超人少年伝説

源氏物語千年 紫式部が突然現れ 紫式部氏思想を書くことになった

創造は現世と意識の切れ目に発生する

2009-02-14 07:51:47 | Weblog
創造は転換点に発生する。
風呂に入った途端、発見した人がいた。

大創造は意識が切れた時、
突然キラキラを見ることだ。

試験問題は、それを解いている時解ける。
創造性のない場合だ。

*。
幸福とか感動でもこれがいえる。

日常の中での、幸福や感動は、
幸福や感動に違いないが、幸福や感動ではない。

幸福や感度にも魂や心が震えるようのものがある。
殆どの人はこれを知らない。
それを知らせるのが真の教育だ。

現代は真を知らない、偽の時代に入ったことが分かる。

*。
求めて得られた幸福や感動は、贋物だ。

求めず突然与えられる感動と幸福が本物だ。

  *。
私の場合も、15歳から研究を始め、
全宇宙のスキャニングを無数に行い、
結局50数年何も得られなかった。

これで人生お仕舞いか。
こんな人生もありか。

自分が悪い訳じゃない。

*。
そう思っていたら、突然紫式部に出会った。

源氏物語、日本の世界文学だ。
何が書いてあるのだろうか。
とにかく一度は触れとおこう。

古典講座、源氏物語、三田村雅子。
録画しておいた。

牛車争い、三田村さんの少し甲高い声が、
弾んでいた。

突然、源氏物語の紫式部思想の全貌が見えた。

驚いたことに自分の考えと同じだった!

*。
自分の一生は何もしない一生だった。

この時自分のスケッチは終わっていた。
即ち、研究は終わり、これからまとめる段階に入ったのだ。

即ち、意識の切れ目が出来た。
この切れ目にキラキラが現れた。

*。
自分の一生はこれで終わりだ。

この時、新しい世界が生まれたのだ。

かくしてここに構造理性などが結晶した。

*。
つまり溶液を作る時代と、
それに結晶の核を入れる時代。

ここに切れ目がある。
溶液を作るのに50数年掛かった。

そして今結晶をいじくる楽しい時期に入った。

*。
こういってもいい。
50数年の間、
世界に存在する極微量の光を、
無数に積分した。

そして50数年して、その光を目に見えるまで大きくした。

*。
下村脩さんの話にある。
イクリオンは一匹のクラゲに、10万分の一グラムしか入っていない。
そこからイクリオンの結晶を作った。
一生に採ったクラゲは85万匹だ。

*。
きらきらは意識に切れ目に咲く花だ。
それを咲かせるには、無限の積分をしなくてはならない。

人の一生は能であり、
意識の切れ目にキラキラが発生する。

日本文化の構造 柔道とは対偶にひっくり返すことである

2009-02-14 06:49:16 | Weblog
支点があれば、地球を持ち上げて見せる。
当たり前のことだ。
何を威張っているのだろうか。

だが柔道は、自分を支点にして、相手の力を持ち上げる。

西欧理性は、支点があれば世界を持ち上げる空想に耽った。
それはそれなりの産業文明を作った。
だが支点がなかったので、
公害に沈没した。
自分が地獄に落ち込んだ。

*。
日本文化は、自然に柔道と忍術をしていた。

これはお上日本が極悪非道を引き受けたために、
その対偶として出来たことでもある。

即ち、日本知性を支点に、
お上日本を弾き飛ばして、日本文化を作った。

   *。
西欧理性は地上の宮殿であり、
日本知性は地下迷宮であった。

お上日本をひっくり返して地下迷宮に入れた。

*。
即ち、西欧理性はニュートン力学であり、
日本知性は量子力学である。

西欧理性は見ることが出来、触ることが出来、書くことが出来る。

日本知性は、見ることが出来ず、触ることが出来ず、イメージできない。

*。
だが現世はこの両者からなる。

今この両者のコンプレックスが展開され始めた。

西欧は実数、日本は虚数といえる。
それらが複素数となって、新しい世界が始まった。

*。
虚数は現実にない。
即ち、忍術である。
実数には見えない。

虚数と虚数を掛けると、実数になる!
これが柔道だ。
即ち、相手の力で相手を倒す。
相手は何が起きたか分からない。
突然現れる。

*。
即ち、アメリカに平和憲法を作らせ、
日本ばかりかアジアを守らせた。

アメリカに忍術して潜り込み、
柔道でこちらの思いを実現させた。

アメリカは日本を使用人と思い、
日本はアメリカを使用した。
これが忍術柔道だ!

*。
新しい時代は既に始まっていた!
誰も知らない道理だ。
日本人さえ分からなかった。

やっと日本を解読できた来た。

殺される その対偶は 魂になる

2009-02-14 06:05:42 | Weblog
日本ではお上は自閉症であるから、
叱ると大暴れするので、
殺してくれて有難うという訳だ。

おかしな話だ。
だが日本文化においては、
日本文化はお上日本の対偶であるから、
殺されることは、その対偶の魂になることだ。

情念を主人公とする幽霊劇の能において、
殺されることは殺したものを物の怪として襲う一方、
人は魂となって天空に帰ることだ。

*。
現世御利益主義には、これは誤りとなる。

心を生きるものには、
現世の不条理に殺されることは、
自己に過失はないから、
天に呼び返されることだ。

文句言わない道理だ。
心の底では喜んでいたのかも知れない。

自分で魂になることは容易ではないが、
お上に殺されると容易に魂になれるのだ。

*。
現世と天空の切れ目、
ここに追い出されると魂になる。

源氏物語で多くの女性が出家したことは、
現世と天空の切れ目に出向き、
天に帰る幽霊劇、
即ち能を演じることだったと分かる。

*。
日本文化は現世に拘っていない。

現世に拘るものは、とにかく死にたくない。
まして殺されることは許せない。

これは殺したものは殺せの大合唱だろう。
これが悪党の自白証拠であろうか。

*。
日本文化人は死を怖がらない。

天に帰ることであることを知っているから。

文学は魂を開ける扉である

2009-02-14 05:11:54 | Weblog
「アラブ、祈りとしての文学」岡真理

パレスチナでパレスチナ人が虫けらのように殺される時、
文学に何が出来るか。

文学などで命を救えない局面にいる人こそ、
その魂は文学を必要とするのだ。鴻巣友季子

*。
最近われわれもアラブと同じ体験をした。

小林多喜二「蟹工船」においてだ。

日本で日本人が日本人によって虫けらのように殺される時、
文学はその魂を天空に放った。

*。
日本人が哀しむ時、
無数の鶴の花嫁が天空を真っ白に染めた。

  *。
こんな時残酷なことを言うのだが、これは自己満足だ。

これしか出来ない人には、魂になることであっても、
この世に生きるものとして、これを許してはならない。

*。
弱者には、現世と天空の切れ目に、キラキラすることだ。

即ち、能を演じた。

だが弱者全員でこれをこれをやることが出来ないのだから、
生き残るものは、強者を抑えねばならない。

*。
構造理性こそは、白人天国を打ち破った。

即ち、自由と正義は強盗殺人である。

もう新しい時代が始まっている。

哲学こそは、魂を殺させない方法だ。