超人少年伝説

源氏物語千年 紫式部が突然現れ 紫式部氏思想を書くことになった

妄想は自他すり替えである

2009-05-31 06:51:02 | Weblog
会社のために会社を休んであげます、
こういう発言がある。

こういわれると、
笑っちゃうか、怒り出すか、何を言ってんだと思う。
それが通常状態である。

*。
これが通常だと思うからこうなるが、
これをひっくり返せば、
これが通常となることもできる。
だがそうはいわない常識だ。

    *。
総理大臣が、自己責任・自助努力・自己管理だというと、
それがいい気持ちとなり、
当然だと思う。

そしてこれを実行する。

*。
だがこれをひっくり返し論法を使うと、
首相の冗談を真に受けることにもなる。

首相のウソを本気にする、
それとどう違うんだろう。

    *。
ここいら変に何かおかしいものが見出される。

このように冗談を真に受ける状態を、
アスペルガー症候群とか時にはADHDとか、
自閉症とか学習障害とか見ることもできる。

*。
何で首相のこの種の発言を、真に受けるのか。

どうして冗談として受け取らないか。

*。
こう考える、日本人はアスペルガー症候群ではないかとも言える。

そこには、えらい人症候群が見える。

そしてそこのはえらい人症候群に飲み込まれ、
じたばたするおかしな日本人が現れる。

これは病気ではないか。

    *。
偉い人と偉くない人の間に、ヒステリシスがある。

これを同じにした、国家と国民の同等性だ。

*。
すると日本人の間に、お上上位性がある。

お上は偉い、
それが病気であることがわかる。

*。
それを病気にしないためには、
お上は偉い人としないと成り立たない。

     *。
これが秀吉システムだ。

秀吉の草履伝説で、人と人の間に、上下関係ができた。

*。
秀吉を偉いと思う気持ちに、
秀吉は偉い人言うプログラムが挿入され、
彼はいまだ国家の支配者だ。

*。
ここから抜けでらない日本人がここにいる。

天は人の上に人を作る。

ここに押さえ込まれた日本人がいる。

   *。
日本人は、お上自閉症であり、
アスペルガー症候群であり、ADHDでり、学習障害者…だ。

その症状に苦しむ日本人がいる。

感動はトリックである

2009-05-31 04:44:45 | Weblog
今の日本は思わず涙する、心から感動どうする、
そういう生き方から脱出しつつある。

*。
アメリカと日本は、心から感動することを求めている。

この生き方は、現世を悪に丸投げすることだ。

そこには感動という世界があり、
それは現実と平行線である。
現実と交わらない。

*。
世界に感動という舞台を作り、
そこで感動し、
現実は悪に丸投げされ、
現実と感動が平行線になった。

     *。
ヨーロッパは悪を現実に取り込んだ。

西欧のかってのキリスト教は、
悪を皆殺しにさえした。

*。
それをしなかった世界は、悪と共存したのかも知れない。

善と悪を共存し、
分けて生きるようになったのだろうか。

これも最適の論理であろうか。

*。
西欧はこれを一緒くたにして、
共存する世界を作ったのかも知れない。

      *。
これも最適の論理であろう。

即ち、善悪を分けて最適化する世界と、
善悪を混合して最適化する世界がここに認識される。

*。
ここに弱者を餓死させる世界と餓死させない世界が分かれる。

弱者を餓死させない世界は、
それをする人を殺してしまう世界といえるのかも知れない。

*。
そしてこれを突き抜けると、さらに別の世界に進展する。

突き抜けないで、留まる世界は、餓死を当然とする。

餓死を突き抜ける世界は、
これをするものを殺してしまうといえるかも知れない。

*。
どっちも凄惨なことだ。

   *。
こう考えると、餓死するものを殺す世界は、
その次への進化があった。

餓死させる世界は、感動によって保護された。
即ち、感動とはトリックである。

*。
感動は、
それを作るために、
それを作る人々を、
悪と暴力で隠蔽し、
それを自由と正義と称し、
正当化する。

*。
その隠蔽合理化装置こそ感動であった。

人は皆繋がっている!

2009-05-30 05:53:45 | Weblog
いいことをする人も悪いことをする人も、
人は皆繋がっている。

人はその総体として繋がっている。

人は部分的に善悪をやっているが、
結局その総体が問題だ。

*。
人の善悪も、総体して受け入れれば、
何もないことがいい事となる。

その時、社会を皆が受け入れ、
それが統計的の極限だ。

    *。
これが平行線が交わる相対性理論だ。

多様性は、平行線が交わる、相対論で受け入れ、
異物排除の免疫は、平行線の交わらないことで受け持つ。

自我が拡張され、ベクトル化された。

*。
世界状況に合わせ、自己を適応させる。

このような可変自己が、世界を運動する。

それは不動点で表現されるが、
そこへの運動が問題だ。

   *。
若者たちが言う静かに落ちすいて暮らしたい。

これが不動点であった。

*。
文明はここまで成熟した。

それをさせない国家である。
もう国家の時代ではない。
国家が世界を破壊する。

*。
世界は人々を不動点にまで高める。

もう所得だの消費だの時代ではない。

     *。
生命は負帰還点に達した。

ここに生命の多様性が現れる。


外向性と内向性

2009-05-30 04:26:52 | Weblog
ヨーロッパと日本の違いは、外向性と内向性だ。

ヨーロッパは世界の問題を社会問題として捕らえる。
日本は自己の恍惚性を問題する。

問題を社会的に解くか、自分の中で解くかの違いだ。

    *。
アメリカや日本文学、その映画や音楽は自己の恍惚性が問題だ。

社会から引っ込み、
自分の中の恍惚度が問題だ。
勿論、そこのは家族や社会もあるが、それは直接問題ではない。

*。
ここに外向きの社会と、内向きの社会がある。

だがここに外向きといっても、
問題を社会として捉えることと、
ここに精神修養として捕らえることの間に、
共有できない部分がある。

   *。
問題を社会問題として捉えることは容易ではない。

問題が社会問題になるには、
虐げられたものは幸いである、
これを解読して、初めて社会問題になる。

*。
それのない世界では、社会問題は存在しない。

すべて自己修養の問題となる。

即ち、社会が悪いのは自己の問題となる。

*。
ここには社会共通するベースがない。

    *。
アメリカと日本の問題はこれだ。

アメリカにも社会意識はない。
個人とその恍惚性の問題だ。

*。
即ち、社会が悪党に丸投げされる。

これで一時発展したが、偽者だった。

その誤りの時が今だ。

文明は崩壊した。

*。
自分をいくら磨いても、自分だけのことであり、
社会問題にならない。

これが餓死させる文化の問題となる。

    *。
人を餓死させないためには、
社会としての取り組みが必要だ。

それが日米にはない!

*。
自己修行文化は、暴走する。

それに歯止めがかからない。

社会としての歯止めがない。

   *。
今頃これをどうするか。

餓死させない文化は、
それを社会がどう引き止めるかである。

*。
日本もアメリカも、
いい気持ちに餓死は憑き物だ。

日米は一人称衝動を行きていた!

*。
それが生存競争だ。

それがそれですまなくなったのではないか。

人類に永遠の灯火が灯った!

2009-05-29 05:53:59 | Weblog
人類は永遠の命を灯した。

それによって世界と自己とその運動の改善が必要になった。

*。
知性に自主性が与えられた。

知性が万人の検討を積み重ねられるようになった。

即ち、生命に生命が灯った。

これを不変式にして、人の命が紡がれるようになった。

      *。
世界空間が成立、
そこに自己空間が成立。

その間に運動空間が成立。

*。
異物排除の免疫空間は、生理系である。

平行線が交わる、
相対系は、いろいろの世界が交わる世界だ。

そしてされに位置と運動量の不確定性が生じ、
波動性と粒子性の交差する世界が来る。

これらが渾然一体となり、世界を運動する。

     *。
即ち、多重自我が現れた。

自我は単一ではなくなった。

沢山の自我が、運動し、その世界に対応する。
互いに不確定に消えるものもあり、
波動とか粒子として、残るものあり。

*。
複合自我系といったらよいのだろうか。

それそれの自我が、不変式を持って、現れる。

その不変性ことが、自己である。

自我の新しい表現の時代だ。

*。
国家の時代は終わりだ。

国家は天動説として消えた。

    *。
自分さえ変わる時代だ。

ここに自己不変式として、自己を表す。

ここの命は集約する。
そしてそこからさらに世界は展開する。

*。
自己を保存する自己、
それがないと自己はばらばらにある。

それでいいこともある。
それはこれからの問題だ…。

自己責任×自助努力は妄想である

2009-05-29 04:28:40 | Weblog
いい気持ちになれば、妄想でも許される。

この一人称衝動原理に検討が必要になった。
日本人はいい気持ちを限りなく求める。
いい気持ちになれば、何でも許される。

これが一億玉砕への万歳突撃原理だ。

      *。
虫の声を聞くことも、思わず人を殺すことも、
一億玉砕原理である。

いい気分原理主義だ。

     *。
これでまとまっていた日本だが、そういう時代は終わった。

飲む・打つ・買うをいい気持ちとしない人々が現れた。

それは一人称衝動であって、それを快楽としない人々が現れた。

*。
国を割ってまで、国民一丸主義は成り立たない。

お互いに尊重し合わないとやっていけない。

だがまだ国民爆発主義だ。

これに黙っていないで、反対することが必要だ。

      *。
それが自己責任×自助努力からの脱皮だ。

黙っていては、国家の言いなりとなる。

*。
国家に自己責任といわせることはない。

ましてこれをいい気持ちで聞く時代ではない。

国家が自己責任とは何を言ったのか。
国家にこれを言わしめる傲慢さこそが問題だ。

*。
国家が自己責任を果たせ。

国家は何様の積もりだ。

この傲慢さ、
これを許していい気持ちになる。

これが妄想だ。

      *。
いい気持ち原理主義は、国家の妄想を肯定する。

ここに問題があった。

*。
いい気持ちと妄想は違う。

この識別は国民の側の問題だ。

国家のパラドックス 支配と不支配

2009-05-28 07:48:00 | Weblog
支配は相手を言いなりにすることであり、
相手が言いなりにならないと支配は成立しない。

すると支配は、相手を言いなりにすることだ。

    *。
するとすべての日本人はウソつきだ。

その対偶を取れば、

すべての日本人は正直だとなる。

*。
するとその対偶を取ると、
日本人は正直か嘘つきのどっちかになる。

すると日本人は正直であり、嘘つきだとなる。
あるいは嘘つきであり、正直だとなる。

*。
すると日本人は正直であり、嘘つきとなる。
あるいは正直であり、嘘つきとなる。

この文章は意味がない。

あるいは、ウソも尽くし、正直でもあり、
両方が入って事が正当と成る。

   *。
これが正当の世界である。

つまり正直か嘘つきかに割れた世界は存在しない。

これが現実の論理であり、
ウソか正直に割れた世界は存在しない。

*。
つまり世界を支配することは、成立しない。

これを国家権力がやる。

つまり国家権力は現実にありえない。

*。
ここの国家権力のウソが割れた。

原則化するすべてがウソになる。

*。
国家は正直である、国家が言った。

このパラドックスを生きる国家であった。

国家はありえない話であった!

ここに支配とか自助努力というウソがはびこる。

自己責任と自助努力

2009-05-28 07:23:48 | Weblog
ウソは大きければ大きいほどいい。

自己責任と自助努力に自己管理、
これほど大きなウソになると、
ただもういい気分を超えて、世界のいい気分の原理となる。

誰が自己責任を問えるのか。
そんな人は世界中誰もいない。

ウソは多きけれが大きいほどいい。

    *。
過労死は自己管理の問題だ。

人に殺されることが、自己管理だ。
国家権力が、人と殺すことに、自己管理を問う。

どうしろっていうのか。

水俣はじめ、沢山の人々が殺された。

皆自己管理の問題だ。

   *。
殺されるこまで、自己管理の問題だ。

そうだ、日本人は生死を国家に問われている。

国家の意向でどうにでもなる!

これが国家の言いなり国民だ!

*。
自己責任で国家に責任を問われ、
自助努力で、自己の責任を問われ、
どうすればいいのでしょう。

何をやっても、お上の言いなりだ。

*。
ではお上と何者だ。

それが秀吉システムだ。

そこの入ればお上になれる。
かくして国を潰す。

そしてまた建てればいい。

    *。
だからお上と何物だ。

なんでもない人が、お上といっている。

それだけのことだ。

ウソは大きければ大きいほどいい。

日本人のパラドックス

2009-05-28 04:21:05 | Weblog
世界のパラドックスは、次のようになる。
すべての日本人は嘘つきだ、日本人が言った。

だが日本人の場合はそうならない。
すべての日本人は嘘つきだ。
いやいやすべての日本人は、正直だ。

ここに左脳原理が働く、
左脳原理とは、気分がよければいいのである。

世界とは論理が違う。

   *。
かくして気分がよければ何でもいいとなる。

これが日本人の情動構造である。
即ち、一人衝動である。

*。
人と殺そうと殺すまいと、
いい気持ちならいい。

ここにいい気持ちなら人を殺す論理も含まれる。
即ち、いい気持ちであれば、何でもでもいい。

    *。
日本人は、左脳原理主義持っていて、
世界とは振舞い方が違う。

脳みそがそうなっているからしょうがない。

*。
ここにお上原理主義が発生する。

お上の対偶は、クール・ジャパンである。
まったく違った文化が並存する。

極悪非道をお上日本の閉じ込め、
クール・ジャパンは神の世界に通じる。

    *。
これが絶対矛盾の自己同一化だ。

即ち、
善人なをもて往生をとぐ、いはんや悪人もや。

これが絶対矛盾の自己同一化する日本忍法である。

第二芸術論

2009-05-27 04:57:06 | Weblog
和歌や俳句は第二芸術論である。
日本だけに通じて世界に通じない。

今になってみれば、
角田忠信や月本章の研究で明らかだ。

日本人は虫の音を左脳で聞くのだ。

*。
我々は、先代の厳しい批判を受けて、厳しくしつけられてきた。

ここに結晶して来た、西田幾多郎の研究だ。
即ち、絶対矛盾の自己同一化理論だ。

ここに日本は合流して来た。

    *。
さてここに日本忍者のお出ましだ。

日本は世界文明の絶対矛盾を自己同一化する。
そういう宿命を負っている。

*。
日本人は、負帰還によって、人類に生命を与え、
即ち、負のエントロピ-を食べる文明を与えるのだ。