福島ズボラーヌ

https://blog.goo.ne.jp/nekozora-f

大阪市福島区(並びにその周辺)をうろうろ徘徊。

ふじめぐり(2016年)「鷺洲中公園」

2016-04-15 | ・鷺洲:風景・建築・史跡
鷺洲二丁目にある鷺洲中公園。



関西スーパーの方から見ると、もこもこした大きな樹木が目に入ります。
私はこの木を見るたびに、いつもブロッコリーを思い出します。



大きな木がそこそこあるわりに、明るくて良い公園です。



近くには渋い銅板貼りの長屋が。

で、肝心の藤棚はと言いますと…



端っこにちょろりと咲いているだけと言う寂しい状況です。
枝も葉っぱもスカスカです。
藤棚は立派なんですが。



日当たりも悪く無さそうだし、一体何がいけないのか…。


「鷺洲中公園」
住所:大阪市福島区鷺洲2-4

【過去記事】
福島ズボラーヌ:福島区の花「のだふじ」

【のだふじについて】
のだふじ巡り2016 ←マップ、開花状況を掲載。
大阪市福島区のだふじ巡り - Facebook ←速報ならこちら。

ふじめぐり(2016年)「鷺洲五丁目、路上ののだふじ」

2016-04-13 | ・鷺洲:風景・建築・史跡
桜のシーズン終了に伴い、福島区の花である「のだふじ(野田藤)」の開花が始まりました。
といっても、相変わらず私には「のだふじ」と「それ以外のふじ」の区別がつきません。
メインは「のだふじ」ですが、のだふじとは異なる品種のふじが登場することが多々あると思います。
ご容赦ください。

さて、今年の「ふじめぐり」一件目はこちら!
旧塩野義製薬中央研究所前の路上にある木です。



青いタイル壁が旧研究所の外壁。
DOCOMOMO(近代建築の記録と保存を目的とする国際学術組織)に
優れたモダン建築のひとつとして高い評価を受けた立派な建物でしたが、
残念ながら、もう少しで姿を消します。



街路樹に巻き付いている藤の木。
幹に取り付けてある説明板によりますと、もともとは鉢植えだったものだそうです。







この道路を渡ってすぐ向かい側にも藤の木があります。
(お向かいですが、住所は鷺洲ではなく、海老江一丁目)





さきほどの藤と比べると、花房が短く、葉が黄色っぽい。
でも同じく「のだふじ」と書かれたプレートが取り付けられています。
たぶん、同じ人物が植えたものだと思われます。
そういえば、かなり前にここで鉢植えの藤の花を見たことがあるような。。。

同じ品種の花でも植えられた場所がちょっと違うだけで、こんなに差が出るものなのでしょうか。
びっくりです。

「鷺洲五丁目、路上ののだふじ」
住所:大阪市福島区鷺洲5-12(旧塩野義製薬中央研究所前)

【過去記事】
福島ズボラーヌ:福島区の花「のだふじ」

【のだふじについて】
のだふじ巡り2016 ←マップ、開花状況を掲載。
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お花見通信(2016年)「鷺洲上公園」

2016-04-08 | ・鷺洲:風景・建築・史跡
鷺洲五丁目、鷺洲小学校・貫江田幼稚園の隣にある公園。
大きな木がたくさんある素敵な公園です。
個人的には福島区内の公園で一番好きな公園です。
桜の木もそこそこ本数があり、一本一本のボリュームがあるので
お花見スポットとしても良いところです。



大通りから少し入ったところにあるからか、いつも静かな感じがする。
実際にはお子さん方が遊んでいて、適度ににぎやかなのですが。



私はこの公園の林みたいな感じが気に入っているのですが
子どもやその親御さんからしたら、
もっと広場が広かったり遊具がたくさんある方がいいのかな?



木が多いと言っても、間をすかして植樹しているので見通しはそんなに悪くありません。
公園の周囲に高い塀が無いのもいいなぁと思う。
ボール遊びをすることを想定すると、塀が高くないと!という発想になるのですが
外側からの見通しが悪いと治安上の不安感が生まれます。

ボール遊びが好きな子どもさんには悪いけど、塀の低さをキープするために
公園でのボール遊びはちょっと我慢してもらいたい。
人にあたると危ないしね。





近くにある塩野義製薬の旧研究所の建物。
現代建築の世界では知る人ぞ知る名建築だったそうですが、現在解体工事中。
この建物は鷺洲のランドマークだったので、非常に残念です。
跡地には大型マンション「リバーガーデン福島 木漏れ日の丘」が建つそうです。
すごい名前だ…恥ずかしくて、住所に書けない(丘じゃなくて、ばりばりの平地やし)。
転入してくる子どもの増加が確実ですが、学校、大丈夫なんですかね?
鷺洲小学校ってそんなに広くないし。
保育園はますます入りづらくなるだろうなぁ…

「鷺洲上公園」
住所:大阪市福島区鷺洲5-6
参考:「塩野義製薬中央研究所・福島分室」 - ずぼら堂懐古録 - Gooブログ









福島聖天了徳院(2015年 のだふじ)

2015-04-22 | ・鷺洲:風景・建築・史跡
福島の「聖天さん」こと了徳院の藤を見に行ってきました。

野田藤 - 大阪市福島区のだふじの会
大阪市 福島区 のだふじコーナー
大阪市福島区のだふじ祭り
福島区のだふじ祭り!(Facebook)



花房が長い!



藤棚の真下には狛犬さんが。



私が見に行った日はまだ房の先が小さなつぼみでしたが
この週末には花がふくらんで満開になっているんじゃないかな。



藤棚のそばにライオンズクラブが設置した案内板が置かれていました。
花房の長さは「最盛期には1メートルを超す」とな!

この聖天さんは堂島米市場の相場師の信仰を集めたお寺さんです。
いわば大阪の相場師の聖地。
山門の側には、相場関係者向けに特化したと思われる占いの結果が掲示されていました。
はてさて、今年の市場の動向やいかに!





【雷山小過】1~4月
 株式は多少揉合気味。深落買い。
 14000円割ると上昇はおくれる。

【雷山小過】5~8月
 14000円割れすぐに15000円。
 16000円、20000円望む。

【澤山感】9~12月
 秋口から動き出す相場は、強い。
 25000円近くでは上下大保合。

…さっぱり意味が分かりません。 

「如意山了徳院(福島聖天)」
住所:大阪市福島区鷺洲2-14-1
電話:06-6451-7193

鷺洲五丁目、機銃掃射弾痕

2014-08-19 | ・鷺洲:風景・建築・史跡
インターネット上で、福島区の戦跡についての記事を見つけました。

そうなんや 大阪24区 福島区 鷺洲の機銃掃射弾痕』(大阪日日新聞 2014.08.15)

場所は鷺洲5丁目、JR東海道線の高架。
コンクリートの橋脚に今も当時の銃弾の跡が残されています。



昼間でも薄暗いガード下に刻まれた無数のくぼみ。
同区鷺洲5丁目のJR東海道線の橋脚には、
米軍機による機銃掃射の弾痕がはっきりと残る。
その数は目視できるだけでも約150発。
コンクリート壁面が直径約3~8センチ、深さ約2センチもえぐられており、
銃撃のすさまじさを物語る。

地元の鷺洲小学校100周年記念誌によると、
被弾したのは1945年6月7日の白昼にあった第3次大阪大空襲で、
B29爆撃機の護衛任務で飛来したP51戦闘機によるものと伝わる。


福島区は戦前の古い建物が比較的多く残されており、
しばしば「戦災の被害が少なかった」と言われますが、無傷だったわけではありません。
区内の3つの学校が焼失し、野田藤も燃えてしまいました。
作家、田辺聖子さんの実家(堂島大橋北詰)や下福島公園隣の中ノ天神、
大阪福島教会や聖天さんこと了徳院(山門以外)も焼失しています。
空襲の様子を福島三丁目にお住いのお年寄りに聞いたこともあります。

『wikipedia:大阪大空襲
『わがまち福島区:鷺洲小学校区
『福島区歴史研究会:福島区の災害

福島区歴史研究会の記事によると、福島区は6回の空襲を受けています。
15年位前には、このガード下以外にも
幾つかの民家の壁に当時の銃弾の跡が残っていたのですが
それがどこのことだったのか思い出せません。
もう建替えられたり、リフォームされたりして残っていないかも…



高架下に逃げ込んだ市民を狙い撃ちした銃弾。
若者や働き盛りの男性は出征していて、
大阪に残っていたのはお年寄りや女性、子供がほとんど。
6月7日の空襲は真昼間でした。

機銃掃射の際、戦闘機は超低空で飛行しており、
操縦している米兵の顔が見えるほどだったそうです。
と言うことは、操縦者側からも高架下に逃げている人達が
お年寄りや女性、子供ばかりというのは視認できたはず…

戦時中の米国ではプロパガンダフィルムで
「日本人を殺すのは、狂犬病の犬を撃ち殺すようなもの」と
国民を鼓舞(洗脳?)していたので、さほど良心は痛まなかったかもしれません。
嫌な仕事ですが、任務ですしね。
この日は市民の命綱である柴島浄水場も破壊され、水道の供給が出来なくなりました。
非人道的な戦争犯罪としか思えないのですが、当時は国際法的に問題無かったのでしょうか?

鷺洲の高架下の弾痕は、説明板も何もありません。
個人的にはきちんと説明板を設置し、戦跡として保存するべきだと思いますが、
忘れてしまいたいとか、知りたくないと思う人もいるかもしれません。

「鷺洲の機銃掃射弾痕」
住所:大阪市福島区鷺洲5、鷺洲北公園近くのJR東海道線の高架下

如意山了徳院(福島聖天)(2)

2013-10-11 | ・鷺洲:風景・建築・史跡
前記事:如意山了徳院(福島聖天)(1)

境内の中はそんなに広くありません。
昔はたくさんの参拝客でにぎわったと言いますが、
その頃は広かったのだろうか?



鐘楼。



池には竜の彫刻が。



芭蕉の句碑もあります。
実際に芭蕉が聖天さんを参拝したのかどうかは疑問視されているらしいですが…
松尾芭蕉は「句聖」と呼ばれていますが、数多くの句碑が日本中に建てられています。
(2500基以上あるらしい)
芭蕉は「俳聖」と呼ばれ、弟子や崇拝、神格化され
俳句(蕉風俳諧)は大衆娯楽として広く人気を博しました。
句碑の中には、俳諧愛好者が芭蕉をしのんで建てたものも多い。
「芭蕉がこの地を訪れて句を詠んだ」という証ではなく
「この辺には俳諧を愛好する人たちがたくさんいました」という印でもあるようです。
了徳院の句碑にも
「俳人三津人が建立した」と書かれています。

「杜若語るも旅のひとつ哉」

句に「杜若」が入っているように、昔はカキツバタの名所だったそうです。
江戸時代の錦絵『浪花百景』には「うらえ杜若」というタイトルの絵があり
大阪の観光名所のひとつになっていました。



手前にシュッと伸びた杜若の花、燕が飛んでいるかっこいい絵です。
お寺の池というよりは、周囲の井路川(聖天川)に杜若が咲いていたんですかね?
赤い提灯は茶屋かなぁ。
建物の向こうは田んぼなのかな、のどかな風景です。
杜若だけでなく、藤の名所でもありました。
近くの妙寿寺の蓮も有名だったそうで、
蓮飯の美味しいお店(富竹という料亭)があったらしい。
杜若も蓮も水辺の植物なので、浦江はやはり水郷の街だったのですね。

聖天川は周囲が市街地化・工業化するにつれ水質が悪化し
埋め立てられてしまいました。



帰る前に、手水鉢の写真を撮りました。
すると「え?!」な光景が。



お参りした日は8月、ものすごい暑い日でした。
気持ちは分かる、気持ちは分かるんやで。
しかし、これ、鳩じゃなくて人間だったら
確実に今大流行している「不適切写真」でしょう。

ネットで調べてみたところ、鳩は水浴びが大好きで
お寺の手水鉢に入っている姿は決して珍しいことではないそうです。
参拝前の礼儀として口を漱ぐものらしいですが、
こういう下から水がわき出るタイプの鉢の場合は
ちょっと考えた方が良いかも知れません。
蛇口から流れ出るタイプなら、心配いらないのですが。
(私は手は必ず洗いますが、口は漱いだり漱がなかったりです。
こちらでは漱ぎませんでした。大聖歓喜天様、申し訳ありません)


追記:産経新聞のHPに聖天通商店街ならびに聖天さんこと了徳院の記事が掲載されています。

「msn産経:大正期の大阪都…吸収した名市長が詠んだ街 鷺洲


「如意山了徳院(福島聖天)」
住所:大阪市福島区鷺洲2-14-1
電話:06-6451-7193

※「福島区の風景・街並み

如意山了徳院(福島聖天)(1)

2013-09-17 | ・鷺洲:風景・建築・史跡
「聖天さん」の愛称で知られる寺院。
(鳥居あるけど、神社じゃないです)
近隣の売れても占い商店街こと聖天通商店街の名前の由来は
このお寺から来ています。



「売れても占い.com:福島聖天 了徳院
大聖歓喜天~聖天ファン~
「大阪市:浦江聖天(うらえしょうてん)
「wikipedia:了徳院

正確な創立時期は不明のようですが、
戦国時代にはすでにこの地にあり、
元文元年(1736年)に再興されたのだそうです。
元文とは江戸時代の元号で、徳川吉宗の時代。



大阪大空襲の被害に遭い、山門と稲荷堂を残してすべて焼失。
無事だった山門は文化財として指定されているらしいのですが
どういう名称の指定だったかは忘れました…

山門には大根が描かれた提灯がぶら下がっています。
聖天さん=大聖歓喜天さんは象の姿をしたインドの神様で
大根が好物なのだそうです。





山門には子持ち竜の彫刻が施されています。

『なにわ福島ものがたり』(福島区歴史研究会)によりますと
この聖天さんは水商売(たぶん北新地)や堂島米相場師の人たちなどの
信仰が篤かったそうです。
聖天通商店街はその門前町。
JR福島駅前のテーラーのショウウインドウに当時の写真が掲示してあったような…
戦前はとても賑やかな商店街で、大阪四大商店街のひとつでした。
(あとの3つは心斎橋、天神橋筋、九条)



「大阪市パノラマ地図」大正12(1923)年

聖天さんのすぐそばを流れるのは聖天川。
その昔、水利や運搬のために使われていた井路川のひとつです。
井路川は福島区内のあちこちに流れていましたが
順次埋め立てられ、道路に変わっています。

(2)に続く。

「如意山了徳院(福島聖天)」
住所:大阪市福島区鷺洲2-14-1
電話:06-6451-7193

※「福島区の風景・街並み

鷺洲三丁目(1)

2013-07-05 | ・鷺洲:風景・建築・史跡


大正~昭和初期に大阪で流行した箱軒長屋。
二階の軒が階段のような箱状態なっており、防火と装飾を兼ねて銅板で覆われています。
壁面の白いタイルもオシャレです。これも防火対策、一石二鳥。



箱軒長屋は大阪ではよく見かける形式ですが、他の地域には無いらしい。
少なくとも東京では見たことありません。
ちなみに、大阪の長屋は外装も内装も凝っていて、門や庭が付いたものや洋館風など
豪華なタイプが数多く存在しますが、これも大阪特有の文化であるように思います。

一般的に「長屋」というと、落語や時代劇に出てくる「裏長屋」のような
質素な住環境をイメージされることが多いのですが
大阪に限っていうと、それは当てはまりません。

現代の集合住宅に風呂なしアパートや億ションがあるように
大阪の長屋にはいろいろなバリエーションがあるのです。
もっとも、このことを他の地域の人に話してもまず分かってもらえません。



こちらの長屋は渋くて落ち着いた雰囲気。
明治末~大正時代の建物かな?


※「福島区の風景・街並み

鷺洲一丁目(3)

2013-07-02 | ・鷺洲:風景・建築・史跡
野田阪神駅前近く。



この並びの端に中華料理店「圄武(GOBU)」がありました。



トンネルの奥にさらに建物が続いています。
表の建物からトンネル状の通路を通って奥の住宅に進むという形式は
明治42年(1909年)以降は禁止されています。
ということは、この建物はそれ以前のもの?



こちらにもトンネルがありました。

梅田のすぐ近くで、100年を超える建物に普通に人が居住しているなんて
すごいことですよね…。
しかも全然ボロボロじゃなく、今もとてもきれいでしっかりしています。
昭和には大きな地震が何度かありましたし
(昭和21年の南海地震とか昭和19年の東南海地震とか)
戦争も経験して、阪神大震災も乗り越えて
それでもなお、こうして現役で住宅として立派に成り立っている。

現代のマンション建築や建売住宅が果たして、
50年後、100年後に健全な姿で残っているだろうか?
「時代を経てもなお美しくカッコいい建物」として称賛されるだろうか?

長屋は決して時代遅れな建物ではなく、立派な歴史遺産であり、
この景観は素晴らしい財産なのだと痛感する今日この頃です。

※「福島区の風景・街並み