠点として区民の間に広まった原水爆禁止署名運動があって、世界的な原水爆禁止運動の発祥の地と言われております。・・・人類普遍の願いである永遠の平和を希求して記念碑を建立したものであります。』と書いてありました。
<大田黒公園>
荻窪体育館から散策マップに従って進みましたが、大田黒公園の横に出てしまったので公園の正門に着くまで大分時間が掛かってしまいました。
尚、「読書の森公園」からは10分程度です。
取り敢えず、大田黒公園の正門を撮ってみました。
大田黒公園は、音楽評論家の大田黒元雄(おおたぐろ もとお、893~1979)の屋敷跡にある公園です。
私が大田黒元雄の名前を知っているのは、NHKラジオ番組『話の泉』(1946~1964)を聞いていたから!?
門をくぐると、黄金色の落ち葉のあるイチョウ並木がありました。
写真を撮っている人がいたので私も撮ってみました。
ついでに、黄金色の落ち葉も撮ってみました。
樹齢100年を超えるイチョウを撮ってみました。
イチョウ並木の中程に遣って来たので撮ってみました。
イチョウ並木の先に、日本庭園の入口が見えました。
右側に、管理事務所への通路があったのですが、取り敢えず、日本庭園から回ってみることにしました。
門をくぐると、回遊式庭園の素晴らしい紅葉が見えたので撮ってみました。
庭園の素晴らしい紅葉を眺めながら、奥の池に向かって散策路を下ります。
池の近くの水路に、ご覧のような苔石があったので撮ってみました。
東屋のあるご覧のような池に着きましたが、東屋では大勢の人が休んでいました。
東屋の近くで、ご覧のような鯉が泳いでいたので撮ってみました。
東屋を過ぎると、先の方にご覧のような紅葉が見えたので撮ってみました。
近くに遣って来たので、横からアップで撮ってみました。
ここからは、ご覧のような上りの散策路になりました。
散策路の脇に、ご覧のような素晴らしい紅葉が見えたのでアップで撮ってみました。
散策路の途中で右に曲がると、先程の東屋が見えたので紅葉と一緒に撮ってみました。
左側の芝生の中央に、ご覧のような松の大木があったので撮ってみました。
ついでに、松の足元に紅葉があったので撮ってみました。
見頃の過ぎた紅葉があったのですが、取り敢えず、熊笹と一緒に撮ってみました。
元の散策路に戻って、先に見える記念館に行ってみました。
散策路を上っていると、松の幹にワラが巻かれている「こも巻き」があったので撮ってみました。
⇒ 冬が近付いている感じがしますね!
記念館は、庭園側からは入れないので反対側に回ってみました。
記念館の入口の前に、説明案内板「大田黒公園について」があったので撮ってみました。
この記念館は、大田黒元雄が47年有余にわたって音楽活動を続けられた部屋で、生前、使用された蓄音機やピアノなどが展示されていました。
記念館を出ると、目の前にご覧のような橙(ダイダイ)があったので撮ってみました。
記念館の右側から下の方に見えた紅葉を撮って、管理事務所に行ってみました。
管理事務所に着くと、ご覧のような紅葉が見えたので撮ってみました。
管理事務所の水槽に、産卵孵化した「鯉(コイ)の稚魚」がいたので撮ってみました。
⇒ 稚魚なのに、もう頭(?)に黒い斑点が現れていますね!
管理事務所からイチョウ並木に戻っていると、竹と紅葉の素晴らしいコラボレーションがあったので撮ってみました。
折角なので、アップでも撮ってみました。
イチョウ並木を撮って正門を出て、次の角川庭園に向かいました。
大田黒公園を後に、散策マップに従って歩いていると、大田黒公園の裏門があったので撮ってみました。
尚、裏門からは入れませんの注意書きがありました。
裏門から暫く歩くと、東京都優良民間賃貸住宅の前の道路に、ご覧のような松があったので撮ってみました。
⇒ 東京都も粋な計らいもするのですね!?
<角川庭園>
角川庭園は、散策マップに従って進んだのですが、途中で少し迷ってしまい、大田黒公園からは10分程掛かってしまいました。
ご覧のような出入口から庭園に入ります。
角川庭園は、角川書店の創立者の角川源義(かどかわ げんよし、1917~1975)の旧邸宅で、遺族により2006年に杉並区に寄贈されました。
園内に入って、右に曲がると邸宅が、直進すると庭園があります。
取り敢えず、右に曲がって国の登録有形文化財に指定されている邸宅に行ってみました。
右側に、松と芭蕉(バショウ)が植えてあったので撮ってみました。
邸宅に入ると玄関の左側に旧応接間を改装した展示室があったので撮ってみました。
展示室の隣りには、陽当たりの良さそうな詩歌室1がありました。
ここからだと庭園が眺められるので好い詩歌が出来そうですね!
尚、詩歌室1の奥には詩歌室2がありました。
邸宅を出て、石畳の小径を通って庭園に行ってみました。
取り敢えず、庭園から邸宅を撮ってみました。
ついでに、詩歌室1も撮ってみました。
テラスの横に、狂い咲きのツツジ(?)が咲いていたのでアップで撮ってみました。
振り返って庭園を撮ってみました。
詩歌室2の前に、ダイダイ(?)が生っていたので撮ってみました。
近くに、ご覧のような水今窟があって、蹲踞(つくばい)から水を掬って流すと心地良い音色がしました。
庭園にあったススキを撮って、石畳の小径に戻りました。
石畳の小径の脇に、珍しい関守石があったので撮ってみました。
尚、関守石 (せきもりいし)には「これより中に入ることは遠慮されたし」の意味があります。
<荻外荘公園(てきがいそうこうえん)>
角川庭園を後に、散策マップに従って5分程歩くと荻外荘公園に着きました。
ご覧のような芝生の公園で、特に見るものはなさそうです。
公園の西側に、紅葉が見えたので芝生の脇を通って行ってみました。
北側の奥に説明案内板が見えたので行ってみると、ご覧のような標柱が建っていました。
荻外荘は、昭和前期に総理大臣を3度務めた政治家の近衛文麿の邸宅で、現在は芝生のある南側が公園として一般公開されています。
北側の敷地と建物は公開されていないので、フェンス越しに邸宅を撮ってみました。
尚、近衛文麿は昭和20年(1945)12月16日に書斎(真ん中の部屋)で自決しています。
邸宅をバックに、芝生を撮って荻外荘公園を後にしました。
次は、環状八号線を渡って与謝野公園に行ってみることにしました。
<環状八号線に向かう>
荻外荘公園を後に散策マップに従って歩いていると、ご覧のような立派な壁のある家の前を通りました。
門の前に行ってみると、ご覧のような紅葉があったので撮ってみました。
又、向かい側の家にも、紅葉があったので撮ってみました。
電線が邪魔していますが、素晴らしい紅葉だったのでアップで撮ってみました。
善福寺川に架かる春日橋に遣って来ました。
善福寺川の水草(?)が多かったのでアップで撮ってみました。
春日橋から下流に見えた忍川下橋(おしかわしもばし)を撮ってみました。
<与謝野公園>
環状八号線の信号「荻窪2丁目」を渡って、暫く歩くと右側に与謝野公園がありました。
与謝野公園は、与謝野寛(鉄幹)・晶子が晩年を過ごした旧居跡です。両人は明治・大正・昭和にわたり近代詩歌に功績を残した歌人で、明治37年に詠んだ「君死にたまふことなかれ」晶子の詩です。
取り敢えず、園内の奥の方を撮ってみました。
園内に素晴らしい紅葉があったので撮ってみました。
上がモミジ、下がドウダンツツジの紅葉だったので別角度から撮ってみました。
又、紅葉が素晴らしいドウダンツツジだったのでアップで撮ってみました。
散策路には、鉄幹や晶子の短歌碑が並んでいました。
紅葉と一緒に短歌碑を撮ってみました。
公園を一回りしたので、与謝野公園の奥を撮ってみました。
お腹も空いて来たので、荻窪南口仲通り商店街に行って遅い昼食を取ることにしました。
<忍川上橋>
荻窪南口仲通り商店街へは、環状八号線を渡り善福寺川の忍川上橋(おしかわかみばし)から行ってみました。
忍川上橋から善福寺川の水草を撮ってみましたが、後で見ると川沿いの建物が写っていました。
12時半を回っていましたが、適当なお店を見つけられなかったので、中華料理店「香酒縁(こうしゅえん)」に入って軽く飲みながら昼食を取ることにしました。
香酒縁は、コスパが高く居心地も良かったので、お店を出たのは14時を回っていました。
「荻窪をぶらり(北エリア編)」に続く。
尚、荻窪駅周辺を歩くのは初めてなので、杉並区HP「駅からお散歩マップ」の「おぎくぼ南エリア(約2.5時間)」と「おぎくぼ北エリア(約1時間)」をダウンロードして持参しました。
取り敢えず、「おぎくぼ南エリア」から回ることにしました。
商店街を抜けると、ご覧のような三叉路がありました。
行く予定の大田黒公園や角川公園の案内が出ていましたが、持参した散策マップに従って進みます。
<明治天皇荻窪御小休所>
三叉路の先に、明治天皇荻窪御小休所の長屋門がありました。
明治天皇が小金井の観桜会で小休所として利用したみたいです。
堂々とした長屋門を撮って中に入ってみることにしました。
木戸から中を覗くと立派な建物が見えましたが・・・
長屋門の先には、ご覧のような高層ビルが建っていました。
⇒ どうやら門だけを残したみたいです。
折角なので、長屋門を反対側から撮ってみました。
<西郊ロッヂング>
散策マップに従って更に進むと、ご覧のようなレトロな西郊ロッヂングがありました。
昭和の初めに全室洋間の高級下宿として創業し、現在はアパートと割烹旅館として営業しているみたいです。
取り敢えず、入口を撮ってみました。
蔦(?)が外塀から建物の外壁まで絡まっていたので撮ってみました。
尚、西郊ロッヂングは、国の登録有形文化財に指定されています。
<読書の森公園>
荻窪体育館の前に遣って来ると、向かい側に「読書の森公園」があったので入ってみました。
園内に入って左の方に行くと、東屋(?)の近くにご覧のような紅葉がありました。
素晴らしい紅葉だったので、東屋と一緒に撮ってみました。
折角なので、素晴らしい紅葉を下からアップで撮ってみました。
更に、散策路の先に行ってみました。
ご覧のようなガンジー像があったので撮ってみました。
このガンジ―像は、2008年に、故ニルマラ・デシュパンデ女史の遺志により、ガンジーの精神に基づいて、世界平和と相互理解が強められることを祈念して贈られたようです。
尚、後ろの建物は杉並区立中央図書館です。
散策路を戻っていると、左側にベンチのある園内が見えたので撮ってみました。
帰りがけに、反対側からも素晴らしい紅葉を撮って公園を後にしました。
<オーロラの碑>
公園を出ると、荻窪体育館入口の右側に、ご覧のような「オーロラの碑」があったので撮ってみました。
「記念碑の由来」には、『昭和29年(1954)3月ビキニ環礁水爆実験をきっかけとして、杉並区立公民館を拠点として区民の間に広まった原水爆禁止署名運動があって、世界的な原水爆禁止運動の発祥の地と言われております。・・・人類普遍の願いである永遠の平和を希求して記念碑を建立したものであります。』と書いてありました。
<大田黒公園>
荻窪体育館から散策マップに従って進みましたが、大田黒公園の横に出てしまったので公園の正門に着くまで大分時間が掛かってしまいました。
尚、「読書の森公園」からは10分程度です。
取り敢えず、大田黒公園の正門を撮ってみました。
大田黒公園は、音楽評論家の大田黒元雄(おおたぐろ もとお、893~1979)の屋敷跡にある公園です。
私が大田黒元雄の名前を知っているのは、NHKラジオ番組『話の泉』(1946~1964)を聞いていたから!?
門をくぐると、黄金色の落ち葉のあるイチョウ並木がありました。
写真を撮っている人がいたので私も撮ってみました。
ついでに、黄金色の落ち葉も撮ってみました。
樹齢100年を超えるイチョウを撮ってみました。
イチョウ並木の中程に遣って来たので撮ってみました。
イチョウ並木の先に、日本庭園の入口が見えました。
右側に、管理事務所への通路があったのですが、取り敢えず、日本庭園から回ってみることにしました。
門をくぐると、回遊式庭園の素晴らしい紅葉が見えたので撮ってみました。
庭園の素晴らしい紅葉を眺めながら、奥の池に向かって散策路を下ります。
池の近くの水路に、ご覧のような苔石があったので撮ってみました。
東屋のあるご覧のような池に着きましたが、東屋では大勢の人が休んでいました。
東屋の近くで、ご覧のような鯉が泳いでいたので撮ってみました。
東屋を過ぎると、先の方にご覧のような紅葉が見えたので撮ってみました。
近くに遣って来たので、横からアップで撮ってみました。
ここからは、ご覧のような上りの散策路になりました。
散策路の脇に、ご覧のような素晴らしい紅葉が見えたのでアップで撮ってみました。
散策路の途中で右に曲がると、先程の東屋が見えたので紅葉と一緒に撮ってみました。
左側の芝生の中央に、ご覧のような松の大木があったので撮ってみました。
ついでに、松の足元に紅葉があったので撮ってみました。
見頃の過ぎた紅葉があったのですが、取り敢えず、熊笹と一緒に撮ってみました。
元の散策路に戻って、先に見える記念館に行ってみました。
散策路を上っていると、松の幹にワラが巻かれている「こも巻き」があったので撮ってみました。
⇒ 冬が近付いている感じがしますね!
記念館は、庭園側からは入れないので反対側に回ってみました。
記念館の入口の前に、説明案内板「大田黒公園について」があったので撮ってみました。
この記念館は、大田黒元雄が47年有余にわたって音楽活動を続けられた部屋で、生前、使用された蓄音機やピアノなどが展示されていました。
記念館を出ると、目の前にご覧のような橙(ダイダイ)があったので撮ってみました。
記念館の右側から下の方に見えた紅葉を撮って、管理事務所に行ってみました。
管理事務所に着くと、ご覧のような紅葉が見えたので撮ってみました。
管理事務所の水槽に、産卵孵化した「鯉(コイ)の稚魚」がいたので撮ってみました。
⇒ 稚魚なのに、もう頭(?)に黒い斑点が現れていますね!
管理事務所からイチョウ並木に戻っていると、竹と紅葉の素晴らしいコラボレーションがあったので撮ってみました。
折角なので、アップでも撮ってみました。
イチョウ並木を撮って正門を出て、次の角川庭園に向かいました。
大田黒公園を後に、散策マップに従って歩いていると、大田黒公園の裏門があったので撮ってみました。
尚、裏門からは入れませんの注意書きがありました。
裏門から暫く歩くと、東京都優良民間賃貸住宅の前の道路に、ご覧のような松があったので撮ってみました。
⇒ 東京都も粋な計らいもするのですね!?
<角川庭園>
角川庭園は、散策マップに従って進んだのですが、途中で少し迷ってしまい、大田黒公園からは10分程掛かってしまいました。
ご覧のような出入口から庭園に入ります。
角川庭園は、角川書店の創立者の角川源義(かどかわ げんよし、1917~1975)の旧邸宅で、遺族により2006年に杉並区に寄贈されました。
園内に入って、右に曲がると邸宅が、直進すると庭園があります。
取り敢えず、右に曲がって国の登録有形文化財に指定されている邸宅に行ってみました。
右側に、松と芭蕉(バショウ)が植えてあったので撮ってみました。
邸宅に入ると玄関の左側に旧応接間を改装した展示室があったので撮ってみました。
展示室の隣りには、陽当たりの良さそうな詩歌室1がありました。
ここからだと庭園が眺められるので好い詩歌が出来そうですね!
尚、詩歌室1の奥には詩歌室2がありました。
邸宅を出て、石畳の小径を通って庭園に行ってみました。
取り敢えず、庭園から邸宅を撮ってみました。
ついでに、詩歌室1も撮ってみました。
テラスの横に、狂い咲きのツツジ(?)が咲いていたのでアップで撮ってみました。
振り返って庭園を撮ってみました。
詩歌室2の前に、ダイダイ(?)が生っていたので撮ってみました。
近くに、ご覧のような水今窟があって、蹲踞(つくばい)から水を掬って流すと心地良い音色がしました。
庭園にあったススキを撮って、石畳の小径に戻りました。
石畳の小径の脇に、珍しい関守石があったので撮ってみました。
尚、関守石 (せきもりいし)には「これより中に入ることは遠慮されたし」の意味があります。
<荻外荘公園(てきがいそうこうえん)>
角川庭園を後に、散策マップに従って5分程歩くと荻外荘公園に着きました。
ご覧のような芝生の公園で、特に見るものはなさそうです。
公園の西側に、紅葉が見えたので芝生の脇を通って行ってみました。
北側の奥に説明案内板が見えたので行ってみると、ご覧のような標柱が建っていました。
荻外荘は、昭和前期に総理大臣を3度務めた政治家の近衛文麿の邸宅で、現在は芝生のある南側が公園として一般公開されています。
北側の敷地と建物は公開されていないので、フェンス越しに邸宅を撮ってみました。
尚、近衛文麿は昭和20年(1945)12月16日に書斎(真ん中の部屋)で自決しています。
邸宅をバックに、芝生を撮って荻外荘公園を後にしました。
次は、環状八号線を渡って与謝野公園に行ってみることにしました。
<環状八号線に向かう>
荻外荘公園を後に散策マップに従って歩いていると、ご覧のような立派な壁のある家の前を通りました。
門の前に行ってみると、ご覧のような紅葉があったので撮ってみました。
又、向かい側の家にも、紅葉があったので撮ってみました。
電線が邪魔していますが、素晴らしい紅葉だったのでアップで撮ってみました。
善福寺川に架かる春日橋に遣って来ました。
善福寺川の水草(?)が多かったのでアップで撮ってみました。
春日橋から下流に見えた忍川下橋(おしかわしもばし)を撮ってみました。
<与謝野公園>
環状八号線の信号「荻窪2丁目」を渡って、暫く歩くと右側に与謝野公園がありました。
与謝野公園は、与謝野寛(鉄幹)・晶子が晩年を過ごした旧居跡です。両人は明治・大正・昭和にわたり近代詩歌に功績を残した歌人で、明治37年に詠んだ「君死にたまふことなかれ」晶子の詩です。
取り敢えず、園内の奥の方を撮ってみました。
園内に素晴らしい紅葉があったので撮ってみました。
上がモミジ、下がドウダンツツジの紅葉だったので別角度から撮ってみました。
又、紅葉が素晴らしいドウダンツツジだったのでアップで撮ってみました。
散策路には、鉄幹や晶子の短歌碑が並んでいました。
紅葉と一緒に短歌碑を撮ってみました。
公園を一回りしたので、与謝野公園の奥を撮ってみました。
お腹も空いて来たので、荻窪南口仲通り商店街に行って遅い昼食を取ることにしました。
<忍川上橋>
荻窪南口仲通り商店街へは、環状八号線を渡り善福寺川の忍川上橋(おしかわかみばし)から行ってみました。
忍川上橋から善福寺川の水草を撮ってみましたが、後で見ると川沿いの建物が写っていました。
12時半を回っていましたが、適当なお店を見つけられなかったので、中華料理店「香酒縁(こうしゅえん)」に入って軽く飲みながら昼食を取ることにしました。
香酒縁は、コスパが高く居心地も良かったので、お店を出たのは14時を回っていました。
「荻窪をぶらり(北エリア編)」に続く。
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