Kオジサンの新・山歩きの記


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美女を案内して・・・・各務原アルプス  金山 (347.7m)  須衛 (321.8m)   向山見晴台 (312m)  

2016-04-20 23:56:32 | アウトドア

各務原市自然遺産の森をスタートして、北側の稜線を歩き、東海自然歩道で戻って来るコースを周回しました。このコースは昨年12月9日に水曜会で辿りました。その時と同じコースを歩いたのです。
M野さんとH本さん。それにF田さんを案内しました。3人とは、久し振りに一緒しました。一緒に山行に行くのは、年に1回ほどです。私は「たなばた登山」と呼んでいます。2ヶ月も前から一緒に行くことになっていました。
同じコースでも、別の人と違う季節に歩きました。違う印象を得る事が出来ました。こう言う体験が出来るのも山の魅力の1つでしょう
このところ私が、出かける度に晴れます。3月26日の一宮友歩会の協力員ウォーク。4月2日に一宮友歩会第61回例会。4月12日には、各務原歩こう会。4月16日は一宮友歩会の第62回例会の下見が有りました。そして、今日は各務原アルプスを歩きました。事前に予定していた予定が、全部、晴れとなりました。
5連勝です。
改めて自分は晴れ男なのではないかと、変な自信を持ちました。(笑)



各務原市産業活力部ブランド創造課発行の「各務原アルプス山歩きマップ」から引用しました。
各務原アルプスの稜線を西へ歩き、東海自然歩道で戻るコースを辿りました。





8:30
集合場所は各務原市の自然遺産の森で、8時30分となっていました。
定刻に全員集合となりました。
後になって、画像にストックが2本写っていることに気が着きました。
駐車場で忘れ物のストックを見かけました。このまま、放置しておいても誰かに持ち去られてしまうかと思い、事務所に届けておきました。




8:44
自然遺産の森に咲いていた八重の枝垂桜です。
もう、盛りを過ぎて見苦しくなっています。




8:44
登る準備をして、これから登り始めます。




8:47
登り始めです。
コースはハッキリしていています。



9:09
展望台の手前の場所です。
イワカガミが群生しています。
このイワカガミ。色が白っぽい感じがします。
イワカガミって、もう少しピンクぽかった気がします。
迫間山の方に群生している所が有りましたが、展望台の手前に群生しているのを見たのは初めてです。
発見と言う感じです。



9:13
展望台に着きました。



9:14
展望台でして、眺望の良い場所です。
ここで、カメラを構えます。



9:22
鋭角で、あずま屋へ向かうポイントです。
指示標識が設置されてから経年して、朽ちて来ています。



9:24
各務原市各務の工業団地。
そして、岐阜飛行場。
その先には、一宮市の138タワーが望めます。



9:25
迫間山と大岩展望台への分岐となるポイントです。



9:26
山でよく見かけるツツジですが、名を知りません。
赤い色で、ヤマツツジの仲間だと思います。
今が盛りです。



9:27
ドウダンツツジです。



9:31
北側の眺望が開ける場所ですが、生憎眺望が利きません。
空気が澄んでいれば御嶽山が望める所です。



9:38
後ろからスーパーマンが来ました。
言葉を交わしましたが、猿啄城から縦走してきたと言いました。そして、向かうのが金華山だと話していました。



9:44
今日のKオジサンの後ろ姿です。



9:46
大岩展望台へ来ました。



9:47
先ほどのスーパーマンが休憩していました。
休憩していた所を無理に頼み、全員写真のシャッターを押して貰いました。
気安く応じてくれました。

そして、言葉を交わしたのですが、猿啄城の下まで車で行ったので、後から取りに行くのだと話していました。何処から来たのと聞くと、地元。岐阜の人でした。それなら、金華山まで行かなくても、途中でエスケープ出来ますねと言いました。
このコースを歩くのに、何時頃、猿啄城を出て来たか聞きましたら、7時だと言っていました。今の時期なら6時過ぎまで明るいので、体力が続けば岐阜城までいけます。
各務原アルプスの縦走では伊吹の滝から猿啄城までを辿る人が多いです。金華山までとなると、・・・それに三峰山。そして白山を加えたコースになります。何山分になるのだろうと思います。



9:49
北方の景色。
山を同定しています。



9:52
南方の景色です。
削られていく各務山が見えます。
その先に岐阜飛行場です。
平日で、ジェットの爆音が喧しく聞こえます。



10:05
私たちの後から来た、単独の男性です。
休憩して、先に出発していきました。



10:16
下って登っての繰り返しです。



10:25
金山へ来ました。
反射板が見えて来ました。




10:26                                                     10:28
金山の山頂です。
お手製のプレートが下がっています。



10:28
金山から東方を眺めました。
明王山のタワーが見えます。
あの方向から歩いてきました。



10:30
山菜が取れる時期です。
コシアブラやタカノツメの判別が、イマイチ、出来ません。
コレは似ていると思いましたが、違うと思います。



10:37
このようなコースを辿りました。
この辺りは、歩き易いところです。



10:55
激くだりを下って来ます。



11:01
先ほど、先に出発して行った単独の男性です。
男性に追い着きました。
追い着いたら、男性が出発していきました。
この場所の手前では、単独の男性同士で話をしていました。
ヤマの情報交換だったのでしょうか。




11:08
高圧線の鉄塔の下まで来ました。
下に福祉の里が見えます。



11:42
須衛を仰ぎ見ます。
これから、このコースの最大の難所。須衛に向かいます。
この場所から、一旦下って、また登りとなります。



11:44
底部へ下ってきました。
ここからは、上に向かうだけです。



11:50                                                      11:51
直登で進むか、巻道で進むかと言う所です。
私は、真っ直ぐにと言いました。
左の巻道に行った事が無いのです。知っている直登を選びました。




11:52
急な登りを登ります。



11:56
ゆっくり、登れば良いです。
時には足が止まります。



12:00
須衛へ来ました。



12:00    12: 00
須衛はピークですが、「山」でなく、三角点の場所です。



12:02
須衛で小休止です。
ここでランチにするか、向山見晴台に行くか相談しました。
その結果、先に進むことにしました。




12:13
須衛から一旦、下ってまた登り。
向山展望台に来ました。



12:13
向山展望台です。
ここでランチタイムとします。
前方の眺望が開けていますが、春の日差しが強くなっています。



12:13
南方の眺望です。
苧ヶ瀬池が小さく見えます。
苧ヶ瀬池の左は八木山です。
先に伊木山が見えます。
伊木山をガリバー山か、寝姿山と呼びたいです。



12:54
上は明王山の方角です。
そして、下は福祉の里への標識です。




12:57
展望台から歩き始めました。
コースは明瞭でハッキリしています。



13:19
途中に、福祉の里への標識が有りました。



13:20   13:20
高圧鉄塔の下に来ました、
鉄塔の下で、歩く方角が判り難いですが、プラスチックの階段に沿って進めば良いです。



13:22
ツツジの種類ですが、名を知りません。
ミツバツツジかオオヤマツツジの仲間だと思います。



13:26
単独の男性です。
先ほど、私たちが向山展望台でランチをしていた時に、桐谷坂に向かって行くと言っていた男性です。ターンして、私たちの後を追いかけて来ました。この辺りは、落ち葉で道が不明瞭になっていますが、テープも有ります。高圧線の巡視路を下って行けば良いです。



13:31
下って行きます。




13:34    13:35
福祉の里からの登山口まで下山して来ました。
道が見えます。
右は道路へ出て、振り返りました。
昨年、12月にこのコースを辿った時は、登山口の指示標識が有りましたが、取り払われています。山頂で山名のプレートを下げることに色々の考え方が有ります。設置されていた、人の役に立つ標識なら、設置することに賛成いしますが・・・・・。



13:37
道路へ出ました。
舗装された歩道となっていますが、この道は東海自然歩道です。



13:40
福祉の里に来ました。
ここでトイレを借ります。




13:41                                                      13:41
福祉の里の内部です。
女性が床を拭き掃除しています。



13:59
天狗谷遺跡に来ました。
ここは登り窯が復原されている場所です。
見学して貰いました。
階段の先の建物がトイレです。
今回は、平日で福祉の里のトイレを借用しましたが、土曜や日曜に歩く時は、ここのトイレがお勧めです。



14:00
登り窯が復原されて居ます。
窯跡で、中に見えるのが須衛器と言う土器です。
この辺りは奈良時代の頃から、多くの須衛器を生産していました。この辺りは須衛と言う地区です。先ほどの三角点。須衛の名もその関係からでしょう。




14:14
東海自然歩道を歩きます。
振り返りました。
急な階段を登ってきたのです。
右側に何本も真っ直ぐの木が並んでいます。
葉からカエデの仲間だと思いました。
同じような木が並んでいますが、東海自然歩道が出来た時期に植えられたのではと想像します。という事は、植えられて50年ほどの木でしょうか。
12月に歩いた時には、このように並木的に並んでいることに気がつきませんでした。
同じコースを歩いても、新しい発見が有りました。



14:14
東海自然歩道の階段です。
ルートが御望山をかすめるようになっています。



14:16
真っ直ぐの木が傾いています。



14:16                                                     14:17
傾いた木を見上げます。
そして、木の幹には人の顔のような跡が付いています。



14:22
自然歩道の休憩地です。
ゴミ入れが有ります。
ゴミは持って帰る時代になりました。
東海自然歩道が出来た時代は、灰皿やくず入れを設置するのが当たり前の時代でした。今は時代が変わってきました。こんなゴミ入れは撤去してしまえば良いのにと思います。



14:30
寒洞の池まで来ました。
昨年、12月に来た時は池の底が見えました。
今は田植えに供え、水を蓄えて満水状態になっています。



14:31
池畔を歩きます。



14:32
寒洞池の休憩場所。
あずま屋が設けて有ります。
ここで小休止しました。



14:46
自然歩道で自然遺産の森に向かって歩きます。
自然歩道の横がゴルフ場です。
3人組。
打った後、カートで次の所へ向かいました。



14:58
自然歩道を歩きます。
ゴールがもう直ぐです。



15:05
各務野自然遺産の森へ戻って来ました。



15:06
この蝶。調べましたら、ルリタテハのようです。このような蝶に会えてラッキーでした。
私を撮ってと言わんばかりに、ポーズを取ってくれました。



15:07
各務野自然遺産の森に帰着です。


感想
新緑の中。良い雰囲気のコースを歩く事が出来ました。今はツツジが真っ盛りの時期でした。コシアブラやタカノツメをゲットできたらと思って、出かけました。しかし、山菜の見分け方を知りませんです。結果的には収穫は有りませんでした。

各務原アルプスや東海自然歩道。歳月が経って朽ちているものを見かけました。また、東海自然歩道には、今は不要なゴミ入れや灰皿が残っています。このような状態を放置している行政。有識者に現地を歩いて貰い、その状況を総点検するべきだと思います。

昨年12月9日に同じコースを辿りました。
http://blog.goo.ne.jp/nkataoka1948/e/bec86a840e706f165182491fe7d0c794
同じコースでも、違う人と違う時期に歩けば、違う印象が生まれる。当然の事です。関市側の迫間山辺りで、イワカガミが見れることを知っていましたが、各務原側にもこのような群落があることを知ったのは、私にとって発見です。
3人を案内して、喜んで貰えて嬉しいです。

コメント

お別れ登山  武芸川権現山 (516m)

2016-04-12 23:59:08 | アウトドア

各務原歩こう会の山行に参加しました。今回のリーダーはY野さんが勤める予定でしたが、ご家庭の事情で都合が悪くなり、代わってK川さんが勤めてくれました。参加者は男女16名でした。
向かった山は関市武芸川町の権現山です。参考にしたのは「可児からの山歩き」です。可児からの山歩きさんは平成18年4月14日に登っています。http://www.geocities.jp/kanikarano/9yamaaruki/120gonngenfunnyouji.htm  可児からさんが登ってから、丁度、登ってから10年が経過したことになります。10年前と言うと、平成の大合併が有った頃です。武芸川町が関市に合併したのがその頃だったのでしょう。
可児からさんは汾陽寺の下に車を停めて逆時計回りに歩いています。私たちは寺尾千本桜の駐車場でバスに乗せて貰うようにしました。歩こう会ではバスを使って山行を行っています。登山口と下山口が異なる時には、バスは便利です。
リーダーのY野さんは汾陽寺山へは登らない計画にしました。体力を考慮しての事でしょう。


可児からの山歩きさんのお許しを戴きまして、コースの概略図を載せました。可児からさんが周回したコースの東半分を歩いた形です。中部電力の巡視路を辿りました。木々が新緑になり始めた時期でした。



8:54
県道59号線の道幅が広くなった場所で停まって貰いました。ここから登山口に向かいます。この場所に来る前に道の駅で登山靴に履き替えて来ました。リーダーの指示が有ったのです。



8:57
自動車屋の横を通って登山口に向かいます。




8:58
洞登山口の入口です。
標識も、何も無いところです。
ここが登山口だとは判りません。




登山口から入り、振り返りました。
左は電力会社の巡視路の標識が立っていました。




9:03
登山口から入って、少し歩くと尾根へ出る巡視路となります。




9:04
九十九折れの巡視路です。
高圧線の巡視路で、プラスチックを使い、階段を整備しています。




倒木が道を塞いでいます。




9:11
尾根に出ました。
ここで、K川さんから小休止する声が掛かりました。
飲料水を取ると供に、衣類調整をしました。




9:16
今日のKオジサンの後ろ姿。
隊列の後ろから付いて行きます。



ミツバツツジです。
まだ、蕾が残っていますので、満開とは言えないかも知れません。



登山道に松の落ち葉が落ちています。
この状態を見て、思ったのは松ご掻きです。(言葉が間違っているかも知れません)
かつてはクドの焚き付けに松の落葉を使っていました。
伊勢湾台風の前頃までは山で松葉を採って来ていました。熊手を使って掻き寄せ、背中に背負う籠や菰と言うのか、ワラで編んだ大きな袋に入れていました。
この状態からそんな風景を想像しました。



9:19
№450鉄塔が見えてきました。





9:22
№450鉄塔です。



9:26
左は隣の汾陽寺山です。
右はこれから登る権現山です。山の上の方が部分的に見えます。




9:26
アップダウンの繰り返し。
ここからは、下り道です。




9:30
南西方向の眺望です。
画像ではハッキリ見えませんが、伊吹山が確認できました。




9:35
春の恵み。
コシアブラをゲットできました。




9:36
登り道となりました。




9:44
コシアブラでしょうか。山菜を見つけました。





9:52
№449鉄塔で小休止です。
向うに見えるのはこれから登る権現山です。






9:52
南の方角です。
白く光って見えるのは長良川です。



10:03   10:09
下ったり、登ったりします。






10:16     10:20
鉄塔の下に来ました。






10:20
東に美濃市の天王山が見えます。
山頂の反射板が確認できます。




10:22
尾根道を歩きます。




10:24     10:24
小知野から登ってきたコースと合流しました。




10:31
スミレです。
シュンランが咲いているよと、教えられた場所がありました。教えて貰って撮影しましたが、ピンボケでした。それで、スミレを貼りました。折角、教えて貰ったのにうまく映せなくて残念です。




10:41
緩やかな登りです。
山頂まで、もう少しです。




10:44
登るのが、一区切りつき、小休止です。
ここが9合目だとK川さんが言っていました。




10:45
山頂への最後の登りとなります





右はシキミなのだろうか。何輪も咲いていました。
左はドウダンです。




10:49
山頂に到着です。
祠が祀って有ります。




祠と朽ちた名板。
三角点も山名表示も有りませんでした。



何スミレが判りませんが、山頂で群生していました。




11:04
リーダーのK川さんです。
山に登って山頂に到着したら、下山道は何処か確認をして置かなければ、いけないと言う言葉でした。先日の私の事を言われているような気がしました。




11:07
山頂から下山します。
登ってきた道を降ります。




11:11
千本桜へのコースからハズレました。
鉄塔の下で、眺望の利く所に来ました。




11:12
鉄塔の下で眺望の良い場所です。
眺望について、K川サンが説明しています。




11:11
あの鉄塔の所まで下山して、お昼となります。




11:22
下山道。
朴葉が落ち葉で散乱しています。




11:30
眺望の良い鉄塔の下でお昼とします。




思い思いの場所で昼食を取ります。




12:07
春の恵み。
ワラビをゲットしました。
短時間でも、コレだけの収穫が有りました。
時間をかけてじっくりと取り組めば、もっと収穫が有るでしょう。




12:12
鉄塔下の展望広場で昼食を終え、出発します。




12:14
ここから急な下りとなります。




12:17
谷の山道を進みます。




12:23
やや、急な下り道です。
ここ辺りでY本さんが尻餅と言うか転倒と言うか、倒れました。
私が後尾に着いていて、その時は気が着きませんでした。Y本さんがポケットから携帯を落としたのでした。




12:42
林道の終点の場所まで下りてきました。
広場となっています。




12:56    12:57
広場から少し進んだ所です。
上の画像は単独の女性が登りに来ました。ここまでの道はハッキリしていましたが、この広場の状態の場所で、どの方向に進めば良いか判り難いです。私たちが下って来たところでしたので、登り道を教えました。


ここで、ハプニングの発生です。
Y本さんが自分のポケットに手をやり、ポケット内に携帯が無いことに気が着きました。さっき、転倒した時にポケットから落としたと、思えると言っていました。本人は単独で引き返すと言いましたが、1人で行くのはダメです。A野さんが一緒に行くことになりました。
女性でトイレへ行きたいと言う人が居て、先に向かわせ私たちはここに留まりました。
A野さんの携帯にY本さんの携帯番号を記録して、転倒した所にへ向かいました。無事に発見する事が出来ましたが、携帯はマナーモードとなっていて鳴らなかったそうです。
二人が降りてきて、姿を見た時、先行していったK川さんに携帯で、二人が戻ったと連絡を入れました。
携帯にスプリングのコードを着けるとか、蓋が出来るポケットに入れるとか、用心しなければなりません。教訓となりました。






13:19
携帯を探し出せて、戻って来たY本さんとA野さんです。
先には駐車場が見えます。



13:20
下山してきて、バスが見える所まで来ました。



13:21
この橋が、ふれあい橋です。
権現山に登るのに、登山口の表示が有りません。
登山口が判るようにして貰えたらと思います。



13:32
みんな、集まっています。
何を喋っているのでしょう。


感想
汾陽寺山と権現山へは03.02.01に登りました。千本桜に車を停めて先に汾陽寺山に登り、下ってきてから権現山に登りました。もう、10年以上前の事です。2山に登りましたが、雪の山だった記憶しか残っていません。

今回、洞登山口から登りましたが、変化のある良い山だと思いました。
昨日の天気は風の強い日でした。それに明日からは雨が降ると言う予報になっています。ベストな天候の日でした。山菜をゲットできた人が居ました。歩いていて、ウグイスの声も聞けました。年間のウチでも、条件が良い方の日だったと思います。
リーダーは隊員の体力を考慮して汾陽寺山へ向かうのを止めました。良い判断だったと思います。下から登ってきて千本桜で終える事が出来る。コレも、このコースの良いところだと思いました。

鉄塔巡視路を辿りました。昼食を取った所の鉄塔や山頂から降りて、眺望の良い場所の鉄塔は別系列の鉄塔です。それでも、撮影してきた画像を確認してみると、鉄塔の本数が多いような気がします。「?」に感じてしまいます。
鉄塔巡視路を辿ったのですから仕方が無いですが、単独で訪れた女性が居たように、初めての人ですとコースが判り難いところが有りますので、途中や登山口に表示を設けて貰えたらありがたいと思います。なお、彼女は「岐阜の山旅100コース」のコピーを持って来ていました。

4月12日に登るのは、年間計画で予定されていました。コレは千本桜のサクラの時期が良いのではと言うことで計画されたものでした。可児からさんが登ったのは4月14日で7分程度かな、となっています。私たちは4月12日でもサクラは終わっていました。良い状態のサクラに会えるか、否かは。運、不運かもしれません。




各務原歩こう会の解散
各務原歩こう会は平成22年7月21日に、第1回として焼岳に登りました。その前身は各務原市教委の生涯学習講座であり、講座が終了して、同行の志が集まりサークルとしてスタートしたものです。以来、回数を重ねて、この3月に瀬戸市の元岩巣へ出かけましたのが、第67回でした。6年近い歳月を活動してきました。
各務原歩こう会はバスで出かけて居ますので、登山口で降ろして貰い下山口で拾ってもらえる事が魅力でした。しかし、会員が高齢化したことに寄り、退会者が出るなどして継続していく事が困難な状況となりました。そのため、今回の山行で解散の運びとなりました。解散を惜しむ声が有りましたが、会を牽引していく人が居なくて、解散に至りました。
今回、武芸川権現山に登ったのが最後となりました。

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青春18切符を使って大阪と京都の間の山へ    ポンポン山(678.8m)

2016-04-06 23:34:16 | アウトドア

青春18キップが1枚残っていました。前々から行きたいと思っていた山が有りまして行って来ました。京都と大阪の間にあるポンポン山です。地図でもポンポン山の名となっている変わった名の山です。事前計画でJR向日町駅から登るかJR高槻駅から登るか考えました。高槻駅からのバスは1時間に数本あるのに対して、向日町駅からは1時間に1本しか有りませんでした。それに向日町から登るコースの方が勾配がキッそうでした。
そう言う事から高槻から登るコースを選びました。

神峰山口バス停 ― 神峯山寺前   ― 本山寺前 ― 高槻の古木 ― ポンポン山山頂

 ― 出灰へ ― ポンポン山山頂  ― 釈迦岳分岐   ― 杉谷  ― 善峰寺バス停   

ポンポン山から下山する時、コースを間違えてしまいました。山頂でご夫婦と談笑していた男性に下山する方向を尋ねました。どちらへ降りていくとか、話さずに下山コースだけを聞いたのです。それで彼は、そこの道だと指したのです。それに従って下山して行きました。コースの標識は出灰を差していました。標識の支柱には高槻ハイキングクラブの名が付いていました。どうも、おかしいと思い、山頂に戻りましたら、やはり誤っていました。



列車の車窓から撮影しました。大垣を8時13分に出る米原行きです。

垂井の相川のサクラは、ほぼ満開状態です。サクラと風をはらんで泳ぐ鯉のぼり。バックは伊吹山。絵になるシーンです。
右は米原駅です。新快速姫路行きです。米原駅での乗換時間は2分です。全部で12両編成なのですが、8号車と9号車の間は行き来が出来ません。女性の2人組が8号車と9号車に分かれて乗ってしまう事態に陥っていました。次の彦根駅で9号車で一緒になれましたが、その状況を見ていてドン臭~と見えました。
18切符が使える期限が迫ってきています。
この日も多くの人が18切符を使っていました。


9時57分に高槻駅に着きました。
調べておいた高槻北ターミナルに向かいます。



①番の上の口、原大橋方面のバス停です。
前方に原大橋行きが停まっています。
急いで行き、乗りましたら直ぐに出発しました。
10時5分発でした。調べておいた時刻は10時22分でしたので、ゆっくりとバス停に来ました。
得したなと言う感じと、何故この時間のバスが有るのだ?と言う気分でした。
http://www.city.takatsuki.osaka.jp/kurashi/bus_kotsu/bus/jikoku/ka/kabusanguchi/53_60_61_61a_62_62_63_63a.html



原大橋行きの車内です。
次が神峯山寺口です。
車内は空いて来ていますが、一時は混んでいました。




下車した神峯山寺口です。
6~7人が降りました。




バス停に設置してあった神峯山寺と本山寺の案内図です。
撮影した時は気が付きませんでしたが、神峰山口の手前の原立石で下車して東海自然歩道を歩くのも、良いようです。




前のお二人。
一緒のバスに乗っていた人たちです。
この人達もポンポン山に行くと言っていました。




案内図に載っていたどぶろく蔵元です。指示標識では、家と家の間を進むよう表していますが、コースは右に向かって行くようになっています。蔵元に入って聞きましたら、どちらも一緒になるので、標識の通りに進めば良いと言われました。



指示標識に従って歩きました。
Kオジサンの後ろ姿。その1.




ショートカットとなるコースです。
イノシシ除けのゲートの間を通り抜けます。




ショートカットとなるコースでしたが、いきなりの急登です。
フウフウ言いながら歩きました。




新緑で美しいモミジ。
モミジの赤ちゃんでまだ、葉が小さいです。




スミレだと思います。
何輪も咲いています。




神峯山寺まで歩いてきました。
小休止しましたが先を急ぐので御参りはしませんでした。
時間を持って、拝観したいところです。
山門に仁王象が有りました。




Kオジサンの後ろ姿。その2.




石柱に漢数字が彫られ下には丁の文字が付ています。
1丁の距離を調べると、1丁は109メートル余と有ります。
区切りの良い数字にして、110メートルほどと覚えればよいかもしれません。
歩いていて、初めは十丁と言う石柱から始まりました。
その時は気に留めませんでした。
上は7丁と4丁です。




本山寺への標識とツツジが咲き始めていました。




山頂から下山して来た人とすれ違いました。




左側の人は軽い足取りで下山して来ました。右は親子だと思います。談笑しながら下山してきました。仲が良さそうでした。




3丁と1丁の石碑です。
歩いて来る途中、段々数字が減ってくるのが判りました。
最後に一丁が現れました。
本山寺までの距離を表しているのだと気が着きました。




本山寺の門です。
男性は門に向かっていきました。




Kオジサンの後ろ姿。その3.
本山寺まではコンクリートの道でしたが、寺を過ぎると地道に変りました。



先ほど、寺の門に向かって行った男性です。
寺の門に入っていっても、合流しました。
キツい階段が続きます。




高槻の古木となっています。
天狗杉と名付けられています。




Kオジサンの後ろ姿。その4.
両側が杉林です。
この辺りは歩き易かったです。




登山道に白い花びらが散らばっていました。
何だろうと思いました。
タムシバです。
見上げると枝の先に花が付いていました。




若い男性の3人組。
抜いて行きました。




山火事注意の柱が立っていました。
ここまで、何本も有りましたが、数字には気が付きませんでした。
段々、数字が減ってきたのです。
ここは「2」です。山頂まで、もう少しでした。





この階段を登ると山頂です。
後になって判ったのですが、この標識が指示する杉谷に向かわなくてはなりませんでした。




山頂に設置してあったポンポン山の標識です。
ここでは678.9となっています。




表示プレートが有ります。
古くなって、痛んでいます。
こちらは678.8となっています。
地図を見ると、678.8です。




山頂からのパノラマを解説しています。




私が登って来た時、四角いテーブルの周りで談笑していたグループ。
下山していきます。




山頂からの眺望です。
大阪方面を眺めました。
白く見えるのは淀川です。
画像でははっきりしませんが、肉眼では阿倍野ハルカスが見えました。




3人で話をしていた男性に下山方向を訪ねました。
どの方角に下山するかを告げずにです。
それで、教えてくれたのが、出灰への下山方向でした。
右は降りて行く道です。
間違った聞き方をしましたので、誤った道を教えて貰う嵌めになりました。



このような道を進みました。
行けども行けども、こんな道です。




どうも、この道は違っていると思い、引き返してきました。
戻って来て、この階段を登ると山頂となります。
山頂に居たご夫婦に善峰寺に下りる道を聞きました。
さっき、山頂へ登って来た道で、山頂まで登らずに横へ向かって行くものでした。




この標識に従って杉谷へ向かいます。




Kオジサンの後ろ姿。その6.
善峰寺に向かって下山していきます。
この辺りは歩き易かったです。




釈迦岳分岐に設けて有った案内図です。
下から上に向かうので、図を逆に貼りました。




釈迦岳分岐です。
直進すると善峰寺方面で、右が釈迦岳行きとなります。




歩いて来て、前面が開けるところに来ました。




京都駅方面の眺望です。
画像ではハッキリしませんが、近江富士(二上山)が見えました。




眺望の良い場所です。
白い木々が見えますが、タムシバが見えるのです。




こんな階段を下って行きます。




谷川に並行する形となりました。




杉谷の集落まで来ました。
東海自然歩道の案内板が設置して有ります。
杉谷の集落は10軒未満の戸数のように感じました。右に歩き善峰寺へ向かいます。
この先の道は、細い道路で一方通行となっていました。




九十九折れの坂道を下って行きます。
宅配便の車が坂を下っていきました。




坂を下りていくと視界が開けたところが有りました。
下に見えるのは善峰寺です。




善峰寺のバス停です。
既に下山して来た人達が列を作っています。
https://www.hankyubus.co.jp/rosen/pole/1437.html
15時24分で、最終バスとなります。
バス停に着いた時間は15時02分でした。
善峰寺バス停の時間は24分なのでして、次の小塩バス停が29分です。善峰寺の時刻を29分だと思い込んでいました。時間に余裕は有りましたが、最終バスに乗れてヤレヤレと言う気分でした。




善峰寺で出発時刻を待っています。
出発時間が来て、出発しにかかりましたら、若い男性がバスに向かって走ってきたのです。女性たちが、「待ったてー」と声を挙げました。その声に応じて運転手は出発するのを思いとどまり、男性はバスに乗車できました。車内のには男性がバスに乗れて、ホットした空気が流れました。
男性は最終バスに乗れた訳です。
バス停の横にはタクシーが2台待機していましたが、バスに乗れるのとタクシーでは、出費に差がでます。

バスは阪急東向日駅に寄ってから、JR向日町駅へ向かいました。
阪急東向日駅には昨年、サントリービールの見学に来た後、激辛商店街で中華料理店に寄ったところです。

http://www.kyoto-gekikara.com/
http://blog.goo.ne.jp/gifu2212/e/2f3a7ecbbbb2e62b57cef647598fb771



JR向日町駅です。
16時3分発の京都行きが入線してきました。
この列車で京都へ向かいます。

感想
前々から登ってみたいと思っていたポンポン山に登る事が出来ました。
ポンポン山は、大阪側と京都側。何れからも手軽に登れる山で人気の有る山でした。高槻側からなら、本山寺の駐車場に車を停めて登りだす人を見かけました。私のように登山口と下山口を別々にする人も居れば、ピストンで引き返す人も居ました。都市近郊で楽しめる良い山だと思いました。
それにしても、下山方向を間違え、修正して事無きを得ました。ヤレヤレと言う気分でした。
参考にしたサイトです。
http://eonet.jp/travel/mountain/index_100615.html



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一宮友歩会・第61回ウォーク例会 史跡巡りシリーズ・西尾張編Part14 弥富市を歩く

2016-04-02 23:40:00 | 一宮友歩会

一宮友歩会の4月例会が開催されました。今回は弥富市の近鉄弥富駅をスタートして、逆時計回りに弥富市内をウォークし、元の近鉄弥富駅まで歩きました。弥富市は海抜0メートル地帯で、古くから水との戦いがあった所です。水郷の塔が木曽川の堤防の横にありここで昼食なりました。ここには伊勢湾台風で被害を被り、復旧工事がなされ、一先ず工事の区切りが付いたとして記念のモニュメントが設置して有りました。また、水郷の塔は塔に上がる事が出来、この一帯を眺めれるようになっていました。
ここから「弥冨ふるさとガイド」に案内をして貰いました。丁度、桜の時期で、弥富市文化広場の前では「やとみ春まつり」が開催されていました。桜を愛でながら弥冨の街を歩くことが出来ました。

近鉄弥富駅(9:21) ― 鯏浦(ウグイウラ)城跡(9:36~9:50)  ― 興善寺地蔵(10:06) ― 

荷之上の力石(10:17) ― 服部家住宅(10:26~10:28) ― 金樹寺(10:31~10:45)

 ― 御着船所跡(11:01)  ― 黒川治愿君功徳碑(11:08~11:15)  ― 

内藤十左衛門自刃地(11:23~11:27)  ― 水郷の塔(12:00~12:55)   ― 

歴史民俗資料館(13:08~13:30)  ― 立田輪中人造堰樋門(13:46~13:55)  ― 

森津の藤(14:11~14:26) ― おみよし松(14:45~14:50) ― 近鉄弥富駅(15:18)

この日の参加者は52名でした。ウオーキング日和の空の下。全員が完歩出来ました。



弥富市を逆時計回りに歩きました。
http://www.geocities.jp/jk2unj/datagazou/61map.pdf



近鉄弥富駅の横の駐車場です。
ここで出発式。
会長が挨拶しています。




ラジオ体操。そして準備体操をしました。
これから出発です。




歩き出した時。頭上を大型の飛行機が飛来して来ました。
この後も次から次へと飛来して来たのです。
時間にして5分置き位でした。
風向きでこの辺りから中部国際空港に向かうのだろうか。
頭上の騒音が気になりました。

実は、中部国際空港が開港する前は名古屋空港に降りる飛行機が我が家の南西方向を次々に飛んで行きました。コースになっていたのですが、頻繁に飛んでいました。あの時はうっとおしかったです。




スタートしました。
民家が並ぶ中を歩きます。





最初に寄ったのは鯏浦城址です。
城址と言っても、砦のようなものです。
樹齢600年といわれる大楠です。
大楠は戦や人々の生活。色々の場面を見てきたことでしょう




樹齢600年といわれる楠の大木です。
それに鯏浦城址の説明板が設置して有りました。




鯏浦城址について説明する丸井さん。
丸井さんはお城や歴史に詳しい人です。
言うならば、一宮友歩会のブレインです。
そして、みんなが丸井さんの説明を聞いています。



説明用に配布された資料です。
明治24年の地形図です。
今は関西本線ですが、地図では、まだ関西鉄道となっています。ウィキぺディアでは明治28年に名古屋駅 - 前ヶ須駅間が開業したと有ります。この地図には長島駅は載っておらず、加筆したものです。そして同年に全通しています。今の名鉄弥富線は、まだ、尾西鉄道となっています。当時は蒸気機関車で運行していて、合併後か合併前か。後から電化したのでしょう。
歩いた、御着船跡ではすぐ傍が川となっています。ふたつやの渡し跡も近くが川となっています。地図に渡しの記号が載っています。今の状態から近くに川が有った事が想像できませんが、現実には、川が有りました。
明治の東海道。それに鍋田川や筏川もはっきり載っています。古い地図を見る事が面白いです。




興善寺地蔵。
弥富町史に記載されている最古の石仏とあります。
祠の中にお地蔵さんが安置して有りましたが、帽子を被っていてお顔は拝見できませんでした。



服部家住宅へ来ました。




服部家です。
服部家は重要文化財に指定されて居ます。服部家は見学できますが、予約してなく見学しませんでした。茅葺きの立派な門です。茅葺きを維持していくだけでも、大変だと思います。




塀の向こう側でどのような建物なのか判りませんが、位置から離れではないかと推測します。ここも茅葺きの家屋です。




金樹寺へ来ました。
門の前に立派な松が有ります。




御着船所跡へ歩いてきました。




明治天皇焼田港御着船所跡。
明治天皇が遷都に寄り、京から東京へ向かった時、桑名から乗船して、この地で下船しました。
いま、ここの辺りは住宅街で川が流れていたとは想像できませんが、明治28年の地図では、直ぐ近くまで木曽川が来ています。
裏に解説文が描いて有りますが読み難くなっています。



弥富市五之三自主防災格納庫と書かれています。
青い表示が付いていて、海抜0メートルを表しています。
この辺りの地図を見てみますと、海抜が0かマイナス表示となっています。




五明神明社へ来ました。
ここには黒川治愿(ハルヨシ)君功徳碑が設けて有ります。
黒川治愿は、簡単に言うと愛知県で河川改修などの土木工事に骨折った人です。名古屋市で黒川が流れていますが、黒川は彼の名から取ったものです。




河川の土木工事に詳しい安井さんです。
黒川治愿にちなんで、碑のある神明社で解説しています。




安井さんの用意した資料です。




五明神明社を後にします。
右は木曽川水管橋です。安井さんは三重県に水を送っているのだと言っていました。



東名阪の下を歩きます。
桃の花が満開となっていました。




証玄寺。
左の石柱が内藤十左衛門自刃の地の碑です。




表は内藤十左衛門自刃之地となっています。右は裏側で岐阜県本巣郡巣南町教育委員会と彫られて居ます。内藤十左衛門は幕府方の役人で、十左衛門の上役に責任が及ばないようにとの思いから自害したのだそうです。巣南町教委が設置したのは十左衛門の居所が本巣郡十五条村(岐阜県巣南町で今は瑞穂市です。)だったからでした。
こんなサイトが有ります。
http://www.cbr.mlit.go.jp/kisokaryu/gakusyu/ijin/6.html





県道沿いを歩きます。
アスファルトの割れ目から出たスミレが咲いています。
このような状況下で咲く事が出来るのですので、恐らく外来種なのでしょう。




国道1号線を横切り、水郷公園に向かいます。
筏川の橋を渡ります。
サクラが見頃を迎えています。




水郷公園へ来ました。
「やとみ春まつり」が開かれていて、その駐車場となっています。




水郷公園へ来ました。
前方に水郷の塔が見えます。




水郷の塔の下に来ました。




お昼の時間となりました。
ここ、水郷公園の思い思いの場所でお昼とします。




水郷の塔に上がってみました。
尾張大橋が見えます。
川の向こうは三重県で、桑名市です。




水郷の塔から関西線が見えます。
前方に上り特急南紀ビューが見えます。



12時27分です。
ガイドがやってきました。
会長が弥富ふるさとガイドを依頼していました。
多分、12時半にでも、来て欲しいとなっていたのでしょう。




弥富ふるさとガイドのあいさつです。
これからふるさとガイドに案内してもらいます。




ガイドに付いてもらい、水郷公園を後にして、出発しました。




ふたつやの渡し跡。
今は川から離れた場所となった渡し跡です。
地図では、このの場所の所まで木曽川が来ています。




御囲い堤を歩きます。




弥富市歴史民俗資料館へ来ました。
この資料館は弥富町の役場だった建物です。




資料館の職員が少し、説明をしてくれました。
その後は自由に見学してくださいとなりました。




幾つも金魚を飼育している水槽が並んでいました。
金魚の種類が判りませんが、デメキンだけは判ります。




この辺りはゼロメートル地帯です。
伊勢湾台風では、甚大な被害を被りました。その事を紹介しています。
右は、ボランティアが御囲堤や輪中について




右は金魚Ⅰ金魚の選別を紹介しています。
左は金魚の出荷で昭和40年頃の写真。そして今は、ビニールに酸素を注入して出荷しています。




ガイドに案内されて資料館から出ました。
山口誓子の短歌で「群金魚流なして槽廻る」と書かれています。
昭和61年にこの地を訪れた時に詠んだものだそうです。
弥富にはこの他にも、金魚が詠まれた短歌が有ると説明していました。



ガイドに案内されてサクラの下を歩きます。




左手が祭りの会場です。




筏川に架かる橋を渡ります。




祭りの会場です。




祭りの会場です。
弥富市文化広場の前が会場となっています。




輪中公園の中を歩きます。




輪中公園で南東に歩いて来ると立田輪中人造堰樋門へ来ました。




人造堰樋門で、明治34年9月竣工の文字が読めます。



人造堰樋門




人造堰樋門の裏側はこのようになっています。




鍋田川の堤防となっていたところで、コンクリート跡が残っています。




門をくぐり、中に入ります。




森津の藤です。
まだ、藤の花の時期には、早いです。




藤の古木。
ボランティアガイドが森津の藤の事を説明してくれました。
古木で、ここの藤が他所に行き、藤棚で枝を伸ばしていると言っていました。



おみよし松へ来ました。




おみよし松。
高くて立派な松です。
ボランティアガイドの案内はここまででして、ここでお別れしました。




金魚を飼育している池です。
池と言わず田と言っているようです。



近鉄弥富駅が見える所まで歩いて来ました。
お疲れ様でした。



お疲れ様でした。

近鉄弥富駅に着きました。
ここで解散式をして、解散です。
13キロのコースとなっていますが、それ以上の距離が有ることでしょう。


感想
今回歩いたコースは愛知県の西の端で西側に木曽川の堤防が有りました。堤防を越えれば木曽川でその先は三重県になるところでした。この辺りは海抜0メートル地帯です。水郷公園には伊勢湾台風災害復興竣工記念碑が有りました。当時の高潮の高さを表すように5メートルの高さのモニュメントが有りました。弥富市歴史民俗資料館では伊勢湾台風に冠する展示が有りました。改めて、水郷地帯だということを感じさせられたのと、伊勢湾台風の記憶を甦らせました。一緒に歩いた人同世代です。同様の気持ちを抱いたのではないかと思いました。

弥富と言えば金魚の産地です。歴史民俗資料館では色々の金魚を見る事が出来ました。歩いていて、金魚の飼育池を目にする事も出来ました。

弥富の歴史を知ることも出来ました。初めに寄った鯏浦(ウグイウラ)城跡で説明を受けましたが、信長の弟。信興の戦が有ったことを教えて貰いました。渡された資料の地図では、木曽川が載っていましたが、今の姿の木曽川からは想像できないような地形です。今日の整った形は、幾度と無く繰り返された災害の結果だと思います。

水郷地帯の弥富を歩き、色々の事を学ぶ事が出来ました。

次回、は平成28年6月4日(土)、JR大垣駅へ9時集合で行います。私がリーダーを勤めます。皆様の参加をお待ちしています。




会長。寺さんのサイトです。
http://terasan.dousetsu.com/wa190.html
参加したMさんのサイトです。
http://www.geocities.jp/jk2unj/61reikai.htm


一宮友歩会のサイトです。
http://terasan.dousetsu.com/uho.html

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