Kオジサンの新・山歩きの記

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西濃の山   池 田 山 (923.7m)   その後は池田温泉

2017-07-26 23:57:25 | 弐水会

弐水会で池田山へ行って来ました。もともとは、12日に行く計画でしたが、雨天のため26日の実施となりました。
暑い中、汗をかきかきの山行でした。


登る前。
ミーティングです。



指示標識。
池田の森は3.8kmですが、池田山への距離は消して有ります。
表示していた数字が違っていたのだろうか。



スタートしました。



動物除けの柵を通過します。









キノコを発見。
毒キノコに間違いないでしょう。




あずま屋が見える所まで登ってきました。
この段階、ヘロヘロになっていました。
暑さが堪えました。




あずま屋で休憩を取りました。
私はヘロヘロになっていました。
それで、このあずま屋で待っていようと思ったのです。
本隊は山頂を目指します。




あとから登って来たTさん。
Tさんは更に上を目指すと言っていました。
それで、私も同行しました。
どうせ、待つならハンググライダーのプラットホームがある場所が好いと思ったのです。




ハンググライダーのプラットホームへ来ました。
ここは展望台になっている場所です。




軽四で来た若い娘、二人。
建設会社の人達です。




この場所からの眺望を紹介した説明板。
公共施設のモノです。
落書きをしたりせず、大切にして貰いたいものです。




展望台からの眺望。
12時07分。




寛ぐ人達。
昼休み時間で休憩しているのでした。
この後、しばらくして去って行きました。



池田山の眺望。
13時13分。
1時間ほど経ったのですが、視界が良くなりました。
金華山や一宮の138タワー。東海環状自動車道の揖斐川に架かる橋が見えます。
1時間経っただけなのに眺望が良くなる。こんな事が有るのだと感心しました。



本体が展望台へ訪れました。
合流して下山します。




今日のKオジサンの後ろ姿です。




下山の途中、焼石神社に寄りました。




焼石神社の参道の階段です。




焼石神社の由来です。
Kオジサンの仮説ですが、焼石神社のご神体は隕石ではないかと推測します。
その昔、この地へ空から隕石が降ってきて・・・・・・。
そして、ご神体として信仰を集めるようなったのではと思います。




神社から下山を始めました。




登って来た時に休憩したあずま屋です。
ストックにヒルがへばりつきました。
左は点のような状態。
右は身体を延ばした時です。
シャクトリムシのような動き方をしました。

ヒル。休憩をしていて、みんなの注目を浴びました。



あずま屋を後にします。





獣よけの柵の場所まで下りてきました。
ここを通過し、閉めておきます。




もう直ぐ、登山口と言う所まで下山して来ました。




登山口です。
道路が見えます。





霞間ヶ渓の登山口です。
この左側にトイレが有りますが、新しいトイレの建築工事が進んでいます。
工期を9月29日までとしています。
秋には新しいトイレが使えるでしょう。



下山して来て、池田温泉に寄りました。
汗だらけの体が、温泉でサッパリできるので嬉しいです。

温泉に入るのでして、靴下を脱ぐと、右足のむこう脛の横。血が固まっていました。
ヒルにやられた跡でした。靴下の上から吸血したのでした。
痛みも痒みも感じませんでした。靴下を脱いだら血の傷跡を発見したのでして、「ヒエー」と言う感じがしました。
この時まで全く感じなかったのです。
もう1ケ所。左足のふくらはぎの横。こちらもやられていました。
こちらは右足程、酷くは有りませんでした。
それにしても、2箇所もです。ヤラレターと言う感じです。

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奥美濃の眺望の山  大日ヶ岳 (1,709.0m)  

2017-07-06 23:26:15 | かがみの山歩会

山歩会で奥美濃の大日ヶ岳に行ってきました。大日ヶ岳へは何回か登ったことが有ります。初夏の時期に登った記憶は有りません。梅雨の時期で、雨に降られたりする事もあるがと思いましたが、幸いにも、空を気にしなくても良い天気でした。



水源地の横の駐車場から出発しました。




登山道の入口です。
ここから山頂までが7キロとなっています。




隊列で登って行きます。




高圧線の鉄塔下まで登ってきました。




アップダウンが有りますが、比較的登り易いコースです。




「一ぷく平」に到着です。
ここで、いっぷくです。




今日のKオジサンの後ろ姿です。





高度が増してきて、ゴゼンタチバナを見かけました。




展望台まで登ってきました。
アノ先。山頂となります。




展望台からの眺望です。




山頂の手前。
急な登山道となっています。




もう直ぐ山頂。




山頂に到達です。




山頂からの眺望です。
眼下にひるが野サービスエリアが見えます。




昼食の時間を追えて下山を開始しました。




前方に登って来た道が見えます。
山頂の手前。
急な部分です。




白山方面です。
雲が邪魔していますし、枝も邪魔です。
視界が開けていたら、残雪の白山が望める事でしょう。





一ぷく平まで下山して来ました。




高圧鉄塔の下まで降りて来ました、




登山道のラスト部分です。




水源地の施設が見えます。




お疲れ様でした。

駐車場まで戻ってきました。




コメント (2)
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一宮友歩会 第69回ウォーク例会 史跡巡りシリーズ・名古屋編Part9 名古屋市中村区を歩く

2017-07-01 23:06:26 | 一宮友歩会

一宮友歩会の7月例会が開催されました。友歩会の例会は原則、偶数月の開催ですが、8月は暑い時期ですので、7月の開催となっています。今回は西区の名鉄栄生駅から近鉄烏森駅まで、中村区を歩くものでした。
今回のウオーキングでは、中村区の解説ボランティアグループ「中村まち歩きマイスター」の方々に案内をして貰いました。「中村まち歩きマイスター」は中村区を中心に解説しながら街の中を案内するボランティアグループです。中村公園の中村勘三郎記念碑や妙行寺、常泉寺。豊國神社など中村公園周辺の旧蹟を解説して貰いながら歩きました。
梅雨の最中で降水確率が80パーセントとなっていましたが予報がハズレ雨に降られずに歩くことができました。

栄生公園(スタート)(9:12)   ― 名鉄栄生駅(9:17)   ― 白山社(9:40)  ― 
大円寺(9:57~10:12)
  ― 中村公園(10:30~)   ― 大正天皇お手植えの松(10:36)  ― 
初代中村勘三郎生誕地記念碑 ― 
妙行寺(11:10~11:16)  ― 常泉寺(11:29)  ― 
中村公園(~12:29)  ― 日之宮神社(13:15)  
― 願成寺薬師堂(13:29~13:32)
    ― 才ノ神公園(14:08)  ― 近鉄烏森駅(ゴール) (14:20)  



http://www.geocities.jp/jk2unj/datagazou/69map.pdf
今回のコース地図です。栄生公園から烏森駅までのウォークです。
10kmとなっていますが、中村マイスターに案内されて中村公園の周辺を歩きましたので、13~14kmは有ると思います。

栄生公園

出発式の会場です。
栄生駅の南東。
駅の近くに広場が無いので、この栄生公園での出発式です。

名鉄栄生駅

公園から栄生駅の前まで戻って来ました。
ここからが本当のスタートです。



新幹線の高架の横を歩きます。





中村区栄生町の住居表示です。
西区栄生と隣り合わせです。でも、中村区は栄生町(サコチョウ)で、西区は栄生(サコウ)です。


白山社

白山社へ来ました。この白山社。
今日が夏祭りの日でした。




白山社の入口に有った石碑です。
中村?が名古屋市に合併しても消防車が入れないような道の狭さ。
それで区画整理を行ったという説明です。
狭い道路を広げるとなると、当然土地の面積が減ってしまいます。
苦労して成し遂げたのでしょう。




梅雨の時期です。
道の横にアジサイが咲いていました。




乃木将軍の石造がある場所に来ました。




将軍の石像。
その横には砲弾を模したものも有ります。





古い中村区の街の中です。
道が真っ直ぐになっていません。



大円寺

大円寺へ来ました。
丁度、住職が出かけるタイミングでした。





境内に入って来ました。
立派なお寺です。




境内の松。
好い枝ぶりです。





境内にある日比津城主の墓が有ります。




ここで、歴史研究家M井さんの説明です。



M井さんの資料。
明治24年の地図です。東海道線と関西線は出来ているが名鉄と近鉄は、まだ出来ていません。
烏森は柳森村。それに日比津村も有ります。村の周りは田んぼです。
今の名古屋駅辺り、駅の東の方に建物が有り、城下町らしさが有りますが、反対側は何も有りません。
佐屋街道は並木道になっています。
明治24年の地図ですが、江戸時代の姿と変り無いでしょう。
古い地図。見るのが面白いです。



真っ直ぐの道です。
この下、水路でも有るのではないかと思いましたが、後で判りました。


 中村公園

中村公園に来ました。




中村まち歩きマイスターの人達と対面です。。





マイスターに案内されて中村公園の中を歩きます。



大正天皇お手植えの松

「大正天皇お手植えの松」の説明をしています。




お手植えの松の説明板と今のお手植えの松です。
松が植えられてから100年ほどになります。



初代中村勘三郎生誕地記念碑

初代中村勘三郎生誕地記念碑。
この記念碑。
まだ、整備されたばかりです。





初代中村勘三郎生誕地記念碑の説明板とブロンズ像。




豊公誕生地で解説する吉岡さん。



妙行寺

妙行寺に来ました。
こちらは加藤清正の誕生地です。





あの場所に加藤清正の像が有ります。



常泉寺

常泉寺に来ました。
豊国大明神の廟堂として加藤清正が創建しました。





中村公園を去ります。
「中村まち歩きマイスター」の方々から説明を受けた後、公園内で昼食を取りました。
そして、公園を去ります。
昼食時間を含め、中村公園の周囲で2時間ほどを過ごしました。





中村公園から歩いてきました。
歩いて来て、後ろを振り返りましたが、真っ直ぐの道です。





ここで、治水史研究家のY井さんの説明が始まりました。





Y井さんが説明している資料。



Y井さんの説明資料です。
庄内用水実測図です。庄内川から水を取り入れています。最初は堀越の北東辺りで取水していましたが、明治頃には上飯田の方。自用理由から取水するようになりました。
庄内用水は名古屋の西側の田畑を潤しています。その先の熱田新田、熱田前新田まで行っています。このことから新田の開発に、用水が有ったので開墾できたのでしょう。
地図に中川が載っています中川区のモトとなった川の名だと思います。




石神社の前を歩きました。
子供の熱病神と有ります。



日之宮神社

日吉公園の一角に日之宮神社があります。この石碑がありました。
秀吉の母は日吉権現へ日参したと有ります。


願成寺薬師堂 友綱部屋の宿舎

願成寺薬師堂へ来ました。
プレハブの家屋。
相撲の稽古場のようです。




境内にはプレハブが建っていました。
プレハブに近寄って見ましたら、中央に土俵が設けて有りました。
中には誰も居なく、ひっそりとしていました。
ここに来たのが午後の時間帯だからです。
午前中なら稽古中の様子が見れたことでしょう。

名古屋場所で、相撲部屋が宿舎を張っていたのは友綱部屋でした。
朝稽古。
体と体がぶつかる音が聞こえたでしょう。




午後の時間帯です。
朝稽古は終わっていました。
2人のお相撲さん。
洗濯の最中でした。




佐屋街道を西へ歩きます。




烏森です。
街の中の様子から、古い町だと判ります。


禅養寺

禅養寺まで歩いてきました。


才ノ神公園

ゴールの才ノ神公園に到着です。
整理体操、そして解散式となりました。

この後、近鉄烏森駅へ向かいました。

一緒に歩いたMさんのホームページです。
http://www.geocities.jp/jk2unj/69reikai.htm

感想
今回は中村区のボランティアグループ。「中村まち歩きマイスター」の方々に案内して貰い、中村公園の周辺を歩きました。現地で色々と解説して貰いました。また、一宮友歩会のブレイン。M井さんとY井さんの解説も有りました。
毎度の事ですが、単に歩くだけでなく、色々の解説。その解説がとても参考になります。
7月は名古屋場所が開かれる時期です。願成寺薬師堂が友綱部屋の宿舎となっていました。訪ねた時間が午後で、お昼寝の時間でした。稽古の風景が見れなかったのは残念でした。

コメント
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