やっと秋の涼気が朝夕に感じられて季節が動き始めたことを実感できるようになってきた。それでも空を見上げればまだまだ夏の雲が残っているし、9月末を迎えても夏と秋の同居状態である。自然の法則の下で我々人間は生きている。秋の空気の中で空を見上げているとやはり秋は「もの思いの季節」なのだなぁと感じる。それにしても能登半島の先端地方の災害を考えると、被害を受けた人々の思いはいかばかりか、と想いを馳せることになる。
誰が言ったか「天災は忘れた頃にやって来る」。最近の日本列島各地の災害報道を見ていると、天災は忘れた頃どころか忘れている暇もないほど頻繁だ。「災」という字は上に川(水)を表す“く”が三つ乗っていて、下に火がある。地震や台風も災難を引き起こすけれど、昔は天の災いは水や火山の火などが中心だったのだろうか。
能登に対する自然の仕打ちはどのように解釈すればいいのやら、色々考えて外国の天災に関する考え方を調べてみたりする。どんどんテクノロジーが発達する現代に、例えばアメリカの巨大竜巻、数分で街全体を壊滅させてしまう。それでも人々は自然と共に生きていかねばならない。信心深い人たちにとってはこれも神の思し召し、次のステップへの第一歩を、などという言葉も見受けられる。確かに"ゼロ"からの再出発というのか"いち"からの出直しを言うのだろうか、新しい機会と捉えて心気一変、再建への一歩を踏み出さなければならないのだろう。「人生、全てしばしの間だけ」という言葉を信じて前に進む以外に道はないのだろうなー。