木曽谷を尾張藩が所領として治めていました。尾張と木曽を結ぶ街道で、今の国道19号線に沿った街道を下(シモ)街道とか善光寺街道と呼んでいす。同じく、もう1本の街道で、尾張と木曽を結ぶ街道で上(ウワ)街道が有ります。またの名を木曽街道と呼んでいまして、名古屋城の東大手門前の志水口を起点として、小牧宿、善師野宿、土田宿と経由して中山道に至る街道です。
多くのホームページで、木曽街道を名古屋から北に向うコースで紹介されています。私は北から南に向かって歩いてみました。
木曽街道を歩いた人の記録を事前に準備し、地図を片手に歩いたのですが、街中では道に迷ってしまいました。街道の指示標識など、何もない状態なのです。先人の歩いた古の街道です。何か対策をとって貰えたらと思いました。
道端にスミレが咲いていたり、歩いている先へ先へとチョウが道案内をしてくれました。陽気が良く、春の訪れを感じながら歩きました。
参考にしたホームページです。
https://www.google.com/maps/d/viewer?ll=35.41430600000001%2C137.00105699999995&spn=0.031478%2C0.054932&t=m&msa=0&z=14&source=embed&ie=UTF8&brcurrent=3%2C0x600314104053e367%3A0xc2f572441cc9e60d%2C0&mid=19jTw3dvmnEVSLAcYxPyYQHqeCuE
http://aroundgifu.web.fc2.com/kisokaidou/00_kisotop/00_kisotop.htm
http://fumiki.travel.coocan.jp/furoku6/uwakaido6.html
カメラ画像の記録タイムから行程したものです。
今渡駅(9:33) ― 木曽川 ― 太田の渡し跡(9:53) ― 県道交差点(10:10) ―
土田宿本陣跡(10:49) ― 石原公民館(11:32) ― 石拾峠(12:07~12:37) ―
大洞池(12:51) ― 善師野宿説明板(13:11) ― 清水BS(13:20) ― 新池(14:05)
― 羽黒駅(15:07)
名鉄日本ライン今渡駅に着きました。
これからウオーキングスタートです。
駅を出て中山道へ、そして木曽川に向かいます。
善師野駅でご夫人2人が下車しました。
そして、可児川駅では10人以上の人たちが下車しました。
何れも鳩吹山を目指す人達です。それも、ご高齢の人達ばかりです。
改めて、鳩吹山は人気が有ると思いました。
木曽川に向かう途中に見かけた、まだ新しい案内板です。
今渡公民館に設置してありました。
この案内板で表示してあるコースを歩いたのですが、途中には何も表示が無く、案内板を設置しただけと言う感じのモノです。途中のポイント、ポイントに標識を設けたらと思いました。
木曽川の川岸まで来ました。
前方が木曽川で太田橋が見えます。あの場所。日本ラインの川下りのスタート場所で、中の島乗船センターが有った場所です。もう、建物は取り壊されています。ライン下りが中止となって数年が経ちます。でも、この案内表示板。残されたままとなっています。撤去を忘れているのでしょう。
木曽川渡し場遊歩道へ来ました。
石畳の遊歩道になっています。
かつて、この地と対岸の太田宿を結ぶ渡し舟が運行していました。
渡し場の説明板が設置してありました。
ここは県道84号線の交差点です。
これから向かう先。
真っ直ぐ道となっています。
土田宿本陣跡。
石柱が設置して有ります。
土田宿の説明板が有りました。
本陣跡を出て西に向かい、途中で左に折れなければなりませんでした。
地図を見ながら歩いたのですが、この道で良いのか、不安でした。
牛乳配達中の明治乳業の人。
この人に、コースを聞きましたら住宅地図を見て、この道で間違いないと応えてくれました。
前方に見える山は鳩吹山です。
歩いて来て、この親子連れに出合いました。
「カタクリの所へはどのように行ったら良いですか」と声を掛けられました。
カタクリの場所への行き方を教えてあげました。
そして、「写して良いですか」と許しを得て、撮らせて貰いました。
笑顔が返ってきました。
この先に橋が見えます。
そして、橋の下には可児川が流れています。
谷のように深くなった川です。
歩いて来て、土田城の石碑を見ている男性が居ました。
男性は名古屋から来たそうでした。
そして、これから鳩吹山に登ると話しました。
土田城の石碑の表と裏です。
戦国時代の城と言うより、砦のようなものなのでしょう。
石碑の南が山となっています。
平常時は麓で生活し、戦の時は山に駆け上ったのでしょう。
切通しの馬頭観音。
右ハかち(徒歩)道。左ハ馬道、川渡(太田の渡し)ハ東道と書かれています。
民家の塀越しにサンシュユの花が見えました。
石原公民館まで来ました。
ここ、木曽街道は東海自然歩道でも有ります。
これから住宅地の中を進んで行きます。
曲がりくねった、街道らしい道です。
左右がゴルフ場となっています。
コースをつなぐ橋の下を通過します。
道が二股に分かれます。
右が大平林道で左が木曽街道と東海自然歩道のコースです。左に進みます。
旧木曽街道の石柱。
左側と右側です。
街道らしい道です。
石拾峠から下りて来た男性。
自転車を引っ張ってきました。
言葉を交わしたのですが、「カタクリの所」へ行くと話していました。
石拾峠まで登って来ました。
この峠は東海自然歩道の恵那コースと愛知県コースが合流する地点です。
ここで合流して、犬山城の方へ向かいます。
テーブルとベンチが完備しています。ここで、昼食にしました。
石拾峠から下ってきました。
たどり着いたところが大洞池です。
道の両側に池があります。
釣り人と挨拶を交わしました。
その向こう。
ここは溜池のようで、アノ施設は水門みたいでした。
歩いていて、正面にドーンと、大きな岩が目に入りました。
その岩に祠のように祀られたところが有りました。
信仰の対象となった大岩なのでしょう。
ショウジョウバカマが群生しています。
〇〇スミレ。
スミレも街道沿いで見かけました。
左はヒョウモンチョウの仲間だと思います。
タンポポの密を吸っていました。
右はテングチョウです。
まるで道の案内人のように先へ先へと飛び、戯れている。そんな感じがしました。
大洞池の所から出てきました。
道が二股になっています。
どちらに進んで良いのか判りませんでしたが、右に進みました。
それで、正解でした。
馬頭観音があり、一里塚の跡に石柱が立っています。
観音様に花が供えて有ります。
石柱の右側と左側です。
裏側の前田四郎と言う名前は、この先で見た説明板でも見かけました。
前田四郎さんが私費で建立したのでしょう。
これから進んでいく木曽街道。
善師野宿です。
先に見える高架橋は尾張パークウェイです。
善師野宿の宿場概要図が掲げて有りました。
名鉄の踏切まで歩いてきました。
後ろを振り返りますと、歩いて来た善師野宿が見えます。
直線でない道路ですので街道らしさが有りますが、宿場跡を想像させるものは有りません。
木曽街道。善師野宿の説明板です。
文を書いた人が前田四郎さんです。
名鉄の踏切を渡り御嵩街道を右折しました。
途中から、道路を左へ入ったのですが、この道で正しいのか、判りませんでした。
集会所のような所から出て来た男性たちに、城東中学の方向はこれでいいのかと確認したら、良いと返事が有りました。
清水寺の前のバスストップです。
城東の歴史を知る会の説明板がありました。
今日のKオジサンの後ろ姿です。
歩いていて、塔野地地内で街道から外れてしまいました。
そして、修正するために辿った所に新池が有りました。
この池も溜池なのでしょう。
土手を登りましたら、カモが一斉に飛び立ちました。
尾張富士の見える所まで歩いて来ました。
歩いて来た後方を眺めました。
今回はここまでとして、街道から離脱します。
幹線道路を外して田の横の道を歩きます。
この道を羽黒駅に向かって進みます。
羽黒駅に着き、しばらくして電車が入ってきました。
犬山行きの電車です。
感想
太田の渡、つまり木曽街道が中山道と合流地点です。そこから楽田までを歩きました。北から南へ歩いたのです。尾張藩は木曽谷を領地として持っていましたので、藩士が役目を終えて戻ったのと同じ道程を辿った事になります。
歩いていて出会ったのは、カタクリの里に向かう親子連れ、これから鳩吹山に登る人。石拾峠から降りて来た男性。それに牛乳屋さんには道を教えて貰いました。一期一会の出会いが有りました。こう言うのもウオーキングの良さです。
道中、ジンチョウゲが芳香を放ち、ツバキやカワヅサクラが色を添えてくれました。春が始まる時期で、春の訪れを感じました。
途中、城東小学校区コミニティ推進協議会、郷土城東の歴史を知る会の説明板を目にしました。このような地域住民の手による活動が取り組まれていることに敬意を表したいと思います。道に迷った事も有りました。行政で何とかして貰えたらと思いました。