超人少年伝説

源氏物語千年 紫式部が突然現れ 紫式部氏思想を書くことになった

日本は妖怪である

2009-02-20 07:49:16 | Weblog
江戸期の狂歌産業は、
この世のさまざまを妖怪化し、
それを狂歌に消費することで、
この世のもろもろの悲惨を消し去って、
狂歌に変え、
その結果、狂歌産業に取り込まれた人は、
この世の凄惨を苦しむことなく、
化け物を拵え、狂歌で揶揄して、
暖かい幸福と感動に作り変え、
孤独と絶望を楽しく消費した。

これを今やっているのが村上春樹文学かも知れない。
世界にも日本の若者にも新しい刺激と充足を齎している。

*。
だが現実という奴隷と家畜の刑務所を楽しむのであって、
現実を向上することにはならない。

だが現代世界劇場で、
法治国家や産業文明を妖怪として、
これに狂歌としての、
柔道と忍術を仕掛ければ、
世界の混沌を安定化できる。

即ち、気持ちの狂歌を、現実の狂歌である柔道と忍術とする。

*。
かくして白人帝国を、楽しく面白く背負い投げ一本に仕留めることが出来る。

心でやれば狂歌、現実に体でやれば柔道だ。

*。
日本文化を現実に体で行うことになった。

自由貿易の対偶は 無力の殺人である

2009-02-20 07:12:04 | Weblog
構造理性に基づいて、対偶文を作れば、
世界の存在構造を認識理解でき、未来が予測できる。

*。
自由貿易と掛けて何と解く、
世界の破壊と弱者の殺害と説く、
心は、
悪徳白人権力を生きさせるために、
無力を死に排泄することである。

*。
アメリカの巨額財政出動と掛けて何と解く、
アメリカの自殺と世界の殺害と解く、
これは対偶文となっているので、
両者が現実に存在する。

  *。
世界は産業文明によって、
ファウスト博士の美しい悪の華に酔いしれ、
法治国家によって、
フランケンシュタインの洗練された死の舞踏に心ときめかせる。

これらは対偶文となっているので、
両者が現実に共存する。

*。
これからは対偶文を作れば、
現実の構造と世界の将来が読める。


**。
今回もまた我がスナイパーは的を撃ち抜いた。
神に栄光あれ。

有難うの対偶は バカ死ね

2009-02-20 06:37:56 | Weblog
一次元衝動は、対偶対称性を保存している。

優しさの対偶は残酷である。
両者は地続きであり、
或いは皮一枚で繋がっている。

暖かく優しいと掛けて何と解く、
その心は「バカ死ね」である。

これが日本人の人間関係だ。

*。
優しさと暖かさは、破壊と殺人衝動の裏返しだ。

バカ死ね、これが突出したいじめ殺しだ。
小学生から自ら進んでこのカリキュラムをこなす。

それが日本人への必修科目だから。
渡る世間は鬼ばかり。

だが皆ニコニコして、優しいのだ。
笑顔や優しさは、悪魔のお菓子なのだろうか。
それを食うと悪魔屋敷に引き込まれ、
奴隷や家畜にされ、畜生・鬼畜・餓鬼になる。

笑顔や優しさで人を釣り、食い物にする。
それの稼ぐ利益に比べれば、笑顔や優しさは安いものだ。
これが日本人のバランス感覚かもしれない。

    *。
感動と癒しの文芸で、すっかり出来上がってしまう。

感動に浸ると、すっかり自分がいい人になり、
その安っぽいいい人は、
自分を貶め、自分を悪党にするが分からない。

感動で一杯のいい気分は、悪いことが平気で出来る。

*。
感動は、自分を含む人の冒涜を強化でき、しかもそれを自覚させない。

感動と癒しは、人間性破壊を強化し隠蔽する。

*。
感動は、ニコニコして悪事を出来る人を作るのだ。

いい気持ちに酔っているので、
その人が悪事をやっても、それを知ることがない。

*。
この種の行動や発言が、中国人には、
ネバネバ、ドロドロ、ベタベタしたすっきりしない印象を与えるのだろうか。

中国人は、優しさと残酷を一体化した一次元衝動を脱出しているのではないか。

*。
日本人は、優しさと残酷を表裏一体化している。

中国人は、優しさに付属する残酷を分離してしまった。

これが日中の違いではないか。

     *。
優しさと残酷を表裏一体に持つのは日本人だけではないか。

だがこれが忍術と柔道の原因でもある。
そしてこれを分離するのが柔道と忍術でもある。

柔道と忍術は、優しさと残酷の一体系と分離系の切れ目に成立する。

だから柔道は世界展開できた。

*。
この柔道と忍術を使って、
バラバラになった世界を安定系にまとめる。

これが柔道の仕事である。

このように日本の立ち位置を定義できる。


**。
今回もまた我がスナイパーは的を撃ち抜いた。
神に栄光のあらんことを。

一人称衝動は認知症自閉症である

2009-02-20 05:27:07 | Weblog
一人称は「私」だけの一次元だ。
三人称は、あなたの二次元に、彼らを入れた三次元意識だ。

日本人の意識機構は、一次元、
世界の人々は三次元と見ると分かり易い。

一次元は点であり、
二次元は線であり、
三次元は空間である。

*。
精神障害者の特徴である、
今=ここ=これ意識が一次元衝動である。

精神障害者のあるグループは、
今=ここ=これに拘る。

「これ」が問題であって、
将来も他人も世界もない。

*。
認知症の特性は、
財布がない→お前が盗んだ→金を返せ。

お前という他人がいるようだが、自分の中の自分に敵対する自分だ。
すると統合失調症の構造を持つことが分かる。

お上論法で「問題は存在しない」ということは、
財布がないという発言と等価同型である。

*。
問題がないということは、財布がないということと同型で、
その変形が、問題は解決済みであるとなる。

ここに時間があるようだが、
時間のない時間である。

時間の中味が抜けている。
即ち空体時間、中空時間、全体なき部分時間であり、
それが「これ」時間である。

   *。
日本人の意識は、あるがないのである。
ないのかといえば、あるのである。

つまり触ることも、見ることも、検出することも出来ない。

*。
即ち量子力学の世界で、超感覚世界だ。

西欧のニュートン力学の現実感覚世界と共存するが、統一できない。

*。
あるかといえばなく、ないかと言えばある。

即ち、不確定性にあり、これが忍術の本質だ。

この一種がトンネル効果だ。
何もなかったように対象を筒抜ける。
一種の統合失調症現象だ。
それを実現した江崎玲於奈であり、江崎ダイオードといわれる。
又の名をトンネル・ダイオードだ。
不安定で使えない。

*。
財布がないということは、
相手を使って、金を出させることであり、
これが柔道だ。

財布がないということは、全プロセスとして、柔道忍術となる。
現在は一部にあって全体がないので、
認知症や自閉症や統合失調症となっている。

     *。
即ち、一次元衝動は、
西欧や世界にトンネルして入り、
つまり相手に分からずに入り、
相手をひっくり返すことが出来る。

*。
即ち、絶対矛盾を自己同一化できる。

これが西田幾多郎哲学だ。

これはニュートン意識と量子意識を統一したことでもある。
統一場の理論は、西田哲学として作られていた。

*。
現在この意識は精神障害となる。

即ち統一場の理論は、精神障害との共存系で、
現在の西欧には作れない。

日本人が作るだろう。

*。
それが人間人類の新世界だ。
これは日本人が一次元衝動だから出来ることであり、
その時世界存在は、東西対立を超えて、統一される!

*。
新世界は多様性の世界であり、
病気や障害と共存する世界だ。

日本はここに達していない。

世界を統一することで、日本は精神障害を脱出することが出来る。

世界統一は日本の使命であることが分かる。


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今回もまた我が狙撃サイレンサーは音もなく的を撃ち抜いた。
神に栄光のあらんことを。