虫干し映画MEMO

映画と本の備忘録みたいなものです
映画も本もクラシックが多いです

すべてのまぼろしはキンタナ・ローの海に消えた/ジェイムズ・ティプトリー・Jr.

2005年09月11日 | 
越川芳明訳
ハヤカワ文庫 FT

 メキシコのユカタン半島のマヤ族は、メキシコという国にも属している意識は希薄だろうほど独立心が強い。しかしそんな土地でも、アメリカ資本の進出で否応無くその波に喰われようとしている。そこでのアメリカからやってきたグリンゴ(現地の人がその地に住んだ白人をいささかの軽蔑も含めてそう呼ぶ)を語り手とした幻想譚3篇。

 ジェイムズ・ティプトリー・Jr.というのも、伝説的な作家で女性だが男性名でデビュー、その文体がもっとも男らしいともいわれてしまった人である。私は翻訳でしか読んでいないので文体を云々することは出来ないが、翻訳で読む限りではきびきびしているが、特に男性を感じるということは無い。でもこれはすべてわかってから読んだ人間の感想なので、そういえば…といえば、何でもそうなってしまうだろう。
 これは、SFでなくファンタジーで他のティプトリーの作品とはかなり違った印象。訳は他にも訳のある朝倉さんなので、きっと原文の違いが反映されているのだろうと思う。

 語り手の地位の特殊性がいい。
 その土地に愛着を感じ、ある程度は受け入れられているけれど、決して溶け込めない、あるところに引かれたラインを土着の人びととの間にお互い意識しながら、でもそこを離れられない異邦人性がこの幻想譚に妙なリアリティと深みを加えていると思う。
 その怪異に出会うのは彼でなく、アメリカに根拠地を持つ、ここには短期間尋ねるアメリカ青年だったり、現地のベテランの海の男だったりするが、立場の微妙な彼だからこう語るという気になる。

 海の色、ロブスターの行列、カウチの上のトラなど、不思議で美しい描写も多く、不思議なところへ連れて行ってくれるには違いない小説なのだが、幻想世界訪問後の一種独特な開放感と一緒に、この本の読後感として強く、それも非常に強く残るのが「物質文明の自然の収奪」の収奪の凄まじさ。そしてとてつもないものを秘めた海の大きさ。
 三篇それぞれにエピグラムがついていて、実に内容に響き合うもので、再読時の味わいも一層深くなる。

 解説には彼女のCIA経験と、それが彼女の作家としての特色を形作ったみたいなことも書いてあります。まあ、そうかもしれないですが、ラテンアメリカというところがアメリカの棍棒外交の蓄積みたいなところであるし、特にこの作品に関連付ける必要はあるかなとは思ってしまいました。

最新の画像もっと見る