超人少年伝説

源氏物語千年 紫式部が突然現れ 紫式部氏思想を書くことになった

GDP症候群 いじめ殺し国家論

2010-02-28 07:19:54 | Weblog
GDP世界第1、2、3位は、弱者殺しの国だ。
人の生活の質でなく、経済の大きさを争う。
その国の生活水準を見ると、ひどく下位だ。

つまり金持ちが桁外れで、
数%の金持ちがほとんどの国富を所有する。
つまり強欲の国だ。
彼らをエリートと称する。

共通点は、権力が無力を死に排泄する国だ。

   
   *。
国富は、富の否定の肯定だ。

エリートは、非エリートの否定の肯定だ。

*。
アメリカはベトナムの共産主義の排除に行った。

ベトナムを虐げるアメリカは、実はアメリカ兵を虐げた。
他国を虐げる国家は、自国の若者を虐げる。

これが否定の肯定だ。
大日本帝国も、日本兵を虐げた。
他国を虐げる国家は、自国の兵士を虐げるのだ。

従って、戦勝国はありえない。
あればただの妄想だ。

*。
日本の低金利は、国民を虐げ、低生産性を演技する。
他国に虐げさせることは、自国民を虐げることだ。

これらはパラドックスである。

     *。
ここにパラドックスの解消という問題が認識される。

戦争にしても死刑にしても、パラドックスを作る。
それは何も解決せず、問題を発振させる。
支離滅裂を拡大増幅する。

*。
だがエリートは国家を滅ぼして金儲けできる。
そういう人間を育てる。

パラドックスの解消という問題意識がないと、どうにもならない。

これが世界最適化に向ける、人の意識でなければならない。

識字率の向上を超えて、知性の向上が問題になった先進国だ。

*。
パラドックスの解消が、人の生き方となった。

矛盾は パラドックスである

2010-02-28 06:26:55 | Weblog
矛盾は、対偶であり、対称性であり、パラドックスである。
する善悪は対称性であり、すると善悪は保存される。

いいことばかりをし、いい気持ちばかり取ることは出来ない。
善人が往生出来るのなら、悪人も往生できる。
これが対称性である。
それが世界の成り立ちだ。

善人は天国に往生し、悪人は地獄に往生するとは言うまい。
善と悪は、エネルギーの一つであり、これを操作は出来ない。
せいぜいそうした積もりで、地獄を作っていた。
現世がそれを検証している。

*。
人は善悪に成り立つ。

善けの世界を作る試みは、ことごとく失敗した。
現代は悪の帝国だ。

特に国家以外には暴力を振るわせない世界はひどいことになった。
国家が暴力となった。
これが悪の帝国だ。

     *。
戦争や死刑は、否定の肯定であり、暴力を否定する絶対暴力だ。

自由と正義は、自由と正義の否定の肯定でしかなかった。
これはただの暴力であった。

暴力を否定する暴力、それは暴力か暴力でないか。
証明不能。
即ち、国家暴力は、国家暴力は嘘であることによって成り立つ。

国家暴力は意味不明の支離滅裂現象であった。

*。
死刑や戦争は、「この文章は嘘である」現象であった。

ここに国家は発振し、支離滅裂を謳歌するのだ。
すると支離滅裂は、実存する。

人が平静であると、この支離滅裂は不要となり、実存も要らない。

*。
人は静かさを放棄した時、実存が必要になる。

    *。
人が安定している、即ち、静かである時は、実存はいらない。

人が逆上せると、実存が必要になる。
実存や現存在は、生を不可能にする死の可能性であった訳だ。

生は死の発振であった。
即ち、死は生を不可能にする可能性であった。

*。
こんな世界に現代は実存している。
実存は妄想でしかなかった。

発振していないことが安定性だ。

これが人や社会のあり方であった。

*。
発振は、生の否定の肯定であった。
ここから抜け出さない訳にはいかない。
ここに命を回復する。

命は、クール・ジャパンが保存していた。

トヨタは 雪達磨だ

2010-02-28 05:17:24 | Weblog
お上日本は恫喝と傲慢によって生きてきた。
無実死刑が横行し、一票格差五票が合憲となる。
これは司法・警察の恫喝にある。

お上日本は、私利私欲に耽り、わがまま放題をしてきた。
彼らに都合の悪いことは、恫喝と傲慢によって隠蔽してしまう。
これを世界に輸出してきた。

始めの内は、これがゼロ欠陥運動をもたらした。
これが低価格・高品質であった。

これが国家に転移し、国家がゼロ欠陥とされた。
これが恫喝と傲慢の隠蔽となり、それを世界に輸出した。

*。
アメリカにも隠蔽はある。
それと戦う人がいる。

日本は国を挙げて、恫喝と傲慢を輸出し、それを省みることがなかった。
不正を告発する人は組織から除外され、それを後押ししなかった。

これが日本ではすべてが冤罪とされ、その程度が違うだけの国家となった。

   *。
そして日本は恫喝と傲慢を世界に輸出した。

それで世界は隠蔽を許さないように、その常識を確立した。

日本が恫喝と傲慢を輸出した結果、世界は目覚めた。
世界は隠蔽を糾弾し始めた。
日本の隠蔽が、世界の隠蔽標準を上回ったからだ。

*。
どこにも隠蔽はある。
日本の隠蔽は、その標準をひどく上回った。

即ち、お上日本は、世界の悪を純粋培養して、その純結晶を作った。
そしてこの結晶を世界に入れて、世界の悪を浄化する。

*。
日本の悪は、世界の悪を浄化する。

日本は世界の隠蔽体質を浄化する。

    *。
トヨタは、恫喝と傲慢の雪だるまだ。

これが世界に善を呼び出だし、
この明るい光は、トヨタの隠蔽の雪だるまを溶かし始めた。

その結果、世界の隠蔽体質は、融解され、世界は見通し良くなる。

これが日本の世界的使命だ。

*。
即ち、日本は世界の悪を結晶し、世界の悪を融解する。
かくして、世界は浄化される。

日本は、世界の不良少年だ。
それは世界を目覚ませる。

太平洋戦争を、世界の最後の世界戦争としたいものだ。

虐げられたものは幸いである 神と出会うのだから

2010-02-27 07:02:20 | Weblog
虐げられたものは幸いである。
神と出会うのだから。

公害死、過労死、自殺、過激派・オウム真理教・通り魔…。
彼らは負のエントロピーを食べている。
これは神の祝福である。

世界の安定に、神の祝福を受けているのだから。
これらの現象を、エントロピーで読むと、彼らは神の祝福を得た人々だ。
彼らは神に呼ばれた人だ。

*。
彼らをエネルギー論で読むと、破壊者となる。

エントロピーで読むと、彼らは神に呼ばれた人だ。

いじめ殺される人は、神に直接呼ばれた人だ。
これが負のエントロピー読みだ。

*。
彼らは、矛盾の中の無矛盾だ。
彼らは純結晶だ。

神の魔法の絨毯に乗った人だ。
神に呼び返された人だ。

それを祝福しよう。
神を祝福することだから。

矛盾が生む無矛盾

2010-02-27 06:26:18 | Weblog
命題に矛盾がある時、命題は無矛盾である。

命題に二つの階型がある。
下位の命題に矛盾があっても、上位の階型で無矛盾になることもある。

これが絶対矛盾の自己同一性である。
いつでもこうはならない。

絶対矛盾に、ある核を入れると、無矛盾になる。
矛盾という溶液に、ある核を入れると、無矛盾の結晶が出来る。
そういう状態がある。

   *。
男女は絶対矛盾であるが、
ある核を入れると、無矛盾になる。

それが愛か、魂か、霊であろう。
階型が違う。
ここに相が転移するする場合がある。

それが妄想であることもある。
妄想でないこともある。
どっちつかずのこともある。

これがゲーデルの不完全性定理の深遠性であろう。

愛国心の意味 社会は国家ではない

2010-02-27 05:57:16 | Weblog
社会がなければ国家はない。
日本で言う国家は、例え話であって、実体ではない。
妄想で国家といっているまでのことだ。

国家は嘘である。
国家に民族は存在していない。
だから国家を在らしめるために、愛国心を用いる。

国を愛さないものは、日本人ではない。
ここに日本民族はいない。
ここに日本民族でない日本人が規定される。

愛国心は誰でも持っている。
自然階型の愛国心と国家規定の愛国心は、階型が違う。
ここにパラドックスが発生し、
そのパラドックスが作る愛国心は、意味不明となる。

これを強制する偽愛国心だ。
これは排除であって、真の愛国心を排除する。
これが激しい愛国心の意味だ。
そこに偽日本がある。
だから絶えず、真の愛国心を過激に排除する。

     *。
唯一絶対の愛国心は、愛国心の否定の肯定であり、
それは唯一絶対性の偽造である。
そこには日本民族はいない。

神の国は、偽造されたものであり、だから過激な排除がある。
そうしないと成立しないからだ。

*。
日本人の誇りは、この排除に成立する。
それは殺意であり、
日本を愛さぬものへの過激な殺意は、この排除に成立する。

その殺意は、排除されまいとする力であり、
それは排除する力の反作用である。

それは偽の愛国心の力である。

これが日本の実存である。

*。
普段の日本人は、実存しなくていいから、穏やかだ。

愛国に燃えると、日本人は実存となる。
それは排除されまいとする、過激な排除である。
それが実存である。

アメリカは トヨタに人体実験を要求した

2010-02-27 04:54:15 | Weblog
アメリカはトヨタに人体実験を要求した。
対偶を取る、
トヨタは電子装置に不備はないと突っぱねた。

その結果、公聴会もトヨタも最悪の決定をした。
現代は世界は悪の帝国支配であり、
人類は悪の帝国の餌食でしかない。
市民は彼らの人体実験の道具でしかない。

   *。
悪徳権力が勝利する戦略の組み合わせが必ず一つは存在する。
それは人々を悪徳のお菓子とすることである。

ここに現代世界の悪の帝国支配を確認する。

*。
電子装置には問題チェックのコンピュータがあり、
これも一般人には知らせていない。
このデータを下に、市民に故障を解析して示すことはない。

この秘密主義は市民は知らない。

ここにも悪の帝国支配がある。

     *。
フロアマットとアクセル・ペダルを交換すれば、急加速は起きないのか。
そのコンピュータ・データを開示させない。

公聴会もトヨタも、科学技術の現実で検証することをしていない。

即ち、現代は人を実験台にしている。

*。
悪魔の計算はなくならない。
それなりの誠実さが要求されるが、悪魔の帝国はそれをさせない。

*。
権力は市民への不誠実に成立している。
これが悪の帝国だ。

    *。
文章にすれば、どんな文章も書ける。
判決や調書でそれを誰もが確認している。
判決や調書は、ウソと書いただけなのだ。

これがゲーデルの不完全性定理だ。

*。
文章が本当ならば、現実で、検証せねばならない。

虚偽事件が発覚するのも、現実で検証するからだ。

ただの文章は、嘘の塊でしかない。
文章は、嘘や妄想、矛盾やパラドックスの塊でしかない。

文章と現実は、不確定性原理で遮断されている。
両者は無関係の関係にある。
これがゲーデルの不完全性定理だ。

*。
公聴会もトヨタも、嘘のやり取りをしただけだ。
現実での検証をしていない。

電子データはどこまで、現実を検証しているのか。

それを市民の人体実験で、示そうとしているのだ!

無矛盾は 妄想であり証明できない

2010-02-26 05:57:25 | Weblog
無矛盾は、言葉の上の妄想である。

無矛盾という言葉はあり、
現実で矛盾しているという言い方はあるが、
無矛盾ということは言葉の現象で、現実にそれに対応する現象はない。

言葉にあって、現実にない。
これが言葉の自由性だ。
言葉は現実にないことを書ける。

これが国家や文学…を生んだ。
それは妄想であった。

人類は妄想で、いろいろの事をなした。
それは人間の自由性であろうか。
このため現実が破壊された。

*。
気持ちいい妄想、
これは妄想であるから、現実に成り立たない。

この気持ちいい妄想を生きて、人は現実を失った。
即ち、統合失調症となった。

      *。
精神修養は、精神修養の否定の肯定を精神修養することである。

精神修養は、精神修養をしないことで存在する。
本来精神修養は必要ない。
それが命だ。

命を無くして、精神修養が必要になった。
それは無間地獄に嵌ったことだ。

いくら精神修養をしても、精神修養は達成されない。

    *。
自分の中に、自分が作った敵を作り、これを殲滅する。
これが実存であった。

偽の自己を作り、これを殲滅する。
ここには自分があるが、自分で無い自分を自分としている。
その摩り替わりは気が付かない。

ここに豊かな世界が出来た。
それが自己破壊であることは理解できない。

*。
自分を壊して作った豊かな世界。
それを感動を持って受け取る。

ここには命がない。

これがゲーデルの不完全性定理であった。

     *。      
現存在はヒトラーであり、実存はスターリンであった。

現存在も実存も妄想であった。
妄想であるから、それは現実の排除に成立する。

*。
ヒトラーもスターリンも、現実を排除する妄想であった。

ヒトラーもスターリンも、排除した現実の死体や化石である。

即ち、民主主義も市場主義も、排除した現実の生む妄想だ。
ヒトラーと民主主義は同質だし、
スターリンと市場主義は同質だ。

これらは対偶のパラドックスだ。
両方合わせて、パラドックスである。
意味がない。
即ち、支離滅裂だ。

*。
現代人は妄想の世界を生きていた。

その眠りから覚ましたゲーデルの不完全性定理だ。

トヨタのパラドックス=事故は嘘だった

2010-02-26 04:41:30 | Weblog
事故は嘘だ。
対偶を取る、
この問題は、アメリカ国民が日本の過労死労働を回避するために、
アメリカが望んでやらせたことだ。

*。
事故は人為か人為でないか。
証明不能である。

事故は人為ではないと、無矛盾に書ける。
だがそれは実証できない。
人為でない筈がないからである。

*。
この証明は簡単だ。
証明できるとする。

これは証明できるという文章と、対偶であり、
即ち、パラドックスを作る。

それはこの文章は嘘であると等価である。
するとこの文章は嘘である。
その嘘はこの文章にも成り立つ。
この文章自体も嘘である。

自分自身を含まないすべての集合は、自分自身を含むか。
この文型にすると、パラドックスが明確になる。
この文章は成り立たない。
意味不明であり、支離滅裂である。

     *。
トヨタの事故が嘘ならば、
国家も嘘であり、権力も嘘であり、文学も嘘であり、
政治経済も人間や人類も嘘である。

人は意味不明の存在である。
人は死体や化石であった。
ここに命はない。

*。
人は命を回復するには、言葉を使わないことだ。

言葉の全体は、意味不明であった。

    *。
トヨタ問題は、
フロアマットとアクセルペダルの改修で、
電子制御の不具合は、すべて完全に、解消するとなった。

それらの改修で、電子制御の不具合が起きない。
このように収束した。

*。
即ち、トヨタ事故は嘘であった。

この事実の現実での検証の問題となった。

*。
今迄は文章の無矛盾の問題であったが、
それは初めから無矛盾だ。

それを現実で実証する問題に変わった。

    *。
文章現象と現実現象は、不確定性原理で遮断されている。

文章と現実は、無関係の関係である。

*。
トヨタ問題は、文章の問題から、現実の問題に移行した。
即ち、電子装置の不具合を検証する問題となった!

*。
これがゲーデルの不完全性定理である。
ここに命は蘇る。

現実を生きる命が回復される。
今までは人は、死体や化石の文章を生きていたのだ。

排除は 排除である

2010-02-25 07:08:49 | Weblog
男は、女に自分とだけ付き合えという。
女は、男は自分とだけセックスしろという。

男は他の女を排除し、女は他の男を排除する。
排除は排除である。

*。
排除は排除しないことに成立する。
即ち、排除は排除である。

排除は、否定の肯定である。

*。
男と女は、排除に成立する。
即ち、パラドックスである。
即ち、支離滅裂である。

排除は自己の排除であり、ガンである。
或いは、自分の中の敵を排除する統合失調症である。

      *。
支離滅裂と合体は階型が違い、パラドックスである。
この階型の違いの合体が、男女の合体に滑り込む。

男女合体は、パラドックスのサーフィンである。
いい波に乗る。
それだけのことである。
次々にサーフィンする。

これを唯一絶対とすることは、妄想である。

*。
妄想で安心する場合もあり、しない場合もある。

何をやっているのだろう。
良いか悪いか。
証明は不能である。

*。
即ち、矛盾している時だけ正しい。
即ち、間違っている時だけ、正しい。

これが妄想だ。

正しく命する。
即ち、言葉を使わないことだ。

それはクール・ジャパンに保存されている。