Kオジサンの新・山歩きの記

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街道歩き 春の訪れ 旧木曽街道を歩く その1 (今渡駅から羽黒駅へ)  

2017-03-30 23:32:01 | 街道歩き

木曽谷を尾張藩が所領として治めていました。尾張と木曽を結ぶ街道で、今の国道19号線に沿った街道を下(シモ)街道とか善光寺街道と呼んでいす。同じく、もう1本の街道で、尾張と木曽を結ぶ街道で上(ウワ)街道が有ります。またの名を木曽街道と呼んでいまして、名古屋城の東大手門前の志水口を起点として、小牧宿、善師野宿、土田宿と経由して中山道に至る街道です。
多くのホームページで、木曽街道を名古屋から北に向うコースで紹介されています。私は北から南に向かって歩いてみました。
木曽街道を歩いた人の記録を事前に準備し、地図を片手に歩いたのですが、街中では道に迷ってしまいました。街道の指示標識など、何もない状態なのです。先人の歩いた古の街道です。何か対策をとって貰えたらと思いました。
道端にスミレが咲いていたり、歩いている先へ先へとチョウが道案内をしてくれました。陽気が良く、春の訪れを感じながら歩きました。
参考にしたホームページです。
https://www.google.com/maps/d/viewer?ll=35.41430600000001%2C137.00105699999995&spn=0.031478%2C0.054932&t=m&msa=0&z=14&source=embed&ie=UTF8&brcurrent=3%2C0x600314104053e367%3A0xc2f572441cc9e60d%2C0&mid=19jTw3dvmnEVSLAcYxPyYQHqeCuE
http://aroundgifu.web.fc2.com/kisokaidou/00_kisotop/00_kisotop.htm
http://fumiki.travel.coocan.jp/furoku6/uwakaido6.html
カメラ画像の記録タイムから行程したものです。
今渡駅(9:33) ― 木曽川 ― 太田の渡し跡(9:53) ― 県道交差点(10:10) ― 
土田宿本陣跡(10:49)
 ― 石原公民館(11:32) ― 石拾峠(12:07~12:37)  ― 
大洞池(12:51)  ― 善師野宿説明板(13:11)
 ― 清水BS(13:20)  ― 新池(14:05)
 ― 羽黒駅(15:07)



名鉄日本ライン今渡駅に着きました。
これからウオーキングスタートです。
駅を出て中山道へ、そして木曽川に向かいます。

善師野駅でご夫人2人が下車しました。
そして、可児川駅では10人以上の人たちが下車しました。
何れも鳩吹山を目指す人達です。それも、ご高齢の人達ばかりです。
改めて、鳩吹山は人気が有ると思いました。




木曽川に向かう途中に見かけた、まだ新しい案内板です。
今渡公民館に設置してありました。
この案内板で表示してあるコースを歩いたのですが、途中には何も表示が無く、案内板を設置しただけと言う感じのモノです。途中のポイント、ポイントに標識を設けたらと思いました。




木曽川の川岸まで来ました。
前方が木曽川で太田橋が見えます。あの場所。日本ラインの川下りのスタート場所で、中の島乗船センターが有った場所です。もう、建物は取り壊されています。ライン下りが中止となって数年が経ちます。でも、この案内表示板。残されたままとなっています。撤去を忘れているのでしょう。




木曽川渡し場遊歩道へ来ました。
石畳の遊歩道になっています。




かつて、この地と対岸の太田宿を結ぶ渡し舟が運行していました。
渡し場の説明板が設置してありました。




ここは県道84号線の交差点です。
これから向かう先。
真っ直ぐ道となっています。



土田宿本陣跡。
石柱が設置して有ります。




土田宿の説明板が有りました。




本陣跡を出て西に向かい、途中で左に折れなければなりませんでした。
地図を見ながら歩いたのですが、この道で良いのか、不安でした。
牛乳配達中の明治乳業の人。
この人に、コースを聞きましたら住宅地図を見て、この道で間違いないと応えてくれました。




前方に見える山は鳩吹山です。




歩いて来て、この親子連れに出合いました。
「カタクリの所へはどのように行ったら良いですか」と声を掛けられました。
カタクリの場所への行き方を教えてあげました。
そして、「写して良いですか」と許しを得て、撮らせて貰いました。
笑顔が返ってきました。



この先に橋が見えます。
そして、橋の下には可児川が流れています。
谷のように深くなった川です。




歩いて来て、土田城の石碑を見ている男性が居ました。
男性は名古屋から来たそうでした。
そして、これから鳩吹山に登ると話しました。



土田城の石碑の表と裏です。
戦国時代の城と言うより、砦のようなものなのでしょう。
石碑の南が山となっています。
平常時は麓で生活し、戦の時は山に駆け上ったのでしょう。




切通しの馬頭観音。
右ハかち(徒歩)道。左ハ馬道、川渡(太田の渡し)ハ東道と書かれています。





民家の塀越しにサンシュユの花が見えました。




石原公民館まで来ました。
ここ、木曽街道は東海自然歩道でも有ります。




これから住宅地の中を進んで行きます。
曲がりくねった、街道らしい道です。




左右がゴルフ場となっています。
コースをつなぐ橋の下を通過します。








道が二股に分かれます。
右が大平林道で左が木曽街道と東海自然歩道のコースです。左に進みます。




旧木曽街道の石柱。
左側と右側です。




街道らしい道です。




石拾峠から下りて来た男性。
自転車を引っ張ってきました。
言葉を交わしたのですが、「カタクリの所」へ行くと話していました。




石拾峠まで登って来ました。
この峠は東海自然歩道の恵那コースと愛知県コースが合流する地点です。
ここで合流して、犬山城の方へ向かいます。
テーブルとベンチが完備しています。ここで、昼食にしました。




石拾峠から下ってきました。
たどり着いたところが大洞池です。
道の両側に池があります。
釣り人と挨拶を交わしました。
その向こう。
ここは溜池のようで、アノ施設は水門みたいでした。



歩いていて、正面にドーンと、大きな岩が目に入りました。
その岩に祠のように祀られたところが有りました。
信仰の対象となった大岩なのでしょう。






ショウジョウバカマが群生しています。




〇〇スミレ。
スミレも街道沿いで見かけました。





左はヒョウモンチョウの仲間だと思います。
タンポポの密を吸っていました。
右はテングチョウです。
まるで道の案内人のように先へ先へと飛び、戯れている。そんな感じがしました。





大洞池の所から出てきました。
道が二股になっています。
どちらに進んで良いのか判りませんでしたが、右に進みました。
それで、正解でした。




馬頭観音があり、一里塚の跡に石柱が立っています。
観音様に花が供えて有ります。




石柱の右側と左側です。
裏側の前田四郎と言う名前は、この先で見た説明板でも見かけました。
前田四郎さんが私費で建立したのでしょう。




これから進んでいく木曽街道。
善師野宿です。
先に見える高架橋は尾張パークウェイです。




善師野宿の宿場概要図が掲げて有りました。




名鉄の踏切まで歩いてきました。
後ろを振り返りますと、歩いて来た善師野宿が見えます。
直線でない道路ですので街道らしさが有りますが、宿場跡を想像させるものは有りません。




木曽街道。善師野宿の説明板です。
文を書いた人が前田四郎さんです。




名鉄の踏切を渡り御嵩街道を右折しました。
途中から、道路を左へ入ったのですが、この道で正しいのか、判りませんでした。
集会所のような所から出て来た男性たちに、城東中学の方向はこれでいいのかと確認したら、良いと返事が有りました。




清水寺の前のバスストップです。
城東の歴史を知る会の説明板がありました。




今日のKオジサンの後ろ姿です。




歩いていて、塔野地地内で街道から外れてしまいました。
そして、修正するために辿った所に新池が有りました。
この池も溜池なのでしょう。
土手を登りましたら、カモが一斉に飛び立ちました。




尾張富士の見える所まで歩いて来ました。




歩いて来た後方を眺めました。
今回はここまでとして、街道から離脱します。


幹線道路を外して田の横の道を歩きます。
この道を羽黒駅に向かって進みます。




羽黒駅に着き、しばらくして電車が入ってきました。
犬山行きの電車です。



感想
太田の渡、つまり木曽街道が中山道と合流地点です。そこから楽田までを歩きました。北から南へ歩いたのです。尾張藩は木曽谷を領地として持っていましたので、藩士が役目を終えて戻ったのと同じ道程を辿った事になります。
歩いていて出会ったのは、カタクリの里に向かう親子連れ、これから鳩吹山に登る人。石拾峠から降りて来た男性。それに牛乳屋さんには道を教えて貰いました。一期一会の出会いが有りました。こう言うのもウオーキングの良さです。
道中、ジンチョウゲが芳香を放ち、ツバキやカワヅサクラが色を添えてくれました。春が始まる時期で、春の訪れを感じました。
途中、城東小学校区コミニティ推進協議会、郷土城東の歴史を知る会の説明板を目にしました。このような地域住民の手による活動が取り組まれていることに敬意を表したいと思います。道に迷った事も有りました。行政で何とかして貰えたらと思いました。

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隠れた里山  本巣古城山 (680.7m) ・舟 山(564.6m)

2017-03-22 23:47:37 | 弐水会

弐水会の3月例会に参加しました。もともとは3月9日の予定でしたが、その日は雪が降り延期となりました。
古城山は各地に有ります。何れの山も、かつては山頂に城郭が有ったのでしょう。
本巣古城山は本で紹介されていませんし、ホームページに紹介されるのが少ない山です。地図に標高を表示していますが、山名は記されていません。そんな、マイナーな山です。三角点名が宇津志と言うポイントでして宇津志山と言う呼び方をする人もいます。
本巣古城山も古城山と言うので、かつてはお城が有ったのでしょう。山頂に石垣は有りませんし、城跡を想像させるモノも有りません。いわゆる砦のような場所だったのだと思います。ネット検索しましたら高科砦と言うのに当たりました。ですから城跡に関連していると捉えても間違いないのでしょう。山の名は言ったモン勝ちかも知れません。
本巣古城山の位置は樽見鉄道の高科駅の北になります。東西に横長の山でして、南側が揖斐川町の谷汲。北側は本巣市の根尾となっています。



根尾川の右岸。
県道255号線を北上しています。
前方に本巣古城山が見えてきました。




(9:26)
樽見線の高科駅を過ぎると高科集落の公民館が有ります。
公民館に車を停めさせて貰います。
リーダーが下見に来た時、地区の自治会長に車を停めさせて貰らえるよう、お願いして有りました。ここにはゴミの集積場所が有りました。邪魔にならないよう1列に停めました。




(9:35)
前方の山がこれから登る舟山と本巣古城山です。
高圧線の鉄塔が見えます。




(9:38)
道路から簡単に登山道に入れました。
入山を遮断するように縄が張ってありました。これは車で入っていけないと、しているように感じました。
村人が榊か、何かを採取しているように見えました。



(9:40)
車が入って来れそうな道です。
立派なウラジロが目に入りました。




登りだして、すぐにお宮さんの場所に出ました。
ここのお宮さんへ来る道が付けてったのです。
このお宮さん。地図に載っていませんので名が判りません。
検索しましたら白倉神社と言うようです。




(9:42)
白倉神社の横の道を登って行きます。
ハッキリした道です。




(9:47)
神社から5分で鉄塔の下に来ました。
西部幹線の№121への矢印で表示しています。
ですからここは、№120なのでしょう。



登って行く道。
ハッキリしています。




(10:06)
登山道らしき道を登って行きます。




左はイノシシの糞。右はシカの糞です。イノシシの糞の右上、大きな塊となっていました。
両方の糞。短い距離の間で遭遇しました。
猪と鹿。ここで、チョウチョが出てくれば、猪鹿蝶です。




ところどころに目印が残っていました。




(10:24)
細尾根の横の大木。
太い根で持ちこたえています。





(10:31)
今日のKオジサンの後ろ姿です。
隊列の後部を歩いています。





(10:45)
左は人工林。
右は天然林。
筆境を登っています。





イノシシのヌタ場。
ここで、イノシシが体に泥を塗りたくったのでしょう。




(11:07)
ナナメに斜面を登ってきて、向かう方向を外しました。
右に進路を取り、急登をピークに向かいます。




道なき道を登ります。




(11:13)
もうすぐ、舟山の三角点に到達します。




(11:15)
舟山の三角点で小休止をした後、出発しました。
この先、向かう本巣古城山が見えます。





舟山からは歩き易い道となりました。




日陰に少し雪が残っていました。
歩き易い道が続きます。




(11:22)
尾根を歩きます。
歩き易い道です。




木の幹に赤スプレーでマーキングがして有ります。
右の岩のは、下山するときに見かけたものです。
この山。植林してある場所が有りました。と言う事は個人の所有です。
山に登らして貰うという謙虚な気持ちなら、このような行為は出来ないハズです。
山を汚す事は感心しません。





(11:23)
山頂が近くなってきました。
今の時期ですから、このように樹間から山頂方面が見えますが、葉が茂りだすと視界が利きません。




(11:40)
歩いて来て、林道に出合いました。




林道に降りました。
この林道。地図には表示されていません。
消滅しそうな林道でなく、ハッキリとした林道でした。



(11:46)
林道がの字の形になっています。
右から来て、左に向かいます。
ここにも大きな木が有ります。




(11:52)
林道に松が有ります。
わざわざ、松を植えたみたいです。
と言う事は、林道を廃止してしまうつもりなのでしょう。
林道を造成する時、税金の投入は無かったのだろうか。
何年か経てば、用途変更しても良いものだろうか・・・・・・・。
山頂に向かうには、この辺りから右上に上がらなくてはなりませんでした。
先方隊と間が開き、姿が見えなくなってしまいました。前方隊に声を掛け、林道を進み過ぎたと察し、少々戻って山頂へのコースを辿りました。





(12:04)
本巣古城山の山頂。
三角点です。
マイナーな山で山名のプレートも有りません。




(12:04)
山頂から、早々に撤退します。




(12:07)
下山していく時、視界の広がった場所が有りました。
南の方角です。
凹の字をした山。
赤坂の金生山だと思います。



林道出合いへ下りてきました。
振り返りました。
本当は、この辺りから山頂への登山道に入らなければなりませんでした。




(12:11)
林道を下ってきました。
風を避けて、この場所で昼食にします。





林道からの眺望です。
遠い山の線。小島山の方角だと思います。
そして、伊吹山の頭が見えます。





(12:51)
昼食時間を終え、出発します。





林道を歩いて来て、林道から離れます。
林道から離れるポイントで、目印が着いていました。





(13:03)
細尾根を下って行きます。





(13:08)
細尾根の途中。
ミンナの視線が左の方向を向いていました。
濃郷白山の方角を見ていました。






緩やかなコースを歩き、下って行きます。





根尾村と村名が刻まれた赤い杭。
根尾村は合併して本巣市となりました。ですから合併する前に打たれた杭なのでしょう。
この杭は根尾村と谷汲村の境界杭だと思います。




シカの害。
何本か、樹皮をめくられた桧を見ました。
こんな状態なら、やがて枯れてしまうでしょう。




(13:39)
桧林を下りていきます。




ここにも大木が。
カヤだと思います。




(14:19)
№120鉄塔まで下山して来ました。




(14:26)
縄が張って有る入口の所まで下りて来ました。





(14:28)
高科集落へ来て、樽見鉄道の列車が走り去るのを見かけました。
樽見行きの下り列車です。窓がスモークになっていて、何人が乗っているのか判りませんでした。
車体にモレラと描かれています。
少しでも営業収益に結びつけばとの努力でしょう。




(14:28)
ミンナの視線が列車に向かいます。
14時25分に高科駅を発車した列車です。
2時間に1本程度しか有りません。このような列車を見れたのはラッキーです。

お疲れ様でした。
駐車した場所はすぐそこでした。



感想
ネットで検索すると宇津志砦が出てきますし、宇津志城も出てきました。ですから、古いお城が有ったことに間違い有りません。本巣古城山をネット検索しても、ほとんど出てきません。三角点の名の宇津志で、宇津志山で検索すると少しヒットします。それ程マイナーな山に行って来ました。
リーダーに連れて行って貰ったと言うような山行でしたが、誰でもが登れるような山ではなく、そのような山に登れた事を嬉しく思いました。登り始めはハッキリした登山道でした。それが、段々薄い道に変り、舟山へは道なき道を登ると言った感じでした。舟山から本巣古城山へは緩やかな尾根歩きでした。不思議なのが、あれ程シッカリした林道が地図に載っていないことです。隠れた里山を歩きました。余り、人の登らないような山。このような山行も面白いと思いました。
遠方や下界が見渡せました。これも葉が茂りだす今の時期ならではだと思います。
弐水会にはリーダーを支えようという雰囲気が有ります。リーダーの人柄と言う事も有りますが、こんな弐水会が好きです。



 

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矢作川の水源域の山   大 船 山 (1,159.4m)

2017-03-09 23:38:09 | 山遊すずらん会

山遊すずらん会の3月例会で大船山に登りました。大船山は恵那市上矢作町に位置する山です。かつては恵那郡上矢作町でしたが、広域合併して恵那市の一部となりました。上矢作町の名で示す通り、矢作川の上流でして、この山に降った雨は三河湾へ注いでいます。
山頂へは緩やかな参道が続いていました。延々と長い参道を登って行きました。道の両側には松の大木が並んでいて、松並木となっています。歩きながら見えた大木は、樹勢が弱って枯れかけているのが判りました。もう、既に何本も切り倒されていました。切口から見える年輪は何百年と言う齢を重ねてき来た大木である事を物語っていました。
何百本と言う松の大木です。最初は村人が苗木を植えたのでしょう。チョンマゲ姿の村人が山に登り、クワを持って手植えをしている姿が想像出来ます。でも、松は瀕死の状態だと思いました。薬剤処理をしているのですが、既に何本も切り倒されています。後継の松を植えるとか、何か手を打たないと全滅してしまうと思います。

ネットで大船山を検索してみて、古い時期に登ったのか、JA恵南支所と表示しているものが有りました。農協が合併したのでしょうか、今はJAひがしみの上村となっています。
名古屋周辺の山200」(山と渓谷社)に大船山が掲載されています。上村発電所への導水路ですが、その中には越戸ダム管理所と書かれています。越戸ダム管理所と言うのは豊田市内の越戸ダムを管理する場所です。遠く離れた下流の場所なのですが、何かお気付きのことが有りましたら連絡くださいというものでして発電の水が流れる施設の名では有りませんでした。混同して捉えています。また、この本には「神霊覚勘」と書かれているところが有りますが、正しくは勘覚霊神です。誤って捉えています。

カメラの画像が表示した時刻のコースタイムです。
JAひがしみの上村前(8:33)  ― 五霊神石碑(ほうでん 辻)(9:19)  ― 水路下展望広場(9:54~10:00)
 ― 蝮岩(10:37) ― 暗井沢林道出合(10:51)  ― 大船神社(11:08)  ― 弁慶杉  ― 
大船神社(11:20)  ― 大船山山頂(11:47~12:17)  ― 大船神社(12:37~12:47)  ― 
暗井沢林道出合(12:57)  ― 蝮岩(13:06)  ― 水路下展望広場(13:30)  ― 
五霊神石碑(ほうでん 辻)(13:51) ― JAひがしみの上村前(14:28)




風媒社刊「こんなに楽しい岐阜の山旅100コース」美濃「下」から引用しました。
緩やかで快適な道と書かれています。
松並木の参道が続き、歩き易い道でした。




JAひがしみの上村の横が登山口です。
これから登ります。
大船神社の参道となっていて、石の鳥居が迎えてくれます。




登り始めて、すぐに文化財を紹介する表示板が設置してありました。




登り始めて、すぐに二股の箇所へ差し掛かりました。
左がお稲荷さん。
右が大船神社です。
右に進みますが、これから4キロの道を歩きます。




登り始めて、松の大木が何本も目に入って来ました。
どの木も傷んでいます。
「ファイザー」と言う字が読めます。農薬なのでしょう。傷んだ松を治療する目的で手を加えているのだと思いますが、手遅れのように見えます。




緩い参道が続きます。
切り倒された切株が見えますが、大木だった事を想像させます。




今日のKオジサンの後ろ姿です。
隊列のシンガリを歩いています。




大松の間を通過して行きます。
上を見上げると、樹勢が弱っているのが見て取れます。



ほうでん辻まで上がってきました。
大船神社まで、あと2.5キロと表示しています。




ほうでん辻の場所。
勘覚霊神を表す石碑が有ります。
それに誰を表すのか石像も有りました。




展望の良い所まで登って来ました。
左側には発電所の水路が有りました。




展望の良い場所で、休憩します。




展望の良い場所から見える山々です。
奥三河か南信州方面です。三国山の方角だろうと思います。




水路の横を歩きます。
フェンスに越戸水力制御所の電話番号が書かれています。
越戸水力制御所は越戸ダムを管理する豊田市内の部署です。何か不具合な事を見かけたら、連絡くださいというモノです。



フェンス越しに水路を覗き込みました。
綺麗な水が流れています。
地図を見ると、水路がここまで暗渠で流れて来て、ここから表面に出ています。
地図上には点線で示して有りますが、ずーと上流から長い距離を点線が続いて来ています。
ネットで検索してみますと、上村川の上村堰堤で取水し、ここまで流れて着ているのが判りました。
http://www.suiryoku.com/gallery/gifu/kamimura/kamimura.html
取水位標高:773.81m放水位標高:458.29mと有ります。この落差を発電に結び付けています。




林道に出ました。
道が薄っすらと白くなっています。




切り倒された松の大木が有りました。
皆さん、立ち止まって松の切り口を見ています。
外側の白っぽい部分でも30年以上は有ると思います。
何百年も経ったと思われる大木ですが、切り倒さなくてはならなくなったのでしょう。




新しい小さな命が誕生していました。




マムシ岩まで来ました。
何故、マムシ岩と言うのでしょう。
撮影した角度が悪かったのかも知れませんが、マムシの頭の形をしているみたいです。



暗井沢林道出合まで来ました。
大きな解説板が有ります。
この場所は、風媒社の本の地図に、駐車場のような場所と書かれているところです。
重機が音を立てて仕事をしていました。その横に乗用車が停まっており、車でここまで登って来れるようです。



林道を横切り、更に進みます。
キツツキの表示板があり、道は判り易くなっています。




石段を登ると大船神社です。
石柱の字は「大舩」となっています。
石柱の裏側には大正9年と刻まれていました。立てられてから100年近くとなります。




大船神社で休憩です。




私は気づきませんでしたが、絵馬を無人販売していたようです。
英語ではない字で書かれています。
2016や2015が有りますが、それよりも古いのが有るみたいです。
何処の国の人か。毎年、来ているようです。




岐阜県の天然記念物に指定されている「弁慶杉」です。




人と比較すると、その太さが判ります。
何故、弁慶杉と言うのだろう、と言う声が聞こえました。




弁慶杉から大船神社へもどり、大船山の山頂を目指します。
高度が増してきて、道が白くなりました。




木の枝が白くなっています。
良く見ると白い結晶のようなモノが付着しています。
誰かが霧氷だと言っていました。
このようなモノが見れたのはラッキーです。




山頂が近くなって来ました。
あの先が山頂です。




山頂に到着です。
ここで昼食となりました。




山頂からは、周囲の眺望が利きませんでしたが、風車の有る方角だけは切り開いて有りました。
風車は13基有ると書かれていました。
ブーン、ブーンと言う鈍い音が聞こえます。これが低周音だと思います。
数ある風車でも、早く廻るもの。停まっているように見えるくらいゆっくりのもの。色々です。




山頂を後にします。
左は人工林。右は天然林。
登山道が境界となっているのが判ります。





大船神社まで下りてきました。
山頂へ向かわずにこの場所で待っていた人がおり、ここで全員写真を撮影しました。




暗井沢林道まで下りてきました。




大きな解説板の有る場所です。
この場所には、かつてはぺリポートが有ったみたいです。




廣江先生にカヤとイヌガヤの違いを教えて貰いましたです。
この葉に指で触れましたら、葉の先が尖っていて痛いのです。
葉に触れてみて区別が出来る事が判りました。
この葉に触れてみて、痛かったのでカヤでした。

 ◆イヌガヤ(イヌガヤ科イヌガヤ属)・・・・葉先に触れても痛くない。
        *葉は平面にきれいに揃って並び、カヤに似るが柔らかく、ちぎっても香りはない。
 ◆カヤ(イチイ科カヤ属)・・・・・・・・・・・・葉先に触れると痛い。
        *葉は硬くてほぼ平面に並び、先は鋭い刺状、ちぎるとグレープフルーツに似た香りがある。





水路が見える所まで下山して来ました。




途中に見かけた面白い木。
幹の一部が膨らみ、ETの顔のように見えます。




太い木が切り倒したままになっています。
これだけの大木を除去するにも、処分費用が無いのでしょう。




登山口近くまで下りてきました。
下から機械音が聞こえます。
川から砂利を採取しているのか、ドラムの中を石が回転しているような音に聞こえました。
木々の間から下界が見える。このような事は今の時期だけです。




お稲荷さんの赤い幟端が見え、その先に石の鳥居が有ります。
もう、登山口まで下山して来ました。





感想
大船山への登山道は大船神社への緩い参道となっている道でした。とても歩き易い道でした。初心者でも登れる良い山だと思いました。
今回はJAの横から登り始めました。暗井沢林道を走り、駐車場のような場所まで行けば、風車の有る風の森展望台まで行けるです。それに、その先にはアライダシ原生林が有ります。原生林の中の遊歩道が歩けます。
松の木が多くが植えられいましたが、枯れ木に近い状態のモノも有り、この先、どうなるのだろうと心配です。
ここ、上矢作町に福寿草の自生地が有ります。折角、近くに来たのだから寄って見ても良かったのかも知れません。でも、協力費として1人300円必要と有ります。団体割引はどうなっているのでしょう。

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南信州の山   長者ヶ峰 (1573.6m)

2017-03-01 23:27:46 | 水曜会

水曜会で、南信州の長者ヶ峰に行って来ました。
朝、起床する時間が遅くなってしまいました。目覚まし時計をセットしておいたのですが、鳴らなかったのです。一緒に向かう人に迷惑をかけてしまいました。本隊に遅れる旨を連絡して、ゆっくりと集合場所に向かって貰うと言う事態でした。こう言う時は携帯って、ありがたいなと思いました。スタートからつまづき、一緒に向かった人。会の人に迷惑をかけ申し訳ない気持ちでした。
そのような、アセッタ事が有りましたが、無事に道の駅で合流できました。


ボトルさんから戴いたGPS軌跡図です。
「道の駅 信州平谷」の裏側から登り始めました。



「道の駅 信州平谷」の駐車場です。
登山口に向かいます。




道の駅から諏訪神社の前に来て、右手に歩きますと、登山口となりました。
登山口にこのような標柱が立っていました。




林道を歩きます。
ところどころ、日陰は凍っていました。



林道の終点まで歩いてきました。
ここからは木橋を渡り、山に分け入ります。




日陰が凍っていて、ツルツルになっていました。
滑らないように注意して進みました。




高度が上がって来て衣類調整の休憩です。




平谷村のスキー場が見えます。
その左側は才の神と言う山です。




高度が増してきて、雪が見え出しました。



第一林道出合です。
ここでも、小休止です。





左、トップを歩くジオンさん。
道端に石碑が有りました。
何が書いてあるのか読めないような石碑です。
でも、牛馬と書いてあるみたいです。
この登山道。幅が広く牛や馬が通行したのかも知れません。
何処と何処を結ぶ街道なのか判りませんが、熊野古道ならぬ南信州古道的な道なのかも知れません。
馬に荷を背負わせて、往来したのでしょうか。



樹間から長者ヶ峰の方向が見えます。
山頂方面が見えるのも、今の時期ならではです。




第二林道出合いを通過します。




今日のKオジサンの後ろ姿。
みなさんは、アイゼンを持参していましたが、私は持って来ていませんでした。
アイゼンに変るものとしてスノーシューを背負ってきました。
でも、スノーシューの出番は有りませんでした。




第三林道出合い。
林道に出て、左横にスライドして、再び登山道に入ります。




登山道の終りです。
ここを上がると広場です。




広場に出ました。
高峰自然プラネタリュウム。
皆さんは、この場所から見える山々を確かめています。





北側に大川入山が見えます。
樽のような箱。
この中に、山々を紹介する黄色い用紙が入っていました。




右側の用紙では、南アルプス全体を紹介しています。
視界の中にはノコギリのギザギザの山々が並んで見えています。
どの山が何山か特定し難いのですが、一番左の仙丈ヶ岳だけは特定、し易かったです。
左が仙丈ヶ岳。そして、その右が北岳であると、特定出来ました。




あの、展望あずま屋に向かいます。





展望あずま屋に着いて、一休みしました。
本隊は、この後、高峰に向かうとなっていました。
私は、ここまで登って来るのが、少しキツかったのです。
ここから高峰へは、これまでのコース程険しいコースでは有りませんでしたが、ここで本隊の帰着を待つ事としました。




展望あずま屋から本隊の遠征を見送ります。




待つ事、暫し。
本体が戻って来ました。




本体が帰着して、ランチタイムの始まりです。




ランチタイムを終了し、下山の開始です。




第一林道出合まで下山して来ました。
前方の横切る雪道が林道です。
つい、最近に登って来たのかタイヤの後が残っていました。




スキー場が見える眺望の良い所に差し掛かりました。




幅の広い登山道です。
これだけの幅が有り、牛馬が往来したのではないかと想像したのです。




登山道の終点。
渓流に木橋が架かる所まで下山して来ました。




登山道の入口となる所まで下りてきました。
登山者用に何本も杖が用意して有ります。





長者ヶ峰からは360度の展望が利きました。特に南アルプスの山々が良く見渡せました。


コメント (2)
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