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マダムnihaoのフレッシュ搾りたてブログ。お気軽にお立ち寄りください。

宮沢賢治の下宿先

2008-11-05 10:15:01 | Weblog

           


 連休中は、舅の十三回忌と姑の一周忌を執り行った。
家族、近隣の親戚たち、遠来より舅・姑の姪たちも駆けつけてくれた。

 この一年あらゆる生活の場で、今もし婆婆がここにいれば....どのように感じ何を話すだろうと、姑を強く意識させられる日が少なくなかった。
法要の最中、閃光が走り雷鳴が轟いた。
すさまじい轟音......これは婆婆の怒りの鉄槌?
あっ!いや......生き残った者たちへの婆婆からの喝であろう。
介護を通し晩年に深く関与したものとしては、はたして婆婆を幸せにすることができただろうかと、いまだに後悔と反省の気持ちが交錯する。

 我が家の菩提寺は浄土真宗『徳玄寺』
銭掛けの松】という伝説が残っている古い寺だが、実は宮沢賢治の盛岡中学時代の下宿先としても知られている寺だ。
『賢治さんの部屋』は今でも本堂のすぐ脇に現存する。
何も宣伝していないので見落とされがちだが、お願いすると案内してくれる。
 
年譜によるとこちらでの下宿体験が仏教への興味や関心を育んでいったようだから、本来であれば、あまたひしめく賢治研究家やファンにとって絶対に見逃すことのできないスポットだと思う。
そこで迷カメラマンnihaoが潜入して、ネットでも流出していない『賢治さんの部屋』の証拠写真を撮影することに成功!


           

 大変貴重な一枚であるにもかかわらず、なんじゃこれ写真になってしまった。

 実は現在この部屋は、つい最近後継者になったばかりの若き住職さんの控えの間になっている。
茶道具や衣類などの私物が並んでいて『賢治さんの部屋』というよりは、どうみても『徳玄寺の若様の部屋』だ。

 仕方がないから視線を上にして撮影した。
大正2年頃、宮沢賢治は毎日畳の上に寝転がり、この砂壁を眺めては深遠なる宇宙や人間の真理について思いを巡らしていたはず.....なのだ!

 盛岡市には、たった3週間しか住まなかった【石川啄木新婚の家】という観光スポットがあるが、徳玄寺の『賢治さんの部屋』だって、宣伝すればかなり注目され観光客が押し寄せるのではないだろうかと、檀家の末端人はつい想像してしまうが.......。

 いや、ひっそりと陽の当たらない寺の一隅で、密かに時を刻んでいる方がよいのかもしれないなあ。