ノエルのブログ

シネマと海外文学、そしてお庭の話

2014-02-20 20:51:28 | 本のレビュー

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第150回 芥川賞受賞作。 母が「今度のは、面白かった。だまされたと思って、読んでみなさい」というので、ページを繰ることに。

最初の数ページは、職場の不満やらを同僚とトイレ(!)の洗面所でえんえんと話すところから始まり、P・D・ジェイムズの端麗な文体を味わったばかりのところに、うんと卑近で退屈な話を読まされるかと思ってうんざり。。 だが、主人公が夫の実家の隣りの借家に住まうこととなり、田舎に移ったとたん、物語はぐんと面白くなる。

田舎の夏・・・そこには、蝉のやかましい合唱や青臭い自然が広がる。決して、特別詩的なとか、文学的比喩に富んでいるという訳ではないのかもしれないのだが、こうした過疎すれすれの田舎の情景を描く筆は生き生きとして、むせるような草いきれや照りつける日差しまで感じ取れそうなほど。

主人公の夫の実家の人々は、みなどこか変わっていて、ユーモラスなのだが、そこに夫の兄を名乗る義兄が出現するところから、物語は異世界に少しずつワープしていく。 「僕ぁ、ひきこもりなんですよ。20年来ずうっとね」という義兄は、「不思議の国のアリス」のうさぎの話を引用したり、わっとあらわれる不思議な子供たちから先生と呼ばれるなど、異世界の住人の資格は満点。 だが、主人公は、夫たちから、この義兄の話を聞いたことがない。 彼の存在は隠されていたのだろうか? それとも・・・。

そして、題名の「穴」。これを象徴するのは、そこに住む奇妙な黒い動物。犬でも、猪でもなく、架空の動物が存在するのでは? と思わされてしまう。 義兄も穴も黒い動物も、子供たちも皆、現実の地平からは遠くへだたったところにいるらしい。魔術的リアリズムという評があったけれど、この小説は昔、私が好きだった南米文学の極彩色のそれではなく、カフカとか萩原朔太郎の「猫町」を思い起こさせる。 

物語の終盤、老齢の義祖父を追って、義兄と夜の草っぱらに向かうシーンは、幻想的で絵画のようにムードがある。穴にもぐり、じっと前方を見る義祖父の姿なんて、まるでシュールレアリスムの絵画のようではありませんか。 そうして、最後には義兄も子供たちの姿も消え、しらじらした夏の終わりの風景が広がるのだが、この謎めいた物語を作り上げる作者の才能は素晴らしい! 蝉しぐれが降り、虫たちが跳ねまわる濃い緑の草むらには、穴がひっそりと眠っているのかもしれない。 それは、私たちを不可思議で魅力的な場所へ運んでくれるのだ。


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