超人少年伝説

源氏物語千年 紫式部が突然現れ 紫式部氏思想を書くことになった

幸福と感動から安定と安心へ

2009-02-26 07:58:51 | Weblog
幸福と感動の対偶は、破壊と殺人である。

幸福と感動を求めた社会は、
破壊と殺人の共存するカオスを作った。

それは地獄であり、
思えば感動と幸福は悪魔のお菓子だった。

そこに得た悪魔の幸福であった。

人間の幸福は、悪魔の幸福に噛み付いた時、落としてしまった。

これが現代世界の構造である。

*。
源氏物語の紫式部思想は、
広く深く高くこの世を検討した結果、
普通が一番ですとの結果に到達した。

だが普通がよいことのなるためには、
普通でないものが必要であることを認識した。

皆普通では、何でもないことになる。
普通がいいとはならない。

    *。
普通を現代的に言ったら、安定だろうか。

それは不安定世界の安定だ。
即ち、生きることを生きることだ。

だがこれほど難しいこともない。
だが普通の人は普通にやっている!

偉くなろうとすると、普通は手に入らない。

どうも普通の心がある。
いやそれを普通とか心といっているようだ。

*。
これが生きること生きる世界だ。

これが絶対矛盾の自己同一化だ!

頭のいい人には普通ほど難しいことはない。
金や権力に手を出してしまう。

だがややっこしいことに、
こういう人も必要だ。

彼らの触媒で普通は安定する。
ただこれが多すぎると普通不可能になる。
これが現代問題だ。

*。
現代は殺人時代だ。
それが普通でない世界を普通にする繰り込みになっているからだ。

これに厳罰では、ますます普通不可能になる。

それがどうしようもないカオス世界を作った。
これは人の手に負えない。

戦争でご破算にするしかないのかも知れない。

  *。
幸福や感動は安心・安定・安全を破壊した。

安心・安定・安全こそ人の生きる世界だった。

幸福や感動は多すぎると、人と世界を破壊する。
求めずに得た幸福と感動が適当なのだろう。

文明と精神の成熟 生きるいことを生きる

2009-02-26 07:07:25 | Weblog
文明は成熟した。

経済など何時までも成長すればいいものではない。

経済成長の対偶は、社会と人の破壊だ。

何時までも身長が伸びればいいのではない。
どこまでも長寿ならいいものではない。

物事には適当があった。
それが対偶構造だ。

楽しく喜びをもって死ねるようになることが必要になった。

勿論長寿を目的にする人がいてもいい。
だがこういう人が多すぎると、
医療さえ受けられない人が出てくる。

長寿追求は、社会を歪ませ、
金持ちが弱者を排除する。

誰もが不幸になる社会を作った。

   *。
日本の登校拒否が現れた頃に、
日本は国家も文明も成熟していた。

精神の成熟、
それは生きることを生きることだ。

それが出来るのには精神の成熟が必要だ。

*。
最近、日本の若者は社会運動をしない。

死んでしまったのか。

だがよく考えよう。
登校拒否とフリーター、
引きこもりに非行・不良・犯罪現象、
これほど過激で激烈な社会改革運動はあるだろうか。

*。
日本は世界でも青少年の社会改革運動は、突出して過激だ。

これほど過激な反社会行為はあるだろうか。
これを反社会行為とする反社会国家がある。

日本は社会改革を精神障害とするのだ。
それはお上日本が精神障害であることに他ならない!

お上日本を打倒する社会改革を、内面でやっている。

   *。
新しい社会は、
生きることを生きられる人と社会だ。

日本は世界に先端を行っている。

*。
生きることを生きる人々には、
成功だの幸福、感動や癒しは雑音だ。
うるさいのだ!

感動や幸福を破壊する、生きることを生きる人々だ。
それが登校拒否とフリーターであり、引きこもり、非行不良現象だ。

そしてオウムや通り魔だ。

日本ほど過激に若者が社会改革をやっている国はない!


**。
今日もまた我がスナイパーは的を打ち抜いた。
神に栄光あらんことを。

妄想産業論

2009-02-26 06:15:56 | Weblog
現代は妄想の商品化を軸に、
民主主義と資本主義が自己完結している。

妄想原理主義の必然性は、
妄想の実践自身にあり、
資本主義や民主主義は規制しない。

*。
妄想産業は、
妄想を記号化し、モノ化し、
現実と妄想の境界を消滅させ、
妄想で現実を置換し、
妄想で人が生きられるようにした。

そこに感動と幸福があふれ出してきた。
だがそれはあると思えばなく、
ないようであるのである。

我々の意識を剥奪した。

だがそこに感動や幸福がある。
それはあると思うとなく、
ないと思うとあるようでもある。

一体何をしているのだろう。

何もしていないようで何かやっており、
何もやっているようで、何もしていない。

即ちそれが妄想だ。

*。
妄想産業は、個々の主体の意識を消去し、
社会の機能に作り変えた。

その結果、妄想産業に取り込まれた人々は、
自己と世界の破壊を創造的経済行為として、
葛藤を覚えることもなく、
楽しく消費し、
自己と世界の破壊に感動と幸福を見出すのだ。

*。
元を糾せば、理論理性こそは妄想であった。

消点を現実に設定した結果だ。

随分幼稚なミスとしていたものだ。
皆でお子様ランチを食べ、幸せを製造販売消費していた!

人類の脳みそこの程度だった。

もうお子様ランチはおしまいにしよう!

空想経済学 経済学は成立していない

2009-02-26 05:41:50 | Weblog
経済学・政治学・社会科学、
大学にそういう講座はあるが、
これらは学問として成立していない。

社会科学は白昼夢や空想・妄想の類だ。

空想や妄想をコピペして、
政治や経済や社会をやっていた。

要するに地球世界が、幼稚園だった。

現代幼稚園で子供が遊んでいた。
政治遊び・経済遊び・社会科学遊びに耽っていた。

金と権力遊び、
成功と幸福遊び、
この火遊びで、地球が燃え出した。

   *。
火事になれば水を掛ける。

経済が火事になった。
当然水を掛ける。

だが赤字という火事に、
財政出動をと言う水を掛ける。
これは火に油を注ぐことだ。

*。
今はっきり言えることは、
大恐慌は、ニューディール政策で解決しなかった。

ニューディールこそはヒトラーの招待状だった。

ドイツ・イタリヤ・日本こそは、
大恐慌をリセットし、
新しい世界経済を立ち上げた。

ドイツ・イタリヤ・日本こそは、
大恐慌の繰り込み理論だ。

*。
経済の仕組みを考えれば、
この動きが明快に解読できる。

戦争こそは、大恐慌のリセット手続きだ。

それで世界を壊し即ちリセットし、
新しい世界経済が始まった。

      *。
ここで見えることは経済は負帰還でなけらばならない。

経済には負帰還と正帰還がある。

大恐慌は正帰還経済の不安定性の結晶だ。

正帰還を掛けると権力が大儲けする。
それは大衆を殺して食うことだ。

*。
またしてもアメリカ経済は大恐慌をやってしまった。

それがアメリカの世界へのテロ経済だ。

*。
経済には負帰還と正帰還がある。
これを知っているとテロ経済をこのように解読できる。

世界が欲望に耽ったのは、正帰還を掛けたことだ。
かくして経済は破壊された。

  *。
経済や政治や社会は負帰還システムだ。

これに正帰還を掛けると社会が破壊される。

*。
政治や経済を初めとする社会システムは、
入力と出力のある入出力装置だ。

そして出力の一部は入力に帰還される。

*。
この時出力が増える場合が、正帰還である。

出力が減る場合が負帰還である。

負帰還はシステムを安定化し、
正帰還はシステムを発振させ、
自己否定自己破壊に陥る。

   *。
ここでいえることは、大衆とか無力とか言われる人々は、
経済や政治や社会の土台であることだ。

ここに立つと社会を安定に構築することが出来る。

この安定に社会を構築することが、負帰還である。
権力に立つと、不安定になり発振し、社会を破壊する。

   *。
この仕組みを理解すれば、
現在の世界の政府の財政出動は、
戦争の準備をしていることが分かる。

戦争で繰り込みを掛ける手続きをしている。

*。
戦争回避には、
悪徳企業を市場から排除し、
人類に基本所得を設定し、
これで負帰還システムを立ち上げ、
環境産業に産業文明を構築することだ。

これが正しいリセットであり、
現代は文明のリセット期にある。

*。
戦争にリセットを強行させるか、
人類が自己の意思でリセットするか。

それを決める現代だ。
国家権力にやらせれば、戦争になる。

国家権力はそれでも儲かるから。

   *。
世界の仕組みを理解して生きる大人の時代になった。

夢や希望の子供時代を終わって、
現実を認識し、しっかり対応処理する大人の時代となった!

まだ人類は知的に幼児だった。
エリートがいるから偉いことはなかった。
彼らもまた幼児だった。