Kオジサンの新・山歩きの記

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ウォーク同好会  11月定例ウォーク 常滑の「やきもの散歩道」を歩く

2020-11-23 23:03:15 | ウォーク同好会

ウオーク同好会の11月例会で、常滑市の「やきもの散歩道」を歩いて来ました。もともとは、テレビの朝のドラマだったスカーレットがヒントだったのです。でも、信楽までは遠い。それで近い所である常滑を散策しようと言う事になりました。
やきものの街。常滑を観光ガイドに案内されて歩いて来ました。


とこなめ観光協会 常滑支部発行の「やきもの散歩道マップ」より引用しました。





今日の集合場所が名鉄常滑駅となっていました。




常滑の街の歩き始めです。
駅から東に向かって歩きます。
歩いて来たところが、やきもの散歩道でした。
向かって行く途中、「とこなめ招き猫通り」と斜面に書かれていました。




とこなめ招き猫通り」を歩いています。
コンクリートの壁に沢山の作品がはめ込まれています。




はめ込まれた沢山の作品です。
色々の表情が面白いです。



常滑市陶磁器会館に着きました。
ここで観光ガイドと落ち合う手筈となっていました。




会館内です。
色々の作品が並んでいます。
袋に入ったミカン。
小が100円。大が200円でして、大を1コ買いました。




これから出発ですが、その前に観光ガイドと顔合わせです。




観光ガイドはシルバー人材センターに所属していると自己紹介が有りました。




やきもの散歩道マップのAコースを逆時計回りに歩き始めました。
会館から西へ来て、南に向かいました。
最初に来たところが土管を使った土留めです。
市場に出荷できない製品が土留めに使われているのだと説明していました。




土管の土留めを撮影します。




かつて、使われていた窯を説明するガイドです。




散歩道を歩きます。




来たところが北山橋です。
大きなこの猫。
見守り猫、とこにゃん。
FRP製だそうです。



廻船問屋瀧田家へ来ました。
瀧田家は資料館になっていて有料なのですが、これから入ろうとしている所は無料で見ることが出来ました。



中に入って、ガイドが説明してくれます。




掲げて有る写真。



「写真にみる瀧田あゆち」展の紹介です。
1932年は昭和7年です。日本航空へ入社と有りますが、何時入社したと書いてありませんが、生年から言って昭和29年か、30年頃なのでしょう。日本航空が国際線を運航し始めた時代の事です。
彼女の経歴を見ると凄い道を歩んできています。
日本のキャリアウーマンの先駆的存在と書かれています。

ウィッキぺディアの1969年の日本の女性史の項目。
・8月21日 日本航空に初の女性課長誕生、滝田あゆち
と有ります。

何事もトップを走るという事は風当たりが強いです。
凄い道を歩んでこられたと想像します。



焼酎や硝酸を入れた瓶で整備された瀧田家の前の道、でんでん坂です。
ここでもガイドが説明してくれました。



土管の道に来ました。
こちらは土管坂です。
焼酎瓶が積まれて擁壁となっています。




ノベルティーズ T&Tの入口です。




ズラ―と並んだノベルティ。




こちらは下に並べてある品々です。



T&Tから出て、展示工房館へ向かいます。



展示工房館へ来ました。



展示工房館の館内です。
窯の内部を見ることが出来ました。
両面焚と有る様に窯の右と左、両側に焚き口が有りました。



展示工房館の表へ出てきました。
中で見た窯の煙突です。

工房館の建物の中に窯が有りました。
もともとは窯が屋外に有ったのを覆うように家屋が立てられたのでしょう。



ガイドが大甕について説明してくれました。




登り窯へ来ました。
これから登り窯の周囲を見せて貰います。




南側から見た登り窯です。
窯の焼成室が何段にも続いています。




焼成室の中です。
黒く並んでいる凹んだ部分。
窯の中が燃焼するときに、あそこから炎が噴き出します。





露天の窯。
これが本来の姿なのでしよう。



坂道を下って行きます。




大きな煙突跡。
その横を歩きます。



石堂陶芸の横を通過します。




ガラス越しに見えたカラフルな機関車。
こういう物。
見るだけでも楽しいです。



煙突が林立する景色を眺めれる場所へ来ました。





こちらはガイドが見せてくれた昭和30年代の常滑です。
沢山の煙突が林立しています。




やきもの散歩道を回ってきて常滑駅まで戻ってきました。
和家と言う食堂です。
ここで遅くなった昼食を取りました。



私が頼んだ日替わり定食です。
日替わり定食には生姜焼き。アジフライ。お刺身のいずれかとなっていました。
これで、コーヒーが付き930円となっていました。

最後に
ガイドの説明では常滑の他に瀬戸や備前などが六古窯で、1県に2箇所あるのは愛知県だけだと言っていました。原料の陶土に酸化鉄を含んでいて赤みがかった色になるそうでした。
常滑の窯業がこんなに発展したのは凹凸のある地形で、傾斜を利用して窯を作り易かった。それに燃料は薪や石炭でしたが、海が近く燃料をが手に入り易かった。また製品を出荷しやすいなどの利点も有りました。高度成長期、大量の土管を産出していました。それが時代の流れで塩ビ管に代わってきました。
最盛期には400軒を超える業者が有ったのが70軒までに落ち込んできていると言っていました。こんな事も時代の流れなのでしょう。
瀧田あゆちと言う人物も知ることが出来ました。
ガイドと一緒に回ったやきものの街。
勉強になりました。

 

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秋冬・里山自然ハイキング  第4回 鳩吹山から継鹿尾山縦走 ②

2020-11-21 23:19:13 | 里山自然ハイキング講座  

秋冬・里山自然ハイキングの第4回目です。前回は鳩吹山から継鹿尾山縦走 ① で可児川駅から善師野駅までを縦走しました。私はその日は都合が悪く欠席しました。
今回はその続きです。
善師野駅 ― 禅徳寺 ― 大洞池 ― 石拾峠 ― 継鹿尾山 ― 寂光院 ― 
県道185線 ― 犬山遊園駅



今回の集合場所は善師野駅となっていました。
今回は参加者が少なそうです。




駅の東側です。
トイレが有りました。
そして、モニュメントも。
出発前に用をたしました。



トイレの横には、こんな説明板が設置して有りました。
堀澤周安と言う善師野出身の国文学者の解説です。



生誕地の地図と市歌や校歌の作詞をしている紹介しています。
そして木曽街道。
善師野宿を紹介しています。




説明板の横に白い花を付けた木がりました。
ヒイラギであると教えて貰いました。
普通、ヒイラギの葉は縁に棘が有りますが、このヒイラギの葉は棘が有りません。ヒイラギは老齢になると棘の無い葉に替わるようです。





黄葉した大きな木が見えます。
ここは禅徳寺です。



禅徳寺の大きな木。
禅徳寺のエノキ 樹齢 推定200年、街道の一里塚して植えられた。とプレートが貼って有りました。
ブァーーと風が吹き、ビューーーと葉が飛びました。
シャンソンの「枯葉」の葉がひらひらと落ちるムードでなく、木枯らしにブッ飛ばされる木の葉。
そんな感じがしました。




木曽街道一里塚旧跡と彫られた石柱が有りました。
この道は木曽街道。
先ほどの禅徳寺のエノキと関係が有るのでしょう。
尾張藩は木曽の山林を収めていました。
藩の役人が御用のお勤めで起訴へ赴いた時に通った道です。
交代で役目を解かれた時はやれやれと言う気分でこの前を通ったのでしょうか。



季節外れのスミレ。
何本も咲いていました。
ノジスミレだと教えて貰いました。



大洞池へ来ました。



池の横を通過します。
先の方の木々の紅葉が始まっています。



石拾峠まで歩いて来ました。
この峠、愛知県コースと恵那コース分岐点となっています。



黄色くなった葉。
タカノツメだと教えて貰いました。
タカノツメは春の時期なら山菜摘みが出来ます。
春に来ても、その頃の新芽はタカノツメなのか、他の葉なのか分からないでしょう。



登って、下っての繰り返し。
今度は下って行きます。



登る途中。
北西方向の視界が広がりました。
各務原方面が良く見えます。



こちらは後ろを振り返りました。
冠雪した御嶽山が見えました。



階段をトップで登る先生。
この階段が最後の階段で、登りきると継鹿尾山です。



継鹿尾山に到着です。



屋根が有るところが継鹿尾山の展望台です。
この山頂で昼食で、12時10分に集合と言う事でした。
皆さん、思い思いの場所に陣取りお昼をとりました。
私、アノあずま屋の所で食事をしました。
食事をしていても、次から次へと登って来る人たち。



展望台からの眺望です。
岐阜基地の滑走路が良く分かります。
その先に見えるのが伊吹山。
航空宇宙博物館のシュミレーターを体験しましたが、離陸して伊吹山に向かって飛ぶ。
その状況、そのものです。
岐阜駅のタワービル。
右に転じて金華山。
近くでは犬山橋、城山。鵜沼駅の自由通路。そして高山線と名鉄各務原線が見えます。





下山を始めました。



寂光院へ降りてきました。
紅葉の時期とあって、沢山の人が訪れています。
ここでは一旦解散でした。
13時に大きな木の下に集合となっていました。
お参りしたり、眺望の良い所から犬山城を眺めたりと自由に過ごせました。



石の階段を降りてきたところです。
陽が当たり、美しいモミジの枝が有りました。




寂光院から降りてきて県道を歩きます。
歩道が無く、道路わきを1列になって進みます。



桃太郎港へ向かって行く船が見えました。
船の舳先で立っている人。
ハンドマイクで案内しているのではなかろうか。
喋っている声は聞こえなかったです。



犬山橋港に備えられていた桃太郎紅葉船のチラシです。
5日間だけの限定運行と書いてあります。
今日は21日で、今日が運行開始の初日でした。



犬山遊園駅の駐車場まで歩いて来ました。
ここで解散となりました。


最後に
紅葉の時期の継鹿尾山は3連休の初日とあり、沢山の人が訪れていました。
縦走の後半で善師野駅から犬山遊園駅までを歩きましたが、秋の日の一日。
低山ながら眺望が利き、下界が良く見えました。
楽しめました。



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秋 日 和   狗 留 尊 岳 (772m)

2020-11-11 23:55:55 | 弐水会

弐水会で岐阜三重県境の狗留尊岳へ行ってきました。地図に標高が書かれていますが、山名は付いていません。狗留尊山が正しいのか狗留尊岳が正しいのだろうか、サイトによっては狗留孫岳と表したものも有りました。岐阜の山旅100コースには「岳」で表現していました。
この山。烏帽子岳の南に位置します。烏帽子岳へ登った時、足を延ばし狗留尊岳に寄りましたが、下から登るのは初めてでした。
コース的には狗留尊岳から烏帽子岳へ行って戻る道を辿れるのですが、日没が早い時期であり、狗留尊岳のみに留めました。



立田小学校の駐車場に停めさせて貰いました。
もう、休校しているので旧立田小学校と表現した方が良いでしょう。校舎に「立田小学校141年間ありがとう」と言う横断幕が貼って有りました。それがこの小学校の歴史なのでしょう。近年は山村留学として児童を受け入れていたようです。



清水神明社の横から山へ分け入ります。
その入口。
手造りの標識が貼って有りましたが、経年劣化で読み難くなっています。




鎖で閉鎖している林道。
横を通過して入って行きます。




前方に目指す山が見えます。




立派な砂防ダム堰堤。




道路わきで見かけた外来植物です。
この花の名は分かりませんが近年、アチコチで見かけるようになりました。
強い繁殖力です。



みんなは休憩しています。
前方は偵察から戻って来たK隊長です。
隊長は地図を持ってきてみんなの先頭に立ってくれます。




この辺り、トラロープが有りましたが凄い勾配の道です。




木々が紅葉してきています。
こんな道でも、勾配がキツイです。



高度が増してきて勾配が緩くなってきました。
立田小学校からと長楽寺からの道が合流する地点まで来ました。
ここで小休止です。



黄色く色づいたシロモジです。
陽が当たり綺麗に見えます。




緩い勾配の道となり歩き易くなりました。
右が人工林で左が天然林です。
この道が筆境であることが良く分かります。




山頂に到達します。
この辺り、アセビの大群落となっていました。



誰が設置したのか山名のプレート。
プレートでは「山」となっています。



山頂の西側は反射板が有り、広場となっていました。
こちらもアセビが一杯でした。




広場からの眺望。
南の方の視界が良かったです。



抜群の眺望です。
左下の木曽三川。伊勢湾岸道の橋が見えました。
少し右には川越の火力発電所の煙突が2基。
更に右に目を転じると四日市のコンビナート群。
遠く伊勢湾口である伊良湖水道。ここでは海上にポツンと神島が見えました。
人の眼では島が見えるのだが、カメラで撮影したものにはハッキリしません。
それにしても抜群の眺望でした。神島が確認できたのラッキーでした。



下山してきました。
ここは立田小学校と長楽寺の分岐点です。
下山は長楽寺の方角に進みます。







篠立林道に降りてきました。



林道を下って行きます。



林道歩き。
ピンボケでした。



長楽寺の門前へ来ました。



長楽寺の境内です。
イチョウが黄色く色づいています。




立田会館。地区の集会所なのでしょう。
その奥に見えるのが狗留尊岳です。




立田小学校の裏側まで戻ってきました。




登る途中に目についた手造りの標識です。
これ等の他にも有ったのかもしれません。
①③④は下山者用の向きで設けて有りました。



最後に
今日の山。上の赤い標識が所どころに有ったり、急登にトラロープが有ったりはしたが、コースが不明瞭な個所も有ったりしました。
車にカーナビが付いていますが、カーナビを頼りにし過ぎると、〇〇の角で曲がって■■を過ぎたら・・・・・・。と頭の中で、思考することが低下します。
それと同じように、GPSを頼りにし過ぎると山歩きの勘が退化してしまうのではなかろうか。今の時代、GPSを使えば便利なのだが、GPSを全面的に頼りにするのでなく勘を働かせて登って行くところに面白さが有り、補助的に活用すれば良いのではないかと思います。
今日の狗留尊岳。マイナーな山だからこそ、面白い山だと思いました。
穏やかな秋の日和。
遠くに伊勢湾口の神島が見えました。
カメラの画像には映らないが、人の眼では確認できた。
白内障の手術をしてから視力が良くなりました。
何か、得した感じがします。

 

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関ヶ原合戦 史跡めぐり

2020-11-08 23:49:59 | 岳友 タンネの会

岳友 タンネの会の例会に参加しました。今回は関ヶ原の古戦場跡を歩くものでした。集合場所が岐阜関ヶ原古戦場記念館となっていて、そこからはボランティアガイドに案内されて歩くものでした。東軍と西軍が戦った戦場を巡るもので、いつもの山歩きとは、一味違った体験ができました。なお、参加メンバーは松尾山を歩きましたが、私は向かいませんでした。

岐阜関ヶ原古戦場記念館 ― 徳川家康最後陣跡 ― 田中吉政陣跡 ― 東首塚 ― 
松平忠吉・井伊直政陣跡 ― 細川忠興陣跡 ― 岡山烽火場・黒田長政・竹中住重門陣跡
 ― エコフィールド関ヶ原 ― 決戦地 ― 笹尾山石田三成陣跡 ― 島津義弘陣跡
― 開戦地 ― 北天満山小西行長陣跡 ― 南天満山宇喜田秀家陣跡 ― 藤古川ダム
 ― 大谷吉継墓・湯浅五助墓 ― 大谷吉継陣跡 ― 松尾山展望地 ― 若宮八幡神社
 ― 旧中山道 ― 松尾山分岐 ― 国道21号線 ― 西首塚 ― 関ヶ原駅


関ヶ原観光協会 「関ヶ原合戦 史跡めぐり」より引用しました。



今日の出発場所、岐阜関ヶ原古戦場記念館です。
ここが集合場所となっていました。



9時30分が開館時間となっていました。
開館前に何人も列を作りました。
コロナ禍の時期で、事前予約した人しか入館できませんでした。



本日のメンバー。
Nさんと、ボランティアガイドの高木さんです。
高木さんは陣羽織を羽織っていますが、この陣羽織がボランティアガイドの制服でした。



最初に見たのは陣場野公園です。
ここは徳川家康の最後の陣跡だったところです。
ここからウオークをスタートしました。



東首塚。
大きな木がそびえています。



松平忠吉・井伊直政陣跡です。
次に向かうのが岡山烽火場の黒田長政・竹中住重門陣跡で、小高い山に幟が見えます。



岡山烽火場・黒田長政・竹中住重門陣跡へ向かう前に寄ったのが、細川忠興陣跡です。
ガイドから説明を受けています。



歩いていて、電柱に合戦の一口メモです。
このようなメモの電柱が何本も貼って有りました。
気が付いたのは加藤貞泰の物です。
加藤貞泰は美濃の黒野城の城主でした。

先月、10月18日に「木曽三川探訪 森部輪中と水害・治水を学ぶ」と言うイベントに参加しました。
https://blog.goo.ne.jp/gifu2212/e/7da3a6a2e10c2b7c4377687c6ec90d6e
その中で「1600年頃安八は加藤貞泰の領地だった」と言う講義が有りました。会場となった安八町が加藤貞泰の領地だったと言うものです。

関ヶ原の合戦の陣地図で加藤貞泰の名は出てきませんが竹中・黒田隊と烽火場で布陣したと有ります。先に聞いた人物の名が、こうして関連を見聞するのは歴史を勉強する上に置いて面白いところです。
加藤貞泰は私が住む市の隣市である岐阜市の黒野城の城主だった人物。そんなことから身近に思えます。




竹藪の道を登り、烽火場へ向かっています。



烽火場に着きました。
紺色の幟は「藤巴」紋で黒田。
白い幟の丸に九枚笹は竹中の紋です。
加藤貞泰もここに布陣していたとなると、加藤の幟が欲しい所です。




烽火場からみた関ヶ原です。
今は工場や民家が立ち並びます。
これ等を除外して眺望すると、東軍と西軍がぶつかり合ったの良く見えたことと思います。



次の目的地に向かって歩きます。
両側の竹林。
良い雰囲気の所です。



決戦地に来ました。



決戦地の北側。
ここは笹尾山で石田三成の陣地が有った場所です。
この先の階段を登ります。
前方の雑兵。
ボランティアでやっていると話していました。



階段を登り笹尾山陣地跡に向かいます。



笹尾山石田三成陣跡です。



東軍と西軍の陣系図。
ガイドの説明では、家康は西軍の鶴翼の陣に対して魚鱗の陣をもって対峙した陣形だったと話していました。



何かの撮影だったのでしょう。
甲冑姿のグループが来ていました。



決戦地に来ました。
遠くから見るススキが綺麗です。



大谷吉継墓・湯浅五助墓へ来ました。
大谷吉継は横から小早川秀明秋軍の襲撃を受け大敗しました。自分の最後を悟った大谷吉継は自害しました。そして自分の首が東軍に渡らないようにとキック部下に言いました。
隣の墓地が湯浅五助の墓です。湯浅は大谷を介錯し首を隠しました。
湯浅は主君の首の在りかを頑として口を割らなかったと説明板に書いてありました。



松尾山展望地へ来ました。
遠くに松尾山が見えました。



松尾山には白い幟が見えました。




松尾山分岐です。
ここから南に向かうと松尾山です。

私は、ここで皆と別れて関ヶ原駅へ向かいました。




関ヶ原駅へ戻って来ました。



最後に
関ヶ原の合戦は旧暦の9月15日の事でした。ガイドの説明では9月15日は今の暦にすると、10月21日となるそうでした。東軍と西軍とのぶつかり合い。稲が実りの時期を迎えていて、農民はむざむざと稲を痛めつけられるのでなく、慌てて稲刈りをやったのではなかろうかと言う事でした。
先にある講座で聞いた加藤貞泰。陣の分布に名は載っていませんでしたが、戦に加わっていたことが確認できました。先に聞いたことと今、見聞きしていることが結びつく。
これが歴史を知るうえで面白いところです。

ガイドの話しでは、昼過ぎには勝敗が決していたそうです。
累々と折り重なった遺体。
硝煙の匂い。血の匂い。
そんな戦場の惨状が想像できます。

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南飛騨の山   高天良山 (タカデラヤマ) (908.2m)   

2020-11-05 23:37:35 | かがみの山歩会

かがみの山歩会の11月準例会で下呂市の高天良山に行ってきました。位置的には下呂市と白川町の境界。北側が下呂市で南は白川町です。登山口は火打峠からですが、この峠、下呂町と金山町の境界でしたが合併で同じ市となりました。
珍しい名前の山ですが、この山、岐阜100山になっている山です。



火打峠に設置して有る金山町の標識。
町の境界でしたが、合併で同じ市となりました。



これから登ります。




林道の脇に有った、手作りの案内標識です。



林道のゲート。
一般車両は進入禁止となっていて、閉じています。



紅葉した木々。
シロモジだと誰かが言っていました。



青空に映えるシロモジの葉です。




林道を歩いて来て広場みたいなところが有りました。



広場は眺望の良い場所となっていました。
遠くに冠雪した山が見えました。
白山だろうか。




手造りの手作りの案内標識が途中に有りました。



ここから先、500メートルの所が登り口なのでしょう。



銀色に輝くススキ。
植林された跡と思われますが、ススキと桧の高さが同じくらいとなっています。



林道を進みます。
この先が林道からの登山口となっていましたが、登山口が何処なのか、分かり難かったです。



木々の赤ちゃん。
左上は松、右は榊みたいな木です。
下の左は桧。右はコウヤマキではなかろうか。
いずれも林道で見つけました。



林道から分け入り、山頂へ向かっています。




左が人工林で右側は天然林です。



山頂に到達しました。
誰が置いたか、蒲鉾板みたいなプレートが有りました。
このプレート以外、山頂には何も有りませんでした。



木々の間から見えた冠雪の山。
白山ではなかろうか。



こちらは南東方向の視界です。
視界が開け、恵那山が見えました。




ピンボケの撮影だったコウヤボウキです。



下山を始めました。



登る時は気が付かなかったプレート。
下山時、これより先まで進み、引き返しました。



下山してきてこんな岩が有りましたが、登る時はここを通っていません。
岩に矢印がしてあって有り難いのだが、ここは登山者の目に触れない場所でした。



林道で、ここから左へ向かって行くのが登り口でした。



下山してきて振り返りました。
山頂方向です。



紅葉した木々を見ながら下山して行きます。



ゲートまで降りてきました。


登り始めて、林道のゲートを通過したのが9時10分でした。そして林道の終点に到達した時間が不正確ですが10時40分頃だったと思います。1時間半ほどの長い林道歩きでした。林道から山頂へ向かう道が分かり難かったです。でも、そんな道を見つけ出す。そんな面白さを感じました。帰路、下山してきて大岩に書かれた矢印を見て、「こんな処に有っても分からんワー」と言う感じでした。


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