Kオジサンの新・山歩きの記

山歩き&ウオーキングのサイト

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ウオーキング  「かげろひ」で行く、春爛漫の山の辺の道

2013-03-31 12:07:53 | ウオーキング

近鉄が所有する車両でクラブ・ツーリズムが団体旅行専用列車として運行いる電車に「かげろひ」があります。その列車に名古屋から乗り、天理駅で下車して山の辺の道を歩いてから桜井駅に着き、再び「かげろひ」に乗車して名古屋に戻りました。

山の辺の道は天理市から桜井市にかけての三輪山麓に沿って南北につながる道です。
この道の大部分が東海自然歩道となっている道です。沿線に古社寺、古墳、万葉歌碑、などが点在し、歴史の溢れる道です。

天理駅(9:58) ― 石上神社(10:38)  ― 夜都伎神社(11:20) ― 竹之内環濠集落
― ポケットパーク(11:39)~(11:50)  ― 天理市トレイルセンター(12:40)~(12:45) 
― 桧原神社(14:01)~(14:06) ― 大神神社(14:44) ― 大向寺橋(15:15)
― 桜井駅(15:53)



コース地図№1


コース地図№2


コース地図№3
主催する旅行社から渡された地図で3ページに分けてスキャンしました。


朝7時に近鉄名古屋駅のコンコースへ集合でした。


4番プラットホームへ「かげろひ」が入線してきました。


車体に大きく旅行会社が描かれています。


列車の車内です。
単独参加の男性、女性が多かったです。


カウンターコーナーが有り、コーヒーやジュースを注文する事が出来ました。
行きはコーヒーを求める人が多く、帰りはビールを注文する人が多かったです。
列車は桑名駅四日市駅でも停まり、乗客が乗りました。


天理駅に到着しました。


最後の人たちが下車してきます。


天理駅の駅前です。
ここでコース地図と弁当を貰い、それぞれが歩き始めました。


歩き始めはアーケード街を歩きます。
1キロ余りのアーケードが続きますが、両側の店には神具店や仏衣に関係する店を目に付きました。
そんな事からか、天理市は宗教都市的なイメージがしました。


アーケード街で大きな酒屋さんが有り、小瓶を買い求めました。
稲田酒造で天理教のお神酒を造っています。


アーケードを歩いていて、黒いハッピ姿で背中に天理教と描かれたことを何人も見かけました。こう言う人たちを見かけたから宗教都市と言うイメージにつながったのかもしれません。




天理教教会本部の建物です。


坂道に差し掛かりました。


石上神社に着きました。


石上神社から南へ進みます。
ここからが本格的な「山の辺道」の始まりです。


道沿いには何箇所も歌碑が設けて有ります。


内山永久寺跡近くの池です。
池面に桜が映え、何人もカメラマンが訪れていました。


石畳が整備されています。
濡れていて滑り易く、慎重に歩きます。


道の脇にサザンカが咲き、民家の庭先にはハナモモが咲いていました。


前を歩く女性3人。
ユキヤナギがとても綺麗でした。


道の横のビニール温室の中にはイチゴが実っていました。
ここの品種はわかりませんが、別の場所で販売していて、サガホノカと言う種類と有りました。


道端の菜種は今が盛りです。


ポケットパークまで来て、お昼ご飯としました。


可愛らしい寿司弁当です。
リュックの中に入るようにとの配慮からでしょう。小さい容器となっていましたが、量的に足らない感じでした。


コースの各所に無人販売の店が有りました。この一帯は柑橘類の栽培が盛んでした。
歩いていて、農薬を散布しているだろうと思われる音が聞こえました。
随所に販売所が有りハッサクや甘夏を100円で販売していました。
左下の白袋に入ったハッサクを買いましたが、中身は7個有りました。
100円で7個でしたので、お値打ちです。
柑橘類だけでなく、若葱などの野菜の販売所も有りました。


道の右側は前方後円墳です。


渋谷向山古墳です。
この辺りには沢山の古墳が点在しています。


大和三山の耳成山が見えます。
その向こうに薄っすらと山が見えますが、畝傍山か香具山でしょう。


のどかな田園の中を歩きます。
後方に見えるのが三輪山です。


後から歩く人たちが来ました。


道路の脇では花の苗を生産している農家が有り、出荷の準備をしていました。


道には自分で陶芸作品を作り、売っている所も有りました。
素朴な感じがします。


桧原神社に到着です。


桜井市に入ると道標の表示が変わりました。
道標が違って桜井市に入ったと気づきましたが、天理市と桜井市の境界が何処だったのか気が付きませんでした。


立派な大神神社に着きました。


後方の桜は初瀬川堤防の桜です。
左 いせ道と表示しています。えせ道とはどう言うことを表しているのでしょう。


堤防の桜は満開を迎えていました。


桜井市に入ると、道路にこんなタイルが埋めて有りました。


駅前の通りまで来ました。
ヤナギが青い芽を付け始めています。
ゴールまでもう少しです。


ゴールとなる桜井駅に着きました。
16時40分が集合時間でしたので、余裕を持っての到着でした。
別に急いだわけでは有りませんでしたが、到着していた人は少なく、私たちは早い方でした。


スタート時点のカウントとゴール時のカウントです。
良く歩きました。


今日。歩いて来た桜井市のコース地図です。


全員が完歩しました。
夕食の弁当を貰い駅の中に入ります。


桜井駅のホームに「かげろひ」が入線して来ました。


列車は皆が並んでいる所よりも先に停車しました。


配られた夕食のお弁当です。
カウンターバーにビールを注文し、一杯いただけきした。


帰路。定時に列車が桜井駅に到着しました。
このように正確な時間で行動できるのは電車の良い点です。
歩いていて、ゴールに遅れると困りますが、電車に乗ってしまえば、後はリラックスできます。ビールを飲み、弁当を食べました。

今回、歩いたコースは延長にして15.8キロほどです。横道に入ったりしましたので、16キロ余りの行程となりました。若干、余裕を持ってのゴールとなりました。もう少しゆっくりの速度でも良かったのでは、という気もします。
山の辺の道を歩いてみて、桜は見頃を向かえ桃や梨も多く咲いていました。スミレやユキヤナギ、菜の花。モクレン。全ての花が開花時期を迎えていました。
空に天高くヒバリが鳴き、ツバメは田の上を飛び交う。歩いていてあちこちからウグイスの声が聞こえました。春、真っ盛りを感じました。
沿道には歌碑が多く設けられ、随所に古墳が有りました。神社や寺も多く見かけました。

このコース沿いは温暖な気候で柑橘類作りに適した場所だからでしょう。多くの柑橘類の無人販売所が有りました。このような事を目に出来たのも、現地を踏破して知る事が出来た面白いコースでした。
カミさんと一緒に歩きましたが、ゴール近くには足が痛いと言っていました。16キロ余りの道を良く歩いたなと思いました。
素敵な良いコースを歩く事が出来ました。機会が有ったら、再度歩いてみたいコースです。

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養老山系縦走   石津御岳 (629m) から  多度山 (403m) へ

2013-03-27 23:03:20 | 各務原歩こう会

3月26日に「各務原歩こう会」で石津御岳から多度山にかけて縦走しました。
石津御岳の山頂まではキツイ登りですが、山頂に登ってしまえば、後は快適な縦走路を歩く。
眺望が良ければ御岳から南アルプスの眺望が開ける。そんなコースを歩いてきました。

石津御岳登山口(8:54) ― 展望台(9:25~9:33)  ― 石津御岳三角点(10:32) ― 
籠所 ― 御岳神社(10:36~10:39)  ― ハンググライダーホーム(10:55) ― 
高圧鉄塔への分岐(11:29~11:58) ― 多良峡分岐(12:40) ―多度山山頂(13:04~13:09)
   ― 愛宕神社(14:06)  ― 多度大社(14:17~14:32) ― 多度大社駐車場(14:35)


マイクロバスの運転手が石津の砕石場の道に入ってくれて高度を稼ぎ、御嶽神社の鳥居近くまで上ってくれました。この辺りは岐阜県内では唯一のミカン産地です。ミカンの収穫は終わっていましたが、登山口一帯はミカン畑となっています。
鳥居をくぐり登山道を歩き始めます。一合目二合目と表示がしてあり、登って行く過程が分かります。信仰の山らしく、所々に石碑が設置してありました。山頂には御嶽神社が祀って有ります。手前には籠所が有ります。ここで信者が修行をするのでしょうか。

石津御岳から多度山に向かう登山道は急な登りが無く、歩き易い道です。檜の苗木が植林してありました。鹿の食害から守るためネットがしっかり張ってありました。
この石津御岳から多度山にかけての山は、何本もの鉄塔が建っています。電波を発するのに良い条件なのでしょうか。



バスの車内から、これから登る養老山系が望めます。
今日はあの稜線を縦走します。
車内から撮影したのでガラスが反射してしまいました。



御嶽神社の鳥居前で準備体操を終え、これから登ります。



1合目から2合目と順に石柱と表示板が設けて有ります。
登るに連れて、何合目まで登って来たのかがわかります。



21世紀記念の森を登ります。
この辺りは、後方の視界が良く、濃尾平野が一望できます。



手前は揖斐川。
とうとうと流れています。
先のほうに長良川。その向こうが木曽川です。左奥には木曽川の馬飼頭首工が見えました。
登って来る時、下を走る養老鉄道の音が聞こえました。



鳥居をくぐると御嶽神社です。



縦走路を歩き始めると、高いタワーが目に入ってきました。



ハンググライダーのプラットホームです。
プラットホームから飛び出します。
三角形のハンググライダーやパラシュート型のパラグライダーで大空に飛び出すのでしょう。
以前に歩いた時は、こんな場所があることに気付きませんでした。



歩き易い登山道です。



昼近い時間となりました。
プレートの周りには雑木が繁り、風を避ける事が出来ましたので、この近辺でお昼の時間としました。



途中でガマガエルが道の横で交尾しているのを見ました。
山ではタマにしか見れないガマガエルが交尾しているのは珍しいことです。
メスは体内の卵を水辺で産卵しますが、ソレまでは卵の単体の状態です。水辺で産み付けられたトタンに、あの寒天状の卵になるのだそうです。
この近くに池などは有りません。
そこまで行って産卵する。難事業です。

ガマガエルの交尾を見ましたが、これも自然の一部です。
こんな場面に遭遇することは、滅多に有りません。
2度と見る事が無いでしよう。
考えように寄っては、とてもラッキー?



多度山ハイキングコース案内図。
この案内図の設置場所は多度峡を周回するコースの分岐になっています。



大きなタワーの下を歩きます。



もう1つのタワー。
多度山頂にはこのようなタワーが何本も林立しています。



多度山頂に到着です。
桜の下に三角点が有ります。
ここよりも左側の場所が高いのですが、三角点はこの場所に設けて有ります。



濃尾平野の眺望が広がります。
揖斐川。長良川。木曽川の木曽三川が見えます。
更に、遠くには名古屋の高層ビル群が見えるのですが霞んでいます。
視界が良ければここから御嶽山が見えたのですが、黄砂のためか、はっきりしていません。



揖斐川。長良川。木曽川が一箇所に集まって来るところ。
かつて、この辺りは川の氾濫に悩まされました。
遠く、薩摩から来た侍たちがこの地で三川分流工事に取り組みました。
いわゆる宝暦治水です。

展望台で眺望を楽しんでいた時、話題に挙がった事は、薩摩義士のことです。
薩摩義士が工事を終えて、自害したもの。
薩摩へ帰ったもの。残った者。
色々有っただろう。と言う話です。
中には、土地の女と仲良くなり、藩命で仕方なく、女や子を残して帰った人も居たのでは無かろうか、とい言う言葉も出ました。
他愛も無いお喋りですが、かつての事を想像するロマンが面白いです。
なお、この近辺の寺には薩摩義士を弔う墓所が点在します。




多度山頂公園から檜林の中を下って行きます。



愛宕神社の駐車場まで降りて来ました。



多度大社に到着です。
奥の厩舎には白い神馬が居ました。



この場所が上げ馬神事の場所です。
みんな、上げ馬神事を見に来た事が無いと話していましたが、この場所が上げ馬神事の場所なのだとの思いで見ていました。



多度大社に参拝しました。



多度大社の駐車場に降りて着ました。
バスが待っていてくれました。
バス登山の良い事は、このように登山口で降ろして貰い、下山口で拾ってもらえることです。

最後に
石津御岳に初めて登ったのは10月10日で体育の日の時でした。
何年の時だったか記憶が薄れてきていますが、下の方の中学校で運動会を遣っていましたので、音楽が聞こえ、体育の日だったと言う記憶があります。
また別の時、縦走をして来て、多度山から多度神社へ降りて来ると、流鏑馬をやっていた時が有りました。11月23日でした。
別の時、登山口の太田の駐在所前に車を停めて登り、縦走して近鉄養老線で戻り石津駅から車に着きました。この時は朝、スモールライトを付けて登山口に来て、ライトが切ってなくバッテリーが上がった状態で難儀したことがありました。

何時の時だったか、忘れてもこの山にまつわる出来事は断片的に記憶に残っています。
また、ハンググライダーのプラットホームが有りましたが、これまで歩いたときには気が付きませんでした。初めて目にして新しい発見と言う気がします。

最初に石津御岳に登った時を調べると97年でした。15年以上の歳月が流れています。
初めて登った後に登山道がしっかり整備されましたし、21世紀記念の森の記念樹が太くなっています。そんな状況に歳月の流れを感じます。
2度、3度と登った今回のコースですが、記憶が薄れていました。
このコースを歩いて、かつて歩いたときの記憶が甦りました。
こうしたことも、山登りの面白さだと思います。

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鈴鹿山麓を歩く  一宮友歩会 協力員ウォーク

2013-03-24 07:03:03 | 一宮友歩会

一宮友歩会の例会は原則的には偶数月に開催されていて、年6回の開催となりますが、例外的に3月には協力員の親睦を深める目的で協力員ウォークが開催されています。
今回は、三重県の菰野町で近鉄のてくてくまっぷのコースを歩くものでした。

 近鉄菰野駅 ― 見性寺 ― 五郎兵衛地蔵 ― 湧水池 ― 蟹池 ― 酒造 ― 

西勝寺 ― 大師堂 ― 毘沙門天堂 ― 近鉄高角駅


普通、川は山に降った雨が流れて川となります。
今回、回ったコースの川は鈴鹿山脈に降った雨が地中に浸み、伏流水となって流れ、途中から地表に現れます。そんな風景の場所を歩いてきました。
豊富な湧き水の所だけあって造り酒屋が2軒並んでいました。
その後、向かったのが西勝寺です。寺の前を智積養水が流れています。その場所は飛騨市古川町の瀬戸川や島根県の津和野のような風景です。「用水」の文字でなく「養水」が使われています。ここの水の恩恵を受け、養って貰っている。そんな意識から「養水」の字が使われています。
次に向かったのが小高い山の上に有る一生吹山の毘沙門天王です。この場所は戦国時代に出城となった場所です。


近鉄のてくてくまっぷ。
地図のコースに沿って歩きました。


近鉄菰野駅で下車した後、西の見性寺に向かいます。


立派な山門をくぐり、境内に入ります。


見性寺の境内には菰野藩藩主の墓が祀られています。


菰野藩主土方家の歴代藩主の墓が有ります。


墓所には立派な墓標が並びます。
標識が設けられ、代何代と藩主の名が表してあります。


次に向かったのが五郎兵衛地蔵です。
社の中には重軽様が安置していました。


五郎兵衛地蔵の説明プレートです。



五郎兵衛地蔵の横には湧水池が有ります。


伏流水がコンコンと湧き出ています。
鯉や金魚が優雅に泳いでいました。


次の湧水生けに向かいます。
遠くに鈴鹿の山並みが見えます。


鳥から鯉を守る為でしょう。
ネットが張って有ります。


ネットの下で泳ぐ鯉。
清冽な水が湧き出しています。


湧水池の全体場面です。
湧き出た水が先方の向かって流れ出します。


流れ出した水が川となって、流れて行きます。


川の中にカラーでしょう。
白い花の植物が有りました。
カラーと水芭蕉は兄弟のような物でしょうか。


田園地帯の中を歩きます。
後方には御在所岳や鎌ヶ岳。入道ケ岳が見えます。


蟹池に着きました。


蟹池の由来です。


畑の中にポツンと有る蟹池。
ここからもコンコンと伏流水が流れ出していました。


蟹池の全景。
ここから水が流れ出します。


蟹池から水が流れ出し川となります。


名水の地に美味しい酒あり。
1軒目の酒屋さんの前を歩きます。
こちらは石川酒造で、小さな杉玉が何個も下がっていました。
大きな板に酒の銘柄が書かれ、金賞を受賞したとなっていました。
「噴井」と言う名です。伏流水が湧き出て、そこから名を取ったのでしょう。


2軒目。こちらは伊藤酒造です。鈴鹿山麓美酒工房と副名が付いています。


店内に入り、ショーケースの中の酒を品定めをします。


伊藤酒造のメインの銘柄。
鈿女(しずめ)です。


「わみん」と言う酒蔵味処が有り、地酒ソフトクリームを売っていました。


チッピリお酒の味のするソフトクリームです。
子供も食べるので大丈夫なアルコール度数にしているのだそうです。
ソフトクリームを食べて酔ってしまってはいけませんです物ね。


次に向かったのが西勝寺です。
大きく立派なお寺でした。


寺の前に智積養水が流れています。
整備され津和野や古川のような景色です。


智積養水の説明板。


長い智積養水の歴史。
過去には水をめぐる紛争が有りました。
用水の字を使わずに養水の字が使われています。
養って貰っている。そんな意識から養が使われています。

流れる智積養水。


次に付いたところが大師堂です。


一生吹山毘沙門天王に着きました。


一生吹山の由来です。


お疲れ様でした。
ゴールの高角駅に着きました。


伊藤酒造で買って来た生原酒を晩酌しました。
味は甘口のお酒です。

彼方此方が春めいてきた三重郡菰野町と四日市市を歩きました。
このコースは近鉄の「てくてくまっぷ」で紹介されているコースです。通常の川は山から流れ出して川となります。御在所岳や入道ケ岳などに登った事が有ります。
鈴鹿山麓のこの場所を来て、豊かな水の流れを実際に目にし、鈴鹿山麓の別な一面を見る事が出来ました。

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各務原アルプス ∞の字の周回  迫間山(309m) 明王山(380m) 猿啄城跡(サルバミ)(265m) 金比羅山(383m) 

2013-03-12 21:50:44 | アウトドア

各務原市の北部に海抜300メートルほどの山が連なっています。各務原市の北にある山で各務原アルプスと呼んでいます。
そんな山へ登りに来ませんかとサイトの山仲間にオファーを掛けていました。
メンバーはMotaさん、仁べえさん、やっささん、そしてKオジサンです。

自然遺産の森駐車場を出て時計回りに歩き、猿啄城跡まで行って引き返して来る。そして明王山でクロスする大周回コースを辿りました。
途中、大岩見晴台へ行って戻ったので、この部分は突出した部分となりました。

自然遺産の森駐車場(8:45) ― 展望台(9:15~9:17) ― 分岐(9:24) ― 

大岩見晴台(9:44~9:56) ―  分岐(10:10) ― 多賀坂トンネルの上(10:29) ―

迫間城跡(10:48~10:57) ― 迫間不動奥の院(11:04) ― 明王山(11:21~11:27)
 

― 猿啄城跡(12:04~12:45)  ― 猿啄城駐車場(13:08) ― 高圧線鉄塔下(13:27~13:33)

 ― P284(13:46) ―  分岐(14:10) ― 明王山の下(14:15)

 ― 金比羅山(14:25~14:30) ― 健脚の道駐車場(14:53) ― 自然遺産の森駐車場(15:10)

 

私がお誘いし、コースを案内するので集合場所に早く来て待つようにしなければならないのです。約束の時間には、まだ時間が有りましたが3人は既に到着していました。
やっささんには、1度有っただけです。Motaさん、仁べえさんとは初対面でしたが、旧知の間柄のような感覚です。普段からネットで遣り取りしていたからでしょう。


「せきすい」さんから提供を受けたコースの地図。
黄色い線を辿りましたが、行きに白い線で表示した大岩見晴台に寄りました。
帰りには白線で表示したコースで、明王山から金比羅山に寄り、健脚の道を下って駐車場から「どうだんのみち」を下って、自然遺産の森の駐車場へ戻りました。

今回は明王山でクロスし、∞で周回するコースを辿りましたが、体力的に無理な人は明王山で引き返す〇型のコースを取る事が出来ます。



各務野自然遺産の森に集合しました。
集合時間前に3人が集まっていて、私が一番遅かったです。


自然遺産の森。建物の裏側にカタクリが咲いていました。
朝早く、花が開いていません。
近寄って撮影できませんので、このような画像となっています。


前を行くご夫婦。
この階段を登るところからコースが始まります。


分岐を過ぎると足元に大きな岩が有る、眺望の利く場所が有ります。


眺望が広がり、御嶽山が見えます。


大岩見晴台に着きました。
真っ青の空。
素晴らしい天気です。


晴れていて、名古屋方面が見えるのですが、黄砂の影響か。
若干、霞んでいるような気がします。


男性4人の記念撮影。
小牧市から来たと言うご夫婦の旦那様に撮影してもらいました。


分岐へ戻り、続いて、迫間城跡に向かいます。


この上が、迫間城跡です。
地元の人の努力により、整備されました。


迫間城跡からの眺望。
迫間城跡ですが、この場所が迫間山山頂です。
木が切り払われ、眺望が利きます。


迫間城跡からの御嶽山。


迫間不動の奥の院に着きました。



林道を歩いていると、工事の看板が立てられていました。
在名テレビ局の発注でアナログの放送設備を撤去する工事でした。
タワーを撮影した画像では、高所で作業する人が映っていました。
勿論。命綱は着けているのでしょうが、私は・・・・・


明王山からタワーを見下ろしました。


明王山からのパノラマ。
今、歩いて来たコースが見えます。
遠くには能郷白山や小津権現が確認できました。



明王山を出て猿啄城跡に向かいました。
砦のような猿啄城が見えてきました。
建物の向こう側に中央アルプスが見えます。


猿啄城跡でランチタイムとしました。
チョウが何度も遊びに来ました。
仁べえさんから教えて貰いましたが、ヒメアカタテハと言う種類の蝶だそうです。
越冬したのでしょう。右側の羽が痛んでいます。
寒い冬を越し、春の日差しを一杯受けていました。


猿啄城跡からの御嶽山。
左の白い山は乗鞍岳です。


猿啄城から降りて来て、猿啄城の駐車場に着きました。
駐車場には猿啄城の看板が立っていました。


ここから再び登ります。
猿啄城駐車場から北尾根に登り、分岐を目指します。
上り坂なのですが、猿啄城跡から下ってくる道よりは登り易いです。


羽黒中濃幹線の鉄塔下で休憩しました。
ここからの眺望も開けています。


迫間城跡と明王山を結ぶルートに出ました。


登山道の途中。金比羅山に寄りました。
金比羅山は各務原市で一番高い山です。


健脚の道を下って行きます。
この道は各務原市と関市との境界になっています。


健脚の道の駐車場に降りて着ました。
ここから先は、どうだんのみちを降りていきます。


各務野自然遺産の森のゲートまで来ました。


駐車場に到着です。
お疲れ様でした。


雲の無い好天に恵まれて、遠くの眺望が利き、景色を楽しむことが出来ました。
登って下って、また登り、そして降りて来ると言うコースでした。
仁べえさんと私は60代。Motaさんとやっささんは古希を過ぎています。里山とは言え、6時間近いコースを歩き通せる健脚家たちでした。
初めて会った仲間ではないような感じで、歩きながらの会話も弾み、春の里山を楽しむことが出来ました。

歩き終えてから、今日。歩いたコースが猿投山や弥勒山よりも好いコースだと言って貰えました。自分が褒められている訳では無いのですが、このような言葉を貰えて良かったです。眺望の良い場所が各所に有ったからでしょう。
それに、時間の経過からなのか、距離が山に近づいたからなのか。段々と御嶽山がクリヤーに見えるようになりました。


気になること。
コースを歩いていて、単独の人。二人連れやご夫婦とすれ違いました。
都市に近く訪れる人が多い山です。
左は京都の大文字山へ登った時のもので、右側は可児市の鳩吹山のものです。
ポイント。ポイントにこのようなプレートが設置して有りました。
今回、周回したコースは各務原市、関市、坂祝町にまたがります。
このようなプレートを設置することに賛否両論が有りますが、事故が発生する前に、3自治体が連携して、設置して欲しいと思います。



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敦賀三山の一つ   野坂岳 (913.5m)  

2013-03-08 21:25:03 | 水曜会

水曜会で野坂岳に行ってきました。
メンバーはジオン隊長、風花さん。Dolphyさん、mayuさん、福ちゃん、yakoさん、乱丸さん。のこさん。そしてKオジサンです。
今回は、地元のSIVAさんが案内して貰えました。私たちが下山する途中には、地元のミレさんも駆けつけてくれました。

野坂岳は敦賀市の南側に位置します。SIVAさんが教えてくれましたが、野坂岳を敦賀富士と呼んでいるそうです。
登山口は敦賀市少年自然の家の上にあります。私たちが集合した時には、何台も車が止まっていました。数えましたら15台が停まっていました。
登っていて、下山して来る人とすれ違いました。この山にどんな人が登っているか分かったのですが、夫婦が2.3組。私たちは10人。他に5.6人の組と
すれ違いましたが、ほとんどは単独の人でした。毎日、野坂へ通っている人もいるのでしょう。市民に愛されている山です。

登山口(9:11) ― トチの木地蔵(9:45~9:55) ―  山頂まで2キロポイント(10:18) 
― 一の岳(10:50~10:59)  ― 二の岳(11:26)  ―  三の岳(11:40) ― 
野坂岳山頂(11:49~13:30) ―  三の岳   ― 二の岳(13:45)  ― 一の岳(14:02) 
― トチの木地蔵(14:27~14:32)  ― 登山口(14:55)


登山口の辺りは雪が無かったのですが、進むに連れて、徐々に雪が現れ始めました。トチの木地蔵で休憩すると共に、各自がアイゼンを装着しました。
ここからがいよいよ、雪道の始まりです。その先、細いトラバースのコースがありましたが、慎重に進みました。
行者岩が見えてくると一の岳はもうすぐです。一の岳で小休止しましたが、ここから前面に敦賀の町が広がります。
この後は二の岳、三の岳とアップダウンを繰り返しながら山頂を目指しました。このあたりは大きなブナがありました。根元は雪が少なくなっていて、雪の深さがわかります。積雪は1メートルは有ったでしょう。

山頂は雪原で360度の展望です。SIVAさんが周囲の山々を紹介してくれました。
その後は小屋でのランチタイムとなりました。ムシロを広げて車座となっての昼食です。皆が持ち寄った食材が出されました。乱丸さんは肉うどん。
SIVAさんは煮込みラーメン。沢山の食材持ち寄られました。時間にして1時間半近くのランチタイムで、お腹がいっぱいになりました。


乱丸さん提供のGPS軌跡図。
一部、登りと下りで、夏道と冬道を歩きました。



敦賀インターから降りて走ると、前面に野坂岳が見え出しました。



登山口の駐車場ですが、沢山の車が停まっていました。
数えてみましたら15台も停まっていました。



山の名は野坂岳ですが、プレートは野坂山となっています。
ここから登り始めます。
トップは地元案内人のSIVAさんです。



進むに連れて雪が現れ始めました。



トチの木地蔵で休憩です。



雪が深くなって来ましたので、アイゼンを着装します。



アイゼンの着装。



足を踏み外したら谷底へ落ちてしまいます。
慎重に歩きました。
私は、ここを歩くのが怖かったです。



案内役で、トップを行くSIVAさん。



一の岳のプレート。



ここまで登って来ると、山頂の小屋が見えだしました。



二の岳のプレート。



木の間から小屋が見えます。



三の岳のプレート。



最後の登りです。
山頂まで、もう少し。



振返ると若狭湾が見えます。



山頂の小屋の所までやって来ました。



山頂に到着です。
遮るものが無く、360度の展望です。



案内人SIVAさんによる、山の同定。



眼下に敦賀の町が広がります。
手前の横の線は工事中の舞鶴若狭自動車道です。
2年後に全線開通となります。



敦賀の町の沖に眼を転ずると、敦賀港や気比の松原が望めます。



敦賀三山の1つ。西方ケ岳です。
左の方の高圧線は半島の先端にある原子力発電所から電気を送電して来ます。
ここから関西へ送っていたのですが、今はストップしているのでしょう。



小屋の中でランチの開始です。



左上。SIVAさんの煮込みラーメン。右上。乱丸さんの肉うどん。
左下。Dolphyさんの焼きハム。右下。ジオンさんのぜんざい。




皆さんから寄せられた食材。
かぼちゃ。白和え。トマト。ほうれん草。お漬物などいろいろ



乱丸さんの肉うどんと、色々の食材を皿にとってみました。



これから下山開始です。
長い昼食時間。
おなかが一杯になりました。



敦賀の町が見下ろせるロケーション。
SIVAさんは、ここから景色が好きだと話していました。



一の岳で小休止しました。



登山口まで降りて来ました。

今回は、敦賀の山と言うことでSIVAさんに案内して貰いましたが、敦賀の町を見下ろせる、好い山でした。
平日でも多くの車が停まり、沢山の人が来ていましたが、皆から愛されている山だと感じました。

 

私が住む各務原市と敦賀市は友好都市の盟約を締結しています。前市長の時代に各務原市がプロポーズして締結したものです。縁を絶やさない程度に細々と続いています。

各務原市民が敦賀市へ出かけ旅館や民宿で泊まったときに1,500円の補助が出ます。
http://www.city.kakamigahara.lg.jp/shoukai/aramashi/toshi02-2.html

また、子どもたちの交流で童話を執筆しています。
各務原市の子どもと敦賀市の子どもが交互に相手の市を訪問する、子どもの交流があります。敦賀市の子供が前編を書き、各務原市の子供が後編を書いて、作品として仕上げると言うのを毎年交互に開催し、何篇かを寄せて1冊の本に仕上げています。
隔年で交互に訪れる機会を持っています。
http://www.city.kakamigahara.lg.jp/nobinobi/200809/special.html




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