Kオジサンの新・山歩きの記


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高島トレイル縦走  黒河峠~粟柄越  三国山 (876.3m) 赤坂山 (823.8m)  

2013-05-28 23:33:31 | 各務原歩こう会

5月27日に「各務原歩こう会」で、高島トレイルの一部である黒河峠から粟柄越を縦走しました。
今回の一番の目的は赤坂山です。赤坂山は高島トレイルのコースに位置します。黒河峠から歩き始めれば、後はアップダウンは有るものの快適な縦走路を歩く事になります。
眺望が良ければ白山の眺望が開ける筈でしたが生憎の曇り空で叶いませんでした。それでも眼下には田植えが終わった光る水田が見える。そんなコースを歩いてきました。

マキノ林道(8:40) ― 黒河峠(9:29)~(9:40)  ― 三国分岐(10:58) ― 三国山(11:15)~(11:22) ― 

 三国分岐(11:39) ― 昼食(12:00)~(12:28) ― 明王の禿(12:39)~(12:40) ― 

赤坂山山頂(13:12)~(13:25)   ― 粟柄越(13:34)  ― ブナの木平休憩所(14:35)~(14:40)

  ― マキノ高原登山口(15:23)


高島トレイルを縦走しました。
ポイントごとに標識が設けられスチールのプレートが着けられています。
黒河峠のプレートは、明らかに人為的に痛めつけられた痕が残っていました。このような行為は残念なことです。


マイクロバスでマキノ林道を登って来ましたが、黒河峠の1キロほど手前で通行止めとなっていました。途中、路肩が崩壊した所が有りました。車の通行に差し障りが無いように見えましたが、万が一のことを考えて通行止めにしているのでしょう。


山藤が満開になっています。
山藤に向かってカメラを向けます。


林道を列になって歩いていきます。


林道を歩いたおかげで、色々の花を目にする事が出来ました。
ヤマフジ・ヤマボウシ。
ホオバの花・アオダモ。ホオバの花は高所で花が上を向いていて判り難いです。


マキノ林道を登って行く途中、タニウツギを見かけました。
左側がそのタニウツギです。右側は下山して来る時にブナの木平で見かけたタニウツギです。同じ物でも、咲いている場所によって濃さに差が有るような気がします。


黒河峠に着きました。
ここで小休止し、これからの縦走に備えます。


コースにはロープに掴まって登るところも有りました。


オオバノキスミレ。


三国山の山頂に寄りましたが、雪のためか指示標識が傷んでいました。


左上はベニドウダン。右下はサラサドウダン
ヨウラクツツジも教えて貰いましたが、名前がゴッチャに成ってしまいました。


縦走路の脇でランチタイムとしました。
この後に向かった明王の禿や赤坂山では、とても風が強かったです。
結果的にはこの場所でお昼を食べたのが正解でした。


先に岩場が見えます。
ここを登り切ると明王の禿です。


眼下に視界が広がります。
田植えの済んだ田。メタセコイヤの並木が見えます。
琵琶湖の湖岸。湖西線。国道161号線が並んでいます。


明王の禿に着きました。
風が強く帽子が飛ばされそうになり、手が頭へ行きます。


明王の禿から下ります。
土が流れ階段の木だけが残っていて、歩き難くなっています。


イワカガミが群落に成っていました。


赤坂山に到着です。


赤坂山の山頂ではレンゲツツジが咲き始めていました。


強風の中。
粟柄越に向かいます。


粟柄越の指示標識。
この標識も傷んでいます。


下山して行く途中に有ったお地蔵様。
左側は新しいのですが、右のはかなり古いものです。
この道は、美浜とマキノを結ぶ街道でかつては、物資の流通経路と成っていました。
馬の背に荷を乗せて行き来したことでしょう。
道中の安全を祈ってか。ここで亡くなった人がいて鎮魂のためか。
お地蔵様が設けられました。


だいぶ下へ下りて来ました。
メタセコイヤ並木が良く見えます。


スキー場の近くまで降りて着ました。
赤坂山歩道が整備されてから歳月が経ち道が傷んでいました。
階段の段差が大きくなり、歩き難い道になってしまっています。
下山していて、犬山の年金者連盟と言うグループの人たちと一緒になりました。
隣街の人たちのグループです。
遠くまで来て隣街の人たちと一緒になるのは珍しいことです。


前方はゲレンデです。


ゴールまでもう少しです。


ゴール場所にマイクロバスが来てくれました。


帰りは、折角、マキノまで来たのだから、メタセコイヤの並木を見ようということになり、バスは並木の中を走りました。
両側の水田は田植えが終わっていました。


並木を走っていると、前方から消防車両がライトを点灯しサイレンを鳴らして走っていきました。
山から降りてきた時、登山口で2台のパトカーや消防車を見ました。
警察や消防関係者が居て、異様な雰囲気でした。
自宅に帰り、ニュースで知りましたが、2人の小学生が行先不明と成っていました。
今日のお昼になって、無事に発見されて良かったです。
ニュースを見たら、10人ほどのグループで歩いていたのでしょう。
2人は最後尾を歩いていて近道を行くと言って違う道に入ってしまったのです。
このような行為が事故を招くことに成りますが、大人が隊列の最後に付く。
最低限のルールが疎かに成っていたのでは無いでしょうか。
兎に角、無事であって、良かったです。



赤坂山はとても花の多い山です。
イワウチワやスミレは終わっているだろうと思っていましたが、時期的には次の花が登場していました。次から次へと花の主役が変わる。赤坂山が花の山と言われる由縁であり、改めて言い山だと思いました。
ベニドウダンやサラサドウダンを教えて貰いましたが、特徴のあるものは覚える事が出来ましたが、ヨウラクツツジは混同してしまいました。林道を歩いていた時、ハンショウヅルと言う花を教えて貰いました。花の形が半鐘に似ているから付いた名です。名の付き方が面白いです。

教えて貰ったハンショウヅルです。

赤坂山の歩道は整備されてから歳月がだいぶ経っているような気がします。指示標式の痛んだのや階段の土が流れてしまっているの気になりました。登山者のために整備して欲しいです。
高島トレイルを縦走してきましたが、とても風が強かったです。日本海から琵琶湖へ風が抜ける場所なので強いのでしょう。梅雨入り前の山行で雨には降られませんでしたが、もう少し風が弱かったらと思いました。

 

良いリーダーに恵まれたこと。
私たちのコースは黒河峠から粟柄越えに向かう縦走コースでした。
赤坂山へ着いた時、犬山年金者連盟の人達と一緒になりました。
彼らはバスで来ていたのですが、マキノスキー場から登って赤坂山の山頂へ着ていました。
一部の人を残して山頂にザックを置き、明王の禿に行って戻るコースを辿っていました。

マキノスキー場から赤坂山へのピストンは良いコースですが、リーダーの鈴木先生は高島の事務所に電話を入れて林道の状態を確認してくれて、黒河峠からの縦走にしたのです。
黒河峠から三国山にかけては巨木と言う程では無いですが、太いブナの木が何本も有りました。湿原も有りました。
バスで山に向かった時、ピストンコースで無く縦走できることが嬉しいです。
リーダーが縦走コースを考えてくれたことがありがたいです。

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奥美濃の2山を縦走   小津権現山(1,157.8m)  →  花房山(1,189.6m)

2013-05-21 22:15:06 | アウトドア

冬に岐阜から奥美濃を見ると、尖った形の目立つ山が見える事があります。小津権現山です。今回は藤波谷登山口から小津権現山に登り、稜線を縦走して花房山登山口に下りて来ました。8時間近いロングコースで途中からは雨が降り出し、大変な思いで踏破しました。

参考にしたのはミツルさんの「ミツルの山登り日記」です。
http://blogs.yahoo.co.jp/gotorami/30681808.html
ミツルさんは花房山から登り、小津権現山へ下りてきましたが、私たちは逆のコースを辿りました。


藤波谷登山口(7:39) ― №23鉄塔(7:59) ―  林道出合(8:50) ―  植林地(9:04) ―  

小津権現山山頂(10:04)~(10:14)  ―  モレ谷分岐(11:20) ― 1096P下(11:45)~(12:15)

  ―  1096P(12:30) ― 花房山山頂(13:16)~(13:20) ― やせ尾根 ―

2分の1地点(14:40) ― くりのき平(15:00) ― 花房山登山口(15:46)

 
藤波登山口です。
ここから山へ登る仕度をして、登り始めます。


登り始めは九十九折れの道で急な登り道が続きます。


暫くすると勾配が緩くなりました。


林道出合いまで登ってきました。


藤波登山口へ下山していく人のためにプレートが結ばれていました。


大きなブナの木。
ここには休憩用に丸太の切り株が置いてありました。
ここからの先が植林地となっています。


植林地の中を登って行きます。


樹間から、この後に向かう花房山が見えました。


ピンクのシャクナゲ。
盛りの時期が過ぎていて雌しべだけが残った花もありました。


権現の肩。
トラロープに掴まりながら登りました。
小津権現の山頂までは、もう少しです。



トラロープを掴み頑張って登っています。


小津権現の山頂に着きました。
山頂には白山神社の小さな社がお祀りしてあります。


山頂から東方の眺めです。
この先に花房山が有りますがガスで見えません。
プレートは花房山への登山道の標識で、ここから降って行きます。


左側で枝に隠れているのが花房山です。
山頂をガスが覆っています。
山頂から下り、右側の山の尾根を縦走していきます。


これから縦走します。
山頂から下る道ですが、急な登山道となっていました。



花房山に向かう縦走路です。
藪笹が刈られ、道はハッキリしていました。
迷ったりしない道です。道を整備してくれた人に感謝します。



水溜りが有り、私たちの姿を見たガマガエルは水の中に隠れてしまいました。
また、花房山を下山の途中にガマガエルを見かけました。

今年はガマガエルを山でよく見ます。
3月の多度山では交尾をしていました。
また、4月の弥高山では交尾を終えたのか、ぐったりとした2匹を見ました。
そして、今回は水溜りに卵が一杯になっていました。
これまで、山でガマガエルを見る事が無かったのです。
今年はガマガエルを見る当たり年かもしれません。


振り返り小津権現を仰ぎ見ます。
あの山頂から下って来ました。
今回は北側から東側へ。
以前に南側をピストンした事があります。
小津権現は尖った山で山頂の周りは急登になっています。


モレ谷分岐まで来ました。



地図とスマートフォンを照合し、現在地を確認します。


ブナの葉に花の蕾のような物を見つけました。


1096ポイントの下でランチにしました。
ブナの木に花の蕾が付いているように見えました。ピンクの卵が付いているのでした。
自宅で調べてみると、ブナの虫こぶ(ブナハアカゲタマフシ)であることがわかりました。虫こぶの名づけ方にはルールがあって、宿主名+形成部位+形状+フシ、が一般的です。
ブナハアカゲタマフシは「ブナ+葉+赤毛玉+フシ」となっていました。
ブナ林に新葉が出ると、直ちに産卵するのでしょう。こんなのは初めて見ましたが、これも自然の一部分です。


1096ポイントまで来て小津権現方面を望みます。
眺望が良く、歩いて来たコースが判ります。


イワウチワが少しだけ残っていました。
イワカガミは1輪だけ目にしました。
ギンリョウソウやキランソウも見かけましたが、全般的には花の盛んな時期を過ぎていたと思いました。


花房山の山頂に着きました。
手作りのプレートが下がっていました。
この山頂に付く前には雨が降り始めました。


アップで。
雨が激しく降っていました。
画像がブレています。



山頂から見えた徳山ダム。
タップリと水を湛えています。


花房山の登山口まで降りて来ました。
シャガが咲いていました。



デポしておいた車です。
この時も激しく雨が降っていました。

花房山頂から登山口までは2時間半のロングコースでした。
山頂の手前で雨が降り出し、レインスーツを着ての下山となりました。
途中にはやせ尾根が有ったりするコースでしたが、必死になって下山して来ました。


滑落しちゃいました。
下山していて二分の一地点の手前で滑落しちゃいました。
歩いていて尻餅を付き4~5m仰向けの姿勢で滑りました。
落ち葉の上を滑ったのであって、私も同行の人もビックリしました。
でも、怪我が無くなんともありませんでした。

カタカナのコの字のようにロングコースを8時間近く掛かって歩きました。
小津権現から花房までの縦走の時は、まだ余裕が有りましたが、花房からの下山の時は、もう、必死の一言でした。
花房山頂から下る時道を間違えましたが、登り直して正しいルートに戻れました。長い下山の道を歩き、最後はヘロへロになっていました。
滑落しちゃうわ、デ、必死の思いで下山して来ました。
泣きっ面にハチではありませんが、ロングコースでしかも雨に降られ、散々でした。
最後の頃には足が上がら無くなりましたが、車の処までは着かねばならないと、必死の思いで下山してきました。
普段トレーニングをやっていますが、現役の時だったらこんな風には行かなかったかもしれません。逆に自信に思っても良いのかも知れません。
とにかく、大変でした。
最後に。
長時間の山歩きでヘロヘロになりました。このコースは上級者向きのコースです。ロングコースに耐える自信がある方は歩いてみてはいかがでしょうか。



オマケです。
藤波登山口で登る準備をしていると、外車が何台も藤橋城方面に向かっていきました。

登っている途中でも、外車を多く見かけた事が話題となったりしました。
遠路から藤橋城に集結していました。

調べましたら「イタジョブ2013」と言うイベントでした。
http://club.ap.teacup.com/ohmygiulia5/1069.html

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美濃路を歩く。④  清洲宿~熱田宿

2013-05-18 20:04:13 | 街道歩き

美濃路は江戸時代に東海道と中山道を結ぶ街道として発達したものです。
その経路は熱田宿で東海道と別れ名古屋・清洲・稲葉・萩原・起の宿を経て美濃に入り
墨俣・大垣を経由して垂井で中山道に合流しました。その延長は57キロと言われています。

これまでに3回、回を重ね今回は最終回で清洲宿から熱田宿までの13.8キロを歩きました。
公式的には13.8キロとなっていますが、若宮八幡や熱田神宮に寄りまして7時間程掛かりました。お昼の昼食時間を差し引いても6時間はあり、20キロ程は歩いたと思います。 

JR清洲駅(8:04) - 五条橋(8:38) - 石丸(8:41)~(8:59) - 清洲川護陣屋(9:41) - 

問屋記念館(10:01)~(10:10) - 琵琶島橋 - 巾下公園(11:23) - 四間道 - 

 伝馬橋(11:56) - 白川公園(12:27)~(13:00) - 若宮八幡(13:05)~(13:16)

 - 熱田神宮(14:18)~(14:.35) - 熱田宿道標(14:46) - 七里の渡し公園(15:03)




今回、歩いていて、街道沿いに何枚も美濃路の垂井と熱田を指すプレートを見かけました。
このようなプレートをこれまでは目にしませんでした。
特に、旧新川町で多く見かけました。
このようなプレートを街道の自治体が共通して設置して貰えればと思います。
それに街道は歩いていれば判ることですので、曲がり角に設置を望みたいです。



朝、8時に清洲駅に着きました。
ここから歩き始めます。


五条橋。
今はコンクリートの橋となっていますが、かつては木の橋でした。
むかしを想うように擬宝珠が付いています。



甘味処の喫茶店に寄りました。
店の名は石丸です。
表の看板に色々のモーニングが乗っていました。
ピザトーストを注文しましたが、看板のピザトースト程は具が乗っていませんでした。


モーニングでプリンや餡子が付いていました。


旧新川町の丸の内。
電柱が有りますが、旧街道の雰囲気が残っています。


旧新川町の川護陣屋。
ポケットパークとして整備され、石柱にはここから津島へと書かれているものが有りました。
このようにポケットパークを整備するのなら、街道を歩く人のために、併せてトイレも整備すればと思いました。


この辺りは五条川や庄内川が流れて水の押し寄せる場所となっています。
古く江戸時代から「水」に悩まされて来た土地です。
窮状を訴え出ただけで蟄居を命ぜられる。
そんな封建の時代です。


問屋記念館に寄りました。


青果問屋を再現しています。



どっしりとした建物。
往時、多くの人で賑わったことでしょう。



琵琶島橋を渡ります。
ここを渡ると名古屋市に入ります。


堤防下に旧琵琶島橋のモニュメントがありました。
かつてはここから舟で渡っていて、後には橋が架かり、人々が行き交っていたのでしょう。


尾州殿茶屋跡。
今は民家の玄関脇に説明の札が建っています。


国道22号線の上の渡道橋を歩きます。


同士とすれ違いました。
言葉を交わしましたが、彼は今日から美濃路を歩き始め、第1回だと話していました。
美濃路を歩く人。
同士に会えたという気がしました。


四間道。
幅が広い道で、名古屋市の街並み保存地区に指定されています。


桜通りまで着ました。
名古屋駅近辺の高層ビルが見えます。


伝馬橋。
今は鉄筋の橋となっていますが、かつては清洲から持ってきて架橋されました。


ビジネス街の昼食。
ここで300円の弁当を買いました。


お昼の弁当の店をウオッチングしました。
丸の内のビジネス街のあちこちに弁当を売る店がありました。
300円から500円の値です。

そけぞれの店にテリトリーが有り、客の取り合いなのでしょう。
今日は財布にゆとりが有るから500円の店。
今日は、財布が困窮しているから300円の店となるのでしょうか。
昨日の弁当が美味しかったから、また、行くということも有るのでしょう。
お昼は弁当屋戦争が繰り広げられ短時間の勝負です。
客が並ぶ店。
並んでいない店と色々でした。




白川公園で弁当を食べました。


弁当で、揚げ物が多くこれらは冷凍食品です。
300円ですが、値段からいったらこんな物かも知れません。
ご飯はしっかり入っていました。
ビールは水分補給用です。


若宮八幡社でお祭りが行われていました。


15日は試楽でした。


屋台蔵から福禄寿車が引き出されていました。



奉納のお囃子です。
山車には鼓や大鼓、笛の音色が聞こえました。


熱田神宮に寄りました。


境内では店が並び、金魚を売る店も出ていました。


東海道と美濃路の分岐点です。


標柱の説明です。



七里の渡しまで着ました。


ここから船に乗り、桑名へ向かいました。
今は、埋め立てが進み近くまで土地が来ていますが、かつては海岸線はもっと遠かったことでしょう。


4回に分けて美濃路を歩きました。
街道を歩く面白さの1つに往時を想像してみる事が有ります。
侍も歩いたでしょう。坊主も歩いたでしょう。
駆け落ちがあったかも知れません。
象がこの街道を通りました。
朝鮮通信使も歩きました。

この美濃路には揖斐川。長良川。木曽川が流れています。
川が穏やかなときなら、支障なく渡れたのですが河川が氾濫し舟が出ないときは宿で待たされたことと思います。
非常の時は難儀したことと想像します。
今は家々が多く立って居ますが、家がまばらな昔を思って歩く事が面白かったです。

 

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八王子峠  ニリンソウの大群落

2013-05-06 23:40:55 | ミツルのテントサイト

「ミツルのテントサイト」の仲間と八王子峠に行ってきました。
場所は岐阜県郡上八幡市美並町の粥川を遡った所です。粥川を遡っていきますと星宮神社に到着します。
この粥川に天然ウナギが生息していて捕まえてはいけません。また、この地域の人はウナギを食しない風習となっています。
http://www.minami-kanko.com/special/201006/post.html
途中には粥川の森があり、ここは生活環境保全林として整備されています。
その時、一緒に八王子峠が整備されたのでしょうか。遊歩道なっていましたが、整備されてだいぶ歳月が経過しているようです。

八王子峠には駐車場と遊歩道が整備されていて、上の山と下の谷をぐるっと回る遊歩道が設けられています。八王子峠は早春の頃から5月までが良く、素晴らしいニリンソウの群落を目にする事が出来ます。


八王子峠の石碑。
奥宮林道完成記念と刻まれていました。



これから谷側の遊歩道に向かいます。
奥の山は瓢ケ岳方向の山です。



楽遊さんに教えて貰いました。
左は鷹狩りの後だそうです。ハトが遣られたのでしょう。羽が散乱していました。
右は木の陰の奥まった場所です。ここには胡桃の殻が残っていました。リスが食べた後だそうです。
どちらも自然の一場面です。
知らない事を教えて貰える事が面白いです。



整備された遊歩道を谷へ下っていきます。



ヤマルリソウとキランソウ。



ヒトリシズカトとユキザザ。




ヒトリシズカの塊。
ヒトリシズカと言うより23人シズカという声が有りました。
全部で23本咲いていました。



ケマンソウとニシキゴロモ



カタクリ



座り込んでニリンソウを撮影するMさん。



ニリンソウの群落。
つぼみが1つも無く、満開状態になっていました。



アップで。



ニリンソウらしく1本の茎から2本の茎が伸び、2輪の花が咲いています。




7弁のニリンソウ。5弁のニリンソウ。6弁のニリンソウ。
花弁の数が色々です。



ニリンソウを見終わって峠に戻ります。



峠テーブルでランチにしました。
みなさんが持ち寄った食材。




boggyさんが平茸のリゾットを作ってくれました。
昨秋に収穫した天然の平茸で保存してあった物だそうです。
米をオリーブオイルでいためた後に炊き上げたご飯で、リゾットが出来ました。
下処理してある米で調理しますので、普通の雑炊のようにペースト状にはなっていません。
平茸の歯応えが良く、美味しく戴きました。



のどかな八王子峠の1コマです。
私たち以外に2グループが来ていました。
木陰のギター組とオバちゃん3人組。
自然を満喫と言った感じです。
このような自然の中。時間がゆっくり流れていくような気がします。



私たちはランチを終え、撤収しました。




帰路。
美濃市に立寄りました。




街角でコンサートが開かれていました。




第7回春の音楽祭 アコーステックLIVE IN美濃となっていました。



「とみや」と言う喫茶店に入りました。
アイスコーヒーを美味しく戴きました。



美濃市の中心部の通り。
銀行も街並みに合わせた建築となっています。


感想
今回は、ニリンソウの大群落を案内して貰いました。
一緒にこのような場所に連れて来てもらえた事が嬉しかったです。
また、知らなかった花の名で、ケマンソウやニシキゴロモを教えて貰いました。一度目にしただけで忘れてしまうかも知れませんが、知らない花の名を教えて貰えた事がうれしかったです。

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美濃路を歩く。③  萩原宿~清洲宿

2013-05-04 01:27:25 | 街道歩き

前回の続きで萩原宿から清須宿まで11.8キロを歩きました。
名鉄萩原駅で下車し南東に向かって歩きました。今回のコースは一宮市、稲沢市、清須市です。
稲沢市では比較的新しい美濃路の説明板が設置されていましたが、一宮市では指導道標が無く、美濃路に対する取り組みで自治体の温度差を感じました。


名鉄萩原駅(9:12) - 高木の一里塚(9:33) - 中嶋宮(9:52) -  コメダ稲沢西店(10:03)~(10:40)

 - 稲葉宿(11:04) - 小沢の一里塚(11:17) - 東屋(11:51)~(12:05) - 

長束公園(12:15) - 四ツ家追分(12:55) -  清洲城(12:00)~(11:50) - 

清洲公園(12:21) - 清洲宿本陣跡(12:52) - 名鉄新清洲駅(13:28)



稲葉宿の稲沢市シルバー人材センター前に有った美濃路の案内板。
この地図が今回歩いた行程です。


行きの電車の中で見かけたお年寄りのグループ。
10人ほどの人数でした。


お二人と言葉を交わしました。
各務原市の方々で、会の名は「ふるさと散策の会」だそうです。
今日は津島市内を巡るのだそうでした。
彼女は、杖を使っていました。会の中には山に登りに行く人も居る。私がみんなの足を引っ張っていると笑って話していました。
丁度、津島の天王川公園が藤の見頃を迎えている時期でした。
月に一回出かけているそうでして、会の世話をしている人が前回の写真や次回の予定表を配っていました。
こうして、会としてまとまっているのも、世話をする人が居るからだと思います。


歩き始めの萩原宿。


都市近郊の農業。
温室の中で苗を育てていました。


こちらも苗を育てていました。


高木の一里塚後。
うっかりすると見落としてしまいそうです。


稲沢市は苗木の生産が盛んなところです。
まだ、一宮市内ですが、稲沢市に近づいてきました。
稲沢市の影響を受けて苗木の生産をしているのでしょう。


遠くに養老山地が見えます。
遠くに山が有るだけで、この辺りは有りません。
濃尾平野の真っ只中です。



街道が広くなったり狭くなったりします。
古い家が並んでいるところは拡幅が難しく旧のままですが、家の無いところは拡幅し易くこのような形態になってしまいました。


現代の茶店。
コメダで一服しました。


稲葉宿に入ってきました。


シルバー人材センターの前に美濃路の案内板が設置して有りました。


アップで。


杉玉が下がった酒屋。


美濃路のプレート。


小沢の一里塚。



保育園の中に設置された美濃路の指示標識。
美濃路を歩いていて、曲がり角が判り難かったです。
このように進む方向がはっきりした場所よりも街角に設置して欲しい物です。


まだ、整備されて新しい道。
カラー舗装になっていました。


長束公園。


長束梅の説明板。


ヒトツバタゴ。またの名をナンジャモンジャです。


整備された街道と東屋。


JR東海の踏切を渡ります。


四ツ家リ追分は京都方面と岐阜方面の分岐となります。


この石碑は、もともとは上の四ツ家追分に有ったのが、折れて、長光寺に移設されました。



清洲城です。


天守閣から見えた御嶽山。
城の中は充実していて見学をするのに長時間を費やしました。


清洲公園に有った若き信長像。


清洲宿本陣跡。


本陣跡の説明板。


新清洲駅に着きました。



萩原宿から清須宿まで歩きましたが、花の苗の生産や苗木の生産を見かけました。
都市近郊であり、このような農業が営まれたりするのだと判りました。
清洲城の内容が充実しており、じっくり見てきたら意外と時間が掛かりました。
信長が清洲から小牧、岐阜へと移っていた事が判りました。

清洲と清須。
清洲町や西枇杷島町、新川町が合併して清須市が誕生しました。
発音は一緒でも、はて?
どちらの字が正しかったか。迷ってしまいます。

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