Kオジサンの新・山歩きの記


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草花の宝庫   籾 糠 山 ・ 天生湿原  

2013-06-20 15:19:16 | 各務原歩こう会

6月18日に「各務原歩こう会」で、天生湿原を散策し籾糠山を目指して歩いてきました。
天気予報で雨が降り出すことを報じていましたので、遅くから振り出すことを願っていましたが、歩いている途中から雨が振り出しました。
籾糠山山頂まで行く予定でしたが、山頂へ行っても雨で眺望が期待できませんですし、ここまで歩いてきて十分花を楽しめましたので木平分岐でランチにし、木平湿原を周回して登山口へ戻りました。

 登山口(9:00) ― 湿原北辺(9:29)  ― 匠屋敷(9:37)~(9:42) ― 湿原南辺(9:54)  

― カラ谷分岐(10:08) ― ミズバショウ群生地(10:18)~(10:21) ―カラ谷登山道

カツラ門(11:12)~(11:17) ― 木平分岐(11:49)~(12:13) ― 木平湿原(12:42)  ―木平探勝路

カラ谷分岐(13:30) ― 湿原南辺(13:38) ― 湿原北辺(13:49)  ― 登山口(14:14)



天生県立自然公園のマップ。
天生峠から自然公園に入りますが、この天生の名は飛騨市河合町天生の名から付けられたのでしょう。
天生峠は、場所的には大野郡白川村と飛騨市河合町の境に位置します。


天生峠への道。
バスは白川郷インターで降り、街中を走って国道360号線を登ります。
ゲートがあり、冬季中は通行閉鎖となります。白川村側からは6月8日から通行が可能となりました。
道幅が狭くカーブでは大型車が曲がれないので8メートル以上の大型バスは通行できません。
白川郷は海抜500メートル程で四方を山に囲まれた谷底の町です。
天生峠は海抜1,289メートルですから800メートル程を登ることになります。
バスは狭くて走り難い道を頑張って登りました。
走っていて、瞬間的に滝が見えました。地図で確認すると中滝となっていました。



歩行に備えてストレッチ体操。
前の方で「ホーホケキョ」と鳴き声がします。後ろの方からは「トッキョキョカキョク、トッキョキョカキョク」の連呼が聞こえました。
遠くからは「カッコーカッコー」と声が聞こえました。
野鳥の鳴き声が聞こえ、自然のド真ん中と言った感じです。


歩き始めです。
鈴木さんが歩くコースを説明しました。


これから自然公園に入ります。


県立自然公園に入るのに環境整備協力金を払って立ち入ります。


環境整備協力金で協力を求める看板とテントに掲示してあった平成24年度の決算書。
遊歩道整備資材費が計上して有ります。資材費が有っても、人件費部分が無いということは、ボランティアが活動しているのでしょうか。
平成24年度の入場者も書かれていました。
新緑の6月と紅葉の10月がピークとなっていて、約半年で1万人が訪れています。


初回に入山した時は協力金を払って入る方法が確立していませんでした。
2回目は払いました。
登山道が整備され、協力金が生かされている事を目にします。
又、このような決算書が掲示され、どのように使われているか、よく判りました。
入山者も6月の新緑。10月の紅葉がダントツです。


歩いていて、富士山の世界文化遺産への登録と入山利用が話題となりました。

富士山が文化遺産に登録されるのが秒読みの段階です。
ニュースで昨年の登頂者の様子を映しています。
すごい人の流れが山頂に向かっています。
当然、糞尿の問題が生じます。
入山料を使い、バイオでエコなトイレを期待したいです。

年間、1万人そこそこの籾糠山。
そして30万人。40万人と多くの人が7月と8月に押し寄せる富士山。
比べ物にならないかも知れませんが、山の入山料の有るべき姿。
そのヒントが、ここに隠されているような気がします。


これから入山します。
自然公園のパトロールの女性が入山に際し、諸注意を話してくれました。
私たちが山から戻って来た時、彼女はザックにノコギリや鉈を入れて山へ入っていきました。
最終のチェックと枝が折れていたりしたら、対処するのでしょう。


入口の近くには、熊に注意と、注意喚起の看板が設置して有りました。


天生湿原に向かって歩きます。
自然木を使って登山道が整備して有ります。
登山道の整備に協力金が生かされているのでしょう。
初めて天生湿原に来た時は、協力金は払いませんでしたが、今ほど登山道が整備されていませんでした。


天生湿原の北辺に着きました。
混雑を避けるため一方通行となり、ここからは左へ進みます。
進むにあたり、熊避け用の一斗缶が下げられていて、叩いてから進みます。


湿原のミズバショウ。
最盛期は過ぎていて、花が付いている最後のミズバショウです。


湿原の南辺へ来ました。


ミズバショウが密生している場所を進みます。


カラ谷分岐に着きました。
ついに、雨が降り出し雨具を着用しました。


ミズバショウの群生地に着きました。



ミズバショウの群生地です。
ミズバショウの時期は過ぎていましたが、リュウキンカは咲いていました。
ここの左側にツバメオモトが咲いていました。


カツラ門に到着です。


カツラ門に到着すると、みんながカツラの大木に向かってシャッターを切ります。
以前は、木の間を通っていましたが、環境保護のためでしょう。
左側に巻いて進みます。


残雪を踏みしめて歩きます。



木平分岐へ着きました。
この先の山頂へは進まずに、ここから木平湿原に向かいました。

ここでランチとしました。
雨の降る中でのランチです。
立ったままで食べた人も居ました。
こんな事も山の記憶の1ページとなることでしょう。


木平湿原の周りの木道を歩きます。



木平湿原からの木平探勝路を下っていきます。
ブナの巨木が並んでいます。


天生湿原の西側の木道を歩きます。
登山口へはもうすぐです。



駐車場へ戻ってきました。
平日と有って訪れる人が少なかったです。
それでも、奈良と名古屋からの団体のバスが停まっていました。


天生は花のデパート
天生湿原から籾糠山へのコースは天生県立自然公園に制定されていて、花が一杯で草花の宝庫です。
草花の宝庫と言うより、花のデパートと言った感じです。
春から初夏にかけての花のオンパレードでした。
ミズバショウは時期が終わりを向かえ、最後の花を目にすることが出来ました。
花が終わってしまったショウジヨウバカマ。
次に登場するササユリは蕾を膨らませていました。
下記の花の名で誤りが有りましたら、お許しください。



ツクバネソウとツマトリソウ。
バイケイソウとミツバオウレン。
ミツバオウレンをバイカオウレンと思い込んでいました。


ラショウモンカズラとコケモモ。
ツバメオモトとリュウキンカ。



キヌガサソウとサンカヨウ。
ニリンソウとミヤマカタバミ。


〇〇ツツジと〇〇スミレ。
マイヅルソウとユキザサ。


ギンリョウソウとホウチャクソウ。
エンレイソウとチゴユリ。


上の右はオオカメノキ。
ヤグルマソウとヤブレガサの兄弟分。
ヤブレガサは葉に切れ込みが、もっと深くなっています。


ネクストバッター。
左はササユリ。右は名のわからないラン。
ササユリは天生湿原の東側の木道脇に有りました。名のわからないランはカツラ門の手前に有りました。
蕾を膨らませ、バッターボックスに入るのを、今か今かと待ち構えていました。
次から次へと花が登場する。
こう言うのも天生県立自然公園の面白さでしょう。




コシアブラとタラの芽。
タラの芽の幹はとても太くなっています。
普通なら山菜取りで獲られてしまっていますが、ここは6月にならないと来れない場所です。
それで、生きながらえています。


展望台で記念写真。
帰りに、白川郷が一望に見下ろせる、展望台に寄りました。
この展望台は白川郷を見下ろせる名所です。
防火点検に、村内で一斉に放水する様子や合掌家屋の雪景色を撮影するのに訪れる名所です。
記念撮影の時には雨が止んでいました。


展望台から駐車場へ戻る時、こんな人に会いました。


テレビのクルーと一緒だったのです。
東海テレビの「スイッチ」と言う番組でした。


最後に。
籾糠山へは02.06と02.10。04.06で3回訪れて居ます。
初夏に訪れたのは今回で3回目となりますが、当時。今のように花に関心を持っていませんでした。
あの頃の印象ではリュウキンカとツバメオモト位しか記憶に残っていません。
再び訪れて花の多さにビックリしました。

それに初めて来た時は、協力金を求められませんでした。
それが今日では、協力金を払って自然公園に入らせて貰う。
協力金が生かされているからでしょう。登山道が自然木で整備されていました。
払った金が生かされ、自然保護に役立っていると思うと嬉しいです。
途中から雨に降られ、残念な空模様でしたが、自然に触れ、良い山行でした。

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一宮友歩会・第44回例会  史跡巡りシリーズ・西尾張編part10  津島市北部を歩く

2013-06-05 11:10:49 | 一宮友歩会

今回は津島駅をスタートして時計回りに歩き勝幡駅にゴールするものでした。
http://www.geocities.jp/jk2unj/datagazou/44map.pdf

名鉄津島駅 ― 雲居寺 ― 清正公社 ― 天王川公園 ― 海西公園 ― 宗玄坊廃寺跡

 ― 陽南寺 ― 常徳寺 ― 早尾の渡し跡 ― 姥ケ森社 ― 十二城跡 ― 

六合庵址 ― 釜地蔵 ― 愛西市佐織公民館 ― 勝幡城跡 ― 勝幡神社 ― 名鉄勝幡駅

今年は早々に梅雨入り宣言が発せられましたが、この日は曇天でウオーキングには持って来いの空模様でした。愛知県の西部で濃尾平野の真っ只中の場所で、いわゆる海抜0メートル地帯を歩きました。
歩いたコースは度々の河川の氾濫する地域で、水との戦いの歴史だったと思います。
スタートは津島駅からでした。津島の意味は、周りが水面で、この場所だけが島となっていて津島と名付けられたのだそうです。


津島駅前での出発式です。
これから歩くコース説明がありました。


津島の古い町のところを歩きます。
津島上街道で、古い街道らしい雰囲気が残っています。


天王川公園を歩きます。
今は池になってしまっていますが、かつてはこの場所は川でした。
両側に堤防が築かれ太い木が残っています。
ここの左側には松並木が残っています。
この松並木を背景にして映画の撮影が行われたと地元のTさんが話していました。
大河内伝次郎が出演したのだそうです。
こんな生の話が聴けるのも、ウオーキングの面白さです。


大きな松の並木。
ここをバックに映画の撮影が行われたとのこと。
もちろん、白黒の映画ですが、チャンバラの映画。
想像するだけでも面白いです。



池には睡蓮が咲いていました。


宗玄坊廃寺跡まで着ました。
0メートル地帯です。
表示してある海抜が1メートルであり、根元の地面の高さは0メートルほどです。
幾度と無く、水に浸かった事でしょう。


こんもりとした森の中に神社があります。
これから向かう、増穿鵜戸川碑があります。


増穿鵜戸川碑の前で説明を聞きます。
この辺りは水との戦いで、水が足らないと取り、水が上手く流れないと隣村に送るとなり、争いが度々起こりました。


田植えが終わったばかりの田を見ながら歩きます。


常徳寺の近くまで歩いてきました。
高く積まれた石垣の上に蔵があります。



常徳寺の境内でランチタイムとなりました。


早尾の渡し跡です。
廃川となり、川が残っていません。
石碑が無かったら、ここに渡し場有ったなどと想像できません。
濃尾平野を東西に横切るとき、日光川や佐屋川など何本も河川が流れ、渡るのに苦労したことと思います。
説明板はこの辺りに高札が有り、人々の目に触れたとありました。
旅人も目にしたことでしょう。


佐屋川の跡に設けられた水路。
左は用水路で右は排水路で、水路の役目が別れています。


鬱蒼とした木に囲まれた姥ケ森社。
この場所はかつては古墳でした。
盛り土が流失し古墳の感じがしません。


十二城跡まで着ました。
ここに書かれている板垣冠者兼信と言う人は、明治に、自由民権運動に取り組んだ板垣退助の先祖となる人だそうです。


釜地蔵に来ました。
中に鉄製の地蔵が安置されています。


旧佐織町役場に着ました。
伊勢湾台風の時、この高さ迄、水が押し寄せました。
参加者は伊勢湾台風の記憶が残っている人ばかりです。
こんなのを見ても、話が合います。


上街道を歩きます。
両側に家が並んでいますが、堤防になっている道です。




勝幡城跡に着ました。
石碑が建ち、城跡だと想像できます。
広大な城跡ですが、日光川の改修で城跡が壊されています。
今は石碑で当時の姿を想像するだけです。


田植えの時期。
田植え機が忙しく走り回っていました。


勝幡駅前まで着ました。


駅前に有ったブロンズ像。
幼い信長が母親の土田の方に抱かれています。


勝幡城の模型。
低地の城であり壕が周囲を囲んでいます。
歴史が流れ、この場所から信長が、清洲城。小牧城。稲葉山城。安土城へと移って行きます。


梅雨入りしたとは言うものの、雨の気配は無く曇り空でのウオーキングでした。
参加者は42名。
16キロ余りのコースで、勝幡駅に付く頃には、みんながくたびれていました。お疲れ様でした。
道端の有った梅木の梅が大きくなっていました。時期で入梅と言う言葉が季節感に合致しています。池の睡蓮。田植え後の水田。見るもの全てに季節感を感じる事が出来ました。
目にするものよって、季節感を味わえるのもウオーキングの良さです。


今と往時の比較です。
佐屋川が廃止されましたし、この時はまだ津島線が通っていません。


今回、一緒に歩いたMさんのホームページです。
ウオーキングが詳細に紹介されています。ご覧ください。
友歩会第44回ウオーキング:下見・例会(詳細版)(拡大版)
【史跡巡りシリーズ・西尾張編part10】14km

http://www.geocities.jp/jk2unj/nisiowarip10.htm

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