超人少年伝説

源氏物語千年 紫式部が突然現れ 紫式部氏思想を書くことになった

日常と非日常の切れ目に起きる医療ミスなど

2009-02-25 07:04:47 | Weblog
自動車事故の裁判を聞く、
裁判になるくらいだから、殆ど死亡事故だ。

原因で言われることは、
床に落ちたライターを取りにいった、
タバコの火をつけていた、
ラジオのスイッチを入れていた、
ケータイを取りに行った時などだ。

これらは何百回もやっていたことだ。

そこに魔の瞬間が現れる。

*。
日常の中に、突然非日常が現れる。
これが魔の一瞬だろう。

どんなに注意していても、慣れて来てだれる。
あまり気をつけすぎて、平常心が奪われる。

人は事故親和性を持っている。

だが法は、不注意を許さない。

*。
一方殺された側も、不注意を許さない。

単なる不注意で殺される。
許せない。

被害者と同じ気持ちや生活になれ。

    *。
これが一人称衝動だ。

優しさと残酷は紙一重、いや一心同体だ。

どっちに転ぶかは、状況次第だ。

*。
日本人は状況適応性に優れている。

だからこそ不注意殺人が起き、
だからこれを極刑にする。

これは過激な状況適応性の表裏だ。

*。
過激な状況適応性が、事故を起し、
過激な状況適応性が、極刑にする。

制裁が事故事件防止になっていない。
いやそれを加速強化させる。

つまり発振している。
つまりやらせ状態にある。

*。
これで日本は手の打ちようのない状態になった!

   *。
先ず日本は、事故事件、犯罪狂気の発振を止めなくてはならない。

それには愛国厳罰は、発振要因にしかならない!

*。
日本人はよく生きようとして、悪く生きる。

つまり対偶に切り裂かれ、
対偶両者が発振関係にある。

この発振回路を切断することだ。

*。
つまりあまり一生懸命に生きて、
事故事件も一生懸命になってしまった。
即ち発振してしまった。

発振を止めることは一生懸命にならないことだ!

*。
平常心で生きろ。

一生懸命は平常心ではない。
一生懸命は自己否定・自己破壊・自己抹殺でしかない!


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