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Kオジサンの新・山歩きの記

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一宮友歩会・第75回ウォーク例会 史跡巡りシリーズ・名古屋編Part11 名古屋市西区を歩く

2018-07-07 23:42:04 | 一宮友歩会

一宮友歩会の7月例会に参加しました。今回は名古屋市西区を歩くもので、名鉄東枇杷島駅が集合場所で名鉄栄生駅がゴールでした。梅雨の時期であり、天気が悪く参加者が少人数でした。それでも、名城公園のでは明日から大相撲が開かれる運びとなっていました。

名鉄東枇杷島駅(スタート)  ― 枇杷島スポーツセンター  ― 八坂神社  ― 押切公園  ― 
旧志水家車寄
  ― 丹羽長秀邸址 ― しゃんしゃん馬の碑 一 江川の碑 ―  蜂谷宗意宅址
 ― 興西寺   ― 弁天通り
 ― 名城公園 ― 名城公園フラワープラザ ― 
ドルフィンズアリーナ   ― 宗春横丁 ― 堀川堀留の碑
 ― 鴫塚 ― 地蔵院 ― 
産業技術記念館  ―  名鉄栄生駅(ゴール)

 
今回のコース地図です。
名鉄東枇杷島駅から名鉄栄生駅までで、11キロとなっていますが、清音寺に寄ったりしていないので10キロ程でしょう。
http://www.geocities.jp/jk2unj/datagazou/75map.pdf


枇杷島スポーツセンター

スタート地点が名鉄東枇杷島駅となっていましたが、出発式を行うので、枇杷島スポーツセンターからのスタートと成りました。




(09:25)
枇杷島スポーツセンターはプールや競技場の有る場所でした。




歩き出しました。
県道、名古屋祖父江線を歩いています。


八坂神社

(09:33)
最初に寄ったのが八坂神社です。



境内に四角い鉄板が有ります。
提灯の柱立てる為のモノです。





大祭の写真が掲示して有ります。




5月の第3土曜日。
祭りが盛大に行われます。




美濃路を歩きます。






サボテンに花が咲いています。
このサボテン。
短針丸と言う種類だと教えて貰いました。


旧志水家車寄

(10:01)
旧志水家車寄へ来ました。




旧志水家車寄の説明です。



丹羽長秀邸址

丹羽長秀邸址で、街中にポツンとありました。



しゃんしゃん馬の碑

(10:08)
しゃんしゃん馬の碑ですが、風雨で字が読み難くなっています。




しゃんしゃん馬の碑の説明です。



江川の石碑

江川の碑です。





江川の碑の横に有った弁天通りの説明です。
それに、浄心。ここに市電の車庫がありました。




(10:23)
弁天通りを歩きます。



蜂谷宗意宅址

蜂谷宗意宅址。
門だけが残り、説明板が有りました。



弁天通り

弁天通りの案内図です。





可愛い大黒様。
こんな七福神が並んでいます。


名城公園

(10:58)
名城公園に入ってきました。



名城公園フラワープラザ

花に囲まれたフラワープラザです。





アメリカフヨウだと思います。





(11:14)
名古屋城が見えます。
この城。
やがて壊されます。



太鼓櫓と幟旗。
明日から始まります。


ドルフィンズアリーナ

愛知県体育館ですが、名が売られてドルフィンズアリーナとなっています。
明日から大相撲が始まります。



宗春横丁

(11:25)
宗春横丁の中を通り抜けます。



堀川堀留の碑

名古屋城の築城の時に開削された堀川。
その堀川の解説です。




(12:02)
もう直ぐゴールと言うところで雨が降り出しました。





産業技術記念館

(12:11)
解散式を行う産業技術記念館に到着です。

感想
天候が悪く、午後から降雨が予想されました。それで、予定のコースを早く廻りました。
そのため、少人数の参加者でした。
明日から大相撲が始まります。毎年、この時期に名古屋を歩くと、大相撲の時期棚と言う気がします。
名古屋城の近くで住宅地の中であっても、いろいろの旧跡がありました。



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一宮友歩会・第73回ウォーク例会 史跡巡りシリーズ・岐阜編Part11 瑞穂市北部を歩く

2018-04-07 23:33:43 | 一宮友歩会

一宮友歩会の4月例会が開催されました。今回は瑞穂市のJR穂積駅に集合して、穂積町、巣南町と瑞穂市の北部を歩くものでした。JR穂積駅前で出発式です。その後は北へ、そして西へと向かい、一部中山道を歩き、揖斐川を渡って樽見鉄道の十九条駅まで歩きました。
瑞穂市の北部を周回しました。瑞穂市は糸貫川、五六川、犀川と何本も川が流れています。それもミンナ北から南に流れています。そんな瑞穂市を歩きました。
今回は私がリーダーです。昨年11月に下下見。今年の2月に下見。そして今日の本番となりました。時期的に桜が満開になっているハズでしたが、開花が早くて終わっていました。

JR穂積駅(スタート)  ― 糸貫川  ― 糸貫川河川公園  ― 熊野神社  ― 馬場公園
  ― 延命地蔵 ― 
自然居士墓 ― 美江寺観音 ― 美江寺城址   ― 千手観音 
― 千体仏 ― 大月浄水公園 ― 
小簾紅園 ― 津島神社 ― むかい地蔵 ―
 十九条公園(解散式)  ― 樽見鉄道十九条駅(ゴール)  



今回のコース地図です。
JR穂積駅から樽見鉄道十九条駅までで、13キロとなっています。
http://www.geocities.jp/jk2unj/datagazou/73map1.pdf


JR穂積駅

穂積駅の南側です。
出発前に出発式を行っています。
今回のリーダーが私で、今日のコースを紹介しました。
そして、準備体操をして出発です。




穂積駅の自由通路を抜けて北側に来ました。
これから瑞穂市を歩きます。




穂積の街の中を歩き、糸貫川の堤防に来ました。




堤防に来たところです。
ソメイヨシノは終わっていますが、シダレザクラが少し残っています。



糸貫川

堤防から降りて河川敷を歩きます。


糸貫川河川公園

広い河川敷です。
この場所は野球場となっていますが、糸貫川の遊水地です。



野球場の縁を歩きます。
後方の建物は糸貫川河川公園の管理事務所のようでした。




若い桜の並木。
桜の時期を終わっていますが、花びらが散乱し、この幼木がサクラの木だと想像させます。




馬場公園に寄ってウォークを続けます。


糸貫川

再び糸貫川に来ました。
今回のコース。糸貫川にくっついたり、離れたりしました。




カモの群れが居ます。
もう、北へ帰る時期でしょう。
人の気配で逃げて行きます。



糸貫川の河川敷を歩きます。
道路を歩くより、このような所を歩く方が交通事故の心配が有りません。
このような所のウォーク。
カモを見たりして、自然を感じる事が出来ます。
畑があり、イチゴに花が咲いていました。



延命地蔵

糸貫川から中山道に出ました。
中山道沿いの延命地蔵です。



お昼の弁当の調達です。
ここでお握りを買いました。
それに、コンビ二のトイレを借りました。トイレが1箇所しかなく、時間が掛かりました。



美江寺観音

自然居士の墓に寄って、美江寺観音に着きました。
ここで小休止です。





ここは美江寺観音と美江神社が隣り合わせの場所です。
それに美江寺宿の説明板が有りました。
高札場も再現されています。




私達が歩いているのを見て、可愛い草履を頂きました。
1人に1コづつ貰いました。


美江寺城址

美江寺城址に来ました。
この城址、中小学校の行程に有ります。




城郭研究家のMさんの説明です。




今回の資料です。
十七条城址や十九条城址に着いて解説が有りました。
それに、この地は条里制の名残が有るところで、そちらのお話も有りました。


千手観音

中山道を歩いて来て、美江寺千手観音に来ました。
お堂の中に石製の観音様が安置されています。


千体仏

千体仏が有るのが千体寺です。
先ほど自然居士の墓に寄ってきましたが、千体仏は自然居士が造りました。





田園地帯を歩きます。
列が長く伸びています。




揖斐川の鷺田橋を渡ります。


小簾紅園

小簾紅園に来ました。
ここは呂久の渡しがが有ったところで、説明板が設けて有ります。




小簾紅園は皇女和宮が通ったところです。
彼女が歌った和歌を紹介しています。




和宮の歌碑が有ります。


むかい地蔵

むかい地蔵に来ました。
むかい地蔵は川を挟んで向き合っているお地蔵さんです。




むかい地蔵の説明板が設置して有ります。




犀川の向こう側。
十九条側の地蔵が見えます。




十九条側のお地蔵さんです。
女性を現し穏やかなお顔となっています。


十九条公園

十九条公園に着きました。
ここがゴールです。
この公園で解散式を行います。


樽見鉄道十九条駅

一部の人は予定通り、穂積駅まで歩きましたが、ほとんどの人が樽見鉄道の列車に乗車します。
14時22分発の列車が入ってきました。



列車の車内です。
空いていた車内が友歩会の人で一杯になりました。




車内からみえる揖斐川。
堤防の緑と黄。
春を感じさせる景色です。




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一宮友歩会 第72回ウォーク例会 史跡巡りシリーズ・知多編Part2 大府市を歩く

2018-02-03 23:16:25 | 一宮友歩会

一宮友歩会は偶数月に例会を開催しています。ただし、8月だけは暑い時期なので7月に開催しています。一宮友歩会と言っても一宮市の人に限定しているので無く、誰でも参加できます。地元は勿論ですが、名古屋市。江南市や稲沢市、扶桑町など尾張地区全般からの参加者があり、私のように岐阜県から参加しているのは珍しいです。
今年最初の例会である2月例会は大府市を歩くと言うものでした。参加は自由となっており、安城市から6人ほどの初参加者がありました。
大府市のウオーキングトレイルを歩きました。日頃、歩行者がウオーキングできるようにと整備された道でした。一宮友歩会の例会では、お寺や神社に寄ったりするのですが、今回は全く寄る事が無いと言う珍しい例会でした。

JR共和駅(スタート)   ― 上敷公園 (出発式) (9:20)  ― 二ツ池公園 (9:56) ― 北崎大池(11:02)  
― 大府みどり公園(11:09~12:03)  ― 桃山公園(13:07~13:22)  ― 大倉公園(13:28)   ― 
大府市歴史民俗資料館(14:00)   ― JR大府駅(ゴール)(14:14) 



今回の地図です。
JR共和駅を出発して、主に大府市の北側を歩き、JR大府駅へゴールしました。
http://www.geocities.jp/jk2unj/datagazou/72map.pdf




出発式です。
出発式を上敷公園で行うことになっていましたが、上敷公園が工事中でした。
急遽、ソフトバンクの駐車場を借りました。




出発しました。




歩き出して、ずぐに目にしたのがこの説明板です。
大府北中学校の敷地内に設置してありました。
追分城跡と言う遺跡。
発掘調査がされておらず、城主や何時の時代の城なのかも判っていない。
でも、古い航空写真からは城址だったことだけが判ると有ります。





春の兆し。
歩いていて、スイセンと菜の花を目にしました。




二ツ池に着きました。




池を眺めながら、親水デッキを歩きます。




飛来してきているカモ。
人の気配に逃げていこうとしました。




桜の蕾が膨らんできています。
説明板が設置してあり、河津桜だという事が判りました。
河津桜はソメイヨシノよりも早く咲きます。
開花が近いことでしょう。






二ツ池公園のウオーキングロードを歩きます。
ウオーキング用に整備された道です。
木々の葉が落ちていますが、森林浴が出来そうな環境でした。





歩道を歩いていますが、この左側。
至学館大学のグランドが有り、野球の練習をしていました。
前方の金網は新幹線敷地のモノです。




歩道として整備して有りますが、ウオーキングトレイルに入って来ました。




ウオーキングトレイルの入口に設置してあったプレート。
土地使用承諾標となっています。
大府市が愛知用水から使用させて貰っているというものです。



土地使用承諾標と並んで設置してあったのがウオーキングトレイル整備事業で、どのような木々が植えられているかを現しています。
この区間は豊田自動織機からの寄付金で植栽されましたと表示しています。
企業メセナのようなものなのでしよう。
大府市には豊田自動織機の工場が三箇所有ります。そんな事から地域に奉仕しようとしているのでしょう。




ウオーキングトレイル沿いに東屋タイプの藤棚が有ります。
この他にトイレも完備していました。





フェンスの向こう側に円筒形のモノが見えます。
金網で遮断されて居ますが、この下が愛知用水なのです。
国土地理院の地図では青い用水路で表示しています。
もともとは、このような状態のところをウオーキングトレイルとして整備したのでしょう。





ウオーキングトレイルを歩きます。
前方に竹林が見えます。





前方に北崎大池が見えてきました。
右の青いネットはブドウ畑のネットです。




大きな北崎大池。
農業用の溜池だと説明板が設置してありました。





大府みどり公園へ入って来ました。
右側はバーベキュー場です。



公園の中央広場に到着しました。




公園の管理人が大府緑公園に着いて説明してくれました。
今は冬でオフシーズンですが、春や夏には沢山の人が訪れると話していました。




大府みどり公園の案内地図です。
芝生広場がありますが、養生中で立入り禁止にしていると言っていました。




公園の遊具。
メカドラゴンです。




子供たちがターザンロープで遊んでいました。





公園から出発します。



歩いていて振り返りました。
新幹線の列車が通過して行きます。




ウオーキングも終盤となってきました。
向かっているのが桃山公園です。
登り坂がキツイです。




振り帰ってみました。
急坂にあえぎあえぎで登っています。





桃山公園に到着です。




桃山公園の風車モニュメント。
展望台となっています。





展望台からの眺望です。
刈谷市方面を望みました。
今の時代で、家々が並んでいますが、戦国時代ならこの辺りは田畑か原野だったのでしよう。
この抜群の眺望の場所。
砦が有ったのではないかと想像しました。




桃山公園から降りてきて大倉公園に来ました。






大倉公園に来ました。
茅葺きの門が見えます。
大倉公園はノリタケカンパニーの初代社長である大倉和親が大正期に建てた「大倉別荘」を中心とした公園です。松が植えられていますが手入れが行き届いていました。
別荘は客人をもてなす離れとして使われており、昭和の始めに皇族が泊まったと解説して有りました。

大倉公園内の見学。それに歴史民俗資料館の見学が有ります。
それで、ここで、30分後の14時に歴史民俗資料館の前に集合すると言う事で、一旦解散しました。




この奥に「大倉別荘」があり、そちらへ向かってみます。




大倉公園の案内図です。
桃山公園から降りてきて大倉公園へ来ましたが、裏側から入って来た形となりました。




大倉公園の離れを外から見た後、歴史民俗資料館へ来ました。



民俗資料館の常設店を見学します。




昔の暮らしを紹介するコーナーです。




こちらは年表が表示して有ります。
お遍路の衣裳が有りますが、知多新四国にちなんだものです。




資料館の表側に集合しました。
駆けつけてくれた安井さんの説明です。



配布された資料ですが、下の部分は尾張名所図会の「延命寺」です。
三本松となっていますが、この辺りでは木々を燃料として採取したのでハゲ山となり、3本が残った図です。
上の部分はこの辺りの地質の解説です。砂や粘土の地質が土砂が流れやすい地質であるとの解説です。





大府駅が見える所まで歩いてきました。




大府駅です。この駅も橋上駅になっています。




感想
 真冬の時期ですが、そんな時期の中でも穏やかな陽気での中でウオーキングが出来ました。今日の参加者は50名だったそうでした。何れも高齢者の域に達しそうな人ばかりですが、みなさん、お元気に12キロを完歩されました。

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一宮友歩会 第71回ウォーク例会 史跡巡りシリーズ・名古屋編Part10 名古屋市守山区を歩く

2017-12-02 23:10:08 | 一宮友歩会

一宮友歩会の12月例会が開催されました。今回は名古屋市東区のJR大曽根駅に集合し、守山区内を歩いて名鉄小幡駅にゴールするものでした。
守山区は名古屋市の北東に位置する区ですが、東区から歩き始めて守山区の西部を歩きました。名古屋城の北東で鬼門の方角で有ります。また、小牧長久手の戦いでは、その中間点に位置し戦略的にも、城を構える意味が有ります。
長母寺、大永寺、長慶寺と訪ねましたが、山田重忠が建てた寺で関連が有ります。そんな寺もを訪ねました。

JR大曽根駅(スタート)   ― 木ヶ崎公園   ― 長母寺  ― 宝勝寺  ― 守山城址  
― 白山神社
 ― 守山市役所跡  ― 陸自守山駐屯地   ― 瓢箪山古墳   ― 小幡城址  ― 大永寺  ― 川田公園 ― 川島神社  ― 小幡緑地公園  ― 生玉神社  ― 長慶寺
 ― 道標  ― 名鉄小幡駅(ゴール)   




第71回ウォーク例会のコース地図です。



JR大曽根

大曽根駅に降り立ちました。
前方で、もう受付が始まっています。
今回、JRのさわやかウオーキングと重なっていました。
さわやウオーキングの参加者が沢山、通りかかりました。




ウォークがスタートしました。
幹線道路より、裏道を歩きます。
ここは瀬戸街道です。





瀬戸街道沿いの家。
自転車マニア?
沢山の自転車が上から吊るし有ります。
何人で乗るのだろう。
1人なら一週間で、乗らない自転車も出ます。


木ヶ崎公園

木ヶ崎公園に来ました。
イチヨウでも、葉が落ちたイチヨウ。
葉が黄葉しているイチヨウ。
色々です。


長母寺

長母寺に来ました。
山田重忠が創建。
時代が移り、山田道園坊夫妻が母親のために再建して、長母寺となったと説明しています。




長母寺から矢田川の堤防に出てきました。




堤防の脇。
矢田の渡しの石碑が有ります。
明治十七年六月の字も読めます、




堤防道路は通行量が多く危険です。
矢田川の河川敷を歩きます。




ここで安井さんから、地図を見ながら解説です。
矢田川も洪水の度に流域を変えていました。
それまで長母寺の南を流れていた川が洪水で長母寺の北を流れるようになってしまい、今の姿になりました。



矢田川橋から下流方面を望みました。
中央線の橋を列車が通過して行くのが見えました。


宝勝寺

宝勝寺に来ました。
境内に守山区の史蹟散策路のプレートが表示して有ります。




階段を登り寺へ来ました。




境内で丸井さんの解説です。




丸井さんの解説資料です。
宝勝寺と守山城址は隣同士となって居ます。
南側に矢田川が流れ、戦略的に重要な場所だったのだと思います。

守山城址

守山城址は小高い場所となっています。
少し、登ります。




左は守山城址の石碑です。
登り口に説明看板が設置してありました。
下見に来た時は雑草が茂っていましたが、除草して有りました。


城址から望んだ北東方面です。
春日井の王子製紙から白煙が上がっています。
その向こうに御嶽山が見えますが、電線が邪魔しています。
今は家屋が密集していますが、城か有った時期には平原となっていたのではないでしょうか。
そして庄内川が見下ろせた事と思います。


白山神社

次に来たのが白山神社です。
白山神社は白山古墳の上に創建されています。




瀬戸街道を歩いていて、珍しいバイクを目にしました。


守山市役所跡

守山区の図書館は守山市役所の跡にできました。
図書館の説明板をみんなが覗き込んでいます。


陸自守山駐屯地

陸上自衛隊守山駐屯地の正門です。
隊員が自転車で出てきました。




守山駐屯地のフェンスの横を歩きます。




フェンスの隙間から見えた建物。
恐らく、この建物が守山駐屯地の中核的な建物でしょう。
正面玄関に鯱をかたどったエンブレムが掲げて有ります。


瓢箪山古墳

瓢箪山古墳の横を歩きます。
瓢箪の形に見えるような前方後円墳ですが、木で覆われ鬱蒼としています。
木を刈り払って整備して欲しいと、誰かが言っていました。


小幡城址

小幡城址へ来ました。
ここでも丸井さんの解説が有りました。



解説の資料です。
右下の図が城址の図です。二の郭、本郭、三の郭となっていて掘りも有ります。
北側は傾斜地となっていて、石垣的な役割を果たしたのでしょう。
下の写真は南側から眺めたものです。




小幡城址から、再び歩き始めました。
前方には眺望が広がっています。
視界の好いところで戦略的に重要だったのでしょう。


大永寺

大永寺に来ました。
この寺の創建は山田重忠に寄るもので、寿昌院でしたが大永寺と改めて再興されました。
この寺には樹齢500年のラカンマキと樹齢400年のイヌマキが有りました。



川田公園で見かけたツバキ。
季節を感じさせます。

川島神社

川島神社に来ました。
境内の手水舎の石に刻まれている文字を確認しています。


小幡緑地公園

木々が黄葉している小幡緑地を歩きます。


生玉神社

生玉神社に来ました。
ここはお稲荷さんも有ります。


道標

道標と道標の説明板が有り覗き込んでいます。




道標と道標の説明板。




道標の近くの場所にも道標があると、男性が教えてくれましたる
読み難いですが、良く読むと陸軍省と読めます。
これは道標でなく、境界杭なのでしょう。




名鉄小幡駅まで歩いてきました。




かつて見た守山③
小幡駅周辺と駅舎の変遷。
3代にわたった小幡駅を紹介しています。
この解説は③です。図書館に有った守山市役所は①でした。
と言う事は、どこかに②があるでしょう。


名鉄小幡駅

小幡駅まで歩いてきました。
お疲れ様でした。


感想
守山区は城址、古墳。それに大きな寺がある場所でした。そんな状況なのも守山区の地形からだと思います。
初冬の一日では有りましたが、穏やかな陽気でウオーキングに持って来いの日でした。




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一宮友歩会・第70回ウォーク例会 河川探訪シリーズ・新川編Part2 西区、北名古屋市、豊山町、春日井市、そして小牧市を歩く

2017-10-07 23:22:32 | 一宮友歩会

一宮友歩会の10月例会に参加しました。
今回は河川探訪シリーズで新川を歩くもので、昨年10月に中川区、大治町、清須市、西区を歩きました。その続きで、名古屋市西区、北名古屋市、豊山町、春日井市、そして小牧市までを歩きました。例会の地図には15キロとなっていますが、16キロ位は有るのではないかと思います。
前日は雨模様の空でしたが、秋を感じるウオーキングが出来ました。

名鉄上小田井駅(スタート)   ― 二子中央公園(北名古屋稲葉篤紀ふるさと広場)   ― 万渓寺   
― 水埜士惇君治水碑   ― 神明公園 航空館Boon   ― 尾張神社  ― エアフロントオアシス
天神社  ― 妙林寺  ― 名鉄小牧駅(ゴール)   





第70回例会のコース地図です。
http://www.geocities.jp/jk2unj/datagazou/70map.pdf#search=%27http%3A%2F%2Fwww.geocities.jp%2Fjk2unj%2Fdatagazou%2F70map.pdf%27


名鉄上小田井駅

集合、そして出発地点となるのが名鉄上小田井駅です。
出発前に駅の西側広場で出発式、そして準備運動をしました。



今回は私、Kオジサンとカミさんがアンカーを努めました。




名鉄上小田井駅を出発しました。
まず、歩き始めたのが国道302号線です。
高架になっていて、上の道路は名古屋第二環状自動車道。
名二環です。




302号を離れて北に向かいました。
階段を上がると新川の堤防になります。




新川の堤防を歩きます。




名師橋の上から新川の下流方面を望みました。
名古屋市と師勝町の境の橋で名師橋と名付けたのでしょう。




道の両側の水田。黄金色となっています。
実りの秋を迎えています。
間も無く、稲刈りが始まるのでしょう。


民家の塀から伸び出たハギ。



二子中央公園(北名古屋稲葉篤紀ふるさと広場)

北名古屋 稲葉篤紀ふるさと広場へ来ました。
ここで、トイレ休憩します。




稲葉選手の写真が3枚掲げて有ります。
この施設に稲葉選手の名が付いています。
開館に際し、寄付が有ったようです。
誰かが言っていました。写真3枚では寂しいと。
出来れば、現役時代のユニフォームとかバットが展示して有ればと言う意味でしょう。稲葉選手と言えば全日本の監督を努める人です。出身地に何か形を現して貰いたいものです。




民家の柵越しに顔を出していたシュウメイキク。


水埜士惇君治水碑

新川から離れ、再び新川沿いを歩きました。
左は歩いて来て水埜士惇君治水碑に来たところで、右は合瀬川、大山川と新地蔵川が合流するところです。
新川を歩くコースとなっていますがこの先、大山川の上流に向かって歩きました。




水埜士惇君治水碑です。
左の家屋の中に石碑がありました。右の石碑は漢文調で字が刻まれて居ますが読み難くなって居ます。




水埜士惇君治水碑の説明板です。
説明板の前にポールが立ち、読むのを妨げて居ます。




治水碑の前は道路で車の往来が激しく、少し離れた場所で説明です。
説明者は治水史研究家の安井さんです。右は資料として配布された明治期のこの辺りの地図です。




資料の地図で、明治期のものです。
まだ、小牧空港が出来る前の時期です。
川の地形で、この場所に集まってくるのが判ります。
度重なる水害。それで、新川が開削されました。



大山川沿いを歩きました。
右側に名古屋北部市場が見えました。




大山川から離れましたが、再び大山川沿いを歩いています。




橋の上から大山川の下流を望みました。
見える下の橋は国道41号線。高架の橋は名古屋高速の小牧線です。
高速道路の上に見えるのは料金所です。


神明公園 航空館Boon

神明公園に到着です。
この公園で昼食にしますが、広い公園です。
昼食場所として航空館Boonが有る方へ向かいました。




航空館Boon北側の展望台からの眺望です。
ジェットが爆音を響かせ離陸しました。
機体のFDAが読めました。
これは旅客機ですが、セスナがタッチ・アンド・ゴーをやつているか、何回も離陸していきました。
それに、爆音を立てて飛ぶヘリコプターも見かけました。



昼食で解散して、集合時刻が12時30分となっていました。
集合時刻までに時間が有りまして航空館Boonの館内を見ました。
MU2-Aが展示して有ります。



航空館の南側の小高い丘です。
ここでも治水史研究家の安井さんの説明がありました。
今は県営名古屋空港となっていますが、かつては米軍が使用していた飛行場です。その滑走路の下を大山川が流れています。その改修の歴史を解説を話されました。




小牧飛行場内の飛行機をズームしました。
航空自衛隊の輸送機です。
KC-767。
空中給油機が見えます。




尾張神社

尾張神社へ来ました。




尾張神社に関係の有る方。
吉田さんが説明してくれました。




尾張名称発源地の碑です。




「尾張名称発源の地」碑の説明です。
この尾張神社の有る場所は小針と言う地域です。その小針が尾張となりました。


エアフロントオアシス

エアフロントオアシス(小牧)へ来ました。同じエアフロントオアシスが南の春日井側にも有ります。区別するため括弧書で区別しています。




離陸して来るジェットが見えます。
グングンと上昇して行きます。
今は車輪を出しいるのが見えますが、上昇に連れて車輪を格納していました。
そして、頭上まで来た時、機体のFDAの文字が読めました。
13時30分ころの出発です。
何本も飛んでいませんので、検索すれば何処に向かう機か判るでしょう。






エアフロントオアシスを出て天神社に寄りました。
そして、また大山川沿いを歩きます。


妙林寺

小牧の大黒さんと呼ばれている妙林寺に来ました。





石造りの大きな大黒サンが鎮座しています。
この大黒サンの裏側に梵鐘が有り、この下には何体もの仏像が安置して有りました。


名鉄小牧駅(ゴール) 

小牧駅が見えてきました。
ゴールです。
お疲れ様でした。


感想
今回は一宮友歩会の第70回例会でして、名鉄犬山線の上小田井駅から名鉄小牧線の小牧駅までを歩きました。距離が15キロとなっていますが16キロくらい有るかも知れません。カミさんは山には付き合ってくれませんが、平地なら歩けます。今回、アンカーの役を引きうけて踏破する事が出来ました。良く歩いたと思います。
新川編Part2と、銘打ったコースでした。始めは新川で途中から大山川に変わりました。川を遡っていくのですが、段々と形状を替えていきました。川の集中する地形で先人が治水に苦労したことを知りました。
今回のコースは県営名古屋空港の近辺を歩くモノでして、何回か飛び立つ飛行機を見かけました。それに航空館Boonに寄ったりしました。言うならば、飛行機にかかわったウオーキングでした。

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一宮友歩会 第69回ウォーク例会 史跡巡りシリーズ・名古屋編Part9 名古屋市中村区を歩く

2017-07-01 23:06:26 | 一宮友歩会

一宮友歩会の7月例会が開催されました。友歩会の例会は原則、偶数月の開催ですが、8月は暑い時期ですので、7月の開催となっています。今回は西区の名鉄栄生駅から近鉄烏森駅まで、中村区を歩くものでした。
今回のウオーキングでは、中村区の解説ボランティアグループ「中村まち歩きマイスター」の方々に案内をして貰いました。「中村まち歩きマイスター」は中村区を中心に解説しながら街の中を案内するボランティアグループです。中村公園の中村勘三郎記念碑や妙行寺、常泉寺。豊國神社など中村公園周辺の旧蹟を解説して貰いながら歩きました。
梅雨の最中で降水確率が80パーセントとなっていましたが予報がハズレ雨に降られずに歩くことができました。

栄生公園(スタート)(9:12)   ― 名鉄栄生駅(9:17)   ― 白山社(9:40)  ― 
大円寺(9:57~10:12)
  ― 中村公園(10:30~)   ― 大正天皇お手植えの松(10:36)  ― 
初代中村勘三郎生誕地記念碑 ― 
妙行寺(11:10~11:16)  ― 常泉寺(11:29)  ― 
中村公園(~12:29)  ― 日之宮神社(13:15)  
― 願成寺薬師堂(13:29~13:32)
    ― 才ノ神公園(14:08)  ― 近鉄烏森駅(ゴール) (14:20)  



http://www.geocities.jp/jk2unj/datagazou/69map.pdf
今回のコース地図です。栄生公園から烏森駅までのウォークです。
10kmとなっていますが、中村マイスターに案内されて中村公園の周辺を歩きましたので、13~14kmは有ると思います。

栄生公園

出発式の会場です。
栄生駅の南東。
駅の近くに広場が無いので、この栄生公園での出発式です。

名鉄栄生駅

公園から栄生駅の前まで戻って来ました。
ここからが本当のスタートです。



新幹線の高架の横を歩きます。





中村区栄生町の住居表示です。
西区栄生と隣り合わせです。でも、中村区は栄生町(サコチョウ)で、西区は栄生(サコウ)です。


白山社

白山社へ来ました。この白山社。
今日が夏祭りの日でした。




白山社の入口に有った石碑です。
中村?が名古屋市に合併しても消防車が入れないような道の狭さ。
それで区画整理を行ったという説明です。
狭い道路を広げるとなると、当然土地の面積が減ってしまいます。
苦労して成し遂げたのでしょう。




梅雨の時期です。
道の横にアジサイが咲いていました。




乃木将軍の石造がある場所に来ました。




将軍の石像。
その横には砲弾を模したものも有ります。





古い中村区の街の中です。
道が真っ直ぐになっていません。



大円寺

大円寺へ来ました。
丁度、住職が出かけるタイミングでした。





境内に入って来ました。
立派なお寺です。




境内の松。
好い枝ぶりです。





境内に日比津城主の墓が有ります。




ここで、歴史研究家M井さんの説明です。



M井さんの資料。
明治24年の地図です。東海道線と関西線は出来ているが名鉄と近鉄は、まだ出来ていません。
烏森は柳森村。それに日比津村も有ります。村の周りは田んぼです。
今の名古屋駅辺り、駅の東の方に建物が有り、城下町らしさが有りますが、反対側は何も有りません。
佐屋街道は並木道になっています。
明治24年の地図ですが、江戸時代の姿と変り無いでしょう。
古い地図。見るのが面白いです。



真っ直ぐの道です。
この下、水路でも有るのではないかと思いましたが、後で判りました。


 中村公園

中村公園に来ました。




中村まち歩きマイスターの人達と対面です。。





マイスターに案内されて中村公園の中を歩きます。



大正天皇お手植えの松

「大正天皇お手植えの松」の説明をしています。




お手植えの松の説明板と今のお手植えの松です。
松が植えられてから100年ほどになります。



初代中村勘三郎生誕地記念碑

初代中村勘三郎生誕地記念碑。
この記念碑。
まだ、整備されたばかりです。





初代中村勘三郎生誕地記念碑の説明板とブロンズ像。




豊公誕生地で解説する吉岡さん。



妙行寺

妙行寺に来ました。
こちらは加藤清正の誕生地です。





あの場所に加藤清正の像が有ります。



常泉寺

常泉寺に来ました。
豊国大明神の廟堂として加藤清正が創建しました。





中村公園を去ります。
「中村まち歩きマイスター」の方々から説明を受けた後、公園内で昼食を取りました。
そして、公園を去ります。
昼食時間を含め、中村公園の周囲で2時間ほどを過ごしました。





中村公園から歩いてきました。
歩いて来て、後ろを振り返りましたが、真っ直ぐの道です。





ここで、治水史研究家のY井さんの説明が始まりました。





Y井さんが説明している資料。



Y井さんの説明資料です。
庄内用水実測図です。庄内川から水を取り入れています。最初は堀越の北東辺りで取水していましたが、明治頃には上飯田の方。自用理由から取水するようになりました。
庄内用水は名古屋の西側の田畑を潤しています。その先の熱田新田、熱田前新田まで行っています。このことから新田の開発に、用水が有ったので開墾できたのでしょう。
地図に中川が載っています中川区のモトとなった川の名だと思います。




石神社の前を歩きました。
子供の熱病神と有ります。



日之宮神社

日吉公園の一角に日之宮神社があります。この石碑がありました。
秀吉の母は日吉権現へ日参したと有ります。


願成寺薬師堂 友綱部屋の宿舎

願成寺薬師堂へ来ました。
プレハブの家屋。
相撲の稽古場のようです。




境内にはプレハブが建っていました。
プレハブに近寄って見ましたら、中央に土俵が設けて有りました。
中には誰も居なく、ひっそりとしていました。
ここに来たのが午後の時間帯だからです。
午前中なら稽古中の様子が見れたことでしょう。

名古屋場所で、相撲部屋が宿舎を張っていたのは友綱部屋でした。
朝稽古。
体と体がぶつかる音が聞こえたでしょう。




午後の時間帯です。
朝稽古は終わっていました。
2人のお相撲さん。
洗濯の最中でした。




佐屋街道を西へ歩きます。




烏森です。
街の中の様子から、古い町だと判ります。


禅養寺

禅養寺まで歩いてきました。


才ノ神公園

ゴールの才ノ神公園に到着です。
整理体操、そして解散式となりました。

この後、近鉄烏森駅へ向かいました。

一緒に歩いたMさんのホームページです。
http://www.geocities.jp/jk2unj/69reikai.htm

感想
今回は中村区のボランティアグループ。「中村まち歩きマイスター」の方々に案内して貰い、中村公園の周辺を歩きました。現地で色々と解説して貰いました。また、一宮友歩会のブレイン。M井さんとY井さんの解説も有りました。
毎度の事ですが、単に歩くだけでなく、色々の解説。その解説がとても参考になります。
7月は名古屋場所が開かれる時期です。願成寺薬師堂が友綱部屋の宿舎となっていました。訪ねた時間が午後で、お昼寝の時間でした。稽古の風景が見れなかったのは残念でした。

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一宮友歩会 第68回ウォーク例会 史跡巡りシリーズ・西尾張編Part16 弥富市・蟹江町を歩く

2017-06-03 23:13:50 | 一宮友歩会

一宮友歩会の6月例会に参加しました。
今回は弥富市の近鉄弥富駅に集合して、弥富市の南部から蟹江町を歩くものでした。まず、近鉄弥富駅前で出発式です。その後は弥富の街を南西へ、そして南東へと歩きました。
この辺りは、いわゆる海抜0メートル地帯です。長い間、水との戦いの連続だった場所です。そんな苦闘の歴史を河川土木に詳しいY井さんから解説して貰いました。
また、今回のウオーキングでは、弥富市の案内ボランティアグループ「弥冨ふるさとガイド」の方々に案内をして貰いました。16年04月02日に一宮友歩会の第61回ウォークで、弥富市の北側部分を歩きました。その時も「弥冨ふるさとガイド」の人に案内をして貰いました。今回はその続きみたいなものです。
今日のコースは14kmとなっていましたが、計画に含まれていない、ふたつやの渡しへ寄りましたので15kmを越えているのでしょう。梅雨入り前の出来です。好天に恵まれて歩くことがではました。
カメラの画像が表示したコース時間です。
近鉄弥富駅(スタート)(9:13)   ― ふたつやの渡し跡(9:42~9:49)   ― 
歴史民俗資料館(9:55~10:00)
 ― 蓮如堂(10:02~10:10)   ― 金魚卸売市場(10:22)   ― 
おみよし松(10:31)  ― 
黒宮重佳記念碑(11:13~11:15)  ― 
海南こどもの国(11:33~11:39)  ― 弥勒寺(11:41~11:49)  ― 
孝女そよ宅跡(11:57)
 ― 三つ又池公園(12:05~12:56)    ― 烏の池(13:02)  ― 
明治天皇御小休所(13:17~13:25)  ― 二つお宮の松(13:29~13:35)  ― 吉川英治文学碑(14:39) ― 
鹿島神社文学苑(14:54~15:00)  ― 親鸞聖人遺跡(解散式)(15:22~15:25)  ― 
近鉄蟹江駅(ゴール) (15:34)  




今日のコース地図です。
廻る予定の無かったふたつやのワ渡しへ寄ったりしまして、15キロを越えていると思います。
http://www.geocities.jp/jk2unj/datagazou/68map.pdf

弥富駅前。

近鉄弥富駅の南側の広場です。
出発式で挨拶する会長です。




蟹江駅前から尾張大橋方面へ歩いてきました。
歩いているコースが堤防で数メートル高くなっています。
お囲い堤と呼ばれている堤防です。
尾張は対岸の美濃より高くなっています。

ふたつやの渡し跡

ふたつやの渡し跡。
かつては、ここから渡し船が出ていたのですが、直ぐ近くに川は有りません。
この辺りが整備されています。
石碑が有るので渡し場が有ったと思えるのですが、ここから船に乗ったというのはピンと着ません。




ふるさとガイドが資料を見せてくれました。
ふたつやと言われる由来が判りました。




両側に家が立っていますが、古い町並みです。
この道は明治期に東海道だった街道です。


歴史民俗資料館

歴史民俗資料館に入館します。
この資料館へは第61回の際に立ち寄りました。
今回はトイレ休憩です。

蓮如堂

歴史民俗資料館の直ぐ近くの蓮如堂へ来ました。
ここで、ボランティアガイドの紹介です。
そして、ガイドから蓮如堂の説明がありました。


金魚卸売市場のところへ来ました。

金魚卸売市場へ来ました。
ガイドが説明しています。




あのガラスの建物。
アソコで金魚の競り市が開かれます。
ここへは14年03月14日。見学に来ました。春のシーズンで金魚市が開かれる頃になった時でした。
http://blog.goo.ne.jp/gifu2212/e/d882d8f9fe0f7ea566f48772b4364d44
金魚市は月曜日と金曜日に開かれるのだとガイドが説明してくれました。
ここに温室のような建物が出来ていました。前回、歩いた時には無かったのです。



沢山の木箱が立てて有ります。
この木箱。「カンコ」と呼んでいまして、競り市の時に金魚を入れて流すものです。

14年03月14日に見学した様子です。

左上は金魚卸売市場へ来ました。弥冨ふるさとガイドに説明を受けています。
右上は競り市場へカンコを送り込んでいます。
左下は競りの様子です。そして、右は流れていくカンコです。カンコの中に木札を投げ込んで入札します。



道の横。
金魚の養殖池が有ります。
直ぐ近くに、まだ新しいアパートが見えます。
水が無く、干上がった池を見かけました。
金魚池の面積が縮小しているかも知れません。


筏川の横を歩きます

右は筏川です。
江戸時代。今のような姿ではなかったと思いますが、木曽谷からの材木がこの川を流れていきました。




のどかな雰囲気の中のウオーキングです。

空気が澄んでいて遠くまで見えます。
左の遠くの山は藤原岳で、右のなだらかな山は多度山です。


黒宮重佳記念碑

黒宮重佳記念碑へきました。
御神木のような大きな木。
記念碑は漢文調で彫られて居ますが読み難いです。


海南こどもの国

海南こどもの国へ来て、少しの時間。休憩です。
そして再び、歩き始めました。


弥勒寺

弥勒寺へきました。
これから入りますが、立派な門のお寺です。
それに、いい形の松が見えます。


孝女そよの墓碑

弥勒寺の門前に孝女そよの墓碑が有りました。




小麦なのか大麦なのか、実った麦畑が見えます。
近々、刈り取られるのでしょう。


孝女そよ宅跡

孝女そよ宅跡へ来ました。
弥勒寺から近い場所です。
石碑と説明板が設置して有ります。


三つ又池公園

三つ又池公園へ到着しました。
ここで、昼食です。
広い公園ですが、水郷らしい雰囲気の公園です。
この公園。芝桜が良いようなのですが、時期が過ぎていました。


秋葉堂

秋葉堂へ来ました。
このお堂の内部に木造阿弥陀如来半跏倚像が安置して有ります。




ガラス越しに中を覗いました。


旧東海道

旧東海道を歩いています。
この辺り、左側が石段を積んであり、一段と高くなっています。
海抜0メートル地帯で、少しでも水害からまぬかれ様としています。
明治期の東海道なのですが、関西鉄道が開通したり、木曽川に橋が架けられたりして廃れてきました。


明治天皇西蜆小休所

明治天皇西蜆小休所の石碑が立っています。
こちらのお家。今は新しい家屋となっていますが、当時、、明治天皇がこちらで休憩したのでしょう。
お家の方が出てきてくれました。




個人のお宅に有る石碑です。
特別にお宅の中に入らせて貰い、拝見しました。
読み難いですが、上に御小休と刻まれています。
その下には明治十三年七月二日 御巡行となっています。






ふるさとガイドが見せてくれた資料です。
名古屋別院から熱田神宮に参拝してこちらに着て、ここで休憩したと有ります。
鍵付きの木桶。毒を入れられてはいけないと言う配慮からでしよう。


今回、明治天皇は西に向かっていました。
第61回例会で弥富市の北部を歩きました。その時、明治天皇焼田港御発着所跡の石碑を目にしました。桑名方面からその場所に着いたのでした。
明治天皇が焼田港に着いたのは、明治元年(1868年)に京都から東京に移る際に,桑名から東海道を東に進んでいるのでした。西に向かったのと東へ向かった時期。
時期が異なる事が判りました。


山神社

二つお宮の松です。
長時間、私たちのためにご案内いただきました。
ここで「弥冨ふるさとガイド」のみなさんとのお別れとなりました。
この場所。
山神社と言うところで、松が2本有ったのですが、1本切り倒されて1本が残るだけになっています。



海抜を示す表示です。
この一帯。いわゆる海抜0メートル地帯です。




街道横の水田。
田植えが終わっています。




善太橋から見えた東海市方面です。
名港大橋。その先には溶鉱炉が見えます。




日光大橋を渡ります。




橋を渡った場所でY井さんからの解説です。




Y井さんの解説の資料です。
海抜0メートル地帯で水との戦いでした。
水の流れを良くするには浚渫しなければなりません。しかし、浚渫して川床を下げると満潮時に海水が浸水して来る。それを防ぐためには樋門を設けなければならない。樋門を設置すると漁業者の船が通過できない。
漁業者と農業者との利害関係。
樋門の工事で、当時は工事の技術が稚拙で、川が流れている状態で工事する技術が無く、陸で樋門を工事して、その後に川の流れを替える。今のような技術が無い時代だったとの説明でした。


吉川英治文学碑

吉川英治文学碑です。
かつては別の場所に有ったのをこの場所に移したのだそうです。




佐屋川の横を歩きます。




佐屋川の横を歩きます。
桜の並木となっていて、桜の時期には見ごたえが有りそうです。
この場所の西にゴルフの打ちっ放しがありました。
とんで来た沢山のゴルフボールが浮かんでいました。


鹿嶋神社

鹿嶋神社に来ました。




境内が文学苑となっていて歌碑が設置して有ります。





近鉄蟹江駅の近くまで歩いてきました。
前方に見える川は蟹江川です。
右側にコンクリートの塊が見えます。
かつて樋門が有ったのですが、不要となって撤去した樋門の後だと説明がありました。




国道1号線。蟹江大橋です。
前に見えるのは、橋の跡です。
右に新しい橋が架かっていますが、前のは古い橋の跡です。


近鉄蟹江駅

お疲れ様でした。
近鉄蟹江駅に到着です。

最後に
一緒に歩いたMさんのホームページです。
http://www.geocities.jp/jk2unj/68reikai.htm

感想
以前に来た事の有る金魚市。そこへ再び来る事が出来ました。あの時の記憶を思い出せました。
東海道の宮宿から桑名宿までの七里の渡し。七里の渡しを避けて佐屋街道を歩くと言う方法も有りました。その佐屋街道、七里の渡しを辿らずに行くのが、明治期の旧東海道でした。このような街道を知る事ができました。
そんな街道も関西鉄道が開通したり新しい橋が架橋されて街道が廃れてしまいました。古い街道を知る事が出来て面白かったです。
旧東海道で明治天皇が休んだ場所。それに以前の例会で見かけた、明治天皇焼田港御発着所跡。その時と今回とは時期が異なる事が判りました。こうして、発見と言うか新しく知る事が出来た事が面白いです。





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一宮友歩会・第67回ウォーク例会 史跡巡りシリーズ・岐阜編Part10 瑞穂市・墨俣町・羽島市を歩く

2017-04-01 23:58:01 | 一宮友歩会

一宮友歩会の4月例会が開催されました。今回は瑞穂市のJR穂積駅に集合して、穂積町、墨俣町、羽島市小熊町と足近町を歩くものでした。JR穂積駅前で出発式です。その後は東へ、そして南へと向かい、長良川を渡って羽島市へ歩きました。
中川、犀川、大江川、そして境川を歩きました。何れも川の堤防を歩くのでしたが、桜の開花が遅れていまして花を愛でると言う事は出来ませんでした。それでも、桜の木々が花を付けた状態を想像して歩きました。桜が開花していたならば、桜サクラさくらのオンパレードだった事でしょう。
別府観音は毎月1日が御開帳の日と決められています。一宮友歩会の例会が偶数月の第一土曜日の開催となっています。丁度、御開帳の日と例会の開催日が合致しました。
歩いたポイントに観音院が有りました。こちらの住職と友歩会のメンバーに、旧知の間柄の人が居ました。また、羽島の西方寺では寺宝の茶道具を鑑賞させて貰いました。ハプニング的なことが起こりましたが、楽しくウオーキングをする事ができました。

 JR穂積駅(スタート)  ― 別府観音  ― 秋葉神社  ― 観音院  ― 野口公園  ― 中川 ― 
一夜城跡公園 ― 墨俣宿脇本陣 ― 本正寺   ― 長良大橋 ― 大江川 ― 沈下橋 ― 
美濃路一里塚 ― 親鸞聖人旧跡 ― 西方寺(解散式)  ― 名鉄南宿駅(ゴール)  




今回のコース地図です。
JR穂積駅から名鉄南宿駅までで、13キロとなっています。
http://www.geocities.jp/jk2unj/datagazou/67map.pdf

JR穂積駅前

ウオーキングを開始する前です。
JR穂積駅前で出発式を行い、挨拶する会長です。
この後、ラジオ体操を行い、そして出発となりました。




JR穂積駅前から歩き出しました。


別府観音

最初に訪ねたのが別府観音です。
毎月1日が御開帳日です。
一宮友歩会の例会は偶数月の第一土曜日となっています。
タマタマ、ですが御開帳の日と例会の開催日が合致しました。
私たちが訪ねた時、お堂を既に開けて貰えていて、着くのを待っていてくれました。




十一面観世音菩薩像の説明板です。
昭和31年に岐阜県の重要文化財に指定されています。




お堂を管理する方からお話しをして貰いました。

お話しの後、友歩会でこれから歩くコース地図をお見せして、このように歩くと話しました。
それに、私は各務原から参加していると話しましたら、このお堂の横にお祀りしているのが、白龍さまの分霊なのでした。白龍さまと聞いてピンと来ました。白龍さまと言うのは各務地区の苧ヶ瀬池の神社です。そちらの分霊なのでしょう。そんな事もご縁です。


十王

観世音菩薩の両側に十王がお祀りしてあります。
十王とは冥界に住むと言われる十人の王様。十王です。
その代表的なのが閻魔大王です。
閻魔サマ以外の王は知られていませんが、地獄において亡者の審判を行う10尊の、いわゆる裁判官的な尊格です。
死後、三十五日とか四十九日とかで、罪が裁かれると言われます。
左側の五官王の前に業秤(ごうのはかり)が見えます。




瑞穂市の穂積地内を歩いています。


秋葉神社

天王川の堤防に上がりました。
堤防の上に有った秋葉神社です。
この神社にオオイチヨウが有ります。
樹齢は不詳となっていますが、大木で瑞穂市の天然記念物に指定されています。


観音院

観音院に来ました。
観音院は穂積地区の南端に位置します。





住職の井上さんがお話をしてくださいました。
こちらの寺と、先ほど寄って来た別府観音。ご詠歌の繋がりが有るのだと話されました。
こちら、井上さんと旧知の仲と言う人が友歩会のメンバーの中に居ました。久し振りの再開です。アレアレと言う感じ。このようなハプニングも有りました。




観音院の庭。
終わりそうな時期を迎えています。




観音院を後にします。
立派な大瓦です。
皆さんに声を掛けました。そして、振り返っています。




田にレンゲが咲き始めています。
岐阜県の県花がレンゲですと話しました。


中川

朝日大学の西側を流れる中川です。
レンギョウが見頃を迎えています。




こちらは枝垂れ桜です。
桜の開花は遅れています。

レンギョウと枝垂れ桜の道は良い道だという声が有りました。でも、雑草が繁茂しています。外来植物の勢いが強く、衣服が草に触れると種が付着しました。
良い道だと声の出る道でしたが、雑草の駆除を望みたい道でした。
レンギョウが見頃となっていました。「れんぎょうの小道」とかと名付けて立て札を設置し、市民に周知をしないと市民は通らないでしょう。



中川の堤防を歩いてきました。
この後、県道23号線を南に向かいました。




県道23号線から見える墨俣一夜城です。
アソコへ歩いて行きます。
白いテント群。
店が出ていました。



長い列になって歩いてきました。
この堤防。
犀川の堤防です。
残念ながら、桜はまだでした。


一夜城城址公園

一夜城址。お城の正面まで来ました。
公園として整備されています。
アソコで昼食です。




城の周囲が一夜城址公園となっています。
ここで、昼食です。
公園の用地となっていて、「一夜城築城のこと」と開設板が設けて有りました。
テントが邪魔して正面から撮影できなかったのです。
瀧善義氏が紹介した前野家古文書を基にしています。




1時半から「桜まつり」のステージイベントが有り、準備が整っています。




お城の前に出世ひょうたんが下げられ居ます。
瓢箪と板のタイプが有ります。




昼食を終えて、みなさんが集まりました。
まず、丸山さんの話しです。
丸山さんは古城研究家でお城に造詣が深い人です。




用意してきて、配られた資料です。
信長の美濃攻略で永禄7年。8年の部分で伊木山とか新加納が出ています。これは各務原の地名です。何れも砦のようなものだと思います。
一夜城と、一晩で築城したように言われますが、9月12日から14日までかかり、15日に信長か入城しています。




こちらは河川工学の権威。安井さんの話しです。




この墨俣へ河川が集中しています。
かつては犀川事件と言う紛争がありました。
農家で旱魃の時は水が欲しい。洪水の時は水を排出したい。
そんな水争いで、水を流す、流さないと言うモノです。
そのような話しをされました。

お二人の解説。
現地におけるナマの解説で、勉強になります。


墨俣宿

これから墨俣宿に入って行きます。
犀川の堤防ですが、桜が開花していません。
屋台が並んでいますが、手持ち無沙汰と言うところです。




墨俣商工会が作成した墨俣の街歩きマップです。
このマップ、今春に作成されたばかりの新しい地図です。
墨俣の街をウオーキングできるよう、上手く説明しています。




堤防に設置してあった墨俣宿の解説です。




岐島屋百貨店です。
「つりびなの総かざり」が有ります。
ガラス越しに、つりびなを眺めていますが、この後、中へ入らせて貰いました。

脇本陣

こちらは墨俣宿の脇本陣です。
中に入らせて貰います。





脇本陣の内部です。
段飾りがあり、吊るし雛も見えます。


本正寺

本正寺に寄りました。
門を見上げていますが、この門は脇本陣の門を移築したものだと書かれています。




県道岐阜・垂井線を歩き、長良大橋へ向かいます。
土手の桜。
チラホラと咲き始めています。



墨俣橋から墨俣城を眺めました。
犀川の桜並木が見えます。
チョッと、時期が早かったです。


長良大橋

今日のKオジサンの後ろ姿です。
長良大橋を歩いています。
今日はコースリーダーでして、隊列のトップを歩いています。





長良大橋を渡りました。
車の通行の多い道で、一列で歩いています。



土手で咲いていたムスカリ。
群生しています。



大江川堤防

大江川堤防へ歩いてきました。
どう言う桜の種類でしょうか。
枝に沢山咲いています。


境川堤防

境川の堤防を歩いています。
こちらの桜はまだです。


境川沈下橋

堤防から降りてきて、聖徳大学の野球グランド。
こちらのトイレをお借りしました。
トイレ休憩の後、境川沈下橋を渡りました。




沈下橋を渡りました。
この後、美濃路を西へ歩きます。



境川の堤防が美濃路となっています。
墓地の場所に美濃路の説明板が設置して有ります。
文章はかろうじて読めるのですが、地図は消えかかっています。
実はこの説明板の西、下流部に新しい説明板が設置して有ります。
行政の無神経と言うか、新しい説明板を同じ場所に設置するとか、古くなったのを撤去するとか、街道を維持して行く姿勢が必要だと思います。


美濃路の一里塚

一里塚の場所で、一里塚の石碑が有ります。
ここにイチョウの大木が有りましたが、切り倒されています。
イチョウが傷んでいて、切り倒すのは仕方が無いですが、何とかならなかったのでしょうか。
ここは羽島市の小熊町です。「小熊の一里塚」とかと、標柱を立てるなど行政に手を差し伸べてもらいたいですネ。
一里塚跡を見たあと、東に向かいました。


親鸞聖人旧跡

親鸞聖人旧跡で石碑が有ります。
ここから西方寺へ五丁と刻まれています。
五丁と言うと、500メートルなのだそうですが、500メートル以上の距離でした。



鎌倉街道

堤防から右下へ降りていく道。
この道が鎌倉街道です。


西方寺

西方寺まで歩いてきました。
住職がお話し、してくださいました。
そして、この後に解散式を行う予定でした。




住職のご好意により、茶道具を拝見させて貰います。





案内を受け、茶道具を拝見できました。
こちらには一休さんの掛軸も有りました。



名鉄南宿駅

名鉄南宿駅まで歩いてきました。
ここがゴールです。

お疲れ様でした。

一緒に歩いたMさんのホームページです。
http://www.geocities.jp/jk2unj/no67.htm

感想
今回はJR穂積駅から名鉄南宿駅までを歩きました。13キロ余りです。岐阜県での開催でして、私がリーダーを勤めました。今日が本番でしたが、その前、16年11月2日に会長と下下見を。http://blog.goo.ne.jp/gifu2212/e/2420e5eaceb58ae934af8722350a3e79
そして、2月18日には運営委員で下見を行いました。
http://blog.goo.ne.jp/gifu2212/e/4a79ef95d94bee8c3dc65001f4998b5a
下下見や下見をした時、本番は桜の満開を迎えれると思っていました。3月に寒い日が続き、開花が遅れてしまいました。
本番に開花した桜が見れなかったのは、残念でした。

一宮友歩会には豊富なブレインが揃っています。例会の内容が、単にウオーキングをするのでなく、場所場所で解説が有ります。今回は一夜城址公園で解説が有りました。今は石垣が有ったりして、当時の姿とは違った形の城となっていますが、砦の役目をさせるように築城された事には間違い有りません。
解説を受けて知識が膨らみますし、当時を想像する事が面白いです。

観音院で井上さんと浅井さんの思わぬ出会いがありました。西方寺では茶道具を見せてもらいました。ハプニングと言うとオーバーになりますが、このような事が生じるのも、面白い事です。

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一宮友歩会・第66回ウォーク例会 史跡巡りシリーズ・西尾張編Part15 旧木曽川町・旧尾西市を歩く  

2017-02-04 23:07:15 | 一宮友歩会

一宮友歩会の2月例会に参加しました。今回は一宮市の名鉄新木曽川駅に集合して、木曽川商工会の前で出発式です。その後は南へ、そして南西へと歩きました。木曽川町と尾西市は合併して一宮市となりました。今回のコースの大半は、旧木曽川町と旧尾西市を歩くものでした。
梅の枝に小花が咲き、蝋梅は芳香を放っていまして春の足音を感じました。一宮市はモーニングビス発祥の地と言われています。前夜、テレビで取上げられていた喫茶店ですが、モーニングに列を作って待つ客の喫茶店を見かけました。また、手作りケーキの店の前を通りました。車で通過すると判らないようなところも見えました。

 名鉄新木曽川駅(スタート) ― 木曽川商工会前(出発式)   ― 割田城址 ― 西上免遺跡 ― 
野府城址 ― 小原の千体地蔵 ― 尾西運動場 ― お歯守さん  ― 尾西公園  ― 三条神社
 ― 御裳(ミモ)神社  ― 法信寺  ― 天神の渡し ― 孝子佐吾平の碑 ― 市川房江生家跡
   ― 萩原宿本陣跡  ― 萩原駅(ゴール)  

今回は正味13キロの距離でした。何時もは公式の距離よりも1割か2割、多いようです。山に登る時、カミさんは一緒してくれませんが平地のウオーキングなら一緒に歩けます。冬、真っ盛りで寒い時期でしたが、その時期にしては晴天に恵まれて温暖な陽気でした。そんな中、ウオーキングを楽しむ事が出来ました。


第66回ウォーク例会の地図です。
新木曽川駅に集まってから木曽川商工会で出発式を行い、旧尾西市へ。その後は美濃路を歩きました。そして萩原駅へゴールすると言うコースを歩きました。
http://www.geocities.jp/jk2unj/datagazou/66map.





木曽川商工会の前の敷地で出発式です。
会長が挨拶しています。



出発前。
準備体操として、ラジオ体操を行います。



ウオーキングのスタートです。
木曽川商工会の前を出発しました。右側画像の建物には、町会議事堂と右側から表示しています。木曽川町の町議会議場だったのでしょう。と言う事は商工会の敷地は町役場跡なのかも知れません。




木曽川町を歩き始めました。
長い列となっています。


割田城址

最初に寄った場所が割田城址です。
公園のような場所でした。
この場所で城郭研究家の丸井さんの説明です。
この場所は古い城址だそうでした。その時代が「荘園の時代」と言う説明でして、その時代の頃を想像しました。




今日のKオジサンの後ろ姿。
一宮友歩会のメンバーの一員になっています。



「ラ・カンパーニュ」と言う洋菓子の店です。
私たちが通りかかった時、店の女の人がプラスチックの商品ケースを持って道を横切って行きました。配達に向かったのでしょうか。
http://www.la-ca.jp/



東海北陸自動車道の下を歩いています。
右側はバロー一宮物流センターです。
何台もトラックが入って来ていました。それに、この敷地内でカーゴと言うのかケースと言うのか、品物を入れて店に送る品物ケースが何台も並んでいました。ここがバローの商品補給基地なのでしょう。



こちらは一宮市環境センターです。
環境センターと言っても、ゴミ焼却場なのでしよう。高い煙突が特徴です。
東海北陸自動車道を走行すると見えてくる施設ですが、近くに来たのは初めてです。


西上免遺跡

西上免遺跡に来ました。




西上免遺跡で、私たちの到着を待っていた男性が居ました。
野田さんと言う方で、リーダーがお願いした方です。
野田さんが西上免遺跡について解説してくれました。




西上免遺跡の説明板です。
東海北陸自動車道の工事のために発掘調査がされました。
愛知県で最古の前方後方墳だと書いてあります。



開明の街を歩いていて、こんな石碑が目に留まりました。
左は水道瓦斯布設記念碑。右は電燈布設記念と刻まれています。
列で歩いていて、石碑の裏側に廻る事が出来ませんでしたが、何時頃に建立したのでしょうか。
歴史を物語っています。




開明小学校の南側に来ました。


野府城址

開明小学校の校庭です。
ここでも野田さんが説明してくれます。




野府城址の説明板が設置して有りました。
織田信長の弟、信治の居城だったと書かれています。




上の画像で野田さんが解説している左側に野府城址の石柱が有りました。
もともと、この石柱はあの木が立っている場所辺たりに有ったのだそうです。
アソコから今の体育館の場所に移されたのだそうでした。
城址と言っても石垣が有る訳では有りません。居城で「館」みたいなものなのでしょう。



上手く撮れていませんが、梅の小枝に花が咲いているのを見かけました。




名鉄尾西線の踏切を横切ります。
遠くに冠雪した伊吹山。そして奥美濃の山々も見えます。
冬の山が見えても寒風が吹いてくる状況では有りませんでした。




開明地区の街中を歩きます。
直線の道路で無いので、昔ながらの道であると感じます。


小原の千体地蔵

開明地区の小原に有る小原の千体地蔵です。
南無千体地蔵菩薩の幟旗が立っています。




列に並んで千体地蔵にお参りします。




ここでも野田さんが説明してくれました。
天明の飢饉で農民が疲弊し、多くの人々が餓死しました。
そのような状況下で頼りにしたのが信仰です。
農民たちの願いを込めた瓦製の地蔵尊が祀られているのだと解説が有りました。




歩いていて野府川の西側に店の外で待っている客が居る喫茶店が見えました。
前夜、テレビで見かけた喫茶店です。
モーニングの内容が良く、多くの客が押しかけています。
テレビでは、モーニングで1斤のパンを出していました。
店の名は「クローチェ」です。
https://tabelog.com/aichi/A2302/A230201/23052538/




野府川の橋を渡る前にロウバイの香りが漂ってきました。
道沿いにロウバイが咲いていました。姿が見えなくても、ロウバイだと感じました。


お歯守さん
 
墓地の一角に、お歯守さんのお堂が有りました。




正面から見たお歯盛りさんと、お歯守りさんの由来が書かれた説明板です。

尾西公園

尾西公園へ来て、昼食の時間となりました。
昼食時間を終えて、全員写真を撮影するので集まっています。




市道に跨る歩道橋を渡ります。




三條小学校の西側。
奉安殿の説明板が有り、皆さんが覗き込んでいます。




正面から見た奉安殿と奉安殿の説明板です。
旧起第二尋常小学校奉安殿と書かれています。
戦後は各地の奉安殿が破壊され、今でも残っている貴重な文化財です。


三條神社

次に来たのが三條神社です。
由緒には豊受大神と有ります。豊受大神は伊勢神宮の外宮の方です。


御裳(ミモ)神社

次に寄った神社は御裳(ミモ)神社です。



御裳(ミモ)神社の由緒にはご祭神は天照皇大神と書かれています。
こちらは伊勢神宮の内宮の方です。


法信寺

法信寺に来ました。






法信寺の梵鐘が文化財に指定されています。




梵鐘には四つの商売道具がレリーフのようになっています。
算盤に枡、それに秤。説明板に、もう1つはサシと書かれています。
何れも商売に関する品です。
鐘の音で商売の恩恵を思い出すようにと解説して有りました。


天神の渡し

法信寺を出て、美濃路を歩きました。
着いた場所は天神の渡しです。
この場所の東側に日光川が流れています。
天神神社の脇なので天神の渡しと呼ばれるようになったのでしよう。




美濃路を歩きます。
直線の道路ではないので昔の街道の感じがします。

孝子佐吾平の碑

次に着いた所が孝子佐吾平の碑です。
一宮市の広報誌に、この碑が取上げられていると話していました。

市川房江生家跡

市川房江の生家跡に来ました。
解説板が設けて有りますが、家屋は残っていませんです。
美濃路を歩く人のためなのでしょう。トイレが設けて有りました。


萩原宿本陣跡

左は空き地の隅に建てられていた萩原宿本陣跡の石柱です。
右は、本陣跡から少し南へ来た場所に有った問屋場跡の標柱です。
問屋は人馬の継ぎ立て場だと書かれています。



歩いていて、皆の足が止まりました。




高い場所のは屋根神様なのでしょう。
左のお堂は馬頭観音で、右側は地蔵様でした。
どちらのお堂も新しいように見えます。
旅人の安全を祈って設けられたものでしょうが、古くなったお堂を新しくしたのでしょう。





萩原の街の中を歩きます。
ひっそりとした美濃路。
歩く、私たち以外の人は居ません。
商店街の活性化で、道に造花を飾り付けていますが、誰も通らない道で、寂しさを増幅させています。




萩原駅の近くまで着ました。
舟木一夫の説明板が設けて有りました。


萩原駅(ゴール)  

萩原駅に到着です。
ゴールです。


一宮友歩会

一宮友歩会は偶数月の第1土曜日に実施しています。8月だけは酷暑の時期であり、7月開催となっています。一宮と有るように一宮市の人が多いのですが、名古屋市や江南市、稲沢市と尾張地区一帯の人が集まります。自由参加で開催場所に集合すれば誰でも参加する事が出来ます。
一宮友歩会のウオーキングは、単にウオーキングで歩くのでなく、ポイントポイントで解説が有り知識を深める事が出来るのが特徴です。
皆さん、ザックに名札を付けてる居て居ます。この名札は、名札のケース代が必要では有りますが、会長が無料で作成しています。この名札で名が判り、何処から来ている人なのか判ります。
次回は4月1日で、9時にJR穂積駅に集合です。桜、サクラ、さくらのコースを羽島市の南宿駅まで歩きます。私がこのコースのリーダーを努めます。皆様方の参加をお待ちしています。



感想
冬、真っ盛りの今の時期です。気温はそれなりに寒かったのですが、風が無く穏やかな陽気の中を歩く事が出来ました。ロウバイやウメを見て貼るの訪れを感じました。

一緒に歩いたMさんのホームページです。
http://www.geocities.jp/jk2unj/no66.htm











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一宮友歩会・第65回ウォーク例会 史蹟巡りシリーズ・名古屋編Part8 名古屋市名東区を歩く

2016-12-03 23:11:36 | 一宮友歩会

一宮友歩会の12月例会が有りました。今回は名東区を歩くもので、スタートは地下鉄の一社駅からです。駅近くの西一社公園で出発式を行い、名東区を逆時計回りに歩きました。
名東区はその前身の猪高村が千種区に合併しましたが、名東区として分離独立した区です。かつては名古屋市東部の丘陵地だったところですが、今では住宅地に変りました。そのような土地の中でも、名所旧跡が点在しており、それらの場所を訪ねました。
名東区は新しい区です。歩いてみて、いろいろの所に自然があると実感しました。
 一社駅(スタート) ― 西一社公園(出発式)   ― 貴舩神社 ― 神蔵寺 ― 小公園 ― 
植田川 ― 神丘公園 ― デッチョ池  ― 勝野太郎左衛門碑  ― 牧野ヶ池  ― 
やまもも  ― 蓮教寺  ― 高牟神社 ― 明徳寺 ― 貴船神社    ― 流公園(解散式)  ― 上社駅(ゴール)  


第65回ウォーク例会の地図です。
一社駅から南に向かい牧野ヶ池 の周囲を歩いた後、上社駅に戻ると言うコースを歩きました。
http://www.geocities.jp/jk2unj/datagazou/65map.pdf



西一社公園での出発式です。
一社駅の近辺に適当な場所が無く、こちらの公園に向かって貰いました。




いよいよ、出発です。
初冬と言う時期で、近所の皆さんでしようか。
落ち葉の掃除をしていました。




最初に寄ったのが、貴舩神社です。
石段を登ります。




立派な御社があります。




次に来たのが神蔵寺です。
神蔵寺は貴舩神社のすぐ隣でした。
境内に一色城主の柴田勝重(勝家の祖父)の墓が有ります。
大人数で来ましたが喧しくしないようにします。




柴田勝重の墓碑です。
墓碑には一色城主柴田源六現勝重公之墓と書かれています。





神蔵寺近くの小公園に来ました。
神蔵寺では今日、法事が執り行われるのでした。
それで、境内で喧しくしないでと言われていまして、こちらの小公園に来たのです。
城郭研究家出歴史に詳しいM井さんの説明です。


M井さんが準備された資料です。
右側は昭和31年の1万分の1の地図です。まだ、本格的な都市開発の始まる前の時期です。中央を北から植田川が流れ、アチコチに溜池が散在しています。牧野池の堰堤も確認できます。そのような池も時代の推移に寄り、埋め立てられました。
左側は氏が昭和41年に、当地を歩いた時に撮影したものです。まだ、のどかな田園風景が残っています。そして、この後に高度成長で、野山が姿を変えていきました。
何れの城址も小高い丘の上に有ります。砦的な役目が有った事が伺えます。
上から2番目。上社城址ですが高圧線の鉄塔が写っていて地図には高圧線の線が描かれています。
上から3番目の下社城址の写真。左下にバス停が写っているのが判ります。地図から色々の事が判り、地図を読むのが面白いです。
これらの写真。撮影されてから50年が経ちますが、貴重な歴史資料となりました。



小公園を出発し、植田川の横を歩きます。




植田川に何羽もカモが飛来してきていました。
私たちの気配を感じ飛び立ちました。




川のフェンスに下げられていたプレートです。
植田川が調整池からスタートして天白川まで流れているのが判ります。






途中、目にしたツバキです。





デッチョ池 が見える所まで来ました。




デッチョ池 の横を歩きます。
樹木が初冬の光を浴びています。




神丘公園でトイレ休憩しました。
これから再び歩きます。
枯葉を踏む感触がなんとも言えません。



デッチョ池 の案内看板。
右はデッチョ池 の周囲を歩いている所です。




牧野ヶ池が見える所まできました。




池の周囲を歩きます。
この辺りは池の堰堤部分の所です。




牧野ヶ池の眺めです。
大きな池ですが、愛知県で3番目の大きさの池です。




歩いていて東山タワーが見えました。




ご夫婦が双眼鏡を使い、カモの観察をしておられます。




勝野太郎左衛門の碑が在るところに来ました。
碑は小高い場所に有り、階段を登らなくてはなりません。
フーフー言っている人が居ました。




周回コースから外れたところに展望台が有ります。
展望台が出来た頃は眺望が利いたのでしょう。今では樹木が伸びて展望がダメです。




色の散策路を歩きます。




ウオーキングコースとなっていて、何箇所も距離を表示するプレートが設けて有りました。




野鳥を観察する人が居ました。
望遠レンズのカメラで撮影していました。
下見でここに来た時、カメラを持った人が何人か居ました。その時はカワセミでも居るのだろうかと思いました。




牧野ヶ池の東側。
遊具が有り、小公園のようななった場所です。
ここでランチタイムです。




牧野ヶ池景勝地の立て札。
今は、池を望む事が出来ますが、下見の時は木が繁り、全然池が見えませんでした。




ランチタイムを追え歩き始めました。
紅葉の終りの時期で落ち葉が一杯落ちています。




コースの途中に名東区史跡散策路の表示板が設置して有りました。




街の中を歩きます。
イチヨウの葉が落ちて居ます。




ヤマモモへ来ました。
300年ほどの古樹のようです。





蓮教寺の前に来ました。
ここへ来て、ハプニングと言うとオーバーですが、Tさんからこの近くに浅田真央さんの自宅があるという事を教えて貰いました。
それで、向かいました。




こちらが浅田真央さんのお宅です。
お宅の前まで来ましたが、この事は予定していたコースには無かった事です。



正規の予定コースに戻りました。
蓮教寺の階段を登ります。




蓮教寺の由緒。
牧野ヶ池の景勝地の立てに書かれていましたし、この説明でも尾張名所図会の触れています。



風媒社発行の「尾張名所図会」絵解き散歩から引用しました。
この本の中で牧野ヶ池を紹介しています。それにここ蓮教寺が載っています。当時はこの寺から牧野ヶ池が見えたのでしょう。






高牟神社へ来ました。




高牟神社に入ります。




高牟神社について説明するTさんです。
かつて、高牟神社はこの辺りの武器蔵になっていたとか、解説をされました。




皇帝ダリア。
花の少ない今の時期ですから、目立ちます。




前方に明徳寺が見えます。




明徳寺に来ました。
またまた、階段を登らなくてはなりません。
階段を登りたくない人が居て、ここで待っていると言っていた人が居ましたが、結局は階段を登ってきました。




明徳寺には柴田勝家の出生地の立て札と石碑が有ります。




本堂左の十王堂には、市指定民俗文化財の木造の十王像があります。




十王堂の中を覗います。




内部の十王像です。
十王とは地獄に置いて亡者の審判を行う10尊と有ります。閻魔は有名ですが、それ以外は知られていません。




明徳寺は下社城址でも有ります。




明徳寺の南東の眺望です。
今は家屋が一杯建っていますが、戦国時代は畑か原野だったのでしょう。城と言う砦みたいなものだったのでしょう。高台ですから、敵が攻撃して来ると良く判ります。




貴船神社へ向かっています。




貴船神社の階段を登ります。




貴船神社の由来。そして貴船神社についてY井さんの説明です。




上社城址方面を説明するM井さん。
かつては、この先の丘陵地に城址が有りましたが、今の姿からは想像できません。



流公園まで来ました。



流公園に来て解散式です。
その前に、整理体操。歩くのに使った筋肉を解します。

感想
今回、11キロ余りを歩きました。12月としては暖かく穏やかな陽気の中を歩く事が出来ました。
一宮友歩会には、豊富なブレインが控えています。ただ、単に歩くのでなく、その地の歴史や民俗関係などを解説して貰えます。下見に歩いた時、この辺りに柴田姓が多いと思いました。下社城が柴田勝家の城だったと言うことを知ったりするのも面白いです。
牧野ヶ池の周りを歩きました。
ウオーキングをする人や野鳥観察をする人を見かけました。名古屋市には自然が豊富だと実感しました。



一緒に歩いた人のホームページです。

http://terasan.dousetsu.com/uho.html
http://www.geocities.jp/jk2unj/nagoyap8.htm

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