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学びのプラスあるふぁ:日常の気付き

人の人生、それぞれが皆オリジナル。街を歩き人に話しかけることから「なるほど」と納得できる発見がある。

「よし!」とやる気になること

2020-11-10 16:56:15 | 日記
スポーツの秋がそろそろ終わりに近づいて冬の到来を感じる今日この頃、日本のプロ野球選手の引退ニュースが新聞のスポーツ面を賑わすようになってきた。現役続行の意思を示して他球団への移籍を望む選手を考えると、引退という判断は自分が消えてしまうように感じて容易に認められないようだ。僕も引退の日を迎えて、「さあ、何か仕事になるようなことを探さなくっちゃ」などと焦ったものだ。引退は仕事に振り回されてできなかった新しい生活や自分を考える時間を与えられたようなもの。素直に受け入れて自分の存在感を新生活の中でどのように表現するかを考える時なのだ。要するに日常の中で自らの「やる気」をどのような形で生かし続けるのかという問題であるように今の僕は感じている。プラス思考で前を向くことで新しいものが見えてくる。
「やる気」に関する名言はスポーツの世界には数多く残されている。かつて、ビンス・ロンバルディというアメリカン・フットボールのコーチがいた。僕がアメリカに居た頃だが彼の名言がある。“成功する人としない人の違いは能力や知識ではなく「やる気」があるかないかである” というのだ。スポーツの世界に限らない、全ての分野で「やる気」が人の生活や存在意義を変えていく。真剣に取り組むという姿勢の大切さを教えてくれる。よし!と「やる気」になって「工夫」することが全てを決すると信じる僕、先日受けた高齢者の認知機能検査、小さい事かもしれないが、高得点をとると意気込んでためしてみた。16枚の絵を提示されてから別の作業をした数分後にそれらの絵をいくつ思い出せるかを試す検査がある。僕は自分の日常の行動と関連づけてストーリーを作って一連の絵を覚えることにした。後日送られてきた検査の総合点はなんと98点。ほとんど満点で面目躍如である。検査を終えて出口でブツブツ文句を言っていた人や、検査についての説明にいちいち質問を繰り返していた人を思い出す。いろんな人が検査を受けていたけれど免許は返納した方がいいのではと思われる人が数人いたことに、やっぱりこの検査はとりあえず必要なのだなぁ…と納得した。

これしか出来ないので…

2020-11-06 17:02:17 | 日記
読めない地名は全国各地にたくさんあることは知っているけれど、先日、出かけた阪神電車の青木駅は(おおぎえき)と読むらしい。阪神大震災で甚大な被害を被った駅で阪神電車を長期間悩ませていたと聞いている。多数のキッチンカーが集まってちょってしたイベントというか提供される食べ物を楽しむ企画があった。僕はコロナの影響でキッチンカーが各地で活躍しているのを耳にしていたので興味津々、出かけてみたのだ。やや高めの値段の設定だとは感じたが、いろいろイベントを成功させるための運営上の関係があるのだろう。ビールなどを飲みながら楽しんだのだが高齢者用の優先座席がないので長時間の立ち飲みはちょっとキツいと感じた。(早速、テントの中の運営委員の皆さんに要望をしておいた)
お肉の串焼きを売っているキッチンかーはトヨタのトラックを改造していた。お兄さんに話しかけて「頑張ってるね〜」と冗談まじりに話しかけると、「トラックが全財産」「これしかできないので」などとこれまた冗談まじりに意外な答えが返ってきた。本当はもっと話を続けたかったのだが、なんといってもお昼の営業の真っ最中、お客さんが数人列を作って待っている。「おおきに!」の声でその場を離れた。
そこで思い出したのが、もう亡くなっているがアーサー・アッシュ(Arthur Ashe)。アメリカのテニスの選手で有名なのだが僕は彼の名言で彼のことはよく覚えている。“自分が(今)いるところでスタート、自分が(今)持っているものを使って、できることをやろう Start where you are. Use what you have. Do what you can.” という名言が好きだ。元気の良いこのキッチンカーのお兄さん、こんな名言を多分知らないと思うけれど、まさに彼の必死の挑戦が伝わってくるように感じた。どの店も元気に次々とやってくる客の応対に忙しそうに両手を動かしていた。名言の中には何度も思い出す価値があるものが多い。だから名言として残るのだ。

注目されたい若者達

2020-11-03 16:59:26 | 日記
ヨーロッパではコロナの感染がかなり深刻な状況にあるらしい。フランスのパリでは街の閉鎖、ロックダウンが宣言された。人けが全くない凱旋門やエッフェル塔などがテレビに映し出される。まさに人が街から消えたのだ。一方、日本ではハローウィンのバカ騒ぎがまた始まった。今年は新型コロナが騒がれて、「渋谷に来ないでください」などと報道されているために例年のような無軌道のハチャメチャは起こらないだろうと思っていたらやっぱり甘かった。警告無視もいいところ一部の若者が羽目を外している姿がテレビに写し出された。大音量の音楽に合わせて飲めや踊れやのどんちゃん騒ぎに続いてボトルの酒の回し飲み、そして彼らを取り囲む若者達の囃子立てる様子になんとも言えない落胆を覚えた。
彼らの行為は何かを訴えているように見える。見て欲しいのだ。見られたいのだ。注目を浴びたいのだ。認められたいのである。何ともはけ口のない青春の鬱憤(うっぷん)を発散したいのだ。その方法は他に見つけられないのだろうか。大学にいる時に自分の家庭や人生に文句ばかりを言って周りを嫌な気分にさせていた学生がいたことがある。何故か自分の欠点を意識しすぎていて「俺はアホやから」と口癖のように言う癖がある学生だった。理由はわからないがふと渋谷で騒ぐ若者達にその学生との共通の特徴を見たような気がした。馬鹿騒ぎとはどこか無意識の世界で自分の“弱み”ばかりを意識して他人との比較で不満を増幅させている人が陥る落とし穴であるなどと僕は考える時がある。 “自分の弱点を探そうとしてはいけない Quit finding your weakness.” そんなことをしている暇があったら「人生に自分が本当に好きで夢中に取り組めるものを探せ」と言いたい。馬鹿騒ぎで路上で踊り酒に溺れている若者達、見ている人と見られている人、彼らの頭の中にはどのような思いが巡っているのだろうか。コロナ禍に何か虚しい都会の一幕を見て考えさせられることが多かった。