女性の携帯用折りたたみの鏡が側溝に落ちていた。拾い上げて開いてみると中の鏡が激しく割れている。誰か女性が落としてそれを車か自転車が轢いたのでは、などと勝手な想像をしながら片付けた。ところで僕は娘が実家に残していった数個の同様の手鏡を何かの機会に便利して再利用させてもらっている。この種の鏡は目に入った細かいゴミやまつ毛などを取り除いたりするのに欠かせない。鏡で自分の顔を見ているとちょっとした思索に引き込まれることがある。
「いやー、歳をとったなー、君、誰?」などと話しかけたくなる。鏡には年寄りの顔しか映らない。あの若かりし頃の顔はどこにいってしまったのか…などと年月を感じたりして思いもよらぬ笑いが生まれたりするのは面白いというか楽しい。人生とは鏡のようなもので自分が写したものがそのまま自分に返ってくる。人はなんだかんだと理由をつけて“偏見などない”などと主張したりすることもあるけれど、鏡が映し出すあるがままの姿のように、自分が見たいものを見、聴きたいものを聞いて、それから自分が信じたいものを信じて日々を暮らす。現役の頃、大学への車の運転中、サイドミラーやバックミラーを見て考えたことがある。前も後ろも頻繁に目をやって事故のないように注意するのが車の運転というものだ。他の車や周りの情景が毎秒毎秒通り過ぎていく。でも後ろにある車には時々注意しておかなければ何が起こるかわからない。そしてもちろん行き先は自分の目で前を見ていないと行き着けない。鏡が人生を教えてくれるような気がするのは不思議なことだ。
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