秋冬・里山自然ハイキングの第2回目です。
今回は各務原アルプスの一部を歩くもので、各務野自然遺産の森に集合した後、各務野自然遺産の森から迫間山、そして明王山、金毘羅山を経由して各務野自然遺産の森へ戻る周回コースを辿りました。
各務野自然遺産の森 ― 昆虫観察小屋 ― 峠の辻 ― トンネルの上 ― 迫間城跡 ―
八方不動明王 ― 電波塔 ― 明王山展望台 ― 金毘羅山 ― 多賀坂林道記念碑 ―
昆虫観察小屋 ― 各務野自然遺産の森
多賀坂林道記念碑駐車場に有った各務原アルプスの地図です。
関市が設置した地図なので関南アルプスとなっています。
各務野自然遺産の森の管理棟前が集合場所でした。
みなさん、集まっています。
歩き出す前に鷲見先生のお話。
山歩きに不可欠なのが地図です。
地図には2万5千分の一。5万分の一。20万分の一が有り、用途で使い分けるという説明でした。
各務野自然遺産の森から歩き始めました。
木々の中に、少し紅葉を始めているのが有ります。
ヤブムラサキと言う葉。
葉の表面がベルベットのような感触になっています。
昆虫観察小屋まで来ました。
ここから野鳥の森を登って行きます。
途中、見かけたのがミズヒキです。
小花がまばらに咲いています。
小花の色は上半分は赤色、下半分は白色となっています。
野鳥の森を登っています。
初めのうちは緩やかな道でしたが、進むにつれて勾配がキツクなって行きました。
クサギです。
漢字で書くと臭木です。
葉に独特の臭気が有ります。
野鳥の森の道。
勾配がキックなってきました。
トンネルへの道を歩いています。
視界が開けた場所で緑苑団地方面が望めました。
これから向かって行く方角です。
右の小高い所が金毘羅山。
左が明王山のタワーです。
針が沢山付いて、針の塊のような低木。
ネズミサシと言うのだそうです。
先人の知恵で農家が食料をこの枝で覆い、ネズミの害を食い止めたのだそうです。
説明を聞いているときに見かけたトンボ。
小型のトンボでしたが何という名のトンボだろう。
こちらはコウヤボウキです。
漢字で書くと高野箒です。
アキノキリンソウです。
迫間城跡に到着します。
ここで昼食です。
昼食の後、山々の同定です。
みんなの視線が向かっている方角。
御嶽山が良く見えました。
指を指して山を解説する先生です。
昼食を終え迫間城跡から歩き始めました。
松の幼木。
節の成長が見られ、何年生か分かると解説でする
明王山山頂に到達します。
山頂からの眺望です。
視界が良く、御嶽山が良く見えました。
白く噴煙を上げているのが分かりました。
こちらは美濃市の誕生山です。
山頂に小さな反射板が見えます。
その左が権現山。そして汾陽寺山へと続きます。
南側です。
遠くに名古屋駅の高層ビル群。
近くには木曾川。
そして犬山城が見えました。
金毘羅山から健脚の道で下山して行きます。
多賀坂の駐車場へ向かっています。
周回して昆虫観察小屋の所まで戻ってきました。
先に何が見えるのでしょう。
ここでも咲いていたクサギ。
各務野自然遺産の森へ戻ってきました。
最後に
山の道を歩くだけでなく草花の名を教えて貰いました。
草花の名を知ることが面白いです。
ネズミサシを教えて貰いました。普段の山歩きでは何ともなく見過ごしているものですが、解説で教えて貰いました。
ウォーク同好会の10月例会です。今回は大垣でボランティアガイドにミニ奥の細道を案内して貰いました。
大垣市観光協会「芭蕉と大垣」から引用しました。
集合場所が大垣駅となっていました。
集合時間は10時となっていました。
ここで、観光ボランティア方と顔合わせです。
お二人の「ふるさと大垣案内の会」の方と対面しました。
駅から東へ来ました。
最初に訪れたのが愛宕神社です。
ここから案内の開始です。
挨拶して下さったのが子安さんと言うボランティアガイドの方でした。
この場所。
愛宕山と恵比須山。
2両の山車が保存されています。
直ぐ横に有った道標です。
解説板も設置して有りました。
ミニ奥の細道を歩き始めました。
句碑の前で説明です。
水門川沿いを歩きます。
かつては、舟がこの辺りまで登って来たのだそうです。
石垣にはめ込まれた階段状の石。
荷の上げ下ろしにこの石段を使用したのだそうです。
説明になる程と思いました。
水門川沿いを歩きます。
八幡神社の自噴井へ来ました。
この自噴井。「大垣の湧水」と名付けられています。
女性が水を汲みに来ていました。
水門川沿いを歩きます。
歩く途中。
枡屋が有りました。
左が店。右は材料を工場へ持ち込むところでした。
四季の広場へ来ました。
住吉灯台に来ました。
ここでも子安さんが説明してくれます。
この川湊が繁栄したころの銅版画です。
明治16年大垣と桑名を結ぶ汽船航路が開通した時の物です。
東海道線が開通したのが明治22年です。
それよりも前の時期。
川幅から、当時どのような大きさの船が往来したか想像できます。
ここから下って行き、揖斐川を下る。
ポンポンと言う音を立てて航行する船。
のどかな景色が想像できます。
1日に何往復したのだろう。
船賃は幾らだったのだろう。
奥の細道むすびの地記念館まで来ました。
ここで子安さんとお別れです。
最後に
観光ボランティアガイドに案内されて水門川沿いを歩きました。
大垣城の門が何箇所も有り、水門川がお堀の役目をしているのが分かりました。
飛騨の川上岳へ岳友タンネの会の仲間と行ってきました。
この川上岳へは07年09月18日に登りました。もう、10年以上前の事です。アノ時私と友人のAさんと登りました。山頂で男性と女性2人のグループと出会いました。このグループ以外の人とは出会いませんでした。
そして、今回。私たちを追い越していく単独の人が多かったです。山頂に着いたらカップルやグループの人など多くの人が来ていました。改めて、人気のある山だと思いました。
提供を受けたGPS軌跡図です。
ツメタ谷を歩き、橋を渡って稜線へ出ました。
位山天空遊歩道を歩き山頂へ。
山頂から南西へ下山してツメタ谷の林道を歩いてゲートに戻りました。
歩き始めです。
足元の落ち葉。
ホウバが沢山落ちています。
橋を渡ります。
この橋の板がツルツルになっていました。
私は尻モチを着いてしまいました。
07年に登った時の橋は、このように立派な橋でなく、手作り感のある橋でした。
橋を渡って階段を登ります。
宮の大イチイの木です。
九十九折れが有ったりする登山道を登ってきました。
材木で整備して有る階段を何箇所か見かけました。
登る途中。
草の間から眺望が利くところが有りました。
山の名は分かりませんが、冠雪した山が望めました。
木材から顔を出したキノコ。
ナメコだろうか。
位山と川上岳を結ぶ位山天空遊歩道に出ました。
私たちはここで小休止です。
休んでいる間に追い越していく人。
山頂から下って来る人。
何人も通過して行きました。
天空遊歩道を歩きます。
名古屋から来たという若い男女たちのグループ。
10人ほどの人数でした。
この後。
わたくしKオジサン。
ケガをしてしまいました。
木の枝が横に出ていたのです。
太さは3センチか5センチの物でした。
その枝に突起が有りました。
枝に気が付かず頭をぶつけてしまいました。
帽子の上から当たったのですが、血が流れました。
それで、前を歩いている仲間を大声で呼びました。
女性が持っていた生理用品をおデコに当て、テープで巻いてもらいました。
山頂に到達です。
低く垂れこめた雲。
写真では写っていないように見えますが、肉眼では冠雪した山が望めました。
地図で確認しましたら白山の方向でした。
こちらは反対側。
見の方の雲に入っているのが御嶽山。
左の丘みたいな形をしたのが船山。
山頂のアンテナ群が分かりました。
山頂の人々。
5人のグループやカップルも居ました。
山頂でこれだけの人が居る。
人気がある山だと思いました。
ケガをしたKオジサン。
ケガをしたことは恥ずかしい事なのですが、止血用に持っていた生理用品に助けられました。
使わないに越したことは無いのですが、万が一で持っていて救急用に役に立ちましたので、こんな風に使えるという意味で紹介しました。
下山を始めました。
南西方向へ降りていきます。
下山して行きます。
人が小さくて分からないくらいです。
下山してきました。
ツメタ谷の登山口はもう直ぐです。
ツメタ谷の登山口まで下山してきました。
林道を歩きます。
長い林道歩きです。
立看板が有りますが、ここを右に降りていくと橋となります。
ゲートの所まで戻ってきました。
朝は沢山の車が止まっていましたが、下山してきたら私たちの車だけとなっていました。
各務原市教育委員会の中央ライフデザインセンターが主催する「秋冬・里山自然ハイキング」に申込しました。定員は20名となっていて定員を超える申し込みが有り、抽選となりました。運良く、当選し受講することが出来ました。担当者曰く、申し込みが40名あり、運がいい人が参加できたのだそうだ。
今日がその講座の第1回でした。講師は鷲見守康先生でアシスタントに横山えり子さんが着きました。そして、参加者の自己紹介が有りました。この講座に何回も参加している人が居ました。
今回は各務原権現山に登ることになっていて集合場所は伊吹町公民館でした。外は雨であり、当初は権現山山頂まで行くこととなっていましたが、北山展望台までにすると言われました。
秋冬・里山自然ハイキングの募集チラシです。
第1回の集合場所。
伊吹町公民館です。
外に出る前に鷲見先生の講義です。
今日、配布された資料です。
歩き出す前。
基本の勉強です。
雨の中、歩き出しました。
あの山。
各務原権現山です。
当初の計画では権現山まで行くこととなっていましたが、北山展望台までとするそうでした。
横山さんに教えて貰った花。
アレチハナガサです。
外来植物で近頃、よく見かける花ですが、花の名を知ることが出来ました。
こちらはドングリ。
アベマキです。
頂いた資料です。
色々のドングリの種類の解説です。
伊吹の滝が有るところ、権現山の登山口です。
ここから登って行きます。
遊歩道を登って行く途中です。
眺望の良い所から東海北陸自動車道が見下ろせます。
岩の壁。
チャートが褶曲していると解説が有りました。
赤い実が付いていますが、コバノガマズミです。
こちらはミヤマママコナです。
北山展望台まで上がってきました。
権現山から降りてきて蘇原自然公園の横を歩いています。
雨の中の蘇原自然公園です。
ノブドウと言うツル性の植物です。
公民館へ帰ってきました。
最後に
タイトルは里山自然ハイキングとなっていました。野山を歩くものだろうと思い込んでいました。実際、歩いてみて花の名を教えて貰ったり、ドングリの種類を解説して貰いました。
このような講座に参加すると山歩きの時の知識が広がります。
花の名が知れて面白いです。
東海と北陸を結ぶ東海北陸自動車道。この道路には飛騨トンネルと言う長大トンネルが有ります。長さ10km余りのトンネルがブチぬいた山が籾糠山です。かがみの山歩会の10月例会で行ってきました。
籾糠山で良い季節は初夏の頃でミズバショウが咲く時と秋の紅葉の時期です。今は環境保全から入山協力金を求められますが、協力金を求められなかった時代に出かけたことが有ります。
天生県立自然公園協議会 事務局発行の知ることから感じる事へ・・・・・・。から引用しました。
ココが登山口です。
テントの所で氏名住所電話番号を記帳して提出しました。
コロナ禍の時であり、それに対する対応です。
500円を払って入山します。
クマが出る場所。
クマの生息地に入らせて貰うので一斗缶を鳴らして挨拶して入らせて貰います。
色々の紅葉した葉。
登山道を進んで行くのですが、ガスっています。
湿原探勝路を歩きます。
湿原で半島のように出た場所、匠屋敷です。
そこに有ったナナカマド。
赤い実を付けていました。
天生湿原の縁を歩きます。
水辺のミズバショウです。
あの大きな葉の姿とは違っています。
天生湿原を見渡しました。
カラ谷分岐です。
直進してカラ谷登山道を進みます。
何と言う花だろう。
名が分からない花です。
カツラの巨木群に来ました。
甘いカツラの香り。
メイプルの香りのように思えたが・・・・・・。
色々のキノコです。
籾糠分岐まで来ました。
クマの爪痕だろうか。
最後の登り。
急な登りとなっています。
42番のポストです。
登山道で100メートルごとにポストが設置して有り、42番が最後のポストでした。
段々減って行く数字。
最後は何番になるのだろうと思いながら歩いて来ました。
(11:23)
山頂に到着です。
この標柱も傷んでいます。
クマにやられたのだろうか。
山頂に設置して有った温度計です。
気温8度を示していますが、それ程寒さを感じませんでした。
(11:30)
山頂からの眺望です。
前面をガスが覆っています。
(11:50)
ガスが薄くなってきました。
こちらは西隣の猿ヶ馬場山です。
(11:56)
ガスが晴れてきて遠望の視界が利くようになりました。
(11:57)
アーチ式の橋とダム湖が見えます。
誰かが小鳥ダムだと言っていました。
山頂からの方角では南のように感じました。
パソコンで地図を検索すると小鳥ダムは山頂からは東方となりますので、?が残ります。
山頂に到着したのが11時23分でした。
そして山頂から去ったのが12時でした。
30分余りの事ですが、ヴェールを剥ぐというか、ガスが消えるショーを見ているような感じがしました。
山頂に30分余り滞在しましたが、下山を始めました。
次のグループが来ており、譲る様に山頂を退去しました。
籾糠分岐まで降りてきました。
7~8人のグループが休憩していました。
どう言うグループかと聞きましたら警察官や消防署員などでパトロールをしているのだそうでした。
消防署委の方にお願いして帽子を撮影させて貰いました。
飛騨市の消防署員でした。
色々の紅葉した葉。
何と言う木か判りませんが、右下がトチの木である事だけは分かります。
こちらはキノコ類です。
左下はホコリタケで、押すとホコリが飛び出しました。
上段はナメコのように見えるが、本物か偽物か。
ブナ探勝路を歩いています。
前方に大きなブナの木が有ります。
天生湿原まで戻ってきました。
紅葉した樹木。
そして池に写る雲。
天生湿原で休憩していたらパトロール隊の人たちが来ました。
天生湿原の縁を時計回りで歩いて行きました。
全部で10名でしたが、警察官や消防署員の他に環境関係の人も含まれていたのでしょう。
登山口に戻る途中に見えた北東方面の眺望です。
ガスが取れて視界が良くなりました。
登山口まで戻ってきました。
最後に
天生湿原と籾糠山。
紅葉の時期に来たことが有りますが、その時は木平探勝路を歩きました。
今回はブナ探勝路で下山してきました。前回と違い、ブナ探勝路で下山できたのが良かったです。
山頂でガスが消えていくショーを見れたのはラッキーでした。
山頂で顔を合わせた「風の便り」さんのブログです。
https://noboru13.exblog.jp/28265255/
https://noboru13.exblog.jp/28267183/
弐水会の10月例会で滋賀岐阜県境の山である伊吹山に登りました。秋晴れで、秋真っ盛りと言った感じでした。
これまでも何度も登った伊吹山。平日にもかかわらず、若い人たちが何人も来ていました。伊吹山は関西と東海に挟まれた場所。改めて人気度が高い山だと思いました。
廃止となったリフト前の場所です。
この駐車場まで上がってきました。
支度をして登り始めます。
でも、ここは登山口より高い場所となっています。。
(08:13)
少し下ってきて登山口へ来ました。
協力金の関門が待っています。
300円、入山協力金を投入して通過します。
人工林の中を歩きます。
(08:38)
1合目に到達しました。
ここで、小休止します。
フウロの仲間だろうか。
もう直ぐ3合目と言う所まで来ました。
前方の伊吹山が大きく見えます。
実っているアケビ。
でも、もう終期なのでしょう。
しなびかっていました。
(10:16)
5合目まで登ってきました。
ここで休憩です。
伊吹山が更に大きく見えてきました。
下から声を掛け、振り返る人たち。
8合目を通過します。
8合目を過ぎたところです。
避難小屋が小さく見えます。
(11:29)
9合目を過ぎました。
少し歩き易くなりました。
登山道の横にリンドウを見つけました。
(11:35)
山頂の伊吹山寺覚心堂の前まで来ました。
琵琶湖方面を見下ろしました。
長浜の街が見えます。
横に伸びる直線は北陸自動車道です。
伊吹山寺覚心堂の北側広場で昼食にしました。
昼食の後、ヤマトタケル像の前へ向かいました。
像の前で全員写真です。
そして、三角点へ向かいます。
ネットの方で下に向かって見下ろしています。
何が見えたのだろう。
これから下山して行きます。
9合目の下あたり。
6合目の避難小屋が小さく見えます。
ここでも私たちに道を譲ってくれた若者たち。
4合目まで降りてきました。
銀色に波打つススキに向かって撮影します。
先に3合目の廃ホテルが見えます。
銀色に波打つススキ。
このような景色。
何度も伊吹山へ来ていますが、記憶に有りません。
2合目を通過しました。
下界が近くなってきました。
1合目を過ぎました。
もうすぐ登山口です。
最後に
平日でも若い人が多かったです。
道を譲ってくれた若い人たち。
20人程のグループでした。
言葉を交わしたら関西からでした。
伊吹山が人気が有るとうなづけます。
銀色に波打つススキ。
こんな景色。
何度も伊吹山へ来ているが、記憶に有りません。
眼に入る景色が新鮮に感じられます。
こういう事が有るから山は面白い。
一宮友歩会の10月例会に参加しました。JR垂井駅に集合して、駅の北口で出発式を行いました。その後は町の北西へ垂井宿の中を歩きました。垂井追分から美濃路を辿り大垣市に向かって歩きました。
第84回例会が実施されたのは今年の2月でした。新型コロナ禍で半年余りも開催が実施されませんでしたが、久々の例会の実施で有りました。
今回、岐阜県での開催であり、Kオジサンがリーダーを務めました。
JR垂井駅(スタート) ― 垂井宿 ― 垂井追分 ― タルイピアセンター ―
美濃路松並木 ― 綾戸古墳 ― 六社神社 ― 長松城址 ― 平林荘 ―
久徳の一里塚 ― 塩田常夜灯 ― 正覚寺発句塚 ― むすびの地記念館(ゴール)
第85回例会のコース図です。
https://icurus-jk2unj.ssl-lolipop.jp/datagazou/85map.pdf
垂井駅の北広場。
これから出発式を行います。
垂井町の街の中を歩きます。
垂井町の街の中を歩きます。
鳥居の有るところへ来ました。
南宮大社の鳥居です。
相川の横の信号を渡っています。
中山道と美濃路の追分へきました。
左に進めば中山道。
右に進めば美濃路で、今回は美濃路を歩きます。
タルイピアセンターへ来ました。
タルイピアの館内です。
竹中半兵衛像が迎えてくれました。
左が歴史民俗資料館となっていますが、コロナという事で公開していませんでした。
エントランスのガラスケースの中に懐かしい少年少女雑誌が展示して有ります。
あしたのジョーやど根性ガエルのページが開いています。
こちらは商店の看板類が壁に掲げて有ります。
こちらは図書館です。
美濃路の松並木を歩きます。
綾戸古墳へ来ました。
平林荘跡に来ました。
ここは飯沼慾斎が隠居後に植物を研究した所です。
石碑の裏側。
50歳で引退後に県下で最初の死体解剖に取組んだと、飯沼慾斎の功績が描かれています。
平林荘跡で昼食となりました。
園内にはコスモスが咲いていました。
美濃路の久徳の一里塚へ来ました。
一里塚の説明です。
塩田の常夜灯へ来ました。
治水研究家の安井さんが説明しています。
台風で傷んでおり、シートがかけられています。
塩田橋や養老公園の石碑。
これ等の石碑は他所から持ってきたものでしょう。
本来なら、もともとの場所に有るべきだと思うが、どうだろうか。
奥の細道むすびの地。
もう直ぐです。
奥の細道むすびの地へ来ました。
歩いて来て、終了のストレッチをやっています。
一緒に歩いた一宮友歩会会員のMさんのホームページです。
https://icurus-jk2unj.ssl-lolipop.jp/85reikai.htm