超人少年伝説

源氏物語千年 紫式部が突然現れ 紫式部氏思想を書くことになった

源氏物語解読 すべてを愛したらどうなるか

2009-02-12 08:04:20 | Weblog
源氏物語をこう読んでみよう。

光源氏はすべてを愛した。
光源氏はすべての女性を愛した。
あらゆることに愛を籠めた。

紫の上は神を愛した。

*。
その結果、光源氏は淫乱と言われた。

すべての女性を愛するとこうなる。

*。
紫の上は光源氏ただ一人に関わった。

すると何で光源氏と離婚しなかったかといわれる。
情けない女といわれる。

*。
すると光源氏と紫の上は人の両極端で、
その間に適当がある。

    *。
一方、光源氏は超美男で、天皇の息子で、超エリートで、セレブで、
この世のすべてを手に入れた人だ。

紫の上は光源氏の妻として栄華を極めたが、
自身の幸福が何一つがない人だ。
しかしこの世のものとおもえない美しい人となった。

神になったといっているのではないか。

ここにも両極端がある。

*。
即ち、紫式部は対偶構造で源氏物語を書いている。

光源氏は無限大、紫の上はゼロといっていいのではないか。

この世のすべてを手にした光源氏と、
神の世界に同一化した紫の上である。

*。
放蕩と純潔、豪華と清潔、悪魔と天使。
そういった世界を書いた源氏物語だ。

これが人の全宇宙のスペクトラムだ。
人はこの世界を運動する。

     *。
この人間運動空間に、特異点に落ちないように、
不動点を輝かせる世に生きることが人間だ。

源氏物語はそう総括出来るのではないか。

*。
すべての女性を愛した光源氏、
すばらしい人という人もいれば、
不潔という人もいる。

清潔な紫の上を立派という人もいれば、
情けないという人もいる。

*。
源氏物語はあらゆる人に自分を見せてくれる。

人間世界の真相を見せてくれる。

     *。
こう読むと多くの女性が出家することは、
天に帰るに、
心の垢を落とす、
即ち、心のお風呂に入ることではないか。

*。
男の汚されれた体を清めるという人もいる。

だが自分はどうか。
自分を探せる源氏物語ではないか。

自分はどこにいるのだろう。
いやどこのおくことがいいのか。

源氏物語はいろいろと使える。

文明は犯罪でありその隠蔽である

2009-02-12 07:20:27 | Weblog
文明や国家、宗教や道徳は、
犯罪装置であり、同時にその隠蔽装置である。

かくして犯罪が検出されなかった。

即ち、宗教や文明は完全犯罪装置だった。

その完全性は、完全犯罪の完全だった。

*。
理論理性は完全に騙されていた。
理論理性はその欠陥を見抜けなかった。

主語を展開した述語と主語に関わる述語の総体はことなる。

主語の総体は述語の総体ではなかった。
これは対偶理性をもって、これは総合的に理解される。

*。
主語と述語にヒステリシスがあり、
主語で到達した事態と、
事態を述語から見た世界は違っていた。

これを理論理性は同一化した。

初めと終わりは同じでも、プロセスの状況は違う。

  *。
主観と客観は不確定性であった。

主観に立つと、客観が失われ、
客観に立つと主観が失われる。

両方を重ね合わせることは、
第三意識を設定しないと出来ない。

これが構造理性だ。
理論理性に主観と客観の重ね合わせは出来ない。

主語は主語に関わるものしか見えない。

*。
従って、重ね合わせの出来る構造理性だけが世界を見る。

まして人造世界の真実は構造理性にしか見えない。

*。
理論理性は事実だけを見て、真実は見えない。

   *。
理論理性の作り見る、文明や国家、宗教や道徳は、
事実だけを見て真実が見えない。

ここの金はあるが心のない世界が出来た。

即ち、現代は満たされることのない心を作った。

即ち、事実でだけあって真実のない世界を作った。

*。
即ち、文明や国家、宗教や道徳は、
犯罪装置でありその隠蔽装置であった。


**。
今回もまた我がスナイパーは的を撃ち抜いた。
神に栄光あれ。

心とは負帰還の意識である

2009-02-12 06:33:08 | Weblog
感動や幸福は悪魔のお菓子だ。
これを食うと人は畜生・鬼畜・餓鬼になる。

大GDPは心の発振であり、
人から安心・安定・安全を奪い去り、
人を畜生・鬼畜・餓鬼にした。

*。
勿論人の心の栄養になる幸福や感動もある。

それは人を畜生・鬼畜・餓鬼にしないものである。

*。
その判別式は、負帰還になっているかどうかだ。

だが学問芸術では、心を発振させる。
それは心のまとまった人の特権だ。

学問芸術は先ず心を作らなければならない。

    *。
心の正体は、負帰還である。

知性や感性の負帰還状態が心である。

*。
感動とか幸福を固有値λとし、
平穏や静謐を固有関数ψとし、
すると心はHとなる。

Hψ=λψはシュレーディンガー方程式である。
これが意識の構造である。

これが心や自己との世界との関係性や運動性である。
ここに魂を結晶する人の生き方だ。

それは自己と世界の運動空間に不動点を作ることでもある。

*。
心は意欲増幅器と反省・洞察の負帰還からなる。

これは意識の内部構造である。

*。
自己は自己と世界に関係であり、
心は自己の内部構造である。

自己を展開しつつ世界に自己を実現する。

それに外部構造と内部構造があった。

人間が消えた 人間行方不明症候群

2009-02-12 05:55:32 | Weblog
次々に人間が消えている。
自殺、過労死、餓死、凍死、孤独死、虐殺…。

いやそれ以前に人から人間性が消えた。
人は人間の顔をした畜生・鬼畜・餓鬼となった。

殺し合いを生存競争といい、
強盗殺人を自由と正義という。

人間性を持った人間は殆どいなくなった。

   *。
成功と感動が悪魔のお菓子だった。

これを食って人は畜生・鬼畜・餓鬼となった。

悪魔屋敷では、人殺しくらい金になる仕事はない。
偉い人とはたくさん人を殺した人だ。

人は人殺し競争を生きている。
殺されるものは殺される宿命といわれる。

*。
何故ならこの世には人を殺して食う肉食人種と、
肉食人種の餌となる草食人種がいるからだ。

これは神の摂理である。

肉食人種は、かわいそうでも草食人種を食わなければ生きられない。

*。
肉食人種の到達した愛は、
草食人種を殺さないことではない。

   *。
肉食人種と草食人種は妄想であることを証明しよう。

*。
この世の肉食人種と草食人種がいるか。

いるともいないとも言えない。
決定不能であり証明不能である。

ただ一つ正しいことは、人は食べ物を食うことである。

*。
肉食動物が草食動物を食うことは無矛盾である。

従ってこの無矛盾は証明できない。

証明しよう。
この文章が間違っているとしよう。
すると肉食が草食を食うことは、矛盾となる。
即ち、草食が肉食を食うこととなる。

その矛盾は証明できるとなる。

草食が肉食を食うこととなる。

それは定義に違反する。

*。
結局、肉食人種が草食人種を殺して食うことは、
妄想であった。

肉食人種は、妄想性統合失調症であった。

以上はGoedelの不完全性定理で議論した。

  *。
以下ナッシュの均衡理論で証明しよう。

肉食人種が生き残る戦略は、草食人種を殺す戦略である。

人に肉食と草食はないから、この戦略は存在しない。

即ちこの妄想を実行するれば、それはガンとなる。

結局、草食を滅ぼして、肉食も死ぬ。

それ以前に体力を劣化するか、
草食の反撃につぶされる事もある。

   *。
西欧は、妄想性統合失調症であり、世界のガンであった。

*。
西欧を地球上で、
背負い投げ一本で打ち倒すのは、
非西欧で始めて西欧化した日本の仕事である。

それは太古の状態のマンモス・ジャパンにしか出来ない。

*。
マンモス・ジャパンにできないことはない。

絶対矛盾を自己同一化する能力を持っている。

*。
日本は触らぬ神に祟りなしであった。
これに触った以上、世界は変えられる。

*。
神はこの能力を日本ガラパゴス列島に温存していた。

地球にトラブルが発生した時、それを処理するためだ。

*。
こう読めば、イスラエルも太古の状態にあり、
西欧をかく乱したりまとめたりする触媒として用意されたものであろう。


**。
今日もまた我が狙撃サイレンサーは的を撃ち抜いた。
神に栄光あらんことを。