[記者手帳]なぜ韓国政府は
「東海/日本海」の「併記」を主張するのか
登録:2020-09-21 07:23 修正:2020-09-21 13:35
「東海/日本海」の「併記」を主張するのか
登録:2020-09-21 07:23 修正:2020-09-21 13:35
韓国、1992年に国連加入後
「東海/日本海」の併記運動を行い
韓日外交戦の中で交渉が長期化すると
国際水路機関が名称の代わりに数字表記を提案
これまで行なってきた併記運動の方向転換が必要
「グーグルマップでの併記」拡大など、選択と集中を
「東海併記」のために活動している東海研究会が17~19日、江陵で26回国際セミナー「デジタル時代の地名表記」を開催した。今回の会議ではグーグルマップなどのデジタル地図に東海併記を拡散させる案について議論された=江陵/キル・ユンヒョン記者//ハンギョレ新聞社
今日は、大韓民国の人なら誰でも少しは聞いたことのある「東海表記」について話してみようと思います。
まず、クイズを1問。韓国政府が1992年から東海表記に関して維持している一貫した立場は何でしょうか?
1. 国際的に日本海(Sea of Japan)となっている東海表記を東海(East Sea)に変更させる
2. 国際的に日本海になっている表記を「東海/日本海」と併記させる
答えは2です。
韓国政府が国際舞台で東海水域の日本海「単独表記」に異議を申し立て、東海「併記」を主張したのは、28年前の1992年8月、第6回国連地名標準化会議を通じてです。
韓国人には極めて当然の東海表記に関して対応がこのように遅れたのは、南北分断という痛ましい現代史と深く関連しています。朝鮮戦争の後に厳しい冷戦が始まり、大韓民国(ROK)と朝鮮民主主義人民共和国(DPRK)の国連加入は、長期間実現されませんでした。南北朝鮮の国連同時加入がなされたのは、国連が発足して40年余りが過ぎ、冷戦が終結した後の1991年9月のことです。
外交部の国際表記名称大使を務めた東アジア平和繁栄研究所のユ・ウィサン所長の説明によれば、東海併記運動が始まった直接の契機は、国連加入後、国連のさまざまな機関が韓国政府に送った多くの公文書のためでした。それらの文書は、あまりにも当然であるというように、東海を日本海と「単独表記」していました。この事実に強い衝撃を受けた外交部は、1992年6月、文化部・教育部・公報処・交通部(水路局)・建設部(国立地理院)などの関係省庁と協議を経て、7月に「東海名称の国際的通用推進対策案の建議」という文書を作ることになります。当時の政府内では、韓国の東海に関連した主張が独島を巡る領土問題に悪影響を与えかねないという反対意見も、かなり多かったといいます。韓国が東海併記を掲げれば、日本が独島を巡る領土紛争で攻撃する口実を提供することになりうるという主張でした。このような複雑な討論の過程を経て、関連内容が同年8月、当時の盧泰愚(ノ・テウ)大統領に報告され、東海表記に対する韓国政府の方針が確定します。
その内容とは、
1. 東海の英文表記をEast Seaにして
2. 国際的にSea of Japanと併用されることを目標に
各種の国際会議で韓国の立場を提示・広報していくというものでした。
以後、韓国政府の「東海併記」運動は、大きく二つに分かれて推進されてきました。一つ目は、2017年に国連地名標準化会議(UNCSGN)と統合された国際地名専門家グループ(UNGEGN)です。韓国は1992年8月の第6回会議を皮切りに、国連の舞台で粘り強く東海併記キャンペーンを進めています。
韓国政府が長きにわたり東海併記を推進してきた国際水路機関の『海洋と海の境界』(S-23)第3版(1953年)。東海を日本海(Japan Sea)と単独表記している//ハンギョレ新聞社
二つ目は、国際水路機関(IHO)を通じた運動でした。この運動が重要だったのは、IHOが1929年に発刊した海図製作の指針書である『海洋と海の境界』(S-23)のためでした。朝鮮が日本の植民地支配を受けていた1929年に製作されたこの文書は、東海を日本海(Japan Sea)と単独表記しており、この内容がその後、第2版(1937年)、第3版(1953年)と継承されます。「S-23の第4版発行の際には、Japan Seaの名称を“必ず”East Sea/Japan Seaと併記させよう!」と、外交部を中心とした韓国の東海併記運動は、これを当面の課題に掲げ、粘り強く国際的なキャンペーンを進めるしかなかったのです。
しかし、日本が韓国の併記の主張を素直に受け入れるはずはありませんでした。韓日両国政府は2000年代中盤、3回の直接交渉を試みましたが、成果はありませんでした。独島を巡り日本と激しく対立した盧武鉉(ノ・ムヒョン)元大統領は、2007年11月にベトナムのハノイで開かれた韓日首脳会談で、当時の安倍晋三首相に東海を「平和の海」または「友情の海」と呼ぼうという即席の提案までしました。安倍前首相はこの提案をその席で断ったと伝えられています。これを示すように、日本外務省の公式広報資料である『日本海~国際社会が慣れ親しんだ唯一の名称~』によると、「日本海は国際的に確立した唯一の呼称であり、何ら争うべき余地はありません。国連地名標準化会議(UNCSGN)、国連地名専門家グループ(UNGEGN)、国際水路機関(IHO)などの国際会議の場において、韓国等がこれらの主張を行った場合には、我が国としては断固反駁しています」とし、決意を新たにしています。
韓日間での激しい対立が長期化し、IHOの立場は困難なものになります。IHOは1953年以来半世紀を超える時代の変化を反映するために、S-23の第4次改訂版を作ることを望んでいますが、東海名称表記が障害となり、加盟国間の最終合意が簡単にはなされなかったからです。やむを得ずIHOは、2002年に完成した第4次改訂版の最終草案に東海の部分を白紙で残します。それ以後15年を越え韓日間で同じ話が繰り返されると、IHOは2017年4月の総会で東海表記に関する3大当事国である韓・朝・日の3者が別に集まり非公式協議を行い結論を出すよう議決しました。これにより、2019年4月と10月の2回にわたり3者対話が行われましたが、日本は最後まで韓国の併記の主張を受け入れません。
すると最近、IHOがこの果てしない論争を終える一つの決断を下したことが確認されました。韓日両国に最も近い水域を指し示す数字にされた体系(a system of unique numerical identifier)の導入を提案したのです。この制度が導入されると、IHOのレベルではそれぞれの海の名称は消え、各水域には数字になったコードが付くことになります。S-23の第4次改訂版で東海をどう表記するのかを巡る韓日の激しい外交戦が長引き、海の名称を数字に替えることで、対立の素地をつぶしてしまったわけです。この案は当初の4月から11月に延期されたIHOの総会で議決される可能性が高いです。
「東海/日本海」の併記を主張している韓国政府の広報資料『東海』(2014)//ハンギョレ新聞社
1994年から東海併記のために努力してきた非営利団体の東海研究会は、17日から19日までの2泊3日の間、江陵(カンヌン)で26回目の国際セミナー「デジタル時代の地名表記」を開催しました。この席でチュ・ソンジェ会長(慶煕大学教授)は「悠久な歴史と文化遺産を抱えている地名を、果たして数字に振り替えることができるのか」と疑問を提起しながらも「S-23に東海を載せようと努力してきた韓国政府も、その目的を達成できずに終わるのかに対する質問に答える準備をしなければならない」と明らかにしました。S-23に東海を併記するという運動の目標が消えることになれば、今後の運動の方向を考えなければならないという提案でした。
もちろん、S-23の第4次改訂版を巡る議論が終えられるとしても、東海併記問題自体が消えるわけではありません。S-23は東海を巡る数多くの懸案の中の一つに過ぎません。実際、過去30年近い韓国社会の努力により、世界の紙地図に現れた「東海/日本海」の併記の割合は40%に達します。最近になり併記運動は地図のデジタル化に適応する問題に進んでいます。
現在、世界で最も多く使われる地図は、断然、“グーグルマップ”です。米国で英語を用いてグーグルマップにアクセスすると、初期画面では東海水域は日本海と表記されます。東アジア方向に地域を狭め、3回縮尺を伸ばすと、はじめて「東海/日本海」併記が登場します。ユ・ウィサン所長は今回のセミナーで「地名関連の国際機関で東海名称に対する加盟国間の疲労感が強まっているのは事実」だとしながら「今後の運動は、グーグルマップ、米国、国連を3大交渉対象とし、説得力を持てるよう証拠資料を提示し、併記を拡散させていく方向に進まなければならない」と述べました。そのためには、韓国国内的にも、私たちの主張が日本海を東海単独表記に変える国粋主義的なものではなく、韓日両国の立場を共に尊重する「併記」だという点をさらに広く知らしめる必要があります。
今回のセミナーに参加したある日本の記者は、江陵の鏡浦(キョンポ)沖合を眺め、「あの海を日本海と呼ぶことを望む日本人は誰もない」と言いました。私も東京特派員時代、日本の富山や京都の海岸で日本人と話し合う時、「こちらから見る東海は美しいですね」という言葉は口からうまく出てきませんでした。あの海は韓国人には東海であり、日本人には日本海であるのです(日本人にとっては、東海は西側にある海です)。韓国の併記の主張には、韓日がお互いに違いを認め、共存しなければならないという哲学が込められています。日本政府も、もっと開かれた心で交渉に応じるべきだと思います。
江陵/キル・ユンヒョン記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )