Kオジサンの新・山歩きの記

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鳳 凰 三 山   地蔵ヶ岳(2,750m) 観音ヶ岳(2,840.7m) 薬師ヶ岳(2,780m)  第一日

2019-07-31 23:36:29 | 弐水会

弐水会では、夏には山小屋で1泊するのが毎年の恒例となっています。今年は南アルプスの鳳凰三山が目的の山になっていました。
今日は第一日です。早朝に各務原を出発。バスは中央高速をひたすら走り須玉ICで降りて、乗換えするコンビニへ向かいました。青木鉱泉へ向かうには道路が狭く中型バスは交通規制で通行する事が出来なくなっていました。それで、セブンイレブン北杜武川店で乗換えしなくはなりませんでした。コンビニでは既に山梨中央交通のバスが待っていて、乗換えました。そして、この後、鳳凰山に登るお決まりのコースである青木鉱泉へ行き、鳳凰小屋へ向かいました。
鳳凰小屋への道ですが、ドンドコ沢を辿りました。
途中には、三箇所の滝が有り単調となる登山道に彩を付けてくれました。

出発

(04:47)
早朝の各務原市総合体育館です。
川島観光のバスが来てくれました。




(08:11)
バスは順調に中央高速を走ってきました。
左手に見えてきたのが八ヶ岳です。
網笠山や権現岳綺麗な裾野が望めます。





(08:39)
セブンイレブン北杜武川店に着きました。
この先、道幅が狭く中型バスは通行できないので、マイクロバスに乗換えしなくはなりませんでした。
コンビニ駐車場には、既に山梨中央交通のバスが待機していました。
この後、乗換えて青木鉱泉へ向かいました。


青木鉱泉

(09:14)
青木鉱泉に到着しました。
そして、登る準備をします。




(09:29)
仕度を整えて、サー出発です。





隊列の前方では下山して来た人と言葉を交わしていました。
今朝、小屋から降りてきたのでしょう。





(09:52)
大規模な砂防工事が実施されていました。
応急の橋なのか、常時有る橋なのか。
橋を渡って、先へ進みます。






ナデシコの仲間?
この花。シナノナデシコであると教えて貰いました。
ナデシコの中でも、高山性なのでしょう。





ドンドコ沢の指示標識。
そんな標識が有る登山道を登って行きます。





(10:50)
深く切り込んだ谷。
前方の広がった隊列の間隔が見える場所に来ました。






左はホトトギスの仲間だと思います。
右の花は何と言う名だろう。センジュガンピだと教えて貰いました。
そう言えば、歩いていて、ガンピと言う言葉が聞こえたような気がします。
可愛い花でした。




沢を渡って行きます。
この場所。
右側はゴロゴロと巨岩が有りました。
流れ落ちる水が滝のようになっていました。
この右が南精進ケ滝だと思ったら、違っていました。



南精進ケ滝

(12:20)
こちらが本物の南精進ケ滝。
案内表示板あり、間違い有りません。





急な登りとなってきた登山道。
両手を使って登ります。



白糸ノ滝

(14:56)
こちらは白糸ノ滝です。
幅が広がった滝。
白糸と言うより、白いカーテンが架かったような感じがしました。



五色ノ滝

(15:36)
3つ目の滝。
五色ノ滝です。
左は登山道から数十メートル滝へ向かうところです。
右は滝ですが、樹木が邪魔していました。





木の階段が有りますが、急な登りです。




高度が増してきて、カラマツだろうか針葉樹林に変わってきました。





(16:29)
登山道の勾配が緩くなり、登り易い道に変わってきました。




登山道の勾配が緩くなり、目にする花々が変わってきました。

左はシロバナノヘビイチゴです。
梅のような花の形で、ウメバチソウかと思ったら、シロバナノヘビイチゴだと教えて貰いました。
花の形だけでなく葉も判断の要素でした。
右はコゴメグサだと教えて貰いました。






歩いていて、こんなものを目にしました。
左はモンローリップです。コレは苔の仲間です。
以前にも目にした事が有りましたが、こんな赤が鮮やかなモノでは有りませんでした。
右はウスユキソウです。





前方に横たわる太い木が見えます。
登山道の左側近くを川が流れていて、鳳凰小屋が近いのは地図で判りました。




鳳凰小屋

(16:47)
鳳凰小屋に到着です。
この頃。
雨がパラついたりしました。
どうにか、濡れずに着けました。
応対してくれた小屋の女性から別館に行くようにと言われました。



別館の室内です。
二段の寝床となっています。





小屋の周りで見かけた花。
左はクルマユリだと教えて貰いました。
右の花の名は判りません。
この他にトリカブトが咲いていました。
高山性なのでしょう。
ミヤマトリカブトと言うべきか。





鳳凰小屋のトイレです。
鳳凰小屋のトイレは汚いというふうに聞いていました。
黒い家屋で、バイオトイレとなっていました。
近々に立て直したのでしょう。





小屋の入口です。
夕食の時間です。
お呼びがかかるのを外で待ちました。




テーブルにはズラ~とカレーが並んでいました。
カレーのお替り自由となっていました。
ジャガイモの入ったカレーで、豚バラ肉が美味しかったです。




備わっていた鳳凰小屋のーとです。
泊まった感想が綴られていました。



頂を見上げます。
明日、あの方向へ向かいます。




(18:50)
半纏を着た人は小屋のオーナーでした。
オーナーに話しかけていた人。
明日の山行について聞いていたのだろうか。

感想
歩き始めが9時半頃で小屋に着いたのが16時47分。トータルでは7時間余りの歩行時間を要しました。
コース的にキツイ箇所も有りましたが、無事に山小屋に到達できました。
良く歩いたと思います。
このコース。思っていた以上に色々の花に会えました。
花の名を教えて貰いました。
それに3ツの滝を眺める事が出来ました。
こう言うのも、このコースの好いところだと思いました。





コメント (1)
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kオジサンの中山道旅日記 総括 28日間、かけて中山道を踏破しました。その感想です。

2019-07-30 23:41:44 | Kオジサンの中山道旅日記 

〇はじめに
街道歩きをやって見ようと言うキッカケは中山道を歩いているお婆ちゃんとの出合でした。 それで、私も歩いてみようと平成30年2月19日に我家の最寄駅でlあるJR那加駅前からJR岐阜駅までを歩き、6回の回数を重ねて各務原市から京都の三条大橋までを歩きました。
次は、平成30年4月16日。JR那加駅前から東へ向って歩き続け、22回の回数を重ねて平成31年3月20日に日本橋にゴールしました。 合計28回で中山道を完歩しましたが、第20回が軽井沢から自宅へ戻るだけの日であり、第21回は自宅から軽井沢へ向うだけの日でして、実質的には26回で、中山道の京都から東京間を踏破しました。
歩き始めた頃は踏破できるだろうかと言う思いがしましたが、街道歩きを順調に重ねる毎に面白くなり、完歩できた満足感や充実感を感じてきました。


2011年11月29日の事です。ガイドブックを手にして中山道を歩いているおバアちゃんに美江寺宿の千躰寺で出会いました。静岡県の人でしたがもう、東海道は踏破したのだと話していました。おバアちゃんの背中を見送りました。

おバアちゃんでも街道歩きが出来る。
この出会いで、自分もやってみようと思いました。

〇中山道は5つの顔を持っている
最初は京に向かって歩き始めました。今須宿を過ぎて滋賀県に入ると近江商人が活躍した近江路と言う雰囲気で京が近い気がしました。 第7回からは東に向う比較的平坦な道です。御嵩宿から大井宿にかけては起伏が有りましたが、落合宿辺りまでが美濃路であると言う感じがしました。そして、馬籠宿辺りから北へは木曽路であるという雰囲気を感じました。 洗馬宿辺りから軽井沢宿までが田園地帯を歩き信濃路と言う雰囲気でした。特に和田峠は難所でした。碓氷峠を超えて坂本宿から日本橋までは比較的起伏の乏しい街道で、群馬県の端から埼玉県内にかけては武蔵野路の感じがしました。

中山道を踏破してみて、中山道には大きく別けると5つの顔があると感じたのです。

〇街道歩きの面白さ
・踏切りの番号の推移
街道歩きの面白さの1つに変化していく事が有ります。中山道と中央線が並行しています。そして、所々で踏切りで交差しました。歩き続けると踏切りの番号が徐々に減り、最後に塩尻近くまで来て、第1号踏切りとなりました。

左上 (18.06.24)中山道と中央線が所々で交差しています。
ここは第13踏切ですが、この前には第14踏切が有りました。
ここまでに気付かなかったが、何番の踏切りが最初であったのだろう。
右上 (18.08.22)この時、原野駅から発車して来る普通列車が見えました。
踏切りは第5仲仙道踏切と表示しています。 十幾つから始まった数字。 数が大分、減ってきました。 それだけ中央線と中山道が交差していると言えます。 それに踏切りでない箇所では、ガード下を抜けてきたところが何箇所も有りました。
左下 (18.08.29)奈良井駅と木曽平沢駅との間にあった第3号踏切りです。
右下 (18.09.24)歩いて来て、ついに中山道の最初の番号の踏切に到達しました。
踏切りへ来た時、丁度、しなの5号が踏み切りを通過しました。

・高札場いろいろ
宿場に高札場跡が復原してありました。特に美濃路から木曽路にかけてみる事が出来ました。中には雨風で汚れ読めないようなものも有りました。隣の宿場までの駄賃が決められていました。
美江寺宿の高札

昼食をとるため、美江寺観音に寄った時に見かけた高札場です。
境内に高札場があり、高札の一部を取り出してみました。
駄賃、人足賃の定めです。 この他に切支丹を禁止するものなどがありました。

各地の高札

上から、18.04.16に歩いた鵜沼宿の高札。鵜沼から太田と加納までの人足賃が書かれています。
18.05.04に歩いた大久手宿の高札。大久手から大井と細久手までまでの人足賃が書かれています。
18.06.09に歩いた中津川宿の高札。落合迄と大井迄の人足賃が書かれています。
18.06.17に歩いた馬籠宿の高札。隣の宿までの駄賃でなく人足などについて触れています。
18.08.22に歩いた福島宿の高札。宮ノ越と上松までの人足賃が簡単に書かれています。

宿場に寄って、内容が難しいモノ、簡単なモノと高札の表示が異なります。
大井宿の高札を撮影してきましたが、読み難くなっていました。
また、妻籠宿の高札は汚れて読めませんでした。
これらの高札で共通しているのは正徳元年に発布されたことです。
竹腰山城守と成瀬隼人正は尾張藩の付家老です。


・手作りの中山道標識
中山道を歩いていて、所々で「中山道」の指示標識を見かけました。
どちらへ向えば判らなかった時、助かりました。


上段左 第 3回(18.02.26)   中第 4回(18.03.07)   右第 5回(18.03.28)
中段左 第 5回(18.03.28)   中第11回(18.06.17)  右第17回(18.10.13)
下段左 第18回(18.10.14)  中第22回(18.11.05)  右第27回(19.03.19)

中山道を完歩して、上のような標識を見かけました。
もっと、有ったの見落としたのかもしれません。
上段右第 5回は安土町石寺に有ったものです。下段右第27回は戸田市の小公園のフェンスに設置して有りました。中山道、全般の広範囲で見かけた標識です。独り、歩きながらモクモクと設置したのでしょう。
このように手作り標識を設置して貰えたのは有り難い事だと思います。

〇人との出会い
中山道を歩いてみて、多くの人との出会いが有りました。そう言う事も街道歩きの面白い1つです。 街道歩きで反対方向から歩いて来る人に、積極的に声を掛けました。 単独で歩いている人。夫婦で歩いている人など様々でした。

第6回 18年4月4日の事です。
大津宿を出て、瀬田の唐橋の東側でトイレを利用しました。その時、ウオーキング姿のご夫婦と言葉を交わしました。 ご夫婦は北海道から来ては、ウオーキングを重ねているのだそうでした。 私が岐阜県の各務原市から来たと言いましたら、中山道でそこは、歩いたそうでした。飛行場が有って飛行機が飛んでいたと言っていましたので、それは航空自衛隊のジェット機ですと話しました。 笑顔で話してくれたご夫婦です。 今日は大津に泊まり、三条大橋を目指すと言っていました。 私は今日、三条大橋に着くように行くと言いましたら、私達に歩調を合わせず、先に行って下さいと言われました。 僅かな時間でしたが一期一会の出会いでした。 北海道のどちらかと聞きませんでしたが、北海道ならまだ雪が残っていた時期かも知れません。ご夫婦で街道歩きが出来る。好い事だと思いました。




第11回 18年6月17日の事です。
前方からこちらへ男性が歩いてきます。


街道を歩いている男性でした。
立派な帽子を撮影させて貰いました。
この男性。横須賀市に住んでいて、海上自衛隊に勤務していたそうです。 この帽子は南極砕氷艦の「しらせ」のものです。 しらせの機関長をやっていたと話しました。



今回、歩いているプラン図を撮らせて貰いました。 第1ステージが日本橋から新町まで。第2ステージが新町から下諏訪までで、今回は第3ステージ。
今日は須原宿から歩いて来たそうです。

既に東海道は踏破したそうな。 奥さんを3年前に亡くし、今は街道歩きに取り組んでいると語っていました。 今回は中山道。 次は甲州街道歩く、それに熊野古道も歩きたい思っている。それに、出来たら車で日本一周をやりたいと話しました。

この男性。「Y」さんと言う方です。
名刺を交換しました。

私がこれから向かおうとする街道に和田峠が有ります。 急峻な峠で難所です。
和田峠を歩いたと言っていました。東海道の鈴鹿峠みたいでガレた所があるのだそうでして 登山靴が好いと言っていました。

 


「Y」さんの後姿を見送ります。
路上での5分ほどの立ち話。
一期一会の出合でした。


・大黒屋で泊まった人たち
第8回。名鉄御嵩駅からJR武並駅まで歩いた時に出会った人々です。
5月4日でゴールデンウィーク中であり、泊りがけで街道歩きをしている人が多かったです。

左上 前方に街道歩きのお二人が見えます。 言葉を交わしましたら、浜松から来られたご夫婦です。 武並駅から歩き始め、昨夜は大黒屋に泊まったのだそうでした。 今日は太田宿まで歩き、明日は岐阜に向かうと話していました。
右上 ご夫婦とすれ違いました。 武並から来て大黒屋に泊まったのだそうでした。 御嵩駅まで行くと言っていました。
左下 前方から男性、一人が歩いてきます。 この男性も大黒屋に泊まったのだそうでした。 群馬県から来たと話していました。
右下 前方からご夫婦が歩いてきます。 こちらのご夫婦も大黒屋に泊まった人たちでした。 こちらのご夫婦。神奈川県の相模原市の橋本から来たのだと言っていました。 昨日は、中津川から大黒屋まで歩いて来て、今日は岐阜に向かうのだと話しました。
4組とも大黒屋に泊まった人たちでした。
宿屋では街道歩きの人たち同士、旅の話題で盛りあがったことでしよう。


第11回で、6月17日に馬籠バス停から十二兼駅まで歩きました。
馬籠宿から妻籠宿の間は外国人が多く歩いていますが、日本人も沢山歩いていました。
左上 瑞浪から来たと言う親子です。疲れているのか子どもさんの表情は良く有りませんでし       た。馬籠宿に向って歩いていきました。
右上 愛知県から来たと言う若い女性二人組みです。馬籠に向って歩いて行きました。
左下 前方から歩いて来たご夫婦です。東京から来て中仙道歩きを続けて居ると言っていました。
右下 千葉県の八潮市からバスで来たと言う男女20人余りのグループでした。
   「里山クラブ」と言う団体名だと言っていました。
この他にも、各地で多くの人と擦れ違いました。
中山道を歩いている様子の人々に積極的に声を掛けました。

 〇外国人との出会い
碓氷峠を超えた時にガイドブックを手にしてを歩いているオーストラリア人夫婦と出会いました。 また、鳥居峠を越えた時にもガイドブックを手にしてを歩いているオーストラリア人夫婦と出会いました。彼らは中山道の良いところだけを歩いているのでした。 中津川の高札場では大きなザックを背負ったフランス人夫婦と出会いました。 中津川の手前ではテントを担いで歩いていると言うオーストラリア人のオバアチャンと出会いました。 彼らは京都まで歩くと言っていました。 どちらも中山道を踏破してみようと言う計画から行動したのだと思います。

・オーストラリア人のおバアちゃんとの出合い
第9回
 5月21日に出合いました。
中津川の西。上宿休憩所です。
外国人が寝ているのだと思い、シャッターを切りました。

横になって休んでいても、寝ては居ませんでした。
休憩所横のトイレを済ませてここに来たら手招きされ、近寄って行きました。
最初は男性だと思い込んだのですが、実は女性でした。 「ウフェアー フロム」と声を掛けたら、「オーストラリア」と言う返事が返ってきました。 「ウフェアー  ゴー」と聞くとKYOTOでした。
「ハウ オールド アー ユー」。この質問にはシクスティファイブと答えました。 (後になって女性に年齢を聞いて失礼だったかと思いました。) 65歳のおバアちゃん。半袖で腕には刺青が有り、引きました。日本人の感覚とは少し異なります。 ザックにテントを入れて旅していると話しました。 それに、地図が無いかと言うので、岐阜県十七宿 散策ガイドをあげました。 カタコトの単語を並べて話します。そしてプレゼントと言いました。 「イゴメ」とか「ヤゴメ」と言っていた。それを聞いて?でした。 アッ。「マゴメ」だ。昨日、馬籠に泊まって、ここまで歩いて来たのでした。 写真を撮っても良いかと聞くと、OKでVサインしてくれました。
そして、最後。 握手をして分かれました。


 このおバアちゃん。「YOUは何しに日本へ」で、成田でキャッチされたら、密着取材となるようなケースだと思います。 彼女の名を聞いていませんでした。 聞いておけば良かったと言う気持ち。でも、オーストラリアのおバアちゃん。それで好い。
一期一会の出合でした。

・フランス人のカップルとの出合い
第10回 6月9日の出合です。

中津川宿高札場跡です 。
あずま屋でカップルが休憩していまし。 写真を撮っても良いかと聞きましたら、OKで撮影に応じてくれました。 このカップル。フランスから来たと言っていました。 大きなザックを背負っていますが、何処まで行くのかと聞きましたらKYOTOでした。

フランス人でも英語を話していました。 私は英語は喋れませんので簡単な単語の会話です。 この場所でこの時間と言う事は馬籠で泊まったのでしょう。となると今夜は細久手宿の大黒屋だろうか。


・アメリカ人の男性との出合い
第13回 8月22日。
外国人男性とすれ違いました。 「ウフェアー  ユー  フロム」と声を掛けたら、「アメリカ」と言う返事が返ってきました。 スマホを見ながら歩いています。 Googleを頼りに歩いているのでしょう。

 この男性を8月26日16時頃。 私の自宅の近く。各務原市那加新加納町の手前で見かけました。 彼と会ったのが22日の朝です。 22日水曜日。23日木曜日。24日金曜日。25日土曜日。そして26日の日曜日です。 出会ってから5日間。凄いペースで歩いています。 テント泊なのだろうか。 この調子なら、今日は岐阜市までは行ったでしょう。 この先、恐らく4日ほどで京都へ到達するのでしょう。


・オーストラリア人夫婦との出合い
その14回。8月29日の事です。
鳥居峠がもう直ぐと言う場所。
展望台になっている東屋。 ここから薮原宿が見下ろせました。

ここで、昼食を取っていると、二人の外国人が登ってきました。 カタコトの単語を並べての会話です。
オーストラリアから来たご夫婦でした。 薄い英語の小冊子。ガイドブックになったものを見せてくれました。 そして「馬籠」「大妻籠」「木曽福島」「奈良井」「木曽平沢」を指し示しました。この部分は漢字でした。 5日間と言っていましたので、これらの場所で泊まったのでしょう。 馬籠宿は日本人が多く訪れ、喧騒な雰囲気です。 それに大妻籠は妻籠宿に比べると落ち着いた感じがします。 大妻籠から木曽福島。木曽福島から奈良井の間は距離が離れています。 公共交通機関を使ったのでしょう。
馬籠峠や鳥居峠を踏破する。 街道歩きの雰囲気を味わえるコースです。 日本人は、ここを余り歩かないですが、お二人はこのコースの良さを知っています。 5日間で、後は東京に戻るといっていました。
私が持っていた鵜沼宿の通行手形をプレゼントと言ってあげました。
この人たちとも、一期一会の出合でした。

 ・スコットランド人夫婦との出合い
第22回、11月5日の事です。
前を歩く外国人がいます。



しばらくして、前を歩いていた外国人と一緒になりました。
何処から来たのかと聞いたら、スコットランドからでした。 どれ程、滞在するのかと聞くと、2週間と言っていました。 奥さんのブラザーが日本人と結婚したのだと話しました。
英会話は出来ませんが、相手が話すことの50パーセントくらいは理解できます。 兄弟が結婚したと聞き、「コングラチュレーション」の言葉を発すれば良かったと、後から思いました。
手に持っているテキスト。
中山道歩きのガイド本のようでした。

・オーストラリア人夫婦との出合い
第22回、11月5日。碓氷峠を下ってく時の事です。

外国人の夫婦と出合いました。 彼らも碓氷峠を下って行くのでした。
オーストラリアから来たと言うご夫婦です。
何日、日本に滞在するのか、聞いたら「ワン ウイーク」と2デェイと言いました。




9日間中山道を歩くのでしょう。
ガイドブックを撮影させて貰いました。
DAY   7 のスケジュール
8:00ブレッ久ファースト。9:00チェックアウト。
そして14:45から15:45の間に横川へ到着。高崎行きの列車が15:10or15:58となっています。
そして16:52or17:40に東京へ到着。
このガイドブックを撮影させて貰って、良く出来たスケジュールで、そんなガイドブックを手にして旅している事が良く判りました。

 下の欄外に「NAKASENDO WEY SELFーGUIDED TOUR」と有ります。
検索したら、こんなのが出ました。
https://www.kimkim.com/c/nakasendo-trail-10-day-self-guided-tour コレは10日間で旅するものです。 木曽路の馬籠や妻籠。それに奈良井や鳥居峠。 そして、碓氷峠。 街道歩きの好い所取りなのでしよう。 彼が持っていたガイドブックに、ENAの文字が目に留まりました。 恵那の方も歩いたりするのでしょう。



オーストラリア人夫婦は先に向かって行きました。


・ガイドに案内されて中山道を歩く外国人たち
その20 10月16日の事です。
自宅へ戻る時塩尻駅で見かけたガイドに案内された外国人のグループが木曽平沢で下車していきました。
外国人との出合いでは有りませんがガイドに案内されている外国人グループを見かけましたので、取上げました。 外国人たちは木曽平沢駅で下車して行きましたが、木曽路の中の好いところを歩いていると思いました。

チェック柄の服の女性は外国人のグループを案内してきたガイドです。 食券の自動販売機の前で、そばやうどんの種類を説明し食券の買い方を説明していました。 引率されていたのが外国人6~7人でした。 皆さん、全員がザックを背負っていました。
女性が食事を終えたタイミングで、 どちらに向うのかと聞いたら、木曽路を歩くと話してくれました。
私は中央線の普通列車に乗る。彼らも同じ列車に乗車しました。



チェックの服のガイドに引率されて来た外国人達ですが、木曽平沢の駅で下車しました。
鳥居峠を越えるのだろうか。
となると、この先の奈良井宿までが2キロほどです。そして、峠を越えるとなると遅くなります。
余裕を持っての木曽路歩きなら、この後奈良井で泊まり翌日に踏破。 その後は妻籠宿か大妻籠に泊まり馬籠峠を越えるのではなかろうか。 馬籠峠を越えるコースは外国人に人気が有ります。


〇季節の移ろい

第9回で18年5月21日に歩いた時のことです。
耕作放棄地が多くなっている場所でした。
田植えの終わった田圃の中のオタマジャクシ。
 


こちらは第18回で(18.10.14)の事です。
ご夫婦で脱穀作業に取り組むお二人です。
道を間違えてしまい、お二人に声を掛け、八幡宿に向う方角を確認しました。
田植えや稲刈り。
こんな事にも季節の移ろいを感じました。

・秋の七草

第15回で木曽平沢から洗馬まで歩いた時の事です。
秋の七草の桔梗や女郎花、葛などを目にして季節の移ろいを感じました。 
秋の七草 ~女郎花、尾花、桔梗、撫子、藤袴、葛、萩~ 秋の七草は上に書いている通りです。
今日は女郎花、尾花、桔梗、萩を目にしました。それに前々回の時に木曽の桟の南で葛を見ました。
葛が秋の七草に入っているのを知らなかったのです。
新しく知る事が面白いです。

・道端の草花

左上第13回(18.08.22)キツネノカミソリ(と思いましたがナツズイセンのようです)が群生しているのを見かけました。
右上第11回(18.06.17と06.24)2回オダマキを見ました。
左下第11回(18.06.17)ソバナが咲いていました。
右下第12回(18.06.24)こちらは珍しいオオヤマレンゲです。

歩いていて、色々の花を愛でる事が出来る
こんなのも、街道歩きの面白いところです。


〇上手な鉄道利用術
・青春18きっぷ

第13回の8月22日。第14回の8月29日。第15回の9月3日。
青春18きっぷを使いました。
目的地まで列車で行き、列車で帰るの繰り返しでした。
1回あたりが2,370円と、割安です。


・青空フリーパス
  
第16回(18.09.24)
左上が青空フリーパスです。
2,570円でフリー区間のエリア内では乗り放題です。 洗馬駅はフリー区間の外ですので、往路で木曽平沢から洗馬までの乗車券を買いました。 左下は帰路で下諏訪から塩尻までです。 その右は塩尻から木曽平沢までの乗車券です。 私の最寄り駅は那加駅で、通常に買うと往路が3,020円。復路は3,350円となります。 青空フリーパスを使って3,530円です。
大幅に倹約できました。


・青春18きっぷで「ムーンライトながら」

第23回(18.12.23)と第26回(19.03.18)に青春18きっぷを使用して「ムーンライトながら」に乗車しました。
岐阜駅を発車して、直ぐに車掌が検札に来ました。
那加駅から豊橋駅までは22日分で1,940円です。
目的地が松井田西駅です。日付が変わってから18キップを使います。
検札に来た車掌が23日のスタンプを押してくれました。
青春18キップを使えば、1枚あたりが2,370円。
それに座席指定券の520円を加えた金額で行く事が出来ます。

ぷらッとこだま

第28回です。
こだまに乗車するのに、「ぷらッとこだま」のチケットを利用しました。
こだまは新幹線の各駅停車です。
東京名古屋間が8,300円でしたが、「のぞみ」や「ひかり」より、3,000円ほど安いです。
東京発が14時56分で名古屋着が17時43分です。
ビールの酔いで眠りに誘われました。 一時間近く、グッスリと眠りました。
歩いた疲れも有ったのでしょう。

日本橋

第28回(19.03.20)
ついに日本橋に到達する事が出来ました。


最後に
歩き始めは完歩出来るだろうかと言う思いがしました。でも、歩き出したら街道歩きの面白さを感じました。
街道歩きは歴史や文化など知らない事を教えてくれました。和田峠を越えた時に天狗党が松本藩と高島藩の連合軍と戦った事を知りました。
近江路を歩いた時、滋賀県の豊郷町に伊藤忠の創業者。伊藤忠兵衛記念館に寄りました。
埼玉県の深谷。ここは渋沢栄一の出身地でした。駅前に渋沢の銅像が有ったのです。その渋沢。次の紙幣のモデルとなります。
街道歩きは速く歩くと周りの景色が見えてこないです。さりとて、余りユックリとした歩きもダメです。
おばあちゃんの原宿といわれるとげ抜き地蔵。あの地蔵の前が中山道になっていると知りました。
カプセルホテルや夜行の高速バス。そしてネットカフェ。中山道を歩いて色々の事を体験できました。
発見する事が面白かったです。知らない事を知るのが楽しかったです。
中山道をもう一度歩いてみたいと言う気がしますし、東海道でも歩こうかと言う気もします。



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眺望はイマイチ   各務原権現山 (317m)

2019-07-29 23:42:26 | アウトドア

明後日、弐水会で鳳凰三山へ行きます。鳳凰に行く前に足慣らしのつもりで各務原権現山に登ってみました。


(08:30)
伊吹の滝の登山口です。
これから登ります。




(08:43)
下山して来たご夫婦。
毎日、来ているような感じでした。




№1ポイントへ着きました。
ここからは稜線歩きです。




(08:53)
北山休憩所。
前方から男性が下山して来ました。




(09:21)
№3ポイント。
コレからがキツイ坂になります。





多度神社の石鳥居です。




(09:27)
山頂のあずま屋。
先に来た男性が休憩していました。





眼下に見える市民球場です。
試合が行われていて、「〇番ショート〇〇君」と言うようなアナウンスが聞こえました。
もう、この場所では高校の試合は終わっているハズ。
中学生の試合だったのだろうか。



下山して来ました。
登ってきた男性との擦れ違いです。
この人も毎日、来ているのだろう。




(10:17)
登山口まで下山して来ました。




途中、見かけたオバケキノコです。
撮影したもの以外に壊されていたモノが何個もありました。
大きなキノコ。
余り、良い印象のモノでは有りません。





感想
明後日の予行訓練を兼ねた山登り。
上りが約1時間。下りが約45分ほどでした。
今月は、山にほとんど、登る事が有りませんでした。
身体を動かせて良かったです。

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奥美濃の名峰    大 日 ケ 岳 (1,709.0m)

2019-07-10 23:58:33 | 弐水会

大日ケ岳に行ってきました。大日ケ岳へは何回も登っていますが、時の経過とともに記憶が薄れて行きます。山頂付近で咲いていた花々。かつての印象が薄らいで来ているので、こんな花が有るのだと、花に会えた事が新鮮に感じました。
久し振りの大日ケ岳。以前に停めた駐車場にはロープが張ってあり、駐車禁止となっていました。それで山側に駐車しました。その上にも大きな駐車場がありました。




(08:31)
ここが登山口で、準備をして登り始めました。
大日ケ岳登山口
ここより山頂まで 約7キロと表示してありました。



登り始めて右手に見えたのがツルアジサイです。




坂が有っては、緩やかなところの繰り返しです。






(09:10)
一ぷく平まで登ってきました。





白い花が咲いていました。
この花の名を知らないです。
何本かで群生していました。




展望台前の急坂を登ります。





(11:19)
展望台に到着です。




展望台からの眺望です。
ひるがの方面の眺めです。





駐車場に滋賀ナンバーの車が停まっていました。
聞いたら、この人たちの車でした。
このグループの人たちと抜きつ抜かれつしました。
言葉を交わしたら滋賀県東近江市から来たと言っていました。





頂上手前の急登です。




(11:41)
頂上に到着しました。
石碑が見えます。




大日如来の石像。
大日如来の由来。
それに灯篭も有ります。




私たちが駐車場に着いた時、この人たちの車も着きました。
車は尾張小牧と京都のナンバーでした。
愛知と京都のグループです。
途中で落ち合って来たと話していました。
彼らの近くにニッコウキスゲが1輪咲いていました。
ニッコウキスゲが咲いていると教えてくれたのです。





咲いていると教えて貰ったニッコウキスゲです。
1輪だけでした。
蕾が有ります。
これからが本格的な時期になるのでしょう。
(トップバッターのニッコウキスゲが見れたと思うと、得した気分です)




こちらは石碑の横で咲いていた草花です。
この花はフウロではなかろうか。




下山にかかり、歩きだして目にしたゴゼンタチバナの群落です。




(12:23)
下山です。
登ってきた急登の道を進みます。




(13:35)
一ぷく平まで下山して来ました。




一ぷく平を過ぎて、またまた急登の道です。




高圧線の鉄塔の下まで下山して来ました。
登山口までもう直ぐです。





(14:51)
上の駐車場です。
滋賀ナンバーの車が停まっていました。
新しく、この駐車場が設けられていることを知らなかったのです。



感想
登ってみて、急登の後は歩き易い道。そんな道の繰り返しでしたが、良い山だと思いました。
登って行く途中のツルアジサイ。山頂のニッコウキスゲやフウロ。それに途中ではヤマアジサイなどを見かけました。花々の多い山でした。
私たちは13人のグループ。そして、東近江の人たちは10~12人ほどのグルーフ。愛知京都は男性4人組でした。下山して行く時登って来たのが名古屋からの男女4人でした。
平日でもこれだけの登山者。
改めて人気のある山だと感じました。

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一宮友歩会・第81回ウォーク例会 史跡巡りシリーズ・名古屋編part13 名古屋市港区を歩く

2019-07-06 23:40:38 | 一宮友歩会

一宮友歩会の第81回ウォーク例会に参加しました。今回は史跡巡りシリーズ・名古屋編part13 で名古屋市港区を歩くもので、名鉄道徳駅が集合場所となっていました。
港区はその名の通り名古屋港に面した場所です。立並ぶ工場群、港区の工業地帯の活気を感じる事が出来ました。今回はポートビル内での昼食時間が設定してあり、自由時間で館内を見学する事が出来ました。また、名古屋競馬場が近い将来、移転しますが、その場所の見学も有りました。

名鉄道徳駅 - 道徳公園 - 紀左衛門橋 - 港北公園 - 津村文左衛門頌徳碑
 - 
平和橋 - 善光寺 - 築地神社 - 稲荷橋 - ガーデン埠頭臨港緑園
 - 名古屋港ポートビル
 - 名古屋港水族館 - 中川橋- 大光寺 - 
荒子川緑道 -荒子川公園 - 
名古屋競馬場 - あおなみ線名古屋競馬場前駅


81回例会のコース地図です。


道徳公園

(09:11)
道徳駅で下車して、西に歩いてきました。
歩き出す前に道徳公園で出発式です。
大きな石碑が見えますが、この石碑。文政の豪農・鷲尾善吉による開拓を記念した「鷲尾善吉翁頌徳碑」です。
そして、その後に道徳公園を廻りました。
大きなクジラの池が有りました。夏に子供達を遊ばせているのだろうか。
この公園でマキノプロにより、忠臣蔵の撮影がされと説明板に記載して有りました。





公園内を廻り、ウオーキングのスタートです。



紀左衛門橋

(09:44)
紀左衛門橋。
橋が高い場所となっており、階段を登ります。




堀川で、橋の上から眺望です。
前方に見える橋は名古屋高速と23号線の橋です。
屋形船がこちらへ来るのが見えます。
屋形船が近付いてきて、屋根に「信長」と描かれ、船体には名城-宮の渡しと描かれています。
定期運行なのだろうか。乗ってみたいと思います。



津村文左衛門頌徳碑

津金文左衛門胤臣頌徳碑。
文左衛門は新田開発に尽力しました。


平和橋

(10:31)
平和橋にきました。
この平和橋、昭和12年にこの地で名古屋汎太平洋平和博覧会が開催されましたが、それに合わせて建設されたものです。




平和博覧会と平和橋の説明板です。
昭和12年に開かれた平和博覧会。
戦時色の強くなる時代です。
そんな時代に平和博と銘うって開催されました。
周囲の姿は変わってしまったのですが、橋だけは昔の姿をとどめています。




築地神社

築地神社へきました。
横道から神社へ入っていきます。



(11:07)

社を正面から眺めた姿です。




歩く途中、稲荷橋から開閉橋が見えました。
名古屋港跳上橋です。
ウィキペディア(Wikipedia)https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%8D%E5%8F%A4%E5%B1%8B%E6%B8%AF%E8%B7%B3%E4%B8%8A%E6%A9%8B
臨港鉄道が廃止となり、橋だけが開いた形で残っています。



ガーデン埠頭に来ました。
何人かのグループ、絵を描いている人たちを見かけました。





左上。白髪の男性が絵の先生だと思いました。
みなさん。
思い思いの風景をキャンバスに描いています。





ポートビルが見えてきました。




太鼓の稽古をしている人たちが居ました。
スピーカーから三味線の音が流れています。
それに合わせて太鼓を叩いていました。
15日が名古屋港の港まつりです。
まつりに出演するのかと聞いたら、そうだと言っていました。






(11:25)
ポートピルに入ります。

ポートビル内の1F休憩場所で昼食を取りました。
出発時間は13時となっていました。
1時間半ほど自由時間が有り館内見学が出来ます。
愛知県民で65歳以上であることを証明できるものを所持していて、受付で提示すれば3施設(展望室・名古屋海洋博物館・南極観測船ふじ)の入館料が無料で入館できました。
残念ながら、私は岐阜県民。
カミさんは会長から入館剣をいただきました。
私は先日の下見で展望台に上がっていましたので、今回は入館券を買い求めて博物館へ入りました。



(12:04)
名古屋海洋博物館に入ります。
この博物館、息子たちが子供の頃に来た事が有ります。
何十年ぶりの入館です。




船の操作のシュミレーターです。
中国人の少女が操縦しています。
見事に港へゴールしました。
この後、私もチャレンジしてみました。

船の操縦で舵輪を回します。
右へ左へ旋回する船。
自動車のハンドルのようにはいきませんでした。
そして、最後。岩壁に衝突してしまいました。




ミュージアムショップでお買物です。
カミさんは孫用にペパークラフトを買いました。




(13:10)
ポートビルから出て集合写真。
その後、橋を渡ってきました。
後ろを振返るとポートビルと南極観測船ふじが見えます。




名古屋港水族館の前を通過します。




遠くから人垣ができているのが見えました。
近くに来ると、見えたのは大道芸でした。
若い男性のパフォーマンス。





歩いて来て、中川橋を渡り、振返りました。
橋の改良工事をやっていました。




橋のたもとに工事の概要が貼り出されていました。




こちらは完成予想図です。
工事期間が令和2年度となっています。
下見の時はこの看板で、平成29年度と表示していました。
工事期間が延びたのでしょう。
工事開始が平成23年度となっています。10年近い工期です。迂回路を設けて橋を据付しなおしています。本当は新しい橋を架橋した方が安く上がるのかも知れません。でも、昭和のトラス橋を生かす工事なのでしょう。
概要にはトラス橋の北側に新しい橋を設けるとなっています。




(13:30)
中之島川緑地の中を歩きます。
この緑地。川を埋め立てて公園にしたようです。





大光寺へきました。
表に伊勢湾台風殉難者の碑が有ります。
知事だった桑原幹根の揮毫です。
この辺り。
いわゆる0メートル地帯で多くの犠牲者が有ったのでしょう。





(13:53)
荒子川緑道を歩いています。
この先の荒子川公園プラザで休憩し、そして、再び歩き始めました。




中部盲導犬協会。
盲導犬の訓練センターで、入口に盲導犬サーブの像が見えます。
この像。かつては別の場所に有ったのではなかろうか。

記憶が曖昧なのですが、何処か別の場所で見たような気がします。
検索してみましたら、名古屋駅に有りましたが、大階段に隠れて、目立たなくなってしまいました。
それで、栄へ移転。
このサーブ像。複数有るようです。




名古屋競馬場

(14:42)
名古屋競馬場へ来ました。
この競馬場。
近い将来、弥富に移転します。
そんな場所を歩くコースの一部に取り込まれました。



ここが入場口で、これから入ります。




メインスタンドの前。
オッズを表示しています。



馬券売り場の風景です。
新聞とニラメッコの人たち。
今の時代の馬券の買い方はマークシート方式でした。



福島競馬場の様子が映されています。
今、映っている馬。
女性騎手で人気のある藤田菜七子が騎乗します。

レース終了まで居ませんでしたので何着で入ったか確認していません。



(15:05)
お疲れ様でした。
あおなみ線の名古屋競馬場前駅まで歩いてきました。

感想
一宮友歩会の例会は、単にウオーキングに留まらないで色々の知識を得る事が出来るというと特徴が有ります。道徳公園に有った鷲尾善吉翁頌徳碑。或いは港北公園に有った津村文左衛門頌徳碑。何れも新田を開発し耕地を増やそうと努力しています。そのような事を知る事が面白いです。
今回は競馬場へ入りました。滅多と無い機会です。この日は地方競馬で盛岡競馬場。JRAの福島や函館でした。概念的にはその競馬場の馬券しか変えないと思いがちですが、他の競馬場の馬券が買える。競馬をやらないものに取っては、そんな事も驚きです。



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