虫干し映画MEMO

映画と本の備忘録みたいなものです
映画も本もクラシックが多いです

ものを言う自由と輿論(戦う石橋湛山)

2006年10月08日 | 
 ロシアのジャーナリスト、アンナ・ポリトコフスカヤ氏の殺人は衝撃でした。ローザ・ルクセンブルグの暗殺などアタマをよぎり、私がうろたえたところで何がどうなるということはありませんが、また一つ不安の種が増えてしまいました。核実験も心配でたまりませんのに。

 今、石橋湛山について読んでいるところで、中でも半藤一利氏の「戦う石橋湛山」(中公文庫)は日中戦争から対米開戦までの時期に絞って、一人変節を拒み「軍縮・植民地の放棄」を敢然訴え続けたジャーナリストを描いて、同時期のマスコミと大衆が暴走する軍部へ擦り寄るように熱狂していく様が浮かび上がる本。不況の閉塞感、他国から非難されることへの反発などがいかに内向きのナショナリズムをあおり、大衆が勇ましい言説を望むようになるかの描写も過去のこととばかり言っていられない。心底ぞっとする。「自由にものを言うこと」がいかに困難で、貴重なことであるか!
 石橋湛山は「植民地を、満州のみならず台湾・朝鮮など以前からのものも含めてすべて捨てる。これこそがその唯一の道でり、同時に、我が国際的位地をば、従来の守勢から一転して攻勢に出でしむるの道である。」と主張する。そして植民地経営が経済的にも安全保障にも日本にとってメリットは少ないと、きちんと経済学的にも解説している。
 もちろん彼の論は当時受け入れられるものではなく、警察や軍部に敵視されるものでした。
 しかし、戦後の日本は彼の主張した道を歩んだように見えます。
 
 同じ様に時局批判したジャーナリスト桐生悠々の、都市空襲を受けるならば日本の敗北は必至であるとした1933年信濃毎日新聞社説『関東防空大演習を嗤う』も、後でその通りになっています。

 正論必ずしも世に容れられるものではないということです。
 私の考えていることだって、誰かの受け売りになっていないか、まず自分から検証しなければいけません。

 そして戦後。山田風太郎の昭和21年の日記。
(新宿でA級戦犯を乗せた護送バスを見て)
この20年、10年亜細亜と全地球を震撼せしめた風雲児たちがギッシリつめられているのだ。彼等が残虐極まる戦犯であることを、今疑うものは一人もないが、もう十年たつと、やっぱり日本の英雄達に帰るから、輿論とは笑うべきものである(5月6日)

 山田風太郎の日記では、戦後の日本の手のひら返しの如き輿論の実態もきっちり読めます。

 ちなみに、湛山は戦後にもGHQから「戦争協力者」としてパージを受ける破目になりました。要するに、占領軍にも言いたいことを言っていたからです。連合軍の占領終了後首相になりましたが健康上の理由で2ヶ月で退陣。後に立正大学学長にもなりました。立正大学では、湛山の精神はどう生きているのでしょうか?


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