学びのプラスあるふぁ:日常の気付き

人の人生、それぞれが皆オリジナル。街を歩き人に話しかけることから「なるほど」と納得できる発見がある。

「台風が来る」と言われて動きがとれない

2024-08-30 16:02:03 | 日記
 熱暑、酷暑、猛暑、呼び名はなんでもいいがそんな暑さと共に過ごした8月が終わろうとしている。秋を招き入れるのが台風なのだが、今年は迷走台風が九州付近でウロウロ、行き先の方向は北東とのこと。そんなことは誰でも知っているほとんどの台風の進む道、とにかく台風の中心がどこを通るのかが分からない。ノロノロ台風というのは厄介な代物だ。線状降水帯なるものを発生させて台風から離れた地域にも大雨を降らせて各地に被害ををもたらす。被害に遭われた人々にかける言葉がない。早く通り過ぎてくれと祈ることしかできない無力感を味わっている。
 台風が来るといつも頭をよぎることがある。台風の強風は吹き荒れて一定の時間が経過すると必ず風向きは変わる。そういえば人生には風向きというものがあって幸運も不運も決して永遠に続くものではない。晴天や雨天と人生の幸、不幸を例えることもあるけれど「風向き」という言葉はもっと人間の社会生活と一体化した言葉のように聞こえるのだ。何かの外的なきっかけで物事がうまく運ばないこともあれば、自分の気分が乗らなくてものが動かないこともある。台風が迷走している時のような堂々巡りの状態に焦りを覚えた経験は数えればキリがない。そんな気分が乗らない時…見せかけでもいい、机の引き出しの整理など無関係なものでもいい、とにかく取り掛かってみると不思議と脳内に何かが起こる。いい知恵が浮かぶのである。アイディアとは座して黙考している時には湧いてこないのに、忙しく体を動かしている時に突如生まれてくるという性質を持っている。今朝の大阪は曇りで涼しい、軽く庭仕事でもしてみるか。

融通無碍(ゆうづうむげ)の精神とは

2024-08-27 16:25:25 | 日記
 兄弟や友達などとラインで繋がると便利な上に話の要点を短く的確に伝える術も学ぶことができる。とはいえかつての昭和の暖かさを大切にと声を聞かなければなどという電話派の人もいる。確かにたまに声を聞きたくて電話などで話すとその意味がわからないでもない。でもやっぱり現代の日常はラインでのやり取りが主流であることは否めない。そんなことを言いながら、手助けなしにはラインで友達になることができない自分のことが情けない。
 僕は全く知らない若い二人連れにラインのつながり方を教えてもらったことが2度ある。一度は随分以前に弟と一緒にレストランにいる時に隣の席のカップルに手助けをしてもらったこと、それから先日は二度目、最近知り合った囲碁友達とのつながりを手助けしてもらった。丁寧に恐れ入りながら「すみません、ちょっと助けてもらえないでしょうか。ごめんね、厚かましくて」と切り出せばほぼ間違いなく色々手助けしてくれる。人はみな親切だ。年寄りは「昔は良かった」と文句が多い人もいるけれど、それは単に新しい時代に適応できなくなっただけのことなのかも。若かろうが年寄りであろうが人が避けられないものが二つある。それは“生きる“ということ、そしてもう一つはいつかはやって来る“死“である。最初の“生きる”、は、日々気楽に物事にあまりとらわれない自由な境地、融通無碍の精神で暮らしていけば人生案外面白い。昔を懐かしむ年寄りは現代に腹が立ったら100まで数え、うんと腹がったたら1000まで数えればそれで済むことだ。時代と共に楽しく生きれば自然と楽しく終われる日がやってくるのでは…

「人生学校」という名の学校

2024-08-23 16:30:47 | 日記
 朝10時、何故か冷たい缶コーヒーが飲みたくなって歩いて2分の近くの自動販売機に向かった。家を出た直後に虫取り網とカゴを持って歩く若いお母さんとすれ違った、と2mほど後ろを何故かつまらなさそうな顔をした小学2年生(?)ぐらいの男の子がとぼとぼと。僕の想像を掻き立てる光景で「どうしたの?」と声をかけたくなる。でも、お節介はやめた。母親がそばにいるのだから…きっと夏休みの宿題ができていないのだ。公園で虫を取ってきて自由研究にしようという母親の提案でこの光景が生まれたのではないか…などなど余計な想像をしながらコーヒを手にして家まで帰った。冷たく甘い缶コーヒーのあの独特の爽快感にホッとひと息。(ふと、母親に歩きながら飲食はするなと教えられた僕の子供の頃を思い出した)
 あの子供のことが気にかかる。僕だって半泣きになりながら夏休みの課題に取り組んだ経験があるからだ(あの子供もきっとそうに違いないと勝手に決め込んでいる)。そうだ、僕のこのブログ、“学びのプラスあるふぁ“は学校という学びの場の外に本当の学びがあるという意味だ。’あるふぁ’をひらかなにしたのは人と自分が思う学びとの差別化のためだ。学校の外には人生という名の学校がある。しんどい事や苦労がつきものだ。あの子もその現実に気づき始めたに違いない。「人生学校」では日々起こる楽しいことより辛いしんどい事が先生だ。この先生、すごい先生でいろんなことを教えてくれた。「一番大切なことというものは不思議と目には見えないもの」と。そして気がついたら、80歳を超えていた。

人間の弱さは「諦め」という言葉の中にある

2024-08-20 16:18:04 | 日記
 「諦める」という言葉を変な言い方だが身近に考えさせるものといえばスポーツの世界。応援しているプロ野球のチームが点差に諦めたようなプレイをしたりするとこの言葉が浮かぶ。一方、最近閉幕した五輪では諦めないという執念が大逆転の金メダルを手にすることとなったスケートボードの堀米選手、ボードの端をレールに引っ掛けて滑り降りる難度の高い技で金メダルを手にした。報道によると練習では一度も成功していないという。同じ日、体操日本も奇跡的な逆転勝利で頂点に、と報道された。
 日本に目を向けると先日の高校野球、よく耳にする’最終回のドラマ’を絵に描いたような展開であの出雲大社のある島根県代表の大社高校が早稲田実業高校に延長で逆転勝利。スポーツ界では何が起こるかわからない。本当の敗北とは諦めることと言われる。昨日はその大社高校は鹿児島の神村学園高校との対戦が組まれた。さては神様対決かと思ったけれどどうやらそういうことではないらしい。神村学園の方は単に学校の創立者が神村さんということらしい。学校の近くにある出雲大社にお参りしたのだろうか‘神がかり‘と言われた大社高校の躍進も甲子園3勝でとうとう力尽きたという感で神村学園に敗れた。単打や守備の硬さで勝ち上がった県立大社高校、やはり「諦める」という言葉からは何も学べない、ということを教えてくれた。実験で失敗を繰り返した発明王エディソンの名言の一つは「成功への最も確かな道はあともう一回の繰り返し」。諦めそうになった時の“もう一回“が大発明や大発見に、そしてスポーツでは大逆転に結びつく。

忘れるな!地球上で世界の皆が同じ空気を吸っている

2024-08-16 16:36:28 | 日記
 歳のせいだろうか、何故かオリンピックに興味がなくなってきたと感じる事が残念だ。理由を考えてみるとやはりウクライナとロシア、イスラエルとガザの紛争が影響していると言えそうな気がする。「平和の祭典」と言われる五輪、余りにもメダル獲得数がクローズアップされる面があると同時に国を意識しすぎたナショナリズムというかで国同士で争うメダル争奪戦がその精神としっくりしないのだ。とはいえ喜びを感じる一瞬もある。国境や海を超えて世界の誰かにエールを送る。一瞬の勝負に挑む勇姿と汗の一滴がカメラを通して感動の共有を生み出し世界が一つになったかのような錯覚を味わう事も多くある。地球の空気、皆で仲良く吸い込もう!
 努力の価値を学ぶ機会を提供してくれる五輪、遥か遠くへ自分を連れて行ってくれる夢を持つことの大切さを教えてくれる五輪は、例えば自分への自己肯定の心を知る機会を提供してくれる。あるアスリートの言葉が心に残る。「失敗は受け入れる事ができる。でもやりもしないで諦めることは自分自身をバカにすることだ」。日本の金メダル獲得は20、銀が12、そして銅は13個。金メダルの獲得数はアメリカと中国に次いで第3位という。日本を代表して世界に挑むアスリート達の血を吐く努力と汗がカメラを通して感動を伝える一方で、この半月の祭典の背後にはあまり伝えられる事のない生活困窮者の犠牲も生まれていることを無視することはできない。閉会式、IOCのバッハ会長が言った。「五輪は平和を作り出す事はできないが平和を鼓舞する文化を作る事はできる」と…何かますます心の中に答えの出ないモヤモヤが僕を支配することを感じるのだ。