Kオジサンの新・山歩きの記


山歩き&ウオーキングのサイト

山が好き 花が好き 自然が好き!!

中山道 鳥居峠越え  (1,197m) 

2016-10-13 23:52:59 | 山遊すずらん会

山遊すずらん会の10月例会で中山道の鳥居峠を歩きました。薮原駅でバスから下車して中山道を辿り鳥居峠に向かいました。鳥居峠はその名の通り、峠に鳥居が有って鳥居峠と呼ばれています。御嶽山の遥拝所が有りました。峠からは鎮神社を目指して下りました。奈良井宿内は自由行動となりました。奈良井の宿場の中をブラブラと歩き、指定された定刻までに奈良井駅に到達すると言うものでした。
峠越えで昔の旅人気分を味わうことが出来、宿場町では土産物屋の中を覗き込んだり出来ました。昔の旅人気分を味わえたと書きましたが、現実、江戸時代の旅は峠越えで苦労したことだと想像します。



木祖村観光協会からいただきましたコースガイドです。
今回、下の薮原駅から上の奈良井駅まで歩きました。
途中、鳥居峠を越えました。
下へ向かうのが木曽川で太平洋へ流れます。上に向かうのが奈良井川で、その先が犀川になりそして千曲川となり、日本海へ注ぎます。
という事は、この峠は分水嶺だという事になります。



中央高速を北に向かって走っています。
前方の山々。南アルプスです。
バスは伊那インターで降り、薮原駅を目指します。




これから入るトンネルが権兵衛トンネルです。このトンネルが出来て木曽谷と伊那谷の行き来が便利になりました。
トンネルの長さが4キロ余り。少し長く感じる長さでした。




薮原駅に到着です。
歩く仕度をして、歩き始めます。
バスは、この後奈良井宿の駐車場に向かいました。



ウオーキングのスタートです。




中央線の線路の下をくぐりぬけ、中山道に出ました。




中山道を北に向かいます。




薮原宿の高札場跡です。
ここに標柱がなかったら高札場跡だとは判りません。




お六櫛の店と漆器の店です。
このような店が並んでいると宿場町らしさを感じますが、店の前を通る人がいません。
平日だから仕方がないのかもしれません。




薮原宿の中を通過します。




薮原宿のハズレまで来ました。
中央線の跨線橋を渡ります。




御鷹匠役所跡です。
この木曽地方は尾張藩の領地でした。ですから頭に尾州の文字がついています。




カラマツ林の中を歩きます。
葉の色が変わってきています。





真っ直ぐ進んで来なければならない道を右のアスファルト道で歩いてしまいました。
本来なら、右側の写真の中央に写っている石畳を歩いてこなければなりませんでした。
折角、石畳が有って旧街道らしい雰囲気のコースですが、外してしまいました。
何やら、損した気分です。



鳥居峠の説明板が設置して有りました。
これから先、いよいよ本格的な登り坂になるところです。
ここで小休止しました。
熊除けの鐘が有り、先に進むのに、鳴らしてから進みました。





秋の穏やかな光が差します。




九十九折れの登り坂を進んでいきます。




赤い木の実。
何の実か判りませんが、見つけました。




あずま屋の所まで上ってきました。
下に薮原の街が広がります。




円山公園に来ました。
ここで昼食にします。





義仲硯水です。
左側の石碑。中山道。義仲硯水と刻まれて居ますが、読み難いです。




石碑を読んでいます。
右は木祖村史跡鳥居峠と刻まれています。




昼食を終え、再び歩き始めました。




御嶽神社の鳥居です。
石の鳥居ですが、真ん中で折れていて、危険でして立ち入らないようにロープが張って有りました。
この鳥居から鳥居峠と言われるようになりました。





高度を稼ぎましたので、水平に歩くような感じがします。




ミンナが集まっています。
栃の木の群生地で栃の大木が並んでいます。
その内の1本。「子産の栃」と言う、栃の巨木が有ります。
栃に大きな穴が開いていて、その穴に捨て子が有り、連れて帰ったら幸福になったと書かれています。




峰の茶屋まで歩いてきました。




峠からは、下り坂と成りました。




坂道を下って行きます。





橋を渡るところも有りました。





光が差す良い雰囲気の所を進んでいきます。
足元は石畳になっています。




峠から下ってきました。




鎮神社まで来ました。
ここで全員写真を撮って、解散です。




神社で解散しました。
ここから自由歩行です。




宿場町の中を歩きます。




店の品。
チラッと目をやりました。




奈良井宿民芸会館。
麺類を食べる朱鷺うにヒノキの漆箸を買いました。





団体がガイドに引率されてやつて来ました。
今まで静かだった宿場町が賑やかになりました。




団体が居ませんと、落ち着いた雰囲気です。




吊るしモノ。
色々のモノが下がっています。
こう言うモノを眺めるだけでも面白いです。





こちらは笠です。
それに店先に並んでいた笠です。漢字が書いてありますが、日本製だろうか。




奈良井宿。




落ち着いた雰囲気です。




道がカーブしていきます。
この先は奈良井駅になります。




奈良井駅に着きました。




駅の改札口です。
次の列車は14時09分と表示しています。




普通列車しか停車しません。
1日に12本。
8時41分に乗り遅れると11時20分まで列車が有りません。
特急は何本も走っていますが、普通列車は極端に少ないです。




女性職員。
乗車券の販売から観光案内まで、いってに引き受けています。
向こう側に預かったスーツケースが見えます。
手荷物を預けて、街の散策に出かけたのでしょう。
普通列車しか停車しない駅ですが、朝1本。夕1本と言うように特急列車が停まれば観光客が少しは増加するかも知れません。




14時9分発の木曽福島行きが発車して行きました。
中津川へ普通列車で向かうとなると、15時19分まで待たなければなりません。
こうして、列車の運行状況を見ますと、とても不便です。




帰路は国道19号線を走りました。
後ろから「しなの16号」が抜いていきます。


今回、中山道を歩き鳥居峠を越えるというコースを歩きました。このコースはさわやかウオーキングで歩きましたし、木曽11宿ウォークでも歩きました。
何時歩いても、良いコースだと思います。




コメント (2)

旧北陸本線廃線跡 明治時代の近代化遺産めぐりウォーク

2016-10-09 23:54:37 | ウオーキング

「重連」とか「補機」、そして「スイッチバック」。こんな言葉の意味、判りますか。この言葉の意味が判る人は相当な鉄道マニアだと思います。
クラブツーリズムのウオーキングで、廃線となった北陸本線を歩くウオーキングツアーの募集が有りました。バスで向かうツアーの良いところはスタート地点で降ろして貰え、ゴール地点で拾って貰える事です。後になって知った事ですが、この企画は関西地区と共催でして大阪や京都。神戸からも来ていました。添乗員が話していましたが、全部で96台のバスで、総参加者が900人だと言っていました。
明治の時代のトンネルです。トンネルの建設に苦労しただろという思いと、完成してからの列車の運行ですが、急勾配を列車が走るのですが、列車の運行も相当苦労したのだろうと想像しました。


尾張一宮からのツアーに参加しました。実は岐阜、穂積、大垣と言うコースを申し込みましたが、早々に催行中止が決定しました。仕方なく、尾張一宮で乗るコースに申し込みました。
バスには4番の番号が付いています。帰りに乗るバスで間違えないようにと言う印です。
他に豊橋や名古屋などから来ていました。



北陸自動車道の杉津パーキングエリアに着きました。
皆さん、ウオーキングの仕度をして歩き始めました。




杉津パーキングの展望台です。
急いで歩き出す必要は無いので、展望台から敦賀湾の眺を楽しみました。




北陸自動車道の下り線。杉津パーキングは高い場所にあります。
ウオーキングの始まりは、坂を下って行く所からの開始となります。



前方のガードは北陸自動車道の上り線です。
ここで、弁当の引換券を渡し、弁当を受け取りました。
車の停まっている所が弁当の引き換え場所でした。
雨が降っても、開催されたツアーですので、雨の場合を想定して、ここで配布するように企画したのでしょう。




鶴文と言う弁当屋さんです。




天気予報で福井県を紹介する場合に嶺南地方、嶺北地方という言い方をします。今日、歩く山々の場所が境界となっています。そういう言い方をする事は知っていましたが、男性から教えて貰ったのは敦賀は旧国名で言うと若狭で無く、越前なのだそうです。それで、敦賀市と南越前町との境界の山塊を境にして嶺北と嶺南の呼び方でした。
旧国名で区分できなく、山々を境にしている事が判りました。
弁当を受け取って歩き出します。弁当を受け取っただけなのですが、言葉をやり取りできる事が嬉しいです。
それに知識が1つ増えました。

左の写真。ロードサインが写っていますが、この道が旧北陸線の線路だった道です。
この辺りに旧杉津駅が有りました。
当時、列車に乗ろうと思うと、下から登り道を上って来なくてはなりませんでした。
苦労したことと思います。



線路跡の道です。
この辺りは、まだ勾配はキツく有りません。




野の花。
ツリフネソウが咲いています。
他にママコノシリヌグイではないかと思う花が咲いていました。




駿河湾の眺望です。
旧線路沿いには木が繫り、眺望は良く有りませんでしたが、この辺りだけは視界が広がりました。




いよいよ、連続するトンネルが始まります。
まず、1番目は第一観音寺隧道です。




トンネル内部。
下の側壁の部分は石・布積みで、上のアーチは煉瓦・長手積みです。
文化財のプレートが埋め込まれています。



トンネル内には、弱い照明が利ました。




第一観音寺隧道の外に出ます。




トンネルの外です。
先ほど貰った弁当を食べ始めている人が居ます。
荷として持つよりも、腹に収めてしまえばと言うつもりなのでしょう。
時間は11時49分です。昼食を食べても可笑しくない時間です。
私は、ここで弁当を食べるつもりは無かったので、眺望を気にしませんでしたが、海側を向いて食べて居ますので、海が臨めたのかも知れません。



2番目のトンネル。
第二観音寺隧道です。



今日のKオジサンの後ろ姿。
これからトンネルに入ります。




第二観音寺隧道からでます。
次のトンネル。曲谷隧道が見えます。




曲谷隧道に入ります。
アーチの上部に証明があり、トンネル内がカーブしている事が判ります





曲谷隧道の内部は第一観音寺隧道と同じように、下の側壁が石・布積みで、上のアーチは煉瓦・長手積みとなっています。





曲谷隧道の内から外を眺めます。
前方に次のトンネル。芦谷隧道が見えます。




曲谷隧道から出ます。



左側の視界が広がる場所に出ました。
敦賀湾が良く見えます。
下からか対岸からか。
「我は海の子~、しーら波の~、さーわぐ磯辺の松原に~・・・・・。
煙たなびく~・・・・・。」
正午のチャイムが聞こえました。
トンネルを出たときにチャイムが鳴ったのはラッキーでした。トンネル内でしたら判りませんでした。

歩いていて、左側の木が繫り眺望が良いとは言えない状況でした。
でもこの場所は眺望が利きました。
恐らく、当時の列車からもこの景色が望めた事と思います。




芦谷隧道に入ります。
トンネルの先に次の伊良谷隧道が見えます。



芦谷隧道の内部です。
こちらのトンネルは側壁がイギリス積み。アーチは長手積みになっています。




トンネルの内壁は傷んでいます。
雨が続いた影響からか、煉瓦の割れ目から水が滴り落ちています。
この水の落ち方。小便小僧のオシッコを想像してしまいました。




伊良谷隧道に入ります。
伊良谷隧道は中でカーブしていて、先が見通せません。そのため入口に信号がもうけて有ります。待ち時間は3分だそうです。




伊良谷隧道の内部です。
痛みが来ているのでしょう。
鉄板を巻き上げています。




最後のトンネル。
山中隧道に入ります。
この山中隧道は、歩いたウチで一番長いトンネルです。





山中隧道の内部です。
ケーブル線を架けたのでしょう。
壁にフックが残っています。




避難所ですが、大きな待避所です。
保線区で使う、あの自転車式の乗り物。
線路保守の時に、ここに待避させたのでしょう。歩いたトンネルの中で一番長いトンネルです。このような待避所が3箇所ほど有りました。




山中隧道の外に出てきました。
南越前町のキャラクター。
タッピーくん&はす坊が出口で待っていてくれます。




ここは山中信号所です。
スイッチバックで待避線となっています。




待避線のトンネルです。機関車が頭を突っ込んだ形で急行や準急の通過を待ったのでしょう。
行き止まりとなっています。
白い柱が立っていますが、信号のポールだと思います。




説明板が有りまして、その中に買っての写真が載っています。




山中信号所で昼食を取りました。
先ほど渡された弁当です。
着いているのは、今庄茶飯で豆が入っています。




山中信号所。
テーブルを出していますが、あの場所でそば茶1杯。そば煎餅を1枚いただきました。
沢山の人がいましたが、出発して行き少ない人となりました。
私もこれから出発します。




先へ進んでいきます。
明らかな下り坂です。




山中隧道を出たときから谷間に反響する汽笛が聞こえました。
姿は見えなかったのですが、汽車が有るのかと思ってしまいました。
実際は、トラックに汽笛を着けたものでした。
「ボー」と言う汽笛。
私も吹鳴を体験しました。
構造的にはコンプレッサーからエアーを送り、鳴らしているものでした。




待避線跡地です。
ここではボランティアガイドから説明を聞いています。




山中信号場の待避線跡地です。




トンネルの煉瓦は四日市から運んだのだそうです。今日のように物資を運ぶ事に恵まれた時代では有りません。煉瓦を下から背負ってあげたのだそうです。
蒸気機関車を運行するのですが、粗悪な石炭が多い時代でしたが、少しでも効率よくボイラーを焚く事を求められたそうです。機関車のパワーは求められるは、石炭は少量でと言う注文。しかも、釜焚では煙との苦闘です。
そんな、場面を想像できます。





信号所の説明板です。
スイッチバックの構造を説明しています。
ガイドが言っていましたのは、待避線は水平でないと列車が動いていってしまう。
だから水平にして有ったのだそうです。




信号所の説明板です。
スイッチバックで、かつての風景の写真が掲示してあります。




信号所から先に進みます。
左が待避線で水平な線路です。
右は本線で、下って行きます。




信号所から何百メートル来ただろうか。
右が本線で左が待避線です。




道はカーブを描いて下って行きます。
前方の建物は北陸新幹線の工事現場です。




北陸新幹線のトンネルを掘削していて、内部を覗かしてくれました。




進路が下って行く事が、ハッキリと判ります。
この旧北陸線の廃線跡は1000分の25の勾配です。
機関車が喘ぎ喘ぎ登ってく姿が想像できます。
車輪の空回り。砂を使ったのでしょう。




歩いていて、後ろを振り返りました。
カーブの坂道です。




先に進むと、平坦に近いようなところです。




道は左にカーブしていきます。
先にバスが見えます。
あの場所が旧大桐駅跡です。




旧大桐駅跡まで歩いてきました。
バスが待っています。




大桐駅のプラットホームが有った所です。
ここでも、ガイドボランティアが説明してくれています。



大桐駅の説明板です。
かつての姿。
列車が入線してきています。
DF50が先頭で、後ろのSLが白煙を上げているように見えます。




ここから今庄まではバスに乗ります。
自分たちが乗ってきたバスでなく、どのバスでも構いません。
次から次えと来たバスに乗車して今庄へ向かいます。




バスに乗りました。
右ですが、南今庄の駅が見えるトコに来ました。




今庄総合事務所の駐車場です。
ここへ96台のバスが結集します。
次々にバスが入って来ました。
バスの出発時間は16時となっています。
ここから、「宿の市」の所に向かいました。




クラブツーリズムから渡された地域振興券です。

今回のウオーキング。クラブツーリズムと南越路町がタイアップしていました。
ウオーキングを終えた後、「宿の市」をウォーカーが廻るように仕組まれていました。市で買い物をする訳ですが、200円だけの買い物でなく、200円を上回った金を使います。ウォーカーにお金を使わせる。
上手い企画だと思います。




総合事務所の一角にD51が保存展示して有ります。




この写真は綺麗に映っていますが、本体は埃を被り汚れていました。
それに、盗難除けか、ランプが取ってあります。
それに、ボイラー室を開ける丸いハンドル。盗られたのか、無くなっています。




「宿の市」の方へ歩いていきます。
「しらさぎ」なのか「サンダーバード」なのか、特急が通過して行きました。



左は今庄駅です。
右は石炭置き場と給水塔です。鉄道施設に興味の目を向けないと、知らずに過ぎ去ってしまいます。
この写真を撮った時、ある男性も気づいていましてカメラに収めていました。
朽ちるに任せるのでなく、鉄道遺産として、保護して貰いたいものです。




今庄宿のパンフです。



「宿の市」のポスターです。
ウォーカーで賑わいましたが、ウォーカーが居なかったら寂しいものになります。




幟旗が経っている所で「宿の市」が行われています。




テントの下で色々のモノが売られています。
皆さん、買い物しています。
地域振興券を使っているのでしょう。




昭和会館の外観と会館の3階内部です。
3階には北陸本線の廃線となったトンネルの紹介やかつての今庄、敦賀間の状況が紹介して有りました。



館内に何枚も、北陸線の旧線時代の写真が掲示した有りました。
左は客車を補機が後押しをしています。
右はディーゼル機関車の後ろに蒸気機関車が着いています。勾配のキツイ区間での運行。苦労したことと思います。




廃線跡のトンネル群を紹介しています。




「宿の市」の会場で打ち豆汁のお振舞いです。
打ち豆汁は郷土食だと書かれています。
味噌汁の中に大豆が入っていましたが、乾燥した大豆のように感じました。
素朴な味でした。




広場のような所で羽根曽踊りが踊られています。
今回の企画のために特別披露です。




バスが集結している所に戻ります。
戻る時間でも、到着して来るバスが有りました。

別の場所でご夫婦に聞きましたら、京都から来たと話してくれました。
来る時に渋滞に巻き込まれたのだそうです。
ご夫婦は12時頃から歩き初めたと言ってました。
名古屋組である、私たちは11時10分頃から歩き始めました。
京都組は50分遅れです。私がバスの集結場に戻る時に到着した組は、スタートがもっと遅かったのでしょう。「宿の市」での買い物時間がなくなってしまったのではないかと思いました。




感想
かつて北陸トンネル群の難所だった所を歩きました。6箇所の隧道を潜り抜けましたが、往時を想像しながら歩きました。急な勾配のトンネルです。列車の運行に難儀した事だろうと思えました。
ボランティアガイドの説明が良かったです。
まだ、鉄道が完成していない時期の事です。煉瓦を運ぶのに相当苦労しただろうと思いました。ボランティアが語ってくれたのは杉津駅などは下から背負って、高い線路の場所まで運び上げたとのことでした。釜焚きで、質の悪い石炭で列車を運行させる。蒸気のパワーは上がらないわ、石炭は沢山費やすわ。苦闘の連続だったのでしょうこのような、ナマの話しがボランティアから聞けた事が良かったです。
汽笛を鳴らす体験も、面白かったです。
鉄道史の一部を見た。そんな気がしました。
ウィッキ・ペディアに旧北陸トンネル群が紹介されて居ます。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A7%E5%8C%97%E9%99%B8%E7%B7%9A%E3%83%88%E3%83%B3%E3%83%8D%E3%83%AB%E7%BE%A4




余禄
北陸トンネルは昭和37年6月10日に開通しました。開通にあわせて、記念切手が発行されました。当時、中学生だった私は郵便局の入口の列に並んで切手を買いました。


この切手、乗務員用の扉が描かれていないとか、電化が完成したのに、何故ディーゼルカーなのだという声が有ったようです。
それに北陸トンネルでは大きな列車火災が発生しています。
昭和47年11月6日の事でした。

コメント (2)

一宮友歩会・第64回ウォーク例会 河川探訪シリーズ・新川編Part1 中川区、大治町、清須市、西区を歩く

2016-10-01 23:54:57 | 一宮友歩会

一宮友歩会の10月例会に参加しました。
今回は河川探訪シリーズで新川を歩くものでした。近鉄伏屋駅を出て伏屋公園に向かいました。この公園で出発式です。初めは新川の堤防を歩き、その後に赤星神社や行雲寺を廻りました。一部、佐屋街道を歩きました。河川探訪シリーズです。庄内川の堤防を歩いたりする箇所も有りましたが、多くは新川沿いを歩きました。開削記念碑や新川堤防が決壊した場所の近くに有るあし原公園を廻り、最後は名鉄の上小田井駅にゴールしました。
川の開削で出来た新しい川で、新川と名付けられました。そんな川の歴史を学ぶ事が出来ました。
近鉄伏屋駅 → 伏屋公園 → 正明寺 → 嶋井公園 → 赤星神社 → 行運寺 → 自性院 → 
八屋孝女塚 → 庄内川河川敷グランド → 開削記念碑 → 清須市役所 →  宮前公園 → 
あし原公園 → 平田橋殉職記念碑 → 名鉄上小田井駅
この日の参加者は30名だったそうです。朝の内、生憎の空模様でしたので、参加を躊躇した人がいたのかもしれません。公式には15キロの距離となっていますが、恐らくそれ以上の距離が有ったと思います。全員が完歩しました。



第64回例会のコース地図です。
http://www.geocities.jp/jk2unj/datagazou/64map.pdf
名古屋市中川区から名古屋市西区まで新川沿いを歩きました。



伏屋公園です。
出発式。そして体操をしています。




歩き始めました。
前方に見えるのが新川の堤防です。



新川の上流に向かって歩き出しました。
堤防上で後ろを振り返ります。
近鉄の電車が鉄橋を渡っていきます。
この辺り、川幅が広いです。
前日までの雨で水量が多くなっています。




関西線の踏み切りに差し掛かりました。
踏切りの警報機が鳴り出したところです。
鉄道の写真を撮る人たちが居ました。



私たちの前を上りのワイドビュー南紀2号が通過して行きます。
速いスピードで走る特急列車。アッと言う間でした。
三脚を使って撮影している人達。この列車の姿を収めていましたす。



堤防のヒガンバナは今が盛りです。
前日の雨が花に露として乗っています。




新川を渡ります。
長松橋のプレートが着いていました。





最初に寄ったお寺は正明寺です。




国道302号線の歩道橋を渡ります。
道路の先には千音寺の名古屋西JCTが見えます。




嶋井公園まで来ました。
ここで休憩です。
下見の時。高齢者のグループが、ここでグランドゴルフをやっていました。





赤星神社に着きました。





赤星神社の由来について、Mさんから説明です。
赤星神社は星をお祀りしているのだそうです。
神社にお祀りしてあるご神体で、隕石の場合が多いそうですが、こちらの神社はそのような事はないそうでした。





赤星神社の横の千音寺スミレ保育園です。
運動会をやっていました。
親さんはカメラを構えて居ます。





千音寺地区を歩いていて、市場之割。南之割。それに中ノ割と言う自治会の掲示板を見かけました。その横にはお堂が有りました。この辺りは冨田荘であり、条里制の区割りからこのような地名が残っているのだそうです。




行運寺に来ました。
入口左側の掲示ケースの中に面白い事が書いて有りました。




閉籠門の額が有り、ミンナが見上げました。




名古屋市中川区と海部郡大治町の境界です。




佐屋街道を歩き始めました。
佐屋街道は東海道の七里の渡しのバイパス的な道です。
設置してから時間が経つのでしょう。路面のプレートが読み難くなっています。




こちらは街道に面した場所で高札場跡の標識が立っています。
街道らしい姿をした道です。





自性院に来ました。
ここからは佐屋街道から分かれて北に向かいます。





自性院でYさんから説明を聞きます。




新川の橋を渡ります。
右は下流を眺めました。




歩いていて、見かけた柑橘類。
民家の塀から枝が出て実がなっていました。
ザボンではないかと言う声が聞こえました。




稲が実り、穂が垂れています。





このあたりの家々。
石垣が出来ていて、高台に有ります。
新川を開削した時に出た土の上に家を構えたのかも知れません。
少しでも高い場所に家を構えようとしたのでしょう。




前の方で立ち止まって居ます。





八屋孝女塚です。
2人の娘が孝養を尽くして亡くなり、村人が碑を建立したものです。





庄内川の堤防に上がります。



庄内川の堤防を歩きます。
河川敷を使ったゴルフ練習場が有ります。




庄内川河口より1キロのプレートが立っています。
堤防の上を歩くのは、右左の視界が広がり気分の良いものです。





黄色い管は大治浄水場から名古屋市へ水道水を送っている送水管です。
犬山から鍋屋上野浄水場へ送水していますが、こちらの水も名古屋市民の命の水です。
庄内川の堤防の向こうに名古屋駅前のビル群が見えます。
以前より、ビルの数が多くなってきています。
まだまだ、増えるのでしょう。




堤防に腰を下ろし、昼食の時間です。
広いグランド。
ここでは野球の練習をしていました。
胸に中京何とかと描かれていました。
中学生くらいの年代だと思いましたが、リトルリーグかも知れません。
前方の高層ビル群を眺めながらの昼食です。





トイレのために堤防下へ降りました。
ここは、野球の練習場になっており、簡易的なトイレを使わせて貰いました。




昼食の時間を終え、再び歩き始めました。




堤防から降りて川沿いの遊歩道を歩きます。
前方に煙突の有る清掃工場のような建物が見えます。
地図で調べましたら、名古屋市の五条川工場です。
名古屋市だけでなく、清須市や北名古屋市など名古屋市の北西部の街のゴミをいってに引き受けています。新川に五条川流れ込んでいます。五条川は入鹿池から流れ出し、犬山市、扶桑町、岩倉市を流れて来てあの場所で合流しています。





新川に架かる新川橋を渡ります。
この道は美濃路の一部です。



新川橋の上から新川の下流を眺めました。




開削記念碑で休憩です。





新川開削の説明です。




東海豪雨に寄る新川の決壊。





美濃路の歴史。




開削記念碑の有る場所はポケットパークのような場所になっています。
3枚の解説板が有りました。
ここでは、Yさんから新川開削の歴史の説明です。

尾張名古屋の北側を庄内川が流れて居ます。上流の矢田川が木材の乱伐に寄って、たびたび氾濫しました。
それに伴って庄内川も氾濫を繰り返しました。そんな状況を打開するため新しい川の開削が計画されました。庄内川のバイパス的な役目を果たす河川です。
開削を命じたのが徳川宗睦です。宗睦の少し先の殿様が徳川宗春です。宗治は将軍吉宗から倹約するように言われた人です。開削工事が何時ごろか判らなくても吉宗の享保の改革より、少し後の時代であっただろうと想像できます。




清須市役所に来ました。
市役所の庭に新川開鑿頌徳碑がありました。




ふれあい小橋を渡り、振り返ると清須市役所が見えました。




車の通行が多い道路から下に降ります。




宮前公園まで歩いてきました。



宮前公園の横に小場塚弁才天が有ります。
説明板を読んでいます。




宮前公園から再び堤防に上がり、歩きます。
前方に見えるのは名古屋高速6号清須線です。




あし原公園に寄りました。
この辺りは東海豪雨で堤防が決壊した所です。




ここでは、Yさんから東海豪雨の説明です。
平成12年9月の集中豪雨です。
秋雨前線を台風が刺激して、時間当たり90ミリの豪雨とか、豪雨の合計が600ミリ近くに及んだと話されました。
この集中豪雨は、それ程古いことでは有りません。
参加者の口から色々の記憶が語られました。




また、堤防に上がります。




堤防の上からチクノ祭りが見えました。
中小田井四丁目とあります。
祭りが終わったタイミングのようです。
ミンナで一致協力してやったお祭なのでしょう。
お疲れ様でした。




堤防を歩きます。
道の隅に彼岸花が見えます。
前方の道路は名古屋環状自動車道です。




平田橋を渡り、平田橋事件殉職記念碑へ来ました。
この記念碑は自由民権運動に伴って起きた事件で殉職した警察官を悼んで建立された記念碑です。




記念碑の前からと裏側を眺めいてるところです。
字が読み難くなっています。
自由民権運動と言っても集団で蜂起し、略奪に走る輩もいたのだそうです。2人の巡査の殉職。そして、この事件をきっかけに20名あまりが検挙されました。この一連の事件を名古屋事件と呼んでいます。




上小田井駅の近くまで歩いてきました。
ここで解散式と体操です。




解散となり、上小田井駅まで歩いてきました。


今回、殆ど新川の近くを歩きました。新川が開削された歴史。それに東海豪雨などを勉強できました。
充実したウオーキングでした。

一緒に歩いたMさんのホームページです。
http://www.geocities.jp/jk2unj/no64.htm





コメント