超人少年伝説

源氏物語千年 紫式部が突然現れ 紫式部氏思想を書くことになった

幸福と感動は意識の歪みである

2009-02-21 07:59:25 | Weblog
意識が最適化されている時は、感動や幸福は現れない。

意識が欲求不満で歪んでいる時、
幸福や不幸や感動や退屈が表れる。

幸福や不幸を、春夏秋冬のように、
揺らす時、その全体を意識に作ると、調和が生まれる。

即ち、波動がいい音を出す時、
これが調和である。

これはメタ感動や幸福であって、
リアル感動や幸福とは違う。

生理的感情的感動や幸福と、
心や魂の感動や幸福は次元が異なる。

*。
衝動や感情をメタ次元に展開するには、虚数が必要だ。

それが心だ。

感情に占拠されると、心が異物排除される。

心を異物排除しない感動や幸福、
これが心だ。

  *。
心をなくした人は、畜生・鬼畜・餓鬼となる。

感動自閉症や幸福認知症という病に、
人類は地球規模で罹った。

彼らは褒めればパニックにならない。
叱るとパニックになる。

褒める訳に行かないことを褒め、
叱らなければならないことを褒めるしかない。

*。
これが快楽の悪魔のお菓子を食べた現象だ。

みんなで悪魔すれば、それが天国だ。

この罠に掛かった。

   *。
この罠からの脱出が、人間人類となるイニシエーションだろう。

感動や幸福の鬱蒼としたジャングルを天国と思っている。

感動や幸福のジャングルを、
間引いて日当たりを良くし、
風通しを妨げる枝を落とし、
水はけのいい森とする。

これに現れるメタ幸福とメタ感動だ。

*。
感動や幸福を整えないと、
それは感動と幸福を破壊し、
人と社会を破壊する。

現代人は、感動と幸福のゴミ屋敷を作っていた!

*。
そこにいて、それをやる人は感動し幸福であっても、
周りの人には迷惑だ。

これが感動と幸福のパラドックスだ。
これがゴミ屋敷騒動であろう。

   *。
面白いパラドックスがある。

国家に和合しない人を、迷惑ない人とし、
そういう要求を迷惑だとすると、
互いに異物排除関係となる。

すると強い暴力が国家を支配する。

これを迷惑だとさせない。

*。
これが異物排除の論理だ。

やっているものが正しく、
やられているものが間違っている。

これが神の立場に立って、異物を断罪リンチする、
即ち異物排除することだ。

*。
やっているものとやられているものが反転する。

即ち自分と他人が入れ替わる。

即ち、会社のために休んであげます。
即ち、国のために殺してあげます。

*。
国家が個人を支配する。
これが異物排除の原因にして結果だ。

お上日本はこの泥沼に落ち出られない。

強いものが最後に死ぬ。
死ぬ順序を争うお上日本だ。

それがグローバリゼーションでもある。

民主主義は負帰還装置でなければならない

2009-02-21 07:10:48 | Weblog
人の世界は対称性で出来ている。
例えば善悪、真偽、美醜である。

このような社会において、
集団は二つに分かれる傾向がある。

この関係を増幅部と負帰還部分に分けて、
これを統一するのが民主主義多数決である。

*。
この二つの部分が、統合されず、
互いに排除の論理にいってしまった。

これは民主主義の否定である。

その原因は民主主義精神がないからだ。

    *。
この例をお上日本に見る。

民主主義を排除の論理で使うのだ。

多数が少数を異物排除する仕組みとして、
お上日本は民主主義を使う。

民主主義は少数いじめ殺しの合理的システムとなった。

*。
民主主義体制は輸入できるが、民主主義精神は輸入できない。

日本は民主主義の形だけを入れ、
かくしてお上ファシズムを民主主義議会で行う。

*。
お上日本では、民主主義と資本主義は、
国家の強盗殺人組織となった。

西欧は愛を入れ、暴力を入れ、
この是正を図った。
これが民主主義精神だ。

日本には両者がない!

   *。
西欧以外の世界が民主主義と資本主義を入れると、
日本のようになる。

日本は自民党と社会党の負帰還システムを作り、
自動的に最適化を図った。

だが豊かになり、それ以上の豊かさを求めて、
日本は発振して、壊れた。

   *。
世界は日本の成功と失敗を学ばなくてはならない。

即ち、政治・経済・社会システムは、負帰還装置でなければならない。

*。
愛と正義暴力がないと、発振してしまう。

過度の豊かさは発振である。
即ち、自己否定と自己破壊である。

*。
民主主義と資本主義は、
市民的自由と政治的権利があって成立する。

これがないと強烈ファシズムになる。
アメリカもそうであった!

ゼロ次元自己 一次元自己

2009-02-21 06:21:00 | Weblog
一人称、二人称、三人称に応じて、
一元、二元、三元としたが、
数学本来の次元で論じてみよう。

ゼロ次元は点、一次元は線、二次元は面、三次元か空間である。

これで人間空間をシミュレーションすれば、
線が自己であり、
面が自他の世界であり、
空間が自己と他者と第三者を含む世界だ。

*。
すると人類は一次元自己にあり、
日本人はゼロ次元自己にあるといえるのではないか。

ゼロ次元自己は、無私無心の仏の世界といえる。
唯我独尊である。

*。
一次元自己は線であるから、無限の属性を持つ。
これは西欧的自己に対応する。

   *。
この数学シミュレーションでも、
日本人のユニークさが見える。

日本文化の自己は、ゼロ次元自己だ。
自己以前の自己にある。

*。
多くの日本人もまた、ゼロ次元自己、
即ち、人類の自己成立以前のプレ自己にある。

日本人の現実未生性、
ここにお上に言いなりになる人と、
神の世界を生きる人の分裂がある。

強いものとして、神を取るかお上を取るか。
この二種類が喧嘩闘争する場合と、
別々に生きる場合と、
一体になる場合の三つがが可能だ。

*。
即ち対立する場合と、統合する場合がある。

ここの絶対矛盾の自己同一化が可能となる。

*。
内に向かえば対立、外に向かうと一体化する。

この絶対矛盾を同一化した日本民族だ。

   *。
世界にゼロ次元自己を使うと、
それは忍術となり、
そこで運動すれば、柔道となる。

*。
従って世界にこっそり入って、世界を統一することが出来る。

それはゼロ次元自己というユニークな働きによる。

*。
今このユニーク性を使って、
お上日本からの脱出と、世界の統一を同時に行う時となった。

嘘つき産業論 合理性とはばれないウソをつくことである

2009-02-21 05:40:47 | Weblog
理論理性は消点であり、
それは仮想現実を作り、
それを現実に重ね合わせて、
現実が理論理性の記号で表され、
理論理性の消費を通し、
現実と仮想現実の境界があいまい化し、
現実と仮想現実の差異を消し去り、
仮想現実を社会や国家や産業の組織に変えた。

ここに自己と国家の脱人間化を、
人のやるべきこととして、
自己の世界の破壊と殺人を、
楽しく行い、ここに幸福と感動を感じるのだ。

*。
ここにウソ現実が発振発生し、
理論理性を嘘現実で書き行うことで、
ウソ現実が合理性をもって現れる。

かくしてそれが偽現実であることを認識理解できない。

ここにウソ現実が現実となり、
合理的にウソが本当となる。
これが理論理性合理性だ。

    *。
かくして合理性はウソによって金を結晶する錬金術となる。

即ち、権力は、合理的に金を騙し取り、脅し取る。

権力を生きさせるために、無力を死に排泄することは、
理論理性を消点として発生した。

*。
権力が無力を殺して生きる。

これが人が神を殺して、
人が神になるというウソであった。

ウソは泥棒の始まり、権力は、ウソだった。

    *。
権力がますます強くなれば、弱いものは守られる。

このウソは現実が実証した。

権力は無力を殺して食って生きる。
権力は人肉食いだった。

権力は快楽殺人集団だ。
権力は強盗殺人の愉快犯だった。

   *。
権力は弱者を、奴隷化家畜化する。

権力は弱者の哀しみを食って生きるのだ。

*。
権力は大GDPを作り、
弱者にその一部を食わせ、
それを食わなければ、生きられないシステムを作った。

即ち、合理性とはウソであった。

そのウソを暴けない理論理性だ。

   *。
善悪は神が作った。
そこを皆で共に生きるか、
強いものが弱いものをいじめ殺して生きるか。

どっちを取るかは人の選択だ。

*。
一部の強者支配か、弱者集団制か。

力を生きるか、知恵を生きるか。

今弱者集団が、強者依存から自立する時代となった。

*。
これをやった日本だ。
非西欧で西欧化し、
日本の知恵で西欧支配を討ち取りつつある。

日本国民がお上日本から自立する時、
お上日本も白人帝国も同時に克服される。