Kオジサンの新・山歩きの記

山歩き&ウオーキングのサイト

山が好き 花が好き 自然が好き!!

一宮友歩会 第69回ウォーク例会 史跡巡りシリーズ・名古屋編Part9 名古屋市中村区を歩く

2017-07-01 23:06:26 | 一宮友歩会

一宮友歩会の7月例会が開催されました。友歩会の例会は原則、偶数月の開催ですが、8月は暑い時期ですので、7月の開催となっています。今回は西区の名鉄栄生駅から近鉄烏森駅まで、中村区を歩くものでした。
今回のウオーキングでは、中村区の解説ボランティアグループ「中村まち歩きマイスター」の方々に案内をして貰いました。「中村まち歩きマイスター」は中村区を中心に解説しながら街の中を案内するボランティアグループです。中村公園の中村勘三郎記念碑や妙行寺、常泉寺。豊國神社など中村公園周辺の旧蹟を解説して貰いながら歩きました。
梅雨の最中で降水確率が80パーセントとなっていましたが予報がハズレ雨に降られずに歩くことができました。

栄生公園(スタート)(9:12)   ― 名鉄栄生駅(9:17)   ― 白山社(9:40)  ― 
大円寺(9:57~10:12)
  ― 中村公園(10:30~)   ― 大正天皇お手植えの松(10:36)  ― 
初代中村勘三郎生誕地記念碑 ― 
妙行寺(11:10~11:16)  ― 常泉寺(11:29)  ― 
中村公園(~12:29)  ― 日之宮神社(13:15)  
― 願成寺薬師堂(13:29~13:32)
    ― 才ノ神公園(14:08)  ― 近鉄烏森駅(ゴール) (14:20)  



http://www.geocities.jp/jk2unj/datagazou/69map.pdf
今回のコース地図です。栄生公園から烏森駅までのウォークです。
10kmとなっていますが、中村マイスターに案内されて中村公園の周辺を歩きましたので、13~14kmは有ると思います。

栄生公園

出発式の会場です。
栄生駅の南東。
駅の近くに広場が無いので、この栄生公園での出発式です。

名鉄栄生駅

公園から栄生駅の前まで戻って来ました。
ここからが本当のスタートです。



新幹線の高架の横を歩きます。





中村区栄生町の住居表示です。
西区栄生と隣り合わせです。でも、中村区は栄生町(サコチョウ)で、西区は栄生(サコウ)です。


白山社

白山社へ来ました。この白山社。
今日が夏祭りの日でした。




白山社の入口に有った石碑です。
中村?が名古屋市に合併しても消防車が入れないような道の狭さ。
それで区画整理を行ったという説明です。
狭い道路を広げるとなると、当然土地の面積が減ってしまいます。
苦労して成し遂げたのでしょう。




梅雨の時期です。
道の横にアジサイが咲いていました。




乃木将軍の石造がある場所に来ました。




将軍の石像。
その横には砲弾を模したものも有ります。





古い中村区の街の中です。
道が真っ直ぐになっていません。



大円寺

大円寺へ来ました。
丁度、住職が出かけるタイミングでした。





境内に入って来ました。
立派なお寺です。




境内の松。
好い枝ぶりです。





境内にある日比津城主の墓が有ります。




ここで、歴史研究家M井さんの説明です。



M井さんの資料。
明治24年の地図です。東海道線と関西線は出来ているが名鉄と近鉄は、まだ出来ていません。
烏森は柳森村。それに日比津村も有ります。村の周りは田んぼです。
今の名古屋駅辺り、駅の東の方に建物が有り、城下町らしさが有りますが、反対側は何も有りません。
佐屋街道は並木道になっています。
明治24年の地図ですが、江戸時代の姿と変り無いでしょう。
古い地図。見るのが面白いです。



真っ直ぐの道です。
この下、水路でも有るのではないかと思いましたが、後で判りました。


 中村公園

中村公園に来ました。




中村まち歩きマイスターの人達と対面です。。





マイスターに案内されて中村公園の中を歩きます。



大正天皇お手植えの松

「大正天皇お手植えの松」の説明をしています。




お手植えの松の説明板と今のお手植えの松です。
松が植えられてから100年ほどになります。



初代中村勘三郎生誕地記念碑

初代中村勘三郎生誕地記念碑。
この記念碑。
まだ、整備されたばかりです。





初代中村勘三郎生誕地記念碑の説明板とブロンズ像。




豊公誕生地で解説する吉岡さん。



妙行寺

妙行寺に来ました。
こちらは加藤清正の誕生地です。





あの場所に加藤清正の像が有ります。



常泉寺

常泉寺に来ました。
豊国大明神の廟堂として加藤清正が創建しました。





中村公園を去ります。
「中村まち歩きマイスター」の方々から説明を受けた後、公園内で昼食を取りました。
そして、公園を去ります。
昼食時間を含め、中村公園の周囲で2時間ほどを過ごしました。





中村公園から歩いてきました。
歩いて来て、後ろを振り返りましたが、真っ直ぐの道です。





ここで、治水史研究家のY井さんの説明が始まりました。





Y井さんが説明している資料。



Y井さんの説明資料です。
庄内用水実測図です。庄内川から水を取り入れています。最初は堀越の北東辺りで取水していましたが、明治頃には上飯田の方。自用理由から取水するようになりました。
庄内用水は名古屋の西側の田畑を潤しています。その先の熱田新田、熱田前新田まで行っています。このことから新田の開発に、用水が有ったので開墾できたのでしょう。
地図に中川が載っています中川区のモトとなった川の名だと思います。




石神社の前を歩きました。
子供の熱病神と有ります。



日之宮神社

日吉公園の一角に日之宮神社があります。この石碑がありました。
秀吉の母は日吉権現へ日参したと有ります。


願成寺薬師堂 友綱部屋の宿舎

願成寺薬師堂へ来ました。
プレハブの家屋。
相撲の稽古場のようです。




境内にはプレハブが建っていました。
プレハブに近寄って見ましたら、中央に土俵が設けて有りました。
中には誰も居なく、ひっそりとしていました。
ここに来たのが午後の時間帯だからです。
午前中なら稽古中の様子が見れたことでしょう。

名古屋場所で、相撲部屋が宿舎を張っていたのは友綱部屋でした。
朝稽古。
体と体がぶつかる音が聞こえたでしょう。




午後の時間帯です。
朝稽古は終わっていました。
2人のお相撲さん。
洗濯の最中でした。




佐屋街道を西へ歩きます。




烏森です。
街の中の様子から、古い町だと判ります。


禅養寺

禅養寺まで歩いてきました。


才ノ神公園

ゴールの才ノ神公園に到着です。
整理体操、そして解散式となりました。

この後、近鉄烏森駅へ向かいました。

一緒に歩いたMさんのホームページです。
http://www.geocities.jp/jk2unj/69reikai.htm

感想
今回は中村区のボランティアグループ。「中村まち歩きマイスター」の方々に案内して貰い、中村公園の周辺を歩きました。現地で色々と解説して貰いました。また、一宮友歩会のブレイン。M井さんとY井さんの解説も有りました。
毎度の事ですが、単に歩くだけでなく、色々の解説。その解説がとても参考になります。
7月は名古屋場所が開かれる時期です。願成寺薬師堂が友綱部屋の宿舎となっていました。訪ねた時間が午後で、お昼寝の時間でした。稽古の風景が見れなかったのは残念でした。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

一宮友歩会 第68回ウォーク例会 史跡巡りシリーズ・西尾張編Part16 弥富市・蟹江町を歩く

2017-06-03 23:13:50 | 一宮友歩会

一宮友歩会の6月例会に参加しました。
今回は弥富市の近鉄弥富駅に集合して、弥富市の南部から蟹江町を歩くものでした。まず、近鉄弥富駅前で出発式です。その後は弥富の街を南西へ、そして南東へと歩きました。
この辺りは、いわゆる海抜0メートル地帯です。長い間、水との戦いの連続だった場所です。そんな苦闘の歴史を河川土木に詳しいY井さんから解説して貰いました。
また、今回のウオーキングでは、弥富市の案内ボランティアグループ「弥冨ふるさとガイド」の方々に案内をして貰いました。16年04月02日に一宮友歩会の第61回ウォークで、弥富市の北側部分を歩きました。その時も「弥冨ふるさとガイド」の人に案内をして貰いました。今回はその続きみたいなものです。
今日のコースは14kmとなっていましたが、計画に含まれていない、ふたつやの渡しへ寄りましたので15kmを越えているのでしょう。梅雨入り前の出来です。好天に恵まれて歩くことがではました。
カメラの画像が表示したコース時間です。
近鉄弥富駅(スタート)(9:13)   ― ふたつやの渡し跡(9:42~9:49)   ― 
歴史民俗資料館(9:55~10:00)
 ― 蓮如堂(10:02~10:10)   ― 金魚卸売市場(10:22)   ― 
おみよし松(10:31)  ― 
黒宮重佳記念碑(11:13~11:15)  ― 
海南こどもの国(11:33~11:39)  ― 弥勒寺(11:41~11:49)  ― 
孝女そよ宅跡(11:57)
 ― 三つ又池公園(12:05~12:56)    ― 烏の池(13:02)  ― 
明治天皇御小休所(13:17~13:25)  ― 二つお宮の松(13:29~13:35)  ― 吉川英治文学碑(14:39) ― 
鹿島神社文学苑(14:54~15:00)  ― 親鸞聖人遺跡(解散式)(15:22~15:25)  ― 
近鉄蟹江駅(ゴール) (15:34)  




今日のコース地図です。
廻る予定の無かったふたつやのワ渡しへ寄ったりしまして、15キロを越えていると思います。
http://www.geocities.jp/jk2unj/datagazou/68map.pdf

弥富駅前。

近鉄弥富駅の南側の広場です。
出発式で挨拶する会長です。




蟹江駅前から尾張大橋方面へ歩いてきました。
歩いているコースが堤防で数メートル高くなっています。
お囲い堤と呼ばれている堤防です。
尾張は対岸の美濃より高くなっています。

ふたつやの渡し跡

ふたつやの渡し跡。
かつては、ここから渡し船が出ていたのですが、直ぐ近くに川は有りません。
この辺りが整備されています。
石碑が有るので渡し場が有ったと思えるのですが、ここから船に乗ったというのはピンと着ません。




ふるさとガイドが資料を見せてくれました。
ふたつやと言われる由来が判りました。




両側に家が立っていますが、古い町並みです。
この道は明治期に東海道だった街道です。


歴史民俗資料館

歴史民俗資料館に入館します。
この資料館へは第61回の際に立ち寄りました。
今回はトイレ休憩です。

蓮如堂

歴史民俗資料館の直ぐ近くの蓮如堂へ来ました。
ここで、ボランティアガイドの紹介です。
そして、ガイドから蓮如堂の説明がありました。


金魚卸売市場のところへ来ました。

金魚卸売市場へ来ました。
ガイドが説明しています。




あのガラスの建物。
アソコで金魚の競り市が開かれます。
ここへは14年03月14日。見学に来ました。春のシーズンで金魚市が開かれる頃になった時でした。
http://blog.goo.ne.jp/gifu2212/e/d882d8f9fe0f7ea566f48772b4364d44
金魚市は月曜日と金曜日に開かれるのだとガイドが説明してくれました。
ここに温室のような建物が出来ていました。前回、歩いた時には無かったのです。



沢山の木箱が立てて有ります。
この木箱。「カンコ」と呼んでいまして、競り市の時に金魚を入れて流すものです。

14年03月14日に見学した様子です。

左上は金魚卸売市場へ来ました。弥冨ふるさとガイドに説明を受けています。
右上は競り市場へカンコを送り込んでいます。
左下は競りの様子です。そして、右は流れていくカンコです。カンコの中に木札を投げ込んで入札します。



道の横。
金魚の養殖池が有ります。
直ぐ近くに、まだ新しいアパートが見えます。
水が無く、干上がった池を見かけました。
金魚池の面積が縮小しているかも知れません。


筏川の横を歩きます

右は筏川です。
江戸時代。今のような姿ではなかったと思いますが、木曽谷からの材木がこの川を流れていきました。




のどかな雰囲気の中のウオーキングです。

空気が澄んでいて遠くまで見えます。
左の遠くの山は藤原岳で、右のなだらかな山は多度山です。


黒宮重佳記念碑

黒宮重佳記念碑へきました。
御神木のような大きな木。
記念碑は漢文調で彫られて居ますが読み難いです。


海南こどもの国

海南こどもの国へ来て、少しの時間。休憩です。
そして再び、歩き始めました。


弥勒寺

弥勒寺へきました。
これから入りますが、立派な門のお寺です。
それに、いい形の松が見えます。


孝女そよの墓碑

弥勒寺の門前に孝女そよの墓碑が有りました。




小麦なのか大麦なのか、実った麦畑が見えます。
近々、刈り取られるのでしょう。


孝女そよ宅跡

孝女そよ宅跡へ来ました。
弥勒寺から近い場所です。
石碑と説明板が設置して有ります。


三つ又池公園

三つ又池公園へ到着しました。
ここで、昼食です。
広い公園ですが、水郷らしい雰囲気の公園です。
この公園。芝桜が良いようなのですが、時期が過ぎていました。


秋葉堂

秋葉堂へ来ました。
このお堂の内部に木造阿弥陀如来半跏倚像が安置して有ります。




ガラス越しに中を覗いました。


旧東海道

旧東海道を歩いています。
この辺り、左側が石段を積んであり、一段と高くなっています。
海抜0メートル地帯で、少しでも水害からまぬかれ様としています。
明治期の東海道なのですが、関西鉄道が開通したり、木曽川に橋が架けられたりして廃れてきました。


明治天皇西蜆小休所

明治天皇西蜆小休所の石碑が立っています。
こちらのお家。今は新しい家屋となっていますが、当時、、明治天皇がこちらで休憩したのでしょう。
お家の方が出てきてくれました。




個人のお宅に有る石碑です。
特別にお宅の中に入らせて貰い、拝見しました。
読み難いですが、上に御小休と刻まれています。
その下には明治十三年七月二日 御巡行となっています。






ふるさとガイドが見せてくれた資料です。
名古屋別院から熱田神宮に参拝してこちらに着て、ここで休憩したと有ります。
鍵付きの木桶。毒を入れられてはいけないと言う配慮からでしよう。


今回、明治天皇は西に向かっていました。
第61回例会で弥富市の北部を歩きました。その時、明治天皇焼田港御発着所跡の石碑を目にしました。桑名方面からその場所に着いたのでした。
明治天皇が焼田港に着いたのは、明治元年(1868年)に京都から東京に移る際に,桑名から東海道を東に進んでいるのでした。西に向かったのと東へ向かった時期。
時期が異なる事が判りました。


山神社

二つお宮の松です。
長時間、私たちのためにご案内いただきました。
ここで「弥冨ふるさとガイド」のみなさんとのお別れとなりました。
この場所。
山神社と言うところで、松が2本有ったのですが、1本切り倒されて1本が残るだけになっています。



海抜を示す表示です。
この一帯。いわゆる海抜0メートル地帯です。




街道横の水田。
田植えが終わっています。




善太橋から見えた東海市方面です。
名港大橋。その先には溶鉱炉が見えます。




日光大橋を渡ります。




橋を渡った場所でY井さんからの解説です。




Y井さんの解説の資料です。
海抜0メートル地帯で水との戦いでした。
水の流れを良くするには浚渫しなければなりません。しかし、浚渫して川床を下げると満潮時に海水が浸水して来る。それを防ぐためには樋門を設けなければならない。樋門を設置すると漁業者の船が通過できない。
漁業者と農業者との利害関係。
樋門の工事で、当時は工事の技術が稚拙で、川が流れている状態で工事する技術が無く、陸で樋門を工事して、その後に川の流れを替える。今のような技術が無い時代だったとの説明でした。


吉川英治文学碑

吉川英治文学碑です。
かつては別の場所に有ったのをこの場所に移したのだそうです。




佐屋川の横を歩きます。




佐屋川の横を歩きます。
桜の並木となっていて、桜の時期には見ごたえが有りそうです。
この場所の西にゴルフの打ちっ放しがありました。
とんで来た沢山のゴルフボールが浮かんでいました。


鹿嶋神社

鹿嶋神社に来ました。




境内が文学苑となっていて歌碑が設置して有ります。





近鉄蟹江駅の近くまで歩いてきました。
前方に見える川は蟹江川です。
右側にコンクリートの塊が見えます。
かつて樋門が有ったのですが、不要となって撤去した樋門の後だと説明がありました。




国道1号線。蟹江大橋です。
前に見えるのは、橋の跡です。
右に新しい橋が架かっていますが、前のは古い橋の跡です。


近鉄蟹江駅

お疲れ様でした。
近鉄蟹江駅に到着です。

最後に
一緒に歩いたMさんのホームページです。
http://www.geocities.jp/jk2unj/68reikai.htm

感想
以前に来た事の有る金魚市。そこへ再び来る事が出来ました。あの時の記憶を思い出せました。
東海道の宮宿から桑名宿までの七里の渡し。七里の渡しを避けて佐屋街道を歩くと言う方法も有りました。その佐屋街道、七里の渡しを辿らずに行くのが、明治期の旧東海道でした。このような街道を知る事ができました。
そんな街道も関西鉄道が開通したり新しい橋が架橋されて街道が廃れてしまいました。古い街道を知る事が出来て面白かったです。
旧東海道で明治天皇が休んだ場所。それに以前の例会で見かけた、明治天皇焼田港御発着所跡。その時と今回とは時期が異なる事が判りました。こうして、発見と言うか新しく知る事が出来た事が面白いです。





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

一宮友歩会・第67回ウォーク例会 史跡巡りシリーズ・岐阜編Part10 瑞穂市・墨俣町・羽島市を歩く

2017-04-01 23:58:01 | 一宮友歩会

一宮友歩会の4月例会が開催されました。今回は瑞穂市のJR穂積駅に集合して、穂積町、墨俣町、羽島市小熊町と足近町を歩くものでした。JR穂積駅前で出発式です。その後は東へ、そして南へと向かい、長良川を渡って羽島市へ歩きました。
中川、犀川、大江川、そして境川を歩きました。何れも川の堤防を歩くのでしたが、桜の開花が遅れていまして花を愛でると言う事は出来ませんでした。それでも、桜の木々が花を付けた状態を想像して歩きました。桜が開花していたならば、桜サクラさくらのオンパレードだった事でしょう。
別府観音は毎月1日が御開帳の日と決められています。一宮友歩会の例会が偶数月の第一土曜日の開催となっています。丁度、御開帳の日と例会の開催日が合致しました。
歩いたポイントに観音院が有りました。こちらの住職と友歩会のメンバーに、旧知の間柄の人が居ました。また、羽島の西方寺では寺宝の茶道具を鑑賞させて貰いました。ハプニング的なことが起こりましたが、楽しくウオーキングをする事ができました。

 JR穂積駅(スタート)  ― 別府観音  ― 秋葉神社  ― 観音院  ― 野口公園  ― 中川 ― 
一夜城跡公園 ― 墨俣宿脇本陣 ― 本正寺   ― 長良大橋 ― 大江川 ― 沈下橋 ― 
美濃路一里塚 ― 親鸞聖人旧跡 ― 西方寺(解散式)  ― 名鉄南宿駅(ゴール)  




今回のコース地図です。
JR穂積駅から名鉄南宿駅までで、13キロとなっています。
http://www.geocities.jp/jk2unj/datagazou/67map.pdf

JR穂積駅前

ウオーキングを開始する前です。
JR穂積駅前で出発式を行い、挨拶する会長です。
この後、ラジオ体操を行い、そして出発となりました。




JR穂積駅前から歩き出しました。


別府観音

最初に訪ねたのが別府観音です。
毎月1日が御開帳日です。
一宮友歩会の例会は偶数月の第一土曜日となっています。
タマタマ、ですが御開帳の日と例会の開催日が合致しました。
私たちが訪ねた時、お堂を既に開けて貰えていて、着くのを待っていてくれました。




十一面観世音菩薩像の説明板です。
昭和31年に岐阜県の重要文化財に指定されています。




お堂を管理する方からお話しをして貰いました。

お話しの後、友歩会でこれから歩くコース地図をお見せして、このように歩くと話しました。
それに、私は各務原から参加していると話しましたら、このお堂の横にお祀りしているのが、白龍さまの分霊なのでした。白龍さまと聞いてピンと来ました。白龍さまと言うのは各務地区の苧ヶ瀬池の神社です。そちらの分霊なのでしょう。そんな事もご縁です。


十王

観世音菩薩の両側に十王がお祀りしてあります。
十王とは冥界に住むと言われる十人の王様。十王です。
その代表的なのが閻魔大王です。
閻魔サマ以外の王は知られていませんが、地獄において亡者の審判を行う10尊の、いわゆる裁判官的な尊格です。
死後、三十五日とか四十九日とかで、罪が裁かれると言われます。
左側の五官王の前に業秤(ごうのはかり)が見えます。




瑞穂市の穂積地内を歩いています。


秋葉神社

天王川の堤防に上がりました。
堤防の上に有った秋葉神社です。
この神社にオオイチヨウが有ります。
樹齢は不詳となっていますが、大木で瑞穂市の天然記念物に指定されています。


観音院

観音院に来ました。
観音院は穂積地区の南端に位置します。





住職の井上さんがお話をしてくださいました。
こちらの寺と、先ほど寄って来た別府観音。ご詠歌の繋がりが有るのだと話されました。
こちら、井上さんと旧知の仲と言う人が友歩会のメンバーの中に居ました。久し振りの再開です。アレアレと言う感じ。このようなハプニングも有りました。




観音院の庭。
終わりそうな時期を迎えています。




観音院を後にします。
立派な大瓦です。
皆さんに声を掛けました。そして、振り返っています。




田にレンゲが咲き始めています。
岐阜県の県花がレンゲですと話しました。


中川

朝日大学の西側を流れる中川です。
レンギョウが見頃を迎えています。




こちらは枝垂れ桜です。
桜の開花は遅れています。

レンギョウと枝垂れ桜の道は良い道だという声が有りました。でも、雑草が繁茂しています。外来植物の勢いが強く、衣服が草に触れると種が付着しました。
良い道だと声の出る道でしたが、雑草の駆除を望みたい道でした。
レンギョウが見頃となっていました。「れんぎょうの小道」とかと名付けて立て札を設置し、市民に周知をしないと市民は通らないでしょう。



中川の堤防を歩いてきました。
この後、県道23号線を南に向かいました。




県道23号線から見える墨俣一夜城です。
アソコへ歩いて行きます。
白いテント群。
店が出ていました。



長い列になって歩いてきました。
この堤防。
犀川の堤防です。
残念ながら、桜はまだでした。


一夜城城址公園

一夜城址。お城の正面まで来ました。
公園として整備されています。
アソコで昼食です。




城の周囲が一夜城址公園となっています。
ここで、昼食です。
公園の用地となっていて、「一夜城築城のこと」と開設板が設けて有りました。
テントが邪魔して正面から撮影できなかったのです。
瀧善義氏が紹介した前野家古文書を基にしています。




1時半から「桜まつり」のステージイベントが有り、準備が整っています。




お城の前に出世ひょうたんが下げられ居ます。
瓢箪と板のタイプが有ります。




昼食を終えて、みなさんが集まりました。
まず、丸山さんの話しです。
丸山さんは古城研究家でお城に造詣が深い人です。




用意してきて、配られた資料です。
信長の美濃攻略で永禄7年。8年の部分で伊木山とか新加納が出ています。これは各務原の地名です。何れも砦のようなものだと思います。
一夜城と、一晩で築城したように言われますが、9月12日から14日までかかり、15日に信長か入城しています。




こちらは河川工学の権威。安井さんの話しです。




この墨俣へ河川が集中しています。
かつては犀川事件と言う紛争がありました。
農家で旱魃の時は水が欲しい。洪水の時は水を排出したい。
そんな水争いで、水を流す、流さないと言うモノです。
そのような話しをされました。

お二人の解説。
現地におけるナマの解説で、勉強になります。


墨俣宿

これから墨俣宿に入って行きます。
犀川の堤防ですが、桜が開花していません。
屋台が並んでいますが、手持ち無沙汰と言うところです。




墨俣商工会が作成した墨俣の街歩きマップです。
このマップ、今春に作成されたばかりの新しい地図です。
墨俣の街をウオーキングできるよう、上手く説明しています。




堤防に設置してあった墨俣宿の解説です。




岐島屋百貨店です。
「つりびなの総かざり」が有ります。
ガラス越しに、つりびなを眺めていますが、この後、中へ入らせて貰いました。

脇本陣

こちらは墨俣宿の脇本陣です。
中に入らせて貰います。





脇本陣の内部です。
段飾りがあり、吊るし雛も見えます。


本正寺

本正寺に寄りました。
門を見上げていますが、この門は脇本陣の門を移築したものだと書かれています。




県道岐阜・垂井線を歩き、長良大橋へ向かいます。
土手の桜。
チラホラと咲き始めています。



墨俣橋から墨俣城を眺めました。
犀川の桜並木が見えます。
チョッと、時期が早かったです。


長良大橋

今日のKオジサンの後ろ姿です。
長良大橋を歩いています。
今日はコースリーダーでして、隊列のトップを歩いています。





長良大橋を渡りました。
車の通行の多い道で、一列で歩いています。



土手で咲いていたムスカリ。
群生しています。



大江川堤防

大江川堤防へ歩いてきました。
どう言う桜の種類でしょうか。
枝に沢山咲いています。


境川堤防

境川の堤防を歩いています。
こちらの桜はまだです。


境川沈下橋

堤防から降りてきて、聖徳大学の野球グランド。
こちらのトイレをお借りしました。
トイレ休憩の後、境川沈下橋を渡りました。




沈下橋を渡りました。
この後、美濃路を西へ歩きます。



境川の堤防が美濃路となっています。
墓地の場所に美濃路の説明板が設置して有ります。
文章はかろうじて読めるのですが、地図は消えかかっています。
実はこの説明板の西、下流部に新しい説明板が設置して有ります。
行政の無神経と言うか、新しい説明板を同じ場所に設置するとか、古くなったのを撤去するとか、街道を維持して行く姿勢が必要だと思います。


美濃路の一里塚

一里塚の場所で、一里塚の石碑が有ります。
ここにイチョウの大木が有りましたが、切り倒されています。
イチョウが傷んでいて、切り倒すのは仕方が無いですが、何とかならなかったのでしょうか。
ここは羽島市の小熊町です。「小熊の一里塚」とかと、標柱を立てるなど行政に手を差し伸べてもらいたいですネ。
一里塚跡を見たあと、東に向かいました。


親鸞聖人旧跡

親鸞聖人旧跡で石碑が有ります。
ここから西方寺へ五丁と刻まれています。
五丁と言うと、500メートルなのだそうですが、500メートル以上の距離でした。



鎌倉街道

堤防から右下へ降りていく道。
この道が鎌倉街道です。


西方寺

西方寺まで歩いてきました。
住職がお話し、してくださいました。
そして、この後に解散式を行う予定でした。




住職のご好意により、茶道具を拝見させて貰います。





案内を受け、茶道具を拝見できました。
こちらには一休さんの掛軸も有りました。



名鉄南宿駅

名鉄南宿駅まで歩いてきました。
ここがゴールです。

お疲れ様でした。

一緒に歩いたMさんのホームページです。
http://www.geocities.jp/jk2unj/no67.htm

感想
今回はJR穂積駅から名鉄南宿駅までを歩きました。13キロ余りです。岐阜県での開催でして、私がリーダーを勤めました。今日が本番でしたが、その前、16年11月2日に会長と下下見を。http://blog.goo.ne.jp/gifu2212/e/2420e5eaceb58ae934af8722350a3e79
そして、2月18日には運営委員で下見を行いました。
http://blog.goo.ne.jp/gifu2212/e/4a79ef95d94bee8c3dc65001f4998b5a
下下見や下見をした時、本番は桜の満開を迎えれると思っていました。3月に寒い日が続き、開花が遅れてしまいました。
本番に開花した桜が見れなかったのは、残念でした。

一宮友歩会には豊富なブレインが揃っています。例会の内容が、単にウオーキングをするのでなく、場所場所で解説が有ります。今回は一夜城址公園で解説が有りました。今は石垣が有ったりして、当時の姿とは違った形の城となっていますが、砦の役目をさせるように築城された事には間違い有りません。
解説を受けて知識が膨らみますし、当時を想像する事が面白いです。

観音院で井上さんと浅井さんの思わぬ出会いがありました。西方寺では茶道具を見せてもらいました。ハプニングと言うとオーバーになりますが、このような事が生じるのも、面白い事です。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

一宮友歩会・第66回ウォーク例会 史跡巡りシリーズ・西尾張編Part15 旧木曽川町・旧尾西市を歩く  

2017-02-04 23:07:15 | 一宮友歩会

一宮友歩会の2月例会に参加しました。今回は一宮市の名鉄新木曽川駅に集合して、木曽川商工会の前で出発式です。その後は南へ、そして南西へと歩きました。木曽川町と尾西市は合併して一宮市となりました。今回のコースの大半は、旧木曽川町と旧尾西市を歩くものでした。
梅の枝に小花が咲き、蝋梅は芳香を放っていまして春の足音を感じました。一宮市はモーニングビス発祥の地と言われています。前夜、テレビで取上げられていた喫茶店ですが、モーニングに列を作って待つ客の喫茶店を見かけました。また、手作りケーキの店の前を通りました。車で通過すると判らないようなところも見えました。

 名鉄新木曽川駅(スタート) ― 木曽川商工会前(出発式)   ― 割田城址 ― 西上免遺跡 ― 
野府城址 ― 小原の千体地蔵 ― 尾西運動場 ― お歯守さん  ― 尾西公園  ― 三条神社
 ― 御裳(ミモ)神社  ― 法信寺  ― 天神の渡し ― 孝子佐吾平の碑 ― 市川房江生家跡
   ― 萩原宿本陣跡  ― 萩原駅(ゴール)  

今回は正味13キロの距離でした。何時もは公式の距離よりも1割か2割、多いようです。山に登る時、カミさんは一緒してくれませんが平地のウオーキングなら一緒に歩けます。冬、真っ盛りで寒い時期でしたが、その時期にしては晴天に恵まれて温暖な陽気でした。そんな中、ウオーキングを楽しむ事が出来ました。


第66回ウォーク例会の地図です。
新木曽川駅に集まってから木曽川商工会で出発式を行い、旧尾西市へ。その後は美濃路を歩きました。そして萩原駅へゴールすると言うコースを歩きました。
http://www.geocities.jp/jk2unj/datagazou/66map.





木曽川商工会の前の敷地で出発式です。
会長が挨拶しています。



出発前。
準備体操として、ラジオ体操を行います。



ウオーキングのスタートです。
木曽川商工会の前を出発しました。右側画像の建物には、町会議事堂と右側から表示しています。木曽川町の町議会議場だったのでしょう。と言う事は商工会の敷地は町役場跡なのかも知れません。




木曽川町を歩き始めました。
長い列となっています。


割田城址

最初に寄った場所が割田城址です。
公園のような場所でした。
この場所で城郭研究家の丸井さんの説明です。
この場所は古い城址だそうでした。その時代が「荘園の時代」と言う説明でして、その時代の頃を想像しました。




今日のKオジサンの後ろ姿。
一宮友歩会のメンバーの一員になっています。



「ラ・カンパーニュ」と言う洋菓子の店です。
私たちが通りかかった時、店の女の人がプラスチックの商品ケースを持って道を横切って行きました。配達に向かったのでしょうか。
http://www.la-ca.jp/



東海北陸自動車道の下を歩いています。
右側はバロー一宮物流センターです。
何台もトラックが入って来ていました。それに、この敷地内でカーゴと言うのかケースと言うのか、品物を入れて店に送る品物ケースが何台も並んでいました。ここがバローの商品補給基地なのでしょう。



こちらは一宮市環境センターです。
環境センターと言っても、ゴミ焼却場なのでしよう。高い煙突が特徴です。
東海北陸自動車道を走行すると見えてくる施設ですが、近くに来たのは初めてです。


西上免遺跡

西上免遺跡に来ました。




西上免遺跡で、私たちの到着を待っていた男性が居ました。
野田さんと言う方で、リーダーがお願いした方です。
野田さんが西上免遺跡について解説してくれました。




西上免遺跡の説明板です。
東海北陸自動車道の工事のために発掘調査がされました。
愛知県で最古の前方後方墳だと書いてあります。



開明の街を歩いていて、こんな石碑が目に留まりました。
左は水道瓦斯布設記念碑。右は電燈布設記念と刻まれています。
列で歩いていて、石碑の裏側に廻る事が出来ませんでしたが、何時頃に建立したのでしょうか。
歴史を物語っています。




開明小学校の南側に来ました。


野府城址

開明小学校の校庭です。
ここでも野田さんが説明してくれます。




野府城址の説明板が設置して有りました。
織田信長の弟、信治の居城だったと書かれています。




上の画像で野田さんが解説している左側に野府城址の石柱が有りました。
もともと、この石柱はあの木が立っている場所辺たりに有ったのだそうです。
アソコから今の体育館の場所に移されたのだそうでした。
城址と言っても石垣が有る訳では有りません。居城で「館」みたいなものなのでしょう。



上手く撮れていませんが、梅の小枝に花が咲いているのを見かけました。




名鉄尾西線の踏切を横切ります。
遠くに冠雪した伊吹山。そして奥美濃の山々も見えます。
冬の山が見えても寒風が吹いてくる状況では有りませんでした。




開明地区の街中を歩きます。
直線の道路で無いので、昔ながらの道であると感じます。


小原の千体地蔵

開明地区の小原に有る小原の千体地蔵です。
南無千体地蔵菩薩の幟旗が立っています。




列に並んで千体地蔵にお参りします。




ここでも野田さんが説明してくれました。
天明の飢饉で農民が疲弊し、多くの人々が餓死しました。
そのような状況下で頼りにしたのが信仰です。
農民たちの願いを込めた瓦製の地蔵尊が祀られているのだと解説が有りました。




歩いていて野府川の西側に店の外で待っている客が居る喫茶店が見えました。
前夜、テレビで見かけた喫茶店です。
モーニングの内容が良く、多くの客が押しかけています。
テレビでは、モーニングで1斤のパンを出していました。
店の名は「クローチェ」です。
https://tabelog.com/aichi/A2302/A230201/23052538/




野府川の橋を渡る前にロウバイの香りが漂ってきました。
道沿いにロウバイが咲いていました。姿が見えなくても、ロウバイだと感じました。


お歯守さん
 
墓地の一角に、お歯守さんのお堂が有りました。




正面から見たお歯盛りさんと、お歯守りさんの由来が書かれた説明板です。

尾西公園

尾西公園へ来て、昼食の時間となりました。
昼食時間を終えて、全員写真を撮影するので集まっています。




市道に跨る歩道橋を渡ります。




三條小学校の西側。
奉安殿の説明板が有り、皆さんが覗き込んでいます。




正面から見た奉安殿と奉安殿の説明板です。
旧起第二尋常小学校奉安殿と書かれています。
戦後は各地の奉安殿が破壊され、今でも残っている貴重な文化財です。


三條神社

次に来たのが三條神社です。
由緒には豊受大神と有ります。豊受大神は伊勢神宮の外宮の方です。


御裳(ミモ)神社

次に寄った神社は御裳(ミモ)神社です。



御裳(ミモ)神社の由緒にはご祭神は天照皇大神と書かれています。
こちらは伊勢神宮の内宮の方です。


法信寺

法信寺に来ました。






法信寺の梵鐘が文化財に指定されています。




梵鐘には四つの商売道具がレリーフのようになっています。
算盤に枡、それに秤。説明板に、もう1つはサシと書かれています。
何れも商売に関する品です。
鐘の音で商売の恩恵を思い出すようにと解説して有りました。


天神の渡し

法信寺を出て、美濃路を歩きました。
着いた場所は天神の渡しです。
この場所の東側に日光川が流れています。
天神神社の脇なので天神の渡しと呼ばれるようになったのでしよう。




美濃路を歩きます。
直線の道路ではないので昔の街道の感じがします。

孝子佐吾平の碑

次に着いた所が孝子佐吾平の碑です。
一宮市の広報誌に、この碑が取上げられていると話していました。

市川房江生家跡

市川房江の生家跡に来ました。
解説板が設けて有りますが、家屋は残っていませんです。
美濃路を歩く人のためなのでしょう。トイレが設けて有りました。


萩原宿本陣跡

左は空き地の隅に建てられていた萩原宿本陣跡の石柱です。
右は、本陣跡から少し南へ来た場所に有った問屋場跡の標柱です。
問屋は人馬の継ぎ立て場だと書かれています。



歩いていて、皆の足が止まりました。




高い場所のは屋根神様なのでしょう。
左のお堂は馬頭観音で、右側は地蔵様でした。
どちらのお堂も新しいように見えます。
旅人の安全を祈って設けられたものでしょうが、古くなったお堂を新しくしたのでしょう。





萩原の街の中を歩きます。
ひっそりとした美濃路。
歩く、私たち以外の人は居ません。
商店街の活性化で、道に造花を飾り付けていますが、誰も通らない道で、寂しさを増幅させています。




萩原駅の近くまで着ました。
舟木一夫の説明板が設けて有りました。


萩原駅(ゴール)  

萩原駅に到着です。
ゴールです。


一宮友歩会

一宮友歩会は偶数月の第1土曜日に実施しています。8月だけは酷暑の時期であり、7月開催となっています。一宮と有るように一宮市の人が多いのですが、名古屋市や江南市、稲沢市と尾張地区一帯の人が集まります。自由参加で開催場所に集合すれば誰でも参加する事が出来ます。
一宮友歩会のウオーキングは、単にウオーキングで歩くのでなく、ポイントポイントで解説が有り知識を深める事が出来るのが特徴です。
皆さん、ザックに名札を付けてる居て居ます。この名札は、名札のケース代が必要では有りますが、会長が無料で作成しています。この名札で名が判り、何処から来ている人なのか判ります。
次回は4月1日で、9時にJR穂積駅に集合です。桜、サクラ、さくらのコースを羽島市の南宿駅まで歩きます。私がこのコースのリーダーを努めます。皆様方の参加をお待ちしています。



感想
冬、真っ盛りの今の時期です。気温はそれなりに寒かったのですが、風が無く穏やかな陽気の中を歩く事が出来ました。ロウバイやウメを見て貼るの訪れを感じました。

一緒に歩いたMさんのホームページです。
http://www.geocities.jp/jk2unj/no66.htm











コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

一宮友歩会・第65回ウォーク例会 史蹟巡りシリーズ・名古屋編Part8 名古屋市名東区を歩く

2016-12-03 23:11:36 | 一宮友歩会

一宮友歩会の12月例会が有りました。今回は名東区を歩くもので、スタートは地下鉄の一社駅からです。駅近くの西一社公園で出発式を行い、名東区を逆時計回りに歩きました。
名東区はその前身の猪高村が千種区に合併しましたが、名東区として分離独立した区です。かつては名古屋市東部の丘陵地だったところですが、今では住宅地に変りました。そのような土地の中でも、名所旧跡が点在しており、それらの場所を訪ねました。
名東区は新しい区です。歩いてみて、いろいろの所に自然があると実感しました。
 一社駅(スタート) ― 西一社公園(出発式)   ― 貴舩神社 ― 神蔵寺 ― 小公園 ― 
植田川 ― 神丘公園 ― デッチョ池  ― 勝野太郎左衛門碑  ― 牧野ヶ池  ― 
やまもも  ― 蓮教寺  ― 高牟神社 ― 明徳寺 ― 貴船神社    ― 流公園(解散式)  ― 上社駅(ゴール)  


第65回ウォーク例会の地図です。
一社駅から南に向かい牧野ヶ池 の周囲を歩いた後、上社駅に戻ると言うコースを歩きました。
http://www.geocities.jp/jk2unj/datagazou/65map.pdf



西一社公園での出発式です。
一社駅の近辺に適当な場所が無く、こちらの公園に向かって貰いました。




いよいよ、出発です。
初冬と言う時期で、近所の皆さんでしようか。
落ち葉の掃除をしていました。




最初に寄ったのが、貴舩神社です。
石段を登ります。




立派な御社があります。




次に来たのが神蔵寺です。
神蔵寺は貴舩神社のすぐ隣でした。
境内に一色城主の柴田勝重(勝家の祖父)の墓が有ります。
大人数で来ましたが喧しくしないようにします。




柴田勝重の墓碑です。
墓碑には一色城主柴田源六現勝重公之墓と書かれています。





神蔵寺近くの小公園に来ました。
神蔵寺では今日、法事が執り行われるのでした。
それで、境内で喧しくしないでと言われていまして、こちらの小公園に来たのです。
城郭研究家出歴史に詳しいM井さんの説明です。


M井さんが準備された資料です。
右側は昭和31年の1万分の1の地図です。まだ、本格的な都市開発の始まる前の時期です。中央を北から植田川が流れ、アチコチに溜池が散在しています。牧野池の堰堤も確認できます。そのような池も時代の推移に寄り、埋め立てられました。
左側は氏が昭和41年に、当地を歩いた時に撮影したものです。まだ、のどかな田園風景が残っています。そして、この後に高度成長で、野山が姿を変えていきました。
何れの城址も小高い丘の上に有ります。砦的な役目が有った事が伺えます。
上から2番目。上社城址ですが高圧線の鉄塔が写っていて地図には高圧線の線が描かれています。
上から3番目の下社城址の写真。左下にバス停が写っているのが判ります。地図から色々の事が判り、地図を読むのが面白いです。
これらの写真。撮影されてから50年が経ちますが、貴重な歴史資料となりました。



小公園を出発し、植田川の横を歩きます。




植田川に何羽もカモが飛来してきていました。
私たちの気配を感じ飛び立ちました。




川のフェンスに下げられていたプレートです。
植田川が調整池からスタートして天白川まで流れているのが判ります。






途中、目にしたツバキです。





デッチョ池 が見える所まで来ました。




デッチョ池 の横を歩きます。
樹木が初冬の光を浴びています。




神丘公園でトイレ休憩しました。
これから再び歩きます。
枯葉を踏む感触がなんとも言えません。



デッチョ池 の案内看板。
右はデッチョ池 の周囲を歩いている所です。




牧野ヶ池が見える所まできました。




池の周囲を歩きます。
この辺りは池の堰堤部分の所です。




牧野ヶ池の眺めです。
大きな池ですが、愛知県で3番目の大きさの池です。




歩いていて東山タワーが見えました。




ご夫婦が双眼鏡を使い、カモの観察をしておられます。




勝野太郎左衛門の碑が在るところに来ました。
碑は小高い場所に有り、階段を登らなくてはなりません。
フーフー言っている人が居ました。




周回コースから外れたところに展望台が有ります。
展望台が出来た頃は眺望が利いたのでしょう。今では樹木が伸びて展望がダメです。




色の散策路を歩きます。




ウオーキングコースとなっていて、何箇所も距離を表示するプレートが設けて有りました。




野鳥を観察する人が居ました。
望遠レンズのカメラで撮影していました。
下見でここに来た時、カメラを持った人が何人か居ました。その時はカワセミでも居るのだろうかと思いました。




牧野ヶ池の東側。
遊具が有り、小公園のようななった場所です。
ここでランチタイムです。




牧野ヶ池景勝地の立て札。
今は、池を望む事が出来ますが、下見の時は木が繁り、全然池が見えませんでした。




ランチタイムを追え歩き始めました。
紅葉の終りの時期で落ち葉が一杯落ちています。




コースの途中に名東区史跡散策路の表示板が設置して有りました。




街の中を歩きます。
イチヨウの葉が落ちて居ます。




ヤマモモへ来ました。
300年ほどの古樹のようです。





蓮教寺の前に来ました。
ここへ来て、ハプニングと言うとオーバーですが、Tさんからこの近くに浅田真央さんの自宅があるという事を教えて貰いました。
それで、向かいました。




こちらが浅田真央さんのお宅です。
お宅の前まで来ましたが、この事は予定していたコースには無かった事です。



正規の予定コースに戻りました。
蓮教寺の階段を登ります。




蓮教寺の由緒。
牧野ヶ池の景勝地の立てに書かれていましたし、この説明でも尾張名所図会の触れています。



風媒社発行の「尾張名所図会」絵解き散歩から引用しました。
この本の中で牧野ヶ池を紹介しています。それにここ蓮教寺が載っています。当時はこの寺から牧野ヶ池が見えたのでしょう。






高牟神社へ来ました。




高牟神社に入ります。




高牟神社について説明するTさんです。
かつて、高牟神社はこの辺りの武器蔵になっていたとか、解説をされました。




皇帝ダリア。
花の少ない今の時期ですから、目立ちます。




前方に明徳寺が見えます。




明徳寺に来ました。
またまた、階段を登らなくてはなりません。
階段を登りたくない人が居て、ここで待っていると言っていた人が居ましたが、結局は階段を登ってきました。




明徳寺には柴田勝家の出生地の立て札と石碑が有ります。




本堂左の十王堂には、市指定民俗文化財の木造の十王像があります。




十王堂の中を覗います。




内部の十王像です。
十王とは地獄に置いて亡者の審判を行う10尊と有ります。閻魔は有名ですが、それ以外は知られていません。




明徳寺は下社城址でも有ります。




明徳寺の南東の眺望です。
今は家屋が一杯建っていますが、戦国時代は畑か原野だったのでしょう。城と言う砦みたいなものだったのでしょう。高台ですから、敵が攻撃して来ると良く判ります。




貴船神社へ向かっています。




貴船神社の階段を登ります。




貴船神社の由来。そして貴船神社についてY井さんの説明です。




上社城址方面を説明するM井さん。
かつては、この先の丘陵地に城址が有りましたが、今の姿からは想像できません。



流公園まで来ました。



流公園に来て解散式です。
その前に、整理体操。歩くのに使った筋肉を解します。

感想
今回、11キロ余りを歩きました。12月としては暖かく穏やかな陽気の中を歩く事が出来ました。
一宮友歩会には、豊富なブレインが控えています。ただ、単に歩くのでなく、その地の歴史や民俗関係などを解説して貰えます。下見に歩いた時、この辺りに柴田姓が多いと思いました。下社城が柴田勝家の城だったと言うことを知ったりするのも面白いです。
牧野ヶ池の周りを歩きました。
ウオーキングをする人や野鳥観察をする人を見かけました。名古屋市には自然が豊富だと実感しました。



一緒に歩いた人のホームページです。

http://terasan.dousetsu.com/uho.html
http://www.geocities.jp/jk2unj/nagoyap8.htm

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

一宮友歩会・第64回ウォーク例会 河川探訪シリーズ・新川編Part1 中川区、大治町、清須市、西区を歩く

2016-10-01 23:54:57 | 一宮友歩会

一宮友歩会の10月例会に参加しました。
今回は河川探訪シリーズで新川を歩くものでした。近鉄伏屋駅を出て伏屋公園に向かいました。この公園で出発式です。初めは新川の堤防を歩き、その後に赤星神社や行雲寺を廻りました。一部、佐屋街道を歩きました。河川探訪シリーズです。庄内川の堤防を歩いたりする箇所も有りましたが、多くは新川沿いを歩きました。開削記念碑や新川堤防が決壊した場所の近くに有るあし原公園を廻り、最後は名鉄の上小田井駅にゴールしました。
川の開削で出来た新しい川で、新川と名付けられました。そんな川の歴史を学ぶ事が出来ました。
近鉄伏屋駅 → 伏屋公園 → 正明寺 → 嶋井公園 → 赤星神社 → 行運寺 → 
自性院 → 
八屋孝女塚 → 庄内川河川敷グランド → 開削記念碑 → 清須市役所
 →  宮前公園 → 
あし原公園 → 平田橋殉職記念碑 → 名鉄上小田井駅
この日の参加者は30名だったそうです。朝の内、生憎の空模様でしたので、参加を躊躇した人がいたのかもしれません。公式には15キロの距離となっていますが、恐らくそれ以上の距離が有ったと思います。全員が完歩しました。



第64回例会のコース地図です。
http://www.geocities.jp/jk2unj/datagazou/64map.pdf
名古屋市中川区から名古屋市西区まで新川沿いを歩きました。



伏屋公園です。
出発式。そして体操をしています。




歩き始めました。
前方に見えるのが新川の堤防です。



新川の上流に向かって歩き出しました。
堤防上で後ろを振り返ります。
近鉄の電車が鉄橋を渡っていきます。
この辺り、川幅が広いです。
前日までの雨で水量が多くなっています。




関西線の踏み切りに差し掛かりました。
踏切りの警報機が鳴り出したところです。
鉄道の写真を撮る人たちが居ました。



私たちの前を上りのワイドビュー南紀2号が通過して行きます。
速いスピードで走る特急列車。アッと言う間でした。
三脚を使って撮影している人達。この列車の姿を収めていましたす。



堤防のヒガンバナは今が盛りです。
前日の雨が花に露として乗っています。




新川を渡ります。
長松橋のプレートが着いていました。





最初に寄ったお寺は正明寺です。




国道302号線の歩道橋を渡ります。
道路の先には千音寺の名古屋西JCTが見えます。




嶋井公園まで来ました。
ここで休憩です。
下見の時。高齢者のグループが、ここでグランドゴルフをやっていました。





赤星神社に着きました。





赤星神社の由来について、Mさんから説明です。
赤星神社は星をお祀りしているのだそうです。
神社にお祀りしてあるご神体で、隕石の場合が多いそうですが、こちらの神社はそのような事はないそうでした。





赤星神社の横の千音寺スミレ保育園です。
運動会をやっていました。
親さんはカメラを構えて居ます。





千音寺地区を歩いていて、市場之割。南之割。それに中ノ割と言う自治会の掲示板を見かけました。その横にはお堂が有りました。この辺りは冨田荘であり、条里制の区割りからこのような地名が残っているのだそうです。




行運寺に来ました。
入口左側の掲示ケースの中に面白い事が書いて有りました。




閉籠門の額が有り、ミンナが見上げました。




名古屋市中川区と海部郡大治町の境界です。




佐屋街道を歩き始めました。
佐屋街道は東海道の七里の渡しのバイパス的な道です。
設置してから時間が経つのでしょう。路面のプレートが読み難くなっています。




こちらは街道に面した場所で高札場跡の標識が立っています。
街道らしい姿をした道です。





自性院に来ました。
ここからは佐屋街道から分かれて北に向かいます。





自性院でYさんから説明を聞きます。




新川の橋を渡ります。
右は下流を眺めました。




歩いていて、見かけた柑橘類。
民家の塀から枝が出て実がなっていました。
ザボンではないかと言う声が聞こえました。




稲が実り、穂が垂れています。





このあたりの家々。
石垣が出来ていて、高台に有ります。
新川を開削した時に出た土の上に家を構えたのかも知れません。
少しでも高い場所に家を構えようとしたのでしょう。




前の方で立ち止まって居ます。





八屋孝女塚です。
2人の娘が孝養を尽くして亡くなり、村人が碑を建立したものです。





庄内川の堤防に上がります。



庄内川の堤防を歩きます。
河川敷を使ったゴルフ練習場が有ります。




庄内川河口より1キロのプレートが立っています。
堤防の上を歩くのは、右左の視界が広がり気分の良いものです。





黄色い管は大治浄水場から名古屋市へ水道水を送っている送水管です。
犬山から鍋屋上野浄水場へ送水していますが、こちらの水も名古屋市民の命の水です。
庄内川の堤防の向こうに名古屋駅前のビル群が見えます。
以前より、ビルの数が多くなってきています。
まだまだ、増えるのでしょう。




堤防に腰を下ろし、昼食の時間です。
広いグランド。
ここでは野球の練習をしていました。
胸に中京何とかと描かれていました。
中学生くらいの年代だと思いましたが、リトルリーグかも知れません。
前方の高層ビル群を眺めながらの昼食です。





トイレのために堤防下へ降りました。
ここは、野球の練習場になっており、簡易的なトイレを使わせて貰いました。




昼食の時間を終え、再び歩き始めました。




堤防から降りて川沿いの遊歩道を歩きます。
前方に煙突の有る清掃工場のような建物が見えます。
地図で調べましたら、名古屋市の五条川工場です。
名古屋市だけでなく、清須市や北名古屋市など名古屋市の北西部の街のゴミをいってに引き受けています。新川に五条川流れ込んでいます。五条川は入鹿池から流れ出し、犬山市、扶桑町、岩倉市を流れて来てあの場所で合流しています。





新川に架かる新川橋を渡ります。
この道は美濃路の一部です。



新川橋の上から新川の下流を眺めました。




開削記念碑で休憩です。





新川開削の説明です。




東海豪雨に寄る新川の決壊。





美濃路の歴史。




開削記念碑の有る場所はポケットパークのような場所になっています。
3枚の解説板が有りました。
ここでは、Yさんから新川開削の歴史の説明です。

尾張名古屋の北側を庄内川が流れて居ます。上流の矢田川が木材の乱伐に寄って、たびたび氾濫しました。
それに伴って庄内川も氾濫を繰り返しました。そんな状況を打開するため新しい川の開削が計画されました。庄内川のバイパス的な役目を果たす河川です。
開削を命じたのが徳川宗睦です。宗睦の少し先の殿様が徳川宗春です。宗治は将軍吉宗から倹約するように言われた人です。開削工事が何時ごろか判らなくても吉宗の享保の改革より、少し後の時代であっただろうと想像できます。




清須市役所に来ました。
市役所の庭に新川開鑿頌徳碑がありました。




ふれあい小橋を渡り、振り返ると清須市役所が見えました。




車の通行が多い道路から下に降ります。




宮前公園まで歩いてきました。



宮前公園の横に小場塚弁才天が有ります。
説明板を読んでいます。




宮前公園から再び堤防に上がり、歩きます。
前方に見えるのは名古屋高速6号清須線です。




あし原公園に寄りました。
この辺りは東海豪雨で堤防が決壊した所です。




ここでは、Yさんから東海豪雨の説明です。
平成12年9月の集中豪雨です。
秋雨前線を台風が刺激して、時間当たり90ミリの豪雨とか、豪雨の合計が600ミリ近くに及んだと話されました。
この集中豪雨は、それ程古いことでは有りません。
参加者の口から色々の記憶が語られました。




また、堤防に上がります。




堤防の上からチクノ祭りが見えました。
中小田井四丁目とあります。
祭りが終わったタイミングのようです。
ミンナで一致協力してやったお祭なのでしょう。
お疲れ様でした。




堤防を歩きます。
道の隅に彼岸花が見えます。
前方の道路は名古屋環状自動車道です。




平田橋を渡り、平田橋事件殉職記念碑へ来ました。
この記念碑は自由民権運動に伴って起きた事件で殉職した警察官を悼んで建立された記念碑です。




記念碑の前からと裏側を眺めいてるところです。
字が読み難くなっています。
自由民権運動と言っても集団で蜂起し、略奪に走る輩もいたのだそうです。2人の巡査の殉職。そして、この事件をきっかけに20名あまりが検挙されました。この一連の事件を名古屋事件と呼んでいます。




上小田井駅の近くまで歩いてきました。
ここで解散式と体操です。




解散となり、上小田井駅まで歩いてきました。


今回、殆ど新川の近くを歩きました。新川が開削された歴史。それに東海豪雨などを勉強できました。
充実したウオーキングでした。

一緒に歩いたMさんのホームページです。
http://www.geocities.jp/jk2unj/no64.htm





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

一宮友歩会・第63回ウォーク例会 史跡巡りシリーズ・名古屋編Part7  名古屋市東区を歩く 

2016-07-02 23:19:16 | 一宮友歩会

一宮友歩会の7月例会が開催されました。友歩会の例会は、通常は偶数月に開催しています。8月が開催月となりますが8月は暑いので、7月に開催しています。今日は、梅雨の合間でありながら、気温30度を越える暑い日でした。
今回はJR千種駅の出口から向かい、今池西公園で出発式を行いました。その後は北の徳川園に向かって歩き、途中は建中寺、徳源寺に寄りました。貨幣資料館や名古屋市政資料館に寄ったりして地下鉄の新栄駅にゴールしました。

JR千種駅 → 今池西公園 → 物部神社 → 建中寺 → 徳源寺 → 徳川園 → 
ルーテル復活教会 → 了義院 → 三菱東京UFJ銀行貨幣資料館 → 二葉館 → 
山吹谷公園 → カトリック主税町教会 → 名古屋市市政資料館 → 烏ケ池 → 
貞租院 → へちま薬師 → 地下鉄新栄駅



第63回例会のコース地図です。http://www.geocities.jp/jk2unj/datagazou/63map2.pdf
名古屋市東区内を歩いてきました。





JR千種駅からでて、東側の今池西公園で出発式が有りました。
出発前で、ラジオ体操をしています。
この公園へ来て、クマゼミの鳴き声を聞きました。
クマゼミの鳴き声は今年初めて耳にしました。あの鳴き声を聞くと一層、暑さが増ます。



公園からスタートしました。




物部神社へ来ました。
都会の中で、木が繫る場所でした。




建中寺に来ました。




建中寺の名は知っていましたが、この寺に来るのは初めてです。
立派な門が有ります。




木陰で会員の安井さんの説明です。




説明に使った資料です。明治20年の名古屋市の地図です。
明治であっても、江戸の頃と、大して変わっていません。
東海道線が載っていますが、まだ全線開通はしていません。今の名古屋駅は名古屋のハズレとなっています。
大正のはじめに下水道が開通したそうです。下水が出来ても、処理場へ流れていくのでなく、川へ垂れ流しだったのだそうです。堀川や新堀川に流れていきました。未処理の汚水が流れていったので、汚かっただろうと言う事でした。
この地図。まだ、中央線が出来ていないし、今朝の千種駅の東辺りは何も無い状況です。名古屋城の南は武家屋敷が並び碁盤の目の状態になっています。
地図の解説で、名古屋台地と言う言葉が出てきました。台地上に家々が並び、大地のしたが畑や田です。そのような観点で地図を見ると、地図を見る事が面白くなります。

一宮友歩会の例会は、単に歩くのでなく、会のブレインが解説してくれます。このような事で、知識を深める事が出来ます。





門が2箇所有るように感じます。
あの奥が建中寺です。




徳源寺へ来ました。




境内の建物に相撲部屋の表札が下がっています。




7月10日から名古屋場所が始まります。
東京から九重部屋が部屋を構えています。
多くの人が稽古を見に着ていました。
タマタマ、7月例会が東区を歩くこととなっていました。
こうして、相撲部屋が名古屋場所で来ているところを見られたのは、ラッキーでした。




境内に幟旗が立っています。


裏返しで読み難いので、反対にしてみました。
千代の国や千代大龍。
千代皇は東京世論会と有ります。与論島の出身なのでしょうか。
九重部屋はみんな、千代が付きます。
外国人力士の多く、が上位を占めている今の時代です。
日本人力士に、少しでも、上位を目指して欲しい所です。
http://www.chunichi.co.jp/event/sumo/about-lodgings.html
http://www.chunichi.co.jp/event/sumo/lodgings/19.html



徳源寺の佛殿。




徳源寺の境内です。
これから寺を出発します。





徳川園へ来ました。




徳川園の内部です。
左がお庭で、正面は徳川美術館です。





徳川園の中の通路。
緑が一杯です。




次に来たのはルーテル教会です。
日本福音ルーテル復活教会。
予定に無かったのですが、牧師からお話が聞けました。




話の後に教会の中に入らせて貰いました。
船底天井となっています。




歩いていて、歩道にルート表示があるのを見かけました。
この表示に沿って東区を歩く事が出来ます。




貨幣資料館に来ました。




資料館の内部です。
各国の貨幣や、わが国の貨幣、紙幣。色々の資料が展示して有ります。
今の時期。特別展で、「広重 富士三十六景の世界」が開催されていました。有名な樽の中に小さい富士が見えるものや岩の上から投網を打っているもの。色々並んでいました。




こちらは金のなる木です。
大判小判が下がっています。この大判に触れる事が出来ました。
右側の人は眼が不自由な人です。
大判を触って感触を確かめています。




館内の資料展示。
紙幣が出来る行程を解説しています。




文化の道。
二葉館の前を歩きます。




山吹谷公園へ来ました。
ここで昼食時間を取りました。
時間となり、これから出発します。
町並み保存地区の説明です。




次に来たのはカトリック主税町教会です。




教会の敷地内に「ルルドのマリア様」と、ルルドを模した洞窟が復元されています。
以前にこの教会へ来た事が有りますが、敷地内にこのようなルルドの洞窟があるとは知りませんでした。




洞窟とマリア様。




予定していなかったのですが、教会関係者の人が説明してくれました。




白壁地区。
武家屋敷街を歩きます。




武家屋敷外を歩きました。
この一角に名古屋拘置所がありました。
高層のビルです。




名古屋市市政資料館に来ました。




資料館の内部。
立派な階段です。
ここは何度も映画やテレビのロケで使われています。





資料館から出ます。
暑い中を歩いて来て、多くの人は休憩室で休憩していました。
この資料館へは幾度も来ていますので、改めて見学しようと言う気には、なりませんでした。他の方のソウだったのでしょう。




烏池です。




圓明寺の石鐘。
先の大戦で寺の鐘を供出し、その後に石鐘が吊るされました。
その姿が今も続いています。




圓明寺の石鐘の説明板です。




貞租院へ来ました。
内部が極彩色となっているようです。




へちま薬師へ来ました。





本殿とへちまの下がった手洗場です。




へちま薬師を出て松山公園に来ました。
地下鉄新栄駅がゴールですが、その近辺には解散式を行える適当な場所が有りませんので、この公園で解散式を行います。

感想
梅雨の合間の暑い日に名古屋市の東区を歩きました。名古屋場所を控え、相撲部屋の宿舎で稽古の様子を見る事が出来たのはラッキーでした。このような事。夏の盛りを迎える名古屋の風物詩かも知れません。
暑い中。良く歩きました。

一緒に歩いたMさんのホームページです。
http://www.geocities.jp/jk2unj/nagoyap7.htm

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

一宮友歩会・第62回ウォーク例会  史跡巡りシリーズ・岐阜編Part9  大垣市赤坂町を歩く

2016-06-04 23:24:37 | 一宮友歩会

一宮友歩会の6月例会が開催されました。今回は大垣駅の北口を出発して大垣市の北部、主に赤坂町辺りを歩きます。その後は、勝山に寄ってから御首神社に参ります。その後は養老鉄道の北大垣駅に戻るというコースの予定でした。
時間が経過したことや会員の疲労度合を勘案して、御首神社で解散式を行いました。そして、全員がJR赤坂線の荒尾駅からワンマンカーに乗車して帰途に着きました。
6月例会です。私、Kオジサンがリーダーを勤めました。

JR大垣駅 ― 日吉神社  ― 荻神社 ― 笠縫の里碑 ― 受円寺 ― 大垣輪中堤
 ― 赤坂港跡  ― 赤坂本陣公園  ― 旧清水家住宅  ― 妙法寺   ― 金生山化石館  ― 昼飯大塚古墳  ―  旧早野邸セミナーハウス ― お茶屋屋敷跡 ― 御首神社
 ― JR荒尾駅




第62回ウォーク例会の地図です。
http://www.geocities.jp/jk2unj/datagazou/62map.pdf




JR大垣駅北口です。
出発式で会長の挨拶。その後は準備運動をして、歩き始めました。




歩き初めです。
この辺りは鎌倉街道が通ってたことを想像できる道で、直線の道ではありません。




左は笠縫の里碑。この場所へは第55回例会の時に寄りました。誰かから、「この場所。以前来たこと有るねー」の言葉が出ていました。
右は、その石碑のところに信号機が有り、信号待ちです。





受円寺の門が見えます。
お寺に寄りますので、挨拶をしに先を歩く会長です。




受円寺の境内。ここで休憩です。
水分補給をするようにと、声が掛かっていました。
右は境内で咲いていたショウブです。




受円寺を出て、鎌倉街道を歩きます。
まだ、新しい鎌倉街道の碑が設けて有りました。




国道21号線の下を通過してきて、堤防に上がります。
右はピンボケでした。お許しください。



大垣輪中堤を歩きます。
サクラの古木が有ります。




大垣輪中の水防倉庫があります。





輪中堤防を歩いています。




田植えの準備の整った田を横に歩きます。
後ろの家屋。
4月の下見に来た時は工事中でした。




右は木に包まれた神社です。
こちらの田も準備が整っています。
田に水が入り始めました。




中山道を歩きます。
昔の街道と言う雰囲気がします。
これから赤坂の町。赤坂宿へ入っていきます。

今日のKオジサンの後ろ姿です。
今日はリーダーを勤めていますので、トップを歩いています。
右はリーダーで旗を持ちながら歩く羽島市のKさんです。






大垣市赤坂商工会発行のパンフ。
美濃赤坂から引用させて頂きました。
美濃赤坂駅から北が西濃鉄道で、貨物列車の路線です。
左で大久保や昼飯へも線路が延びていますが、今は廃線となっています。




赤坂宿の入口です。
左側に中山道の浮世絵が掲げて有ります。





赤坂港跡へ来ました。
前方の建物は赤坂港会館です。
右側に川が流れています。
港跡で、かつては、ここから船で物資を運び出していました。




地図を手元に説明するYさん。





Yさんが説明に用いた明治時代の古地図です。
東海道線が敷設された頃のモノです。敷設が完全に終わっていないのでしょうか。鉄道が今のような黒と白の線になっていません。
大垣駅でなく、大垣停車場となっています。
中山道や美濃路が確認できます。
街道で、並木の印がついています。
古い地図ですが、地図を眺めるのが面白いです。








旧清水家住宅です。
外壁が綺麗に整備してあります。




清水家の内部です。
ここに常駐する係員が説明してくれました。
清水家は江戸時代の住宅で、米屋を営んでいて、近代に入ってから医者となったと言っていました。




館内に展示して有った赤坂宿の航空写真。
姿が変わったのが判ります。




赤坂から石灰岩が貨物列車で運び出されると、みんなに、説明しました。
清水家にいた時、踏切を貨物列車が通過しました。
ピーピーと警笛を鳴らしながら空の貨車をディーゼル機関車が引っ張っていきました。
先頭の機関車は見えませんでしたが、貨物列車が通ると教えてくれたのです。






妙法寺の参道です。
赤坂宿のボランティアガイドの方が説明してくれています。
向こう側の二階建てが探訪館です。
赤坂宿は中山道の中でも大きい宿場町です。
皇女和宮の降嫁の際、街道の家々が整備したそうです。





金生山化石館へ向かいます。
登り坂になっていて、歩くのが少しキツイです。




金生山神社の境内で昼食の時間となりました。
思い思いの場所でお昼と成りました。




昼食時間を終え、全員写真の撮影です。




今日の参加者。全員で53名だそうです。
元気な人ばかりです。




撮影を済ませ、化石館に入ります。




館長が説明をしてくれました。
金生山からフズリナなど海の化石が発見されます。
金生山が海底だった訳ですが、この位置で海底だったのでなく、大陸が移動したしたように、赤道近くの南方からこの場所が移ってきたのだそうです。




館内の説明です。




化石館の東側の眺望です。
遠くに岐阜の金華山が見えます。





美濃赤坂駅を見下ろします。
単機。電気機関車が見えます。




金生山から下山して来ました。




昼飯大塚古墳へ来ました。
私たちが来た時に、他の人たちが登っていました。





古墳の階段を登ります。




私たちは歩いてこの古墳へ来ました。
後から、先ほど説明してくれたボランティアガイドの方が来るまで追いかけて来てくれました。
この古墳や関が原の合戦などを説明してくれました。




古墳の解説です。
この昼飯大塚古墳は前方後円墳で、150メートルの長さがあるそうです。
この東海地方では名古屋市の断夫山古墳は151メートルで最大だそうです。
1メートルの差で、2番目の大きさだと言っていました。


昼飯大塚古墳から旧早野邸セミナーハウスへ向かい、その後に勝山に行く計画でした。昼飯大塚古墳で説明してくれたボランティアガイドから勝山は入山が出来ないと言われました。
安楽寺の境内となっていますが、裏側から表側へ通過するだけなのです。勝山を通ろうと思っていましたが、断念しました。
勝山はお勝山と呼ばれ、関が原合戦の時、陣が張られたところです。歴史観点からも価値のあるところなのですが、こり現状なのは惜しい場所です。




勝山に寄らない代わりに、お茶屋屋敷跡に寄りました。
ここは綺麗なボタンが見れるところですが、時期が終わっていました。





歩いて来て、御首神社に来ました。
この神社は平将門に由来する神社です。
http://www.mikubi.or.jp/profile.html
字の如く、首から上の大神様です。




神社の境内で体操を済ませ、解散式を行いました。




神社で解散式が済みましたが、全員がJR荒尾駅から乗車します。





列車の待ち時間。
石灰岩を運ぶ空の貨物列車が美濃赤坂駅へ向かっていきました。

You tebeに石灰岩貨物列車が有ります。
https://www.youtube.com/watch?v=JN-Mk1iOrFI

https://www.youtube.com/watch?v=XOEZbmpRdYg
石灰岩貨物は、日に3本走るそうです。
新日鉄へ運ぶのですが、そのウチに石灰岩が枯渇してしまわないかと思います。



15時43分の大垣行きが来ました。

今日は第62回の例会でした。
今回は大垣市の北部。赤坂地区を中心に歩きました。
毎度、なじみの人達と顔を合わせました。
何れも健脚な人ばかりです。

宿場町の雰囲気を味わうと供に、巨大な前方後円墳を見る事が出来ました。






一緒に歩いたMさんのサイトです。こちらもご覧下さい。
http://www.geocities.jp/jk2unj/62reikai.htm

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

一宮友歩会・第61回ウォーク例会 史跡巡りシリーズ・西尾張編Part14 弥富市を歩く

2016-04-02 23:40:00 | 一宮友歩会

一宮友歩会の4月例会が開催されました。今回は弥富市の近鉄弥富駅をスタートして、逆時計回りに弥富市内をウォークし、元の近鉄弥富駅まで歩きました。弥富市は海抜0メートル地帯で、古くから水との戦いがあった所です。水郷の塔が木曽川の堤防の横にありここで昼食なりました。ここには伊勢湾台風で被害を被り、復旧工事がなされ、一先ず工事の区切りが付いたとして記念のモニュメントが設置して有りました。また、水郷の塔は塔に上がる事が出来、この一帯を眺めれるようになっていました。
ここから「弥冨ふるさとガイド」に案内をして貰いました。丁度、桜の時期で、弥富市文化広場の前では「やとみ春まつり」が開催されていました。桜を愛でながら弥冨の街を歩くことが出来ました。

近鉄弥富駅(9:21) ― 鯏浦(ウグイウラ)城跡(9:36~9:50)  ― 興善寺地蔵(10:06) ―
荷之上の力石(10:17) ― 服部家住宅(10:26~10:28) ― 金樹寺(10:31~10:45) ― 
御着船所跡(11:01)  ― 黒川治愿君功徳碑(11:08~11:15)  ― 
内藤十左衛門自刃地(11:23~11:27)  ― 水郷の塔(12:00~12:55)   ― 
歴史民俗資料館(13:08~13:30)  ― 立田輪中人造堰樋門(13:46~13:55)  ― 
森津の藤(14:11~14:26) ― おみよし松(14:45~14:50) ― 近鉄弥富駅(15:18)

この日の参加者は52名でした。ウオーキング日和の空の下。全員が完歩出来ました。



弥富市を逆時計回りに歩きました。
http://www.geocities.jp/jk2unj/datagazou/61map.pdf



近鉄弥富駅の横の駐車場です。
ここで出発式。
会長が挨拶しています。




ラジオ体操。そして準備体操をしました。
これから出発です。




歩き出した時。頭上を大型の飛行機が飛来して来ました。
この後も次から次へと飛来して来たのです。
時間にして5分置き位でした。
風向きでこの辺りから中部国際空港に向かうのだろうか。
頭上の騒音が気になりました。

実は、中部国際空港が開港する前は名古屋空港に降りる飛行機が我が家の南西方向を次々に飛んで行きました。コースになっていたのですが、頻繁に飛んでいました。あの時はうっとおしかったです。




スタートしました。
民家が並ぶ中を歩きます。





最初に寄ったのは鯏浦城址です。
城址と言っても、砦のようなものです。
樹齢600年といわれる大楠です。
大楠は戦や人々の生活。色々の場面を見てきたことでしょう




樹齢600年といわれる楠の大木です。
それに鯏浦城址の説明板が設置して有りました。




鯏浦城址について説明する丸井さん。
丸井さんはお城や歴史に詳しい人です。
言うならば、一宮友歩会のブレインです。
そして、みんなが丸井さんの説明を聞いています。



説明用に配布された資料です。
明治24年の地形図です。
今は関西本線ですが、地図では、まだ関西鉄道となっています。ウィキぺディアでは明治28年に名古屋駅 - 前ヶ須駅間が開業したと有ります。この地図には長島駅は載っておらず、加筆したものです。そして同年に全通しています。今の名鉄弥富線は、まだ、尾西鉄道となっています。当時は蒸気機関車で運行していて、合併後か合併前か。後から電化したのでしょう。
歩いた、御着船跡ではすぐ傍が川となっています。ふたつやの渡し跡も近くが川となっています。地図に渡しの記号が載っています。今の状態から近くに川が有った事が想像できませんが、現実には、川が有りました。
明治の東海道。それに鍋田川や筏川もはっきり載っています。古い地図を見る事が面白いです。




興善寺地蔵。
弥富町史に記載されている最古の石仏とあります。
祠の中にお地蔵さんが安置して有りましたが、帽子を被っていてお顔は拝見できませんでした。



服部家住宅へ来ました。




服部家です。
服部家は重要文化財に指定されて居ます。服部家は見学できますが、予約してなく見学しませんでした。茅葺きの立派な門です。茅葺きを維持していくだけでも、大変だと思います。




塀の向こう側でどのような建物なのか判りませんが、位置から離れではないかと推測します。ここも茅葺きの家屋です。




金樹寺へ来ました。
門の前に立派な松が有ります。




御着船所跡へ歩いてきました。




明治天皇焼田港御着船所跡。
明治天皇が遷都に寄り、京から東京へ向かった時、桑名から乗船して、この地で下船しました。
いま、ここの辺りは住宅街で川が流れていたとは想像できませんが、明治28年の地図では、直ぐ近くまで木曽川が来ています。
裏に解説文が描いて有りますが読み難くなっています。



弥富市五之三自主防災格納庫と書かれています。
青い表示が付いていて、海抜0メートルを表しています。
この辺りの地図を見てみますと、海抜が0かマイナス表示となっています。




五明神明社へ来ました。
ここには黒川治愿(ハルヨシ)君功徳碑が設けて有ります。
黒川治愿は、簡単に言うと愛知県で河川改修などの土木工事に骨折った人です。名古屋市で黒川が流れていますが、黒川は彼の名から取ったものです。




河川の土木工事に詳しい安井さんです。
黒川治愿にちなんで、碑のある神明社で解説しています。




安井さんの用意した資料です。




五明神明社を後にします。
右は木曽川水管橋です。安井さんは三重県に水を送っているのだと言っていました。



東名阪の下を歩きます。
桃の花が満開となっていました。




証玄寺。
左の石柱が内藤十左衛門自刃の地の碑です。




表は内藤十左衛門自刃之地となっています。右は裏側で岐阜県本巣郡巣南町教育委員会と彫られて居ます。内藤十左衛門は幕府方の役人で、十左衛門の上役に責任が及ばないようにとの思いから自害したのだそうです。巣南町教委が設置したのは十左衛門の居所が本巣郡十五条村(岐阜県巣南町で今は瑞穂市です。)だったからでした。
こんなサイトが有ります。
http://www.cbr.mlit.go.jp/kisokaryu/gakusyu/ijin/6.html





県道沿いを歩きます。
アスファルトの割れ目から出たスミレが咲いています。
このような状況下で咲く事が出来るのですので、恐らく外来種なのでしょう。




国道1号線を横切り、水郷公園に向かいます。
筏川の橋を渡ります。
サクラが見頃を迎えています。




水郷公園へ来ました。
「やとみ春まつり」が開かれていて、その駐車場となっています。




水郷公園へ来ました。
前方に水郷の塔が見えます。




水郷の塔の下に来ました。




お昼の時間となりました。
ここ、水郷公園の思い思いの場所でお昼とします。




水郷の塔に上がってみました。
尾張大橋が見えます。
川の向こうは三重県で、桑名市です。




水郷の塔から関西線が見えます。
前方に上り特急南紀ビューが見えます。



12時27分です。
ガイドがやってきました。
会長が弥富ふるさとガイドを依頼していました。
多分、12時半にでも、来て欲しいとなっていたのでしょう。




弥富ふるさとガイドのあいさつです。
これからふるさとガイドに案内してもらいます。




ガイドに付いてもらい、水郷公園を後にして、出発しました。




ふたつやの渡し跡。
今は川から離れた場所となった渡し跡です。
地図では、このの場所の所まで木曽川が来ています。




御囲い堤を歩きます。




弥富市歴史民俗資料館へ来ました。
この資料館は弥富町の役場だった建物です。




資料館の職員が少し、説明をしてくれました。
その後は自由に見学してくださいとなりました。




幾つも金魚を飼育している水槽が並んでいました。
金魚の種類が判りませんが、デメキンだけは判ります。




この辺りはゼロメートル地帯です。
伊勢湾台風では、甚大な被害を被りました。その事を紹介しています。
右は、ボランティアが御囲堤や輪中について




右は金魚Ⅰ金魚の選別を紹介しています。
左は金魚の出荷で昭和40年頃の写真。そして今は、ビニールに酸素を注入して出荷しています。




ガイドに案内されて資料館から出ました。
山口誓子の短歌で「群金魚流なして槽廻る」と書かれています。
昭和61年にこの地を訪れた時に詠んだものだそうです。
弥富にはこの他にも、金魚が詠まれた短歌が有ると説明していました。



ガイドに案内されてサクラの下を歩きます。




左手が祭りの会場です。




筏川に架かる橋を渡ります。




祭りの会場です。




祭りの会場です。
弥富市文化広場の前が会場となっています。




輪中公園の中を歩きます。




輪中公園で南東に歩いて来ると立田輪中人造堰樋門へ来ました。




人造堰樋門で、明治34年9月竣工の文字が読めます。



人造堰樋門




人造堰樋門の裏側はこのようになっています。




鍋田川の堤防となっていたところで、コンクリート跡が残っています。




門をくぐり、中に入ります。




森津の藤です。
まだ、藤の花の時期には、早いです。




藤の古木。
ボランティアガイドが森津の藤の事を説明してくれました。
古木で、ここの藤が他所に行き、藤棚で枝を伸ばしていると言っていました。



おみよし松へ来ました。




おみよし松。
高くて立派な松です。
ボランティアガイドの案内はここまででして、ここでお別れしました。




金魚を飼育している池です。
池と言わず田と言っているようです。



近鉄弥富駅が見える所まで歩いて来ました。
お疲れ様でした。



お疲れ様でした。

近鉄弥富駅に着きました。
ここで解散式をして、解散です。
13キロのコースとなっていますが、それ以上の距離が有ることでしょう。


感想
今回歩いたコースは愛知県の西の端で西側に木曽川の堤防が有りました。堤防を越えれば木曽川でその先は三重県になるところでした。この辺りは海抜0メートル地帯です。水郷公園には伊勢湾台風災害復興竣工記念碑が有りました。当時の高潮の高さを表すように5メートルの高さのモニュメントが有りました。弥富市歴史民俗資料館では伊勢湾台風に冠する展示が有りました。改めて、水郷地帯だということを感じさせられたのと、伊勢湾台風の記憶を甦らせました。一緒に歩いた人同世代です。同様の気持ちを抱いたのではないかと思いました。

弥富と言えば金魚の産地です。歴史民俗資料館では色々の金魚を見る事が出来ました。歩いていて、金魚の飼育池を目にする事も出来ました。

弥富の歴史を知ることも出来ました。初めに寄った鯏浦(ウグイウラ)城跡で説明を受けましたが、信長の弟。信興の戦が有ったことを教えて貰いました。渡された資料の地図では、木曽川が載っていましたが、今の姿の木曽川からは想像できないような地形です。今日の整った形は、幾度と無く繰り返された災害の結果だと思います。

水郷地帯の弥富を歩き、色々の事を学ぶ事が出来ました。

次回、は平成28年6月4日(土)、JR大垣駅へ9時集合で行います。私がリーダーを勤めます。皆様の参加をお待ちしています。




会長。寺さんのサイトです。
http://terasan.dousetsu.com/wa190.html
参加したMさんのサイトです。
http://www.geocities.jp/jk2unj/61reikai.htm


一宮友歩会のサイトです。
http://terasan.dousetsu.com/uho.html

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

一宮友歩会 協力員親睦ウォーク  尾張広域緑道を歩く   Part 2

2016-03-26 23:04:26 | 一宮友歩会

一宮友歩会の協力員親睦ウォークが開かれました。協力員と言うと会に協力している人でなければならないように思えますが、誰でも参加できますとは会長の弁です。
昨年は協力員ウォークでは犬山から、小牧のフレッシュパークを歩きました。
http://blog.goo.ne.jp/nkataoka1948/e/f2c30a9d4c83e67c7659ab8d16d82cc4
今年は点検を兼ねて、利用者目線で南側の半分であるフレッシュパークから庄内川までの区間です。昨年の続きで、今回は逆に南から北へ歩きました。
JR勝川駅に集合し、一旦は庄内川の堤防に上がりました。ここから、尾張広域緑道のウオーキングをスタートしました。JR中央線の踏切りを渡ったり、国道19号線を横断歩道で渡り、国道155線は地下道を通りました。尾張広域緑道を北へ北へと歩きました。
ソメイヨシノは枝の先に花がチラホラ。ユキヤナギは枝を真っ白にしていました。
陽気が良く、春のウオーキングを楽しめました。


公益財団法人 愛知県都市整備協会のおでかけナビ・愛知の公園で遊ぼうから引用しました。
http://aichi-koen.com/special/owari/walkingmap/index.html
愛知県都市整備協会は大高緑地や庄内緑地など公園を管理する団体です。尾張広域緑道もその1つの公園ですが、面的な公園と違って、尾張広域緑道は何市にもわたる線となった異種な公園です。


朝。JR勝川駅に集合しました。
会長の挨拶で始まり、全員でラジオ体操。
そして、出発です。




歩き初めです。
勝川駅前ですが、スクランブル交差点になっていました。




振り返ると、JR勝川駅が見えます。
勝川駅前の印象ですが、整備された駅前だと感じました。




庄内川の堤防を目指して歩きます。




Kオジサンの後ろ姿。その1.




庄内川に向かう道です。
右側に何か施設のようです。
地図で調べましたら春日井市南部浄化センターとなっています。
恐らく、下水処理施設で処理した処理水を庄内川に放流しているのだと思います。




段下公園と言うところです。
「十五の森」案内図が設置して有ります。




段下公園から、更に南に歩き庄内川の堤防の下まで来ました。
尾張広域緑道の案内板が設置して有ります。




庄内川の堤防に上がってみます。




堤防上から東を臨みました。
少年野球でしょうか。
自転車が何台も並べられています。
手前はこれから試合が始まるみたいです。中央は試合中。そして、その向こうは練習中。
野球場が何面も有ります。
庄内川の遊水地ですが、都会の中の貴重な場所です。
先に見えるアーチ型の橋は名古屋第2環状自動車道の庄内川大橋です。



庄内川の対岸。
アサヒビールの工場が見えます。




対岸の水道施設です。
3本の流水調節装置が見えます。




一宮友歩会で、庄内川ウォークとして13.07.06.にJR神領駅からアサヒビール名古屋工場までをウオーキングしました。
上の2枚は、庄内川の松川橋を渡り、アサヒビールに向かって歩いた時の写真です。
歩いている道は、すいどう道緑道です。
地図で調べましたら、庄内川堤防の南側に名古屋市上下水道局 川北ポンプ所となっています。地図に青い点線が乗っていて、その先に鍋屋上野浄水場が載っています。ここの下のパイプが鍋屋上野浄水場に向かって行きます。
あの時は、木が植樹された道を歩いたという印象でしたが、今回は、木曽川に向かって遡って歩く訳です。
過去に見たことと、今、目にした事が結びつく事が面白いです。




堤防の階段から降り、これから本格的に歩きます。




尾張広域緑道から少し、横道に外れます。
ここは、先ほど段下公園で案内図の有った「十五の森」へ向かいます。




「十五の森」の石柱。
裏面の文字は読み難くなっています。




「十五の森」クロガネモチの木と説明板。




前方の高架橋。
名古屋環状自動車道で、下は国道302号線です。




302号線を渡りました。
照明灯の柱にフレッシュパークまでの距離が表示して有りました。
照明灯の柱に貼られているもので、気をつけて見ないと見落としてしまいます。




ユキヤナギ。
満開と言う感じがします。




Kオジサンの後ろ姿。その2.




ソメイヨシノ。
花がチラチラと咲き始めています。




広域緑道。
こんな休憩場所が整備してあります。




中央線の踏切りを渡ります。
踏切りの名称が水道踏切となっています。
踏切事故が生じないよう気をつけて渡らなければなりません。




瑞浪行きの快速が通過します。
快速が通過した後、反対方向から来る列車のライトが見えました。
私たちが渡り終えると警報機が鳴り出し、列車が通過しました。それ程、頻繁に列車が通過していました。




ライオンズクラブの記念碑が設置して有りました。




ボケの花です。
誰かがボケの花と言いました。
私も、見た途端、ボケだと思ったのです。低木ですが綺麗な花が咲いていました。




サクラの根元は個人でお花畑にしても良いようです。
耕していた人と会長が話しをしています。




サクラの並木の中を歩きます。




フェンスの横を歩きます。
サクラが並木になっていますが、ここのサクラは里さくらと、プレートが下がっていました。ソメイヨシノより、少し開花が遅いのでしょう。
フェンスに下げられたプレート。
名古屋市上下水道局 名古屋浄水場となっていますが、この施設は鳥居松沈澱池です。




水槽で魚を飼育しています。
右は鳥居松沈澱池です。




広い鳥居松沈澱池。
高い所からですと、大きく捉えれるのですが、無理でした。




フレッシュパークまで距離。
ここの表示も小さいものです。




尾張広域緑道の運動広場のアーチ。
アスレチック ゾーンとなっています。



アスレチックゾーンの中の説明板。
小牧、長久手の戦いの説明が有ります。
左は石に岩崎城と刻まれています。
犬山城とか小牧城と刻まれた石が並んでいました。




春日井市総合体育館まで歩いてきました。
アソコでトイレ休憩。そして昼食とします。




明日から、高校の県道の選抜大会が開かれます。
父兄でしょうか、列を作っていました。
会場内で席を取るためだと言っていました。




総合体育館の内部です。




正面です。
明日からの準備が整っていました。



総合体育館の隣。
グランドが有りまして、接地して芝生広場が有りました。
そこで昼食を取りました。
この女性。体育館の職員のようでした。
私たちが食事を終えた頃に現れました。
彼女が現れて、言ったのは、芝生広場を使用するのは許可を得て貰わなければならないと言うことでした。規則でそのようになっていたのでしょう。私たちは通りかかって、タマタマここでお昼を取っただけです。彼女から規則の事を言われました。
誰かが言っていました。ここへは、2度と来ないと・・・・。
規則の事を触れに来た彼女に、全員写真のシャッターを頼んでしまいました。



再び、尾張広域緑道へ戻りました。




腹筋を鍛える遊具などが揃った場所です。
左側で女性が座り込んでいました。
私は気に留めずに歩きました。
この女性は座り込んで、ツクシのハカマを取っていたのです。カミさんはそれに気が付いたのだ言っていました。孫たちは遊具で遊んでいます。
春の情景の1コマです。




鉄管が展示して有る場所に来ました。




1000ミリと2000ミリの鉄管が展示して有ります。




国道155線の跨線橋です。
歩くのも終盤になってきました。
階段を登るのも、辛くなってきました。




ユキヤナギの横を歩くカミさん。
カミさんは山登りには、一緒してくれませんが、ウオーキングなら一緒に歩けます。




白い塀を建てた工事現場。
平成31年までの工事。
まだ、3年ほど工事が続きます。




塀に設置してある説明。
このような説明板を掲示してもらえると、どのような工事が行われているのかが判ります。




国道155線の下を地下道で通過します。
前方の高架。ピーチライナーの高架橋だったものです。
ピーチライナーは、今は運行されていません。この高架橋は、どうなるのでしょう。




フレッシュパークまで歩いてきました。




フレッシュパークのタワーが見えてきました。





タワーをアップで。




フレッシュパークの案内図です。




フレッシュパークでは、色々のおもしろ自転車に乗る事が出来ます。




色々なおもしろ自転車が並んでいます。
左上はペダルを分で走るもので無く、足の開閉を動力として前に進みます。運動不足の体で乗ると、足の内転筋が翌日に痛くなりそうです。




尾張広域緑道の拠点となっている所です。
フレッシュパークの建物の中に都市整備協会が入っています。



ここ。フレッシュパークを起点として南と北へ。
終点までの距離が表示して有ります。



冒頭の地図では、4.9キロに3.8キロとなっています。鳥居松沈澱池の分を加えると9.3キロになるのでしょう。ウオーキングを終えて、フレッシュパークから名鉄味岡駅までと、開始前にJR勝川駅から庄内川まで歩いた分を加えると12~13キロ程となります。これだけの距離を良く歩きました。

昨年は木曽川の取水口からフレッシュパークまでを歩きました。そして、今年は庄内川からフレッシュパークを歩きました。尾張広域緑道を完全に踏破したこととなります。それに13.07.06に庄内川の南の「すいどう道緑道」の一部を歩きました。地図で調べてその先に浄水場が有る事が判りました。道を歩いて、歩いたコースが「水の道」となっている事が判りました。このように知る事が出来た事が面白いです。

一緒に歩いたMさんも協力員ウォークを上梓しています。ご覧下さい。
http://www.geocities.jp/jk2unj/okryokudou2.htm


 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする