虫干し映画MEMO

映画と本の備忘録みたいなものです
映画も本もクラシックが多いです

ロバート・ワイズ監督訃報、ロビンソンの家、インファナル・アフェア、電流計

2005年09月15日 | 日記・雑記
 今日のニュースで一番はやはりワイズ監督の訃報。「サウンド・オブ・ミュージック」「ウェストサイド・ストーリー」の監督、という記事が多かったが、ワイズ監督は、ミュージカルの出来も最高な、守備範囲の広い素晴らしい監督だった。ワイズ監督作品では「深く静に潜航せよ」「アンドロメダ…」「地球の静止する日」「砲艦サンパブロ」なども絶対忘れてはいけないラインナップである。
 今までの活躍と成果に心からお礼を申し上げ、ご冥福を祈ります。

 もう一つニュースから。
 デフォーの「ロビンソン・クルーソー」のモデルになった漂流者セルカークの小屋跡が発見されたらしい。現地へ行けるわけじゃないけどサバイバルものファンとしては心が躍る。別にだから何だということは何も無いが。
 エキサイト記事

 昨日は「インファナル・アフェア」を見ていたのだが、「チョコレート工場」のジョニー・デップはファンだけど、けっこう冷静に見られた私なのに、最近トニー・レオンを冷静に見られないなあ~と実感。あの薄汚れてなお不潔感でなく悲壮感でもなく、哀愁を湛えているトニーを、ただ見つめたいと思ってしまう私。トニー・レオンの映画は、特に時代劇じゃないのは、しばらくの間こっそり見ることにしよう。

 電流計って、一般家庭に普通においてないのでしょうか?うちでは電池は電流計で残りを確かめて、それから捨てるなりあまり強力でなくても済むもの用にとって置いたりを決めているので、みんな使ってます。電気設備の修理の人がちょっと足りないものがあると買って来たのが簡易型の電流計。びっくりして我が家のいつからあるのか既に不明な普通の電流計を出したらがっかりしてました。
 そのほか、友達がうちに来て「こんなものがある」と驚くのが、理科年表とハンダゴテ。お宅にはありません?

打ち上げ花火、下から見るか? 横から見るか? (1993/日本)

2005年09月14日 | 映画感想あ行
監督: 岩井俊二
出演: 山崎裕太   ノリミチ
    奥菜恵   ナズナ
    反田孝幸   ユウスケ
    小橋賢児   ジュンイチ
    ランディ・ヘブンス   カズヒロ
    桜木研人   ミノル

 夏休みの登校日の夜、海岸では花火大会。
 ユウスケとノリミチは、クラスの美少女ナズナに告白しようかどうしようか、せっつき合っている。プールでナズナがユウスケを花火に誘うが、ユウスケはクラスの仲間たちの「花火を横から見ると丸いか平べったいか見にいこう」という誘いに乗る。

 あの時もし僕が勝っていたら… 「もしも…だったら」の時間の繰り返しのある一種ファンタジー。そうでなくてもとってもセンチメンタルでちょっと気恥ずかしいようだけれど、掃除の最中に発見したおもちゃ、子どもの時期に無しでいられなかったおもちゃに、過ぎてきたある一時期を蘇らせてくれるような感じがする。
 短い。たった45分のドラマだが、詰まっている。
 思春期入り口の、男の子と女の子の大人になり具合の差とか、性別を大人としての目で意識するか、子ども時代の好き感情の境目とか、その時期のたゆたう様な少年の思いを綴った短編小説のようだ。
 少女に向ける目も、同級生としての感情と大人への道を少し先へ行った者に向けるまなざしとが混じる。

 小学校最後の夏休み。冒険。花火。変化の予感。果たされない約束…
 私はこれを小説を読むような感覚で見たが、これはこの時期が過ぎ去ってしまった男の人のノスタルジーをたまらなく刺激しそうだ。

 残念だったのは、奥菜恵が顔が変わらないので、今のイメージが重なりすぎてしまったところ。彼女の結婚前に見ておくべきだった。

チャーリーとチョコレート工場 (2005/アメリカ)

2005年09月13日 | 映画感想た行
CHARLIE AND THE CHOCOLATE FACTORY
監督: ティム・バートン
出演: ジョニー・デップ  ウィリー・ウォンカ
    フレディ・ハイモア  チャーリー・バケット
    デヴィッド・ケリー  ジョーじいちゃん
    ヘレナ・ボナム=カーター  バケット夫人
    ノア・テイラー  バケット氏
    ディープ・ロイ  ウンパ・ルンパ
    クリストファー・リー  ドクター・ウォンカ

 ロアルド・ダール作の世界的ロングセラーの映画化。
 両親と4人の祖父母と暮らす貧しいチャーリー少年は、十数年も誰も足を踏み入れたことのない謎に包まれたウォンカさんのチョコレート工場へ招待される五枚のチケットの一枚を引き当てた!

 これはこれで、バートン監督らしいといえばそうなんだけど、すいません、ちょっと肩透かしを喰った感じです。
 ティム・バートンは素敵で不思議な悪夢を見せてくれる名人なので、ブラックな味わいと喧騒を感じさせるようなイメージに満ちた、でもセンスのすごくまっとうなダールの映画化だったらさぞかし…と期待しておりました。「ビッグ・フィッシュ」では悪夢でなくて針小棒大ほら話しみじみ路線で、これも泣けていいなあ~と思っていたのです。それなのに、この映画では、ずれた感じがしてしょうがないです。
 チョコレート工場はなかなかのものでしたが、贅沢言っちゃうけど、バートン監督だからこそ期待した驚きが少ない。ジョニー・デップの白塗りのウォンカさんは、その足が地に付いて無さ加減がぴったりだと思いますのに。

 個人的な制約条件として、ロアルド・ダール好き、特に皮肉が生きてるところが好き。それに、ウォンカさんのまるで湧いて出たような常識とかの外で生きてる物語中人物度100パ-セントなところ、この人が言えばなんでもありうる感が好き。
 ダールの小説は、ブラックでシニカルだけど、「自分ではどうにもならない苦しい状況」の中で(子どもは生まれる場を選べない!)必死にがんばる子どもの心を救うものなのだ。だから反面、恵まれた環境を当然として増長したり怠惰な子ども、大人としての当然の責任を果たさないものへの扱いは厳しい。
 でもその理不尽が普通にまかり通るのが社会で、それを正すのは不思議パワーだったりする。
 そういう意味で、ウォンカと父のエピソードはその存在の不思議さを薄めるようで私にとっては邪魔だった。以前のメル・スチュアート監督、ジーン・ワイルダー主演作では、チャーリーが父親なし設定で、ワンカさんが父親役になるというものだったし、原作はともかく「父と子・家族」に持って来易いストーリーなのかもしれない。しかし今回はウォンカ自身の父親との和解に持ってくるとは…「ビッグ・フィッシュ」といい、バートン監督は父子関係にトラウマでもあるのだろうか? 

 結果的に、前のジーン・ワイルダー主演の方の評価も上がってしまった。あの「ウンパルンパソング」強烈だったもんね。ああいうのがあるだけでも星が増えちゃう。この映画はダニー・エルフマンさすがだとは思うものの、あそこまで頭にこびりつくものではないので。でも、ダールのリリックに曲がついてるのはそれだけで嬉しかったなあ。

選挙と、映画行き損ねと

2005年09月12日 | 日記・雑記
 自民党の歴史的圧勝ですか。
 勝つだろうなとは思っていましたけど、ここまでとは全然思ってませんでした。
で、考えるのですが、これが民意というものならば、小泉首相勝ち逃げせずにこれから4年間政権担当すべきではないでしょうか。
 私自身は、小泉首相のように物事を単純化・スローガン化するタイプは好きではありません。郵政についても、財投は問題だと思わなければどうかしてるというものでしょうが、郵便の公共サービスとしての側面についてはまったく浅薄な議論しかしてないと思います。
 ただ、これだけ改革への国民的期待がある以上、ちゃんとそれにこたえるのが筋ですよね。これで4年後さして変わらないなんてことになったら、どうするのでしょう。他の改革も、今のところなんとなく腰砕けですけど。

 それはさておき、今日は「チャーリーとチョコレート工場」を見よう!と朝から必死に働いていました。台風以後ドライエリアの水が引かないとか、駐車場の草がぼうぼうとか、とても肉体系のお仕事が多かったのですけどがんばって何とか片付きそうになったというときに…
 重~~~い資材見本カタログを足の上に落っことして!
 痛いです。明日も痛みがひどくなるようなら医者に行ってレントゲンとらなくてはいけないでしょう。どじです。明後日には何とか見られるでしょうか。でも「ランド・オブ・ザ・デッド」も見たい。「マザーテレサ」も出来れば見たい…

すべてのまぼろしはキンタナ・ローの海に消えた/ジェイムズ・ティプトリー・Jr.

2005年09月11日 | 
越川芳明訳
ハヤカワ文庫 FT

 メキシコのユカタン半島のマヤ族は、メキシコという国にも属している意識は希薄だろうほど独立心が強い。しかしそんな土地でも、アメリカ資本の進出で否応無くその波に喰われようとしている。そこでのアメリカからやってきたグリンゴ(現地の人がその地に住んだ白人をいささかの軽蔑も含めてそう呼ぶ)を語り手とした幻想譚3篇。

 ジェイムズ・ティプトリー・Jr.というのも、伝説的な作家で女性だが男性名でデビュー、その文体がもっとも男らしいともいわれてしまった人である。私は翻訳でしか読んでいないので文体を云々することは出来ないが、翻訳で読む限りではきびきびしているが、特に男性を感じるということは無い。でもこれはすべてわかってから読んだ人間の感想なので、そういえば…といえば、何でもそうなってしまうだろう。
 これは、SFでなくファンタジーで他のティプトリーの作品とはかなり違った印象。訳は他にも訳のある朝倉さんなので、きっと原文の違いが反映されているのだろうと思う。

 語り手の地位の特殊性がいい。
 その土地に愛着を感じ、ある程度は受け入れられているけれど、決して溶け込めない、あるところに引かれたラインを土着の人びととの間にお互い意識しながら、でもそこを離れられない異邦人性がこの幻想譚に妙なリアリティと深みを加えていると思う。
 その怪異に出会うのは彼でなく、アメリカに根拠地を持つ、ここには短期間尋ねるアメリカ青年だったり、現地のベテランの海の男だったりするが、立場の微妙な彼だからこう語るという気になる。

 海の色、ロブスターの行列、カウチの上のトラなど、不思議で美しい描写も多く、不思議なところへ連れて行ってくれるには違いない小説なのだが、幻想世界訪問後の一種独特な開放感と一緒に、この本の読後感として強く、それも非常に強く残るのが「物質文明の自然の収奪」の収奪の凄まじさ。そしてとてつもないものを秘めた海の大きさ。
 三篇それぞれにエピグラムがついていて、実に内容に響き合うもので、再読時の味わいも一層深くなる。

 解説には彼女のCIA経験と、それが彼女の作家としての特色を形作ったみたいなことも書いてあります。まあ、そうかもしれないですが、ラテンアメリカというところがアメリカの棍棒外交の蓄積みたいなところであるし、特にこの作品に関連付ける必要はあるかなとは思ってしまいました。

奥さまは魔女 (2005/アメリカ)

2005年09月09日 | 映画感想あ行
BEWITCHED
監督: ノーラ・エフロン
出演: ニコール・キッドマン    イザベル/サマンサ
    ウィル・フェレル     ジャック/ダーリン
    シャーリー・マクレーン      アイリス
    マイケル・ケイン    ナイジェル

 魔女のイザベルは、人間の生活をしたい、恋がしたいと魔法界からやってきた。片やジャックは落ち目の映画スター。出る映画コケまくりでテレビシリーズ「奥様は魔女」リメイクで盛り返そうと考えている。自分の引き立て役になる無名の相手役を探していたジャックは、町で偶然イザベルに出会い、「魔女の役をしないか」ともちかける。

 見たような気はするのだけれど、全然記憶に無い番組「奥様は魔女」 そのままのリメイクでなく、リスペクトがたっぷりです。
 どんな役でどんな人が何をやっていたのかが、全国区で了承済みの大ヒット番組だったのですね。主演のエリザベス・モンゴメリーは私はクッキーかなんかのCMの記憶が一番はっきりしているのですが、さすがに全盛期の美しさはニコール・キッドマンのぶりっ子よりも自然に奥様らしくて素敵。
 とってもライトなコメディで、ほんとに気楽に笑えました。シャーリー・マクレーンの正体を最後まで明らかにせずに、そうだろうな、というところで終わらせたのもなかなか粋だと思います。
 いささか辛いけどキッドマンの「ぶりっ子」演技もそこそこ面白かったし、シニアカップルはきちんと抑えるところ抑えていたし、そこは良かったけれど、ウィル・フェレルがダメだった。
 これは私の男のカワイゲの感じられる範囲がこの映画の制作陣と違うということだと思うけど、落ち目のマッチョスターだったら、「頭の中身はカンチガイの筋肉質の美男」がいいな、と思うので、ちょっと前のパトリック・スウェイジのコメディセンスでとか、そうでなければヒュー・グラントみたいなきれ~なダメ男をシニカルに笑わせてくれる人だったらどうだったろうかね、なんて考えてました。

 この映画のキッドマンのレトロファッション、好き!
 シャツとぴったり加減のカーディガン、いや、ウェストから下の長さが全然違うけどやってみようかな、と思っちゃった。

性の実験/我妻洋

2005年09月08日 | 
文春文庫

 これもページが黄色くなりかけてる本。第1刷1985年、単行本発行が1980年。
 エイズ以前のそれまでのピューリタン的な性道徳一色だったアメリカの性意識・行動が変革していく様子を、実際にその地での長い生活体験に基づいた深い洞察に基づいた性についての文化論。
 ベトナム戦争とウーマンリブ、何よりも社会構造の変化によって社会全体で共有されていた伝統的なキリスト教価値観が不安定になり、またアメリカ本体の「個」の独立の強調と、人間の評価が「どんな役に立つか」という市場性志向が強くなった反動としての「人間らしく」というヒッピームーブメントなどのなかで、当時行われていた性の実験を丁寧に描写している。
 第2章から7章までの婚前交渉、同棲、婚外性交、スウィンギング、オープン・マリッジ、グループ・マリッジで統計や当事者の声、また図解など著者自身の分析がとてもわかりやすい。
 今の時点では、これがそんなに画期的だったのか、とか思う事象もあれば、グループ・マリッジやオープン・マリッジは坂口安吾じゃないけれど、人間の本性に反してないかと思う。嫉妬は自分でコントロールできるようなものではないから。著者自身もセックスパートナーを複数共有することの困難さを指摘し、性関係を中断したカップルのほうが生活の伴侶を続けていけるかもしれないと述べている。

 ・・・そして今はどうなったのだろう。
 今文化的に性を分析するにもエイズを抜きには出来ないし、太平洋の対岸で見ている限りでは、処女性の価値もゆり戻しつつも元には戻れないような気がする。それに20世紀のウーマン・リブは、その現象が一部でどんなに浅はかに見えてもその影響力は決定的で、リブ以前とは口に出来る事柄がまったく変わってきている。
 それでも、この本を読んでアメリカ人のパワー信仰は今に同じだと思うし、その何事にもじつに真面目に取り組む、読んでいるほうではその真面目さに悲喜劇を感じてしまい、これがアメリカというものであろうかとしみじみ思う。

 最終章で引かれている孤独な独身者の言葉は今現在のものだと言ってもなんらの違和感は無い。
「誰でもいいからしっかり抱きしめていたいんだな。誰かと体と身体をくっつけていたい。セックスとは違うんだ。これはもっと感情的なものなんだ。女の子を抱きしめると心が温かくなる。」(31歳男性教師)
「誰でもいい、僕をかまってくれる相手がほしい。…誰か家にいて俺を励ましてくれる人間が、必要なんだな」(28歳男性株屋見習い)
「「たった一人で食事をせずに済むのなら、今すぐにでも男の人と同棲するわ。でも男の人と知り合う機会なんて無いんです。」(25歳新聞社秘書)

 映画「ミスター・グッドバーを探して」に漂う凄まじい孤独感、これはイギリス映画だけど「ブリジット・ジョーンズの日記」で見た欧米社会のカップルプレッシャーなどを見るにつけても、日本社会にどっぷりつかって育った私は、順応するのが難しそうだ。

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余談になるけれど、最近のニュースで関連性のあるのを見たので。

64人の女子高生が妊娠した高校=米オハイオ州


【ライブドア・ニュース 09月05日】- AP通信によると、米オハイオ州カントンのティムケン高校では、現在、490人の女子高生のうち約13%にあたる64人が妊娠しており、その高い割合が全米で話題となっている。

 アメリカの高校生の妊娠率は下がってきていたのだが、ここ最近上昇しているとのこと。これはブッシュ政権になってからの純潔教育が逆効果になっているのではないかという指摘もある。
 うちにアメリカ留学の準備をしているのが一人いて、先輩からあちらの大学の講義ノートを借りたりしているのだが、こと生理学的に事実に関しては「もう全部書いてあって、図も詳細ですごい」らしい。大学でこれだけやってるのに、高校まではどうなんでしょう? 私は、身体を守るのに必要な知識はきちんと教えないといけないと思っています。日本も最近性教育の行き過ぎなんていっている人もいますが、マンガ雑誌で覚えるよりは学校でそれを見せられて気分悪くなったほうがましです。ただ、中高生の意見をきくと、男女別に分けたほうがいいかなとは思います。みんなの前で保健の本を読まされるのすごく恥ずかしいらしいです。

バースデイ・ガール (2002/アメリカ)

2005年09月07日 | 映画感想は行
BIRTHDAY GIRL
監督: ジェズ・バターワース 
出演: ニコール・キッドマン     ナディア
    ベン・チャップリン     ジョン・バッキンガム
    ヴァンサン・カッセル     アレクセイ
    マチュー・カソヴィッツ    ユーリ

 銀行員のジョンは、真面目がとりえの堅物。出会いにも恵まれない彼は、ネットのロシア人花嫁紹介でロシア女性をオーダー。そしてロシアから美しいナディアがやってきた。英語が出来ない彼女をロシアへ返そうと思ったジョンだが、いつしか虜になっていく。そしてナディアの誕生日、ロシアから彼女の従兄弟だという二人の男がやってきた…

 ロシア人がしゃべりまくるのに、演じているのがオーストラリア人とフランス人というところが興味もあり、もどかしくもありでした。ロシア語なんてひとっつもわからないし、どの程度のロシア語話してるのかわかればとは思うけど、ま、主人公がちんぷんかんぷんとの設定なので一緒にぽかんとしていればいいのかも。
 主人公の「非モテ系イギリス男」が、ロシア美人をネット上の花嫁紹介サイトに発注、その妻にとんでもない事件に引きずり込まれ、結局別の人生を選んでしまうまでの映画。旧東西陣営の経済的な格差と、それに伴う男女間での意識と、コミュニケーションの問題を扱ってるようなんだけど、私は、彼の人生変革が目に付いて、そこはいささか薄れた感じ。
 ニコール・キッドマンは相変わらずと~~~ってもきれい。主人公は彼女にくらっと来てしまったためにそれまでに積み上げてきた人生棒に振ることになるんだけど、どうも私、キッドマンくらい美人ならそれくらい代償払っても、とこの映画に限らずつい思っちゃう。やっぱり私には彼女の美貌はそれくらい迫力あるのです。だから個人的にこの映画に納得しやすい。ファッション、今回は面白かったです。

 サスペンスのような、コメディのような、でもどちらにも甘い奇妙なテイストの映画で、特に「ほら、ここで盛り上げてますよ」みたいな感じがそれほどなくて、舞台もイギリスだし、イギリス映画かなと思っていたら、アメリカ映画でちょっとびっくり。役者はヨーロッパの人が多いし、ラストもハッピーエンドには違いないけど、シニカルな後味が強く残る。
 見た後で考えると突っ込みどころは多いんだけど、キッドマン鑑賞とベン・チャップマンの自己改革演技のあくまで地味なのに好感。いや、あの歳で生き方変えるのは大変でしょうね。でも、それを選んじゃったんだから、必死にやってください。
 ヴァンサン・カッセルはチンピラ風ながら魅力的でしたがキッドマンとの釣り合いが取れないように見えます。

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 本日は本当は、「ランド・オブ・ザ・デッド」を見に行く予定だった。
 でも警報が出たので止められてしまった。「電車が止まって帰れなくなった時に貧血で倒れたらどうしようもないから」ゾンビ映画を一緒に見にいって、しかも調子が悪くなったら台風の中を担いでくれる友はいない。
 いける範囲の映画館では、夜しか上映が無い。他の日は期末試験前(今は二期制で期末試験は9月半ば)で夜は試験対策でふさがっていて、今日だけやっと時間作ったのに!なんとか見に行ければいいんだが…

 夜はドラクエ8やろうっと。いつもみたいにコントローラー持つと睡魔が襲うほどの時間でもないので、少しは進められるだろう。最近ミーティア姫様の口調にさぶイボが立ちます。

MIND GAME マインド・ゲーム (2004/日本)

2005年09月06日 | 映画感想ま行
監督: 湯浅政明
アニメーション制作: STUDIO4℃
原作: ロビン西
声の出演: 今田耕司   西
     前田沙耶香   みょん
     藤井隆   じいさん

 久しぶりに会った初恋の彼女の前で、最悪にみっともない死に方をした20歳の漫画家志望の西は、執念で殺される直前へ戻り、自分を殺したヤクザを殺して彼女とその姉と共に逃げるが…

 これも今は無い近所のミニシアターで何度も予告編だけ見たアニメ。
 だいたい予想通りのものではあった。

 この映画の感想と言うと、「パワーに溢れた、とってもひきつけられる映画だけど、好き嫌いが別れるでしょう」というものになっちゃうんじゃないかな。
 それほど濃さと疾走感、パワーが映像に漲り、好き嫌いを超えて圧倒されると思う。
 実写からCG、3D、2Dアニメまで、ありとあらゆる手法が混在し、めまぐるしく入れ替わり立ち代りして、引っつかんで引きずり回される感じ。それが気持ちいいと言えば気持ちいい。でも体力必要。
 声優がこのめちゃめちゃな世界にはまっていたのが不思議に思うほど、自然に聞こえた。

 本当に体力が必要だし、2回目に見たほうが落ち着いて見られたけれど、初回の振り回される感じがこの映画の最大の魅力ではないでしょうか。
 それに、対象年齢が「ハウル」より限られるから、興行成績で比べるべくも無いけれど、これからじりじり評価が上がっていくような気がする。

日々平安

2005年09月05日 | 日記・雑記
 タイトルの「日々平安」は「椿三十郎」の原案になった山本周五郎の短編ですが、映画とは違いもっと頭で勝負するタイプの主人公でした。貧乏浪人の主人公はお家騒動にかかわり、でも侍の、というか人間の筋目として事が収まると去っていこうとします。
 そこを追いかけてきた若侍。
「お家の内情を知ったからには留まっていただかなくては」
ということで、留まるための大義名分が出来て、ほっとして「ありがとう」という言葉で締めくくられる、気分のいい小説でした。

 しかし、たいがいヒーローは夕日の中にとか、去っていくのが常套です。
 去ってこそヒーローなのですね。

 例えばカストロとゲバラの人と今に生きる伝説の違いは、革命後に権力者になった人と革命家であり続けた人の違いでヒーローは留まれないのかもねえ。

 このところ妙なめまいに取り付かれてあまり外出できなかったので、家にこもって「プルガサリ」なんか見て、ヒーローって三界に家無しなのかな。なんて考えていました。

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 週末のテレビでずしりと来たのが小野田寛雄氏のロング・インタビュー。
 私の想像力というものの限界をも考えさせられた。私には、かの世界状況をある程度掴んだ上でしかし闘い続けた小野田氏を理解することは簡単でない、というより、出来るかどうかはわからない。今になってその行動の是非を云々するというようなことでもないと思うし、そうさせたものがなんだったかも、その時代を生きていない私には推測以上のことは出来ないのだ、と認識させられた。
 小野田氏の何にも阿らない芯の通った人柄はうかがえるものであった。
 それに映画でしか知らない陸軍中野学校での教育とか、交戦について聞かれたときの言葉など、私の中に課題として積みあがったものは多い。
 頭痛薬飲んで、横になってみていたのだが、本当は正座してみるべきものだったと思う。

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 9月3日付の毎日ウィークリーのSean Bosker氏の記事は9/11テロについてのものだった。
 最後のパラグラフにこうありました。

... I now know what it's like to be under attack
and to have someone trying to kill me.
During the lead up to the Iraq invasion,
many people found it ironic
that most New Yokers opposed the invasion
while most other Americans supported it.
To me, that was no mystery.
We know what it is like to be bombed,
and we don't want to happen to anyone, anywhere, ever again.

 「ニューヨーク市民はイラク侵攻に反対するものが多かった。爆弾の恐怖にさらされるようなことが、絶対に誰にも、どこにも起こってはいけない」
 橋本治の「ナインティーズ」でも「東京大空襲を知っている日本人がイラク国民を攻撃できない」と言っているし、「あってはいけないことを知っていること」をつなげていかなくてはいけません。
 あきらめずに行きましょう。とりあえずは選挙かな。

プルガサリ 伝説の大怪獣 (1985/北朝鮮)

2005年09月03日 | 映画感想は行
PULGASARI
不可殺
監督: シン・サンオク
出演: チャン・ソニ
    ハム・ギソプ
    リ・イングォン
    ユ・ギョンエ
    薩摩剣八郎

 高麗朝末期、圧制に立ち上がった民衆と、伝説の怪獣プルガサリ。

 はじめてみたときから「何これ~」と言いつつけっこう何回も見ている。不思議な引力があります。
 朝鮮半島に古くから伝わる民話をベースにしているそうで、民衆は悪い権力者を倒し、一応勝利してるみたいですが、ヒロインは一家全滅、恋人も殺されるというひどい話で、ハッピーエンドでないのが、なんだか引っかかります。
 それに、この映画でキイになるのが「飢え」 圧制を倒す立役者だったプルガサリが疎まれていくのもその食欲と言うわけで、この飢えに対する感覚は、今の日本で切実に感じるのは難しいのかもしれない。たとえばアメリカの「小鹿物語」の、特に小説のほうではすごく迫ってくる。なのにこの映画のおにぎり投げなどは、思わず「はにゃ?」と首ひねったり。もしかして、私が本当に飢えた経験があるとこれが泣けるシーンなんだろうか、と不安になったりする。
 大怪獣も用がすめばただのもてあましもの、という図式はしみじみわかる。
 特撮部分は日本の「ゴジラ」のスタッフ。ミニラみたいなミニプルガサリはなかなか可愛いし、プルガサリ大暴れのシーンはさすがの出来。

 大群集シーンは迫力でしたが、牧歌的な画面に吹替え音声で、映画というよりテレビドラマみたいだった。
 ヒーロー役の男の子の顔が濃いのと、ぼろきた男の人やその他大勢に比べ、ヒロインの厚化粧っぽい顔がなぜか記憶に残ります。

カルメン (1915/アメリカ)

2005年09月02日 | 映画感想か行
CARMEN
監督: セシル・B・デミル
出演: ジェラルディン・ファーラー 
    ウォーレス・リード 
    ペドロ・デ・コルドバ

 これは、高校生が借りてきたビデオで、それがジェラルディン・ファーラー主演、セシル・B・デミル監督のものでそんなものがあったのか!と今までまったく存在を知らず驚いてしまった。
 ジェラルディン・ファーラーについては前に読んだ推理小説で知っていた。
 彼女は1901年にデビューし、1922年に引退するまでその美貌と演技力で、特に若い女の子に人気があったオペラ歌手。その取り巻きの少女たちはジェリー・フラッパーと呼ばれ、小説の中でもまるでベイカー・ストリート・イレギュラーズとはいかないまでも、彼女の忠実な協力者となっている。ことほど左様に人気のあったソプラノ歌手で、映画に出たことは知っていたが実際に見られるとは思っていなかった。
 このビデオは、はじめに解説、次に映画用に編曲したビゼーの曲の入った本編、そしてジェラルディンの声で名場面をもう一度というつくりで、なかなか親切で、しかもオペラファンにも嬉しい構成。

 このカルメンはオペラ以上に悪い女で、はじめからホセを篭絡する目的で近づくし、ホセもいかにも純情そうで、いわゆるマジメ男を堕落させる悪女カルメンのイメージどおりの展開。
 ファーラーは声がないサイレント映画なのに実に魅力的でしかも良く動く。思ったよりも小柄。表情が大きいので時々顔の影が濃過ぎるように感じるときはあるけれど、天性女優なんだなあ、と思う。カルメンに見えるのだ!声は軽やかだった。当時の批評も入っているが、あまり好意的なのは多くないようだけれど、彼女は人が見たがっているカルメンのイメージを捉えて実に的確に演じていると思った。
 デミル監督のスペクタクルなシーンはそれほど多くないけれど、闘牛場のシーンはさすがの熱気。でも群集シーンよりホセが我を忘れて人を殺してしまうシーンが一番迫力があったと思う。
 
 いいもの見っけ、と嬉しくなった一本。

 ちなみにファーラーが探偵役を務める小説はこちら↓



気ままなプリマドンナ / バーバラ・ポール
中川法江訳 サンケイ文庫 昭和61年第1刷(けっこう古い)
 カルーソーやトスカニーニなど実在の人物が登場し、ジェラルディンは勝気で魅力的でちょっとわがままな自信に溢れた、でも己をよく知っているヒロインです。この小説の背景になるのもカルメンの舞台。

それにしても、こんなビデオを借りてくる高校2年生…
私のようにオタクと呼ばれる道を歩むのではないかと気がかりである。 

西部戦線異状なし/レマルク

2005年09月01日 | 
秦 豊吉訳
新潮文庫

 古い本だけれど「ロング・エンゲージメント」を見たら思い出したので読んでみた。
 いつの時代でも戦争は悲惨以外のことではないが、20世紀の戦争は国家の総力戦となり、人的にも物的にもそれ以前とは比べ物にならないくらいの消耗を招いている。
 これは映画化されたのも傑作だったが、中学生の頃に言葉で刻みつけられたものを忘れられない。
 一人の教師の言により志願した少年の、普通の兵士の周りでの戦争の凄惨な現実が、あたりまえの出来事として描かれている。そしてこれが全部ではないのもわかる。
 兵士たちは、怯え、闘うというより、皆殺しへの恐怖に対して闇雲な空しい抵抗をする。本では「みなごろし」に塵殺という字をあてている。人も機械も全て一緒くたに踏み潰されるようなイメージが喚起されて恐ろしい。砲弾と毒ガスと戦車が、踏み潰し噛み破り殺しつくす。そして疫痢と悪性感冒とチフスが蔓延し、ばたばた死んでゆく兵士たち。塹壕と野戦病院と共同埋葬…彼らにとっての戦争はこれに尽きていた。
 そんな中でも仲間を救おうとし、少ない食料を分け合う、彼らが他者に向ける関心に、人間性への救いを見る。
 しかし少年たちは、すべてが帰らぬ人となり、その死も大勢に影響がない限りは「異常なし」の範疇の出来事でしかない。

 これは、1929年、大恐慌の年に発表され、世界的なベストセラーになった。それでも、第2次大戦という再びの悲劇をとどめることは出来なかったのである。

 …「誰も戦争をしたいって奴はねえ。それに急にぽっかり戦争になっちまうじゃねえか。俺たちは戦争なんて、ちっともやりてえと思っちゃいなかったんだ。ほかの奴らだってみんな同じことを言ってる……それにどうだ、こうして世界の半分が、夢中になってかかっているじゃねえか」(236ページ)

 考えるべきは、どうして望まないものに突入して行ってしまうのだろうか、ということでしょうね。