Kオジサンの新・山歩きの記


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木曽路ウォーク 「馬籠宿から馬籠峠、そして妻籠宿へ」 ~ 石畳の道を歩けば江戸時代の旅人気分 ~

2018-05-12 23:59:05 | 岳友 タンネの会

岳友タンネの会の例会です。今回は私、Kオジサンがリーダーを勤めました。タンネの会では、山を歩くのが中心で有り、今回のようなウオーキングは珍しい事です。会員から木曽路を歩きたいと言う希望が出されていました。過去に何回か歩いた事が有り、木曽路の馬籠峠越えを企画しました。
木曽路には最北の贄(ニエ)川宿から南端の馬籠宿までの間に11箇所の宿場が並んでいます。その街道の内、最南部の馬籠宿から妻籠宿までを歩きました。そして、ゴールは南木曽駅として、時間が許せば木曽川に架かる桃介橋を訪ねようと考えました。
このコース。日本人は馬籠宿や妻籠宿の宿場界隈を訪ねますが宿場の一部を見るだけです。反面、外国人はこの街道の良さを知っていて、多くの外人が歩いています。江戸時代の旅人気分になって木曽路を歩いて見ました。
春の陽気。沿線で色々の花々を目にする事が出来ました。


青空フリーパスです。
今回はこのキップを使って木曽路に向いました。一般的に青春18キップは広く知られていますが、青空フリーパスは余り、知られていません。
フリーパスのエリア内なら、乗り放題です。
今回の乗車区間は那加駅から中津川駅が1,490円で、帰路は南木曽駅から那加駅までで1,940円でした。合計は3,430円です。フリーパスは2,570円ですから860円お得です。
エリア内で遠くへ行けば行くほど、お得と言うモノです。
でも、列車の時間が・・・・・。



馬籠宿のバス停で路線バスから降り、宿場の中を通過しました。その後はゆっくりと中山道を辿り馬籠峠へ。そして妻籠宿に向いました。南木曽駅へ着いた後、時間が有りましたので、桃介橋に行ってきました。




(09:36)
バスが馬籠宿のバス停に着きました。
中津川駅から乗って来たのですが、車内の座席が埋まる程度の乗車人数でした。

これから歩くのでしょう。
外国人が何人も乗っていました。
中には中国人のカップルも居ました。
チャイニーズ?と声を掛けると、そうだと言う返事です。
自撮りで撮影していたので、シャッターを押してあげました。





馬籠宿の西の入口です。これから宿場の中を歩き始めます。
右側。
五平餅を売っています。




先ほど、バスから降りた外国人です。
彼の後の列に並びました。





このおバアちゃん。
テレビに出演していました。
おダンゴ形の五平餅。
胡桃などをブレンドしているのでしょう。タレの味に特徴が有ります。



(09:49)
前を歩く人たち。
男性4人組。
この人たちもバスに乗っていた人たちです。




余り、人が歩いていません。
混雑していないので、宿場町らしい雰囲気が有ります。




木の下の男性。
ザック姿の男性。
二人とも一緒のバスに乗っていた人でした。



ガラス越しに店内が見えます。
雑多なモノが並んでいますが、宿場町の雰囲気を壊しているような気がします。




(10:04)
馬籠宿の東入口に来ました。
この先。街道沿いに高札場が見えます。
ここは伝建地区になっているのでしょう。
電柱が無くなり昔の街道の雰囲気を出していますが、酒屋の看板が目障りです。

ケバイ看板。
商品が並んだ店内。
折角、昔ながらの街道の雰囲気を出しているのだが、何か、ぶち壊しになっているような気がする。
宿場の運営委員会を組織し、自己管理して行く必要が有るのではなかろうか。




馬籠宿の東の入口です。
これから先が本格的な街道となります。
私達もここで記念撮影。
この男性にシャッターを頼みました。
この男性と着いたり離れたりしました。
男性は松本から来たと話していました。





馬籠宿の高札場。
切支丹の禁止や駄賃の札が下がっています。




(10:19)
石畳の道。
これからが本格的な木曽路ウォークとなります。




左がアマドコロ
右はホウチャクソウです。




私達を追い抜いて行った外国人のカップル。
先ほど、喫茶店で一緒でした。
スロバキアから来たとか。
彼らもソフトクリームを口にしました。
日本のソフトクリームは美味しいと言っていたそうです。




(10:55)
前方から走ってくる若者達、3人。
先ほど、馬籠宿の展望台で一緒になりました。
その時、スマホのシャッターを頼まれ、恵那山をバックにして写してあげました。
頼まれた時、彼らの姿から自転車なのかと聞いたのです。
それで、帰った来た応えは「走り」だと言っていました。

走ってきた彼らに声を掛けましたら、妻籠から来て、戻って行くのだと言っていました。



木曽街道を歩きます。
アスファルト舗装に石を混ぜた特殊舗装となっていますので、一般道と木曽路を区別できます。





(11:16)
馬籠峠が見えてきました。
あの場所が岐阜県と長野県の境界です。




左はコンクリートの壁に貼られていた県境です。
右は道路の縁石にはめ込まれていた県境です。
急ぎ旅ではないので、こう言うものにも目が届きます。



馬籠峠に着きました。
今回のコースの最高点です。




峠の茶店で一休みします。
ここで五平餅を食べたりラムネを飲んだりしました。
私たちが茶店に入っていた時、13年ぶりにここへ来たという男性が現れました。
蕎麦が無いかと聞いていました。
店は女性二人が切り盛りしていたのです。
お爺ちゃんが店をやっていたのだが、出来なくなったので私たちが受け継いだのだと言っていました。
折角、来たのに蕎麦に有り付けない。男性は残念そうにしていました。




(11:25)
石畳の道を歩きます。
馬籠峠からの下りと成り、下り坂が続きます。






峠から下って行きます。
私たちは、別に急ぎません。
そんな私たちを外国人が追い抜いて行きます。




(11:41)
馬籠宿と妻籠宿の中間点あたりです。
前方に一石栃御休み処が見えてきました。
ここで休憩します。
そして、あずま屋で昼食にしました。
あずま屋での昼食。松本から来た男性も私たちの隣で昼食をとっていました。





一石栃御休み処のSさんです。
木曽節を聞かせてくれました。
お話し好きの方でして、私たちがあずま屋で昼食をとっていて、話しかけてきました。
近くの子安観音を教えて貰いました。そこには立派な枝垂桜が有りました。
もう、花の時は終わっていましたが、開花した姿は素晴らしかっただろうと想像できる巨木でした。




一石栃御休み処。
立場の説明です。




あずま屋を後にして、直ぐの場所でラショウモンカズラを目にしました。




(12:31)
中山道と国道が交差しています。
国道256号線を横切ります。




(12:54)
男滝に来ました。
木製の階段を上がると霧になった水滴が顔にかかりました。
その感じが、オゾンを浴びている。そんな気分がしました。



左が男滝、右が女滝です。
男滝は流量が多く、霧となった水滴が飛散してきました。




(13:10)
集落の間を歩きます。
前方に南木曽岳が見えます。




檜林の中。石畳を下って行きます。
降りてから道を横切ると大妻籠です。




(14:03)
妻籠宿に入ってきました。
宿場に入り、観光客を多く見かけるようになりました。





檜笠の実演販売です。
檜を薄い板状にして笠を編み上げます。





前方から10人ほどの外国人が歩いてきます。
近くまで来た時に、何処の国からと聞いたら、イングランドだと言う返事でした。
一番後ろにガイドと思える男性が着いていました。
こんな様子だと、好き勝手に歩かせ、説明はしないのだろうか。
ガイドらしき男性に、何処まで行くのと聞いたら、大妻籠までと言っていました。
大妻籠の宿で泊まるとしたら、日本的な雰囲気に浸れる事でしょう。



(14:37)
妻籠宿のハズレまで来ました。
この男性。
中津川駅からのバスで一緒だった人です。
着いたり離れたり。時々、一緒になりました。
男性は埼玉県の久喜市から来たと言っていました。
この後、16時の特急で帰るのだと話していました。
私たちはこの後、妻籠城址に向うので、この場所で分かれました。




妻籠城址に迎う道。
坂道を登ります。




(14:48)
妻籠城址からの眺望です。
妻籠宿が見下ろせます。
私はこの妻籠城址に来た事が有ります。
初めて来た人は、城址の広さに感心していました。




(15:20)
妻籠城址から下りてきました。
前方に見えていた南木曽岳が右側に見えるようになりました。




オダマキ。
路傍に咲いていましたが、園芸種の種が飛び、半野生種になったのではなかろうか。




遠くに見える木曽川の桃介橋。
鯉のぼりが泳いでいます。




(15:40)
SL公園の横を通過します。
D51が静態保存して有ります。
説明では、D51が置いて有る場所は旧中央線と有りました。
と言うことは、右の線路は新線なのだろうか。




(15:50)
南木曽駅の駅前を通過し、桃介橋に来ました。
木造の吊橋です。




かつての桃介橋を復原したものです。
2本の線が伸びていますが、読書発電所を建設した時、敷かれたレールをトロッコが通過しました。




先ほど見えた鯉のぼり。
この辺り、月遅れで端午の節句を祝うのかも知れません。





(15:57)
橋から戻って来ました。
「よみかき交流文庫」と書かれた場所が有りました。
寄ってみましたら、男性がボランティアで運営しているのだと話しました。
並んでいる本は町民の寄付で集まったように見えました。
男性は町に図書館が無いから、このようにして運営していると言っていました。

長野県の山口村。馬籠地区が岐阜県に併合されました。
村として存続していくよりも、大きな市と一緒になる。
図書館が無いと聞いて、そんな文化的な面からも合併しようと言う事柄の1つではなかろうかと思えました。




南木曽駅に戻ってきました。
列車の時間には、30分ほど待ち時間があります。




(16:32)
16時32分発の中津川行きが入線して来ました。
2両編成のワンマンカーです。
この列車の前は14時42分です。ですから、急いで歩いて来ても乗る列車が無い。
ゆっくり、歩いてきました。


感想
今回歩いたコースは日本人よりも外国人が多いような街道です。日本人は馬籠宿や妻籠宿のあたりをウロウロとするだけです。反面、外国人は古き日本の姿が味わえる、この街道の良さを知っています。そんな外国人の知識。彼らのほとんどが参考に持ってくるというガイドブック「ロンリープラネットJAPAN」は、他の観光地よりもずっと行を割いて『中山道』が薦められているかららしいです。
ホウチャクソウやアマドコロ。ラショウモンカズラを目にする事が出来ました。
こんな山野草に合えるのも、街道歩きの良さです。
街道歩きの雰囲気が楽しめました。

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高圧線の巡視路の山   母 野 洞 (ハンノボラ)(613.6m)

2018-05-09 23:10:41 | 弐水会

弐水会で美濃市の母野洞に行ってきました。母野洞は東側が長良川流域となっており、西側の片知川流域の間の山であり、分水嶺的な位置となっています。そんな山ですが、北側は郡上市、南側が美濃市です。高圧線の巡視路となっている山で、マイナーな山です。
今日は朝まで雨が降っていて、登り始める時間を1時間遅くしました。まだ、濡れているコース。そんな登山道でヒルの襲来に遭遇しました。
計画では母野洞と湯之洞山に登る予定でしたが、登り始めた時間が遅くなり、母野洞だけに留めました。


美濃市の片知川流域の野田洞地区です。
本来なら、こんな集落の中に入って来れないのですが、こちらにお邪魔して、民家のお婆さんに停める事をお願いして停めさせて貰いました。
支度が整い、これから出発します。




出発して、直ぐに橋を渡ります。
スチール製のシッカリした橋。
高圧線の巡視路となっています。




川の東側を歩き始めました。
滝のようになっていて、音を立てて落下しています。





橋を渡り、直ぐにヒルが現れました。
ヒルは炭酸ガスに反応するとか。
何人も通過し、活発に動き出したのでしよう。




急登を歩きます。




音も無く、ズボンにヒルが着きました。
シャクトリ虫のように縮んでは伸びるの繰り返し。
丸で、忍者のような行動です。





登山道に巡視路の標識が設置して有ります。
№74を目指します。



名の判らない花です。




滝の所まで来ました。
ここで、小休止。




№74鉄塔の下に来ました。




№74鉄塔から見える眺望です。
新緑で木の葉が茂り、眺望が良くありません。
もう1山、登ろうとした湯之洞山の方角だと思います。



先に進む、№73の方向を示しています。




№73鉄塔の下が見えてきました。





眺望の良い場所に出ます。




南の方が見えます。
どの辺りなのか判りませんが、先ほど通って来た集落ではなかろうか。



コチラは三角形の特徴の有る山。
誕生山ではなかろうか。




山頂に到達です。
三等三角点が有ります。



誰がつけたか、「母野洞」のプレート。




昼食を終え、下山にかかります。



№73鉄塔まで下ってきました。



アジサイかオオカメノキの仲間か。
名が判りません。




橋が見える場所まで下山して来ました。



車を停めさせて貰った場所です。
お疲れ様でした。


感想
新緑の時期でヒルの活動が活発になっていました。音も無く押し寄せるヒル。ヒルにやられました。手袋と長袖シャツの間の皮膚が露出していまして、知らない内に血を吸われ始めていました。もう一箇所。右足のスネ。靴下の上からやられました。
知らないうちに靴に入って来ていました。ヒルよりもマムシの方が怖いです。でも、血を吸われて傷口が出来るのは、好い気がしません。
それに、今日。ヒルにやられたのは男性ばかりでした。偶然なのでしょうか。
母野洞は眺望が利きませんでしたが、湯之洞山は好いようです。ヒルの居ない時期ならもう一度、と言う事も・・・・。

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kオジサンの中山道旅日記  その8 

2018-05-04 23:23:06 | Kオジサンの中山道旅日記 

5月4日(金) 晴 名鉄御嵩駅からJR武並駅まで

第8回です。名鉄御嵩駅から歩き始め、御嵩町と瑞浪市の境界を通過し、細久手宿、大湫宿を経て恵那市のJR武並駅までを歩きました。当初の予定では大井宿まで行こうと思っていましたが、脚が痛くなりましたし、このまま歩き続けるのは無理だと判断し、深萱からJR武並駅に向かいました。
歩き始め。御嵩町を歩きましたが、かつては御嶽宿だった場所です。中山道みたけ館や御嶽宿の本陣跡がありました。この辺りには宿場町の雰囲気が残っていました。そして、国道21号線沿いを歩き、しばらく歩くと、中山道が国道から山の中に入って行く道になって行きました。山の中の道では街道らしさを感じましたが、往来する人が少なく寂しい道でした。
今回、通過した宿場は細久手宿と大湫宿です。字は違いますが、どちらもクテの字が入っています。クテの意味には、湿地とか沼地の事を指すと聞いた事が有ります。大きなクテや細長いクテがあったのでしょう。
ゴールデンウイークの最中の日であり、何人もの「街道歩きの人」とすれ違いました。単独の人。ご夫婦。色々の人々が街道歩きを楽しんでいました。
名鉄御嵩駅  ― 御嶽宿本陣跡  ― 御嶽宿わいわい館  ― 栢森の一里塚跡 ― 和泉式部廟所
 ― 耳神社
 ― 謡坂の石畳 ― 謡坂の一里塚跡 ― 一呑の清水  ― 御殿場 ― 津橋 ― 
山内嘉助屋敷跡
 ― 鴨之巣一里塚 ― 秋葉坂三尊石窟 ― くじ場跡 ― 細久手宿本陣跡
 ― 旅籠大黒屋 ― 
奥ノ田一里塚 ―  弁天池  ― 八瀬沢立場跡  ― 琵琶峠東口  ― 
烏帽子岩・母衣岩 ― 
大湫宿高札場  ― 神明神社の大杉 ― 茶 店 ― 大湫宿本陣跡 ― 
旧森川訓行家住宅 ― 十三峠入口
 ― 尻冷し地蔵 ― 三十三観音 ― 権現山の一里塚 ― 
炭焼立場跡 ― 大久後立場跡 ― 
深萱立場跡 ― JR武並駅  

名鉄御嵩駅

(07:54)
名鉄御嵩駅で下車しました。
ここから、中山道歩きをスタートします。




御嵩駅から東を眺めました。
誰も居ない街道。
それでも曲がりくねった道には街道らしさを感じさせます。




わいわい館の南側。
御嶽宿の標識が設置して有りました。


御嶽宿わいわい館

(07:59)
御嶽宿わいわい館の前を通過します。




商家竹屋です。
中山道を人や物資が往来し、大きく賑わいをみせていた頃の商家として、宿場内での役割を果たしてきたのでしょう。


栢森の一里塚跡

(08:10)
名鉄御嵩駅から中山道を歩いて来て、中山道が国道21号線に変わる交差点に石柱が立っていました。
この石柱。まだ、新しい時代の標識です。
それに、この場所が栢森の一里塚跡のようです。


和泉式部廟所

(08:26)
国道21号線を歩いて来て、ここから山の中に入っていく場所です。
ここには右 中街道と、刻まれた指示標識が有りました。
そして、この和泉式部廟所が有りました。
説明板には鬼岩温泉で湯治していたが、この地で亡くなったと書かれています。




(08:36)
中山道が、いよいよ本格的に山の中に入っていくところです。
注意を喚起するこんな看板が設置して有ります。
往来する外国人が多いのか、英語の表記が載っています。





あの、先の方に進んで行きます。
街道筋らしい田園風景です。



(08:53)
牛の鼻欠け坂です。
ここから登り坂になります。
路面に雑草が生えています。
今の時期だから丈が短いのですが、盛夏となると、生い茂る。そんな事にならないだろうか。
ここでウオーキングシューズから登山靴に履き替えました。

耳神社

耳神社に来ました。
珍しい神社です。
耳神社の由来が添えて有ります。


謡坂の石畳

(09:11)
復原された石畳。
街道らしさを感じます。




前方に街道歩きのお二人が見えます。
言葉を交わしましたら、浜松から来られたご夫婦です。
武並駅から歩き始め、昨夜は大黒屋に泊まったのだそうでした。
今日は太田宿まで歩き、明日は岐阜に向かうと話していました。




謡坂の一里塚跡

(09:25)
草が繁っていますが、コンモリとした塚の型をしています。
昭和48年に地元有志の手で復原したと刻まれています。


一呑の清水

説明板に旅人の喉を潤したと書かれています。




(09:34)
中山道の石柱が建ってます。
ここから登り坂になります。




ご夫婦とすれ違いました。
武並から来て大黒屋に泊まったのだそうでした。
御嵩駅まで行くと言っていました。




(09:40)
前方から男性、一人が歩いてきます。
この男性も大黒屋に泊まったのだそうでした。
群馬県から来たと言っていました。





前方からご夫婦が歩いてきます。
こちらのご夫婦も大黒屋に泊まった人たちでした。
こちらのご夫婦。神奈川県の相模原市、橋本から来たのだと言っていました。
昨日、中津川から大黒屋まで歩いて来て、今日は岐阜に向かうのだと話しました。




(09:50)
木々の中の階段。
階段を上がって行った先が「ラ・プロバンス」。
森の中のケーキ香房です。
人気が有り、遠方から訪れる人が有ります。


御殿場

(09:52)
御殿場と言う場所で、説明板が設置して有ります。
文久元年に和宮の行列が中山道を下向し、徳川家茂のところへ輿入れした。その際、一行が休憩する御殿が造られた事から、ここを御殿場と呼ぶようになったと書かれています。それに一行の行列が4,000人から5,000人に及ぶ大行列だったと有ります。
大行列。延々と続いた事なのでしょう。長い行列だと、先頭は大湫宿を歩いていても、後続は細久手宿を歩いている。そんな状態だったのかも知れません。
お着きの者の泊まる場所も足りなかったかも知れません。




街道らしさのある道です。
反面、往来する人も無く寂しい場所です。



鴨之巣一里塚

(10:44)
瑞浪市に入ってきて、鴨之巣一里塚が見えてきました。
この一里塚は街道の南側と北側に塚が有り、かつての姿をしています。





瑞浪市日吉町の平岩地区が見えてきました。





(11:14)
街道沿いの鯉のぼり。
初夏の風を受け、ゆっくりと泳いでいます。
男の子が誕生したのでしょう。




(11:34)
細久手宿に入ってきました。



細久手宿本陣跡

細久手宿本陣跡へ来ました。
細久手長寿クラブの手作り説明板。
このような説明板が何枚も設置して有りました。
加賀藩の前田公から寵愛を受けたと有ります。こんな美濃の田舎とどんな関係なのだろう。



旅籠大黒屋

旅籠大黒屋に来ました。
ここへ来る時、すれ違った人たちが泊まった宿です。





大黒屋の玄関。
玄関先の瓶に花が生けて有ります。
この玄関と右側にも玄関が有りまして、右側の玄関には左の玄関にお回りくださいと表示していました。ですから、この玄関が客人を向かえる正式な玄関でした。




(11:38)
細久手公民館の北側。
細久手宿の標識が設置して有りました。




(12:13)
前方からご夫婦が歩いて来られます。
言葉を交わしましたら中津川のご夫婦でした。
中山道を歩いておられるそうな。
これまでに、北の塩尻まで歩いたそうでして、今度は西に向かって歩き始めて、今日は武並駅から歩いて来て御嵩駅まで行くと言っていました。




(12:23)
今度は単独の男性とすれ違いました。
神奈川県の人でした。
武並駅から歩き始め、御嵩駅まで行くと言っていました。
若い男性が快調に歩いている。そんな感じを受けました。


奥ノ田一里塚

(12:26)
奥ノ田一里塚へ来ました。
この一里塚。
街道を挟んで南側と北側にこんもりした塚が有りました。





(12:38)
単独の若い男性とすれ違いました。
大井宿から御嶽宿までを歩くと言っていました。
言葉を交わしたのですが、笑顔がステキな人でした。





(12:49)
こちらは東京からのご夫婦です。
大井宿から御嶽宿まで行くまでを歩くと言っていました。
前日は中津川を歩いたと話していました。
ゴールデンウイーク中であり、効率よく中山道をたどれます。

道路での立ち話。
ステキなご夫婦でした。

弁天池

(12:51)
街道の横に有った弁天池です。
弁天様を祀って有るのでしょう。
祠が有ります。

草津宿から京都へ向かって歩いた時、南草津の狼川と言うところで弁天池を目にしました。
池に島があり、川鵜が巣を作っていました。
そんな島に弁天様のお社がありました。
規模は違うけど、弁天池と弁天様。
何故このような形になるのだろう。


今日のKオジサンの後ろ姿です。
大井から御嶽へ歩くと言う男性に撮影して貰いました。





(13:08)
後ろ姿を撮影してくれた男性です。
大井から御嶽へ歩くと言う男性。
「ちゃんと歩ける中山道六十九次 西 薮原~京三条大橋」を手にして歩いています。
京都まで歩くのだろうか。





よそ見をしていた時、通り過ぎた男性。
言葉を掛けるタイミングを逸しました。




木々の中を抜けてきて明るいところへ出ました。
前方に農村風景が広がっています。
電柱が無ければ良いと思いました。





(13:35)
私を抜いて行った男性です。
浜松から来たと話していました。
前日、赤坂宿から岐阜まで歩いたのだそうです。
そして列車で太田宿まで来て歩き始め、今日は大井宿まで行くと言っていました。
太田宿から大井宿。凄い距離を歩きます。


琵琶峠東口

(13:54)
琵琶峠の西口を見落とし、東口に着てしまいました。
入口から石段を上がってみました。
整備された街道となっています。





(14:06)
大湫宿が近付いてきました。
前方からご夫婦。それに娘さんが一緒でした。
今日は御嵩駅まで行くと言っていました。




(14:10)
大湫宿の入口に大湫宿の標識が設置して有りました。


大湫宿高札場

大湫宿の標識の近く。
高札場が復原して有ります。



神明神社の大杉

こちらは神明神社です。
戸を開けて、中を見せている様子です。






野次馬根性で近寄っていきました。
お神輿を見せていたので、後ろから近寄りました。
聞こえてきたのは、高山の方へ修理に出していたとか。
立派な神輿です。
成瀬家から預かっているとか、戴いたとか、聞こえました。
滅多に見られないものを目にしました。ラッキーでした。



直ぐに戸を閉めにかかっています。
この後ろ。
神明神社の大杉が有りました。
大杉は凄い太さが有ります。

茶 店

(14:24)
団子や五平餅を売る茶店が有りました。





ここで一休み。
五平餅を頂きます。


大湫宿本陣跡

旧大湫小学校が有った場所が大湫宿本陣跡です。
本陣跡に和宮の歌碑が有りました。
こちらから見えるのは裏側です。





こちらが表側です。



旧森川訓行家住宅

(14:36)
旧森川訓行家住宅に入ってみました。




休んで行ってと言うことで、昆布茶を出して貰えました。
女性から聞いたのはこの旧森川訓行家住宅。尾張藩から許され、塩を商っていたと言うことです。
丸森のサイトを開くと塩の販売と旅籠を商売にしていたようです。
そして、女性が教えてくれたのは木曽節の「中乗りさん」と言う言葉です。
木曽から切り出した材木を木曽川で流すのだが、川幅が狭く1本1本で流す。
材木が岸の岩に当たらないようにして、材木を下流へ流す。
丁度、木場で竿1本で操る。木場と激流では様子が違いますが、想像できました。
猿も木から落ちるではないですが、材木から川へドボンと言う事も有るのでしょう。
この大湫宿の北側に木曽川が流れています。そして、八百津で筏に組んで下流へ流すのだと説明してくれました。
長良川の鵜船。先頭に鵜匠が居て、最後尾は船頭。その間で舟を操る人が中乗りさんだと思いこんでいました。
知らない事が恥と言うか、目からウロコと言う感じがしました。



十三峠入口

(14:46)
大湫宿を出てきました。
宿場の東の外れ。
ここから十三峠が始まります。




坂道。
前方からスポーツバイクの二人が下って来ます。




(15:36)
街道の横から人々の声が聞こえてきました。
この辺り、ゴルフ場の中でした。
そして、前方をカートが横切りました。



カートが通過した後、横に行ってみました。
ゴルフ場の芝生が広がっています。


権現山の一里塚

(15:38)
権現山の一里塚まで歩いてきました。




下り坂ですが石畳の道になっています。
樫ノ木坂の石畳です。
長く続く石畳。
下るので好いのだけれど、逆に登るとなるとキツイだろうと思いました。




(16:30)
武並町の深萱に出てきました。
左手に「ここは中山道の深萱立場」の案内板が見えます。



深萱立場跡

(16:33)
深萱立場。
ここにはトイレが完備しています。
ここからJR武並駅へ向かいます。



JR武並駅に向かって歩きます。



JR武並駅

(16:54)
JR武並駅が見えてきました。




歩き始めは歩数が34歩となっていました。ガラケーのスイッチを入れ忘れていまして、入れたのが、つい先ほどです。
結果的には41,000歩余りで約30キロでした。坂を登ったり下ったりで、平地の30キロよりキツかったです。




(17:13)
武並駅で列車を待っていると、名古屋行きの快速が入線してきました。


感想
予定では大井宿のある恵那駅まで歩きたいと思っていましたが、脚が痛くなりました。それに時間的に遅くなりました。
調べておいた恵那駅の時間が17時07分でしたから、それより少し遅い時間を念頭に置いて武並駅に向かえば良いと思ったのです。予定していた時間の列車に武並駅から乗りました。
大湫宿の東が十三峠です。八丁坂とか山之神坂と名付けられた坂道が何個も有ります。また、一里塚が昔の姿をしていました。街道らしい雰囲気は有るのですが、旅人は難儀したのだろうと想像しながら歩きました。それに街道を歩いていて寂しいのです。江戸時代、女性が一人で歩いていたなら、心細く感じたに違い有りません。
細久手宿では何枚もの手作り説明板が掲げてありました。このように説明板を設置して貰えたのは有り難い事です。
ゴールデンウイーク中であり、多くの街道歩きの人たちとすれ違いました。みなさん。街道歩きを楽しんでおられるように見えました。
中山道歩きの回を重ねてきました。歩き始めた頃は足の裏にマメが出来ました。今ではマメが無くなり、足の裏の皮が厚くなったような気がします。でも、左足のスネが痛くなります。



今日の経費

名鉄新那加駅から名鉄御嵩駅まで 730円
JR武並駅からJR那加駅まで 1,140円
カップ麺 108円
五平餅 180円
旧森川訓行家住宅 志納   100円

          合 計 2,258円




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麓は春、山頂は春の兆しが・・・・    綿 向 山 (1,110m)  

2018-04-19 23:53:54 | かがみの山歩会

山歩会で西鈴鹿の綿向山に行ってきました。バスで日野町に向かいました。



日野観光協会・日野町役場の「綿向山」から引用しました。
綿向山は標高が1,110mで、11月10日を「綿向山の日」と制定しています。
11月10日に市民登山で取り組まれています。



御幸橋駐車場に着きました。
仕度をして、出発します。




西明寺川沿いの道を登って行きます。




ヤマブキが咲いています。




ヒミズ谷出合小屋が見えてきました。




花。
この花、何と言うのか判りません。




1合目。
杉林の中を登って行きます。





〇〇スミレ。




3合目。
林道を横にスライドして行きます。




五合目小屋まで上がってきました。




五合目小屋すら見える眺望です。
判り難いですが、近江富士だと思います。
三上山が見えました。




六合目を歩きます。




八合目に来ました。
ここには分岐が有り、水無山に向かえます。




〇〇スミレ。




高度が上がって来て、木々が冬の状態です。
木々の隙間から景色が見えます。
そんな中。
九十九折れの道を歩きます。




珍しい、ハナネコノメ。




九合目まで上がってきました。




九合目辺りからの眺望です。
水無山の方角を見下ろします。




〇〇スミレ。




山頂直下。
最後の階段のぼりです。
何回か綿向山に来ていますが、こんな階段が有ったのは記憶に有りません。




山頂に到達です。
山頂の青年の塔。

一九七〇年を記念して日野の青年が町民と一体となってふるさとを思う一念から綿向山に たて塔の中には現在の町の姿をタイムカプセルに収め 二〇二〇年に若人の手でひらかれます  九月吉日  ひの青年団

と裏側の石に刻まれています。
何回か綿向山に登りましたが、青年の塔の裏側にこのような銘碑がはめ込まれているのを知りませんでした。
新しい発見です。
2020年と言うもう直ぐです。
あの時。20代だった人が70代になっている。
その時の関係者が集まり、塔から取り出すのでしょう。
毎年、11月10日が市民登山の日です。2020年の11月10日に開封されるのかも知れません。



東側に眺望が広がります。
雨乞岳、釜ケ岳が見えます。





何の木だろう。
新芽が出だしています。




下山を開始します。




木々に葉が無く、行く先が良く見えます。





崩落して足場の悪いところ。
慎重に進みます。




三合目の林道のところへ下りてきました。
前を歩く人がしゃがみ込んでいます。




何だろうと思ったら。
ハルリンドウが咲いていました。




出合小屋のところ。
橋が架かっている所まで来ました。




ヒミズ谷出合小屋です。




西明寺川沿いの道を歩きます。




お疲れ様でした。
バスが停まっているところに戻って来ました。



感想
綿向山へ数回登りに来ています。竜王山に周回した時や、雪が有りスノーシューを着けて登った事が有ります。
人の記憶は時間が経つと忘れていくものです。こんなに多くのスミレが有ったりする。それに山頂直下に階段がある。そんな事を忘れていました。そんな事を思い出せる。
山頂の青年の塔。何回も登りに来ていますが、2020年に開くことを塔の裏側の銘碑に刻まれているのに気が付きませんでした。
新しい発見です。それが山の面白さなのでしょう。

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きんてつハイキング  レトロな名古屋文化を楽しもう! 大須界隈を歩く

2018-04-18 23:22:21 | ウオーキング

新聞のお知らせ欄で近鉄ハイク「レトロな名古屋文化を楽しもう! 大須界隈を歩く」と言う記事が載っていました。大須観音の骨董市やあいち銭湯資料館を巡ると言うものです。
それに参加しました。近鉄烏森駅で10時20分から受付となっていました。前夜来の雨でしたが、朝になって天候が回復しました。ゆっくりと烏森駅に向えば好い。誰もが同じようなことを考えたみたいでした。でも、受付で渡されたカードの番号は537番でした。と言うことは私より先にスタートした人が536人いると言う事です。
雨の上がった名古屋の町を歩きました。

近鉄烏森駅(スタート)   ― 佐屋街道  ― 長良橋 ― 松重閘門  ― 日置神社  ― 大須観音
 ― 春日神社   ― 記念橋   ― あいち銭湯資料館   ―   JR鶴舞駅(ゴール)  



主催者から渡されたコース地図です。


近鉄烏森駅

(10:58)
烏森駅は普通列車しか停まらない駅です。
電車が駅に着くと、降りてきた乗客が次々と受付をして歩き始めました。




歩き出した佐屋街道。
車が沢山行き来しています。




(11:12)
環状線で信号待ちです。
先を歩いていた人も信号で待たされ、青に替わると一斉に歩き出します。



佐屋街道

ヤジさんキタさんをイメージしているのでしょうか。
歩道に埋められたプレート。


長良橋

(11:17)
長良橋まで歩いてきました。




金山方面です。




(11:21)
この通りからも金山方面が見えます。




新幹線が通過しています。


松重閘門

(11:40)
松重閘門が見えてきました。




松重閘門は、今では稼動していません。
かつて水路となっていたところは埋め立てられています。
橋が架かっており、その北側が松重閘門公園となっていました。
この場所で弁当を広げる人たちも居ました。




橋の上から松重閘門を見上げました。



松重閘門公園に説明板が設置して有りました。




松重閘門の塔の間を市道江川線があり、その上が名古屋高速の環状線になっています。
私と同じように松重閘門を撮影する男性が居ました。





ライトアップした写真の松重閘門。




裏側には解説文が載っています。



(11:49)
松重閘門から歩いて行きます。




回り込んで松重閘門を眺めます。
広い水面。
かつて、松重閘門が稼動していた頃。
中川運河に向かう船が順番待ちをし、ひしめいて居たのかも知れません。



日置神社

(12:02)
日置神社に寄りました。


大須観音

大須観音の山門です。




門の両側。
骨董市で店を広げています。






大須観音へ来ました。
中国人なのでしょう。
記念写真に納まっています。




(12:54)
本堂です。





お参りしました。





大須観音の境内。
西側から眺めました。





骨董市です。




区割りされ色々の店が開いています。




これから大須の街を歩きます。




テレビカメラを中心とした人たち。
でも、報道の人たちではないようでした。


春日神社

(13:13)
春日神社へ来ました。
大須にこんな大きな神社が有る事を知りませんでした。




上前津の古書店。
今回のウオーキングで古書店にも寄ってみたいと思いました。




(13:24)
大須通りを歩き、鶴舞へ向かいます。



あいち銭湯資料館

(13:35)
あいち銭湯資料館に来ました。
ここは愛知県公衆浴場組合や名古屋浴場組合の事務所で、その2階が資料館となっています。




2階へ上がるのに履物を替えて上がります。
かつて銭湯で使われていた下足箱です。





のれんをくぐって中へ入ります。




男性なら誰でもが座ってみたいと思う番台。
番台が復元してあります。





資料館の内部です。





体重計やドライヤーが見えます。





こちらはケロリンの風呂桶。それに脱衣籠も有ります。




橋本七度煎のホーロー看板。
この字、何と読むのかなと興味が沸きました。
疝気(センキ)と読むようです。
かつては銭湯の脱衣場にこんなホーロー看板が有りました。
昭和の世界です。






鶴舞の古書店街に来ました。
この通り。かつてはアーケードで覆われていました。
それが撤去されています。そのお蔭で明るくなっています。
向こうが山星書店。手前が大学堂書店です。
老舗の古書店は残っていますが、消えていった古書店が何軒か有ります。
鶴舞の様子が変わって来ています。

JR鶴舞駅

(13:59)
鶴舞駅にゴールします。




感想
このようなイベント。普通は土曜日か日曜日です。大須の骨董市の開催が18日と28日なので、平日である18日の開催となったのでしよう。平日で参加者は1,000人に満たなかったのではと思います。
今回の企画で、行ってみたいと思ったのは上前津や鶴舞の古本屋を訪ねれそうだからです。久しぶりの鶴舞。様子が変わってしまい、かつて有った古本屋が無くなって居ました。こんなのも時代の流れでしょうか。
鶴舞の裏通り。あいち銭湯資料館が有りました。廃業して行く銭湯が多い時代です。展示物を見て、懐かしさを感じました。
 

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kオジサンの中山道旅日記  その7 

2018-04-16 23:13:14 | Kオジサンの中山道旅日記 

4月16日(月) 晴 JR那加駅前から名鉄御嵩駅まで

私が住む各務原市を中仙道が東西に貫いています。
或るキッカケで中山道を歩いてみようと言う気が起きました。そして、行動を起こしたのが、中山道を西へ歩くことです。第1回目として2月19日に各務原から岐阜市までを歩きました。そして回を重ね、6回目で4月4日に京の三条大橋に着き、一応の区切りを迎えました。
次は、東に向って歩くことです。私の性格はやり出したら、キッチリと遣らないと気が済まない性格です。体力、金力が持続するか判りませんが、東に向って歩くのを始めました。 

第7回です。JR那加駅前から鵜沼宿まで行き、太田宿、伏見宿、を経て御嵩町の名鉄御嵩駅までを歩きました。歩き始め。各務原市内、中心部の中山道は国道21号線が大部分であり、車が多く往来しています。コース的に面白味に欠ける所です。
鵜沼羽場町から旧中山道となり、街道らしさの雰囲気を感じれました。時期的には、スミレの時期でいろいろのスミレを目にしました。岩屋観音を過ぎて木曽川沿いの街道を歩きました。日本ラインロマンテック街道と名付けられた街道です。景色は好いのですが、旧街道らしさが無いコースでした。太田宿の中心部に太田宿中山道会館が有りましたが、月曜で休館日でした。

歩いていて、反対方向から歩いて来る人、4人に会いました。いずれも街道歩きを楽しんでいる。そんな人たちでした。

JR那加駅前  ― 各務原市民公園  ― 六軒一里塚  ― 名鉄弧線橋 ― JR弧線橋 ― 
山の前一里塚
 ― 衣装塚古墳 ― 鵜沼宿脇本陣・芭蕉句碑  ― 大安寺大橋 ― 高札場 ― 
赤坂の地蔵堂 ― 
合戸池 ― もりの本やさん ― うとう峠の一里塚  ― 岩屋観音 ― 行幸公園
―  深田スポット公園
 ― 虚空蔵堂  ― 太田宿中山道会館  ― 旅籠小松屋 ― 神明水神公園
 ― 古井の一里塚 ― 
太田橋 ― 今渡・渡し場跡公園 ― 今渡神社  ― 恵土の一里塚跡 ― 
一本松公園 ― 伏見宿本陣跡 ― 比衣の一里塚 ― 鬼の首塚 ― 名鉄御嵩駅  



今回、歩いたコース地図です。
岐阜県十七宿 散策ガイド。「日本歴史街道」中山道連合から出典しました。

JR那加駅前

(08:45)
JR那加駅前の真っ直ぐ南。
那加本町の通りです。



本町通りと中山道が交差する場所。
初回はここらに西に歩きました。
今回はこの場所から東に向かって歩きます。


各務原市民公園

各務原市民公園です。
この公園は、かつて岐阜大学の工学部と農学部が有った場所です。
岐阜大学が岐阜市に移転し、その跡が市民公園となりました。




(09:00)
各務原市役所の前を歩きます。
信号機が邪魔だった。
信号機を避けて撮れば良かったのにと、後から思いました。





国道21号線が那加バイパスとして新しい道ができました。
この道は旧の21号線であり、車の通過が少なくなり落ち着いた道になりました。


六軒一里塚

(09:20)
旧21号線沿いに設けられた六軒一里塚の標柱です。
スローガンの看板が設置して有りますが、違和感が有ります。
折角なら、街道の案内地図でも設置すればと思います。



コンクリート塀の向こう側が航空自衛隊の岐阜基地です。
大きな格納庫が有ったりして飛行場を想像させます。
アレが中山道から見える管制塔です。
ジェット機の爆音が聞こえます。





国道21号線は弧線橋となっています。
中山道は左の道を真っ直ぐ進みます。



名鉄弧線橋

名鉄各務原線を越える歩道橋です。





歩道橋から川崎重工の敷地内に飛行機が見えます。
T-33Aジェット練習 機です。
ライセンス生産されたジェット機ですが、保存展示して有ります。

 





(09:38)
鵜沼川崎町を歩きます。
車がひっきり無しに走っていますが、タマタマ、こんな場面が撮影できました。




鵜沼各務原町です。
沢山の車が走っている。
こんなのが普通でした。


JR弧線橋

(10:15)
ここでも、国道21号線は弧線橋となっています。
この弧線橋。JR高山線を越える弧線橋です。
中山道は左の道を真っ直ぐ進みます。



山の前一里塚

この辺りに一里塚が有る事になっています。
土屋モータースで、車を洗車している男性に一里塚の場所を聞きました。
資料では播隆上人の名号碑(山の前の一里塚)となっていますので、播隆上人の碑の在り処を尋ねたら知らないと言いました。一里塚はと、聞くと向こう側と言う応えでした。

渡道橋を渡り、右の一里塚の指示標識に従い、進みました。
この場所に一里塚の標柱は立っていないのです。
あの岩石が播隆上人の名号碑のようです。
左の石には旅人道中安全と刻まれていました。
一里塚の場所を探すのにドッチへ行けば良いのか判りませんでした。手作りの指示標識は有り難かったです。

衣装塚古墳

(10:48)
空安寺の東側。
円墳の衣装塚古墳が有ります。




坂を下りてくると、信号機の隅。
ポケットパークが有り、鵜沼宿の石柱が設置して有りました。




鵜沼宿の中心部へ来ました。
電柱が撤去してあり、宿場町の雰囲気を出していますが、背の高い照明灯には違和感を感じます。



鵜沼宿脇本陣

(11:00)
復原された鵜沼宿脇本陣。
今日は月曜日。
休館日で入り口が閉じていました。





鵜沼宿脇本陣の一角に芭蕉の句碑が有ります。



大安寺川大橋

鵜沼宿脇本陣から東に歩いてきました。
大安寺川に架かる大安寺川大橋です。
街道を意識して木製の欄干になっています。




(11:05)
大安寺川大橋の東側。
英泉の浮世絵「鵜沼ノ驛従犬山遠望」の石碑が有ります。


高札場

坂祝バイパスの東側に高札場が設置して有ります。




旧21号線は右にカーブしていきました。
中山道はこのまま直進です。
この先の道。
街道らしさが有ります。




坂を上がって来て、合戸池に来ました。
この池、農業用の溜池みたいです。
池が出来た当時は農業用だったのですが、周りに農地が無くなり農業用ではなくなったみたいです。




(11:31)
緑苑の外周道路。
生活環境保全林である「日本ラインうぬまの森」に向かっています。




前方からザックを背負った男性が歩いて来ました。
挨拶をして言葉を交わしました。
埼玉県から歩き続けているのだそうでした。
今回は金曜日から歩き出し、今日月曜日まで歩いている。この後、岐阜まで行くと言っていました。
向かう方向は違いますが、同じ中山道を歩く人です。同志に遇ったような気がしました。



もりの本やさん

「日本ラインうぬまの森」に来ましたが、月曜でお休みです。
ゲートの横をすり抜けて進みます。
この建物。
「もりの本やさん」です。うぬまの森のセンターハウスです。
休館日で閉まっていました。
ここで昼食にしました。



(12:04)
石畳みの道で坂祝方面に繋がっています。
ここの左手に、うとう峠の一里塚が有ります。



うとう峠の一里塚

木が有り、判り難いのですが、土が盛られた塚の形となっています。
何回か来ていて、気がつかなかったのですが、丸い山の形です。
頂点部の木を残し、他の木は切り払ったほうが、より塚らしい形知になるでしょう。




うとう峠の一里塚から樹林の中を下って行きます。
木々が繁り、街道らしい雰囲気が有ります。
この辺り、マムシが出るのでしょう。「マムシ注意」の札が立っています。





何スミレか。
スミレが2輪咲いています。




(12:26)
坂を下ってきて、来た場所です。
ここでは、高山線の線路の下を通ります。




国道21号線沿いの歩道を歩きます。
踏み切りの警報機が鳴り出し、岐阜行きの普通列車がエンジン音を立てて走り去りました。




(12:42)
二人目の旅人の遭遇です。
この男性は北海道から来たのだそうです。
シリーズで毎回、繋ぎ繋ぎ歩くのでなく、今回はこの区間。今回はこの区間と言うふうに歩いていると話しました。
今回は伏見宿から岐阜の加納宿までで加納城址を見たりすると言っていました。
街道を歩くばかりでなく、他の目的も絡めて歩けば、良さが広がる事でしょう。



岩屋観音

岩屋観音に来ました。
ここの階段を登って来る時、ザックを背負った男性と出合いました。
男性に街道歩きですかと聞きましたら、山に登って来たのだそうでした。
ここの近く。猿啄城(サルバミジョウ)という小高い山が有ります。その山に行って来たのでしょう。




岩屋観音から歩く道。
フェンス越しに木曽川を見下ろせます。
前日の雨で川の水が濁っています。
路傍のフジが満開を迎えようとしていました。





(12:54)
国道21号線沿いに築かれた堤防で、一番下流の場所です。
浸水を喰い止めるゲートが設けて有ります。





堤防上に上がりました。
下流方面を望みます。
山と山の間。
凹んで谷になっている所がうとう峠から下りてきた街道です。
その右の岩の壁が岩屋観音です。




今日のKオジサンの後ろ姿です。
これから堤防上を歩きます。





日本ラインロマンチック街道と名付けられている堤防道路です。
この堤防の場所には、道路沿いで、かつて民家やガソリンスタンドが有りました。
昭和58年9月28日に台風と秋雨前線の影響を受けて水害が発生しました。
多くの家屋が浸水し、その後、年数を掛け、美濃加茂市から坂祝町に堤防の築造工事が行われて今日の姿となりました。
左の道路が国道21号線です。それに、旧中山道でも有ります。今では堤防が高くなり国道から木曽川が見えなくなってしまいました。住民の安全のため、眺望を捨てた。そんな感じのコースです。
重要な国道で引っ切り無しに車が通りますが、タマタマ、通行が無かったタイミングです。



日本ラインロマンチック街道。
行幸公園にこんな案内表示が設置して有りました。
もともとの中山道は今の国道21号線に沿った街道です。
その街道沿いに取組一里塚跡が有ります。
この案内表示に一里塚の場所が紹介してあると好いのではと思います。




堤防の道にスミレが群生しています。





(13:50)
坂祝町と美濃加茂市の境まで来ました。





(14:13)
太田宿に来ました。
街道らしい感じの道です。



太田宿中山道会館

太田宿中山道会館へ来ましたが、月曜日で休館日でした。



旅籠小松屋

(14:32)
かつて旅籠となっていた旧小松屋です。
今はお休み処となっています。





旧小松屋の内部です、
屋敷内には坪内逍遥や播隆上人を紹介していました。




(14:44)
神明水神公園の横を通り抜け、堤防に上がりました。
この堤防も水害後に整備されたのでしょう。



古井の一里塚

文化会館の敷地内に一里塚跡の標柱が立っています。



太田橋

(15:02)
前方の橋が太田橋です。
あの橋を渡ると、可児市になります。
橋を渡っていて、左下に島が見えます。中ノ島です。かつて日本ライン下りの出発場所ですが、今では運行されなくなりました。そして、公園として整備されていました。


今渡・渡し場跡公園

太田橋を渡り今渡・渡し場跡公園です。
黒い石碑に 木曽のかけはし  太田の渡し  碓氷峠がなくばよい  とうたわれと刻まれています。





(15:38)
可児市の今渡に来ました。
前方から女性が歩いて来ました。
この人も街道歩きの人でした。
東京から来た女性で、今日は御嵩宿から歩き始めて、この先。名鉄の日本ライン今渡で終えると言っていました。





前方は太多線の踏切です。
多治見行きの普通列車が通過して行きました。



恵土の一里塚跡

この石碑。
一里塚の跡。これより約30メートル東とあります。
土田の一里塚なのでしょう。
裏には中山道開宿400周年記念事業と刻まれています。




(16:07)
前方から男性が歩いて来ました。
この男性も東京の人でした。
何処から何処まで歩くとか、詳しく聞くのも失礼ですし、・・・・・・。
今日の行程は釜戸から可児までと言っていました。
可児で終えるとなると、もう少しで終りになります。






旧国道21号線です。
可児御嵩バイバスが出来て車の交通量が少なくなっています。


一本松公園

(16:25)
信号機の傍ら。
一本松公園が設置して有ります。松が1本有りますので、・・・・




一本松公園に設置して有った中山道の案内図です。
旧中仙道が国道21号線と着いたり離れたりしています。
この案内図、設置してから一度も手を加えていないのでしょう。見難くなっています。ソロソロ、取替え時では・・・・・。



伏見宿本陣跡

伏見宿本陣跡の石碑です。
伏見公民館に設置して有りました。





(16:38)
御嵩町の高倉地区まで来ました。


比衣の一里塚

旧21号線に着いたり離れたりする中山道。
街道が離れた所で、比衣一里塚の碑が有りました。




(16:58)
ここも着いたり離れたりするところです。
国道に、中山道が左へ向かうサインが出ています。


鬼の首塚

鬼の首塚。
道路の反対側から撮影しました。
電車の時間が気に掛かりました。
出来たら、説明を読みたかったです。



(17:17)
御嵩の街中を歩きます。





もう直ぐ御嵩駅です。
中山道の標示です。
左に折れて行く形になっています。


名鉄御嵩駅  

(17:23)
お疲れ様でした。
御嵩駅に到着です。




入線して来た新可児行きの電車です。
この電車。17時29分発です。



今日の歩行距離です。


感想
今日は東に向かって歩き出した、第1日目です。35キロ余りを歩きました。良く歩きました。
反対側から歩いて来る人、全ての人に話しかけました。何処から来たのとか、何処から何処まで歩くの?と、色々と言葉を交わせる事が面白いです。


今日の経費
名鉄御嵩駅から名鉄新那加駅まで 730円
お握り 230円
カップ麺 108円
ウィルキンソンドライ 103円
ガリガリ君   75円

          合 計 1,246円

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本巣市の山  高 茂 山(452.7m)

2018-04-11 23:02:48 | 弐水会

弐水会の4月例会で本巣市の高茂山に行って来ました。登る人が余り、居ないようなマイナーな山です。歩いていて、ワラビをゲットする事が出来ました。この山。今の時期ですからワラビを採取できました。今の時期以外、紅葉が好いのか新緑が好いのか。ワラビが取れる今の時期。一年間のウチでも最も良い時期なのかも知れません。
高茂山へ登るのに本巣市の外山小学校の横から入って行きました。その時、目にしたのが校庭で行われていた交通教室です。先生、それに警察官が来ていました。全校生徒なのでしょう。40人~50人ほどでした。新学期に入り、交通事故を起こさないようにとの思いからなのでしょう。



外山小学校の裏手に停めました。
余り、通る車は無いと思いましたが、他車の邪魔にならないように停めました。




アスファルト道を歩き出して、道路の脇にスミレが咲いていました。
何スミレなのだろう。




こんな道がしばらく続きました。



高度を稼いできて、登山口に来ました。
高圧線の巡視路ですが、手作り指示標識が有ります・




急な登山道を登って行きます。




檜林の中を登ります。




姥坂から登って来ました。
そして、到達したのが姥坂峠です。
消えかかっていますが、「こちらからも行けます」と表示しています。





展望の良い鉄塔の下へ来ました。
前方に広がる眺望。
この後、向かう高茂山の方角です。山頂のアンテナが見えました。




鉄塔の下です。
ワラビが出ていて、皆さん夢中です。




採った戦果を撮らせて貰いました。




2本の高圧線が通っています。
西武幹線と洞戸揖斐線です。
上のプレート。線とNO.が逆で手書きされています。





読み難いので判らないが、R125-1地点でしようか。
鉄塔の脚にこんな地図が下がっていました。





こちらは佐原への矢印となっています。
消えかかっていますが、ここはR125-1の字が読めます。





こちらの鉄塔の下でも豊富にワラビが有ります。




下に作業道が見えましたので、降りて行きます。





作業道を歩きます。




作業道を歩いて行きます。




作業道から上へ上がります。





ここにも手造りの指示標識が付けて有りました。




山道を歩きますが、下に作業道が見えます。




また、下に降りて作業道を歩きます。




作業道から山に分け入ります。
道らしい道が無い状態です。
登れそうな場所を選んで上がりました。




山道を歩きます。




しばらくして、東屋が見えました。
山頂へ来ました。





山頂に有ったプレートです。
まだ、新しいプレートのように見えます。





山頂からの眺望です。
南(だと思う)の視界が広がります。




昼食を終えるタイミングに雨が降り出しました。
全員が東屋に入れる訳でなく、外で食べている人も居ました。

昼食が終わるのを見計らって降り出した。
そんな感じがしました。





下山を開始します。





登山道からアスファルト道路へ降ります。




延々と続くアスファルト道。
そんな道を下って行きます。




先ほどワラビ採りをしたと思われる地点です。





アスファルト道を下ります。





国道157号線が見える所まで下りてきました。





女性たちが何かを見ています。





女性達が見ていた花。
オドリコソウだと思います。




外山小学校が見える所まで歩いて来ました。




外山小学校の横に来ました。
白いバスはスクールバスです。ここに来た時に交通教室をやっていて、子供達を見かけました。少人数の学校です。それでも、スクールバスで子供達を通わせているのでしょう。
ますます、子供の数が減る。切実な悩みかも知れません。


感想
私は、ミンナがワラビ採りに励んでいるシーンを撮影していて、採っていませんでした。それでも、2本目の鉄塔の場所では採りました。量的にはパスタを掴んだくらいの量です。自宅に帰り、カミさんが料理してくれました。前日、買って来て有ったたタケノコと一緒に食べました。季節のモノは、その季節に食べて美味しさを感じれるものです。
正直、もっと一生懸命、採れば良かったと言う気がします。農協の農産物売り場にパック入りのワラビが売られていました。丈を揃え、キチンとした品物でした。その値段が230円だったのです。これには及ばなかったのですが、私が採ったのは170円か180円くらいの価値は有りました。
今日の山。余り、人が登らないマイナーな山でしたが、良い山でした。ベストシーズンの山だったと思います。
今日は雨が降りだすと判っていました。誰かが言っていました。タマには雨カッパを着ての山行も・・・・・。





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一宮友歩会・第73回ウォーク例会 史跡巡りシリーズ・岐阜編Part11 瑞穂市北部を歩く

2018-04-07 23:33:43 | 一宮友歩会

一宮友歩会の4月例会が開催されました。今回は瑞穂市のJR穂積駅に集合して、穂積町、巣南町と瑞穂市の北部を歩くものでした。JR穂積駅前で出発式です。その後は北へ、そして西へと向かい、一部中山道を歩き、揖斐川を渡って樽見鉄道の十九条駅まで歩きました。
瑞穂市の北部を周回しました。瑞穂市は糸貫川、五六川、犀川と何本も川が流れています。それもミンナ北から南に流れています。そんな瑞穂市を歩きました。
今回は私がリーダーです。昨年11月に下下見。今年の2月に下見。そして今日の本番となりました。時期的に桜が満開になっているハズでしたが、開花が早くて終わっていました。

JR穂積駅(スタート)  ― 糸貫川  ― 糸貫川河川公園  ― 熊野神社  ― 馬場公園  ― 延命地蔵 ― 
自然居士墓 ― 美江寺観音 ― 美江寺城址   ― 千手観音 ― 千体仏 ― 大月浄水公園 ― 
小簾紅園 ― 津島神社 ― むかい地蔵 ― 十九条公園(解散式)  ― 樽見鉄道十九条駅(ゴール)  



今回のコース地図です。
JR穂積駅から樽見鉄道十九条駅までで、13キロとなっています。
http://www.geocities.jp/jk2unj/datagazou/73map1.pdf


JR穂積駅

穂積駅の南側です。
出発前に出発式を行っています。
今回のリーダーが私で、今日のコースを紹介しました。
そして、準備体操をして出発です。




穂積駅の自由通路を抜けて北側に来ました。
これから瑞穂市を歩きます。




穂積の街の中を歩き、糸貫川の堤防に来ました。




堤防に来たところです。
ソメイヨシノは終わっていますが、シダレザクラが少し残っています。



糸貫川

堤防から降りて河川敷を歩きます。


糸貫川河川公園

広い河川敷です。
この場所は野球場となっていますが、糸貫川の遊水地です。



野球場の縁を歩きます。
後方の建物は糸貫川河川公園の管理事務所のようでした。




若い桜の並木。
桜の時期を終わっていますが、花びらが散乱し、この幼木がサクラの木だと想像させます。




馬場公園に寄ってウォークを続けます。


糸貫川

再び糸貫川に来ました。
今回のコース。糸貫川にくっついたり、離れたりしました。




カモの群れが居ます。
もう、北へ帰る時期でしょう。
人の気配で逃げて行きます。



糸貫川の河川敷を歩きます。
道路を歩くより、このような所を歩く方が交通事故の心配が有りません。
このような所のウォーク。
カモを見たりして、自然を感じる事が出来ます。
畑があり、イチゴに花が咲いていました。



延命地蔵

糸貫川から中山道に出ました。
中山道沿いの延命地蔵です。



お昼の弁当の調達です。
ここでお握りを買いました。
それに、コンビ二のトイレを借りました。トイレが1箇所しかなく、時間が掛かりました。



美江寺観音

自然居士の墓に寄って、美江寺観音に着きました。
ここで小休止です。





ここは美江寺観音と美江神社が隣り合わせの場所です。
それに美江寺宿の説明板が有りました。
高札場も再現されています。




私達が歩いているのを見て、可愛い草履を頂きました。
1人に1コづつ貰いました。


美江寺城址

美江寺城址に来ました。
この城址、中小学校の行程に有ります。




城郭研究家のMさんの説明です。




今回の資料です。
十七条城址や十九条城址に着いて解説が有りました。
それに、この地は条里制の名残が有るところで、そちらのお話も有りました。


千手観音

中山道を歩いて来て、美江寺千手観音に来ました。
お堂の中に石製の観音様が安置されています。


千体仏

千体仏が有るのが千体寺です。
先ほど自然居士の墓に寄ってきましたが、千体仏は自然居士が造りました。





田園地帯を歩きます。
列が長く伸びています。




揖斐川の鷺田橋を渡ります。


小簾紅園

小簾紅園に来ました。
ここは呂久の渡しがが有ったところで、説明板が設けて有ります。




小簾紅園は皇女和宮が通ったところです。
彼女が歌った和歌を紹介しています。




和宮の歌碑が有ります。


むかい地蔵

むかい地蔵に来ました。
むかい地蔵は川を挟んで向き合っているお地蔵さんです。




むかい地蔵の説明板が設置して有ります。




犀川の向こう側。
十九条側の地蔵が見えます。




十九条側のお地蔵さんです。
女性を現し穏やかなお顔となっています。


十九条公園

十九条公園に着きました。
ここがゴールです。
この公園で解散式を行います。


樽見鉄道十九条駅

一部の人は予定通り、穂積駅まで歩きましたが、ほとんどの人が樽見鉄道の列車に乗車します。
14時22分発の列車が入ってきました。



列車の車内です。
空いていた車内が友歩会の人で一杯になりました。




車内からみえる揖斐川。
堤防の緑と黄。
春を感じさせる景色です。




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kオジサンの中山道・東海道旅日記  その6  遂に京都へ

2018-04-04 23:58:10 | Kオジサンの中山道旅日記 

4月4日(水) 晴 JR守山駅から京都三条大橋まで

第6回で前回の続きです。JR守山駅から守山宿へ行き、守山宿、草津宿、大津宿、山科を経て京の三条大橋までを歩きました。守山宿から草津宿までは中山道でしたが草津宿からは東海道の歩きとなりました。草津宿から大津宿までの距離が長いと感じました。瀬田の唐橋を渡った後、中々大津宿に辿り着かなく、長い道のりに思えました。

大宝神社の東で住蓮坊母公墓と言う石碑を目にしました。隣に、この石碑の由来が設けてありました。母親は処刑前に一目、住蓮坊に会いたいと急いで行きましたが叶わなかったのです。住蓮坊は法然の門下の僧ですが、後鳥羽上皇の怒りをかい、近江の馬渕で斬首の刑に処せられました。それに関連する場所が住蓮坊の首洗いの池です。首洗いの池は前回、歩いて来たところに有りました。前回に見た場所と今回の場所とが結びつくのが面白いです。

大津と京都の間では物流で牛車を使っていましたが、雨で道がぬかるみ難儀していました。牛車のために花崗岩の車石が敷設されていました。こんなことを知ることが出来たのも、街道を歩いたから発見できた事です。
この街道の車石とポンペイ遺跡で見かけた車の轍。そんなのも関連付けて考察できました。

京阪電鉄の京津線。かつては路面で道の真ん中を走っていました。それが地下に潜りました。京津線が地下に潜り廃線となった場所を歩き、そんな経緯を知るのも街道歩きの面白さです。

JR守山駅  ― 守山宿・町家“うの家”  ― 守山宿本陣跡  ― 東門院 ― 今宿一里塚 ― 
住蓮坊母公墓 ― 大宝神社  ― 琵琶湖線線路下トンネル ― 伊砂砂神社 ― 旧草津川 ― 
草津追分道標 ― 草津宿本陣跡  ― くさつ夢本陣 ― 草津宿街道交流館 ― 立木神社  ― 
野路一里塚跡  ― 野路萩の玉川  ― 弁天池 ― 東海道立場跡  ― 月輪一里塚跡 ― 
大江東北自治会館 ― 大場の桜 ― 瀬田の唐橋  ― 石山駅 ― 篠津神社 ― 義仲寺 ― 
露国皇太子遭難の碑 ― 札の辻 ― 逢坂山関跡 ― 追分 ― 伏見街道追分  ― 閑栖寺 ―  
諸羽神社 ― 山科駅前 ― 大乗寺 ― 九条山 車石広場 ― 蹴上浄水場  ― 白川橋 ―  三条大橋




近江歴史回廊発行。宿駅散策 近江東海道中絵巻三を撮影しました。


JR守山駅

(08:10)
前回、街道歩きを閉じたJR守山駅です。
今回はそれの再開です。
駅から北の守山宿に向かいます。



守山宿・町家“うの家”

(08:21)
中山道まで来ました。
左側が守山宿の「うの家」です。
ここから中山道を歩きます。


守山宿本陣跡

本陣跡と井戸の跡です。
説明板が整備してあります。




石造道標と説明板。
この場所が高札場跡だったとも説明しています。


東門院

(08:27)
東門院の仁王門。
立派な仁王が両側に控えています。
この東門院、近江西国三十三ケ所霊場となっています。




東門院の境内の石かえる。
背中に子かえるが乗っています。




守山市今宿地内の中山道です。
この辺りでは、真っ直ぐの街道になっています。


今宿一里塚

(08:37)
今宿一里塚に来ました。
エノキだろうか。
木の枝が新芽を付けています。




栗東市に入って来ました。
この辺り。綣(ヘソ)と言う地域です。
大宝神社の一角に、この綣元標の表示板が設置して有りました。




(09:00)
綣(ヘソ)と言う地域です。
信号機に地名表示が取り付けてあります。



栗東市の笠川地区です。
前方に草津線の高架橋が見えます。
アソコはもう、草津市になります。


琵琶湖線線路下トンネル

(09:19)
草津市に入って、草琵琶湖線のトンネルを通り、大きく回り込みます。



伊砂砂神社

街道沿いの伊砂砂神社です。
桧皮葺の立派な本殿が有りました。





草津駅前の道です。
この先、アーケード街になっています。
この交差点を右に折れるとJR草津駅に向かいます。





前方に見えるのが旧草津川のトンネルです。
旧草津川は天井川で川が高い位置となっています。
それで、高い土手に上がらなくてはなりません。かつて、旅人は難儀しました。



旧草津川

(09:44)
旧草津川に上がるため、階段を登ります。




かつての旧草津川です。
今では整備されて「de愛ひろば」となっています。
にぎわい活動棟やイベント広場が有ります。


草津追分道標

トンネルの西側に道標が有ります。
ここが東海道と中山道の分岐点です。
道標から東が中山道で、南が東海道となっています。


草津本陣跡

史蹟草津本陣跡です。
泊まった時期は違いますが、浅野内匠頭と吉良上野介。曰縁、深い二人がこの草津宿本陣に宿泊しています。
この本陣。今年の3月3日に訪れました。
https://blog.goo.ne.jp/gifu2212/e/47395583ba69c161400afe04b8cd0483


くさつ夢本陣

草津宿の休憩やトイレが仕える場所で「くさつ夢本陣」です。
丁度、FM放送をやっているタイミングでした。
ここで、休憩しましたが、自動の呈茶機が有り、お茶を頂きました。



私が出て来た時、逆に中へ入る女性が居ました。
ハイカー姿でしたので、街道歩きですかと聞きましたら、草津から石部まで歩くと言っていました。


草津宿街道交流館

ここが草津宿街道交流館です。
館内は街道の資料館になっています。




交流館の前に有った草津宿の図面です。
本陣が2箇所。脇本陣が3箇所となっています。
その事からも、草津宿が大きな宿場だったと言えます。




(10:30)
店先に、「右やばせ道 これより廿五丁大津渡船」の石の道標が立っています。
矢橋道をたどり矢橋湊から舟で大津へ渡るか、東海道を歩き瀬田橋で行くかです。「急がば廻れ」の語源になったところだそうです。
Googleの地図ではここから西に行ったところに矢橋港が有ります。
判り難いですが、浮世絵の店は姥が餅屋です。




ふるさと「矢倉」風景の記憶絵に見る今昔。
これと同じような記憶絵が草津宿本陣のハス向かいや渋川にもありました。
昭和30年代の草津を表わしたものです。




東海道が国道1号線と交差します。
この先の左側に小公園があり、そこに野路一里塚跡の石柱がありました。




板造りの復元常夜燈が建っていて、「東海道浪川(おおかみがわ)」と書いて有ります。
フェンスには手作りの板で草津宿本陣・瀬田唐橋の距離が表して有ります。






(11:12)
草津市と大津市の境界辺りまで来ました。
今日のKオジサンの後ろ姿です。


東海道立場跡

池の横に東海道立場跡の石碑が有ります。




大津市の一里山地区に入って来ました。
緩やかな登り坂です。




(11:35)
道標が設置して有ります。まだ、新しいです。
道の交差点に有りましたが、この反対側に月輪一里塚が有ったのです。
気がつかずに通ってしまいました。



大江東北自治会館

大江東北自治会館の前に来ました。




自治会館に地図が掲示して有りました。



大場の桜

1本だけの桜。
大場の桜と説明しています。


瀬田の唐橋

(12:12)
瀬田の唐橋へ来ました。
桜の花びらが飛び、花吹雪状態です。



瀬田の唐橋のたもとでトイレを利用しました。
ウオーキング姿のご夫婦と言葉を交わしました。
ご夫婦は北海道から来ていて、ウオーキングを重ねているのだそうでした。
私が岐阜県の各務原市から来たと言いましたら、中山道でそこは、歩いたそうでした。飛行場が有って飛行機が飛んでいたと言いましたので、それは航空自衛隊のジェット機ですと言いました。

笑顔で話してくれたご夫婦です。
今日は大津に泊まり、三条大橋を目指すと言っていました。
私は今日、三条大橋に着くように行くと言いましたら、私達に歩調を合わせず、先に行ってと言われました。

僅かな時間でしたが一期一会の出会いでした。
北海道のどちらかと聞きませんでしたが、北海道ならまだ雪が残っているかも知れません。ご夫婦で街道歩きが出来る。好い事だと思いました。



石山駅

(12:41)
京阪電車の石山行きが来ます。
歩いて来て、真っ直ぐに進むと琵琶湖線の下を通り抜けれそうですが、手元の資料には京阪電車の石山駅。JRの石山駅を通るように書かれています。
それで、両駅の自由通路を抜けました。




左側はロームと言う工場です。
道は曲がって行きますが、松があり、東海道らしさが有ります。




前方は京阪電鉄の石山坂本線の踏み切りです。
瀬田の唐橋を渡ってから、何回か京阪の踏切を横切りました。
頻繁に電車が走っています。

義仲寺

(13:58)
義仲寺の前に来ました。



露国皇太子遭難の碑

露国皇太子遭難の碑です。
いわゆる大津事件の場所。





東海道を歩いていて、提灯屋を目にしました。
この時、思い浮かんだのは愛知川宿の提灯屋です。



札の辻

(14:24)
札の辻に来ました。
国道161号線で道路の真ん中を京阪電鉄京津線が走っています。






歩いていてJRの列車がトンネルに入るのが見えました。
逢坂山トンネルです。




国道1号線と国道161号線が合流する交差点。
前方から京阪電鉄の列車が来ます。


逢坂山関跡

(14:50)
逢坂山関跡に来ました。
ここは、ポケットパークのような場所になっている場所で、トイレが有ります。
サイクリスト達が休憩していました。




逢坂山関の説明板が設置してありました。





東海道であり国道1号線。
下り坂になっています。
右に見えるのが京阪電鉄の大谷駅です。
列車が停まっています。



追分

(15:14)
坂道を下ってきて1号線と分かれます。
この場所、大津市追分町です。
1号線は右へ。
東海道は左へ。
左のビルが大津警察署藤尾交番です。
ここから、左に進みます。




振返ると滋賀県大津市の境界プレートが見えます。
反対側には京都府京都市のプレートは無かったのです。
地図で確認するとこの場所が京都と大津の境なのですが、道路を隔てての境界です。
右側はズーと京都で左側が大津。
まだ、この先までも大津なのです。




伏見街道追分

石の道標が有ります。
左に向かうと伏見方面です。




追分に有った案内板。
大津絵がこの地で生まれ、算盤もこの地で。
とても参考になります。


閑栖寺

東海道の坂を下ってきて寺の境内にゾウの置物が有りました。
4月8日の花祭りにあわせての物でした。
そのゾウ越しに見えたのが車石です。
門の脇には説明の札が立っていました。



こちらは民家の塀に取り付けられた説明板です。
江戸時代から明治に掛けて車石が役に立った事が想像できます。




上の説明板を補う説明です。




(15:41)
四ノ宮町辺りまで来ました。


山科駅前

山科駅の駅前に来ました。
アノ建物が山科駅です。




(16:02)
山科駅から歩いて来て琵琶湖線の高架を抜けました。
前方に見えるのが京阪の軌道敷跡です。
今は遊歩道のような道になっています。




遊歩道の道で、途中で左に曲がらなければならなかったのですが、直進してしまいました。
地元の人で犬の散歩に来ていた人に聞き、戻りました。
この道が旧東海道です。


九条山 車石広場

(16:25)
ポケットパークのようになっている場所です。
通過した時は気が着かなかったのですが、かつて牛車が往来していた時の状態を再現です。



蹴上浄水場

日ノ岡峠を降りてきて、蹴上浄水場の横へ来ました。



白川橋

(16:49)
白川に架かる白川橋の上から西を眺めています。
ゴールまで、もう少し。




三条大橋まで来ました。


三条大橋

(17:02)
ゴールです。
三条大橋の上で男性に頼み、シャッターを押して貰いました。
この後、地下鉄の駅で下に降りました。


この後、地下鉄東西線で山科駅に向かいました。京都駅から乗車するとなると、烏丸線に乗り換えなくてはなりません。それでは時間が掛かると思い、山科駅に向かおうと考えました。三条京阪駅を13分に出る列車に乗れました。そして36分発の長浜行きの新快速にに乗車できました。





今日のBefoe  After。
距離にして、35キロ近い距離を歩きました。
右側は撮影するのを忘れていて、地下鉄の車内で撮影しました。





いろいろのスミレ

歩いていて、何箇所もスミレを見かけました。
左上(08:54) 右上(09:09)
左下(10:51) 右下(11:27)
色々のスミレが見れました。こう言うのも、街道歩きの面白さです。

感想
今回、歩いた区間の中で大津市がとても長く感じました。瀬田の唐橋よりも東が大津市であり、京都の山科と接する所までも大津市でした。イメージ的に逢坂山の関の跡まで位が大津市だと思っていたのです。北部は合併で広くなっています。大津市が大きいと感じました。
6回目の街道歩きで京都に到達できました。良く頑張ったと思います。




今日の経費

JR那加駅からJR守山駅まで JR山科駅からJR那加駅まで 青春18キップ使用 2,370円
お赤飯 150円
お弁当 429円
アイスクリーム   152円

          合 計 3,101円

 

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kオジサンの中山道旅日記  その5  

2018-03-28 23:52:14 | Kオジサンの中山道旅日記 

3月28日(水) 晴 近江鉄道豊郷駅からJR守山駅
第5回で前回の続きです。近江鉄道豊郷駅から愛知川宿、武佐宿、野洲を経てJR守山駅までを歩きました。

街道を歩いていて、春の訪れを感じました。
普通、桜前線は南から北に進むものですが、標高などに寄り、開花時期が異なるのでしょう。まだ、つぼみが膨らんだ状態の桜。つぼみの先がピンクになり、今にも開花しそうな桜。そして開花している桜。色々の桜を愛でることが出来ました。こう言うことは街道歩きの面白さです。
歩いていて、知った事が有ります。今回歩いた部分に愛知川、日野川、野洲川と比較的大きな川がありました。その中で愛知川が無賃橋となっていました。と言うことは日野川、野洲川では通行賃や渡し賃を払ったのででしよう。
また、路傍で石の塊を見かけました。恐らく行路病死した人の墓なのでしょう。名も何も刻まれていません。旅をするのは命懸けではなかったか。そんな事を想像しました。


近江歴史回廊 宿駅散策 近江中山道中絵巻①②より引用しました。

近江鉄道豊郷駅  ― 伊藤忠兵衛旧邸跡  ― 又十屋敷  ― 愛知川宿ポケットパーク ― 
愛知川宿本陣跡 ― 八幡神社 ― 明治天皇御聖蹟  ― 御幸橋 ― てんびんの里石碑
 ― コメダ珈琲五個荘店  ―  五個荘ポケットパーク ― 明治天皇北町屋小休所の碑 ― 
石塚の一里塚跡  ― 中山道モニュメント  ―  清水鼻の名水  ― 奥石神社  ― 泡子地蔵尊遺跡
 ― 西生来一里塚跡 ― 武佐宿脇本陣跡 ― 武佐宿本陣跡  ― 近江鉄道武佐駅 ― 伊庭家跡
 ― 横関橋 ― 道の駅 竜王かがみの里 ― 外和木の標 ― 野洲川橋 ― JR守山駅  



(08:18)
JR彦根駅で下車して近江鉄道の彦根駅へ来ました。
既に電車が入線して停まっています。
この電車24分発の八日市行きです。




もう直ぐ豊郷駅です。
高宮駅辺りまでは通勤客が居たのですが、みんな下車して車内はガラガラになりました。
昼間は1時間に1本しか有りません。
この車内の状態なら、1時間に1本は仕方が無いです。



(08:54)
豊郷駅で下車しました。
この駅で下車したのは私だけでした。
駅がコミニティハウスとなっていますが、閑散としています。



伊藤忠兵衛旧邸跡

伊藤忠の創業者。伊藤忠兵衛旧邸跡です。
立派な石碑が有ります。
この跡地。くれなゐ園と言う石柱が立っていました。





(09:01)
歩き始め。
豊郷地内を歩きます。



又十屋敷

(09:13)
この場所。表には一里塚の石柱が有ります。
豊会館・又十屋敷となっています。
残念ながら休館日でした。
説明板には北前船で財を成したと書いて有りました。



江州音頭発祥地です。
説明の石碑には盆踊りで扇を持って踊ると書いて有ります。
由来には天正と言う年号が入っていました。




(09:19)
宇曽川の東の桜です。
蕾の先がピンクになり、もう直ぐ開花です。






宇曽川を渡り、愛荘町に入りました。
愛荘町の沓掛と言うところを歩いています。

手元の資料の地図。
愛知川町となっています。調べたら秦荘町と愛知川町が一緒となり、愛荘町が出来ています。



(09:41)
この先が愛知川宿です。
東の入口で木戸が設けて有ります。
宿場内の道は舗装の色が異なります。




愛知川宿ポケットパーク

ポケットパークが整備して有ります。
瓦の乗った土塀が有り、立派な公園です。



愛知川宿本陣跡

(09:50)
この建物。
化粧直しをして綺麗な建物となっています。
この建物の右側に本陣跡の札が立っていましたので、この建物が本陣跡ではないのかもしれません。
右の建物は日本生命でした。





愛知川宿の中です。
向こうに見えるのが竹平楼と言う料理屋さん。
明治11年に、明治天皇が北陸巡行の際に立ち寄ったと書かれていました。


明治天皇御聖蹟

(09:54)
明治天皇が立ち寄った時の事を現す石柱です。
竹平楼の一角にあります。
竹平楼の玄関には対の提灯が下がっていましたが、中山道恵智川宿と言う字で書かれていました。




(09:56)
愛知川宿の西の入口まで来ました。
橋の名は不飲川橋と現しています。この川。彦根の方へ向かって流れて行きます。
橋のたもとの桜は、チラチラと咲き始めています。
ライトアップの照明の準備が済んでいます。






国道8号線に出ました。
中山道から国道8号線に出たのですが、道路の反対側に一里塚跡が有ったようですが、見落としてしまいました。




愛知川堤防の脇。
こんな説明板が設置して有りました。
恵智川の字を使っています。
かつては無賃の橋だったようです。




御幸橋

(10:04)
愛知川の御幸橋を渡ります。




御幸橋の上から上流を眺めました。
のぞみか、ひかりか。
下りの新幹線列車が西に向かって走って行きます。
手前の鉄橋は近江鉄道の鉄橋です。




てんびんの里石碑

右が国道8号線。左が中山道です。
ここで左右に別れ、分岐点に「てんびんの里」の石碑が立っています。
横断歩道橋の表示が東近江市五個荘町となっています。五個荘町は近江商人を多数送り出した町です。
てんびん竿を担ぎ、行商を行いました。


コメダ珈琲五個荘店

(10:17)
小腹が空いた。
今ならモーニングに間にあう。
それで、コメダ珈琲に入りました。



(10:37)
五個荘中央公園の横を流れる川。
川沿いに桜並木になっています。
桜の花がチラチラと咲き出しています。




今日のKオジサンの後ろ姿です。


五個荘ポケットパーク

(10:48)
大きな絵図です。
右下に中仙道分間延絵図となっていて、文化3年に江戸幕府が作成した街道絵図となっています。
小幡村とか北之庄村と詳細に書かれています。





五個荘町の北町屋地内を歩きます。





(11:01)
京町屋風の商家。
北町屋町が購入して保存していると書いて有ります。





茅葺きの家屋。
街道筋らしさが有ります。



石塚の一里塚跡

(11:11)
石塚の一里塚跡。
この一里塚の手前で民家の庭に桜に似た花が満開状態でした。
その家の人に聞きましたら、スモモの花だと教えてくれました。
私の姿を見て、中山道を歩いている人だと思い、一里塚がその先に有ると教えてくれました。




中山道モニュメント

てんびんの里のモニュメント。
五個荘の西の入口に設置して有ります。
近江使用人がてんびんを担いでいる姿です。



清水鼻の名水

(11:19)
名水の説明板。
「五個荘地区まちづくり協議会」の字が見えます。
このように説明板を設置し、取り組んでいるのでしょう。



国道8号線を横切って東老蘇地区に入ってきました。





民家のジンチョウゲ。
芳香を放っていました。




(11:52)
東老蘇地区、街道らしい道です。



泡子地蔵尊遺跡

水路の横に泡子地蔵尊遺跡の碑が有ります。






泡子地蔵尊のいわれがあります。


西生来一里塚跡

(12:24)
西生来一里塚跡の石柱が設置して有ります。


武佐宿脇本陣跡

武佐宿脇本陣跡です。
この脇本陣の手前に牟佐神社が有りましたので、武佐宿に入って来たと感じていました。
奥の建物は武佐町会館となっています。




(12:41)
いっぷく処 綿屋の壁。
武佐宿を紹介するプレートを掲げています。
額の中の絵にゾウが描かれています。
このゾウは享保13年に江戸へ向かった時のものです。



武佐宿本陣跡

武佐宿本陣跡。
しっかりした門構え。風格が有ります。



近江鉄道武佐駅

(12:49)
武佐駅へ来ると電車が停まっていました。
12時49分発の八日市行きが発車して行きました。


伊庭家跡

伊庭家跡です。配置図から広い邸宅だったと想像できます。
説明板には伊庭貞剛邸と有ります。
幕末期には京都御所警備隊士として活躍した後、裁判所に勤めた。
そして、別子銅山の精錬所の移転に尽力したと有ります。
80歳で生涯を終え、西宿の地に眠ると有ります。この場所が西宿町ですので、この一角にお墓かが有るのでしょう。
右が若宮神社です。横の桜は5分咲き程度でしょうか。




(13:22)
千僧供町に来ました。小公園の場所です。
住蓮坊首洗いの池です。
桜。5~6分程でしょうか。




(13:42)
近江八幡市の東横関町へ来ました。
反対方向から歩いて来た人が居ました。
どちらからと言葉を交わしましたら、西横関から歩き始めて近江八幡まで歩くと言っていました。




(13:46)
立て続けに反対方向から歩いて来た人に会いました。
この人は武佐宿までを歩くと言っていました。




(13:53)
前方は日野川の堤防です。
説明板が見えます。




武佐宿の説明板が設けて有りますが、ここは渡し場跡です。
石碑が有ったか、見かけませんでした。
当時はここで渡し舟で対岸に渡っていました。浮世絵から、この場所が渡し場だったと想像できますが、石碑などの表示が欲しいところです。
それにここから左に迂回して横関橋を渡る事となります。
そんな指示標識が有ればと思いました。





日野川の堤防です。
右は竹ヤブで左は桜の並木です。
ここの桜。
蕾が固く咲き出す気配が有りません。




(13:59)
日野川を渡ります。
横関橋の上から下流方面を望みました。






中山道が、国道8号線と重複区間となりました。
道路の端を歩きますが、車がビュンビュン走り、喧しかったです。



道の駅 竜王かがみの

(14:41)
「道の駅 竜王かがみの」に寄りました。
ここで一休みしました。
ここに来る途中、「鏡の里」で旅籠だった事を現す立て札が何軒か有りました。
「鏡の里」は間(アイ)の宿なのかも知れないです。


(15:00)
国道8号線の横に池が有ります。
地図には東池となっています。
池越しに三上山が見えます。三上山で別名近江富士と呼ばれている山です。




(16:01)
ここの桜。ほぼ満開です。
後ろの建物は野洲小学校の校舎です。
桜の下に説明板があり、「中山道・外和木の標」の分が書いて有りました。


野洲川橋

野洲川に架かる野洲川橋を渡ります。




(16:22)
野洲川橋の上から左後ろを振り返りました。
三上山が見えます。
円錐形をした山です。


JR守山駅

(16:46)
守山駅に来ました。
脚は大丈夫なのですが、脚の裏が痛くなりました。
それに、時間が17時近くとなったので、ここでリタイヤする事にしました。
本当は、草津宿まで行こうと思っていました。





いきいき情報と通常情報を比較できませんが、4万歩を超える歩数で、30キロを上回る距離を歩きました。





 感想
8時間近い時間で、30キロ余りを歩きました。時速にすると4キロほどなのでしよう。早く歩くと見落としてしまうモノが有ります。伊藤忠兵衛旧宅は閉じていましたし、又十屋敷は休館日でした。このような場所をゆっくりと訪ねたいと思います。


今日の経費
JR那加駅からJR彦根駅まで 1,140円
近江鉄道彦根駅から近江鉄道豊郷駅 450円
コメダ珈琲  400円
お握り 198円
アイスクリーム   198円
JR守山駅からJR那加駅まで 1,660円
          合 計 4,046円

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