私 「制作者サイドの質を考えるだけではなくて、
使用する側の視点で質を考えるって……
お母さんが工作のワークショップや不定期の科学クラブを開くときにも
重要なポイントでもあるの。
ただ開催する側、教室運営サイドの価値観で質を考えるなら、
何をどれだけ学べるかといった学習内容の質や量、
それから教え方の上手い下手といった教師の質、
価格や開催場所や交通の利便性といった面で、
他の工作教室なり科学教室とある程度、比較することが可能なんだけど……。
お母さんが大切に守ろうと思っている質は、
そうしたものとは、全くちがうものでもあるのよ。
そうした基本的な質に工夫をこらしてはいるけど。
じゃぁ、何を優先しているのかというと、言葉にしにくいんだけど、
お母さんは能力や才能というのは、
『与える』とか『伸ばす』ものというより、
『見つける』ものだと感じていてね。
自然の山に登ると、いろんな珍しい草花や生き物が見つかる
のと同じように、
子どもが集まれば、そこには数えきれないくらいの才能が
見つかると思っているの。」
息子 「あっそうか、見つけるかー!そうだね。
才能って発見するものだよね」
私 「ただ問題なのは、『与える』とか『伸ばす』というのなら、
具体的な教授法なり、学習内容なりを示せるけれど、
『見つける』となると、とても曖昧で未知の部分が大きくなるから、
『外からは見えない価値』とも言えるわね。
でも、そうした『外からは見えない価値』が、
リピーターとして
何度もうちの教室のレッスンに申し込んでくれる人にとって、
最も重要な遠方からも何度も通ってこようと希望する理由になっているのはわかるわ。
今は予約が混みすぎて、新規の募集はかけていないけどね。
具体的な才能というのは、親にとっても本人にとっても、
誰かが見つけて、そこにスポットライトを当てない限り、
ないも同然に潜在しているものよ。
でも、いったん見つけて言葉にして、本人や周囲が
それを受け入れたとたん、才能は現実の世界で芽を出して自然に伸び始めるわ。
たとえば、東京の工作のワークショップで小1の男の子が、段ボール内を走るビー球コースターを作っていたんだけど、
その様子を見ていたその子のお母さんは
(なんて地味な作品だろう。もっと華やかで、何かあっという仕掛けを作ったほうが……)とずっと思っていたそうなの。
でも、私はその子の
『見えない部分を推測しながら作品を作るという発想』は
すばらしいと思ったし、
その作品には『独創性』や『推理力』という点で
その子の中に潜在している
才能を垣間見せてくれるものだと感じたの。
そうした私の発見は、しっかりその子に届いて、
ワークショップの後で、その子は精力的に作品作りに励んでいたそうなのよ。
滋賀の工作イベントでもこんな作品があったわ。
ワークショップでは基本の作り方をいろいろ伝授するわけだけど、
その時にストロー数本と紙コップを使って簡単な電話の作り方を教えたの。
そうしたら、ストローをこれでもかって
本数つなげて電話線をはりめぐらせた家を作った子がいたのよ。
びっくりしたわ。
きっと、(こうしてみたらどうなるだろう?)という『好奇心』や『探究心』が強い子なのね。それとねばり強さも強みなんだと思うわ。」
息子 (電線をはりめぐらされた家の写真を見て) 「あっ、それ面白いねぇ。すごいすごい」
私 「段ボール内部にビー球コースターを作った子にしても、
電話線をはりめぐらせた家を作った子にしても
それぞれの才能は異なるだろうけど、
どちらもとてもクリエイティブな能力と関係が深いはずよ。
そうした力って、私が教え込んで伸ばすものじゃなくて、もともとそこにあるものを見つけて、本人が磨いていくものなのよ。
最初に話していたのは、制作者サイドの質と
使用する側の視点での質のことだったわよね。
作っている人は作る対象についての既存の
これまでに認められたことのある価値の中で
作っているものの質を測りがちよね。
それを求めて努力している。
もちろんそれは重要だけど、
使用者が使う場で生まれる
それまでにない新しい価値もあるはずなのよ。
『外からは見えない価値』や
『人と関わることで新しく創造される価値』
といった物が★(息子)が言っていた生きた作品になるかどうか、
ヒットを生み出す作品になるかどうかのカギを握っているのかもしれないわね。」
息子 「さまざまな場でIT化が進んで、多くの人の願望や欲望を満たすものが次々生まれているけれど、
そうなればそうなるほどそれを生み出す現場では『アナログな知識』といったものが必要になってるのかもしれないね。
それが『外からは見えない価値』や
『人と関わることで新しく創造される価値』の正体なのかな?
ほら、お母さんの仕事なんてのも、
分厚い教え方のテキストをマニュアル化したもんじゃないよね。
実際、使っているのは人が生きて生活している場の温度が伝わってくるような知識じゃん。
ぼくはよく、
どうしてあんなに流行っているんだろう?
何であんなに人気があるんだろう? って目で
『けいおん!』(かきふらい原作の漫画及びそのアニメ作品)を見るとき
があるんだけど、冗談が飛び交う和気あいあいとした雰囲気の中で、
ひとりでも欠けたらいけないっていう
個が個としてかけがえがない場所を占めているところが人気なんだろうって思うんだよ。
実際の部活は、馴れ合いや義務感ばかり膨らんでいるような場も多いんだけど……。
でもさ、本当のところは、みんなそういうものを
めちゃくちゃに馬鹿にしながら、
そして実際馬鹿みたいにくだらないものになっちゃっているけど
それでもそうした部活や学芸会的なものを一番求めているのかもしれない……
って感じることがよくあるよ。
人と人が、顔と顔を合わせて、ふざけたり、まじめな話をしたり、創造的な何かを共有したりね。
そうした生の体験で感じる感情に飢えているって言ったらいいのかな?
ほら、メイド喫茶に通うのが好きって人にしても、
本当にアニメの主人公みたいなメイドに会いたいってだけで、
そこに通っているんじゃないと思うんだよ。
自分たちはこんなキモイ世界観も好きだと言えるだという
そのドアを通った時点でその場にいる者同士の強い結束感のようなものがあるんじゃないかな?
外の世界で どんなにコミュニケーション不全に悩んでいても、
その空間では自分は完全に受け入れられている……
そこの一員だという安心感のようなものも求めているのかもしれないよ。
『ウォーターボーイズ』にしても『けいおん!』にしても、
あれは映画の世界だ、アニメの世界だって、けっして手が届くことはない遠い世界のことのように語る人は多いけれど、
現実には誰からも遠くはないんだと思う。
誰かが作った規範に従うことが、自分の世界との関わり方になってしまっているだけで、世界は自分がどう思い、どう感じ、何をしようとするかで
自分が望むものとほとんど同じようなものになるものだから。」
私 「そうよね。★(息子)はそういう今の社会に渦巻くさまざまな思いを汲み取って、作品作りに生かしたいの?」
息子 「ぼくはみんなが表面的な意識の部分で望んでいるものではなく、
その心の奥底に眠る本当の願望に訴えるものが作りたいんだ。
マンガ家が『ワンピース』の作者に憧れているから、
『ワンピース』 みたいな マンガが描きたいって思っちゃったら、
そこが到着点になって、それ以上のものを作るのは難しくなると思うよ。
『ワンピース』 より 面白いものが作りたいって
そう思わなくっちゃ、良い作品はできないはずだよ。
すでにあるものを作っても面白くないから。
でも、矛盾するようでも、同時にすごいものを作ろうと自分のプレッシャーをかけたりせずに、
すでに誰かが作ったかも知れないものでも、
まず できそうなものをどんどん作っていって……
とにかくいろんなものをたくさん作って、
確実に夢に近づきたいんだ」
使用する側の視点で質を考えるって……
お母さんが工作のワークショップや不定期の科学クラブを開くときにも
重要なポイントでもあるの。
ただ開催する側、教室運営サイドの価値観で質を考えるなら、
何をどれだけ学べるかといった学習内容の質や量、
それから教え方の上手い下手といった教師の質、
価格や開催場所や交通の利便性といった面で、
他の工作教室なり科学教室とある程度、比較することが可能なんだけど……。
お母さんが大切に守ろうと思っている質は、
そうしたものとは、全くちがうものでもあるのよ。
そうした基本的な質に工夫をこらしてはいるけど。
じゃぁ、何を優先しているのかというと、言葉にしにくいんだけど、
お母さんは能力や才能というのは、
『与える』とか『伸ばす』ものというより、
『見つける』ものだと感じていてね。
自然の山に登ると、いろんな珍しい草花や生き物が見つかる
のと同じように、
子どもが集まれば、そこには数えきれないくらいの才能が
見つかると思っているの。」
息子 「あっそうか、見つけるかー!そうだね。
才能って発見するものだよね」
私 「ただ問題なのは、『与える』とか『伸ばす』というのなら、
具体的な教授法なり、学習内容なりを示せるけれど、
『見つける』となると、とても曖昧で未知の部分が大きくなるから、
『外からは見えない価値』とも言えるわね。
でも、そうした『外からは見えない価値』が、
リピーターとして
何度もうちの教室のレッスンに申し込んでくれる人にとって、
最も重要な遠方からも何度も通ってこようと希望する理由になっているのはわかるわ。
今は予約が混みすぎて、新規の募集はかけていないけどね。
具体的な才能というのは、親にとっても本人にとっても、
誰かが見つけて、そこにスポットライトを当てない限り、
ないも同然に潜在しているものよ。
でも、いったん見つけて言葉にして、本人や周囲が
それを受け入れたとたん、才能は現実の世界で芽を出して自然に伸び始めるわ。
たとえば、東京の工作のワークショップで小1の男の子が、段ボール内を走るビー球コースターを作っていたんだけど、
その様子を見ていたその子のお母さんは
(なんて地味な作品だろう。もっと華やかで、何かあっという仕掛けを作ったほうが……)とずっと思っていたそうなの。
でも、私はその子の
『見えない部分を推測しながら作品を作るという発想』は
すばらしいと思ったし、
その作品には『独創性』や『推理力』という点で
その子の中に潜在している
才能を垣間見せてくれるものだと感じたの。
そうした私の発見は、しっかりその子に届いて、
ワークショップの後で、その子は精力的に作品作りに励んでいたそうなのよ。
滋賀の工作イベントでもこんな作品があったわ。
ワークショップでは基本の作り方をいろいろ伝授するわけだけど、
その時にストロー数本と紙コップを使って簡単な電話の作り方を教えたの。
そうしたら、ストローをこれでもかって
本数つなげて電話線をはりめぐらせた家を作った子がいたのよ。
びっくりしたわ。
きっと、(こうしてみたらどうなるだろう?)という『好奇心』や『探究心』が強い子なのね。それとねばり強さも強みなんだと思うわ。」
息子 (電線をはりめぐらされた家の写真を見て) 「あっ、それ面白いねぇ。すごいすごい」
私 「段ボール内部にビー球コースターを作った子にしても、
電話線をはりめぐらせた家を作った子にしても
それぞれの才能は異なるだろうけど、
どちらもとてもクリエイティブな能力と関係が深いはずよ。
そうした力って、私が教え込んで伸ばすものじゃなくて、もともとそこにあるものを見つけて、本人が磨いていくものなのよ。
最初に話していたのは、制作者サイドの質と
使用する側の視点での質のことだったわよね。
作っている人は作る対象についての既存の
これまでに認められたことのある価値の中で
作っているものの質を測りがちよね。
それを求めて努力している。
もちろんそれは重要だけど、
使用者が使う場で生まれる
それまでにない新しい価値もあるはずなのよ。
『外からは見えない価値』や
『人と関わることで新しく創造される価値』
といった物が★(息子)が言っていた生きた作品になるかどうか、
ヒットを生み出す作品になるかどうかのカギを握っているのかもしれないわね。」
息子 「さまざまな場でIT化が進んで、多くの人の願望や欲望を満たすものが次々生まれているけれど、
そうなればそうなるほどそれを生み出す現場では『アナログな知識』といったものが必要になってるのかもしれないね。
それが『外からは見えない価値』や
『人と関わることで新しく創造される価値』の正体なのかな?
ほら、お母さんの仕事なんてのも、
分厚い教え方のテキストをマニュアル化したもんじゃないよね。
実際、使っているのは人が生きて生活している場の温度が伝わってくるような知識じゃん。
ぼくはよく、
どうしてあんなに流行っているんだろう?
何であんなに人気があるんだろう? って目で
『けいおん!』(かきふらい原作の漫画及びそのアニメ作品)を見るとき
があるんだけど、冗談が飛び交う和気あいあいとした雰囲気の中で、
ひとりでも欠けたらいけないっていう
個が個としてかけがえがない場所を占めているところが人気なんだろうって思うんだよ。
実際の部活は、馴れ合いや義務感ばかり膨らんでいるような場も多いんだけど……。
でもさ、本当のところは、みんなそういうものを
めちゃくちゃに馬鹿にしながら、
そして実際馬鹿みたいにくだらないものになっちゃっているけど
それでもそうした部活や学芸会的なものを一番求めているのかもしれない……
って感じることがよくあるよ。
人と人が、顔と顔を合わせて、ふざけたり、まじめな話をしたり、創造的な何かを共有したりね。
そうした生の体験で感じる感情に飢えているって言ったらいいのかな?
ほら、メイド喫茶に通うのが好きって人にしても、
本当にアニメの主人公みたいなメイドに会いたいってだけで、
そこに通っているんじゃないと思うんだよ。
自分たちはこんなキモイ世界観も好きだと言えるだという
そのドアを通った時点でその場にいる者同士の強い結束感のようなものがあるんじゃないかな?
外の世界で どんなにコミュニケーション不全に悩んでいても、
その空間では自分は完全に受け入れられている……
そこの一員だという安心感のようなものも求めているのかもしれないよ。
『ウォーターボーイズ』にしても『けいおん!』にしても、
あれは映画の世界だ、アニメの世界だって、けっして手が届くことはない遠い世界のことのように語る人は多いけれど、
現実には誰からも遠くはないんだと思う。
誰かが作った規範に従うことが、自分の世界との関わり方になってしまっているだけで、世界は自分がどう思い、どう感じ、何をしようとするかで
自分が望むものとほとんど同じようなものになるものだから。」
私 「そうよね。★(息子)はそういう今の社会に渦巻くさまざまな思いを汲み取って、作品作りに生かしたいの?」
息子 「ぼくはみんなが表面的な意識の部分で望んでいるものではなく、
その心の奥底に眠る本当の願望に訴えるものが作りたいんだ。
マンガ家が『ワンピース』の作者に憧れているから、
『ワンピース』 みたいな マンガが描きたいって思っちゃったら、
そこが到着点になって、それ以上のものを作るのは難しくなると思うよ。
『ワンピース』 より 面白いものが作りたいって
そう思わなくっちゃ、良い作品はできないはずだよ。
すでにあるものを作っても面白くないから。
でも、矛盾するようでも、同時にすごいものを作ろうと自分のプレッシャーをかけたりせずに、
すでに誰かが作ったかも知れないものでも、
まず できそうなものをどんどん作っていって……
とにかくいろんなものをたくさん作って、
確実に夢に近づきたいんだ」