虫干し映画MEMO

映画と本の備忘録みたいなものです
映画も本もクラシックが多いです

日々平安

2005年09月05日 | 日記・雑記
 タイトルの「日々平安」は「椿三十郎」の原案になった山本周五郎の短編ですが、映画とは違いもっと頭で勝負するタイプの主人公でした。貧乏浪人の主人公はお家騒動にかかわり、でも侍の、というか人間の筋目として事が収まると去っていこうとします。
 そこを追いかけてきた若侍。
「お家の内情を知ったからには留まっていただかなくては」
ということで、留まるための大義名分が出来て、ほっとして「ありがとう」という言葉で締めくくられる、気分のいい小説でした。

 しかし、たいがいヒーローは夕日の中にとか、去っていくのが常套です。
 去ってこそヒーローなのですね。

 例えばカストロとゲバラの人と今に生きる伝説の違いは、革命後に権力者になった人と革命家であり続けた人の違いでヒーローは留まれないのかもねえ。

 このところ妙なめまいに取り付かれてあまり外出できなかったので、家にこもって「プルガサリ」なんか見て、ヒーローって三界に家無しなのかな。なんて考えていました。

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 週末のテレビでずしりと来たのが小野田寛雄氏のロング・インタビュー。
 私の想像力というものの限界をも考えさせられた。私には、かの世界状況をある程度掴んだ上でしかし闘い続けた小野田氏を理解することは簡単でない、というより、出来るかどうかはわからない。今になってその行動の是非を云々するというようなことでもないと思うし、そうさせたものがなんだったかも、その時代を生きていない私には推測以上のことは出来ないのだ、と認識させられた。
 小野田氏の何にも阿らない芯の通った人柄はうかがえるものであった。
 それに映画でしか知らない陸軍中野学校での教育とか、交戦について聞かれたときの言葉など、私の中に課題として積みあがったものは多い。
 頭痛薬飲んで、横になってみていたのだが、本当は正座してみるべきものだったと思う。

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 9月3日付の毎日ウィークリーのSean Bosker氏の記事は9/11テロについてのものだった。
 最後のパラグラフにこうありました。

... I now know what it's like to be under attack
and to have someone trying to kill me.
During the lead up to the Iraq invasion,
many people found it ironic
that most New Yokers opposed the invasion
while most other Americans supported it.
To me, that was no mystery.
We know what it is like to be bombed,
and we don't want to happen to anyone, anywhere, ever again.

 「ニューヨーク市民はイラク侵攻に反対するものが多かった。爆弾の恐怖にさらされるようなことが、絶対に誰にも、どこにも起こってはいけない」
 橋本治の「ナインティーズ」でも「東京大空襲を知っている日本人がイラク国民を攻撃できない」と言っているし、「あってはいけないことを知っていること」をつなげていかなくてはいけません。
 あきらめずに行きましょう。とりあえずは選挙かな。