Kオジサンの新・山歩きの記


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一宮友歩会・第43回例会  史跡巡りシリーズ・岐阜編part6  岐阜市から各務原市を歩く

2013-04-13 15:43:00 | 一宮友歩会

一宮友歩会・第43回例会に参加してました。

http://kmham.huruike.com/datagazou/43map.pdf


JR岐阜駅の南口に集合です。
この日の参加者は42名です。
全体的には、男性の参加者が多いです。



まず、会長のTさんの挨拶から始まれます。
その後は準備体操をやってからスタートです。


岐阜駅の南側を歩き始めました。。



右側は清水川です。
春めいて来て、水を見てもサブッと言う感じにはならなくなりました。



最初に訪ねた所が光国寺です。


光国寺に亀姫の墓が有ります。
亀姫は徳川家康の娘で、加納城は娘婿の奥平信昌が城主を務めました。
このような寺に家康に縁の場所が有る事を知りました。


加納城跡で城跡の発掘担当者から説明をしてもらいました。
発掘調査に寄り加納が宿場町として栄えただけでなく、広大な城下町を形成していました。
現在、石垣がのこっていますが堀は埋められています。



加納城址の説明板。


加納町の中を歩きます。
右側は旧加納町の役場として使われていた建物です。
文化財に指定されていますが、耐震性から一部を残して壊されるようです。


東に向かって歩き、閻魔堂に来ました。
この閻魔堂の位置は皮手城の鬼門に当たる方角です。


細畑まで歩いてくると、神輿の下の部分が置いてありました。
この日の夜に手力雄神社で祭礼が行われます。
夜になると台座の上に花火を乗せて神社に向かうのでしょう


細畑の一里塚です。
中山道を挟んで南側と北側に一里塚が残っています。
塚が残り、榎も残っている一里塚は珍しいです。

この後、細畑にし公園で昼食をとり、12時20分に各務原市民公園に向かって歩き始めました。
私は、この後に予定が有りましたので、ここで、リタイヤしました。















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伊吹山南麓を周遊   弥高山 (838m)  

2013-04-12 23:35:38 | 水曜会

水曜会で弥高山へ行ってきました。弥高山と言っても何処に有る山か解からないと思います。弥高山は伊吹山の南側に位置し、山頂の下に弥高寺跡があります。
その寺跡は段差の付いた地形で、ジオンさんは、マチュビチュと呼んでいます。
メンバーはジオン隊長、乱丸さん。Dolphyさん、のこさん、mayuさん、あさひさん。。そしてKオジサンです。

伊吹山の登山口である上野に車をデポして、上平寺集会所から出発しました。弥高寺跡から弥高山を目指しましたが、高度が上がるに連れて、ヤブ状態となりました。
山頂の三角点に到達することが出来ましたが、ここへ来るのは、この場所を知った人と一緒でないと来れない場所だと思いました。
5合目方面に向かって、トラバース道を進みましたが、人が通らなくて登山道が薄くなっていました。
6合目非難小屋でお昼を食べた後、3合目ではスハマソウが群生していて、スハマソウの撮影会となりました。


乱丸さんから戴いたGPS軌跡図。
登山口の上野に車をデポし、上平寺から登り始めました。


上平寺集会所の駐車場。
準備をして出発です。


高度が上がるに連れて「マチュビチュ」見え出しました。





余り人が通らないので、登山道が薄くなっています。



行者谷の石室の場所に来ました。
長い歴史が有り、太い杉が林立しています。


杉の大木の下にヒキガエルがぐったりしていました。
先日、多度山でヒキガエルが交尾しているのを見ました。
こちらは交尾が終わった後なのでしょうか。ジットしています。


弥高寺跡に着きました。


眺望が良く、琵琶湖の湖岸が見えます。
この日は黄砂が訪れると予報では言っていましたが、それ程ひどく無く、遠方を眺める事が出来ました。


遠くの山を同定します。


弥高山の頂上へ来ました。


ここが三角点の場所です。
この場所を知っている人と一緒でないと到達できない場所です。


クマザサを掻き分けて歩きます。


遠くに伊吹山が見えます。


ここまであがってきて、6合目の非難小屋が見え出しました。


トラバース道を進みます。


足元が悪く、クマザサに掴まりながら進みました。


一歩、誤ると谷底に転落。
慎重に進みます。
私は、このような場所は苦手なのです。


トラバース道。残雪が有ります。


最後に、沢を登ります。


木の間から5合目の山小屋が見えます。


6合目非難小屋が見えるところまで来ました。


非難小屋へ到着です。


風が有って寒く、非難小屋の中で昼食をとりました。
皆さんが持ち寄った食材。


ランチタイムを終え、5合目まで下山してきました。


4合目まで降りてきました。
ここにはスキーリフトのタワーが有りましたが、撤去されていました。


花の撮影会となりました。


3合目ではスハマソウが群生していました。
横にアマナも咲いていました。


振り返ると小屋が小さく見えます。


スキー場のゲレンデを下りていきます。



登山口まで下りて来ました。

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美濃路を歩く。②  墨俣宿~萩原宿

2013-04-11 13:20:52 | 街道歩き

墨俣宿から萩原宿まで13.7キロを歩きました。
まず、墨俣バス停から北に歩き、墨俣宿脇本陣に行ってみました。脇本陣は古い家屋ですが大きくドッシリとした建物で風格を感じます。
その後、東に向かい犀川堤防に上がりました。桜並木が続き屋台が並んでいますが、桜の時期が終わりを迎え閉店するようです。
長良大橋を歩き、長良川を渡り続いて大江川、境川を渡り羽島市に入りました。境川堤防を歩き途中から堤防を降り木曽川に向かって歩きました。
正木小学校の脇に一里塚の石柱が有りましたが、フェンスの向こう側に設置されフェンスが邪魔でした。
堤防に上がり木曽川に架かる濃尾大橋を渡りました。木曽川を挟んで羽島市側の金毘羅神社は小さく、尾西側は立派な金毘羅社が有ります。金毘羅サンは海の航行安全の神様ですが、川の航行の安全を祈願して祀られています。
起宿から南東に進むと富田に一里塚が残っています。街道を挟んで塚の形が残っています。旧態を残す一里塚で現存するのはここだけだとありました。
この後、萩原宿を通り萩原駅に向かいましたが、萩原の商店街はひっそりとして、かつて繁盛していた面影はありませんでした。


墨俣宿(8:53) - 墨俣宿脇本陣(9:00) - 長良大橋 - 小熊の一里塚(9:40) - 

名鉄南宿駅(10:23) - 不破一色の一里塚(10:0) - 正木の本堤跡(11:16) - 濃尾大橋

 - 金刀比羅社(11:30)~(11:50) - 起宿本陣跡(12:00) - 富田の一里塚(12:21)

 - 市川房枝生家跡(12:52) - 萩原宿本陣跡(13:00) - 名鉄萩原駅(13:28)



岐阜駅で墨俣行きのバスを待ちました。予定時間に10分ほど遅れて、バスが到着しました。
出発した時は10人程の乗客が居ましたが、墨俣に着く頃には、誰も乗っていませんでした。


墨俣宿の脇本陣です。


大きな建物で、ドッシリとし、風格のある建物でした。


墨俣宿の東の入口です。
道が真っ直ぐでなく、宿場の感じがします。


犀川の堤防に上がりました。
桜が終わりを迎え、屋台は後片付けと言った感じです。


これから長良大橋を渡ります。
旧国道21号線を車が、多く走ります。


左手には墨俣城が見えます。
花盛を過ぎた桜が醜い姿となってしまいました。


橋の上から北の方角を眺めます。
遠くに金華山が見えます。


羽島市に入ると美濃路を紹介する案内板、2枚が設置してありました。


まだ、設置されて、歳月が経過していなく、新しい案内板でした。
この場所から少し東へ行ったところに美濃路の案内板が有りました。
古くなって、字が読みにくい状態となっていました。折角、新しい案内板を設置したのなら、古い案内板は撤去すれば良いのに、と思いました。


小熊の一里塚です。
石碑が有り、この場所が一里塚だったのです。


堤防から右の道へ降りて行きます。
地図を片手に歩いていましたので、右へ向かへば良いのだろうと推測しましたが、このように場所に道標が欲しいです。


石柱に刻まれている親鸞聖人は読めますが、その下は・・・


説明板です。
美濃路が消えてしまった事を説明しています。


名鉄の南宿駅まで来ました。


不破一色の一理塚。
正木小学校の校庭に石柱が設置してありました。
石柱の前にフェンスが有り、邪魔していて石柱を撮影しようとすると、斜め方向からしか撮影できません。


大浦の道標の説明板と道標です。
道標は民家の玄関前に有りました。


大浦の金毘羅神社。
小さなお祠です。


これから濃尾大橋を渡り愛知県に入ります。



起宿の堤防から岐阜県側を臨みました。
堤防が高くなったり、橋が架ったりした景色は、江戸の頃の景色とは変わりましたが、遠くに伊吹山の見える風景は変わっていません。暖かくなって伊吹山の雪が解けて来ましたが、先日の寒波で雪が降り、再び白くなっていました。


金毘羅者に着きました。
ここの境内でお昼を食べました。


起宿のメイン道路です。
かつて宿場町だった様子が想像できます。
往時は、夜になると三味線の音色や嬌声が聞こえて来たのでしょう。


歴史民俗資料館となっている脇本陣。


富田の一里塚。
左の塚が道路の東側で右の塚が道路を挟んで西側に有りました。
この一里塚のように両側の一里塚が残っているのは珍しいです。


富田の一里塚の説明板。


市川房枝生家跡。
トイレが整備されていました。


市川房枝生家跡の説明板。
読んでみると、彼女が政治の方向へ向かった決意がわかります。


ウオーキングの面白さに寄り道することが有ります。
橋本屋と言う店。
団子やお好み焼の店ですが、ここで大判焼を買いました。
1個90円でした。


萩原の商店街。
道に花飾りが飾って有りましたが、商店街はひっそりとして、通る人は少なかったです。


萩原商店街の東側から。


お好みはうすと言う店です。
ここではタコ焼を買いました。
280円と安かったのですが、美味しく有りませんでした。


萩原駅に到着です。


今回は大きな川に架かる橋を渡りました。かつて長良川は墨俣川と呼ばれ、木曽川は起川と呼ばれていました。墨俣宿は長良川の西にあり、起宿は木曽川の東に位置します。
川が穏やかな時は問題なく渡れますが、梅雨時などで川が増水した時は、何日も足止めを食った時も有ったのでしょう。
今のように水源地から河口までが同じ川の名で呼ばれていなかったのでしょう。平常時は渡り船が運航していましたが、朝鮮通信使や将軍が通過する時は舟橋を付設しました。
近隣から舟を確保し、大変な準備だったのでしょう。

街道を歩いてみて、昔は、どの様な様子だったのだろうと想像することが面白いです。今回、歩いた時間は4時間余りです。簡単に長良川と木曽川を渡る事が出来ました。当時なら船が出る時間まで、待たなければならなかったでしょう。路銀も必要ですし、旅は楽でなかったと思います。

これで美濃路を2回歩きました。
始めて美濃路の名を目にしたのは、境川の桜を見に来た時でした。境川に美濃路の案内板が設置して有ったのです。それまで美濃路の事を知りませんでしたし、その時は気に留めていませんでした。一宮市尾西歴史民俗資料館で美濃路の地図を手に入れまして、何時か歩いてみたいと思っていました。
また、時間を作って続きを歩きます。

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美濃路を歩く ① 垂井宿~墨俣宿

2013-04-06 15:49:46 | 街道歩き

東海道と中山道を結ぶ街道が美濃路です。
岐阜県垂井町の垂井宿から名古屋市の宮宿がその街道で、その間には大垣宿、墨俣宿、起宿、萩原宿、稲葉宿、清洲宿、名古屋宿の7箇所の宿があります。その美濃路を垂井宿から墨俣宿までを歩いてみました。

垂井駅(8:56) ― 追分(9:16)  ― 綾戸交差点(9:55) ― 久徳一里塚(10:50) ― 塩田の常夜灯(11:01)

 ― 奥の細道むすびの地(11:43)  ― 大垣公園 ― 高札場跡(12:57) ― 

東町常夜灯(14:04) ― 町屋観音(14:32) ― 犀川河川敷(15:04)  ― 墨俣バスストップ(15:15)




米原行きの列車です。
4両編成でしたが、とても、混雑していました。


垂井駅です。
駅の北口に降り立ち、ここからウオーキングのスタートです。


相川へ来ると、カメラマンたちが鯉のぼりに向かってシャッターを切っていました。


相川の上にロープを張り、鯉のぼりを泳がせています。
町民が不要となつた鯉のぼりを寄せ、川の上を泳がせています。
5月の子供の日まで泳がせているのでしょう。相川の桜とマッチして垂井の春の景色となりました。
遠くに見えるのは伊吹山で残雪が少なくなっています。


相川の人足渡しの説明板
今は、橋が架かり簡単に渡れますが、当時は苦労したのでしょう。
川の深さで膝までなら何文、腰まで何文と金額が決まっていたのでしょう。


中山道と美濃路の追分です。
石碑が有りました。左へ進むと中山道。右に行くと美濃路となります。


街道らしい雰囲気の松並木が続きます。
右側の松は枯れ瀕死の状態です。


大垣市長松町へ来ると寺の門の修理を始めていました。
この寺には11面観音が安置されていました。
工事を始める人に挨拶の言葉をかけましたら「中に入って見せて貰って行けば」と、声を掛けられました。


長松町に有った石の道標です。
裏側には昭和五年二月長松青年団と有ります。
昭和に入り、東海道線は全通して列車が運行していたのですが、歩いて旅をする人が有ったのでしょうか。
今の洋服姿でなく、着物姿の青年団の人たちの姿が想像できます。


久徳の一里塚。
榎なのか、大木が残っています。


街道の路。
直線の道でなく、微妙に曲がっています。


塩田の常夜灯。
行きかう船の目印となっていました。


塩田橋から南の方向。
杭瀬川は改修されて綺麗な川筋となり、往時の姿が想像できませんが、かつては多くの船が往来したことでしょう。下りは川の流れに任せて下ったのですが、上って来る時は帆を掛けたのか、竿で船を操ったのでしょうか。


杭瀬川の川岸に桜が植えられ満開の時期を迎えていました。


奥の細道のむすびの地へ来ました。
桜が満開です。


住吉灯台が有り、舟が繋留されています。
この場所も川港として利用した場所でしょう。


美濃路の案内板。
大垣は城下町ですが、美濃路は城下をかすめるようにして伸びています。


こんな風景。
大垣公園に寄りましたら、親子連れが桜と城をバックに記念撮影。


アップで。


本町筋に高札場跡が有りました。
今は説明の標識が有るのみです。


佐渡常夜灯。
ここから渡し舟で揖斐川を渡ります。


町屋観音のところに歴史の道の説明板が有りました。


ここから墨俣まで、堤防の上を歩いていきます。
堤防で両側より高くなっています。
輪中の堤防なのでしょう。


地図を片手に歩いていた男性。
言葉を交わしましたら、木曽川から歩いて来たと言っていました。


犀川の河川敷に車が一杯停まっています。
桜が満開を迎え、花見の人たちの車でしょう。
遠くに墨俣城が見えます。


墨俣のバス停にたどり着きました。


ここから始発の岐阜バスです。
定刻になり、バス停に来ました。


バスから見えた犀川と墨俣城です。



垂井宿から墨俣宿までの距離は18.4キロとなっていますが、揖斐川で橋を渡るため大きく迂回しましたので、20キロ程歩きました。
今回は、垂井町。大垣市。安八町。瑞穂市。大垣市墨俣町と歩きました。歩いてみて、自治体によって美濃路への取り組みに温度差を感じました。垂井町は東西に中山道が走っており、追分が有って道標が整備して有りました。松並木が有り雰囲気的にも旧街道を歩いたと言う気にさせてくれました。大垣市は芭蕉の奥の細道の結びの地として句碑が整備されたりしていますが、美濃路を表す道標が整備されていなく、案内看板が有るくらいでした。
地図を手にして街道を歩きましたが、それでも、迷いました。
指示道標が有れば、助かると思いました。1自治体だけで設置するのでなく、協調して進めて貰いたいものです。
歩いてみて、街道沿いに多くのお寺を見かけました。古くから有る寺。多くの旅人を見てきたことでしょう。

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