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「不安」の原因についての患者本人の訴えに耳を傾け、理解できないまでも、せめて共感をもって接するべきではないのか。それがきっと治療にも有効なはずだと思うのは「素人判断」にすぎないのだろうか?

2021-05-24 09:30:59 | これからの日本、外国人の目

[徐京植コラム]

無慈悲な時代―日本から送る連帯の手紙

登録:2021-05-22 07:14 修正:2021-05-22 07:32

 

何より、私もFも「日本は安全安心だ」とは思っていない。そうは思えない。…ああ、世界はなんと無慈悲なのか。私はなんと無力な存在なのか。私にできたことは、辛うじて、連帯の意を伝える短いメールを送ることだけだ。
 
イラスト:Jaewoogy.com//ハンギョレ新聞社

 私の妻(Fと呼んでおく)の許可を得て、彼女に関わる話から始める。こういうことを書こうかどうか、しばらく考え込んだが、結局書いておくことにした。これも2021年という時代(私はそれを「無慈悲な時代」と呼ぶことにした)の日本と世界に関する、一つの必要な証言だと思うからである。

 Fはここ2年ほど体調を崩して苦しんでいる。専門医の診断はいちおう「不安神経症」ということになっている。ただし多くの場合はこの病気の症状は「電車に乗れない」「人前に出られない」などだがFの場合はそうではなく、夕方になって暗くなってくると正体不明の不安感に襲われるのである。朝は目醒めたときから不安感があり、胸が苦しいという。いろいろと治療を試みているが、今のところ目に見える効果はない。 

 専門医に訴えたところ、「何がそんなに不安なの?」と問うので、Fは「ミャンマーとか、赤木さんとか…」と答えた。ミャンマーで続いている市民への弾圧のことであり、「赤木さん」というのは上司から安倍前首相のモリトモ疑惑に関する資料の改竄を命じられ、良心の呵責のため自殺した財務官僚のことである。すると「専門医」は「あなたは日本にいるんだよ。日本は安全で安心な場所なのだから、そんなことは気にしないようにしなさい。明るく、楽しいことだけを考えるように」と、叱るような口調で言った。横で聞いていた私も驚いたが、Fはなおさら驚いただろう。「精神科治療」というのは、こういうものなのだろうか?

 私はFがミャンマーでの政治暴力や理不尽に犠牲に供された下級官僚とその家族のことで心を痛めるのは、人間として当然だと思う。それを「他人事」として無視することが「治療」なのだろうか? ましてFの夫である私は、韓国軍政時代の政治囚家族なのだ。「死刑」や「拷問」といった言葉は、私にとって「他人事」ではなく常に身近なものだった。かたわらにあって、Fもまた心を痛めてきた。その記憶はいまも消えていない。

 Fの症状の原因はこれらのことだけではく、本人の生育歴や私との関係、加齢に伴うホルモンバランスの変調など、多くの複合的な要因が重なったものであろう。それでも、こうした「現在の世界状況」が大きく影を落としていることは明らかだと思う。不安で当然ではないか? 医師には、私がここに挙げたような国内外の政治的諸問題を解決する手段はないし、そのための処方箋を持ち合わせていなくてもやむを得ないことだ。だが、「不安」の原因についての患者本人の訴えに耳を傾け、理解できないまでも、せめて共感をもって接するべきではないのか。それがきっと治療にも有効なはずだと思うのは「素人判断」にすぎないのだろうか?

 何より、私もFも「日本は安全安心だ」とは思っていない。そうは思えない。日本は例えば、数円しか所持していないため行き場のない女性ホームレスが夜のバス停で殴り殺されるような場所である。「ヘイトスピーチ」も、一向になくなる気配がない。それどころか、このままではやがては欧米のように、直接暴力を伴う「ヘイト・クライム」が頻発するのではないかと私は真剣に危惧している。それはすでに、相模原市の施設での重度心身障害者大量殺人事件として現実化した。これは政府・行政が先頭に立って阻止のために全力を尽くさなければならない「もう一つの疫病」のようなものだ。

 前回、読者のみなさんにお知らせしたように、私はこの度、20年あまり勤務した東京の某私立大学を無事に定年退職した。そのことに安堵したのは、他ならぬFである。Fは、私がその大学に就職した時から、右翼や差別者の標的になって苦しめられるのではないか、いつか大学を辞めざるを得なくなるのではないか、という不安を抱いてきたという。幸いそういう出来事は私には起きなかったが、職場までイヤがらせの電話がかかってきたことはある。(彼らはたいてい「ハンギョレ」日本語サイトの「愛読者」である)。私より若い世代の在日朝鮮人の中に実際にヘイトスピーチの標的にされた人は少なくない。

 Fがそういう不安に苦しむのは、1930年代のドイツでユダヤ系の大学教師たちがヒトラー支持者たち(とくに親ナチ学生団体)の攻撃を受けて大学を追われ、あるものは亡命を余儀なくされ、あるものは強制収容所に送られた歴史が念頭にあるからである。それは、私にとってはもちろん、Fにとっても決して「他人事」ではない。脅かされている人々のことを「他人事」と考えなさい、という助言は決して慰めにはならない。この状況をともに憂い、ともに改善に取り組む姿勢を示すこと、すなわち「連帯」だけが真の慰めになるはずだ。不必要かもしれないが念のために書いておくと、Fは日本国籍の日本人である。この原稿はFの了解を得た上で書いている。

 そんなことを考えていた最中に、ラジ・スラーニ氏からメールが届いた。ラジのことは、このコラムでも過去に何回か書いた。ラジはパレスチナ・ガザ地区に拠点を置く人権団体(Palestinian Center for Human Rights)の主宰者である。私と彼はあるテレビ番組のために2003年に初めて沖縄で対談し、その後は2010年と2014年にも東京で再会した仲だ。いつも上記団体の名でガザの人権状況に関する悲痛な報告が届く。だが、今回はラジ本人の個人名でメール(原文英語、訳は徐京植)が届いた。その書き出しはこうである。

 「これは私が人生で目撃した最悪のものだ。ガザに安全な空間はない。あまりに血塗れで、野蛮だ。彼らは日夜ガザの200万人をテロ攻撃している。今朝私たちは太陽を再び見ることはできないだろうと思った。……」

 イスラエル軍の激しい空爆の下から、リアルタイムで送られてきた報告だ。

 東エルサレムでのパレスチナ人への弾圧に対して、ガザ地区に封鎖されてきたハマスが抗議のロケット弾を発射、これを契機にイスラエルがガザ地区へ大規模な空爆を開始し、今月10日以降、ハマス司令官や戦闘員30人近くが死亡、一般人も現在までに83人の命が奪われた。ハマスのロケット弾による反撃でイスラエルでは7人が死亡したという。イスラエルのネタニヤフ首相は報道陣に「これはまだ始まりにすぎない」と述べた(「東京新聞」5月14日)。イスラエルは現在、地上からのガザ侵攻を実行する構えだ。

 このような事態の悪化には、近くはトランプ政権時代のイスラエル支援強化政策があるが、バイデン政権になってからもアメリカはイスラエルとの同盟関係重視という姿勢を変えていない。いま、圧倒的に不均衡な状況の中で、ガザのパレスチナ人たち、子供、老人、女性たちまでも殺されつつある。

 このニュースは、Fをさらに深い不安に陥れた。Fもまた過去20年近くの間、ラジを尊敬すべき親しい友人と考えてきた。「あなたもラジのようにしっかりしてね」などと私を叱咤したこともある。その大切な友人やその同胞が殺されようとしているのだ。世界はまた、このことを「他人事」とみなしてやり過ごすのだろうか。

 ラジは上に引用したメールの後半に、彼らしいメッセージを記している。「私たちには、諦めて“良き犠牲者”になる権利はない。彼らに恥あれ。彼らと「沈黙の共謀」関係にある者たちにも。私たちは希望と決意を守り続ける。」

 ああ、世界はなんと無慈悲なのか。私はなんと無力な存在なのか。私にできたことは、辛うじて、連帯の意を伝える短いメールを送ることだけだ。それをしないではいられなかった。そんなことならしない方がマシだと、私は思わない。ここに、この遥か離れた極東の地に、無力だがあなた方の苦しみに共感している者がいる、そのことだけでも伝えたかった。Fもその連帯のメールを送るよう私に促した。

 ミャンマー、ベラルーシ、香港…、手の届かない世界の各地で、互いに会うことも顔を見ることもできない場所で、人々の苦悩が延々と続いている。その苦悩に「共感」(compassion)すると、解決困難な苦悩を背負い込むことになり、自分の心身まで傷つけられる。だが、だから「共感」なんかしないほうが良いというのか。それでも「共感」してしまうのが人間ではないか。「連帯」しようとするのが。この精神の機能までも放棄したときに「間化」が完成し、「疫病」が凱歌をあげるだろう。(2021年5月14日)

 
//ハンギョレ新聞社

徐京植(ソ・ギョンシク)|東京経済大学教授 (お問い合わせ japan@hani.co.kr)

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