Kオジサンの新・山歩きの記

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ウオーク同好会  6月定例ウオーク  大野町の野古墳群を歩く その後は曽根城跡公園を散策

2023-06-26 23:44:27 | ウォーク同好会

ウオーク同好会の6月例会です。今月は大野町のボランティアガイドの案内により、野古墳群を歩きました。
この計画は5月例会で予定されていましたが、天気が悪くて中止となり、今回の実施となったものです。
野古墳群は400メートル四方ほどの広さの場所に前方後円墳や円墳が集中して有る場所です。
美濃大野発見ガイド隊」と言うベストを着たガイドボランティアのお二人です。
野古墳群を解説して貰いながら歩きました。
その後は、花ショウブを愛でに、個人的に大垣市の曽根城跡公園へ向いました。残念ながら花の時期は終わっていました。

パレットピアおおの

今回の集合場所は揖斐郡大野町の道の駅「パレットピアおおの」でした。
ここでボランティアガイドと落ち合うことになっていました。
お二人のボランティアガイド。
私たちをGさんとOさんが待っておられました。




まず、最初にこれから向かう方向。
ガイドのGさんが案内地図を使ってこれから向かう野古墳群の解説です。
この地図。
観光ガイドマップで大垣市や本巣市、揖斐郡と西濃全体を表していました。



この後向かう野古墳群を解説しています。
野古墳群は大野町の中で、北の方に位置します。


野古墳群

野古墳群が有る野地区に着きました。




早苗が入った田んぼ越しに見える古墳たちです。
8号古墳や9号古墳、そして南屋敷西古墳です。
南屋敷西古墳は前方後円墳です。



野古墳群の駐車場へ着きました。
ここで、周りの解説です。
先に見えるのがモタレ古墳。その先が登越古墳です。
モタレ古墳と言うのは珍しい名ですが、かつての字名から来ているのだそうです。



駐車場に有った野古墳群の解説板です。




歩き始めて、登越古墳へ来ました。
解説板が設置して有ります。
そして、Gさんから前方後円墳である登越古墳の解説を聞きます。



Gさんを先頭に登越古墳に登ります。




登越古墳からの景色です。
登越古墳のところから北東から南東にかけての眺めです。
左からモタレ古墳(1号)。不動塚古墳(2号)などが並んでいます。




野地区を歩いていて布賀利八幡神社に来ました。
本殿前の対の狛犬。
左が雌で右が雄です。



こちらは野村藩邸跡の解説板です。
外堀と土塁に囲まれた藩邸跡です。

西洋は石の文化であり、日本は木の文化だと言えると思います。
防御がなされ、さながら欧州の城塞都市的な顔を持っているのではなかろうか。

野古墳群をガイドボランティアの案内により、回るものでした。織田信長の弟の織田長益。その嫡男の長孝が関ヶ原の合戦で手柄を立てた話など、古墳のことのみならず、多岐にわたって解説していただきました。

これは「美濃大野発見ガイド隊」が私たちのためにご用意くださった資料です。
関ケ原の合戦において織田長孝が活躍したとの解説も有りました。


パレットピアおおの

パレットピアおおのへ戻ってきました。
お昼の時間です。
ここで昼食を取ることになりました。



カラフルなビニール雨傘です。



パレットピアおおのの館内です。
ここはパン販売のエリアです。
レストランのエリアや麺類を提供するエリアも有りました。
この先には農産物やバラの鉢、お酒のコーナーや特産物のコーナーもあります。



皆で、パレットピアおおのの中での昼食です。
私はワカメ蕎麦を注文しました。
今日の参加者が同じテーブルに着いて昼食を取ることが出来ました。


この後、現地解散となりました。







曽根城跡公園

帰路、曽根城跡公園に寄ってみました。
ここへは昨年6月12日に訪れました。
花散歩 岐阜県百年公園花菖蒲園 山県ばすけっと  谷汲ゆり園 揖斐川歴史民俗資料館 曽根城公園花菖蒲園 - Kオジサンの気の向くまま (goo.ne.jp)
その時は花ショウブの花期でしたが、今回は遅かったです。
6月の10日前後が良い時期ではなかろうか。




曽根城跡公園 花ショウブ。
花ショウブの系統や花ショウブの一生を紹介しています。



他の花は終りを迎えていたが、辛うじて数輪が残っていました。




2輪をズームで。
園内の花は、ほとんどが終わっていましたが、残りの花が有り、愛でることが出来て良かったです。




最後に
今回は「美濃大野発見ガイド隊」と言うベストを着たお二人のガイドボランティアの案内で野古墳群を解説して貰いながら歩きました。
400メートル四方ほどの場所に集中して古墳が築かれていました。
詳しく解説して貰え参考になりました。
登越古墳に登り、周囲の古墳を見下ろすことが出来ました。
古墳から見える古墳群の景色。
どんな人が古墳を造らせたのか、ロマンが広がります。



余談

美濃大野古代ミステリー街道と言うチラシです。
このチラシ。
何処で手に入れたか覚えていません。
内容は美濃大野発見ガイド隊が引率して大野町の古墳群を歩くものです。
第1回目が先着20名となっていまして、もう、参加者が多いのだろうと申し込みを諦めました。
でも、第1回がダメでも秋に同様で開催されます。
それで、秋の時に参加したいと考えていたのです。
今回、美濃大野発見ガイド隊のお二人に案内していただきました。
チラシの内容と同様の内容で実施して貰えました。
秋にと、考えていたのが今回、実現しました。

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春から夏に楽しむ ~里山自然ハイキング~ 講座 第2回  明 王 山 (384.5m)

2023-06-17 23:09:24 | 里山自然ハイキング講座  

春から夏に楽しむ~里山自然ハイキング~」と言う講座の第2回です。
今回は各務原市、関市、そして坂祝町の接点である明王山が目的の山となっていました。
集合場所が各務原市自然遺産の森となっていました。



各務原市自然遺産の森の管理棟前です。
アソコが集合場所です。



講師の鷲見さんのお話です。
ききなし」という言葉。
鳥の鳴き声を言葉に置き換えたものです。
ホトトギスはテッペン、カケタカとかトッキョキョカキョク。こんな言い方をします。
三光鳥。ツキ、ホシ、ヒ、ホイホイホイと言う言い方をするのだそうです。





レシーバーです。
これを耳にかけ講師の声を聴きます。




歩き始めて目にしたのが天然のウメです。
木に成ったままのもの。
地面に落ちたものが有りました。



アスファルト道を歩きます。
この道。
東海自然歩道になっている道です。




テイカカズラです。
藤原定家にちなんだ名です。



迫間不動の駐車場に来ました。
先に見える山。
タワーが聳えています。
アノ方向に向かって行きます。




講師の横山先生。
野鳥の参考書を広げて説明です。



迫間不動に来ました。
ササユリが咲いています。



ササユリをズームで。




迫間不動の奥の院です。
水が滝となって流れています。
ここは境川の水源地です。



ツメレンゲと言う多肉植物です。




頂上八方不動まで上がってきました。
ここまで来るのに長い階段が有りました。
1人、女性がキツそうでした。
若い男性が、ここまでザックを持ってあげて上がってきました。



横山さんから見せて貰ったツメレンゲの花の画像です。







明王山の山頂を目指します。
ここが最後の登りです。



明王山の山頂からの眺めです。
木曾川と伊木山。
その向こうに小牧山。
さらにその先に名古屋の高層ビル群が見えます。



明王山のタワーです。
見上げるタワー。
タワーの先にツバメの群れが飛んでいました。
何羽ものツバメ。どこに向かうのだろう。



明王山から下山してきました。




迫間不動の方へ下山して行きます。



迫間不動の本堂前です。




この花。
何と言うのだろう。




迫間不動の農産物直売所の前です。



自然遺産の森へ戻ってきました。


最後に
色々と説明して貰えました。
市内の山。
明王山への往復でした。
楽しめました。

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関市上之保の山 城山(462.3m) 女夫山(340m) 天神山(340m)

2023-06-10 23:55:52 | 岳友 タンネの会

岳友タンネの会の山行です。
関市の北部に上之保地区が有ります。
その上之保地区に有るのが城山、女夫山、天神山です。これらの山へ行ってきました。この山々に登るのに先谷登山口、松本登山口そして天神神社登山口と3つの登山口が有ります。
私たちは、先谷登山口から松本峠へ向かい松本峠から城山山頂に向かった後、松本峠に戻るコースを辿りました。その後女夫山、天神山に行って戻ると言うT字型のルートを歩きました。
これら三山の特徴は、山頂で木彫りの彫刻が迎えてくれると言う事です。城山はクマ、女夫山はカエル、天神山はウサギの彫像が迎えてくれました。


城山、女夫山、天神山の案内図です。
登山口の1つである先谷登山口。
この案内図、消防車庫の横に設置して有りました。そこに車を停めて出発しました。



登り始めです。
アスファルトの道を歩きました。



凄い花の数。
テイカカズラが塊になっていました。



登山道に散らばるアリドオシです。
沢山の白い星を散ばめた様に見えました。



先谷登山口と松本登山口との中間点である松本峠に来ました。
ここから北に向かい城山へ行きます。
頂上まで1.1㎞の表示。
城山に登った後、ここへ戻ってきます。
そして反対側へ向かいます。



松本峠です。
指示標識と石像が有ります。



一部、痛めつけられた石像。
右側に彫られた元禄の文字から古さを感じさせます。



城山に向かって歩きます。
まだ、この付近は歩き易い道です。



途中、これから登る城山の山頂が見えました。



城山の山頂に到達します。
最期の登りですが急登です。



大きな木が切り倒されています。
プラスチックの階段で整備して有ります。



山頂の標識です。



山頂の同定銘盤。
2022年10月設置の文字が読めます。
近くの山々から遠くの山。
360度の山々を表しています。



北東の方向。
視界が良かったら御嶽山が見えるのですが、生憎の眺めです。
右と左、山裾の形だけは判ります。




こちらは南の方角。
この後、向かって行く方角の眺望です。




下山を始めました。



下山の途中です。
麓の集落、山本、向名倉や上名倉を見下ろせます。



女夫山分岐です。
ここから女夫山へ向かいます。



女夫山へ来ました。



女夫山山頂で昼食タイムとなりました。
切倒された太い木がゴロゴロしています。



女夫山山頂から、今登って来た城山山頂が見えます。



女夫山から出発です。



天神山へ来ました。
天神山の東の方に展望台が設けて有りました。




天神山展望台です。なっています。
木が伐採されて眺望が利くようになっています。



天神山山頂辺りです。
乱舞するモンキアゲハを撮りましたが、上手く写せませんでした。
写っているのは2羽なのですが、5~6羽いたのです。
オスがメスの奪い合いをしていたのではなかろうか。

春から夏に楽しむ ~里山自然ハイキング~ と言う市の講座でモンキアゲハを教えて貰いました。
教えて貰ったことが、役立つのが嬉しいです。



松本峠から先谷登山口へ向かいます。
この道、幅が広く馬が往来できそうです。
馬に炭俵や米俵を載せて行き来したのでは、なかろうかと想像しました。
峠に石仏が有りましたが、往来する人々を見守っていたのでしょう。



先谷登山口へ戻ってきました。



下山してきました。
車を停めた先谷消防車庫が見えます。




山頂の木彫です。
城山がクマ。女夫山はカエル。天神山はウサギです。
切株に木造を据えたのでなく立木を彫刻して有りました。
木像に彫哲と言う名を表していました。彫と有るのでタトゥーの人かと思ったらチェンソーアティストでした。
登山してチェーンソー アート!山頂にシンボル作品を制作 - YouTube



最後に
登り易い、良い山でした。
今回、眺望が叶わなかったのですが、冬季に空気が澄んで来れば、白く冠雪した御嶽山が見れるでしょう。

関市の山である上之保の山。城山、女夫山、天神山、三山。
これらの山が登れるようになったのは最近の事なのでしょう。城山の山頂に置かれていた銘盤には2022年10月と刻まれていました。それに前後して三山の山頂の木を伐採したのでしょう。太い木が有った山頂です。
そんな山頂にチェーンアートの木彫像が設けられました。
木彫像が無かったら、これと言って特徴が有る山ではない。
そんな山にチェーンアーチストに頼んで木彫像を置く。
その事を考えた人が知恵者だと思う。

今回の上之保地区。2018年7月8日に集中豪雨が襲いました。
大雨特別警報が出ている岐阜 川の氾濫で浸水被害(18/07/08) - YouTube
間もなく、5年目を迎えます。
復興は成し遂げられたのだろうか。


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一宮友歩会・第96回ウォーク例会 史跡巡りシリーズ・三重編Part4  長島町を歩く

2023-06-03 23:14:00 | 一宮友歩会

一宮友歩会の第96回ウォーク例会です。
史跡巡りシリーズ・三重編Part4 で今回は桑名市長島町を歩くものでした。
初夏の時期、周囲を堤防に囲まれた長島町を歩きました。
特に、今回の目玉が船頭平閘門です。木曽川と長良川でリンクしている船頭平閘門。木曾川の水面が高く長良川の水面が低い。両河川を結び付けている訳だが、水面の高さを調整する機能を持っている。日本のパナマ運河と呼ばれている船頭平閘門。NPO法人木曽川文化協会の4人の人が解説してくて勉強になりました。

近鉄長島駅 — 豊受大神社 — 八劔神社 — 長島北部小学校 — 信行寺 — 楠神社 — 
輪中の郷 — 輪中ドーム — 船頭平河川公園 — 仁了寺 — 阿弥陀寺 — 源盛寺 — 
八幡社 — 長島駅



今回のコース地図です。
r596map.pdf (ssl-lolipop.jp)




集合場所の近鉄長島駅です。
出発式を終えて出発するところです。
大阪に向かうのでしよう。
特急火の鳥が走って行きました。


豊受大神社

豊受大神社へ来ました。
この豊受大神社。
伊勢神宮の外宮です。
伊勢湾台風の潮位を示すポールが見えます。
町内の至る所に水位標が立っていて、伊勢湾台風時の水位と現在の海面水位が示されています。




歩いていて目にしたのが畑のズッキーニです。



前方の高架。
東名阪です。



アジサイの色が濃くなってきました。



実っている枇杷。
このように収穫の時期を迎えた枇杷。
長島町を歩いていて何箇所も見ました。


長島北部小学校

長島北部小学校の水位標識です。
歩いていて同じような水位標識を何箇所も見かけました。


楠神社

楠神社へ来ました。



境内に有ったシベリア出兵の石碑です。
表には大正○○西伯利亜事變紀念と彫られています。
裏面には勲七等伊藤○○とか勲八等伊藤○○と彫られています。
この地区に伊藤姓が多いのだろうか。
また、ここに刻まれた人の名。
戦死した人なのでしょうか。



楠神社の中に入りました。
宮司が来ていまして、床几が並べて有りました。
そして、宮司が色々とお話下さいました。



楠神社の境内です。
楠の大木があります。


今回、私はアンカーを務め、末尾を歩いていました。
楠神社を後にするとき、宮司が鳥居の所まで来て私たちを見送って貰いました。
丁寧な応対でした。
このような対応。
会長に報告しておきました。


輪中の郷

輪中の郷に寄りました。



船頭平河川公園

船頭平公園へ来ました。
船頭平河川公園の案内図です。



船頭平公園へ来ました。



前方は船頭平閘門です。



「NPO法人木曽川文化協会」の4人の方の出迎えを受けました。
そして、説明を受けるよう4列に並び4班に分かれました。



船頭平閘門の解説です。



4班に分かれ、説明を聞きながら閘門の動きを眺めました。
説明の途中、水門扉が開き、水の出入りを見ました。
手前側が木曾川側で、奥の方が長良川側です。
木曽川の水面が高く長良川の水面が低い状態です。
水面の高さを調節して舟を航行させます。



閘門室の水位を上げています。
木曾川側から水を流し込みます。
水は全日は雨でして濁った水となっています。
濁水が流れて行きます。
違う色の水で、流れていくのが分かりました。



閘門室が木曾川と同じ水位になりました。



開いた閘門です。
閘門室の水位が木曾川と同じになりました。



木曾川側の閘門を閉じて長良川と同じ水位にします。
水位の低下で石垣が現れました。



閘門室の水位が長良川と同じになりました。
長良川側の閘門を開きました。




NPO法人木曽川文化協会の人が解説してくれました。



船頭平閘門の解説です。



明治の頃の閘門の扉。
イギリスから鉄板を輸入して校門の扉に仕上げました。






テントの中の展示室です。
旧閘門の扉が保存されています。




閘門の開閉は人力で行っていました。
ハンドルを回すとギヤが回り扉が開閉する仕組みになっています。



閘門の全景。
この閘門が作られたのは木曾川を流れて来た筏が桑名へ向かうために作られました。
閘門を通過する筏が映っています。



船頭平河川公園を出発します。


仁了寺

仁了寺に寄りました。
ここではM氏から、長島一向一揆についての説明を受けました。
この仁了寺もその時消失しています。



仁了寺では本殿に上がらさせて貰いました。
そして、秀吉の朝鮮出兵の軍船の梯子と思われる材木に着いて記した新聞記事を拝見しました。
寺を去る際には、お庫裡さんの見送りを受けました。





長良川左岸の堤防下を歩きます。



長島駅の近くまで歩いて来ました。
畑の麦。
色が変わり刈入れの時期を迎えています。



最後に
今回は船頭平閘門を見学することが出来ました。
説明によると流れて来た筏が桑名に向かうために設けられたのだそうです。
木曽谷は尾張藩の御領林でした。上流から流された檜を八百津で筏にして流し木場に向っていました。一方、飛騨は天領でして飛騨川を流していました。川辺で筏に組み流していたのでしょう。そして筏が桑名の市場へ向かう。そういう背景が有ったのでしょう。
今日は船頭平閘門を可動させて貰えて参考になりました。

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東濃の山 二ツ森山(1,223.5m)

2023-06-01 23:39:17 | かがみの山歩会

かがみの山歩会の6月準例会です。加茂郡白川町と中津川市福岡町の境界の山。二ツ森山に行ってきました。中津川市となっていますが、かつては恵那郡福岡町で合併して中津川市となりました。
行政の境界の山ですが、登山道は桧林に包まれていて陽が当たらず暑さが和らげられていました。
山頂にあずま屋が有り、内側に福岡小の子供たちの登山記念板が掲げて有りました。毎年6年生が登りに来ている。福岡小学校の伝統行事になっていると感じました。



切越峠に設置して有った二ッ森山の案内図です。
白川町が設置しています。




ここが登山口です。



第一展望台に来ました。



第一展望台からの眺めです。
白川町の家々を見下ろします。
右はズームしてみました。



1,160mのピークです。
ここを右に折れます。




山頂が近くなってきました。




登山口から山頂近くまで福岡区と書かれた白いポールが何本も立っていました。
福岡区の領有を示します。
中津川市福岡町と加茂郡白川町の境界を表す杭。
福岡町の福岡区と言う財産区となっている共有林なのでしょう。
この白いポール。
山頂近くになると高山区となりました。
地図を見てみると二ツ森山山頂の南東に高山地区が有ります。
高山区が広大な山地を所有しているのでしょう。




山頂に到着です。



山頂の大きな岩。
その岩の上に山名の標識が設置して有ります。



山頂からの眺め。
中津川の街が見下ろせます。
貼れていたら恵那山が見えるのではなかろうか。



山頂のあずま屋です。
二ッ森山頂休憩小屋の看板が下がっています。



毎年、福岡小学校の6年生が登ってきています。
板に子供たちの名が書かれています。



下山に掛かります。
降り始めた時、見かけたベニドウダンです。



林道に向って下山して行きます。



下山途中に見かけた看板。
この山の花を紹介しています。



林道まで下山してきて目にした看板です。




下山してきて、人が立っている方向へ歩きました。
結果的にそれが間違いでした。
歩いた道は東森林道でした。



何スミレだろう。



長い林道を歩いています。
下り坂。そして登り坂になる真っ直ぐの道。

下山してきて林道に出たのです。
北の方に向えば登山口に方へ行けると言う認識でした。
結果的に、それが間違いでした。
東森林道を南へ歩き、そして二ッ森林道を北へ歩くべきでした。




ツルアジサイを見かけました。



県道白川福岡線に出ます。



登山口まで戻ってきました。
車を停めた処は直ぐ近くです。



最後に
01.06.16に二ッ森山へ登りました。もう、20年以上前の事です。その時は切越峠から山頂に向かい、山頂から広域二ツ森林道へ下山して来て長い道を歩きました。
あの時、林道を歩いたと言う記憶しか残っていません。その記憶は曖昧で、北に向かって歩いたら道が間違っていました。
もう少し、慎重に考えるべきでした。
22.07.13にも二ッ森山に登りました。その時は切越峠から山頂へ向かい、下山はこうもり岩経由で奥新田林道に出て、切越峠へ戻りました。あの時はくたびれていました。ドライバーに峠へ行って貰い、ミンナは奥新田林道の広い場所で待ちました。
二ッ森山は色々のコースを取ることが出来る面白い山です。

山頂の東屋で見かけた子供たちの名が書かれたプレートが有りました。子供たちは短時間で登れる林道からの登山だったのではなかろうか。
今回、二ッ森山とは東森山と西森山で、二つの森山から二ッ森山と成っているのを知りました。知らないことを知ることが出来たのが面白いです。

コメント (2)
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