「大雄山最乗寺ハイキング(枝垂れ桜編)」から続く。
<「おんり~ゆ~」に向かう>

案内板に従って、ご覧のような道を通って「おんり~ゆ~」に向かいました。
「道路幅せまい徐行運転」の注意書きがありました。

道路を歩いていると、ご覧のような山桜が咲いていたので撮ってみました。



折角なので、アップでも撮ってみました。

振り返って、歩いて来た道を撮ってみました。

右側に広がるご覧のような田園風景を眺めながら坂道を上ります。


坂道を上るにつれて、ご覧のような杉林の山道になりました。


辺りに何もない山道を道なりに上ります。

案内板から山道を10分程上ると、ご覧のような案内板のあるバス道路に出ました。
尚、「おんり~ゆ~」までは350m、大雄山最乗寺までは1.2kmになっていました。

折角なので、上って来た山道を撮ってみました。

「おんり~ゆ~」に向かって、バス道路を5分程下ると、上総川(かずさかわ)に架かる平石通橋(ひらいしどうりはし)がありました。


取り敢えず、平石通橋から上総川の上流と下流を撮ってみました。
<おんり~ゆ~>

バス停「おんり~ゆ~前」に着いたので、案内板で現在地を確認しました。

ついでに、「おんり~ゆ~」の看板を撮ってみましたが、7年前に通った時とは辺りの様子が大分変っていました。

後ろに、ご覧のような広場があって、山桜と歌碑が建っていたので行ってみました。

歌碑と一緒に山桜を撮ってみました。

歌碑には、「雨の中 あまたの人と 集ひ合ひ 苗植えにけり 足柄の森に」と刻まれていました。
この御製は、天皇皇后両陛下ご臨席のもと、第61回全国植樹祭(平成22年5月23日)が開催された際の情景を、天皇陛下が詠んだものです。


ついでに、山桜をアップで撮ってみました。


この場所は、ご覧のような傾斜地になっていて見晴らしも良かったので、昼食を取ることにしました。

昼食を食べてから下に行くと、ご覧のような案内板<この森林は第61回全国植樹祭に向けてボランティアや市民が整備した>がありました。

ここからは、ご覧のようなバス道路を戻って、大雄山最乗寺の参道に向かいました。
<参道(遊歩道)>

「おんり~ゆ~」からは、15分程で県道723号線の手前に着きました。
県道に出て左に行けば仁王門、右に行けば大雄山最乗寺に着きます。

参道の左側は車道(県道723号線)、右側は遊歩道「天狗の小道」になっています。

石段を上って大雄山最乗寺に向かいますが、下りの参道も撮ってみました。




ご覧のような杉並木の遊歩道を進みます。

遊歩道に、著莪(シャガ)が咲いていたので撮ってみました。

17丁目に着くと、「丸太の森」の矢印案内が出ていました。



一休みしていると、紫色の花を付けた植物があったのでアップで撮ってみました(名前は分かりません)。

ご覧のような石段を上ると18丁目に着きます。

左側に「十八丁目茶屋」の本店が見えたので撮ってみました。
「十八丁目茶屋」は、創業200年の老舗で、本店以外にバスの終点「道了尊」にも分店があります。
分店で食べ物(蕎麦、うどん等)を頼むと本店から届けてくれます。


ご覧のような石段のある遊歩道を更に進みます。

先の方に、「ニ十二丁目茶屋」がありましたが閉まっていました。
22丁目は遊歩道の終点のようですが、バスの終点「道了尊」は少し先にあります。


ここからは、ご覧のような歌碑や玉垣を見ながら先に進みます。
<参道>

ここからは、ご覧のような燈籠の先にある参道を進みます。

燈籠の右側に、安気地蔵堂があったので撮ってみました。


堂内に、延命子育て安気地蔵尊が祀ってあったのでアップで撮らせて頂きました。

参道は3つに分かれていますが、今回は石段のある真ん中の道<三門・総受付>を進んでみました。

左側にある開運橋の先に、立派なお手洗いがあったので撮ってみました。

石段の手前には、「境内での小型無人機(ドローン)の飛行は禁止です!!」の注意書きがありました。

石段を上っていると、太い根を張った木と切株がありました。

取り敢えず、太い根を張った木をアップで撮ってみました。


参道を5分程上ると、三門の下に着きました。

三門を別角度から撮ってみました。

取り敢えず、三門の下部を撮ってみましたが、金剛力士像はいませんでした。
若しかしたら、金剛力士像は仁王門に貸し出したのかも知れませんね!?

仕方がないので、代わりに三門の天井を撮ってみました。


三門の先は、ご覧のような参道が続いていて、所々に玉垣もありました。

左側に、明神ヶ岳登山道に通じている相生橋がありました。

折角なので、相生橋に行って狩川(?)の上流を撮ってみました。

相生橋から戻って、ご覧のような石段の参道を上ります。

取り敢えず、最後の急な石段の参道を撮ってみました。

参道を上り切ると、右側に、ご覧のような石段があって瑠璃門も見えました。


瑠璃門に着いたので撮ってみましたが、逆光だったので別角度からも撮ってみました。
<境内>

境内に入ると、右手に、立派な白雲閣(総受付)が見えたのでアップで撮ってみました。

又、正面の右側には、書院と照心閣があって、手前には案内図「大雄山最乗寺全景」がありました。

取り敢えず、書院を撮って、案内図の方に行ってみました。

折角なので、案内図で現在地を確認しました。

書院の扁額(真如台?)を撮ってみましたが達筆で読めません。

書院の向拝を撮って、本堂の方に行ってみました。


途中、左側に瑠璃門が見えたのでアップでも撮ってみました。

又、右側には、ご覧のような光明亭がありました。

大香炉の近くに遣って来たので、香炉と一緒に僧堂と光明軒を撮ってみました。

近くに、大下駄の案内板があったので撮ってみました。
初代大下駄の目方は400貫(1,500kg)、世界一の和合下駄は1000貫(3,800kg)あります。

本堂の石段の下に着いたので、本堂を撮ってみました(上手く撮れていなくてすいません)。


折角なので、本堂前の「枝垂れ桜」をアップで撮ってみました。


本堂(本殿・護国殿)の前に着いたので、正面をアップで撮ってみました。
ところで、本堂正面の扁額は「護国殿」、本堂内部の扁額は「最乗寺」ですかね!?


折角なので、本堂に上がってお参りをすることにしました。


本堂内部には、ご覧のような須弥壇(しゅみだん)があって御本尊が祀られていました。

折角なので、御本尊「釈迦牟尼仏」をアップで撮らせて頂きましたが、お顔が良く分かりません。

須弥壇の手前に、「花まつり」(4月8日)が近いので、ご覧のようなお釈迦様の像がありました。

折角なので、お釈迦様の像に甘茶をかけてあげました。


本堂の前にあった「枝垂れ桜」を撮って、石段を下りることにしました。

石段を下りると、右側に開山堂(金剛壽院)があったので行ってみました。

取り敢えず、開山堂を正面から撮ってみました。
説明案内板には、『大雄山開祖の了庵慧明禅師及び通幻寂霊、大網明宗、無極慧鉄、春屋宗能の各祖師の尊像、歴代住持の霊牌が祀られている。・・・』と書いてありました。


石段を上って、開山堂の扁額「金剛壽院」と内部を撮ってみました。


開山堂の向かい側に、金剛水堂があったので行ってみました。
説明案内板には、『寺創建時、道了尊者は自ら井戸を掘り、地中から鉄印を掘り出しましたのが大雄山の重宝「御金印」で、御金印を取りだすと霊泉が湧き出したのが金剛水です。』と書いてありました。

金剛水堂前に、一擲石(別名、道了石)があったので撮ってみました。
尚、この石は、道了尊が投げた石と言われています。

ご覧のような石段を上って先に行ってみました。


石段を上っていると、柱に見事な彫刻がしてある鐘楼がありました。

折角なので、上に行って鐘楼を撮ってみました。


更に、石段を上ると、奥に結界門、手前に御供橋・圓通橋があったので撮ってみました。
尚、参拝者が通行できるのは圓通橋だけみたいです。

階段の右側に、手水舎があったので、身を清めてから結界門に向かいました。

扁額「結界」が掛かっている結界門では、金剛製の天狗が睨みを利かせていました。

結界門をくぐると、ご覧のような浄域になっていて、右側には御真殿に行ける石段がありました。

77段あると言われている石段を撮ってみました。

下から見上げると、かなり急な石段ですね!


御真殿(妙覚宝殿)の正面に着いたので、ここまで来れたお礼を兼ねてお参りをしました。

お参りをしてから扁額「妙覚宝殿」を撮ってみました。

御真殿の内部には、ご覧のような団扇があって、奥には扁額「道了大薩埵(どうりょうだいさつた)」が掛かっていました。


御真殿の左手に、奉納された天狗団扇や高下駄があったのでアップで撮ってみました。


奥には、世界一の和合下駄がありました。

朱色の下駄だけでなく、ご覧のような下駄も置いてありました。

又、一本歯の下駄もあったのでアップで撮ってみました。

ベンチで一休みしてから、御真殿の横を通って下に戻ることにしました。

取り敢えず、不動堂の横から下りることにしました。
尚、不動堂には、天祐不動明王と愛染明王が祀られているみたいです。


扁額「天祐不動」が掛かっている不動堂に着きましたが、堂内に人がいて入れませんでした。

又、反対側に回ってみましたが、扁額「清瀧不動」が掛かっていました。

不動堂を後に先に行くと、多宝塔の屋根が見えたので撮ってみました。


多宝塔の下に着いたので、南足柄市の文化財に指定されている多宝塔を撮ってみました。
尚、多宝塔は、文久3年(1863)に建築された境内最古の建物で、塔内には多宝如来が安置されています。

折角なので、石段の下からも多宝塔を撮ってみました。

再び、大香炉の前に戻って来ましたが、時間は15時半近くになっていました。

碧落門をくぐると、石段の下に初代大下駄があったので撮ってみました。

いつものように、三門を後から撮って、バス停「道了尊」に向かいました。
バス停に着くと、次の大雄山駅行きのバスが来るまで時間(約20分)があったので、「十八丁目茶屋」で飲みながらバスを待つことにしました。
帰りのバスは、バス停「おんり~ゆ~前」を通って「花咲く里山コース」の分岐に出て、仁王門の横を通って大雄山駅に向かいました。
<きよ竹食堂>

大雄山駅に着いたので、早速、行きにチェックしてあった居酒屋「きよ竹食堂」に行ってみました。
中華料理がメインだと思っていたのですが、お刺身等も食べれて正解でした。
今回の「大雄山最乗寺ハイキング」は、満開は過ぎていましたが里山の「しだれ桜」や所どころで「枝垂れ桜」が堪能できて、どうにか大雄山最乗寺まで行けたので良かったです。
ところで、お寺の名前が、山号「大雄山」を付けて呼んでいたり、バス停名が「道了尊」となっていたり統一されていないのは珍しいですね!
尚、万歩計は、それなりに歩いたので18,000歩を超えていました。
<「おんり~ゆ~」に向かう>

案内板に従って、ご覧のような道を通って「おんり~ゆ~」に向かいました。
「道路幅せまい徐行運転」の注意書きがありました。

道路を歩いていると、ご覧のような山桜が咲いていたので撮ってみました。



折角なので、アップでも撮ってみました。

振り返って、歩いて来た道を撮ってみました。

右側に広がるご覧のような田園風景を眺めながら坂道を上ります。


坂道を上るにつれて、ご覧のような杉林の山道になりました。


辺りに何もない山道を道なりに上ります。

案内板から山道を10分程上ると、ご覧のような案内板のあるバス道路に出ました。
尚、「おんり~ゆ~」までは350m、大雄山最乗寺までは1.2kmになっていました。

折角なので、上って来た山道を撮ってみました。

「おんり~ゆ~」に向かって、バス道路を5分程下ると、上総川(かずさかわ)に架かる平石通橋(ひらいしどうりはし)がありました。


取り敢えず、平石通橋から上総川の上流と下流を撮ってみました。
<おんり~ゆ~>

バス停「おんり~ゆ~前」に着いたので、案内板で現在地を確認しました。

ついでに、「おんり~ゆ~」の看板を撮ってみましたが、7年前に通った時とは辺りの様子が大分変っていました。

後ろに、ご覧のような広場があって、山桜と歌碑が建っていたので行ってみました。

歌碑と一緒に山桜を撮ってみました。

歌碑には、「雨の中 あまたの人と 集ひ合ひ 苗植えにけり 足柄の森に」と刻まれていました。
この御製は、天皇皇后両陛下ご臨席のもと、第61回全国植樹祭(平成22年5月23日)が開催された際の情景を、天皇陛下が詠んだものです。


ついでに、山桜をアップで撮ってみました。


この場所は、ご覧のような傾斜地になっていて見晴らしも良かったので、昼食を取ることにしました。

昼食を食べてから下に行くと、ご覧のような案内板<この森林は第61回全国植樹祭に向けてボランティアや市民が整備した>がありました。

ここからは、ご覧のようなバス道路を戻って、大雄山最乗寺の参道に向かいました。
<参道(遊歩道)>

「おんり~ゆ~」からは、15分程で県道723号線の手前に着きました。
県道に出て左に行けば仁王門、右に行けば大雄山最乗寺に着きます。

参道の左側は車道(県道723号線)、右側は遊歩道「天狗の小道」になっています。

石段を上って大雄山最乗寺に向かいますが、下りの参道も撮ってみました。




ご覧のような杉並木の遊歩道を進みます。

遊歩道に、著莪(シャガ)が咲いていたので撮ってみました。

17丁目に着くと、「丸太の森」の矢印案内が出ていました。



一休みしていると、紫色の花を付けた植物があったのでアップで撮ってみました(名前は分かりません)。

ご覧のような石段を上ると18丁目に着きます。

左側に「十八丁目茶屋」の本店が見えたので撮ってみました。
「十八丁目茶屋」は、創業200年の老舗で、本店以外にバスの終点「道了尊」にも分店があります。
分店で食べ物(蕎麦、うどん等)を頼むと本店から届けてくれます。


ご覧のような石段のある遊歩道を更に進みます。

先の方に、「ニ十二丁目茶屋」がありましたが閉まっていました。
22丁目は遊歩道の終点のようですが、バスの終点「道了尊」は少し先にあります。


ここからは、ご覧のような歌碑や玉垣を見ながら先に進みます。
<参道>

ここからは、ご覧のような燈籠の先にある参道を進みます。

燈籠の右側に、安気地蔵堂があったので撮ってみました。


堂内に、延命子育て安気地蔵尊が祀ってあったのでアップで撮らせて頂きました。

参道は3つに分かれていますが、今回は石段のある真ん中の道<三門・総受付>を進んでみました。

左側にある開運橋の先に、立派なお手洗いがあったので撮ってみました。

石段の手前には、「境内での小型無人機(ドローン)の飛行は禁止です!!」の注意書きがありました。

石段を上っていると、太い根を張った木と切株がありました。

取り敢えず、太い根を張った木をアップで撮ってみました。


参道を5分程上ると、三門の下に着きました。

三門を別角度から撮ってみました。

取り敢えず、三門の下部を撮ってみましたが、金剛力士像はいませんでした。
若しかしたら、金剛力士像は仁王門に貸し出したのかも知れませんね!?

仕方がないので、代わりに三門の天井を撮ってみました。


三門の先は、ご覧のような参道が続いていて、所々に玉垣もありました。

左側に、明神ヶ岳登山道に通じている相生橋がありました。

折角なので、相生橋に行って狩川(?)の上流を撮ってみました。

相生橋から戻って、ご覧のような石段の参道を上ります。

取り敢えず、最後の急な石段の参道を撮ってみました。

参道を上り切ると、右側に、ご覧のような石段があって瑠璃門も見えました。


瑠璃門に着いたので撮ってみましたが、逆光だったので別角度からも撮ってみました。
<境内>

境内に入ると、右手に、立派な白雲閣(総受付)が見えたのでアップで撮ってみました。

又、正面の右側には、書院と照心閣があって、手前には案内図「大雄山最乗寺全景」がありました。

取り敢えず、書院を撮って、案内図の方に行ってみました。

折角なので、案内図で現在地を確認しました。

書院の扁額(真如台?)を撮ってみましたが達筆で読めません。

書院の向拝を撮って、本堂の方に行ってみました。


途中、左側に瑠璃門が見えたのでアップでも撮ってみました。

又、右側には、ご覧のような光明亭がありました。

大香炉の近くに遣って来たので、香炉と一緒に僧堂と光明軒を撮ってみました。

近くに、大下駄の案内板があったので撮ってみました。
初代大下駄の目方は400貫(1,500kg)、世界一の和合下駄は1000貫(3,800kg)あります。

本堂の石段の下に着いたので、本堂を撮ってみました(上手く撮れていなくてすいません)。


折角なので、本堂前の「枝垂れ桜」をアップで撮ってみました。


本堂(本殿・護国殿)の前に着いたので、正面をアップで撮ってみました。
ところで、本堂正面の扁額は「護国殿」、本堂内部の扁額は「最乗寺」ですかね!?


折角なので、本堂に上がってお参りをすることにしました。


本堂内部には、ご覧のような須弥壇(しゅみだん)があって御本尊が祀られていました。

折角なので、御本尊「釈迦牟尼仏」をアップで撮らせて頂きましたが、お顔が良く分かりません。

須弥壇の手前に、「花まつり」(4月8日)が近いので、ご覧のようなお釈迦様の像がありました。

折角なので、お釈迦様の像に甘茶をかけてあげました。


本堂の前にあった「枝垂れ桜」を撮って、石段を下りることにしました。

石段を下りると、右側に開山堂(金剛壽院)があったので行ってみました。

取り敢えず、開山堂を正面から撮ってみました。
説明案内板には、『大雄山開祖の了庵慧明禅師及び通幻寂霊、大網明宗、無極慧鉄、春屋宗能の各祖師の尊像、歴代住持の霊牌が祀られている。・・・』と書いてありました。


石段を上って、開山堂の扁額「金剛壽院」と内部を撮ってみました。


開山堂の向かい側に、金剛水堂があったので行ってみました。
説明案内板には、『寺創建時、道了尊者は自ら井戸を掘り、地中から鉄印を掘り出しましたのが大雄山の重宝「御金印」で、御金印を取りだすと霊泉が湧き出したのが金剛水です。』と書いてありました。

金剛水堂前に、一擲石(別名、道了石)があったので撮ってみました。
尚、この石は、道了尊が投げた石と言われています。

ご覧のような石段を上って先に行ってみました。


石段を上っていると、柱に見事な彫刻がしてある鐘楼がありました。

折角なので、上に行って鐘楼を撮ってみました。


更に、石段を上ると、奥に結界門、手前に御供橋・圓通橋があったので撮ってみました。
尚、参拝者が通行できるのは圓通橋だけみたいです。

階段の右側に、手水舎があったので、身を清めてから結界門に向かいました。

扁額「結界」が掛かっている結界門では、金剛製の天狗が睨みを利かせていました。

結界門をくぐると、ご覧のような浄域になっていて、右側には御真殿に行ける石段がありました。

77段あると言われている石段を撮ってみました。

下から見上げると、かなり急な石段ですね!


御真殿(妙覚宝殿)の正面に着いたので、ここまで来れたお礼を兼ねてお参りをしました。

お参りをしてから扁額「妙覚宝殿」を撮ってみました。

御真殿の内部には、ご覧のような団扇があって、奥には扁額「道了大薩埵(どうりょうだいさつた)」が掛かっていました。


御真殿の左手に、奉納された天狗団扇や高下駄があったのでアップで撮ってみました。


奥には、世界一の和合下駄がありました。

朱色の下駄だけでなく、ご覧のような下駄も置いてありました。

又、一本歯の下駄もあったのでアップで撮ってみました。

ベンチで一休みしてから、御真殿の横を通って下に戻ることにしました。

取り敢えず、不動堂の横から下りることにしました。
尚、不動堂には、天祐不動明王と愛染明王が祀られているみたいです。


扁額「天祐不動」が掛かっている不動堂に着きましたが、堂内に人がいて入れませんでした。

又、反対側に回ってみましたが、扁額「清瀧不動」が掛かっていました。

不動堂を後に先に行くと、多宝塔の屋根が見えたので撮ってみました。


多宝塔の下に着いたので、南足柄市の文化財に指定されている多宝塔を撮ってみました。
尚、多宝塔は、文久3年(1863)に建築された境内最古の建物で、塔内には多宝如来が安置されています。

折角なので、石段の下からも多宝塔を撮ってみました。

再び、大香炉の前に戻って来ましたが、時間は15時半近くになっていました。

碧落門をくぐると、石段の下に初代大下駄があったので撮ってみました。

いつものように、三門を後から撮って、バス停「道了尊」に向かいました。
バス停に着くと、次の大雄山駅行きのバスが来るまで時間(約20分)があったので、「十八丁目茶屋」で飲みながらバスを待つことにしました。
帰りのバスは、バス停「おんり~ゆ~前」を通って「花咲く里山コース」の分岐に出て、仁王門の横を通って大雄山駅に向かいました。
<きよ竹食堂>

大雄山駅に着いたので、早速、行きにチェックしてあった居酒屋「きよ竹食堂」に行ってみました。
中華料理がメインだと思っていたのですが、お刺身等も食べれて正解でした。
今回の「大雄山最乗寺ハイキング」は、満開は過ぎていましたが里山の「しだれ桜」や所どころで「枝垂れ桜」が堪能できて、どうにか大雄山最乗寺まで行けたので良かったです。
ところで、お寺の名前が、山号「大雄山」を付けて呼んでいたり、バス停名が「道了尊」となっていたり統一されていないのは珍しいですね!
尚、万歩計は、それなりに歩いたので18,000歩を超えていました。