Kオジサンの新・山歩きの記

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kオジサンの中山道旅日記 その9  JR武並駅からJR中津川駅 まで

2018-05-21 23:32:30 | Kオジサンの中山道旅日記 

5月21日(月) 晴 JR武並駅からJR中津川駅まで

第9回です。JR武並駅から前回終了した深萱立場跡へ向いました。そしてウオーキングの再開です。このコースも、昔の様子を残す街道でした。起伏の有る長い道を過ぎ、石畳を下って来たところに十三峠の石碑がありました。その場所が十三峠の東の入口だったのです。
大井宿は盆地の中にある宿場町で典型的な枡形が残る宿場でした。大井宿を通過して、恵那市と中津川市の境界を通り抜け中津川市に入ると、何箇所も坂本文化遺産保存会の案内板を目にしました。郷土の文化財を大切にしていきたい。そんな意気込みを感じました。そして、最後には中津川宿のJR中津川駅までを歩きました。
東に向って歩き、恵那山が段々と近づいてきて山容がハッキリしてきました。
それだけの距離を歩いたのだと実感しました。

JR武並駅  ― 深萱立場跡  ― 藤村高札場  ― 三社灯籠 ― 紅坂の一里塚 ― 
妻の神
 ― 乱れ坂 ― 首なし地蔵 ― 槇ヶ根の追分  ― 西行の森 ― 
槇ヶ根の一里塚 ― 西行坂の馬頭観音 ― これより西 十三峠石碑 ― 西行硯水公園
― JR恵那駅前 ― Valor恵那店  ― 大井橋 ― 市神神社 ― 大井宿の本陣跡  ― 
大井宿高札場  ― 関戸一里塚  ― 甚平坂公園 ― 広久手坂の馬頭観音  ― 
恵那市中津川市境界 ― 茄子川
 ― 鯉ヶ平高札場跡 ― 茄子川小休所篠原家  ― 
尾州白木番所跡 ― 茄子川村高札場跡
 ― 三津屋の一里塚跡 ― 中平神明神社 ― 
中平弘法堂 ― 千旦林の高札場跡 ― 六地蔵
 ― 小石塚立場跡 ― 上宿休憩所 ―
 上宿の一里塚 ― こでの坂 ― 市川製茶 ― 
中津川橋 ― 本町公園 ― 
中津川遊歩道公園 ― JR中津川駅

 
JR武並駅

(08:27)
8時27分に武並駅に着きました。
前回、終了した深萱立場跡へ向かいます。


深萱立場跡

(09:02)
国道19号線の渡道橋を渡り、中央自動車道のガードをくぐって来ました。

ここから、前回終了した中山道の街道歩きを再開します。
この場所。トイレが整っており、投句箱もありました。
あずま屋に投句の作品が掲示して有りました。




歩道と藤川が並行しています。
この場所。左手に藤村の高札場がありました。




(09:10)
前方から男性が歩いてきます。
日本橋から15日続けて歩いて来たと言っていました。
前日の大井宿から細久手宿に向かうのだと話しました。




今日のKオジサンの後ろ姿です。
下は石畳。
本格的な街道歩きが始まります。


紅坂の一里塚

(09:24)
紅坂を登ってきたところです。
紅坂の一里塚がありました。




田園の風景が広がります。
この右側。
山間部で耕作放棄地が有りました。




田圃の中のオタマジャクシ。
こんな事にも季節の移ろいを感じました。




(09:42)
右側の標柱。
竹折高札場跡となっていました。
遠くに見える恵那山。
山頂に雲が掛かっています。
好い景色なのだが、電柱が無ければ尚良い。

乱れ坂

これから乱れ坂を上がります。
坂を登るのに、急坂で息が乱れたとか、女の人の裾が乱れたとかと説明が有ります。


首なし地蔵

(10:04)
首なし地蔵です。
宝暦6年に地元の人達が旅人の安全を願って建立したと有ります。
二人の中間が休んで眠っている時、片方の中間の首が無く、亡くなっていたとか・・・・・・。
そして・・・・・。


槇ヶ根の追分

(10:16)
槇ヶ根の追分まで来ました。
ここは下街道の分岐点です。ここから右に向かうとお伊勢さんへ行けます。
中山道を上街道と呼ぶのに対して、ここから右へ行く街道を下街道と言っています。
下街道は土岐の高山宿や多治見の池田宿を経て名古屋の大曽根へ向かえます。
お上は上街道を歩くのを奨励し、下街道は禁止しましたが、距離が短く難所も無いので時間が経つと下街道を歩くようになってしまいました。。



西行の森辺りへ来ました。
桜を植えて整備してあり、「桜百選の園」と言う石碑が設けて有りました。
遠くに見える恵那山。
山頂に雲が掛かっています。


槇ヶ根の一里塚

(10:43)
槇ヶ根の一里塚です。
街道を挟んで一対の塚が有り、往時の姿を残しています。



石畳の枝道。
この道を進むと西行塚展望台です。


これより西 十三峠石碑

(10:55)
石畳の街道を下ってきました。
ここが十三峠の東の入口でした。
脇には注意を促す看板が設置して有ります。




(11:03)
中央線の登り踏み切りを渡りました。
警報機が鳴り出し、そして名古屋行きの快速が音を立てて走り抜けました。
この辺りの線路。上り線と下り線が離れています。
複線電化の時、新しい線路として敷設したのが下り線なのでしょう。槇ヶ根トンネルとなっています。
こちらの線路は明治に開通した時の線路なのでしょう。




踏切から旧国道19号線に降りて来るところに石碑が設けて有ります。
歴史の道 中山道 と刻んで有ります。
この辺りの地理の状況が判ります。
中央線。最初に敷設した線路は経費節減で短いトンネルです。新しいトンネルは並行して完成させれなく、長いトンネルになっています。
美濃十六宿となっていますが、馬籠宿が漏れています。
平成の合併で長野県山口村が岐阜県中津川市となり、馬籠宿が加わって美濃十七宿となりました。




(11:29)
道を間違えて恵那駅の方に行ってしまいました。
修正して中山道へ戻って来ました。
恵那の街中。
道がカーブして街道らしさが有ります。




中山道広重美術館です。
今日は月曜日で休館日でした。
浮世絵諸国探訪と言う企画展を実施しています。




(11:38)
美術館の南がValor恵那店で、フードコートに来ました。
木の香と言う店です。






五平餅が名物の店。
木の香ランチを注文、それに稲荷寿司を頼みました。




五平餅をこのように焼いています。
出された五平餅が焼いてから時間が経っているからか、美味しいと感じなかったです。
先日、馬籠を歩いた時、白木屋で食べた方が美味しかったのです。
こちらのは100円で、白木屋のは150円でした。味の差は値段の差でしょうか。


大井橋

(12:11)
阿木川に架かる大井橋を渡ります。
欄干に浮世絵のプレートが着けて有ります。



欄干には69枚の浮世絵が飾って有りました。
左上は「大津」琵琶湖が見えます。右上は愛知川宿です。柱にはし銭いらず。むちんばしと書かれています。
左下が贄川宿。その右は浦和宿です。何れも馬の背に荷が乗っており、家畜が重要な運搬手段でした。それに江戸時代は浦和から浅間山が望めたのでしょうか。




大井宿の桝形です。
6箇所、道が折れています。





(12:30)
この建物の表には明治天皇行在所の石柱が立っています。
15年12月に訪れた時には「行在い所 お休み処」。そして「まちかど美術館・博物館」の看板が下がっていました。
この場所を拠点にボランティアガイドが活動していました。
今では、そんな様子が窺えません。活動を止めてしまったのでしょうか。



大井宿の本陣跡

本陣跡で門が残っています。
説明板には、本陣母屋を昭和22年に焼失したと書いて有ります。


大井宿高札場


(12:37)
坂の途中に高札場が設けて有ります。





上宿広場です。
トイレが完備しています。





中山道十七宿の石碑を見かけました。




(12:48)
振返り、歩いて来た大井宿方面を見渡しました。



関戸一里塚

関戸一里塚の石碑がポツンと立っていました。



甚平坂公園

(13:08)
甚平坂公園です。
この公園に大井宿の浮世絵を元にした石碑が設置して有ります。
後ろに見える山は御嶽山です。
噴煙が出ています。





岡瀬沢地区へ入って来ました。
恵那山が見えますが、電柱が邪魔です。




(13:19)
二人で歩いている女性とすれ違いました。




恵那市と中津川市の境界

(13:30)
恵那市と中津川市の境界です。




坂本の案内看板。
中津川市に入って坂本文化遺産保存会の手作り案内板を多く見かけました。





(13:40)
この男性。日本橋から続けて歩いて来たと言っていました。
続けて中山道を歩きたいのだが、どうしても用が有って下諏訪で一旦、中断した。
それに、細久手でも、また中断しなくてはならないと話しました。
細久手宿は公共交通機関から離れている場所です。
中断するにもタクシーを呼ぶなどしなくてはなりません。
そして、後日に、また街道歩きを再開するのでしょう。




(13:44)
恵那山が正面に見えます。



尾州白木改番所跡

(14:02)
尾張藩の白木改番所は大湫宿や大井宿に有りました。
この白木改番所は各所に有ります。
それだけ厳重に抜荷を取り締まったのでしょう。



三津屋の一里塚跡

(14:22)
三津屋の一里塚跡の石柱が立っています。




(14:44)
なだらかな坂道です。
恵那山が大きく見えるようになりました。





(15:18)
中津川インターの横を通り抜け駒場地区に入ってきました。





上宿休憩所

(15:30)
上宿休憩所です。
外国人が寝ていると思い、シャッターを切りました。







横になって休んでいても、寝ては居ませんでした。
トイレを済ませたら手招きされ、近寄りました。
男性だと思い込んだのですが、実は女性でした。
「ウフェアー  フロム」と声を掛けたら、「オーストラリア」と言う返事が返ってきました。
「ウフェアー  ゴー」と聞くとKYOTOでした。
「ハウ オールド アー ユー」。この質問にはシクスティファイブと答えました。
(後になって女性に年齢を聞いて失礼だったかと思いました。)
65歳のおバアちゃん。半袖で腕には刺青が有り、引きました。日本人の感覚とは少し異なります。
ザックにテントを入れて旅していると話しました。
それに、地図が無いかと言うので、岐阜県十七宿 散策ガイドをあげました。
カタコトの単語を並べて話します。そしてプレゼントと言いました。
「イゴメ」とか「ヤゴメ」と言っていた。それを聞いて?でした。
アッ。「マゴメ」だ。昨日、馬籠に泊まって、ここまで歩いて来たのでした。
写真を撮っても良いかと聞くと、OKでVサインしてくれました。
そして、最後。
握手をして分かれました。
このおバアちゃん。「YOUは何しに日本へ」で、成田でキャッチされたら、密着取材となるようなケースだと思います。
彼女の名を聞いていませんでした。
聞いておけば良かったと言う気持ち。でも、オーストラリアのおバアちゃん。それで好い。
一期一会の出合でした。


上宿の一里塚

(15:40)
一里塚で塚に石柱が立っています。


市川製茶

(15:48)
歩いていて、黒板に目が行きました。
それに窓を全開にして製茶をしていますので、お茶の香が外まで漂って着ていました。
市川製茶
〒508-0011 岐阜県中津川市駒場488−5
0573-65-2842



窓から覗き込み、ご主人に撮影しても良いかと聞くと、出来立ての茶を持ち、ポーズをとってくれました。
今は新茶で忙しいのでしょう。




(15:53)
これから向かう中津川の町。


中津川橋

中津川橋から見える恵那山。
恵那山が大きく見える所まで歩いてきました。


本町公園

(16:06)
中山道からはずれ、本町公園へ来ました。
中津川行きの電車が見えます。





D51を静態保存しています。
ナンバープレートが盗まれたりする。
でも、このD51。籠の鳥状態でした。



中津川遊歩道公園

(16:12)
本町公園から中津川遊歩道公園が続きます。
この遊歩道公園。以前に来た事が有ります。それで、寄って見たいと思っていました。





この公園。
中山道六十九宿にちなんで、宿場名を刻んだ六十九個の石碑が通りに沿って建てられています。
この遊歩道は昭和44年に廃線となった、旧本州製紙中津川工場への引込み線の跡を活用したものです。



愛知川宿や番場宿。
69個の石が並んでいます。


JR中津川駅

(16:41)
JR中津川駅まで歩いてきました。
列車は毎時20分と50分でした。
でも、16時台は16時55分となっていました。





歩く前と歩いた後です。
30キロ余りを歩きました。



アクシデント

(17:56)
これは瑞浪駅です。
列車が中津川駅を出て、順調に走っていたのですが、瑞浪駅へ来てストップしてしまいました。
車内アナウンスが何回か有ったのです。前を走る普通列車が瑞浪駅と土岐市駅の間で異音を感じたので点検のため停車した。そのため、前に進めないと言うものでした。
結局、異常が無かったようで、前の普通列車が動き出した。それでも、この列車は踏切りの点検があり、直ぐには走り出せないとの事でした。
再三にわたる車内アナウンスでどのような状態なのかは判りましたが、列車が瑞浪駅に停車したままの状態が1時間近くかかりました。
18時20分頃になって、漸く発車しました。


感想
この街道歩き。歩き始めは2月でした。そして、今は田植えが済んだ田圃。そしてオタマジャクシ。
季節の移ろいを感じます。
外国人との出合い。こう言う事が有るのが街道歩きの面白さかもしれません。京都に向かって歩いているだろう、あのオーストラリア人のおバアちゃん。
今はどの辺りを歩いているかと思ってしまいます。


今日の経費
JR那加駅からJR武並駅まで1,140円
JR中津川駅からJR那加駅まで1,490円
木の香ランチ他 700円
ビール他 602円
            合 計 3,932円


kオジサンの中山道旅日記  その10
6月9日(土) 晴 JR中津川駅から馬籠バス停まで  へ

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敦賀三山   西 方 ヶ 岳(763.8m) 蠑 螺 が 岳(685.2m)

2018-05-17 23:33:20 | かがみの山歩会

山歩会の5月例会で敦賀三山の一つ、西方ヶ岳に行って来ました。西方ヶ岳からサザエが岳へ縦走しました。西方ヶ岳から北へ縦走するうちに、眼下に水島が見え出しました。敦賀湾、そして水島が見えたのですが、曇り空で眺望が悪くて綺麗に見えなかったのが残念です。
西方ヶ岳と蠑螺が岳へは3回登りました。初めての時は、常宮神社に車を停めておいて、浦底から路線バスで戻って来ました。予めバスの時刻をネットで調べておいて、縦走したのですが、こう言うのは小忙しいです。2回目は水曜会で浦底に車をデポして置きました。3回目はあるこう会でバスでした。
西方ヶ岳から蠑螺が岳へのコースは縦走するのに持って来いのコースですが、帰路の時間が問題となります。そう言う点。バスでの山行は、下山時間を気にしなくても良く、このような山に向いています。




若狭自動車道から見える西方ヶ岳。
右側の奥の山です。
以前に来た時は敦賀ICで下車して登山口に向かいました。新しく自動車道が出来、このような景色が見れました。




常宮神社の駐車場です。
登る準備ができ、スタートします。




常宮集落の中を通過して行きます。




民家のブロク塀の中。
夏みかんだろうか、柑橘類の花が咲いています。
柑橘類の花をこのように近くで見たのは初めてです。



頂が見えますが、あの場所が山頂ではありません。




登ってきて眺望の良い場所に出ました。
遠くに敦賀港、そして気比の松原が見えます。
この場所。奥の院展望所の杭が立っていました。
常宮神社の奥の院なのでしょう。




高度が上がって来て、大きなブナの木が見えだしました。




西方ヶ岳の山頂に到達です。
山頂へ到達する前に雨がバラバラと音を立てて降ってきましたが、一過性のものでした。



西方ヶ岳の標識。
古くなり、字が読み難くなっています。
標高が地図では763.8mとなっています。この標識の標高は764.1mとなっています。この違いは何故だろう。



山頂でランチ。
思い思いの場所で広げます。





サザエが岳へ向かって歩き始めます。




山頂をスタートして、直ぐに下り坂になりました。




振り返ると西方ヶ岳が見えます。
アソコから縦走してきました。




蠑螺が岳の標識がある所まで来ました。





サザエが岳まで来て、水島が見え出しました。




大岩の横を通過します。



水島をアップで。
今はストップしていますが、出来立ての電気が流れるところです。



縦走路を歩いて来て長命水に来ました。
ここから半島の東側、浦底へ下ります。




下山して行きます。




下の眺望が開けたところ。
この場所。
山頂まで2.5キロ。水島がよく見えます。原電事業山岳部の手作りプレートが下がっていました。




水島をアップで。





下まで下山して来ました。
半島道路のバイパスを工事しています。




バスが停まっている所へ来ました。



感想
好いコースなのですが、天候が思わしく無かったです。
以前に来た時は敦賀ICで下車して登山口に向かいました。今回、新しく若狭自動車道が出来て敦賀南スマートICから登山口に向かいました。長年、山登りを続けていると、このように変わってくるのを感じました。



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木曽路ウォーク 「馬籠宿から馬籠峠、そして妻籠宿へ」 ~ 石畳の道を歩けば江戸時代の旅人気分 ~

2018-05-12 23:59:05 | 岳友 タンネの会

岳友タンネの会の例会です。今回は私、Kオジサンがリーダーを勤めました。タンネの会では、山を歩くのが中心で有り、今回のようなウオーキングは珍しい事です。会員から木曽路を歩きたいと言う希望が出されていました。過去に何回か歩いた事が有り、木曽路の馬籠峠越えを企画しました。
木曽路には最北の贄(ニエ)川宿から南端の馬籠宿までの間に11箇所の宿場が並んでいます。その街道の内、最南部の馬籠宿から妻籠宿までを歩きました。そして、ゴールは南木曽駅として、時間が許せば木曽川に架かる桃介橋を訪ねようと考えました。
このコース。日本人は馬籠宿や妻籠宿の宿場界隈を訪ねますが宿場の一部を見るだけです。反面、外国人はこの街道の良さを知っていて、多くの外人が歩いています。江戸時代の旅人気分になって木曽路を歩いて見ました。
春の陽気。沿線で色々の花々を目にする事が出来ました。


青空フリーパスです。
今回はこのキップを使って木曽路に向いました。一般的に青春18キップは広く知られていますが、青空フリーパスは余り、知られていません。
フリーパスのエリア内なら、乗り放題です。
今回の乗車区間は那加駅から中津川駅が1,490円で、帰路は南木曽駅から那加駅までで1,940円でした。合計は3,430円です。フリーパスは2,570円ですから860円お得です。
エリア内で遠くへ行けば行くほど、お得と言うモノです。
でも、列車の時間が・・・・・。



馬籠宿のバス停で路線バスから降り、宿場の中を通過しました。その後はゆっくりと中山道を辿り馬籠峠へ。そして妻籠宿に向いました。南木曽駅へ着いた後、時間が有りましたので、桃介橋に行ってきました。




(09:36)
バスが馬籠宿のバス停に着きました。
中津川駅から乗って来たのですが、車内の座席が埋まる程度の乗車人数でした。

これから歩くのでしょう。
外国人が何人も乗っていました。
中には中国人のカップルも居ました。
チャイニーズ?と声を掛けると、そうだと言う返事です。
自撮りで撮影していたので、シャッターを押してあげました。





馬籠宿の西の入口です。これから宿場の中を歩き始めます。
右側。
五平餅を売っています。




先ほど、バスから降りた外国人です。
彼の後の列に並びました。





このおバアちゃん。
テレビに出演していました。
おダンゴ形の五平餅。
胡桃などをブレンドしているのでしょう。タレの味に特徴が有ります。



(09:49)
前を歩く人たち。
男性4人組。
この人たちもバスに乗っていた人たちです。




余り、人が歩いていません。
混雑していないので、宿場町らしい雰囲気が有ります。




木の下の男性。
ザック姿の男性。
二人とも一緒のバスに乗っていた人でした。



ガラス越しに店内が見えます。
雑多なモノが並んでいますが、宿場町の雰囲気を壊しているような気がします。




(10:04)
馬籠宿の東入口に来ました。
この先。街道沿いに高札場が見えます。
ここは伝建地区になっているのでしょう。
電柱が無くなり昔の街道の雰囲気を出していますが、酒屋の看板が目障りです。

ケバイ看板。
商品が並んだ店内。
折角、昔ながらの街道の雰囲気を出しているのだが、何か、ぶち壊しになっているような気がする。
宿場の運営委員会を組織し、自己管理して行く必要が有るのではなかろうか。




馬籠宿の東の入口です。
これから先が本格的な街道となります。
私達もここで記念撮影。
この男性にシャッターを頼みました。
この男性と着いたり離れたりしました。
男性は松本から来たと話していました。





馬籠宿の高札場。
切支丹の禁止や駄賃の札が下がっています。




(10:19)
石畳の道。
これからが本格的な木曽路ウォークとなります。




左がアマドコロ
右はホウチャクソウです。




私達を追い抜いて行った外国人のカップル。
先ほど、喫茶店で一緒でした。
スロバキアから来たとか。
彼らもソフトクリームを口にしました。
日本のソフトクリームは美味しいと言っていたそうです。




(10:55)
前方から走ってくる若者達、3人。
先ほど、馬籠宿の展望台で一緒になりました。
その時、スマホのシャッターを頼まれ、恵那山をバックにして写してあげました。
頼まれた時、彼らの姿から自転車なのかと聞いたのです。
それで、帰った来た応えは「走り」だと言っていました。

走ってきた彼らに声を掛けましたら、妻籠から来て、戻って行くのだと言っていました。



木曽街道を歩きます。
アスファルト舗装に石を混ぜた特殊舗装となっていますので、一般道と木曽路を区別できます。





(11:16)
馬籠峠が見えてきました。
あの場所が岐阜県と長野県の境界です。




左はコンクリートの壁に貼られていた県境です。
右は道路の縁石にはめ込まれていた県境です。
急ぎ旅ではないので、こう言うものにも目が届きます。



馬籠峠に着きました。
今回のコースの最高点です。




峠の茶店で一休みします。
ここで五平餅を食べたりラムネを飲んだりしました。
私たちが茶店に入っていた時、13年ぶりにここへ来たという男性が現れました。
蕎麦が無いかと聞いていました。
店は女性二人が切り盛りしていたのです。
お爺ちゃんが店をやっていたのだが、出来なくなったので私たちが受け継いだのだと言っていました。
折角、来たのに蕎麦に有り付けない。男性は残念そうにしていました。




(11:25)
石畳の道を歩きます。
馬籠峠からの下りと成り、下り坂が続きます。






峠から下って行きます。
私たちは、別に急ぎません。
そんな私たちを外国人が追い抜いて行きます。




(11:41)
馬籠宿と妻籠宿の中間点あたりです。
前方に一石栃御休み処が見えてきました。
ここで休憩します。
そして、あずま屋で昼食にしました。
あずま屋での昼食。松本から来た男性も私たちの隣で昼食をとっていました。





一石栃御休み処のSさんです。
木曽節を聞かせてくれました。
お話し好きの方でして、私たちがあずま屋で昼食をとっていて、話しかけてきました。
近くの子安観音を教えて貰いました。そこには立派な枝垂桜が有りました。
もう、花の時は終わっていましたが、開花した姿は素晴らしかっただろうと想像できる巨木でした。




一石栃御休み処。
立場の説明です。




あずま屋を後にして、直ぐの場所でラショウモンカズラを目にしました。




(12:31)
中山道と国道が交差しています。
国道256号線を横切ります。




(12:54)
男滝に来ました。
木製の階段を上がると霧になった水滴が顔にかかりました。
その感じが、オゾンを浴びている。そんな気分がしました。



左が男滝、右が女滝です。
男滝は流量が多く、霧となった水滴が飛散してきました。




(13:10)
集落の間を歩きます。
前方に南木曽岳が見えます。




檜林の中。石畳を下って行きます。
降りてから道を横切ると大妻籠です。




(14:03)
妻籠宿に入ってきました。
宿場に入り、観光客を多く見かけるようになりました。





檜笠の実演販売です。
檜を薄い板状にして笠を編み上げます。





前方から10人ほどの外国人が歩いてきます。
近くまで来た時に、何処の国からと聞いたら、イングランドだと言う返事でした。
一番後ろにガイドと思える男性が着いていました。
こんな様子だと、好き勝手に歩かせ、説明はしないのだろうか。
ガイドらしき男性に、何処まで行くのと聞いたら、大妻籠までと言っていました。
大妻籠の宿で泊まるとしたら、日本的な雰囲気に浸れる事でしょう。



(14:37)
妻籠宿のハズレまで来ました。
この男性。
中津川駅からのバスで一緒だった人です。
着いたり離れたり。時々、一緒になりました。
男性は埼玉県の久喜市から来たと言っていました。
この後、16時の特急で帰るのだと話していました。
私たちはこの後、妻籠城址に向うので、この場所で分かれました。




妻籠城址に迎う道。
坂道を登ります。




(14:48)
妻籠城址からの眺望です。
妻籠宿が見下ろせます。
私はこの妻籠城址に来た事が有ります。
初めて来た人は、城址の広さに感心していました。




(15:20)
妻籠城址から下りてきました。
前方に見えていた南木曽岳が右側に見えるようになりました。




オダマキ。
路傍に咲いていましたが、園芸種の種が飛び、半野生種になったのではなかろうか。




遠くに見える木曽川の桃介橋。
鯉のぼりが泳いでいます。




(15:40)
SL公園の横を通過します。
D51が静態保存して有ります。
説明では、D51が置いて有る場所は旧中央線と有りました。
と言うことは、右の線路は新線なのだろうか。




(15:50)
南木曽駅の駅前を通過し、桃介橋に来ました。
木造の吊橋です。




かつての桃介橋を復原したものです。
2本の線が伸びていますが、読書発電所を建設した時、敷かれたレールをトロッコが通過しました。




先ほど見えた鯉のぼり。
この辺り、月遅れで端午の節句を祝うのかも知れません。





(15:57)
橋から戻って来ました。
「よみかき交流文庫」と書かれた場所が有りました。
寄ってみましたら、男性がボランティアで運営しているのだと話しました。
並んでいる本は町民の寄付で集まったように見えました。
男性は町に図書館が無いから、このようにして運営していると言っていました。

長野県の山口村。馬籠地区が岐阜県に併合されました。
村として存続していくよりも、大きな市と一緒になる。
図書館が無いと聞いて、そんな文化的な面からも合併しようと言う事柄の1つではなかろうかと思えました。




南木曽駅に戻ってきました。
列車の時間には、30分ほど待ち時間があります。




(16:32)
16時32分発の中津川行きが入線して来ました。
2両編成のワンマンカーです。
この列車の前は14時42分です。ですから、急いで歩いて来ても乗る列車が無い。
ゆっくり、歩いてきました。


感想
今回歩いたコースは日本人よりも外国人が多いような街道です。日本人は馬籠宿や妻籠宿のあたりをウロウロとするだけです。反面、外国人は古き日本の姿が味わえる、この街道の良さを知っています。そんな外国人の知識。彼らのほとんどが参考に持ってくるというガイドブック「ロンリープラネットJAPAN」は、他の観光地よりもずっと行を割いて『中山道』が薦められているかららしいです。
ホウチャクソウやアマドコロ。ラショウモンカズラを目にする事が出来ました。
こんな山野草に合えるのも、街道歩きの良さです。
街道歩きの雰囲気が楽しめました。

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高圧線の巡視路の山   母 野 洞 (ハンノボラ)(613.6m)

2018-05-09 23:10:41 | 弐水会

弐水会で美濃市の母野洞に行ってきました。母野洞は東側が長良川流域となっており、西側の片知川流域の間の山であり、分水嶺的な位置となっています。そんな山ですが、北側は郡上市、南側が美濃市です。高圧線の巡視路となっている山で、マイナーな山です。
今日は朝まで雨が降っていて、登り始める時間を1時間遅くしました。まだ、濡れているコース。そんな登山道でヒルの襲来に遭遇しました。
計画では母野洞と湯之洞山に登る予定でしたが、登り始めた時間が遅くなり、母野洞だけに留めました。


美濃市の片知川流域の野田洞地区です。
本来なら、こんな集落の中に入って来れないのですが、こちらにお邪魔して、民家のお婆さんに停める事をお願いして停めさせて貰いました。
支度が整い、これから出発します。




出発して、直ぐに橋を渡ります。
スチール製のシッカリした橋。
高圧線の巡視路となっています。




川の東側を歩き始めました。
滝のようになっていて、音を立てて落下しています。





橋を渡り、直ぐにヒルが現れました。
ヒルは炭酸ガスに反応するとか。
何人も通過し、活発に動き出したのでしよう。




急登を歩きます。




音も無く、ズボンにヒルが着きました。
シャクトリ虫のように縮んでは伸びるの繰り返し。
丸で、忍者のような行動です。





登山道に巡視路の標識が設置して有ります。
№74を目指します。



名の判らない花です。




滝の所まで来ました。
ここで、小休止。




№74鉄塔の下に来ました。




№74鉄塔から見える眺望です。
新緑で木の葉が茂り、眺望が良くありません。
もう1山、登ろうとした湯之洞山の方角だと思います。



先に進む、№73の方向を示しています。




№73鉄塔の下が見えてきました。





眺望の良い場所に出ます。




南の方が見えます。
どの辺りなのか判りませんが、先ほど通って来た集落ではなかろうか。



コチラは三角形の特徴の有る山。
誕生山ではなかろうか。




山頂に到達です。
三等三角点が有ります。



誰がつけたか、「母野洞」のプレート。




昼食を終え、下山にかかります。



№73鉄塔まで下ってきました。



アジサイかオオカメノキの仲間か。
名が判りません。




橋が見える場所まで下山して来ました。



車を停めさせて貰った場所です。
お疲れ様でした。


感想
新緑の時期でヒルの活動が活発になっていました。音も無く押し寄せるヒル。ヒルにやられました。手袋と長袖シャツの間の皮膚が露出していまして、知らない内に血を吸われ始めていました。もう一箇所。右足のスネ。靴下の上からやられました。
知らないうちに靴に入って来ていました。ヒルよりもマムシの方が怖いです。でも、血を吸われて傷口が出来るのは、好い気がしません。
それに、今日。ヒルにやられたのは男性ばかりでした。偶然なのでしょうか。
母野洞は眺望が利きませんでしたが、湯之洞山は好いようです。ヒルの居ない時期ならもう一度、と言う事も・・・・。

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kオジサンの中山道旅日記 その8  名鉄御嵩駅からJR武並駅 まで

2018-05-04 23:23:06 | Kオジサンの中山道旅日記 

5月4日(金) 晴 名鉄御嵩駅からJR武並駅まで

第8回です。名鉄御嵩駅から歩き始め、御嵩町と瑞浪市の境界を通過し、細久手宿、大湫宿を経て恵那市のJR武並駅までを歩きました。当初の予定では大井宿まで行こうと思っていましたが、脚が痛くなりましたし、このまま歩き続けるのは無理だと判断し、深萱からJR武並駅に向かいました。
歩き始め。御嵩町を歩きましたが、かつては御嶽宿だった場所です。中山道みたけ館や御嶽宿の本陣跡がありました。この辺りには宿場町の雰囲気が残っていました。そして、国道21号線沿いを歩き、しばらく歩くと、中山道が国道から山の中に入って行く道になって行きました。山の中の道では街道らしさを感じましたが、往来する人が少なく寂しい道でした。
今回、通過した宿場は細久手宿と大湫宿です。字は違いますが、どちらもクテの字が入っています。クテの意味には、湿地とか沼地の事を指すと聞いた事が有ります。大きなクテや細長いクテがあったのでしょう。
ゴールデンウイークの最中の日であり、何人もの「街道歩きの人」とすれ違いました。単独の人。ご夫婦。色々の人々が街道歩きを楽しんでいました。

名鉄御嵩駅  ― 御嶽宿本陣跡  ― 御嶽宿わいわい館  ― 栢森の一里塚跡 ― 和泉式部廟所
 ― 耳神社
 ― 謡坂の石畳 ― 謡坂の一里塚跡 ― 一呑の清水  ― 御殿場 ― 津橋
― 山内嘉助屋敷跡
 ― 鴨之巣一里塚 ― 秋葉坂三尊石窟 ― くじ場跡 ― 
細久手宿本陣跡 ― 旅籠大黒屋 ― 
奥ノ田一里塚 ―  弁天池  ― 八瀬沢立場跡  ― 
琵琶峠東口  ― 烏帽子岩・母衣岩 ― 
大湫宿高札場  ― 神明神社の大杉 ― 茶 店 
― 大湫宿本陣跡 ― 旧森川訓行家住宅 ― 十三峠入口
 ― 尻冷し地蔵 ― 三十三観音
 ― 権現山の一里塚 ― 炭焼立場跡 ― 大久後立場跡 ― 
深萱立場跡 ― JR武並駅  


瑞浪市役所経済環境部商工課発行
中山道ウオーキングマップから引用しました。

名鉄御嵩駅

(07:54)
名鉄御嵩駅で下車しました。
ここから、中山道歩きをスタートします。




御嵩駅から東を眺めました。
誰も居ない街道。
それでも曲がりくねった道には街道らしさを感じさせます。




わいわい館の南側。
御嶽宿の標識が設置して有りました。


御嶽宿わいわい館

(07:59)
御嶽宿わいわい館の前を通過します。




商家竹屋です。
中山道を人や物資が往来し、大きく賑わいをみせていた頃の商家として、宿場内での役割を果たしてきたのでしょう。


栢森の一里塚跡

(08:10)
名鉄御嵩駅から中山道を歩いて来て、中山道が国道21号線に変わる交差点に石柱が立っていました。
この石柱。まだ、新しい時代の標識です。
それに、この場所が栢森の一里塚跡のようです。


和泉式部廟所

(08:26)
国道21号線を歩いて来て、ここから山の中に入っていく場所です。
ここには右 中街道と、刻まれた指示標識が有りました。
そして、この和泉式部廟所が有りました。
説明板には鬼岩温泉で湯治していたが、この地で亡くなったと書かれています。




(08:36)
中山道が、いよいよ本格的に山の中に入っていくところです。
注意を喚起するこんな看板が設置して有ります。
往来する外国人が多いのか、英語の表記が載っています。





あの、先の方に進んで行きます。
街道筋らしい田園風景です。



(08:53)
牛の鼻欠け坂です。
ここから登り坂になります。
路面に雑草が生えています。
今の時期だから丈が短いのですが、盛夏となると、生い茂る。そんな事にならないだろうか。
ここでウオーキングシューズから登山靴に履き替えました。

耳神社

耳神社に来ました。
珍しい神社です。
耳神社の由来が添えて有ります。


謡坂の石畳

(09:11)
復原された石畳。
街道らしさを感じます。




前方に街道歩きのお二人が見えます。
言葉を交わしましたら、浜松から来られたご夫婦です。
武並駅から歩き始め、昨夜は大黒屋に泊まったのだそうでした。
今日は太田宿まで歩き、明日は岐阜に向かうと話していました。




謡坂の一里塚跡

(09:25)
草が繁っていますが、コンモリとした塚の型をしています。
昭和48年に地元有志の手で復原したと刻まれています。


一呑の清水

説明板に旅人の喉を潤したと書かれています。




(09:34)
中山道の石柱が建ってます。
ここから登り坂になります。




ご夫婦とすれ違いました。
武並から来て大黒屋に泊まったのだそうでした。
御嵩駅まで行くと言っていました。




(09:40)
前方から男性、一人が歩いてきます。
この男性も大黒屋に泊まったのだそうでした。
群馬県から来たと言っていました。





前方からご夫婦が歩いてきます。
こちらのご夫婦も大黒屋に泊まった人たちでした。
こちらのご夫婦。神奈川県の相模原市、橋本から来たのだと言っていました。
昨日、中津川から大黒屋まで歩いて来て、今日は岐阜に向かうのだと話しました。




(09:50)
木々の中の階段。
階段を上がって行った先が「ラ・プロバンス」。
森の中のケーキ香房です。
人気が有り、遠方から訪れる人が有ります。


御殿場

(09:52)
御殿場と言う場所で、説明板が設置して有ります。
文久元年に和宮の行列が中山道を下向し、徳川家茂のところへ輿入れした。その際、一行が休憩する御殿が造られた事から、ここを御殿場と呼ぶようになったと書かれています。それに一行の行列が4,000人から5,000人に及ぶ大行列だったと有ります。
大行列。延々と続いた事なのでしょう。長い行列だと、先頭は大湫宿を歩いていても、後続は細久手宿を歩いている。そんな状態だったのかも知れません。
お着きの者の泊まる場所も足りなかったかも知れません。




街道らしさのある道です。
反面、往来する人も無く寂しい場所です。



鴨之巣一里塚

(10:44)
瑞浪市に入ってきて、鴨之巣一里塚が見えてきました。
この一里塚は街道の南側と北側に塚が有り、かつての姿をしています。





瑞浪市日吉町の平岩地区が見えてきました。





(11:14)
街道沿いの鯉のぼり。
初夏の風を受け、ゆっくりと泳いでいます。
男の子が誕生したのでしょう。




(11:34)
細久手宿に入ってきました。



細久手宿本陣跡

細久手宿本陣跡へ来ました。
細久手長寿クラブの手作り説明板。
このような説明板が何枚も設置して有りました。
加賀藩の前田公から寵愛を受けたと有ります。こんな美濃の田舎とどんな関係なのだろう。



旅籠大黒屋

旅籠大黒屋に来ました。
ここへ来る時、すれ違った人たちが泊まった宿です。





大黒屋の玄関。
玄関先の瓶に花が生けて有ります。
この玄関と右側にも玄関が有りまして、右側の玄関には左の玄関にお回りくださいと表示していました。ですから、この玄関が客人を向かえる正式な玄関でした。




(11:38)
細久手公民館の北側。
細久手宿の標識が設置して有りました。




(12:13)
前方からご夫婦が歩いて来られます。
言葉を交わしましたら中津川のご夫婦でした。
中山道を歩いておられるそうな。
これまでに、北の塩尻まで歩いたそうでして、今度は西に向かって歩き始めて、今日は武並駅から歩いて来て御嵩駅まで行くと言っていました。




(12:23)
今度は単独の男性とすれ違いました。
神奈川県の人でした。
武並駅から歩き始め、御嵩駅まで行くと言っていました。
若い男性が快調に歩いている。そんな感じを受けました。


奥ノ田一里塚

(12:26)
奥ノ田一里塚へ来ました。
この一里塚。
街道を挟んで南側と北側にこんもりした塚が有りました。





(12:38)
単独の若い男性とすれ違いました。
大井宿から御嶽宿までを歩くと言っていました。
言葉を交わしたのですが、笑顔がステキな人でした。





(12:49)
こちらは東京からのご夫婦です。
大井宿から御嶽宿まで行くまでを歩くと言っていました。
前日は中津川を歩いたと話していました。
ゴールデンウイーク中であり、効率よく中山道をたどれます。

道路での立ち話。
ステキなご夫婦でした。

弁天池

(12:51)
街道の横に有った弁天池です。
弁天様を祀って有るのでしょう。
祠が有ります。

草津宿から京都へ向かって歩いた時、南草津の狼川と言うところで弁天池を目にしました。
池に島があり、川鵜が巣を作っていました。
そんな島に弁天様のお社がありました。
規模は違うけど、弁天池と弁天様。
何故このような形になるのだろう。


今日のKオジサンの後ろ姿です。
大井から御嶽へ歩くと言う男性に撮影して貰いました。





(13:08)
後ろ姿を撮影してくれた男性です。
大井から御嶽へ歩くと言う男性。
「ちゃんと歩ける中山道六十九次 西 薮原~京三条大橋」を手にして歩いています。
京都まで歩くのだろうか。





よそ見をしていた時、通り過ぎた男性。
言葉を掛けるタイミングを逸しました。




木々の中を抜けてきて明るいところへ出ました。
前方に農村風景が広がっています。
電柱が無ければ良いと思いました。





(13:35)
私を抜いて行った男性です。
浜松から来たと話していました。
前日、赤坂宿から岐阜まで歩いたのだそうです。
そして列車で太田宿まで来て歩き始め、今日は大井宿まで行くと言っていました。
太田宿から大井宿。凄い距離を歩きます。


琵琶峠東口

(13:54)
琵琶峠の西口を見落とし、東口に着てしまいました。
入口から石段を上がってみました。
整備された街道となっています。





(14:06)
大湫宿が近付いてきました。
前方からご夫婦。それに娘さんが一緒でした。
今日は御嵩駅まで行くと言っていました。




(14:10)
大湫宿の入口に大湫宿の標識が設置して有りました。


大湫宿高札場

大湫宿の標識の近く。
高札場が復原して有ります。



神明神社の大杉

こちらは神明神社です。
戸を開けて、中を見せている様子です。






野次馬根性で近寄っていきました。
お神輿を見せていたので、後ろから近寄りました。
聞こえてきたのは、高山の方へ修理に出していたとか。
立派な神輿です。
成瀬家から預かっているとか、戴いたとか、聞こえました。
滅多に見られないものを目にしました。ラッキーでした。



直ぐに戸を閉めにかかっています。
この後ろ。
神明神社の大杉が有りました。
大杉は凄い太さが有ります。

茶 店

(14:24)
団子や五平餅を売る茶店が有りました。





ここで一休み。
五平餅を頂きます。


大湫宿本陣跡

旧大湫小学校が有った場所が大湫宿本陣跡です。
本陣跡に和宮の歌碑が有りました。
こちらから見えるのは裏側です。





こちらが表側です。



旧森川訓行家住宅

(14:36)
旧森川訓行家住宅に入ってみました。




休んで行ってと言うことで、昆布茶を出して貰えました。
女性から聞いたのはこの旧森川訓行家住宅。尾張藩から許され、塩を商っていたと言うことです。
丸森のサイトを開くと塩の販売と旅籠を商売にしていたようです。
そして、女性が教えてくれたのは木曽節の「中乗りさん」と言う言葉です。
木曽から切り出した材木を木曽川で流すのだが、川幅が狭く1本1本で流す。
材木が岸の岩に当たらないようにして、材木を下流へ流す。
丁度、木場で竿1本で操る。木場と激流では様子が違いますが、想像できました。
猿も木から落ちるではないですが、材木から川へドボンと言う事も有るのでしょう。
この大湫宿の北側に木曽川が流れています。そして、八百津で筏に組んで下流へ流すのだと説明してくれました。
長良川の鵜船。先頭に鵜匠が居て、最後尾は船頭。その間で舟を操る人が中乗りさんだと思いこんでいました。
知らない事が恥と言うか、目からウロコと言う感じがしました。



十三峠入口

(14:46)
大湫宿を出てきました。
宿場の東の外れ。
ここから十三峠が始まります。




坂道。
前方からスポーツバイクの二人が下って来ます。




(15:36)
街道の横から人々の声が聞こえてきました。
この辺り、ゴルフ場の中でした。
そして、前方をカートが横切りました。



カートが通過した後、横に行ってみました。
ゴルフ場の芝生が広がっています。


権現山の一里塚

(15:38)
権現山の一里塚まで歩いてきました。




下り坂ですが石畳の道になっています。
樫ノ木坂の石畳です。
長く続く石畳。
下るので好いのだけれど、逆に登るとなるとキツイだろうと思いました。




(16:30)
武並町の深萱に出てきました。
左手に「ここは中山道の深萱立場」の案内板が見えます。



深萱立場跡

(16:33)
深萱立場。
ここにはトイレが完備しています。
ここからJR武並駅へ向かいます。



JR武並駅に向かって歩きます。



JR武並駅

(16:54)
JR武並駅が見えてきました。




歩き始めは歩数が34歩となっていました。ガラケーのスイッチを入れ忘れていまして、入れたのが、つい先ほどです。
結果的には41,000歩余りで約30キロでした。坂を登ったり下ったりで、平地の30キロよりキツかったです。




(17:13)
武並駅で列車を待っていると、名古屋行きの快速が入線してきました。


感想
予定では大井宿のある恵那駅まで歩きたいと思っていましたが、脚が痛くなりました。それに時間的に遅くなりました。
調べておいた恵那駅の時間が17時07分でしたから、それより少し遅い時間を念頭に置いて武並駅に向かえば良いと思ったのです。予定していた時間の列車に武並駅から乗りました。
大湫宿の東が十三峠です。八丁坂とか山之神坂と名付けられた坂道が何個も有ります。また、一里塚が昔の姿をしていました。街道らしい雰囲気は有るのですが、旅人は難儀したのだろうと想像しながら歩きました。それに街道を歩いていて寂しいのです。江戸時代、女性が一人で歩いていたなら、心細く感じたに違い有りません。
細久手宿では何枚もの手作り説明板が掲げてありました。このように説明板を設置して貰えたのは有り難い事です。
ゴールデンウイーク中であり、多くの街道歩きの人たちとすれ違いました。みなさん。街道歩きを楽しんでおられるように見えました。
中山道歩きの回を重ねてきました。歩き始めた頃は足の裏にマメが出来ました。今ではマメが無くなり、足の裏の皮が厚くなったような気がします。でも、左足のスネが痛くなります。



今日の経費

名鉄新那加駅から名鉄御嵩駅まで 730円
JR武並駅からJR那加駅まで 1,140円
カップ麺 108円
五平餅 180円
旧森川訓行家住宅 志納   100円

          合 計 2,258円


kオジサンの中山道旅日記  その9
5月21日(月) 晴 JR武並駅からJR中津川駅まで  へ




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