権力と魂には不確定性原理が成り立つ。
権力は位置であり、魂は運動量である。
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発行部数や視聴率は位置の情報である。
人間性は運動量であり、位置の情報ではない。
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位置の情報は、時代が変われば変わり、忘れ去られる。
千利休や芭蕉や世阿弥は、人間性の運動量である。
彼らは権力に殺された。
即ち、彼らは権力の否定である。
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これが権力と魂の関係である。
証明終わり。
人類の終わり方を考えたらどうか。
楽しく生きる人々、多量殺人で一生を終える人々。
これらの共通点は何か。
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楽しみに逃れることと自殺に逃げる人。
結局、逃亡者の世界である。
自分の人生を無くした人たち。
快楽生活と殺人生活は、作用と反作用の関係である。
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誰もば生きることを失った。
これが工業生活である。
それは生命を失ったことである。
ベクトルは生命の否定の肯定である。
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これは結局、生命からの逃亡である。
それは生きることからの逃亡である。
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競争し、格付けし、その頂上と底辺の生活である。
これは差別化である。
これは共振し、これは人類の終わりを導く。
頂上と底辺が発振したのである。
人類は生命を失った。
証明終わり。
人間世界は、善悪や異常と正常に分けて存在する。
これがユークリッドである。
これがベクトルである。
人類は人をありのままに受け入れる。
これは非ユークリッドである。
これはスカラーである。
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西欧に逆らうものは悪である。
これが現代の論理である。
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グローバリゼーションは、西洋を善、逆らうものを悪とする。
これがグローバリゼーションである。
グローバリゼーションは人類絶滅装置である。
これが作用と反作用の法則である。
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グローバリゼーションは西洋を善とする。
ここにパラドックス・ホールが発生し、人類絶滅化が行われる。
西洋は死の文明である。
証明終わり。
ユークリッドで考えると、健全と不健全、正常と異常の分類となる。
これは交わらない平行線の論理である。
これは差別の論理である。
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人は生まれながらにして、差別排除する。
これが理性の立場である。
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この論理が人類の論理にならなかった。
人をありのままに受け入れよう。
それを理性は出来なかった。
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人をありのままに受け入れる。
これが非ユークリッドである。
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犯罪者を法律で裁く。
その結果、権力だけが、不問となる。
これが人類の失業と貧困をもたらす。
平行線論理が異常である。
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ユークリッドは差別と排除の仕組みである。
その結果、権力だけが生き残った。
これが現代の論理である。
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これは作用と反作用の関係を生み、権力は殺人となった。
これが現代の論理である。
証明終わり。
工業化はゲーデル違反である。
標準化し、大量生産し、これが人類生活となった。
そのメリットを享受した人類である。
工業化によるピーキングは、公害の原因となった。
これが作用と反作用の法則である。
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ここにゆとりのない競争が行われる。
アメリカのビッグ・インダストリーは、
日本の高品質低価格支配に対する反撃である。
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アメリカ産業は、多様性を保持した。
日本は低価格に固着した。
これがパラドックス・ホールになり、
世界標準になったが、日本産業を陥れ、次の産業成長に失敗した。
日本は近代化の罠に陥った。
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だが日本は職人の世界である。
これがパラドックス・ホールを克服することである。
証明終わり。
メディアは発行部数とか視聴率を争う。
日本では話題作りが目的となる。
おなじ人を使い回し、少数の人が話題となる。
ここに違う人が入ると、違和感が現れ、排除される。
この慣れが、特定の人以外を排除する。
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メディアはピーキング競争となる。
この競争がかえって全体水準の下げる。
これが多様性排除となる。
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これはメディア競争の水準を下げる。
これが聖徳太子ファシズムでもある。
国民が一丸となって、万歳突撃する。
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これで成功した経済成長であるが、
だが多様性排除は低成長の原因となる。
これが作用と反作用の法則である。
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日本はこの袋小路に陥った。
多様性こそ競争原理である。
エリート・システムの落ち込んだ罠である。
権力が権威を飲み込んだ。
これが日本にビッグ・インダストリーがない原因である。
証明終わり。
現代は決められない政治の時代と言われる。
それは死刑を廃止したためではないか。
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死刑廃止は、革命不能化である。
これが作用と反作用の法則である。
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ケネディの暗殺で、アメリカは警察国家となった。
これは作用と反作用の関係である。
死刑を廃止した国家は、革命不能となった。
これが作用と反作用の法則である。
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テロ不能化は、国家権力のテロである。
これがパラドックス・ホールである。
死刑廃止のEUは、進化不能化である。
日常の殺人と進化の殺人の同一化は、パラドックス・ホールである。
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進化不能化は、殺人廃止に同一化される。
これが精神病の時代である。
証明終わり。
革命は殺人に始まると言われる。
日本の三聖人、
即ち、千利休、芭蕉、世阿弥は権力に殺された。
即ち、大和魂は殺される。
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愛国日本は大和魂の殺人である。
憲法改正は大和魂の殺人である。
世界と戦争ができる国は大和魂の殺人である。
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これが権力の本質である。
即ち、権力を食って、魂は発芽し結晶する。
権力は殺人装置であり、キリストのように殺されて世界は変わる。
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交わらない平行線は、殺人で交わる。
これがパラドックス・ホールである。
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これはアジアの論理でもある。
権力は殺されて進化する。
これが現世の論理である。
証明終わり。
法律は人類を精神病にした。
法律は善悪を分離し、善を絶対化した。
このような善悪は存在しない。
それで意識を作れば、意識は妄想となる。
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ありもしない善を求めると、
意識は整然とするが、現実に適応しない。
即ち、意識は発振する。
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他人には絶対善を要求し、人の意識は崩壊する。
精神は発狂したのである。
悪を成しながら、他者には善を要求する。
自己は分裂した。
これが現代精神病である。
証明終わり。
東洋は非ユークリッドである。
善悪は交わり、悟りがこれを超える。
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日本では常識を規制したり、
一方、国家行為には過度に野放しにする。
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中国には法の支配を要求し、日本では野放しになる。
法が東洋を掻き混ぜている。
日本には人権はないが、中国には人権を要求する。
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日本の愛国心は、中国の愛国心を認めない。
絶対法は狂気でしかない。
こうして東洋は分裂する。
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理性化は東洋を分裂させる。
これで都合の良い方を取って、相手を誹謗する。
法律が都合で使われる。
これが聖徳太子ファシズムである。
これが国家同士が誹謗しあう。
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西洋では理性の法が規範化している。
日本では国家の都合で様々に使われる。
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日本では結局、愛国心が優先する。
愛国心絶対となる。
愛国心で、国家と国民が統一される。
愛国心は日本を発振させた。
この支離滅裂を生きる日本である。
証明終わり。