超人少年伝説

源氏物語千年 紫式部が突然現れ 紫式部氏思想を書くことになった

正義の反作用は犯罪である

2009-11-30 07:06:04 | Weblog
正義と自由の対偶は、殺人と強盗である。

司法と警察を作り、犯罪が増加した。
それは司法と警察が犯罪だからだ。

すると正義は、反作用の犯罪を作る。

*。
自然犯罪のままだと、どうなるだろうか。
司法や警察は犯罪を減らしただろうか。

彼らは犯罪のプロを作る。
それが司法か相手か。
両方だ。

その加速度の結果、犯罪社会が出来た。

*。
自然の慣性に任せた方がよくないか。

こういう問題が認識された。

     *。
犯罪に会わないようにする。

こういう社会制度が必要だ。
これで人が生きていけるようにする。

これが犯罪の最適化ではないか。

*。
正義にはそれにふさわしい反正義が現れる。

これが競争し、コントロール不能になった。

初期値に対する鋭敏な依存性、
このカオス理論を使えば、悪への制裁は、却って犯罪を増やす。

*。
世界の刑務所で起きている問題は、罰の反作用だ。

罰を与えると、犯罪のプロを作る。
いや犯罪しか出来ない人を作る。

これが反作用の問題だ。

*。
結局犯罪者は皆殺してしまえ。

    *。
罰はある程度やむをえないのか。
無い方がいいのか。

*。
司法や警察は、犯罪者を作ることを目的としている!

犯罪を作れば作るほど儲かる。

司法と警察が、犯罪組織となった。

*。
世界はこういう問題を抱えた。

やり過ぎの問題がある。

*。
人は考えを変えねばならない。

最適を超えてしまった。

ガードマン以上の司法や警察は有害だ。
それが世界で認識された。

罰より弁償の方がいい。

*。
では殺人ではどうか。

殺されないようにする。
この生き方を拡大する。

死刑にすればすっきりする。
これが殺人衝動だ。

1Q84と人間産業 立身出世は発振である

2009-11-30 06:15:01 | Weblog
人間が発振すると自分がなくなる。

立身出世を生きると、それは本来の自己を否定することで、
その否定の肯定が、立身出世となる。

これは自己への暴行であり、死に至る病だ。
自分をいじめ、立身出世は、自分のいじめ殺しだ。

だからエリートが、良心良識をなくしてしまう。
これが強欲人間だ。
良心良識をなくした成れの果てが強欲人間だ。

強欲を自信と称し、
遂に自分を見られない人間の特徴を持つ。
自信は、自分を見られないアリバイだ。

*。
自分を見られなくなった人は、官能と人情を生きる。

この狂乱を、人間ドラマと称揚する。

倒錯と被害妄想の始まりだ。
即ち、妄想の中の真実が、官能と人情だ。

   *。
官能と人情こそは、
自分を見れないことのトートロジーであり、
人間疎外であり、閉塞化の正体であり、心の闇の本質だ。

人間性から、官能と人情をエッセンスとして抽出した。
それは人間ではない。

人間性を絞め殺した。

*。
人間産業は、人間の主体の差異を消し去り、
官能と人情を人間の機能に変えてしまい、
人間産業に取り込まれた人は、
脱人間化を、人間産業とし、
官能と人情を楽しむ。

ここに人間性は抜け殻となり、
そこに広大な自我を見つけ、
自我と自由と称して、
人間疎外と閉塞感の心の闇を、
楽しく暖かい幸福感と躍動感とする。

*。
なにやら1Q84のようだ。
そこに愛が踊る。

これが人間疎外であり、心の闇ではないか。
対偶恒等式ですぐ分かる。

  *。
これが狂気と犯罪であることを知らない。
自分が見えないからだ。

視座の転換 革命期の思考

2009-11-30 05:19:50 | Weblog
例えばベーシック・インカムが人間地動説に立って理解できることだ。
国家原理主義の人を説得できない。

革命期においては、視座の転換が先立つ。

*。
国家原理主義は、国民否定の国家肯定だ。
これが国家主権だ。
これは国民主権の否定だ。

国家について来い。
これに国民は信頼を寄せた。

当然、国民は国家の食い物にされた。
まぁ食べられるだけいいじゃないか。

遂に食べられなくなった。

     *。
国家原理主義は、国民否定の国家肯定だから、
このパラドックスに絞め殺された。

つまり国家原理主義は限界に達した。

人類は次の段階に進化し始めた。

*。
国家は誤っていても正しく、
国民は正しくても誤っている。

この捩れを取る人間地動説だ。

     *。
この認識が出来るかどうか。
それは出来ないから、
人間地動説は、国家原理主義を非難・中傷・罵倒して、
それをエネルギーや栄養とする。

もうエチケットの時代ではない。
強い方が勝つ知性の格闘技の時代だ。
始めは強い方が負ける。
これで力をつける。
戦争や死刑よりいいことだ。

遂に視座の転換が図られる。

*。
これを考えれば、時代思潮を読む能力が付く。
進化の流れに任せる生き方、
こういう新しい生き方の時代となる

    *。
アメリカや日本は、進化に逆らうことで、
進化側にエネルギ-を供給する。

これが負のエントロピーを食べる方法だ!

進化自体、新しい方法で行われるようになった!

視座の視座の展開が行われている。

*。
これに適応する生き方が、人間地動説であり、
この世界は相対論の世界だ。

即ち、交わる平行線の世界だ。

   *。
警察はデモに向かって、無駄な抵抗は止めなさいという。

それが国民が国家に言うことだ。

国家は警察や軍隊を使って、無駄な抵抗をしている。

*。
取調べの可視化、当然のことだ。
それをさせないことが問題だ。

可視化させないことが、国家利権だ。

即ち、国民否定の国家責任が問題だった。

これが視座の転換だ。

   *。
現代は負のエントロピーを食べる時代だ!

それへの抵抗は、無秩序化だ。
即ち、正のエントロピーを上げる自殺の方法だ。

*。
人を殺して、殺して貰う。

即ち、自己否定の肯定だ。
これが他殺自殺であった。

*。
負のエントロピーを食べるのでなく、
正のエントロピーを食べたのだ。

この捩れ、
即ち、パラドックスに絞め殺された。

これを解読できねばならない。

     *。
この捩れこそが、
社会の疎外感であり、閉塞感であり、心の闇だ。

即ち、パラドックスに絞め殺される。

*。
自己否定の肯定、
このパラドックスを脱出することが問題だった。

それは理論理性を徹底することだ。

*。
汝自身を知れ。
これが理論理性の根幹だ。

自分を自分で見られない、この罠を抜け出すことだ。

これが構造理性であり、対偶恒等式だ。

悪の遺伝子

2009-11-29 07:00:58 | Weblog
進化は、世界が非可逆過程にあることを意味する。
即ち、エントロピーが増大することだ。

するとここには安定がない。
世界は進化だけでは、爆発崩壊する。

つまり、安定とは、負のエントロピーを食べることだ。
即ち、生物が安定に必要だ。

*。
宇宙には地球以外に生物はいないという。
即ち、地球は負のエントロピーを食べる環境があった。
そこに生物が生まれた。

これは地球の循環が生まれたことを意味する。
宇宙には循環系がない!
地球だけにある。

*。
爆発系が宇宙だから、これが善だ。
するとこれを食う生物は悪だ。

すると地球生物が生まれたのは、悪があるからだ。
宇宙を食う悪こそ、生物だ。

すると生物が生まれたのは悪があるからだ。

    *。
自民党の悪が、社会党の善を食って、
日本は負帰還社会を作り、人類の理想を実現した。

悪といっても、人を殺して食う悪が強いと、これはガンとなる。

*。
ガンにならないような悪が、必要だということが分かる。

悪を皆殺しにするのは、国家原理主義だ。
だから国家は機能を停止しつつある。

*。
進化と安定を善と悪とすると、地球の仕組みが分かる。

悪をなくいすという狂気が日本だ。
それが悪の本体だ。

この中にちょうど按配のいい状態があるはずだ。

大体そういう仕組みが分かってきた。

*。
利他遺伝子だけでは地球は持たない。

悪の遺伝子こそ、生態系の安定を担う。
それがどういう悪かが問題として認識された!

偏差値崩壊 偽装知性と偽装思想

2009-11-29 06:09:15 | Weblog
サルトルは子供の思想家で、ハイデガーは子供の知性家だった。
彼らは汝自身を知らなかった。

いや新しい世界に手を付けたと言った方がいい。
だから子供。

自分を見ない思想や知性。
新しい世界の創始者。

でも何が始まったんだろう。
思想は死んだといわれる。

*。
いや人類は、新世界の観測装置と持っていない。
そういった方がいいのかも知れない。

地球文明は、死の文明から生の文明に変換しつつある。
この過度時には、混乱が発生する。

それを子供のといっているのだろう。

このように解読すると、新世界が予感される。

*。
同時に予想や推測することは、どんなに難しいことか。
今までにない視点が要求される。

ないものを読む。
これから起こることを読む。
知らないことを知る。

これがメタ知だろう。
不可能への挑戦とか、未知への挑戦とか言われることだ。

    *。
だが相対性理論を知っていると、現代を理解できる。

平行線の交わらないユークリッド免疫系から、
平行線の交わる相対論の人間不動点系へ。

そして更に不確定性原理の量子力学系へ。
ここでゲーデルの不完全性定理が登場する。

これが上からの視点だ。

*。
上から見ないと分からない。
これが世界空間だ。

人は上から見ると、馬鹿にされたとなる。

でも世界は、上から見ないと、分からない。

     *。
汝自身を知る。
これは自分を上から見ることだ。

自己のメタ階型。
ここに汝自身がある。

世界をそれにふさわしい視点でみる。
始点の変更や変換、
これが思考の自由性だ。

*。
偏差値は、その固定化であることが分かる。
偏差値には世界が見えない!

それで日本民族は、偏差値崩壊した。

人類は子供だった 文章は妄想であり現象は妄想ではない

2009-11-29 05:15:49 | Weblog
文章の妄想可能性こそ、文章の特徴だ。
文章を使って、現象を書く。
ここに妄想が付きまとう、
これを排除するのは、全宇宙スキャニングである。

*。
メタファーは妄想である。
これが現象と対応した時、正夢となる。

小説は妄想の利用である。
悪く使うと、意識を破壊する。

破壊された意識の森羅万象性。
ここの幸福感と躍動性こそ、物語だ。

     *。
物語の恐ろしさを考えよう。
秀吉の草履伝説の恐ろしさを考えよう。

人を感動させて、その人の人格を否定し、
即ち、人の否定を肯定させる。

感動や愛や幸福感や躍動感は、その人の否定の肯定だ。

*。
自分をパラドックスの罠に賭け、
その人を絞め殺すのだ。

これが感動の正体である。

*。
日本人はこのパラドックスの恐ろしさを知らない。

パラドックスは人の首吊り道具だ。
そこにあるのは、自殺だ。
楽しく愉快に自殺するのだ。

   *。
大日本帝国を考えよう。
あるいは自民党帝国と考えよう。

それは楽しい自殺であった。

*。
日本人はこのプロセスを知らない。
即ち、死の本能に取り付かれている。

楽しい自殺の、楽しさにチューニングしている。
自殺が見えない。

*。
楽しさの対偶は自殺だ。
現実はいい事だけ起きるのではない。

全プロセスを考えることが、対偶恒等式だ。

いいとこだけ見て、その因果を考えない。

   *。
日本人はまだ子供だ。
いいとこ取りをしている。

全プロセスと考えるのが大人だ。
そういう人がお上日本にいない。

*。
日本人は自分が見えない。
即ち、子供だ。

*。
子供民族も限界に来た。
大人になる時となった。

全プロセスを見る。
因果を合わせ見る。
対偶を考える。

   *。
そこまで見ると、人類も子供だった!

環境破壊を考えず、快楽に耽った。
後片づけをしないで、遊びまわった。

*。
発展途上国は、この先進国の愚かさを知ってほしい。

公害は後で整理させられる。

*。
人類は子供だった。

もう大人になる時期だ。

戦争ごっこや殺人ごっこは終わった!

*。
大人原理は、文章と現象の不確定性原理を理解することだ。
対偶恒等式で現世を考えることだ。

男と女のパラドックス

2009-11-28 06:29:26 | Weblog
男と女は、セックスしているときが、真trueであり
それ以外は嘘falseである。

*。
ゲーデルの不完全性定理を適用しよう。

第一定理。
男と女はいつでも真であることができる。
ただしそれは証明できない。

第二定理。
男と女は、セックスしていようといまいと、
それは無矛盾である。

    *。
何をいっているのだろう。
あぁ、神よ。

この定理をひっくり返そう。

男と女は、セックスしているときだけが、真である。
セックスしているかしていないかは、直ちに検証できる。
それは真である。

*。
セックスしていない男と女がいることは、無矛盾である。
これを解消するには、セックスすることである。

するとそれは無矛盾であっても、矛盾していても、
それは無矛盾consitentとなる。

即ち、男と女はセックスしなけれがならない。
その時だけ、無矛盾となる。

するとセックスしてないと、矛盾の存在となる。

     *。
あぁ、神よ、何をいってるのだろう。

その通りだと、言わせたいのではないか。

だってその通りだもん!

文句あるやつはいるか。

判決は 妄想である証明

2009-11-28 05:51:31 | Weblog
判決は、それが科学技術や思想でない限り、唯の妄想である。

判決が思想であるためには、
理論理性のフレームを通し、
その矛盾やジレンマや自家撞着や対偶性がクリアされねばならない。

何故なら、
判決は、それが矛盾していようと、無矛盾であろうと、それは正しいからだ。

*。
即ち、判決文と現実の現象は、不確定性原理で遮断されている。
即ち、判決文の無矛盾と現実の現象としての無矛盾は、関係がない。

従って現実に無矛盾が証明されない限り、唯の美しい文章でしかない。

現実のあらゆる屁理屈をクリアしなければ、
現実の決定とならない。

判決は、科学技術でなければならない。

     *。
公理論的集合論は、無矛盾に書ける。

それは現実の無矛盾ではない。

現実の無矛盾と文章の無矛盾は、
不確定性原理で、遮断され、何の関係もない。

*。
文章が無矛盾であることと、
現実の現象が無矛盾であることは、
全く関係がない。

*。
これがゲーデルの不完全性定理である。

現実の無矛盾が証明できるのは、
科学技術や思想である。

文章より高い階型でである。

*。
矛盾していればパラドックスを作る。

犯人は犯人とされたいるが、犯人ではない。
それを証明せよ。
それが出来ないのが、不確定性原理である。

犯人は現実の科学技術で、確定される。
美しくと整った文章は、唯の妄想である。

村上春樹の矛盾 小説は妄想である証明

2009-11-28 05:11:19 | Weblog
「物語の光にしか照らし出せない固有な場所がる。」
村上春樹はこういう。
即ち、思想は無能である。

*。
早速ゲーデルの不完全性定理を適用しよう。

第一定理。
物語が矛盾しようと、無矛盾であろうと、
その物語には、必ず真なる無矛盾な物語が存在する。
それをこの物語の中で証明できない。

第二定理。
物語が矛盾していようと、無矛盾であろうと、
物語は、それ自身が無矛盾である物語を語ることが出来る。

    *。
これをどういったらいいのだろう。

物語は妄想であるというしかない。
妄想であれば、それを否認するものを異物排除する。

妄想は唯我独尊となる。
即ち、妄想は絶対に正しいのだ。

これはお上日本の状況だ。

*。
これをクリアするために、
ヨーロッパは理論理性を設定し、
矛盾とかジレンマとか自家撞着とかを設定、
これをすり抜ける思想を展開した。
それが思想だと定義すればいい。

*。
そこで同情といった物語を、
理論理性の篩にかけ整理し、
人権なる思想に到達した。

ここに人類史上始めての弱者を殺さない世界を創造した。

    *。
では物語や小説で、この人権を創造でききるか。

思うことは出来るが、それを現実に在らしめられない。

即ち、小説は思うだけである。

*。
だから人を殺すことも、殺さないことも出来る。

即ち、小説は、矛盾することも無矛盾することも出来る。
これが言語の特性であろう。

それをクリアした世界が思想の世界だ。

サルトルとハイデガー

2009-11-27 06:35:24 | Weblog
サルトルは、思想を否定し、それを肯定した思想家である。
従ってサルトルは、スターリンを崇拝した。

ハイデガーは、知性を否定し、それを肯定した哲学者である。
従って、ハイデガーはヒトラーに心酔した。

*。
スターリンは思想家ではない。
ヒトラーは哲学ではない。

何でこんなものに引っかかったか。
サルトルは思想家ではなかったからだ。
ハイデガーは哲学者でなかったからだ。

そんなものに多くの人が引っかかった。
そこには知性も思想もなかっらからだ。

   *。
知性や思想のまがい物、
それが人の幸福感や躍動感を演出した。

本物には心が踊らないが、偽物には心が躍る。
それは心が躍るように作られているからだ。

本物には、心を躍らせるものはない。

*。
馬子にも衣装、
人は馬子でなく、衣装に心が躍るのだ。

これが馬子の否定の肯定だ。

これが豊かさであろう。

    *。
このごまかしやデタラメを超えることが必要になった。

嘘の中に、真実を掴む。
現代はこのように編成された。

*。
偽物でもいい場合、よくない場合がある。

これがメタ知性だ。