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kオジサンの中山道旅日記 その5 近江鉄道豊郷駅からJR守山駅 まで

2018-03-28 23:52:14 | Kオジサンの中山道旅日記 

3月28日(水) 晴 近江鉄道豊郷駅からJR守山駅

第5回で前回の続きです。近江鉄道豊郷駅から愛知川宿、武佐宿、野洲を経てJR守山駅までを歩きました。
街道を歩いていて、春の訪れを感じました。
普通、桜前線は南から北に進むものですが、標高などに寄って、開花時期が異なるのでしょう。まだ、つぼみが膨らんだ状態の桜。つぼみの先がピンクになり、今にも開花しそうな桜。そして開花している桜。色々の桜を愛でることが出来ました。こう言うことは街道歩きの面白さです。
歩いていて、知った事が有ります。今回歩いた部分に愛知川、日野川、野洲川と比較的大きな川がありました。その中で愛知川が無賃橋となっていました。と言うことは日野川、野洲川では通行賃や渡し賃を払ったのででしよう。
また、路傍で石の塊を見かけました。恐らく行路病死した人の墓なのでしょう。名も何も刻まれていません。旅をするのは命懸けではなかったか。そんな事を想像しました。


近江歴史回廊 宿駅散策 近江中山道中絵巻①②より引用しました。

近江鉄道豊郷駅  ― 伊藤忠兵衛旧邸跡  ― 又十屋敷  ― 愛知川宿ポケットパーク
 ― 愛知川宿本陣跡 ― 八幡神社 ― 明治天皇御聖蹟  ― 御幸橋 ― 
てんびんの里石碑
 ― コメダ珈琲五個荘店  ―  五個荘ポケットパーク ― 
明治天皇北町屋小休所の碑 ― 石塚の一里塚跡  ― 中山道モニュメント  ― 
清水鼻の名水  ― 奥石神社  ― 泡子地蔵尊遺跡
 ― 西生来一里塚跡 ― 
武佐宿脇本陣跡 ― 武佐宿本陣跡  ― 近江鉄道武佐駅 ― 伊庭家跡
 ― 横関橋
 ― 道の駅 竜王かがみの里 ― 外和木の標 ― 野洲川橋 ― JR守山駅  




(08:18)
JR彦根駅で下車して近江鉄道の彦根駅へ来ました。
既に電車が入線して停まっています。
この電車24分発の八日市行きです。




もう直ぐ豊郷駅です。
高宮駅辺りまでは通勤客が居たのですが、みんな下車して車内はガラガラになりました。
昼間は1時間に1本しか有りません。
この車内の状態なら、1時間に1本は仕方が無いです。



(08:54)
豊郷駅で下車しました。
この駅で下車したのは私だけでした。
駅がコミニティハウスとなっていますが、閑散としています。



伊藤忠兵衛旧邸跡

伊藤忠の創業者。伊藤忠兵衛旧邸跡です。
立派な石碑が有ります。
この跡地。くれなゐ園と言う石柱が立っていました。





(09:01)
歩き始め。
豊郷地内を歩きます。



又十屋敷

(09:13)
この場所。表には一里塚の石柱が有ります。
豊会館・又十屋敷となっています。
残念ながら休館日でした。
説明板には北前船で財を成したと書いて有りました。



江州音頭発祥地です。
説明の石碑には盆踊りで扇を持って踊ると書いて有ります。
由来には天正と言う年号が入っていました。




(09:19)
宇曽川の東の桜です。
蕾の先がピンクになり、もう直ぐ開花です。






宇曽川を渡り、愛荘町に入りました。
愛荘町の沓掛と言うところを歩いています。

手元の資料の地図。
愛知川町となっています。調べたら秦荘町と愛知川町が一緒となり、愛荘町が出来ています。



(09:41)
この先が愛知川宿です。
東の入口で木戸が設けて有ります。
宿場内の道は舗装の色が異なります。




愛知川宿ポケットパーク

ポケットパークが整備して有ります。
瓦の乗った土塀が有り、立派な公園です。



愛知川宿本陣跡

(09:50)
この建物。
化粧直しをして綺麗な建物となっています。
この建物の右側に本陣跡の札が立っていましたので、この建物が本陣跡ではないのかもしれません。
右の建物は日本生命でした。





愛知川宿の中です。
向こうに見えるのが竹平楼と言う料理屋さん。
明治11年に、明治天皇が北陸巡行の際に立ち寄ったと書かれていました。


明治天皇御聖蹟

(09:54)
明治天皇が立ち寄った時の事を現す石柱です。
竹平楼の一角にあります。
竹平楼の玄関には対の提灯が下がっていましたが、中山道恵智川宿と言う字で書かれていました。




(09:56)
愛知川宿の西の入口まで来ました。
橋の名は不飲川橋と現しています。この川。彦根の方へ向かって流れて行きます。
橋のたもとの桜は、チラチラと咲き始めています。
ライトアップの照明の準備が済んでいます。






国道8号線に出ました。
中山道から国道8号線に出たのですが、道路の反対側に一里塚跡が有ったようですが、見落としてしまいました。




愛知川堤防の脇。
こんな説明板が設置して有りました。
恵智川の字を使っています。
かつては無賃の橋だったようです。




御幸橋

(10:04)
愛知川の御幸橋を渡ります。




御幸橋の上から上流を眺めました。
のぞみか、ひかりか。
下りの新幹線列車が西に向かって走って行きます。
手前の鉄橋は近江鉄道の鉄橋です。




てんびんの里石碑

右が国道8号線。左が中山道です。
ここで左右に別れ、分岐点に「てんびんの里」の石碑が立っています。
横断歩道橋の表示が東近江市五個荘町となっています。五個荘町は近江商人を多数送り出した町です。
てんびん竿を担ぎ、行商を行いました。


コメダ珈琲五個荘店

(10:17)
小腹が空いた。
今ならモーニングに間にあう。
それで、コメダ珈琲に入りました。



(10:37)
五個荘中央公園の横を流れる川。
川沿いに桜並木になっています。
桜の花がチラチラと咲き出しています。




今日のKオジサンの後ろ姿です。


五個荘ポケットパーク

(10:48)
大きな絵図です。
右下に中仙道分間延絵図となっていて、文化3年に江戸幕府が作成した街道絵図となっています。
小幡村とか北之庄村と詳細に書かれています。





五個荘町の北町屋地内を歩きます。





(11:01)
京町屋風の商家。
北町屋町が購入して保存していると書いて有ります。





茅葺きの家屋。
街道筋らしさが有ります。



石塚の一里塚跡

(11:11)
石塚の一里塚跡。
この一里塚の手前で民家の庭に桜に似た花が満開状態でした。
その家の人に聞きましたら、スモモの花だと教えてくれました。
私の姿を見て、中山道を歩いている人だと思い、一里塚がその先に有ると教えてくれました。




中山道モニュメント

てんびんの里のモニュメント。
五個荘の西の入口に設置して有ります。
近江使用人がてんびんを担いでいる姿です。



清水鼻の名水

(11:19)
名水の説明板。
「五個荘地区まちづくり協議会」の字が見えます。
このように説明板を設置し、取り組んでいるのでしょう。



国道8号線を横切って東老蘇地区に入ってきました。





民家のジンチョウゲ。
芳香を放っていました。




(11:52)
東老蘇地区、街道らしい道です。



泡子地蔵尊遺跡

水路の横に泡子地蔵尊遺跡の碑が有ります。






泡子地蔵尊のいわれがあります。


西生来一里塚跡

(12:24)
西生来一里塚跡の石柱が設置して有ります。


武佐宿脇本陣跡

武佐宿脇本陣跡です。
この脇本陣の手前に牟佐神社が有りましたので、武佐宿に入って来たと感じていました。
奥の建物は武佐町会館となっています。




(12:41)
いっぷく処 綿屋の壁。
武佐宿を紹介するプレートを掲げています。
額の中の絵にゾウが描かれています。
このゾウは享保13年に江戸へ向かった時のものです。



武佐宿本陣跡

武佐宿本陣跡。
しっかりした門構え。風格が有ります。



近江鉄道武佐駅

(12:49)
武佐駅へ来ると電車が停まっていました。
12時49分発の八日市行きが発車して行きました。


伊庭家跡

伊庭家跡です。配置図から広い邸宅だったと想像できます。
説明板には伊庭貞剛邸と有ります。
幕末期には京都御所警備隊士として活躍した後、裁判所に勤めた。
そして、別子銅山の精錬所の移転に尽力したと有ります。
80歳で生涯を終え、西宿の地に眠ると有ります。この場所が西宿町ですので、この一角にお墓かが有るのでしょう。
右が若宮神社です。横の桜は5分咲き程度でしょうか。




(13:22)
千僧供町に来ました。小公園の場所です。
住蓮坊首洗いの池です。
桜。5~6分程でしょうか。




(13:42)
近江八幡市の東横関町へ来ました。
反対方向から歩いて来た人が居ました。
どちらからと言葉を交わしましたら、西横関から歩き始めて近江八幡まで歩くと言っていました。




(13:46)
立て続けに反対方向から歩いて来た人に会いました。
この人は武佐宿までを歩くと言っていました。




(13:53)
前方は日野川の堤防です。
説明板が見えます。




武佐宿の説明板が設けて有りますが、ここは渡し場跡です。
石碑が有ったか、見かけませんでした。
当時はここで渡し舟で対岸に渡っていました。浮世絵から、この場所が渡し場だったと想像できますが、石碑などの表示が欲しいところです。
それにここから左に迂回して横関橋を渡る事となります。
そんな指示標識が有ればと思いました。





日野川の堤防です。
右は竹ヤブで左は桜の並木です。
ここの桜。
蕾が固く咲き出す気配が有りません。




(13:59)
日野川を渡ります。
横関橋の上から下流方面を望みました。






中山道が、国道8号線と重複区間となりました。
道路の端を歩きますが、車がビュンビュン走り、喧しかったです。



道の駅 竜王かがみの

(14:41)
「道の駅 竜王かがみの」に寄りました。
ここで一休みしました。
ここに来る途中、「鏡の里」で旅籠だった事を現す立て札が何軒か有りました。
「鏡の里」は間(アイ)の宿なのかも知れないです。



(15:00)
国道8号線の横に池が有ります。
地図には東池となっています。
池越しに三上山が見えます。三上山で別名近江富士と呼ばれている山です。




(16:01)
ここの桜。ほぼ満開です。
後ろの建物は野洲小学校の校舎です。
桜の下に説明板があり、「中山道・外和木の標」の分が書いて有りました。


野洲川橋

野洲川に架かる野洲川橋を渡ります。




(16:22)
野洲川橋の上から左後ろを振り返りました。
三上山が見えます。
円錐形をした山です。


JR守山駅

(16:46)
守山駅に来ました。
脚は大丈夫なのですが、脚の裏が痛くなりました。
それに、時間が17時近くとなったので、ここでリタイヤする事にしました。
本当は、草津宿まで行こうと思っていました。





いきいき情報と通常情報を比較できませんが、4万歩を超える歩数で、30キロを上回る距離を歩きました。





 感想
8時間近い時間で、30キロ余りを歩きました。時速にすると4キロほどなのでしよう。早く歩くと見落としてしまうモノが有ります。伊藤忠兵衛旧宅は閉じていましたし、又十屋敷は休館日でした。このような場所をゆっくりと訪ねたいと思います。


今日の経費
JR那加駅からJR彦根駅まで 1,140円
近江鉄道彦根駅から近江鉄道豊郷駅 450円
コメダ珈琲  400円
お握り 198円
アイスクリーム   198円
JR守山駅からJR那加駅まで 1,660円
          合 計 4,046円


kオジサンの中山道・東海道旅日記  その6  遂に京都へ
4月4日(水) 晴 JR守山駅から京都三条大橋まで  へ

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豊橋自然歩道の山   座 談 山 (310m) 

2018-03-25 23:09:46 | ミツルのテントサイト

座談山の正しい標高は何メートルなのだろう。あるサイトでは320mとしている。また、ヤマップでは309mと表している。312mと表示しているサイトもある。国土地理院の地図では、ここの等高線が310mとなっているので310m以上有るのは確実だと思う。

「ミツルのテントサイト」の皆さんと豊橋自然歩道の座談山へ行って来ました。今回の企画者は風花さんでした。JRの列車を使っての山行です。同じ列車の最後部に乗車することになっていました。乗車する列車が決っており、途中駅から次々と乗車してきてメンバーが揃いました。こう言う山行も有りだなと思いました。
向かった山は豊橋自然歩道の山で、座談山です。JR二川駅で下車して二川自然歩道の登山口から向かい、豊橋自然歩道を歩きました。色々の支線がありまして、豊橋自然歩道が幹線となっています。帰路は普門寺峠から普門寺自然歩道で下山し、JR新所原駅に着きました。
ヒロハノアマナやキスミレ。それにカタクリが群生していました。スミレやミツバツツジ。豊橋自然歩道でこんなに沢山の花に会えるとは思っていませんでした。
適度なアップダウンがある好い山でした。

カメラの画像が表示したコース時間です。
JR二川駅(9:27)  ― 二川自然歩道登山口(9:35)  ― 東山(松明峠)(10:15~10:24)  ― 
二川TV中継所(11:40)  ―  座談山(11:51~13:09)  ― 船形山城址(13:24) ― 
普門寺峠(13:28)
 ― 普門寺(13:45)  ― JR新所原駅(14:45)


石巻山自然観察路マップ。豊橋市石巻自然科学資料館発行。
石巻山・弓張山地周辺案内図より引用しました。





JR二川駅は橋上駅となっています。
駅から見える山。今日、これから歩く山が見えます。


JR二川駅

出発して後ろを振り返りました。
JR二川駅の様子です。
左側にこれから登るグループが居ました。私たちと同じ列車に乗車してきた人たちです。出発前のミーティングで今日は、20名と言っているのが聞こえました。


二川自然歩道登山口

県道から二川自然歩道の入口に入ります。




自然歩道を歩いて来て、伊寶石神社の入口に豊橋自然歩道の案内表字が設置してありました。
こう言う案内板。これから歩くコースが判り、有り難いです。




二川自然歩道を歩きます。
所々でスミレを見かけだしました。




二川自然歩道です。
しつかりした指示標識が設置して有ります。


東山(松明峠)

東山(松明峠)に到着です。
広場のような場所で西側と、東側の眺望が広がります。




西側の眺望です。
ビルが立ち並ぶところが中心部なのでしよう。




東山(松明峠)を出発してから、大きな木が見えました。
何と言う木だろう。
木登りをするのに最適な感じのする木です。
誰かが表示板が欲しいと言っていました。




歩いていて、所々でカタクリが見え出しました。




この先。
ピークで眺望の良い場所に出ました。




ピークから見えた下界です。
この展望の良い場所に男性が居ました。
登ってきた人に話し掛けたい。そのな風に見えました。
水路が見えたので、男性に聞きましたら豊川用水だと教えてくれました。
地図で確認しましたら、トンネルから出て来たのが、この場所の下になっています。

男性は登ってきた人に話し掛けたかったみたいでした。
男性に質問したら豊川用水だと教えてくれました。地図で確認しましたら丁度、アノ場所はトンネルから出てきて、用水路で流れていくのでした。南に進み、そして西へ流れて行く。
渥美半島を西に流れ、最終的には初立ダムまで行きます。渥美半島が電照菊や温室メロンで栄える。そんなのも、この用水が有るからだと思いました。勉強になりました。
アノ男性。何時も来ているのでしよう。私たちに喋りたかつたのではと思いました。
下に見えた用水について教えて貰え、知る事が出来たのは収穫でした。
地図には豊川用水東部幹線水路となっています。東部が有ると言う事は西部もあるのだろうか。





これから向かって行く方角です。
起伏の有る弓張山地の山々が続きます。



歩いて来てヒロハノアマナが群生している場所に来ました。
こんなに、ヒロハノアマナが咲いている場所は見た事が無いです。




ヒロハノアマナの群生です。




ヒロハノアマナの向こう側。
こちらはキスミレの群生です。
こんなに沢山のキスミレを見るのは初めてです。



キスミレをアップで。



二川TV中継所

テレビの中継所に来ました。
沢山の人が訪れています。




中継所の脇。
こちらはカタクリの群生です。




高圧線の鉄塔の有る場所。
アソコが座談山です。




自然歩道にこんな花が咲いていました。
ヒメハギだと山友に教えて貰いました。
このヒメハギ。見たのは初めてです。



座談山から歩いて来た方角を振り返りました。
二川TV中継所が見えます。



座談山

座談山に到着です。
ランチタイムの始まりで、ミツルさんがブルーシートを広げます。




ランチタイム。
ソロソロ・・・・・・・お開きに・・・・と言うタイミングです。
右側には浜名湖の眺望が広がります。
春霞的な状況で空気の透明度が低く、遠方が見えないのが残念です。




楽しいランチタイムの終り。
ブルーシートを畳みます。
この山頂に1時間以上も居ました。




引き続き豊橋自然歩道を空きます。
アップダウンの繰り返しです。
前方には向かって行くコースが見えます。




豊橋自然歩道に設置してある指示標識です。
柱に「ホ45」と表示しています。
事故を起こし田時に緊急連絡するための位置表示なのでしょう。



船形山城址

船形山城址に着きました。
この辺りは国境です。
戦国時代に度々合戦があったのでしょう。城址と言っても、砦的なものだと想像します。


普門寺峠

普門寺峠まで歩いてきました。
ここからは普門寺自然歩道を歩きます。




普門寺自然歩道を下って行きます。



普門寺

普門寺まで下山してきました。




普門寺からJR新所原駅へ向かいます。




歩いていて、後ろを振り返りました。
今まで、歩いて来た山々が見えます。


JR新所原駅

お疲れ様でした。
新所原駅に到着です。この駅も橋上駅でした。
この駅に隣接して天龍浜名湖鉄道の新所原駅が有ります。
天浜線の新所原駅はうなぎ屋さんとなっていて、うなぎ弁当を販売していました。
地元の人は天龍浜名湖鉄道を親愛の情をこめて、天浜線と呼びます。かつての国鉄二股線です。第3セクターとなった鉄道ですが、駅それぞれに特徴が有り、歯医者や喫茶店。レストランなどとなっている駅が有ります。



青空フリーパス

今回、使った青空フリーパスです。ここに書かれていますように、土日曜と休日。それに年末年始です。
利用範囲が決められており、遠くへ行けば行く程トクになります。でも、伊勢奥津とか紀伊長島は1時間に1本。列車が無い線も有りますので、時刻表と相談しなければなりません。
今回、乗った区間が那加駅から二川駅までです。片道1,940円。往復にすると3,880円で1,310円安くなりました。
帰路は新所原から乗車しましたが、エリア外からの乗車であり、新所原から二川までのキップ。190円を買いました。
上手な鉄道利用法。
こう言う山行もアリですね。


感想
豊橋自然歩道が幹線で二川自然歩道や普門寺自然歩道が支線となっています。歩く時間でコースを変えたり出来ます。
ヒロハノアマナやカタクリなど沢山の花に会え、良い山でした。座談山辺りから富士山が望めるようですが、今回は霞んでいて、出来ませんでした。
バラエティに富んだコースが歩けます。今回、私たちが昼食をとっている時間。多くの人が通過して行きました。改めて人気の山だと感じました。

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愛知の最高峰    茶 臼 山 (1,415.8m)  萩太郎山 (1,358.6m)

2018-03-15 23:55:15 | かがみの山歩会

山歩会で奥三河の茶臼山に行ってきました。予定では飛騨の福地山に行く計画になっていましたが、雪が残っていると言う事で茶臼山に転進となりました。
先に茶臼山に登り、つづいて萩太郎山に登りました。茶臼山から萩太郎山へ向かう途中、矢作川源流の石碑を目にしました。岐阜県に上矢作町があり、こちらが源流だと思っていましたが、茶臼山が源流であることを知りました。こんな事も発見です。
茶臼山の山頂へは遊歩道のような道となっていて、比較的歩き易い山でした。


茶臼山の案内地図。
てんくう」と言う星空カフェの場所にありました。




歩きはじめです。
ゲレンデの横を歩き始めました。
先に見える青い看板が「てんくう」です。




「てんくう」を過ぎ、駐車場を横切って西登山ルートから山頂に向かいます。




先に見えるのが茶臼山の山頂です。
まだ、山は冬の装いです。




登りながら後ろを振り返りました。
エンジン音が聞こえたのですが、圧雪車?。ゲレンデを走っています。




こちらは東の方角です。
甲斐駒岳と千丈ヶ岳だと思います。
画像ではハッキリしないのですが、肉眼ではシッカリと見えました。




今までは草地を歩いてきましたが、ここからはクマザサのコースに変わります。




木の階段が整備して有るのですが、土が雨で洗い流されており、歩き難くなっています。




もう直ぐ山頂と言う所まで歩いてきました。




山頂に到着です。
三角点が有ります。




木製の展望台に登ってみます。




南側の眺望です。
この後、向かう萩太郎山です。




萩太郎山をアップで。
ゲレンデが見えますが、草地が露出しています。




茶臼山の山頂で昼食を取りました。
これから下山します。
日陰に残雪が有ります。




下山して来て、駐車場の場所に来ました。
この場所から見える南アルプス方面の山々が現して有ります。




雲が、全く無い時に撮影した南アルプスです。




駐車場から北東の方角です。
蛇峠山が見えます。
山頂のレーダードームが確認でき、あの山が蛇峠峠山だと特定出来ます。




矢作川源流の石碑を見かけました。




歩道を歩きます。
前方の山が先ほど登って来た茶臼山です。




茶臼山を周回してきて萩太郎山を登り始めました。




ゲレンデの雪が解け始めています。
コンクリートの道を登りますが、ゲレンデで勾配がキツいです。




アノ展望台に登ります。





展望台まで、もう少しです。




展望台からの眺望です。
芝桜のお花畑。
もう直、花が咲き沢山の人が訪れます。




コンクリート道を歩いて下山して行きます。
雪が解けて、チョロチョロと音を立てて流れていました。





ゲレンデの脇を歩いて行きます。




駐車場の所まで降りて来ました。



感想
以前に山友2人と茶臼山へ来た事が有ります。山頂から下山して来て道路を歩いていました。間違えて逆の方向に向かってしまいました。誤りに気付きトボトボと歩いて戻りました。その時、軽四車に拾って貰いました。時期は愛知万博が有った時でした。奥さんと子供達は万博会場へ。男性は万博に興味がないと言うことで、この茶臼山辺りをブラブラしていたのです。
あの時の車は確か、岡山ナンバーでした。記憶が薄くなっていきますが、微かな事だけは覚えています。
芝桜の時期に来た事が有ります。その時、道路がとても混雑していました。花が綺麗だったと言う印象より、道路が混雑していたという印象の方がが強いです。それに、今のリフトはペアのシートとなっていますが、あの時はシングルのシートではなかつたかと言う思いがします。

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垂井町の古い城山   菩 提 山 (401.0m) ・ その後は、明神山石の鳥居まで

2018-03-14 23:59:00 | 弐水会

弐水会で不破郡垂井町の菩提山に行ってきました。
今月も会長が欠席でした。それで、ピンチヒッターをKサンが務め、Hサンは補佐役でした。会長が不在でも会長の代わりを務める人が居る。また、その人を支えてる人が居る。これが会のまとまりだと思います。今回も楽しく山行する事が出来ました。
菩提山は垂井町の北部に位置する低山です。戦国時代には、お城が有った山で今でも城跡が残っています。秀吉の軍師を務めた竹中半兵衛重治が城主の時代がありました。時が移りその子の重門が城主となった時も有りました。
垂井町を中仙道が通過している事や合戦が有った関が原に近いなど、重要な城で有ったのでしょう。今はハイキングコースが整備されていて、比較的歩き易い山でした。



今回のコース地図です。
計画では明神山まで行く予定でしたが、倒木が有り、歩き難い山でした。それに、時間がオーバー。
明神山石の鳥居から引き換えしました。



車を停めたのが観光駐車場です。
駐車場から歩き始めました。



竹中氏陣屋跡。半兵衛の息子、重門(しげかど)が作りました。
陣屋の建物は無くなっていますが、入口の門や石垣(いしがき)などが残っています。

ここの南に菁莪(セイガ)記念館があり、竹中家関係を中心に岩手地区ゆかりの資料が展示してありました。
この建物にトイレが備わっていました。
これからハイキングコースを歩く。そう言う人たちのための配慮でしょう。


これから登る菩提山の方向です。
高圧線の鉄塔が山頂の方角であり、武将の幟旗が立っていたと、Hサンが話していました。
戦国時代に城が有った場所であり、戦国時代の城址の雰囲気を高めようとしたのでしょう。




登山口に向かってアスファルト道を歩いています。
前方を貨物列車が通過して行きます。
東海道線の下り線で貨物列車や特急列車の専用線になっています。




踏切から東海道線の下り線を眺めました。
もともと、この線路は東海道線が垂井から関ケ原へ向かうのに、勾配がキツイので、それを避けるため設けられた線路です。この先にトンネルが有り、トンネルからこちらに向かっては登り勾配が見た目でも判りました。
かつては蒸気機関車で関ケ原越えをしていたのだけれど、今は電気機関車や電車の時代です。楽々登れるのではなかろうか。





白山神社からの登りとなっています。
その場所に設置してあったハイキングコース案内図です。





何箇所も指示標識が設置して有ります。





木製の階段の箇所も有ります。






ここは分岐。
右に向かうと明神湖に行きます。






城址の山頂に到達です。




双眼鏡が設置してあり、硬貨を投入しなくても自由に見る事が出来ます。





山頂からの眺望です。
弧を描くように建設された下り線の線路が見えます。





頂上から見える反対側の眺望です。
残雪の伊吹山が見えました。
今だから伊吹山が見えますが、葉が繁ると見えなくなります。
できる事なら眺望を良くして貰いたいと思います。





山頂を後にして明神山に向かいます。




この辺り。
左が天然林で右が人工林です。





右側に見える山。
アノ山辺りが明神山なのでしょう。
道路が有り、白いガードレールが見えました。




倒木が何本も有り、行くてを阻みます。






石の鳥居が有り、この場所はピークとなっています。





鳥居の場所に適度な場所があり、ここで昼食を取る事にしました。






鳥居の有る場所から、明神山までは時間が掛かりすぎると言うことから、この場所から撤退です。
石柱に大正九年と彫って有ります。
今のように重機の無い時代です。
ミコシを担ぐように運び上げたのではと思います。
若者が掛け声を挙げ、担ぎ上げるシーンが想像できます。




城址に戻って来ました。





明神山に行く時には気がつかなかった指示標識。




城址からの眺めです。
左下の白い建物が岩手小学校。それに校庭です。隣の青い屋根は保育園でした。ここに上って来る時、園児が手を振ってくれました。
遠くに垂井の町が見えます。
左の方に見える川が相川で、もう直ぐ堤防の桜が満開になります。
霞んでいて、判りづらいですが、カーブして来る新幹線も見えます。



下山して行きます。
指示標識のある箇所。
ここで、左に折れてダムの方に向かいます。





急な檜林の中です。
下山するのだから良いのですが、逆に登るとなると息が切れるでしよう。





この辺りも急登です。
九十九折れのコースになっています。





ダムの堰堤が見える場所まで来ました。




堰堤からの眺望です。
眼下に垂井町の谷集落が見えますが、遠くは霞んでいます。




ダム堰堤の会談を降りて行きます。
このダム。不破北部防災ダムと言う名です。
ロックフィルダムだと思います。
明神湖に飲料水となる湖なのでボートを浮かべたりする行為を禁じていました。
防災の目的だけでなく、生活用水として活用しているのでしよう。





堰堤から降りてきて、上を見上げました。
大きなロックフィルダムです。





岩手川に沿って歩きます。




民家のウメ。
満開となり、香りを放っていました。






消防団の倉庫みたいな建物。
過ぎた時代のモノとなってしまいましたが、特徴を捉え上手く描けています。






竹中家の菩提寺である禅幢寺に寄ります。
境内に竹中半兵衛の墓がありました。





東海道線の下り線です。
線路の下を通過します。
このシーンで、列車が映せると良いタイミングですが、列車の本数が少なく映せません。





観光駐車場まで戻って来ました。


この後、女性から声が出ていた垂井町のグルマンに寄りました。
私はマドレーヌとプリンを買ってきたのですが、濃厚な味のプリンで美味しかったです。

感想
久し振りの山登りでした。
登り始めはキツく息が切れました。菩提山はハイキングコースとして整備され、良い山でした。それに、竹中半兵衛らの歴史を学ぶ事が出来ました。



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kオジサンの中山道旅日記 その4 JR柏原駅から近江鉄道豊郷駅 まで

2018-03-07 23:50:29 | Kオジサンの中山道旅日記 

3月7日(水) 晴 JR柏原駅から近江鉄道豊郷駅

第4回で、前回の続きです。今回から滋賀県を歩きす。柏原宿から醒井宿、番場宿、鳥居本宿、高宮宿を経て近江鉄道の豊郷駅までを歩きました。計画では愛知川宿まで歩く予定でしたが、途中、道を間違えてしまいロスが生じました。近江鉄道の電車は1時間に1本しかないので近江鉄道の豊郷駅で終りにしました。
今回歩いたのは米原市の柏原宿、醒ヶ井宿、番場宿と彦根市の鳥居本宿、高宮宿です。自治体に寄って、中山道に対する取り組みの温度差を感じました。


近江歴史回廊 宿駅散策 近江中山道中絵巻①②より引用しました。

JR柏原駅  ― 柏原宿本陣跡  ― 柏原宿歴史館  ― 柏原の一里塚跡 ― 
小川の関跡 ― 
一色の一里塚跡 ― 醒井宿東入口 ― 井醒の清水 ― 
醒井宿問屋跡 ― 一類孤魂等衆の碑 
― 久禮の一里塚跡  ― 番場宿本陣跡  ―
 蓮華寺  ― 中山道道標 ― 磨(摺)針の一里塚跡 ― 
磨(摺)針峠 ― 
中山道モニュメント  ― 赤玉神教丸 ― 鳥居本宿本陣跡 ― 鳥居本宿交流館さんあか
 ― 
中山道道標 ― 小野小町塚 ― 天寧寺石碑  ― 高宮神社  ― 高宮宿本陣跡
― 
むちん橋地蔵尊  ― 中山道モニュメント ― 豊郷小学校 ― 近江鉄道豊郷駅   





参考書籍と資料。
学研の近江路をゆく 柏原宿~三条大橋を参考にしました。
右は近江歴史回廊 宿駅散策 近江中山道中絵巻①②です。



(8:40)
前回、終りとしたJR柏原駅に降り立ちました。
駅前から見える伊吹山です。
雪の量が減っています。




JR柏原駅で下車したのは私と、このお二人です。
刈谷駅から乗ってきたと言っていました。ICカードで来たのですが、 JR柏原駅はICカードが利用できる範囲外であり、現金を払って料金精算をしていました。
登山姿です。
霊仙山に登るのですかと聞いたら、清滝山だと言っていました。



柏原宿

(8:41)
駅から柏原宿へ歩いてきました。
宿場町の雰囲気が有る街道です。





柏原宿の説明板。
長い宿場町です。





高札場の跡です。




伊吹もぐさ亀屋佐京商店。
かつては何軒かもぐさ屋が有ったようですが、今では、この店だけとなりました。



柏原宿歴史館。

(8:52)
柏原宿歴史館。
先を急ぐので入館しませんでした。




今日のKオジサンの後ろ姿です。





「やくし道」道標。
立派な道標です。霊験が有った薬師への道標と書いて有ります。





宿場の西の方です。
ポケットパークのような場所。





柏原地区街なみ環境整備事業の説明板です。
平成16年度から25粘土に掛けて実施したと有ります。
家屋のビフォーとアフターが載っています。
街道らしい雰囲気の有る宿場町だと思いましたが、一緒に電柱の地中化も実施すれば・・・と思いました。





宿場の表札。
造り酒屋とか年寄。色々有ります。艾屋と言うのが有りますが、「よもぎ屋かもぐさ屋」です。
柏原宿では、伊吹もぐさを名物として販売し、全盛期には10軒ほどのもぐさ屋が軒を並べていたようです。それが今では1軒だけになりました。



(9:04)
柏原宿の西の外れ。
柏原の一里塚跡です。





宿場の外れ。
松の大木が有り、街道らしさを出しています。




工場の日陰には雪が残っています。
柏原宿の道の真ん中に融雪装置が有りました。
もともと、雪深い地域なのでしょう。




(9:37)
街道らしさが有る松並木。
この左側はラブホテルです。





国道21号線に出ました。
大きな石碑に中山道と刻まれています。
左となっており、道なりに進みます。




(9:52)
米原市の一色と言う集落に入って来ました。





民家のウメ。
もう直ぐ満開と言う状態です。




ここは一色の一里塚跡です。


醒井宿

醒井宿の入口に来ました。
石碑が設置して有ります。
右側は「中山道分間延絵図」の醒井宿の部分です。




(10:02)
醒井宿に入ってきました。





居醒の清水です。
地蔵川の水源となっている場所で、清水がコンコンと湧き出ています。
この場所の南に霊仙山が有ります。その山は石灰岩が露出した山です。ですからこの水は石灰台地の下を通ってきた水が地表に現れたものです。
醒井の地蔵川の名は知っていましたが、このような状態になっているとは知りませんでした。

JR醒ヶ井駅の斜め前に「醒井水の宿駅」が有ります。
このように水に恵まれた場所だから「水」付したのでしょう。
JRの駅は醒ヶ井駅で、ヶが入っていますが、醒井宿はヶが入っていません。





米原市醒井宿資料館。
醒井宿問屋場の標識が設置して有ります。




(10:30)
醒井宿を出て、国道21号線に来ました。
道路脇に「一類孤魂等衆」の碑がありました。





中山道を西に歩いていました。
踏み切りの警報機が鳴っていたので、少し、寄り道をしました。
米原行きの普通列車です。



樋口と言う集落です。
この先に信号機が有りました。
国道21号線を横断しました。





(11:03)
北陸自動車道の下を通過しました。
前方に見えるのが久禮の一里塚跡です。
中山道が右奥に向かっています。



番場宿

番場宿に入ってきました。ポケットパークのような場所です。
ここにも「中山道分間延絵図」が有ります。
この絵図は番場宿のものでしょう。

番場宿と言えば「番場の忠太郎」です。
この宿場に忠太郎地蔵が有ります。
歩いて行けば忠太郎地蔵は判るだろうと思っていました。
忠太郎地蔵があるのが蓮華寺でした。蓮華寺へ行ったのですが、地蔵を見つける事が出来ませんでした。
長谷川伸の「番場の忠太郎」に纏わるだろう、忠太郎地蔵。
見たかったです。




(11:15)
広い街道です。
番場宿の中でも中心部なのでしょう。





脇本陣跡や問屋場跡の石碑が設置して有ります。






(11:41)
個人のおウチなのですが、番場宿の幟旗が立てて有ります。






番場宿のハズレまで歩いてきました。
登りの道になります。
この先が小磨(摺)針峠になります。




(12:12)
中山道の石碑が2本あります。
ここで、道が右にカーブしていて、そちらに向かわなければならないのに、左の方に向かってしまいました。





(12:49)
石柱が2本ある場所に戻って来ました。

峠で、道がヘアピンカーブのように曲がるのですが、名神の下を通り、行けども行けどもカーブが現れませんでした。
おかしいと思いました。そして、間違って来てしまった事に気付きました。名神の下を通った時におかしいと気付かなければなりませんでした。
結局、中山の処分場よりも先まで行きました。
往復40分程の時間を無駄にしました。





(12:53)
石碑の有る分岐から坂を登ってきました。
磨(摺)針の一里塚です。





(摺)針峠への登り坂です。




(13:18)
磨(摺)針峠からの下り道です。
車道から離れて山道を下ります。
今の時期だから良いようなものの、夏の時期なら雑草が繁っている事と思います。
それにゴミが散乱していました。



(13:26)
峠から下りてきて国道8号線へ出ました。
そして、直ぐに橋を渡り国道から分かれ、街道である中山道となりました。
鳥居本宿の入口となり、歓迎のモニュメントが迎えてくれます。


鳥居本宿

鳥居本の宿場に入ってきました。





赤玉 神教丸。古くから有る薬商です。
江戸時代の旅人がこの店で薬を買ったのでしょう。
反対側の入口にもノレンが下がっていました。
そして、処方せん受付のプレートが下がってました。
今も薬商を営んでいました。




(13:37)
合羽所「木綿屋」。
旅人が道中の途中に合羽を買い求めたと有ります。
それに、この鳥居本宿に合羽所が15軒有ったと書いて有ります。
合羽所「松屋」の説明板には1970年代に終焉を迎えたと書いて有ります。



(13:41)
鳥居本宿交流館 さんあか。




「さんあか」の館内に入ってみました。
三つのレッドを見て、「さんあか」の意味が判りました。
赤玉レッドの横の写真は昨年の街道祭りの時のものでした。





鳥居本宿に有った説明板です。
設置してから時間が経っているのでしょう。字が欠落した説明板も有りました。




中山道道標です。
彦根に向かう道の分岐点です。





(13:55)
鳥居本宿のハズレに来ました。
前方を新幹線が走って行きます。




彦根市小野町にある小野小町塚です。





(14:40)
地蔵町と言うのか、彦根市旭森地区に入って来ました。




高宮宿

(15:09)
高宮宿の中に入ってきました。
曲がりくねった道。
街道らしさがあります。





ズラーと並んだ提灯。
提灯屋です。
古くから営んでいるのでしょう。提灯製造 馬場と書かれています。




(15:14)
ここから多賀大社に向かう分岐点となった場所。多賀大社一之鳥居です。
多賀大社の大きな鳥居の足の部分です。




高宮宿の説明板が設置してありました。




犬上川に架かる発見された地蔵を祀っているお堂です。
川を渡るのに渡し舟や橋が有り、通行料を徴収していました。
この橋は徴収しなかったので「むちんはし」と呼ばれます。





(15:39)
中山道の西の端。
また おいでやのモニュメントで、旅人のブロンズ像が乗っています。




豊郷町に入って来ました。
豊郷小学校の正門からです。




(16:07)
奥に見えるのが近江鉄道の豊郷駅です。
愛知川駅まで行く予定でしたが、電車が1時間に1本しかなく、本日はここで打ち切りにしました。




豊郷駅コミニティハウスと描かれています。
この駅。乗車券の販売が先月末で終り、無人駅状態となっていました。




(16:29)
16時28分発の米原行きの普通電車が入線してきました。




歩いた後の歩数から歩く前の歩数を引くと、40,878歩となります。
距離は33.1kmとなっていすが、歩き出す前と歩いた後の距離を差し引いても30kmは歩いています。




知る面白さ
柏原宿では艾屋と言う表札を目にしました。調べましたら「もぐさ屋」と読む様です。そんな店が隆盛期には10軒も有ったようです。それが今では1軒となりました。鳥居本宿では合羽所と言って、合羽所が15軒有ったと書いて有りました。それがナイロンの出現に寄り、廃業を余儀なくされたと有りました。旅人が買い求めたのが縞の合羽なのか。大八車を覆うシート状の物も作ったようです。もぐさや合羽の衰退。色々と勉強になりました。

道を間違えました
磨(摺)針峠の手前の道標の場所。右に向かわなければならない所を左に向かってしまいました。ヘヤピンカーブになるとは思っていたのですが、行けども行けどもヘヤピンカーブが現れず、道を間違えた事に気付きました。事前にシッカリと押さえて置かなければと反省です。

今日の経費
JR那加駅からJR柏原駅まで 760円
パン   100円
カップ麺 108円
豊郷駅から彦根駅 450円
JR彦根駅からJR那加駅   1,140円
          合 計    2,558円


kオジサンの中山道旅日記  その5  
3月28日(水) 晴 近江鉄道豊郷駅からJR守山駅  へ

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