現代は妄想の商品化を軸に、
民主主義と資本主義が自己完結している。
妄想原理主義の必然性は、
妄想の実践自身にあり、
資本主義や民主主義は規制しない。
*。
妄想産業は、
妄想を記号化し、モノ化し、
現実と妄想の境界を消滅させ、
妄想で現実を置換し、
妄想で人が生きられるようにした。
そこに感動と幸福があふれ出してきた。
だがそれはあると思えばなく、
ないようであるのである。
我々の意識を剥奪した。
だがそこに感動や幸福がある。
それはあると思うとなく、
ないと思うとあるようでもある。
一体何をしているのだろう。
何もしていないようで何かやっており、
何もやっているようで、何もしていない。
即ちそれが妄想だ。
*。
妄想産業は、個々の主体の意識を消去し、
社会の機能に作り変えた。
その結果、妄想産業に取り込まれた人々は、
自己と世界の破壊を創造的経済行為として、
葛藤を覚えることもなく、
楽しく消費し、
自己と世界の破壊に感動と幸福を見出すのだ。
*。
元を糾せば、理論理性こそは妄想であった。
消点を現実に設定した結果だ。
随分幼稚なミスとしていたものだ。
皆でお子様ランチを食べ、幸せを製造販売消費していた!
人類の脳みそこの程度だった。
もうお子様ランチはおしまいにしよう!
民主主義と資本主義が自己完結している。
妄想原理主義の必然性は、
妄想の実践自身にあり、
資本主義や民主主義は規制しない。
*。
妄想産業は、
妄想を記号化し、モノ化し、
現実と妄想の境界を消滅させ、
妄想で現実を置換し、
妄想で人が生きられるようにした。
そこに感動と幸福があふれ出してきた。
だがそれはあると思えばなく、
ないようであるのである。
我々の意識を剥奪した。
だがそこに感動や幸福がある。
それはあると思うとなく、
ないと思うとあるようでもある。
一体何をしているのだろう。
何もしていないようで何かやっており、
何もやっているようで、何もしていない。
即ちそれが妄想だ。
*。
妄想産業は、個々の主体の意識を消去し、
社会の機能に作り変えた。
その結果、妄想産業に取り込まれた人々は、
自己と世界の破壊を創造的経済行為として、
葛藤を覚えることもなく、
楽しく消費し、
自己と世界の破壊に感動と幸福を見出すのだ。
*。
元を糾せば、理論理性こそは妄想であった。
消点を現実に設定した結果だ。
随分幼稚なミスとしていたものだ。
皆でお子様ランチを食べ、幸せを製造販売消費していた!
人類の脳みそこの程度だった。
もうお子様ランチはおしまいにしよう!