虹色教室通信

遊びや工作を通して 子どもを伸ばす方法を紹介します。

マリオのステージ と 算数の動点の問題

2012-09-27 15:00:29 | 算数

 

 

小学3年生の●くん、○くんのレッスンです。

幼い子たちが積み木でマリオのステージを作った話をすると、「ぼくたちも作りたい」とブロックで

マリオのゲームの舞台を作っていました。

炎の池やスイッチを押して通り抜ける囲いのある場面や、

ボスたちが集結している場面などがあります。

 

 算数タイムでは<同志社女子中>の動点についての問題や割り算や角度の応用問題をしました。

 

 動点の問題は、1秒に1センチずつ動く台形上の点Pが

直角三角形になる時を求めたり、13秒後に面積がどうなるか求める問題です。

 

 これまで工作や物作り遊びの延長で、自分で図を描いて考えていくことを苦と感じないように、

自然に楽しくおこなえるようになることを大事にしてきています。ですから、こうした問題でも

考えるのだからまず描いてみるのは当然という様子で

さっさと図を描いて、答えを導き出していたふたりを頼もしく思いました。

 

こうしたひねった問題は、学校では出ないので

とても面白いそうです。

 

 


形で遊ぶ 数で遊ぶ   (4歳前後の子らと)

2012-09-26 15:46:24 | 初めてお越しの方

 

きれいな色の木片があると、、自然に、同じ色や同じ長さで

集めたくなってきます。

丸い輪の中に小さな丸い木片を詰め込んで遊んでいます。

そこでこんな問題を作ってみました。

赤、青、黄色、緑、オレンジが入っている輪の中に、ひとつだけ緑の代わりにオレンジが2つ入っています。

「仲間はずれはどれかな?」

 

「これ、これ!」と間違いはわかるけれど

修正するのは難しい様子。

お家で色板やブロックなどで遊ぶ時も、このように組み合わせを同じにしたり、

仲間はずれの組み合わせを作るのも面白いです。

↑ 昆虫や魚や貝類の入っている箱を開けて、遊びました。

くわがたの模型を触った後で、くもの巣とくもの工作作品を触りながら、

「くもは足が8本なの?」とたずねている子がいました。

ちょうちょのはねの型を写して、パタパタはばたく蝶を作りました。

 

↑ レンガ積み木でゲームのステージ作り。「マリオ」のイメージ?

 

 

 

 算数タイムでのひとこま。いびきをかいて寝ているフランケンシュタインの目覚まし時計を

 何回押したらガバッと起き上がるのかな?

 ドキドキしながら数を数えます。怖がりすぎて、遠くから眺めている子もいました。

アヒルをプールに入れて、10ずつ並べたり、

「あといくつで10になるかな?」と当てたりする遊びもしました。


ロボット化する子どもたち 4

2012-09-26 08:49:43 | 初めてお越しの方

 

ロボット化する子どもたち 3

の続きです。

 

『ロボット化する子どもたち』にこんな話が取り上げられています。(要約してお伝えします)

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最近、大学においても「評価」が重視されるようになっています。

研究業績はもちろん、講義のよしあしについても。

そこで評価される「よい講義」って何なのかというと、「学生にとってわかりやすい講義」であって、

できるだけ多くの情報をできるだけ短時間に効率よく学ぶことができる講義となります。


そうしたスピーディーな「学び」の価値観が浸透した結果、私たちは

「じっくり学ぶこと」を軽視する傾向にあります。

昔からの「学び」のスタイルだった、本をじっくり読む熟読、じっくり考える熟考が忘れ去られつつあります。

少し冷静になって考えてみると、(この冷静になって考えてみるも今の時代忘れ去られているひとつですが)

どんどん大量の情報を頭の中に詰め込み続け短時間に効率よく学習した結果、私たちは幸せになっていないし、

余暇を有意義に過ごせているわけでもない。ふと自分を振り返ると、頭の中には何ら生きていくために役立つような

知識が蓄積されていないことに気づき愕然とする。

 

高度情報化社会に必要なのは、リアリティーのある情報なのだ。

「学び」とは、ただ情報を頭の中に蓄積すればよいのではなく、情報の価値を身体全体で

漢字、身体にしみこむような感触を楽しみながら学ばなくては

意味ある知識にはならない。

 

20世紀は、知識を得るためにつらくとも必死で学ぶ時代で、そこに学ぶ喜びはなかったが、

21世紀は学ぶこと自体が楽しい時代となる。そこでは、「じっくり学ぶこと」が大きな喜びをもたらせてくれる」

    (『ロボット化する子どもたち』渡辺信一   大修館書店 より引用)

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レッスンの時間が近づいたので、続きは次回に。

 


「ちょっとめちゃくちゃなくらい  間違っているくらい」がちょうどいい2歳児の活動

2012-09-25 13:54:33 | 0~2歳児のレッスン ベビーの発達

2歳5ヶ月~2歳10ヶ月までの子のグループレッスンで。

 

↑恐竜好きの●くんのために恐竜のミニチュアが入っている箱を出してきました。

写真と名前が貼りつけてあるカードの上に「いっしょいっしょ」と言いながら

恐竜を乗せていく遊びをしています。

2歳児さんにこうした遊びを勧める時は、見本を見せても本人が真似たがらなければ、

後は自由に遊ばせるくらいのゆるさが大事だと思っています。

 

マッチングさせる面白さに気づいて真似しはじめても、

3つ合わせたくらいで、「おしまいにしようか?」とルールの

ある遊びは終了して、そこから自由な発想で遊ばせるくらいの関わり方がいいです。

 

赤ちゃん扱いせずに、興味を持ちそうなことには、たとえ難しそうなことでも

触れさせてあげる一方で、

その子が自発的にやりたがって、やっていることが楽しくて夢中になるくらいの

活動が主になるように配慮してあげる必要があります。

 

親御さんによっては、自分がやらせたいことに(親御さんが)夢中になって

子どもが大人の指示通り動くのにいっぱいいっぱいになっているのに、

機嫌を取ってでもやらせようとする方がおられます。

そんな体験を2,3回もさせれば、子どもは消極的で依存的になって、

「ママやって~」とすぐに投げだすようになるかもしれません。

 

2歳児の活動をサポートするには、引き際や、手綱のゆるめ方が肝心です。

↑ベルトコンベアー遊び。

テーブルの下のシートを反対方向に引っ張ると、コンベアーが動きます。

2歳6ヶ月の★くん。電車のおもちゃで遊びだしたので、

「かんかんかんって、ふみきり作る?」とたずねると、力強くこっくりしました。

そこで、カラフルな色の入ったストローの袋を準備すると、あの色もこの色も1本ずつ……と次々

ストローを取り出します。

★くんのお母さんは「1本だけ」と言いそうになったのを呑みこんだそうです。

 

わたしがふみきりに似せるために黄色いテープをくるっとストローに巻いて見せると、

★くんは、「先生して!」と言うように、

わたしにストローを渡しては、ここに貼ってほしいと指示します。

 

わたしは★くんが自分で貼りたくなるように

切った黄色いテープをテープ台の端にいくつか貼りつけておきましたが、

「自分で貼ってごらん」とは言わずに、★くんが望むように貼ってあげていました。

そして、テープ台のテープがあとひとつ……となったところで、

「★くん、自分で貼ってみる?」と聞きました。

 

すると★くんは決心したように自分で貼ってみて、

それからは

どんどん自分で貼って作り始めました。

 

子どもが自発的に活動するようになるためには、次のステップがいります。

 

① 子どもが大人を頼っている時には、「自分でしなさい」と突っぱねず、

できるだけその望み通り、言葉通りに、

聞いてあげます。

 

② タイミングを見計らって、本人にさせます。その時は、

「ちょっとめちゃくちゃなくらい 、間違っているくらい」がちょうどいいとして、

細かい口出しや子どものコントロールをしません。

 

③子どもが自発的に動き出し、繰り返しチャレンジする力がついてきたところで、

「ストローいっぱい出したね。5本までにしておこうね。ほら、おてての指の数といっしょ。」とか、

「いっぱいいっぱい出して、いっぱい作るの?じゃぁ、お友だちの分を作ってあげようね」など、

少しずつ、加減の仕方や方法を教えていくようにします。

 

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「自分で自分をコントロールできている感」「有能感」「自分がやっていることはだいたい正しいという自信」

が活動を通して高まってくるようにサポートしています。

子どもが自由に動いてみた結果にOKを出しつつ、

次第により洗練された活動につながっていくように接することが大事です。

 

2歳児を相手にしている親御さんたちの多くは

子どもがまだ何もしないうちから、あれこれ指示を与えすぎるし、

まだ失敗も成功も体感でわかっていないうちから、

上手にする方法を教えすぎています。

言葉で指導するのは、ある程度、上達してからで十分です。

お手本は見せてもその通りすることを期待せず、

もし子どもが何度もお手本を見たがる時には、

何度でもていねいにお手本を実演してあげるといいと思います。

 

↑ひとりの子がお母さんとストローでクレーン車を作りました。わたしがクレーンの先に磁石を付けてあげると、

はさみが釣れて大喜び。別の子も磁石つきのクレーンを作りました。

 

 ↑ 身体が大きくて、力が強い★くん。思い通りにならないと

お友だちやお母さんに手がでます。

 そんな風に衝動的な行動が増えるのと同時に、衝動性をコントロールするような

 緻密な活動への関心も高まっています。

 小豆をピンセットで容器に移していく作業を何度もやりたがっていました。

 落ち着いて集中した状態で、作業をやりぬくことができていました。


ピッケの絵本の展示会 と 絵本と物作りと算数の会  参加者募集

2012-09-24 15:59:05 | 工作 ワークショップ

 

 

12月 8日 10時~夕方4時まで  KOKO CAFE ギャラリー 

(大阪府大阪市東淀川区東中島1-13-13  KOKO PLAZA 1階   新大阪東出口より徒歩5分)で

ピッケの絵本 と ピッケにまつわるアート作品の展示会を開かせていただくことになりました。

(作品展の開催は、ピッケの絵本の作者の朝倉民枝さんから

了解をいただいています。

次世代へのラブレター クリエイター 朝倉民枝氏 )

 

参加希望者は、コメント欄にハンドルネームを書き込んだ上で、

当日、お家でピッケの絵本のソフトで作った自作絵本(何冊でもOK)とアート作品(なくてもOK)を

持ってKOKO CAFEギャラリーに集まってください。

ギャラリーを開く当日、10時~12時 1時~3時半 に

KOKOプラザで、 「絵本と物作りと算数の会」 を開きます。

(こちらでの絵本作りは、画用紙等を使ったものになります)

12時~1時は、KOKO CAFE ギャラリー でランチを食べる予定です。

 

参加者の年齢、障害の有無は問いません。

親子10組くらいまでの募集です。

事前にこのブログのコメント欄で申し込んでください。

 


政治と社会システムについて考えること (息子とおしゃべり) 

2012-09-23 18:42:33 | 番外(自分 家族 幼少期のことなど)

過去記事です。

 

 

教育と学習方法について考えること (息子とおしゃべり) 1

教育と学習方法について考えること (息子とおしゃべり) 2

教育と学習方法について考えること (息子とおしゃべり) 3

教育と学習方法について考えること (息子とおしゃべり) 4

教育と学習方法について考えること (息子とおしゃべり) 5

教育と学習方法について考えること (息子とおしゃべり) 6

教育と学習方法について考えること (息子とおしゃべり) 7

教育と学習方法について考えること (息子とおしゃべり) 8

教育と学習方法について考えること (息子とおしゃべり) 9

の続きです。

 

 今日は息子とわたしだけの寂しい夕食。食事中に、殺戮系の小説

(むごたらしく多くの人を殺す内容の小説)の流行と、ネット上でしょっちゅう起こっている

いざこざについて話題がのぼりました。

 

息子が、こんなことを言っていました。

「中高の友だちのなかじゃ、親に良い悪いを決められて、何を見るか、何をするかで

制限を受けてることが多いやつほど、くだらないものに

はまってたよ……殺戮系のゲームとかマンガとか。

高校生くらいになってああいうものに極端にはまる友だちって、聞いてみると、

それまでに楳図かずおのマンガとかサイコホラーの小説なんかは、

一度も読んだことがなかったりするんだ。

大人が子どもに良いものと悪いものを見分けて分析して、

良いものを与えよう、良い物を与えようってするのも程度ものだと思うな。

だって、どんなに『子どものため』という大義名分のもとでそうしたところで、

良いものを選ぶ過程で、絶対、選ぶ大人の私利私欲が含まれてくるように思うんだ。

国がそういうことする場合、人類全体の私利私欲ってものに関わっているのかも

しれないけど。」

 

母 「そうよね。幼い子の世界でも、何もかも大人が選んであげることが

当たり前のようになっているけれど、そこで知らない間に

大人の利己的な面に傷ついていってる子も多いと思うわ」

 

息子  「もちろん、商業主義の世の中だから、大人がある程度見分けてあげないと、

くだらないものを勧められやすいってのはあるし、実際、危険と隣り合わせのものに

子どもが接触する機会も多くなるんだろうけど。

 

でも、前提として毒を知らないと、きれいな話やまじめに人生を考えていこうとするような話が、

薄っぺらくてあほらしいものにしか感じられないもんだよ。

毒といったって、くだらない大量殺人の話なんかじゃなくて、

社会や人のダークで醜い一面……犯罪や死を扱っていながら、そこで作者が

真剣に生きる意味と格闘しているような作品にある毒なんだけどね。

ぼくにしても、筒井康隆の毒のある小説を読んではじめて、小学生のころ読んだ

『あすなろ物語』のいい部分がやっとわかったからね」

 

母 「子どもの世界をすべて光ばかりにしてはいけないって意見……光のもとでだけ育てちゃいけない

だったかな? とにかく暗闇というか影の部分も必要だって話を

目にしたことがあるわ」

 

息子 「大人が子どもに良いものだけ、頭を良くするものだけ、きれいなものだけ選んで

与えていたら、嘘に出会わないし、それが進めば進むほど、頭が悪くなる気がするな。

世間一般に流されやすいか、周りの人や世論に流されやすくなると思う。

そんな風に自分で取捨選択するのが苦手になるだろうな。ぼくが学校で見たことがある

いじめの先導者は、そんな風に自分の意見を保っているのが難しいタイプだったよ」

 

母  「子どものためにって、いいものを見分けて与えるのって、誰もがいいことだと感じているから、

そこにある問題が気づかれにくいのよね」

 

息子 「殺戮系の本がぼくらの世代に流行っているのって、確かにいい感じがしないかもしれないけど、

そういう事実を無視せず、確認しておくのって大事なんだと思う。

ほら、ネット上で、しょうもないことで悪口が飛び交って揉め事が

しょっちゅう起こっているけど、そういうのも、そんな馬鹿な人がいる、

そんなのやめろ、と言って済む問題じゃないと思うんだ。

そんな風にあちこちで、無駄に殺意や怒りが吐き出されているって、

それはひとつの現象として、背後にもっと重要な何かが隠れているように感じるんだ」

 

母  「わかる、わかる。お母さんの子どもの頃のハトにしたって、そうだったんだから」

 

息子 「ハト?」

 

母  「あ、前に話したかな?お母さんの子どもの頃は、団地中の人が、

ハトハト無駄にうるさかったのよ。怒りの矛先は常にハト公害に向けられていたけど、

それで平和を保っていたけど、みんな表現できていない怒りやイライラを抱えていても、

本当にぶつけるべき相手にぶつけることができなかったのよ。

それでハトに対する執念はすごかったわよ、わたしの目の前でムギューッて子バトの首が

へし折られたんだから。あの光景を忘れたことはないわ」

 

息子 「そうか、急にハトが出てくるから驚いたよ。

そうだよね。無意味な殺戮ものを求めたり、何の得にもならないネット上のののしりあいに、

たくさんの人が夢中になるのは、

攻撃のやり方が間違っているか、攻撃対象が間違っているか、そのどちらかか、どちらもなのか、

とにかく本当に自分が戦う相手を見失っているんだと思う。

 

これはぼくだけの考えだから、ちょっと変な意見なんだけど……

そういう現象見ていると、日本も海外みたいにスラム化していく地域

が増えていくのかなって思うんだ。

今は、生活保護に対して不満を持っている人が多いし、確かに

不平等でおかしなことになってる面も大いにあるけど、これで支給が大きく減らされたら、

今度は刑務所の食事を当てにして、犯罪を犯す人が増えてくるんだと思うよ。

そんな風にして、近いうちに、

ちょっとした政策の変化で、いろんな場所でスラム化が進むんでいくんじゃないかと

思っているんだ」

 

母  「確かに、いろんな地区がスラム化していないことの方が不思議なぐらい

経済的に危うくなってるものね」

 

息子  「大阪に住んでるとさ、ほんと、いつここがスラム化してもおかしくないって

感じるよ」

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息子  「潜在的な部分で、無駄に殺意や怒りが吐き出されているって状態は、

今の表面的な平和がちょっと崩れただけで、

いつ海外で起こっているストライキのようなものが日本中で頻発するようになったって

おかしくないってことだと思う。

戦ってはいけない、平和でなければいけないって、論理とか法律とか、メディアの力で

押さえつけるだけじゃ、これからはダメなんだろうな。

 

経済的な発展が遅れている国に比べたら、日本は自由で豊かで恵まれた国だよ。

職業選択や生き方は自由だし、遊技場にしても、

買って楽しめるものにしてもたっぷりあるにもかかわらず、

幸福度指数が低くて、心を病んだり、生きることに疲れていく人が多いよね。

それって、もっと国が豊かになってお金の悩みがなくなったら

解決するほど単純な問題じゃないと思う。

日本の経済を潤してくれるような成功者が出てくるとか、

新技術が発見されて経済が好転するといった商業主義にのっとっものじゃ

解決しないってこと。

 

オーバーなようだけど、革命というか……社会全体のシステムを一新するような

革新的な解決が必要なんじゃないかな?

お金では得しなくても、精神的によくなるシステム作りというか。」

 

母  「経済的な豊かさ以外に、どうな解決法があると思うの?」

 

息子 「今、何が苦しいのか、何が社会を暗くしているのかというと、

一番にあるのは、仕事の問題なんだと思うよ。

豊かなはずの日本なのに、正当に働けば働いただけの見返りがあるわけじゃない。

物作りに関わる仕事なら、実際に物を作っている側、汗水流して働いている側が

低い賃金で過剰に働かされて、

作らせている側、ある意味、本当に必要ではない仕事に従事している側がたくさん儲かる仕組みに

なっているよね。

いろんな場所でそうしたことが言われているし、怒りを駆り立てているけれど、

でも、社会の仕組みが複雑すぎて、

いったい何をどう変えたら個人個人にとってよくなるのか、

わかりにくい。

それで、問題を糾弾して騒いだり、本質的な問題からずれた敵を

攻撃するだけで終わりがちなんだと思う」

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母  「日本に住んでいても、少しも豊かさを実感できないのって、

仕事から生きがいや自信や喜びを得にくいことが大きいんでしょうね。

一生懸命勉強して憧れの仕事についても、就職してから辛くなっていく人が多いしね」

 

息子 「ひとつ変えるとすれば、本当は必要のない仕事や意味のない仕事を減らすこと

じゃないかな。

社会のシステムを見直して、間接的に関わるだけでお金を動かしている人よりも、

ちゃんと働いて何か価値を生み出している人にお金がたくさん行くようにしないとさ。

でも、そうなると、これまでの資本主義の問題点を

さまざまな職種の人に不公平が出ないような形で検討しなおしていかなきゃならないん

だと思うよ。

もちろん社会主義を見習うのは問題が多いし、実際、社会主義の国っていうのは

『行き過ぎた資本主義』みたいになっているから、

資本主義を推している側は、北朝鮮みたいな国を敵対視して、社会主義のあり方への

嫌悪感をあおって、だから資本主義は正しい……って結論づけているように見えるよ。

でも、そこで、さまざまな今の社会へのいらだちや不満を攻撃の的にした国

をバッシングするこで

うやむやにしちゃいけないと思うんだよ。もちろん、北朝鮮の問題は問題としてきちんと対処

しなきゃならないんだろうけど。

でも、怒りの矛先を向けるものができたからって、今の資本主義のあり方に改める点がないって

ことにはならないはずだよ。

 

真剣にまじめに働いたら損したり、

働きたい人が働けなかったり、働けたら働けたでサービス残業をしまくらなきゃならなかったり……

法律の抜け道がそうした社会システムを温存させているなら、

戦う相手は、漁夫の利を狙うように攻撃を一方向に向けさせては

利益を得ている人が作りだす架空の敵じゃないはずだよ」

 

母 「そうよね。いろいろなものに対してイライラして過ごすうちに

本当の問題が見えなくなっているけど、でも、問題が見えてきても、

どう改善していけばいいのか見当もつかないわ。難しい問題ね」

 

息子  「ぼくは頭が良ければ、勝ち組になってお金が儲かるってシステムは、

安易に肯定しちゃいけないと思っているよ。

ドラゴン桜とかのマンガじゃ、お前も勉強してかしこくなって金持ちになって、成功者の

人生を歩めって言葉で、子どもたちのやる気を引き出して、

受験勉強に向き合わせようとしているけど、

そもそも学問って金儲けをするための道具じゃないしね。

そういう考えが、悪知恵が働く人、うまくごまかせる人

が儲かるシステムを作ってるようでさ。

携帯電話の販売にしても、世間でうまくいっている多くのものごとが、

わざとややこしくして人の盲点をついて騙して売るような形を取っているじゃん。

 

政治に何か期待するとしたら、

法律でくだらないことを規制しなくていいから、もっと経済全体を見渡して

これはおかしいって点を正して、人がまじめに正直に働く意欲があれば、

働いた分だけはきちんと返ってくるような健康的な社会になることを考えてほしいよ。

でも、もしそれを目指すとすると、一部の上層部とされる人々が議論するだけじゃ無理で、

精神的な面で大衆全体の意識が変わらなきゃ難しいんだろうけどね」

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母  「精神的な面で大衆全体の意識が変わる必要があるというのは、具体的にいうと、

どのような変化が必要だと思っているの?」

 

息子 「知識も産業も最先端まで行くと、その先は退化していくだけって印象があるよね。

さまざまな分野で、もう発展しつくしているから、ここから先は欲求を抑えていくだけ、

我慢していくだけのように見えるというか……。

自分には、戦う相手を定めて、本気で格闘していく必要が与えられていないというか、

何か自分がやったら国に迷惑がかかるから、ひたすら国のために働いて死んでいかなければならない

と信じこんでいるというか。

確かに、知識の面でも産業の面でも乗り越えなければならない大きな山とか、

突破して打ち倒さなければならない相手とか、そういう自分の戦士の部分、ヒーローの部分を

燃え上がらせて、向かうべきものが定めにくくなっているよね」

 

母 「電化製品の製造も、みんなが本気で欲していた技術は達成されて、

今はデザインやネーミングで差別化をはかってたりして……確かに

自分を燃え上がらせて何かを打破するって時代じゃないわね。」

 

息子 「戦後のどさくさを生きてきたとか、学生運動してたとかいう人が、

今よりずっと苦しかったはずの過去を振り返って、あの頃は活気があったって、

肯定的に話すのを聞いていると、

人は冒険心とかヒーローになりたい気持ちとか、そういうものを外に出していける場が

あると、生活はどうであれ生きている実感が湧きやすいんだなと思うよ。

 

それで今、自分たちは最先端に近づいていて、これから先は小手先で見た目をいじるだけだとか、

我慢していくだけだとか、退歩していくだけだとか考えて、

理由もなく生きることに疲れてくる人が増える気がする。

 

今日、現代文の勉強していてさ、西洋医学の病名をつけてそれを重視する

医療と、東洋医学のホリスティック(全体的)医療について書いてある文を読んだんだ。

その文でしている批判は、病名をつけてそれを根絶する今の医療が、

病気は自分を超えた存在から与えられた試練で、生き方を考える

きっかけとみなすような感覚とか想像力や治る力を弱めているんじゃないかって話なんだけど。

 

それ読んで、現代に必要とされている意識の変化ってのは、

西洋医学の先っぽまでいって、先に進めなくなっていた医学の世界が、

東洋医学のホリスティック(全体的)医療の考えを認めていくのに

似ているんじゃないかと思ったんだよ。

 

最先端で、これ以上先がないように見えるものの先に目を凝らして、

ため息をつくんじゃなくて、

それ以外のもっと全体的な見方があるんじゃないかなと考えるってことだよ」

 

母  「ホログラフィックユニバースを書いたマイケル・タルボットがしたような見方を

取り入れるってこと?

今の政治や社会のあり方に?」

 

息子 「そうだよ。どの分野も最先端に向けて進歩し続けているって

捉えられている一本の道筋があって、

その道上の進退にばかり目が奪われているけれど、

同時にもっと全体的な見方で、医療の世界でいう東洋医学的な捉え方で、

それを見直す必要があるんだと思う。

そういう意識の転換が、これからは求められているんじゃないかな?」

 

母  「仕事の面で、最先端に向かっているという一本道以外に、

もっと全体的な見方でそれを捉えるって、

たとえば、どんなことが挙げられるの?」

 

息子  「ぼくは、将来、仕事と遊びを分けて考えたくないというか、

遊びというより、生きている感じといった方が正確かな……

どんな短い一時間でも、仕事をしている間、生きている実感を全く感じないで

働くなんて嫌だと思っているよ。

 

ぼくたちの世代は、ゆとりゆとりって、ずいぶんひどい言われようだけどさ、

確かに他の世代の人たちとは価値観がずいぶん異なるかもしれないけど、

必ずしも悪い面ばかりじゃないと思っているんだ。

クオリティ・オブ・ライフって言葉をキーワードに

人生の内容や質を模索していくことがマンガ世界で描かれていて、

同年代の間で共感を呼んでるよ。

確かに裏を返せば、世間知らず、何もできないくせに大きな夢ばかり見ているって

ことになるんだろうけど、

マズローのいう五大欲求の生理的欲求、安全の欲求、所属と愛の欲求、承認の欲求、

自己実現の欲求の全てを、最初からどの段階もだいたい充足された状態だからって理由で、

本当の意味でのクトリティ・オブ・ライフを自分の人生で実現したい、

命の質について真剣に考えながら生きていきたいと思っている仲間は多いよ」

 

母  「そう、☆(娘)や★(息子)や事務Kちゃんや●ちゃんたち

(以前の勉強を見ていた女の子たち)としゃべっていると、

真剣に生きることについて考えるもんね。お母さんの若い頃なんて、

新人類、新人類ってバカにされているわりに、どこでも若いってだけで

引っぱりだこでちやほやされていたから、そりゃ気楽に人生を捉えていたものよ。

今の時代も、フワフワと暮らしている子もたくさんいるんでしょうけど、

一生懸命、考えている子たちもけっこういるよね」

 

息子  「話が変わるけど、ぼくは受験勉強始めるまで、ずっと、どうして古文なんて勉強するんだろうって

思っていたんだけど、ほんと無駄だって考えてたわけだけどさ……

受験で仕方なく勉強していると、昔の日本人が大事にしていた『趣』ってのを

面白いなって感じるようになって、

現代の人々の心が何を失っているのか知る意味で、古文なんて古臭い文章を勉強する

価値があるんだな~なんて考えたんだ」

 

母 「趣?」

 

息子 「そう。そう思うとさ、今のぼくらの世代は頼りないとか、がんばりが足りないとか、

女々しい性質のように思われているけど、

ある面、古典の時代にあった日本人の心のようなものを取り戻しつつあるとも

いえる気がしてさ。

欲望のままにお金を求めて猛進するように生きていた時代から、

もっと情緒的なものを求めて、古文にある趣のようなものを漂わせて

暮らしはじめているというかさ」

 

ゆとり世代はひどい、ひどいとあまり耳に入ってくるものですから、

具体的にどんな点が職場の人々をあきれさせているのかと

ネットで意見が飛び交ってる場を覗いてみました。

すると、意外にも、不真面目で怠けるとか、知識がないという面でばかり攻撃されているわけではないようです。

どの世代も、若い時はみんな知識も常識も足りないもの。

それに対しては多少甘めに見てもらえるようなのです。

 

それなら、「ゆとり世代の言動には開いた口が塞がらない、信じられない!」と、

激しい違和感と嫌悪感を感じさせて怒りを引き出しているのはどんな言動なのかというと、

どうも、学習内容の削減からくる無知から出てくる言動というより、

つまりわかってない内容自体は、昔も今も変わらなくても、

以前なら、こういうことを聞いたら恥ずかしいかなと思うわからないこと……初対面の取引先の人と

どんな会話をしたらいいのかといったことを、

堂々と上の人にたずねてしまう態度、

まるで上司を、塾の講師や学校の先生や

ネット上の質問の掲示板と勘違いしているような態度なんだな

とわかりました。

それって、学校現場でも家庭でも習い事先でも、わざわざってくらいに

徹底して子どもに刷り込んで教えてきたってことで、今もさらに強化して

やっていることでは? と戸惑ってしまいました。

「どんな小さなことでも自分で判断して動いちゃダメで、大人にたずねて

指示を仰いでからしなさい」というのは、集団教育が始まったら最後、

日本の子どもが徹底して叩きこまれることで、私のようなルーズで適当な親が

「最近の学校は小うるさいな~」とぶつぶつ言いながら、適当に風穴開けていかない限り、

世の中と歩調合わせていれば、当然の結末として、

ゆとり世代の特徴とされる『社会人としては困った面』が一式、装備されるのではないかと

感じました。

幼稚園から自由に自分の意志でする遊びが減ったり、

受験どころか、学校のテスト勉強も大人の手を借りてするのがあたり前だったり、

それこそ、中学生に配る夏休みのプリントに、

外に遊びに行く時は、親に、誰とどこで何時間過ごすつもりか説明してから出かけるように

って指導している国で、

どうでもいいことまで、上の人にたずねてしまうって態度は、ゆとり教育を廃止して、

授業量を増やしたところでよくなるもんなのか、疑問の残るところ。

わたしやわたしの友人宅のようにちょっとルーズなところがある家庭では、

周囲が子どもを学校で指導するようにきちっと育てようって時に、

多少手を抜いて、子どもの自由にさせて遊ばせてきたので、

大きくなった今となると、バイト先や年上の人たちと接する場で、

しっかりしているって褒められることが増えてきたけど……

それって社会や学校が子育てに求めてくるものに対して、

手抜きを心がけたら、ちゃんと子どもが育つということなのでしょうか。

 

 叱られなれていない子が社会に出て耐性がなくって困るっていうのなら、

高校生の校則を少し緩めて、アルバイトするのを許したら、しっかり叱られてくるでしょうし、

子どもなんて自由にさせたら、すぐに失敗するから、失敗から学べるでしょうに、

そうやって、ほんの少し大人が『教えたい病』を我慢すれば、

今、一番、問題になっているゆとり世代の何でも人に教わろうとする癖は減るのではないか

と、息子と話をした後で考えこんでしまいました。

 

 ↓の記事で、わが子を育てていくなかで、子どもが自分からしてみたいと言い出したことに

チャレンジさせることがいかに難しいか、

失敗することを覚悟して何かさせる場合、

どれほど激しく周囲から攻撃されるのか、体験したことを

書いています。

 

子育てって、より偏差値の高い学校に進ませるための競技なの? 1

子育てって、より偏差値の高い学校に進ませるための競技なの? 2

 

社会に出てから、言われたことしかしない、チャレンジ精神が乏しいと

嘆かれることの多いこの世代の子どもたちは、

育ちのなかでは、言われたこと以外することを許されていないという現実があります。

大人の付き添いなしに校区外に出ることも、

公園で友だちと球技をすることも禁止されて育っています。

社会に出ていく子たちの弱さを責め立てる声に矛盾を感じています。

 

苦手な政治の話になるとつい投げやりな意見になるわたしが、こんなことをつぶやきました。

 

母 「政治は難しいわ。もし、もっと地方や大衆の意見が反映されるようになったところで、

その時、その時の個人的な利益が優先されて、

国が上から何でも決めていたときより、もっと始末が悪いことになりかねないんだから。

児童文学館の廃止案が可決された時は唖然としたけど、

今自分に得になりそうなことをしてくれそうなら、子どもの未来なんてどうでもいい、

日本の文化なんてどうでもいい、

現金が儲かりそうなことなら治安が悪くなりそうなものでも何でも作ってしまおうって考えが

支持されたりするんだから。

社会が新しいシステムに変わっていくには、どうしたらいいのかしらね」

 

息子 「労働者自身が何が辛くて、何が欲しいのか、

政治的に利用されないで考えていけるようなツールが必要だと思うよ。

お金がある人がお金のない人を利用して、さらにお金を得て、

お金のない人はお金のある人に利用されるだけで、されるがまま、なすがまま。

そうして我慢したり、病気になったり、関係ない相手にイライラをぶつけたりするのではなくて、

ここまでは自分で守れるという一線を見極めておく必要があると思うんだ」

 

母 「どうやって?ツールってどんなもの?」

 

息子 「働くってことは、多くの人に共有されていることなのに、

それに関わる重要な知識は、知っている人と知らない人で大きな差があるよね。

特別な教育を受けた人じゃなくても、社会に関わる物事を、総合的に分析することが

できるような道具が必要だと思うんだよ。

そういう意味で、パソコンは今でこそ使い方が悪いけれど、

みんなを幸福に導いてくれるツールのひとつになりえるものだと思う。

数学の世界でも、関数電卓ができただけで、それまで複雑すぎて一部の人しか

できなかったような数学的な思考実験が簡単にできるようになっているんだ。

同じように、経済や社会の仕組みにしても、全体像を目で見てわかりやすい媒体で、

誰でも総合的に分析できる道具ができたら、

大衆全体の考える力が向上するはずだよ。

複雑になりすぎた世界が、完全にブラックボックス化する前に、

もっと誰からも中身が透けて見ることができるようなツールが必要なんだと思う。

昔、家族でよくシムシティーで遊んだよね。

ああいうものも、社会がどんな原因と結果でつながっているのか理解するのに

面白いツールだった。

ぼくも大学に入ったら、そうした社会のあり様をシュミレーションできるようなツールを

作ってみたいと思っているよ」

 

夕食中、ニュースで、アメリカの「99パーセントの私たち」をスローガンに掲げたストの様子が流れていました。

黙ってテレビ画面を見つめていた息子は、少し沈んだ様子でこんなことを言っていました。

 

息子 「こうしたストが創造的な解決法に結びついていくのは難しいよね。

こんな時代だからこそ、働く意欲のようなお金とは別の次元の価値を見直していく

必要があるんだろうな。

今はさ、お客にはどんなにサービスしてもし足りないくらいサービスするのは当たり前で、

働く側はどんなに苦しくてもいいと思われている半面、多少、詐欺的な面があっても、客を騙すような儲け方

をしても構わないって風潮があると思う。

 

でも、多くの人が、自分は99パーセントの被害者だって感じるような経済なら、

そろそろ、仕事観を改める時期が来ているんじゃないかな。

働くことから得る精神的なものの価値について、それぞれが考えていく時期が来てるっていうかさ。

経済とか社会の仕組みを、個人個人の感情の面からも捉えなおすのも大事だよ。

人の幸せはお金と等価交換できないからさ。

 

働くからには辛くなくちゃいけない、命をけずっていかなくちゃならない、

時には自分の道徳心を裏切って詐欺的なこともしなくちゃならない……それが社会で、

それが仕事ってものだって考えを、社会全体で見直して、

みんなが幸せを感受できる社会システムを作っていかなくちゃ

お金を持っている人と貧しい人の衝突は、これから激しくなる一方だと思うよ。

それぞれの人にしても、仕事は単にお金を得る手段と割り切るのではなくて、

仕事そのものに魅力を感じる能力がいるんじゃないかな」

 

息子が仕事と遊びを分けたくない、生きている実感を持って仕事がしたいと

いう願いは、おそらく息子が小学生の頃から惹かれていた

『仕事の遊び化』というテーマとつながっているのでしょう。

以前も、息子とそうした話題で話をしたことがあって、

わたしは、「(仕事の)遊び化といっても、遊び半分という意味でなくて、

プロフェッショナルとして、天職として仕事に関わるとき

そうしたものを感じることができるのよね」と息子がいわんとすることを受けたことがあったのです。

 

↓は、その時の息子との会話です。 

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息子 「ぼくはずっとゲームクリエイターになる夢を抱いてきたけど、
ゲーム好きの人たちと自分の間には、
かなり感性の違いがあるのはずっと感じてきて……
最近になって、本当にぼくはゲームが好きなんだろうか?
って思うことが増えてきたんだ。

ぼくがゲームに対して感じている面白さって何なんだろう
って突き詰めてみると、
さっきお母さんが京都の巨大鉄道ジオラマの話をしていたから
閃いたんだけど、

『仕事の遊び化』って部分に

惹かれているんじゃないかと思うよ。

ぼくがゲームを面白いって感じている基盤の部分に、
この『仕事の遊び化』を生み出したい気持ちがあると思ったんだ。

ジオラマ作りに参加した職人やアーティストは、
退屈で苦しいはずの作業の中に、わくわくする楽しい気持ちやフローの感覚を抱いていたはずだよ。

この『仕事の遊び化』って、昔から人が苦しいものを喜びに変えたり、
辛い作業から楽しみを抽出する知恵として
存在しているものだと思うんだ。
たとえば、プラモデルなんかも、設計の仕事から、
楽しい部分だけを抜き出したようなおもちゃだよね。

ぼくがゲーム作りをしたかった一番の理由は、
ゲームという媒体を使って、
人間の営みをいろんな視点から眺めたり、そのユニークな一面に光を当てる
のが楽しいからなんだって気づいたんだよ」

私 「『仕事の遊び化』……そうね。日本が豊かになって、
物ではうんざりするほど満たされた後に、
きっと人はそうしたものを求めだしているように感じるわ。

遊び化といっても、遊び半分という意味でなくて、プロフェッショナルとして、天職として仕事に関わるとき
そうしたものを感じることができるのよね。

人の営みの面白い面を再体験したいって思いから
ゲームは生まれたのかもしれないわね」

そう言いながら、私は息子が小学生のとき 
モノポリーが好きでたまらなかったことを思い出しました。
何度やっても、いつも息子の一人勝ち。

どんなに他のメンバーの情勢が良いように見えるときも、
なぜか最後には息子の戦略にまんまとはめられて、
お金をほとんど奪い取られてしまうのでした。
手作りモノポリーもたくさん作っていました。

モノポリーは投資のゲームですから、それもおそらく『仕事の遊び化』という一面で惹かれていたのでしょう。

息子 「現実に体を動かしてやった方が面白いものを、
ゲームにするのは好きじゃないんだ。
どんなにリアルさを追求しても、実体験には負けてしまうから。

でも、そこのゲームの世界も、より美しい画像で、より高い技術でってことを追いかけていくうちに、
人間的な部分が置いてけぼりになっている気がしてさ。
人が何を面白く感じ、何に心が動かされるのか……って所を見失ったまま進化が進んでいるようだよ。

それで、そうした世界でぼくは本当にゲームが作りたいんだろうか?
面白いものが作れるんだろうか? って思いだしたんだ。

先々、ゲームを作るにしろ、作らないにしろ、
まずゲーム会社とは全く職種の違う世界で働いて、
そこでの仕事に熱中しながら、自分の作りたいものを捉えなおした方が
いいような気がしているんだ」

 

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経済的に不安定な世の中になってくると、

これから先どうなるのか、さっぱり見えないけれど、

息子をはじめ家族の誰もが、クリエイティブにそして真摯に生きていきたいなと望んでいます。

そうして生きて、働いていく限り、

どんな経済状況に陥っても幸せだなとも感じています。

以前、息子と「クリエイティブに生きる」ことについて交わした会話をリンクしておきます。

 クリエイティブに生きる 1

クリエイティブに生きる 2

クリエイティブに生きる 3

クリエイティブに生きる 4

クリエイティブに生きる 5

クリエイティブに生きる 6

 

勉強のこと 教育のこと 親子の会話 1

 勉強のこと 教育のこと 親子の会話 2

 


2歳児 と お母さんのコミュニケーションにズレがある時 3

2012-09-22 22:25:25 | 0~2歳児のレッスン ベビーの発達

 

2歳児 と お母さんのコミュニケーションにズレというのは、

「たくさん抱っこしているか」「可愛がっているか」「愛情をたっぷり注いでいるか」といった

お母さんの態度や気持ちではなく、

「お母さんと子どもの気持ちと気持ちのキャッチボールがうまくいっているかどうか」に

着目してはじめて見えてくるものです。

 

愛着の形成に気がかりなところのある子のお父さんもお母さんも

目に入れても痛くないほど子どもに愛情を注いでいるということはよくあります。

 

ただ、子どもの思いと親の思いがいっしょに響き合う時がなくても、

一方的にかまって可愛がることに夢中でそれに気づいていない場合がよくあります。

 

『NLP子育てコーチング』の著者のリチャード・ボルスタッドは、次のように述べています。

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親としてあなたが成し遂げたいと願うことは、
NLPが「ラポール」と呼んでいるお子さんとのつながりにかかっています。
ラポールは、理解の共有や信頼や協力といった心のあり方です。

あなたが見ていないときであっても、子どもに言いつけを守ってほしいならば、
ラポールがなければうまくいきません。
そして、子どもの成長や発達をポジティブにサポートしたいならば、
やはりラポールが鍵になります。
子どもがいい選択をし、幸せに生きてほしいならば、
ここでも、ラポールがもっともすぐれた道具になるのです。

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ラポールが親子の絆だというのなら、わかるにはわかるけど、
具体的にはどんなものなのかわからないという方は多いでしょうね。

リチャード・ボルスタッドの解説を、簡単に要約して紹介しますね。


ラポールは単なる気持ちいいフィーリングではなく、
親と子の脳を直接的なシンクロナイゼーション、つまり同調の結果として起きるそうです。
子どもの脳は親の脳とシンクロするスキルを備えて生まれてくるのだとか。
親はシンクロを引き起こす
特定の行動を学ぶことができます。


赤ちゃんの脳は、ミラーニューロンという神経細胞を利用して
さまざまなことを学習します。
ミラーニューロンは、他の人間が創り出す動き、顔の表情、音に対して特別な注意を払います。
ミラーニューロンは、学習過程全般と、心理学者がいうところの「絆」作りにとって
欠かせません。

適切な場面でほほえむことから、言葉を話すことまで、
複雑な社会的スキルを学ぶ能力はミラーニューロンにかかっています。

理解の共有、他の人との親近感といったフィーリングもまた
ミラーニューロンによります。

ラポールのフィーリングが存在しないとき、
それを築くことができます。
息を合わせる、身体の姿勢や動き、声の質を相手に合わせるところから、
心にへだてのない家族関係の要となるフィーリングを築いてゆくことができるのです。

<ラポールを築くためにできる行動>

● 声……声の大きさ、話すスピード、声の調子、声の質 言葉の選び方

● 目の動き……同じところを見つめるなど。

● しぐさと姿勢

● 呼吸

          (『NLP子育てコーチング』 チャード・ボルスタッド 春秋社 )

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子どもの発達に気がかりな面があるとき、
親子のラポールに危うさを感じるときがあります。

たとえば、子どもにたくさん言葉をかける親御さんは
まったく無視している親御さんと同じくらい
親子の絆が弱まっているのをよく見かけるのです。
非常に愛情深く常に子どものことを気にかけている親御さんであっても
そうなのです。

子どもにたくさん声をかけると、頭が良くなり、子どもとの関係が深まるように思っている方が
いらっしゃいます。
確かに子どもにたくさん声をかけることは大切です。

しかし、
子どもと非言語の世界で息が合っていて、
ミラーニューロンを通してコミュニケーションがきちんと取れていないのに
一方的に話しかけてばかりいると、
子どもは自分自身から世界に働きかけるチャンスも、自分の力を試して自信を持つ体験も、
静かにミラーニューロンを使って学ぶチャンスも、
自分で失敗してそこから学ぶ体験も失ってしまいます。
もちろんたっぷり言葉をかけてあげることは大事なのですが、
子どもと息が合っていないなら、
それは共感しながら交わされる会話につながらず、
ただの雑音になってしまうときがあるのです。

まだ赤ちゃんのように見える子も、自分で世界を体験していますから、
それに対する思いを親御さんと共有したいと思っています。

それなのに親が見ている世界を押し付けたり、
親が子どもにさせたいことを言葉で指示する形になってはいけないと思うのです。

子ども自身が見聞きして感じている世界を、
親御さんがそっと受け止めて、しぐさや言葉で共感を示していくのが
大切なのです。



奇妙に聞こえるかもしれませんが、
親御さんが終始穏やかで、笑顔を絶やさないいつも優しいお母さんの場合でも、
子どもの気持ちの動きやしぐさや声の調子と
あまりにかけ離れているとき、
親子のラポールの弱さを感じるときがあります。

子どもが、怒り、喜び、不安、不満、感激、悲しみなどの
さまざまな感情表現をオーバーなほどする場合、
親御さんが、
子どもの気持ちがどの状態のときも、同じように穏やかににこやかにしているときに、
親子の絆が危うくなっているのを見かけるときがあるのです。

子どもはうれしくてたまらないとき、
刺激的なほど親にもうれしそうにしてもらいたかったり、
感激しているとき、いっしょに手をとって感激してもらいたかったりします。

でも、どんなときも同じように穏やかな優しいお母さんだと、
だんだんネガティブな気持ちにばかりつながりやすくなったり、
ちょっとしたことで激しくキレたりするのです。
もちろん、いつも機嫌が悪いとか、いつも不安そうとか、いつも無表情とか、いつも起こっている親御さんは、
その何倍も子どもにダメージを与えるはずです。

でもニコニコしていていつも穏やかという母親の鏡のような親御さんでも、
子どもの気質や態度とそれに返す親御さんの反応の質があまりに異なると、
子どもの側に不安や寂しさやイライラが募っていくのを
見かけるときがあるのです。

大人も、時には子どもの呼吸に合わせて、
はしゃいだり、喜びに浸ったり、いたずらで好奇心旺盛な態度をとったり、ちょっぴりすねたり、甘えたり、「ダメよ」と厳しい表情をしたり、笑い転げたりすることが大事だなと感じています。

もちろん、子どもといる間、親が四六時中、子どものペースに合わせていなくてはならない
ということではありません。
一日、数分でもいいから、しっかりと子どもとの絆を作る時間を持つだけで
子どもは大きな変化を遂げることと思います。

 

次の記事は愛着障害を起していた子ではないのですが、ユースホステルで、母子間のラポール

の調整する大切さを学んでいただいていたレッスンの様子です。

よかったら読んでくださいね。


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ユースホステルのレッスンにはまだ2歳になったばかりの□くんも参加していました。
語彙の数も多いし、運動能力も発達している笑顔のかわいい子です。
□くんのお母さんは、□くんをそれはかわいがっていて、たくさん声かけをしています。
□くんも、2歳になったばかりなのに、「こんな言葉を知っているの?」と思うほど
よくしゃべります。

ただ、背後からお母さんに話かけられて、□くんはいつも前を向いたまま
お母さんの方を振り返らずにお返事していたり、
終始ご機嫌はいいものの、
□くんの感情の動きが読み取りにくかったりするところがありました。

「どうしてかな?」と思いつつ様子をうかがっていると、
2歳の□くんがお母さんのお守りをするような形で、
お母さんの声かけに自分を合わせてあげていて、
自分の考えや気持ちは引っ込めているように見えました。

そこで、□くんのお母さんに少しの間、控えておいていただいて、
色画用紙で作ったピンクの豚を□くんの方へ差し出しました。
すると、□くんは、それをトコトコと歩かせるようにして
遊び出しました。
私ももう一体ピンクの豚を手にして、
静かに□くんを真似て豚を歩かせる真似をしました。

ここで私が、「ぶぅぶぅぶぅ~」と言いながら
□くんの方に自分の豚で働きかけたりしなかったのは、
□くんがゆったりとしたペースの子で、
真剣に周囲を観察しながらいろんなことに気づいたり考えたりしている
ようだったからです。

□くんの中からアイデアや気持ちが生まれてくるまで、
こちらは少しの間、静かに待ってあげなくてはならないと感じたのです。

すると、□くんは、急に考え深い表情になって
自分の紙の豚をさかさまにしてお腹を開いて、こんな風になっているのかと驚いたような顔をして、
次に私も同じようにそれを見ているか確かめるようにこちらを見て
パァッーと花が咲いたような明るい笑顔を浮かべました。
それから、自分から「はい」と私に自分の豚を渡して、
「交換しよう」とうながすそぶりで、私の豚を手にとって、うれしそうに笑いました。

□くんは、お母さん以外の人や子どもを見ると、フリーズしたように固まって
茫然と見続けるだけでした。
まだ2歳になったばかりですから、成長としては
それでも十分なのですが、
「怖がっているわけではないのに、どうやって働きかけたらいいのかわからないんだな。今まで
いろいろな人との関わり方のパターンを見たり体験したりしたことが
ないんだろうな」とも感じていました。

この豚の交換のアイデアは、この少し前に、
★ちゃんと○ちゃんがお手紙交換しているのを目にしていたので、
それをさっそく豚でためしてみたのかもしれません。
□くん、なかなか利発な子のようです。

□くんは、□くんのペースを待って、□くんの気付いたことに共感するようにすると、
物と物の隙間の広い狭い、おもちゃとおもちゃの隙間の長い短い、段差の高い低い、
くんできた水の冷たい、ぬるいなどに非常に敏感で、
その微細な差を比べてこちらに伝えようとし、
こちらが□くんの面白いと思うものに共感すると、心から満足そうな様子になりました。

それまで、□くんの非言語のやりとりが少ないことがちょっと気になっていました。
お母さんとたくさんおしゃべりしているわりには、
心のこもらない調子で、質問テストに答案を書きこむような調子で、お母さんの方は向かずに、
よそ見しながら、
お返事している姿が多かったのです。
「見て!聞いて!伝えたいことがあるの!」という□くんから発信するものが
あまり感じられなかったのです。
それが、□くんのペースを待って、□くんの思いをきちんと受け止めるような
接し方をすると、
□くんは自分側から周囲に向かって伝えたいさまざまな思いを抱いていることがわかりました。
大人以上に微細なものまで感じ取り、いろいろなことを考えてもいたのです。


2歳児 と お母さんのコミュニケーションにズレがある時 2

2012-09-22 08:28:39 | 初めてお越しの方

前回の記事に次のようなコメントをいただきました。

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娘がちょうど二歳の頃、私がしていたことがかかれていて胸をえぐられるようでした。
現在4歳になりますが、集団行動がとれず発達障害を疑われ受診を待っています。
IQテストの結果を見ても、歪みが少なく、知的には問題がありません。
心理士さんの指導のもと、少し接し方を変えただけで問題行動が減っていくのをありがたいと思いながらも、あまりの反応のよさを見るにつけ、やはり発達障害ではなく、私の育て方によるものだと戻せない過去を悔やむ日々です。
子供のありのまま受け入れることからはじめていますが、まだまだしっくりこないことも多く途方にくれることも。
ダメ出しを頂ける機会を夢見つつ、記事を参考にさせていただきます。続きを楽しみにしてます。

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2歳児とお母さんのコミュニュケーションのあり方にズレが感じられ、

子どもの発達や態度に気がかりなところ(呼んでも振り返らない、

うわの空で返事をする、感情表現が乏しい、

目と目を合わせてコミュニュケーションを取ろうとしない……など)が

見られる場合、その理由にはさまざまな原因が複雑に絡み合っていることと思います。

ひとつには、子どもの生得的な特徴に因があって、

程度によっては自閉症スペクトラムが疑われるということもあるでしょう。

また発達障碍ではなく、愛着障害が原因で

一時的に自閉傾向のある子たちと非常によく似た態度を示す子らもいます。


精神科医で医学博士の岡田尊司先生によると、

セロトニン・トランスポーターという愛着に関係する重要な遺伝子が、

日本人などのアジア人種では3分の2の子が母親の接し方の影響を受けやすい短いタイプの多型を

持っているそうです。

親の影響を受けにくい長いタイプの子は、3分の1だけなのです。

短いタイプの遺伝子多型をもつ人は、トランスポーターを作る能力が低く、

ストレスや不安を感じやすく、うつになりやすく、

攻撃性や食欲の問題が出やすいのだとか。

このタイプの子は、母親の関わり不足などがあると、不安定型の愛着、

ことに混乱型を示しやすい一方で、

よくかまうよい関わり方をした場合、長いタイプの2倍も安定型愛着を示すそうです。

 

白人の場合、6割が親の影響を受けにくい

長いタイプの有利な遺伝子のタイプで生れるというお話です。

 

岡田尊司先生は

「親の育て方の影響を受けにくい遺伝子のタイプが多いアメリカ社会でさえ

愛着障害があふれているというのに、もっと過敏で愛着が不安定になりやすい日本の子どもに

同じことをすればどれだけ悲惨なことになるか、現状は実証しつつある」と警告しておられます。

 

愛着障害に関しては過去に  「愛着」の形成がうまくいかなくなってきた現代  という記事を書いたことが

ありますので、少し脱線しますが紹介しますね。

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「公園などで見かける多くの幼児が、
『愛着』の形成がうまくいっていないように見える」

「そうした子の親の関わり方を見ていると、
外からは可愛がっているように見えるし、ごく普通の親のように見えるけれど、
子どもとの心の交流や非言語でのやりとりが
かなりずれているようだ」

数年前から、幼い子を育てている最中の知人から、繰り返しそうした指摘を受けていたため、
私もその問題には細心の注意を払ってきました。

愛着とは、特定の人に対して「この人は自分の欲求や感情や意思を理解してくれる。この人といれば安心だ」という認識をもつこと。
特定の人に対して特別な情愛を抱くことです。
生後6~8ヵ月頃に、赤ちゃんの心に大人との関わりを通して形成されます。

愛着がきちんと形成されないと、次のふたつの態度が生まれます。

世話をしようとしている人に対して、警戒的で、「素直じゃない」という態度が多くなります。
甘えたいの甘えることができなくて、優しくしてもらっているのに、怒りだしたり泣いたりします。

一方、初めて会う人にもなれなれしく近づき、ベタベタし、
社交的に見えるものの、警戒心がほとんど見られず、
相手がどんな人か頓着しません。

3歳くらいまでは、子どもってこんなものかな~と思ってきたけれど、3歳を過ぎ、成長するにつれ、気になることが増えてきたという方で、
子どもの愛着形成がきちんとできていないな~と感じるケースと
よく出会います。

「こんな風にしたらうまくいく」と一言で伝えられる内容ではないのですが、
愛着の形成に集中的にしっかり努めてみると、
母親に1,2歳児のようにベタベタ甘える時期、、
親に八つ当たりしたり、ワガママをぶつける時期を経過したあとで、
状態が飛躍的に良くなる子が多いです。

愛着の形成に問題がある子は、
発達障害を持っている子もいるし、ごく普通の子もいます。
どちらであっても、
愛着がしっかり形成されていくと
問題のある行動は減ってきます。

2歳3歳の子というのは、愛着に問題がなく、
すくすく育っていても、
何でもかんでも「自分で!」と言い張ったり、「ダメ」「イヤ」と言わないと、
何もはじまらないのが普通です。
ですから、子どもが、よく泣いたりごねたりするからといって
過度に心配する必要はありません。

しかし、今、子育て環境の変化から、
専門家の間でも、
「普通の家庭」で育てられている子ども達の間に、愛着がきちんと形成されていない子がたくさん見られるようになり、
特に、
「人見知りがなく、誰にでもすぐになれなれしく甘えていく脱抑制型の愛着障害がよく見られる」という指摘がされているのも事実です。

私自身も、記事の最初に登場した知人も、子どもの姿を観察しながら、
非常に多くの幼児がこの問題を抱えていることを感じています。
愛着の形成の問題は、安易に見過ごすわけにはいかない、
先の多くの問題(学級崩壊、不登校、反社会的行為、無気力無関心)のねっこともなるものなんだろうな……と感じています。

具体的な対応、解決法は
また時間があるときに記事にしていきますね。

 

 

前回の記事に次のようなコメントをいただきました。
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ものすごく今気になっていたことです。
昨日、子育て支援センターに行ったら、
娘と同じ1歳半ぐらいの子を持つ4人の子と母親が来ました。でも、母親達は端でおしゃべりに夢中。
子どもを全くみてないのですが、
子どもも全く母親を必要としてなくて、
それぞれひとりで大人しく遊んでいるんです。それぞれの性格もあるし~とは、思っていてましたが、あまりにもかまうことがなく、かまったと思ったら、遊んでるおもちゃを停止させてカメラ撮影に必死。一人は6ヵ月ぐらいの二人目の赤ちゃんもいてましたが、母親から離れたベビーベッドに置かれ、2時間の間にいちど授乳をしただけで、ずっと置いておかれたままでした。視界にも入っていない感じでした。
1歳半ぐらいのこどもたちは、初めて会う私にも全く警戒なく、ボールで遊ぼうと誘ってきたり、べったり付いてくる感じ。人懐っこい感じはするけど、なんかとても違和感を感じました。

ママ達のおしゃべりも大事だけど、きっと家でもこんな感じなのかな~って思うと明らかにコミュニケーションが少なすぎるな~と思いました。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
コメントをいただいたような親子の光景は、
今、児童館でも、公園でも、ショッピングセンターの遊びの広場でも
保育所や幼稚園の園庭でも子育て支援の場でも当たり前に見られる姿です。

以前、児童館の館長さんに頼まれて
未就園児の多人数の子育てサークルの遊び方の指導をしたことがあります。

それぞれのお母さんが大人同士のおしゃべりに夢中で、
1時間半ほどのサークルの間、子どもは眼中にもない様子でした。
積極的な子たちは走り回って、他の子のおもちゃを奪い取ったり、
赤ちゃんをつきとばしたり、ただ走り回ったりしていて、
おとなしい子は、騒がしい空間で、何をするでもなく座ったまま宙を見つめるか、お母さんたちがしゃべる様子をぼんやり見つめていました。

私が、ぬいぐるみの犬にシャワーをかけてお風呂に入れる真似を始めると、
子どもたちはいきいきとした表情を浮かべて、
犬を風呂に入れたり、拭いてやったりして遊びだしました。
また、文字積み木で図書館やレンタルビデオ屋さんをはじめると、
喜んで借りにきては、
ビデオを見る真似をしたり、
本を選ぶ振りをしたりして楽しそうに遊びだしました。

すると、その様子を見た親たちが、
しぶい顔をして、子どもをにらみつけたり、
暗い表情で、子どもを呼んで、「あの子と遊んじゃだめって言ったでしょ」と耳打ちするのです。
親同士、仲が良いとか悪いとかがあるようなんですね。
仲の悪い親の子どもとは遊ばないようにしつけているようなのです。
それと、
子どもが楽しそうに遊ぶのなんて、まったく無意味で、
先生として参加してくれるのなら、
音楽とか英語とか教えてくれたらよいのに……と思っているのが伝わってくるのです。

案の定、集団でする体操の時間や鈴やタンバリンを鳴らす音楽の時間になると、
お母さんたちの視線はわが子に釘付けになって、
あんなに無関心だったことが嘘のように、今度は一挙一動のミスも、他の子より遅れている部分も見過ごせないわ~という
雰囲気になっていました。
携帯で写真撮る方も多かったです。

気になったのは、多くの子が、
お母さんとまなざしで会話する姿が見られず、
親を振り返りもせずに、
まるで動物のようにうろつくときと、
親の視線が自分の注がれる場面では、
他の子と比較しているのを察知して
顔をこわばらせたり、目をパチパチさせたり、親の目を恐怖に見開いた目で見つめ続けたり、
それかまなざしは感じているはずなのに全く無関心な様子でお遊戯中もイスにのぼったりする姿があったことです。

こうした親子の姿は、あまりめずらしいものではありません。
いろんな子育て支援の場に参加しましたが、どこに出かけても、
「子どもを他の子と比べる場面以外では全く無関心、子どもは視界の外」
という親の姿は、
多数派でしたから。

おそらく今の日本の子育ての定番の形なのかな?

とも感じています。

子どもの側もそれに適応していて、
親に無関心か、自分の要求をかなえる道具として認識しているように見えます。
ですから、子育て支援の場で30組以上の親子が集まると、
殺伐とした空気が流れているんですよ。


今、虹色教室で子どもや親に集まってもらう場合、
親も子もとても良い形で関わることができています。
このブログを読んでくださっている方は、子育てのスタイルでは
少数派なのかもしれませんね。
事前に、子どもへの接し方や子育てで何が大切なのかといったことを共有しておくことの
必要性を感じています。


続きの記事を読んでくださる方は次のリンク先に飛んでください。

「愛着」の形成がうまくいかなくなってきた現代 3
「愛着」の形成がうまくいかなくなってきた現代 4
「愛着」の形成がうまくいかなくなってきた現代 5



自閉っ子 が 急に成長する時  1

2012-09-21 18:17:07 | 自閉症スペクトラム・学習が気がかりな子

忘れる前にレッスンの記録を取っておきたいので、前回の記事の続きは明日か明後日にでも書かせてくださいね。

 

今日は、

自閉っ子 と 社会性の発達 1

自閉っ子 と 社会性の発達 2

という記事でレッスンの様子を紹介させてもらったことがある●くんと☆くんが教室に来てくれました。

 

●くんと☆くんの親しさは以前にも増して近いものになり、

いっしょに協力して遊んだり、☆くんがアイデアを出せば、誰に後押しされるでもなく●くんもアイデアを口にし、

☆くんが●くんに何か問いかけると、少し間があった後で必ず何か答えようとする●くんの姿がありました。

 

以前はファンタジーの世界に閉じこもって

独り言を言いながら一人遊びを続けていた●くんですが、

急に外の現実の世界に積極的に参加しようとする意欲を見せるようになりました。

↑ ●くんが作ったコンクリートをかき混ぜる機械。

●くん、設計図を見ながらレゴを組み立てるようになってきたそうです。

 

☆くんが「地下鉄を作りたい」と言ったので、レゴのテーブルを

教室の真ん中に移動させたところ、●くんは券売機を作り始めました。

隙間から切符が入るそうです。

↑ 壮大な地下鉄の建設のイメージを抱いて、

たくさんの階段をつないでいく☆くん。

「~作ってよ!」と他人に頼っては、「地震地震!」と崩す係をしていた☆くんが

いつのまにか自分で描いたイメージを形にしようと

根気よく製作するようになっています。

地下鉄を走らせる段になって、どの電車を誰が使うのか、どこを走らせるのかで

もめごとが発生しました。

数回前のレッスンでは大きな声で責め立てたり、

思わず手が出そうになったりと

ヒヤヒヤするシーンがたびたびあったふたりですが、

「ふたりで話しあってね」「言葉で言ってごらん」「口で説明してね」

と言うだけで、お互いに言いたいことを言って

相手を受け入れて、上手に解決していました。

 

その成長ぶりには、本当にびっくり!

 

相手のことが大好き!という気持ちと

遊びの世界が豊かになってきたことがなせる技だな~と思いました。

10円を入れて遊ぶパチンコゲームを●くんに勧める☆くん。

コンクリートをかき混ぜる機械作りに熱中していた●くんに

粘土をコンクリートミキサー風にかき混ぜて、コロコロ団子を作る道具を出してあげました。

ふたりともハンドルを回して大喜びです。

↑トランプゲーム。同じ数のカードを2枚ずつ集めます。

↑お買いものごっこ。易しい計算、ちゃんとできていました。

 

 

 興味を広げる目的で、帰りにふたりといっしょにインド料理店に行きました。

 甘い子ども用のカレーがとてもおいしかったようで、ふたりともペロッとたいらげて

 うれしくてしょうがない様子。

☆くんはお家にあるRPGゲームのエキゾチックタウンのイメージが浮かんだらしく

そのテーマ曲を口ずさんで上機嫌でした。

 


2歳児 と お母さんのコミュニケーションにズレがある時 1

2012-09-21 06:14:03 | 0~2歳児のレッスン ベビーの発達

2歳児とお母さんのコミュニケーションのあり方に「あれっ?」と気になるズレのようなものがある時、

ちょっと気が引けるのですが、お母さんに何度かダメ出しをして

関わり方を調整していただくようにしています。

 

おしゃべりが得意で、できることも多く

かんしゃくや感覚過敏がない子の場合、

いったい何に問題があるのか、どうして関係を改善しなくてはならないのか

ピンとこないかもしれません。

 

子ども同士の能力を見比べるという目で眺めると

何も気になるところがないか、とてもしっかりしているように見える子だけれど、

お母さんとその子の関わり方を見ているとコミュニュケーションの取り方がずいぶん気になるというケースが

あるのです。

 

放っておくと集団生活が始まる頃か、子どもが抽象概念の理解を必要とする時期に

問題が表面化しやすいように感じます。

 

わたしが気にかけているのは次のような点です。

 

★ 子どもに声をかけても、振り返らないか、大人の声を不快に感じているように見えることが多い。

 

(お母さんが声をかけている時も、他の大人が声をかけている時も)

 「ダメよ」と言われそうなことをする前に、チラッと親の方を振り返るような動作をしない。

 

 

★ お母さんの興味が、子どもの表情や感情の動きにほとんど向けられておらず、

子どもが自分の指示に従うかや、何ができるかや何かをできるようにさせることやたくさん言葉をかけることに

焦点があたっている。

 

★ 非言語のやり取り、目と目を合わせて笑いあったり、お互いにうなずきあったりするような

場面がほとんどなく、子ども側が笑いかけてきてもお母さんがスルーしてしまうことが多いわりに、

子どもが何かしようとするたびに不必要なほど声をかける。

 

★ 身体を通して、リズムで子どもにどのような行動をしたらいいのか伝えるのではなく、

言葉で指示したり、説明したりする。

(2歳児の場合、言葉だけでは伝わらないことほとんどです)

 

★ コミュニュケーション自体に相互に行きかう心地良さがない。

楽しさや遊びの部分が少ない。

(コミュニュケーション以外の面で、おもちゃなどではいっしょに楽しんだり遊んだりしている。だっこされた時などは

楽しそうにしているが、お互いに目を見て関わるコミュニュケーションそのものが子どもを喜ばすことがほとんどない)


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次回に続きます。